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ありのままのメシア 第十話


「メシア―――ッ!!」
 強烈な恐怖と奇妙な力によってメシアの心を支配していた狂気は、ソフィスタの叫び声と、体を包み込んだ虹色の光で取り払われた。
 全身にみなぎっていた力が急速に抜け始め、メシアは前のめりに倒れた。その際、ソフィスタを体の下敷きにしてしまったが、メシアはそれに気付かなかった。
 裂けている皮膚の痛みも、腕を伝う血の感触も無く、上手く身動きも取れない。頭はぼんやりとして、自分の身に何が起こっているかも、これから何をすればいいかも分からず、それを考えようと思考を働かせることもできない。
 ただ、今まで必死に誰かを探し求めていたような気がする。
 優しく、柔らかく、温かく、心安らぐ香りのする、愛情に満ちた誰か。だが、それは遠ざかって消えてしまって…。
「メシア!おい、しっかりしろ!メシア!!」
 メシアの体の下から上半身だけ這い出したソフィスタに何度か呼びかけられ、やっとメシアはソフィスタの声に気付いた。
「…ソ…ソフィ…ス…タ…?」
 どうにか腕を動かして、ソフィスタが身にまとっているマントを掴み、ゆっくりと顔を上げた。すぐ目の前で、ソフィスタが心配そうにメシアを見下ろしている。
 メシアは、なぜかソフィスタを儚く感じた。瞬きをする一瞬だけでも彼女を視界から消してしまうと、そのままいなくなってしまいそうな気がした。
 それが嫌で怖くて、メシアはソフィスタを見失わないようにと、瞬きをせずに彼女を見つめた。
「メシア!あたしが分かるな?もう大丈夫だ!」
 ソフィスタは少しだけ笑顔を見せて、メシアの額を撫でた。
 体温が上がっているメシアの体にとって、ソフィスタの手は冷たかったが、心は温もりを感じた。
 ソフィスタの声がメシアの名を呼び、励ますように話しかける。ソフィスタの手の柔らかい感触が、彼女の存在をメシアに示す。
 今まで意識したことの無い、ソフィスタの香りが、メシアに安らぎを与える。
 まるで、思い出すことも取り戻すこともできなかった大切なものが目の前に現れたような喜びを覚え、メシアは微笑んだ。
 ソフィスタは消えない。確かにここに存在している。
 消えてしまった誰かは、こんなに近くまで戻ってきてくれたのだ。
 …良かった…ソフィスタがどこへも行かないでくれて…。
 そんな安らぎに満ちた心のまま、メシアは意識を失った。


   ・第七章 長女、シャクヤク

 カマイタチ三兄弟の内、まだ姿が見当たらないシャクヤクを探して森を歩いていたバディルゾンは、急にケヤキが動きを止めたことに気付いて立ち止まった。
 ケヤキは、バディルゾンの後ろ、少し距離を取った位置で、宙に浮いたままボーっとしている。
「おい、ケヤキ!なにグズグズしてんだ!」
 バディルゾンが引き連れてきた山賊たちが、ケヤキの周囲に群がる。人相の悪い山賊たちに囲まれたケヤキは、カタカタと震え始めたが、それは山賊たちに怯えてのことではなかった。
「…かっ…母ちゃんが…切り…うっウソだ…」
 やや顔を上に向けて、ケヤキは断片的な言葉をブツブツと呟く。様子がおかしいことに気付いたバディルゾンもケヤキに近づこうとしたが、その時、地面から伝わる振動に気付き、反射的に足元を見た。
「ウソっ…で・でも、そんな…ヤダよ…ヤダぁぁ…」
 ケヤキだけでなく、周囲の植物の様子もおかしかった。強い風が吹いているわけでもないのに、枝は揺れ、山賊たちの頭の上に枯葉や果実を落とす。
「ちょっとぉ!何やってんのよケヤキ!!」
 バディルゾンがケヤキに近づき、乙女っぽく頬を叩こうとしたが、その手はケヤキの頭部をすり抜けた。
 ケヤキの体は、所々が薄く透けたり、形が急に歪んだりと、不気味に変化している。バディルゾンや他の山賊たちは、思わず後ずさりした。
 人が使う魔法は、術者の精神に深く関わり、術者の心が乱れていれば魔法は上手く操れず、時には暴走して周囲や自身に余計な被害を与える。それは、精霊も同じであった。
 精霊ケヤキの体は、魔法力そのもの。ケヤキの心が不安定になり、姿を保てなくなっているのだが、魔法に疎いバディルゾンたちは、それに気付けなかった。
 そして、森中の植物を操ることのできるケヤキの力が、どれほど強大なものかも、理解できていなかった。
「ヤダ…そんなのヤダよぉ、母ちゃん!母ちゃん!うわあぁぁぁぁぁん!!!」
 ケヤキは、少し形が歪んでいた口を大きく開いて、泣き声を上げた。
 耳をつんざく、その声に呼応するように、地面が大きく揺れ、数人の山賊が尻餅をついて倒れた。
「な・何?何が起こっているの?ケヤキ、静かにおし!」
 バディルゾンは、再び腕を振り上げてケヤキを叩こうとするが、突然、何かに背中を強く打たれ、つんのめって腹から地面に倒れた。
「ぎゃぶっ…何よもうっ」
 プンスカと怒りながら、バディルゾンは土にまみれた顔を上げた。そして、目の前の光景に絶句した。
 木々は土の中から根を引きずり出し、枝をめちゃくちゃに振り回している。互いに枝や幹をぶつけ合い、倒れても根や枝を蠢かしている木もあった。
 木に巻きついている蔓や、根元に生えていた花なども動き出し、花粉や種を飛ばしたり、山賊の体を絡め取ったりと、ケヤキが操っているにしても尋常ではない暴れっぷりを見せる。
 バディルゾンは、しばらく呆然と、この異常な光景を眺めていたが、やがて我に返ると立ち上がり、悲鳴を上げて走り出した。
「イヤァー!!何なのよコレ!どうなっているのよォ!!」
「ひっ、お・お頭ぁ!」
「お頭!助けてぇー!!」
「うわぁぁぁぁーん!!ふぎゃぁぁぁぁー!!」
 バディルゾンら山賊たちの悲鳴と、ケヤキの泣き声、そして暴れまわる植物たち。この混乱極まる状況は、この場所だけに留まってはいなかった。
 強い怒りや悲しみに狂うケヤキの心は、泣き声と共に森の奥へと広がってゆき、森中の植物が帯びている魔法力を狂わせていった。


 *

 ソフィスタたちを捕らえようとしていた山賊たちも、山賊たちを撃退しようとしていたソフィスタも、お互いの存在を忘れて森を眺めていた。
 植物が暴れ始め、アジト内にも木が倒れこんでくる。
 最初は、ケヤキが山賊たちを捕らえるために操り始めたのだとソフィスタは思ったが、そうだとしても様子がおかしい。
「あーもー!超やべーし!マジどーしよ!!」
 ソフィスタの隣でユリが叫び、頭を抱えて蹲った。
「おいユリ!これはどういうことなんだ!何か知ってんのか!?」
 ソフィスタはユリの腕を掴み、彼を立ち上がらせながら尋ねた。何があって植物が暴れ始めたかは分からないが、少なくとも蹲っている場合ではない。
「ケヤキがパニクってんだよ!苗木が切り刻まれたなんて言うからぁ!!」
「はあ?パニクってって…」
 ソフィスタは、森の様子を眺める。
 枝を振り回す木。倒れて動かなくなる木。つぼみを全開にする花々。
 全ての植物が暴れているわけではなさそうだが、その迫力は、まるで猛獣の群れが乱闘でも始めたかのようだった。
 ユリは、ケヤキが混乱しているのだと言ったが、確かに植物から感じ取れる魔法力は狂気を帯びているし、周囲や自身に被害が及ばないよう自制する気配も無い。
 このままでは、周囲だけではなく、ケヤキ本体や、精霊ケヤキ自身もただでは済まないだろう。最悪、精霊ケヤキが消滅してしまう恐れもある。
「でも、どうしてケヤキはパニックになっているんだ?」
 ユリを引きずるようにして森から離れながら、ソフィスタは彼に尋ねた。山賊たちは、まだポカーンと森を眺めている。
「どうしてって、だから、ソッフィーが、苗木は切り刻まれたってケヤキに教えたからじゃん!」
「そんなことで?そんなことで、ここまでパニックになるのか?」
「なるよ!苗木はケヤキの母親的存在っつったじゃん!それが切り刻まれたなんて知ったら、パニクるに決まってんじゃん!!超怖ぇし!!でっかいほうの木に雷が落ちた時だって、ケヤキめっちゃ暴れてたんだから!!」
 そりゃ、野菜と間違えて輪切りにして油で揚げるなど、人間に換算して考えると猟奇殺人だ。雷が落ちて炎上というのも大惨事である。
 ソフィスタにしてみれば、それは植物に起こった話。事件にもならない出来事である。しかし、ケヤキが苗木を大事に思っていることは、ソフィスタも分かっていた。ちょっと考えれば、苗木の事情を知ったケヤキが取り乱すことくらい気付くことができたはずだ。
「…確かに今回は、あたしが浅はかだった!」
 ソフィスタは自分の失態を認め、反省する。しかし今は、この状況をどうにかすることが先決だ。
 気持ちを切り替え、改めて状況を確認する。
 植物は、少しずつアジト内へと侵入してくる。アジトの中央に避難しても、そこが必ずしも安全とは限らない。
 暴れている植物は、いつソフィスタにとって計算外な動きをしても、おかしくないのだ。
 …ケヤキが落ち着きを取り戻してくれれば、植物たちも静まってくれるんだろうけれど…。
 ユリが「ケヤキ、やめてってば!」と森に向かって叫び、ケヤキを落ち着かせようと試みているが、その声がケヤキに届いている様子は無い。
 ならば、ケヤキの魔法力が尽きるのを待つしかないのだろうか。
 …でも、これだけ大量の植物を暴れさせていれば、とっくに魔法力が尽きているはずだ。
 精霊ケヤキの魔法力は、アーネス魔法アカデミーの校長を上回るかもしれない。
 それでも、これだけ大量の植物を暴れさせておきながら、魔法力が尽きないなんて、おかしい。
 しかしソフィスタには、ケヤキが植物を操っている様子を見て、薄々と気づいていたことがあった。
 ケヤキは、自身が持つ魔法力だけで植物を操っていたのではない。そして、ケヤキの心に呼応して暴れ始めた植物を見て、ソフィスタは確信した。
 …ケヤキは、ただ一本の木から生まれただけの精霊じゃない。ケヤキは、この森全体が生み出した精霊でもあるんだ!
 ケヤキ本体の持つ魔法力に、この森全体が帯びている魔法力が影響して、精霊ケヤキが生まれたのか。
 この森全体の魔法力に、ケヤキ本体の魔法力が影響して生まれたのか。
 それとも、もっと複雑な現象によって生まれたのか。
 詳しくは分からないが、精霊ケヤキの魔法力は、本体を含む森中の植物に関与している。この森そのものの精霊と言っても過言ではない存在のはずだ。
 植物たちの暴走が、なかなか治まらないのも、ケヤキ自身の魔法力に加え、暴走する植物自身に宿る魔法力も、ケヤキの心に共鳴しているからだろう。
 …だとしたら、木に雷が落ちて消えた精霊は…。
 ふと、ソフィスタは、視界の隅に映った黒い煙と、コゲた臭いに気付いた。
 なんと、ソフィスタが火を放った丸太の山が、未だ燃え盛っているではないか。
「って、オイお前ら!!まだあの火を消していなかったのか!!」
 侵入者である身の上に、火を放った張本人であるにも関わらず、ソフィスタは呆然と突っ立っていた六人の山賊に怒鳴りつけた。
「な・何だよ、それどころじゃねーだろ!」
 華奢な外見とは裏腹に口の悪い少女に怒鳴りつけられた山賊たちは、暴れる植物たちの様子を気にしつつも、ソフィスタに言い返す。
「それどころだ馬鹿野郎!!!植物に燃え移って森にまで燃え広がったらどうするんだ!!」
 アジトの内側に侵入してくる植物たちは、今にも燃え盛っている丸太にまで及びそうだ。
 暴れる植物に燃え移り、そこからさらに炎が広がって森全体が火事になったら、ケヤキの本体近くに残してきたセタとボタンの身も危ないし、彼らの秘伝の薬の材料も調達できなくなってしまう。そもそもソフィスタは、その薬の材料が目当てで森に入ったのだ。
 植物が暴れまわっているだけでもセタたちの身は危険で、薬の材料となる植物もどうなっているか分からないというのに、これ以上事態を悪化させるわけにはいかない。まずは火を消そうと考え、ソフィスタは声を張り上げて、この場にいる全員に指示を出した。
「先に火を消すぞ!お前ら手伝え!!」
 返事を待たずに、ソフィスタは炎のもとへと走った。ユリはすぐにソフィスタに続く。山賊たちは困惑していたが、侵入者であるソフィスタとユリを放っておくこともできないと手短に話し合ってから二人を追った。
 炎の周囲には、これといった消火活動の跡は見当たらなかった。山賊たちは、何のために炎の周りに集まっていたのだろうか。
 手下はちゃんと選べとバディルゾンを恨みつつ、ソフィスタは消火の方法を考える。
 …地道に水をかけるだけじゃダメだ。アジトに補充されている水の量にも限りがある。あたしの魔法と組み合わせて、効率よく消火しないと!
 考えている間にも、植物は近づいてくる。
「ユリ!お前は炎に近づく植物を払ってくれ!」
 ソフィスタは、そのへんに落ちていた草刈用の鎌を拾いながら、ユリに指示した。ユリは「オッケー!任せて!」とウィンクを飛ばし、髪と両腕を大きな鎌に変える。
「おい野郎ども!アジトにある水を片っ端から持って来い!酒以外の飲み物も、全部!!大至急!!」
 親分さながら、ソフィスタは山賊たちに命令する。その態度が気に入らなかった山賊たちが、反論を始めた。
「ふざけんな!何でテメエの言うことを聞かなきゃなんねぇんだ!」
「調子に乗ってんじゃねーぞクソガキ!!」
「さっきは、よくもぶっ飛ばしてくれたな!」
 森では植物が暴れ、丸太は火柱を上げている状況を無視し、集団心理に任せて山賊たちはソフィスタを責め、いかにも脅すように手の骨を鳴らしながら近づいてくる。
 ソフィスタに怒りをぶつけ、優勢に立とうとすることで混乱や恐怖を紛らわそうとしているのかもしれない。しかしソフィスタは、そんな山賊たちに臆するどころか、彼らに一歩踏み出して、握っている鎌を振り下ろしてうならせた。
「やかましい!!状況を受け入れろ!!火が森に燃え移ったら、てめーらも逃げ場を失うんだよ!それくらい分かるだろうが!!身元不明の焼死体になりたくなかったら言うこと聞きやがれ!さっさと消火に使える水を集めてこい!!分かったか!!!」
 暴れる植物や炎を背に鎌を振り下ろすソフィスタの姿は、まるで地獄から蘇った殺人鬼のように禍々しかった。その迫力と、少女の姿とのギャップも、返って恐ろしい。
 一種のホラーを感じた山賊たちは、肩を震わせて怯え、口を噤んだ。そこに、すかさずソフィスタが「さっさと行動しろ!!」と再び鎌を振り下ろしたものだから、山賊たちは逃げるように散り散りになって走り出した。
 しかし、ソフィスタの言うことを聞く気はあるようだ。各々、水瓶や鍋などを運ぼうと持ち上げている。
「水は運んでくるだけでいい!水を探して集める係と、運ぶ係に分担しろ!」
 山賊たちに聞こえるよう、ソフィスタは周囲の騒音に負けじと声を張り上げて指示を飛ばす。山賊たちは、まるでソフィスタの子分になったように「へい!」と返事をするが、ソフィスタの耳には届いていなかった。
 山賊たちが水を集めている間、ソフィスタは自分の作業に集中する。
 鎌で土を抉り、素早く正確に魔法陣を描く。
 …少ない時間じゃ高度な魔法陣は描けないけれど、無いよりは遥かにマシなはずだ。今のあたしに残されている魔法力だけじゃ、あの火を消せる自信は無い。
 完全に火を消す方法は、既に考えてある。あとは、山賊たちが集めてくる水の量や、迫り来る植物をユリが払いきれるかにかかっている。
「ソッフィー!まだ火は消せないの!?そろそろしんどくなってきたんだけど!!」
 枝や葉を鎌で薙ぎ払い続けるユリの動きは、確かに鈍くなってきている。今朝からソフィスタ以上の運動量をこなしていながら、今まで疲れを見せなかっただけ立派であり、今も頑張ってくれている彼を、ソフィスタは賞賛しているが、今はそんな甘いことを言っていられる状況ではない。
「悪いけど、そのまま頑張ってくれ!」
 ソフィスタは、描き終えた魔法陣の手前に膝立ちし、両手で鎌の柄を握り締め、刃の切っ先を魔法陣の中央に突き立てた。
「嬢ちゃん、これで全部だ!」
 後ろから山賊に声をかけられて振り返ると、そこには水瓶や鍋の他に、水筒や酒瓶などが並べて置かれていた。山賊も六人全員、その場に集まっており、その内の一人が「酒瓶の中身はお茶だ」と説明した。
「これだけあれば十分だ!消火はあたしに任せろ!お前たちもユリを手伝って、植物を払いのけてくれ!」
 そう指示を出しても、山賊たちはソフィスタ一人に何ができるのだろうかと疑って、すぐには動き出さなかったが、ソフィスタが魔法力を高め、それに反応して魔法陣が青白い光を帯びると、その様子に驚かされてから、山賊たちは頷き合って指示通りに動き始めた。
 ソフィスタが描いた魔法陣には、周囲の魔法力を集める機能と、コントロールをサポートする機能があった。
 一部例外はあるが、魔法力は世界中に満ち、あらゆるものに宿っているとされている。しかし、そのほとんどは微量すぎて、探知することもできない。多くの魔法使いが暮らすアーネスの街くらいでなければ、魔法力が満ちていることを実感することはできないだろう。
 しかし、この森は、アーネス以上に魔法力で満ちている。強い魔法力を持った精霊が…魔法力をむき出しにした存在が、何百年も住み続けているからだろうか。
 ケヤキの影響で、暴れている植物に宿る魔法力は狂気を帯びているが、ケヤキが操れないほど小さい植物や、空気に混じって漂う魔法力は、ケヤキの影響を受けていないようだ。これなら、なんとか利用できるだろう。
 …魔法陣と、あらかじめ集めた水があれば、あたしでもアズバン先生くらい強力な魔法を使うことができる!
 魔法陣の光が、眩しく感じるくらい強くなると、ソフィスタは右手だけ鎌の柄から離し、高々と掲げた。すると、山賊たちが集めてきた水瓶や鍋の中の液体が、全て引っ張られるようにして飛び出し、ソフィスタの頭上に集まって一塊になった。
「全員、あたしの後ろに下がれ!!」
 植物と戦っているユリと山賊たちが、ソフィスタの声に気付いて振り返り、頭上に浮かぶ巨大な液体の塊に驚かされた。
 液体は、ソフィスタが右腕を炎に向けてかざすと、その動きに合わせて移動を始めた。ユリと山賊たちは、慌ててソフィスタに言われた通り、水と入れ替わるように彼女の後ろへと移動する。
 水は、炎を上げる丸太に上から降りかかるのではなく、横から丸太を呑み込むようにして包み込んだ。ジュワッと音がして水蒸気が上がり、水の温度も上がるが、ソフィスタの魔法によって、すぐに冷やされる。
 積み重なっていた丸太は水の中で浮き上がり、均等に熱を奪われてゆき、炎も消えた。ユリや山賊たちは歓声を上げたが、ソフィスタは気を緩めなかった。
 ソフィスタは魔法で丸太を包んだ状態を保ちつつ、水の温度を氷点下まで下げた。そして、水の表面に氷が張り始めると、真っ直ぐ前へと伸ばしていた右腕を、薙ぐように振るった。
 すると水は、丸太ごと森に向かって流れ込み、津波となって暴れる植物たちに覆いかぶさった。その状態で一気に氷りつき、植物たちの動きを止める。
「うおー!さっすがソッフィー!超イケてるー!!」
「すっげー!!お嬢ちゃん、やるじゃねえか!」
 ソフィスタの魔法の威力に興奮して、ユリと山賊たちは飛び跳ねて喜ぶが、ソフィスタは真剣な表情のまま、鎌の柄を両手で握り直した。
「あんなもんは気休めにすぎない!暴れている植物は、まだ大量にいるんだぞ!!」
 動けなくなったのは、水が及んだ前方の植物のみ。他の植物は暴れ続け、アジト内にもだいぶ侵入してきていた。
「とにかく、もう一度魔法を使うから、あたしに植物が近づかないようにしろ!」
 山賊たちは、今度は素直にソフィスタの指示に従い、ユリと共に近づいてくる植物を防ぎに向かった。
 …森が火事になる心配はなくなったけれど、まだ暴れている植物は、どうやって止めようか…。
 ケヤキ自身や、他の植物の魔法力も無限ではなく、いつかは尽きるとは言え、未だに植物たちは元気良く暴れている。もう魔法力切れの線に期待するのはやめた。
 それより、ユリや山賊たちの体力のほうが先に尽きそうだし、ソフィスタも魔法陣の補助があっても、無限に魔法が使えるわけではない。
 …ケヤキ本体に、攻撃魔法で軽くショックを与えれば、静めることができそうなんだけれど…ここから攻撃魔法を放つか、何とかして近づいて攻撃するか…。
 まだ考えはまとまらないが、とにかく魔法力を高めておこうと、意識を魔法陣に集中させるため、目を閉じた。
「ソッフィー!避けて!!」
 その時、離れた場所で植物と戦い始めたばかりのユリが、悲鳴のように叫んだ。
 ハッとして目を開き、顔を上げると、大きな木がこちらへ向かって倒れ込もうとしていた。
 木の幹は太く、枝を伸ばしている部分から倒れ込んでくるので、今から逃げても完全に回避することはできない。幹を避けることはできても、枝に体を打たれてしまう。しかも今は、帽子もマントもグローブもセタに預けて身に着けていない。
 下手すれば重傷、運がよくても体中傷だらけ。せめて幹は避けようと、ソフィスタは魔法陣から離れて体をよじり、両腕で頭をかばって蹲った。
「危ないのよぉ――――――ん!!!!」
 しかし大木は、横から強烈なタックルを喰らって弾き飛ばされ、ソフィスタから大きく軌道をずらして地面に倒れ込んだ。
 細い枝がソフィスタの腕を引っかくが、小さな擦り傷を負った程度であった。蹲った瞬間に聞こえた声と、思っていたより遥かにダメージが少ないことを不思議に思って、ソフィスタは顔を上げる。
「いや〜ん、大丈夫ぅ〜?」
 目の前に立っていた人物が、ソフィスタが蹲った直後に聞こえたものと同じ声を発した。その姿と野太い声に、ソフィスタは思わず尻を這わせて後ろに退いた。
 色鮮やかな桃色の振袖に、ウェーブのかかった金髪。全体的に淡い暖色に包まれる中に映える口紅…と、ここまでは優雅な女性らしい。
 しかし、重ね着をしていても分かるほど体格はゴツく、身長もメシア並みに高い。顔立ちもゴツく、割れた顎には濃い青髭が群生し、石でも詰めているかのように頬骨が出っ張っている。
 先程の声も、野太い声をムリヤリ女っぽく搾り出したように聞こえた。
 獣人族らしく毛深く尖った耳がユリとそっくりだが、それを見なくてもソフィスタは察した。
 自称次女のユリ。
 自称三女のボタン。
 そして、ソフィスタがまだ会っていない、おそらく自称長女のシャクヤク。目の前にいる彼こそが、カマイタチ三兄弟の長男なのだと。
 髪は少し汚れ、振袖も所々破れており、露出している肌は擦り傷だらけだが、内股で身をくねらせてソフィスタを見下ろしている様子からして、まあ元気そうではある。
「あーっ!シャクヤク姉!!」
 ユリが、戦っていた植物そっちのけで駆け寄ってきた。
「いや〜ん!ユリちゃん、無事でよかったわぁ〜ん!」
 シャクヤクは両手を広げ、飛びついてきたユリを受け止めて抱擁を交わす。
「今までドコ行ってたんだよマジで!ちょー心配したんだからー!!」
 ユリの話では、シャクヤクは先日、森の中でケヤキに襲われた際にユリたちとはぐれ、行方不明となっていたはずだ。
 それが、どうして急に現れたのだろうと不思議に思いながら、ソフィスタは立ち上がった。
「その話は後よぉ!先にケヤキを静めなくちゃぁん!」
 ユリから離れ、シャクヤクは袖の中から一輪の花を取り出した。花は根元から下をハンカチで包まれている。根っこから引き抜いて持って来たのだろうか。
 シャクヤクは魔法陣の傍で屈み、刺さっていた鎌を邪魔とばかりに引っこ抜いて放り投げ、持っていた花を魔法陣の中央に置いた。
「おい、何をする気だ!」
 ソフィスタはシャクヤクの肩を荒々しく掴んだが、シャクヤクは落ち着いた声で「まあ、見ているといいわぁん」とソフィスタにウィンクした。それが不気味で、ソフィスタはシャクヤクの肩から手を離す。
 突然、魔法陣の輝きが増し、光に包み込まれた花が、僅かに地面から離れて宙に浮いた。
 花を包み込む光は半球体を模っていたが、徐々に膨らんで手足のようなものを伸ばし、やがて人間に近い形となった。
「これって…まさか、この花の精霊?」
 シャクヤクには魔法を使っている様子は見られないし、魔法が使えるほどの魔法力を持ってもいなさそうだ。だとしたら、この花の精霊が魔法陣を利用して姿を現したのではないだろうか。ソフィスタは、そう考えて呟いた。
「精霊と言えば精霊だけどぉ、この花のじゃ無いわよん。ここへ来るまでの途中に、適当に引っこ抜いて持って来た花だしぃん」
 シャクヤクは立ち上がり、ソフィスタの隣に並ぶ。
「あ、自己紹介がまだだったかしらぁん。私はユリの姉のシャクヤクよぉん。アナタはユリちゃんのお友達かしらぁん」
 シャクヤクは、野太い声で艶っぽく自己紹介し、笑顔でソフィスタに握手を求める。
「…あたしはソフィスタ。ユリとは今朝知り合ったばかりだけど、敵じゃない。そんなことより、あの光は何なんだ?」
 自己紹介されて、ソフィスタも名乗ったが、握手には応じずにシャクヤクに質問した。無愛想なソフィスタの態度に、シャクヤクは不満そうに手を引っ込めるが、質問には答える。
「あれは…そうねぇん、ケヤキのママンの心ってところかしらん」
「心?何ソレ、どういう意味?」
 ユリもシャクヤクに近づき、彼に尋ねる。
「実はねん、私は…」
 シャクヤクが答えかけた時、魔法陣の上の精霊が、のけぞるような姿勢を取った。植物の侵入を防ごうとしていた山賊たちも、森から離れて精霊の様子に釘付けになる。
 魔法陣に溜め込まれていた魔法力が解放され、精霊を中心に、見えない波紋が生じた。
 それを浴びた植物たちはピタリと動きを止め、アジト周辺が急速に静まってゆく。
 ソフィスタたちも、その波紋を浴び、不思議な感覚に包まれる。
 優しく、温かく、懐かしい感覚。それはまるで、母の腕に抱かれ、愛情を注がれているようだとソフィスタは感じ、少し照れくさい気分にもなった。
 …そうか。これは、ケヤキの母親が、ケヤキに呼びかけているんだ。
 波紋は母の愛情を乗せ、森全体に広がってゆく。
 魔法陣の上で静かに揺らめき、波紋を生じさせ続ける精霊の姿は、まるで子守唄を歌っているようであった。


  (続く)


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