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ありのままのメシア 第十話


   ・第八章 オネエの救世主

 声が枯れることも無く泣き叫んでいたケヤキが、はっとして泣き止み、暴れていた植物たちも、同時に動きを止めた。
 土の中から根を引きずり出して暴れていた木は、他の木に寄りかかるようにして倒れるが、その振動は地面に伝わり、気を失って寝転がっているバディルゾンの体を一瞬だけ浮かした。
 意識のある山賊たちは、腰を抜かして地面にへたり込み、動けずにいる。ほとんどが、この場から逃げ出したので、精霊ケヤキの周囲には、両手で数えて余る程度の人数しかいない。
「…母ちゃん…?」
 ケヤキはポツリと呟く。
 消えたと思っていた母の気配を、ケヤキは感じていた。姿は見えないが、今も母に頭を撫でられているような気がする。
「母ちゃん?母ちゃん!どこにいるの!?」
 山賊たちの存在も忘れ、ケヤキは宙を浮きながら移動し、森の奥へと消えていった。


 *

 診療所の外でアザミと話をしていると、急にアザミが誰もいない方向を向いたので、女医は「どうしたの?」と彼女に尋ねた。
「…今、何か聞こえたような…」
 アザミ自身も不思議そうな顔をしている。
 彼女の隣で二人の会話を聞いていた、若い獣人の男も、ウサギの耳をピンと立てて、アザミと同時に同じ方向を向いていた。
 その方角には、精霊がいる森があることを、女医は思い出す。
 まさか、森へ向かったユリとソフィスタの身に何か起こったのではないだろうか。しかし、不思議と不安を感じない。
 不意に、女医の白衣の裾が引っ張られた。
「お母さん」
 四歳くらいの子供が、小さな手で女医の白衣の裾を握っていた。猫と同じ形の耳以外は人間と同じ姿の男の子である。
「なあに?どうしたの?」
 女医が優しい声で尋ねると、男の子は「わかんない」と言って女医の足にしがみつき、頬を摺り寄せた。
「どうしたのよ。変な子ねえ…」
 アザミたちの様子や、急に甘えてきた我が子を不思議に思いつつも、女医は嬉しそうに笑って、息子の頭を撫でた。


 *

「マジ?シャクヤク姉、昨日からずっと森の中にいたワケ?ウッソだろぉ!!」
 素っ頓狂な声を上げて驚くユリに、ソフィスタは「うるさい」と言い放ち、シャクヤクは「ウソじゃないわよぉ」と答えた。
「ちょっと怪我もしていたしぃ、ケヤキに見つかると捕まっちゃうから下手に動けなくてぇ、森の中に隠れていたのよぉん」
 いちいち体をくねらせるシャクヤクの話を、いかにも不気味そうな顔でソフィスタは聞いていた。
 ソフィスタ、ユリ、シャクヤクの三人は、魔法陣から少し離れた場所で話しており、そこからさらに離れた場所に、アジトに残っていた山賊たちが突っ立っている。
 魔法陣の上には、シャクヤクが持って来た一輪の花が浮いており、それを包み込んでいる光は人間に似た姿を模っていた。シャクヤクが話すには、この光は、かつてこの森に存在していた、森中の木々の母とされていた精霊の心らしい。
 魔法陣自体は光を発しておらず、作動していないことを示している。
「でもケヤキは、森中の植物から情報を集められるんだろ。隠れられる場所なんてあったのか?」
 ソフィスタに問われ、シャクヤクは人型の光を見つめる。光は、先程まで魔法でケヤキに呼びかけていたが、今は姿を維持することのみに魔法力を消費している。魔法陣も作動していないので、魔法力が尽きれば光も消えてしまうだろう。
「…それはねぇ、ケヤキのママンのおかげなのよん」
 シャクヤクは寂しげに語り始めるが、外見といい野太い声といい、イマイチしんみりしない。
「ケヤキのママンの本体は焼け落ちて、精霊も消えてしまったけれどぉ、ママンの意思?みたいなものは、森中に残っていたのよねん。それが、ケヤキから私の居場所を隠してくれたのよぉ」
 …そうか。やっぱりケヤキの母親は、完全に消えてはいなかったんだ。
 ケヤキが、この森全体から生み出された精霊なら、おそらく母親も同じように生み出されたのだろうと、ソフィスタは考えていた。ケヤキの心が森中の植物に影響を与えるのなら、それも母親は同じだったはずだ。
 つまりケヤキの母親は、森中の植物と、少なくともケヤキの樹齢以上は繋がりを持っていたことになる。ならば、本体が焼け落ちて精霊が消えてしまっても、他の植物に何かを残しているかもしれない。
 ケヤキの混乱が森中の植物を暴れさせているのだとユリから聞いた時、ソフィスタはそんな推測を立てていた。
「でもぉ、残されていた力だけじゃ、私を隠すだけで精一杯でぇ、私に事情を伝えることもできなかったのん。ケヤキが取り乱して、私を隠す必要が無くなった時、やっと山賊やユリちゃんたちの状況を教えてもらったのよぉ」
「そしてケヤキを静めるために、あたしの描いた魔法陣を利用して足りない力を補ったってわけか。あの花は、ケヤキの母親の心を一箇所に集めるための媒体みたいなものか?」
「そうよぉん。アナタ、かしこいのねぇん」
 飲み込みが早く、シャクヤクから得た情報と持ち前の情報を繋ぎ合わせて事情を解読するソフィスタの能力に、シャクヤクは感心する。
「でも、ケヤキの母ちゃんの心が森中に残っていたんならぁ、ケヤキも気付いてたはずじゃね?ってか、母ちゃんはケヤキに、それを教えることができなかったワケ?」
 シャクヤクとソフィスタの会話を難しそうに聞いていたユリが、そう言って首を捻った。
「それはねぇん、ケヤキのママンが自らの意思で存在を隠していたからなんだってぇ」
 シャクヤクの話に、ソフィスタが「どういうことだ?」と尋ねる。
「ケヤキのママンは、木としても精霊としても長く生き、森を見守り続けていたわぁん。だけど雷が落ちた時、ここで消えるのが自分の運命で、次の世代に全てを託す時なんだって考えたわぁん。そして残されたママンの心も、いずれは森の植物たちの一部となって消えるつもりだったみたい。ママンは、もしケヤキがママンの心が残されていることに気付けば、それを繋ぎとめようとするかもしれないと思ったから、存在を隠していたんだってぇん。苗木も、さすがに急にママンが消えるのはケヤキにとって厳しすぎると思って残したものだそうよん。ケヤキが成長するまで、心の拠り所になるようにってねぇん」
 では、あの苗木は、育ったところでケヤキの母親の精霊が蘇るわけではなかったということだ。シャクヤクの話を聞きながら、ソフィスタは思った。
「…ということらしいよ。ケヤキ、聞いていたか?」
 手前の森の木々の間から姿を覗かせていたケヤキに、ソフィスタは声をかけた。それを聞いたユリとシャクヤク、そして山賊たちは、驚いてケヤキを見る。
 魔法力に敏感なソフィスタは、シャクヤクと話をしている間にケヤキが来たことに気付いていたが、ユリたちは魔法陣の上の光ばかり気を取られていたため、気付いていなかったようだ。
 ケヤキは、ゆっくりと光に近づく。
「じゃあ、母ちゃんは、もういなくなっちゃうの?もう会えなくなっちゃうの?」
 手を伸ばして届くか届かないかくらいの距離まで光に近づき、ケヤキは問いかける。光は何も答えないが、どこか寂しそうに見えた。
「ケヤキ。あなたがママンと別れたくない気持ちは分かるけれど、それがママンの決めたことなのよん。ママンのことが大好きなら、ママンの意思も大切にしてあげましょうよぉ」
「ケヤキの母ちゃんは、ケヤキのことを信頼して、後のことを託したんだよ」
 シャクヤクとユリがケヤキを励ますが、ケヤキは辛そうに俯いてしまう。
「でも、でも、オイラ、ずっと母ちゃんと一緒にいたかったんだよ。いなくなっちゃう…なんて…イヤだよ…」
 悲しみで魔法力が不安定になり、言葉をスムーズに発することができない。それは、人間がしゃくり上げながら喋る様に似ていた。
「それは、お前の母親も同じ気持ちだったろうね」
 ソフィスタは、弱々しく点滅し始めた光を見つめながら言った。ケヤキは少し顔を上げる。
「親ってのは、子供が親に対するそれ以上に、良くも悪くも子供に依存するものじゃないかな。だけど子供は、いずれは親から離れて生きていかなければいけない。必然的に、子供は親より長生きするものだからね。だから親は、離れ離れになっても生きていけるよう、子供に様々なことを教えてやるんだ。時には厳しくしてでもね」
 ケヤキだけでなく、ユリとシャクヤク、山賊たちも、ソフィスタの話を黙って聞いている。
「お前の母親も、お前とずっと一緒にいたいって願っていたはずだ。でも、その気持ちばかりを優先していては、お前のためにならないことも分かっていた。だから、雷が落ちたのをきっかけに、お前から離れることにしたんじゃないかな。ケヤキが強く生きていけるように…自分の力で家族や友達を作れるようにって。一緒にいたい気持ちを抑えて」
 人間の姿を模していた光は、手足を引っ込ませて球体となっていた。残された魔法力だけでは、人型を維持することはできなくなったのだろう。
「それは、お前を我が子として思いやり、幸せを願う、母の愛情だ。お前が悲しみすぎないよう、雷に打たれても苗木を残し、精霊が消えても残された力でお前に呼びかけたくらい、深く強い愛情だ。その愛情を、お前に受け取ってもらえたら…意思を受け止めてもらえたら、きっとこの上ない幸せだろうよ」
 ソフィスタはケヤキに歩み寄り、促すようにケヤキの背中を軽く叩いた。その意図を理解するも、まだふんぎりがつかない様子のケヤキに、ユリとシャクヤクが呼びかけた。
「大丈夫!アタシたちがついてるし!それに、この森の植物みんなも、ケヤキと同じ母ちゃんの子供でしょ。それって、アンタの兄弟ってことじゃん!」
「辛くて悲しいのは仕方ないけれど、それは、この森の植物たちも同じよぉ。アナタには気持ちを分かち合える家族が、こんなにたくさんいるじゃない」
 風が無いのもあって森も静かで、ユリとシャクヤクの声がよく響く。なぜか涙目になっている山賊が鼻をすする音も、はっきりと聞こえる。
「それに、私たち姉妹も、エリクシアの人たちも、みんなアナタの友達よん。今まで助け合ってきたように、これからも一緒に頑張りましょぉ」
 そう言って、シャクヤクはケヤキに微笑んだ。良いことを言い、優しく微笑んでいるのは分かるが、やはり声は野太くて化粧は濃くて不気味だった。
 その辺の感覚が人間と違うのか、ユリたちのようなオカマに慣れているのか、ケヤキは彼の言葉と笑顔を素直に受け取り、頷いた。
 まだ辛そうではあるが、ケヤキは両手で顔をこすってから、その手を伸ばし、光に添えた。
「母ちゃん、今までありがとう。オイラ、みんなと仲良くするから…頑張るから…」
 ケヤキが喋ることができたのは、ここまでだった。あとは何か言おうとしても、上手く声が出せないようだった。
 母親にすがり、甘えたい気持ちを必死に堪えているのだろう。そんなケヤキの感情を汲み取ってか、光はケヤキの体を抱きしめるように包み込む。
 ケヤキの母親の心を宿したそれは、やがて霧のように散り散りになってケヤキから離れ、森の中へと消えていった。
 光の中で浮いていた一輪の花は、魔法陣の上にポトリと落ちる。
 母の愛情は森の一部となり、植物たちを…子供たちを育む力となるだろう。
 心は消えても、ケヤキや植物たちが忘れない限り、母は子供たちを見守り続けることになる。
 "見守る"ということは、誰かの心に存在し続け、支えとなることなのかもしれないから。
 そんなことを、ぼんやりと思うソフィスタの頭の中に、遠く離れた地にいる両親と、エリクシア村にいるメシアの姿が、自然と浮かんだ。


 *

 荒れた森は、ケヤキの力で元通り…とまではいかないが、可能な限りは修復された。
 どうにか身を守りきったボタンとセタとも合流し、晴れて三人揃うことができたカマイタチ三姉妹…もとい三兄弟は、互いの無事を喜び合い、チークを塗りたくった頬を擦り合った。彼らに協力してきたソフィスタも、その暑苦しい抱擁に巻き込まれそうになり、全力で逃れた。
 バディルゾンら山賊たちは、ケヤキに手伝ってもらって全員拘束し、身柄をエリクシア村に引き渡すことにした。ひとまず、ソフィスタと三兄弟だけで村に戻ろうとしたら、道の途中で村の獣人たちに遭遇した。ソフィスタたちの戻りが遅いことを心配した女医が、村長に頼んで捜索隊を森へよこしたそうだ。
 山賊たちのことは彼らに任せ、ソフィスタたちは、そのまま村へ戻った。

「それにしても、ソッフィーってば、良いこと言うじゃん。アタシめっちゃ感動した〜」
 村へ戻る途中、ボタンに預けていた服や荷物を返してもらって身に着けているユリが、同じく帽子やマントを返してもらって身に着けているソフィスタに、そう声をかけた。ソフィスタは「良いことって?」と彼に尋ねる。
「ケヤキの母ちゃんはケヤキの幸せを願っているんだーとか、それが母の愛情だーとか言ってたじゃん。アレはマジ泣き寸前だったわ〜」
 ユリは腕を組んで頷き、隣に並んで歩いているシャクヤクも「そうねん。私もホロリときたわぁん」と、袖で目下を拭う仕草を見せた。あの場に居合わせていなかったボタンは首をかしげる。
 ボタンは、薬を作るのに不足していた薬草を抱えている。迷惑をかけたお詫びにと、ケヤキが集めてくれたものだった。
「あんな良いセリフ、よくあの場で出せたね〜」
「そりゃ、あたしの母親を感動させるために作ったセリフだったからね」
 ソフィスタがサラッと答えると、ユリとシャクヤクの表情が笑顔のまま固まった。
「…作ったって…ソッフィー、どゆこと?」
「あたしの母親に子離れさせるために、かつて実家の机に向かって考えていたセリフを少し変えたものだったんだよ。…一人で遠くの学校へ勉強しに行くって言ったら、泣いて止めてくるもんだから、ああ言って納得してもらった。子離れするのも愛情だってね」
 面倒臭そうな表情でユリたちに説明し、当時の苦労を思い出したかのように、ソフィスタはため息をついた。ユリとシャクヤクは、微妙な顔を見合わせる。
「ま、今回もケヤキに通じてよかったよ。薬草も手に入ったんだから、村に戻ったら薬を作ってくれ。すぐにできるんだろ?」
 ソフィスタがボタンに尋ねると、ユリとシャクヤクの顔を不思議そうに覗き込んでいた彼は、少し遅れて「え・ええ。作れますわ」と答えた。
「じゃあ、さっさと村に戻るぞ」
 ソフィスタは歩く速度を速め、ボタンはすぐにソフィスタのペースに合わせられたが、ユリとシャクヤクは出遅れ、彼女らとの距離が開く。
「…やっぱソッフィーって、イミフー…」
 ボソッと呟いて肩を竦めると、ユリは小走りでソフィスタたちを追い、シャクヤクもそれに続いた。


 *

 村に戻り、村長に事情を説明した後、すぐに三兄弟は自宅へ戻り、薬作りに取り掛かった。既に日は沈みかけていたが、三兄弟が言うには、今日中には薬も出来上がるそうだ。
 材料はともかく、作業内容は秘密で、作っている様子は見せてもらえない。メシアの容態も気になるので、ソフィスタは薬に関しては三兄弟に任せて診療所へ向かった。
 診療所に戻るなり、ソフィスタとユリを心配していた女医に、今まで何をしていたのかと質問されたので、ユリら三兄弟が村に戻ってきたことや、森での出来事などを説明した。
 しかし、メシアに使う薬の材料を採ってきたことや、三兄弟が薬を作っていることは話さなかった。昨晩、女医と彼女の夫が「薬に頼らないほうがいい」などと話していたことを、ソフィスタは覚えていたからだ。
 そしてメシアは、病室のベッドに横たわったまま、まだ意識を取り戻していないそうだ。
 様子を見に行くと、今朝よりは静かに眠っているメシアの姿と、彼が横たわっているベッドの傍のテーブルの上で大人しくしているルコスの姿があった。
 メシアの包帯は取り替えられているが、紅玉はちゃんと左手にはめられている。
 …薬は今日中に作ってもらえるとしても、村を出るのは明日か明後日になりそうだ。
 昨晩は、村に着いたばかりのソフィスタに対して厳しい態度だった村長だが、三兄弟を連れて戻り、山賊たちを捕らえた件には感謝し、あと一日か二日は村に滞在するかもしれないと改めて話すと、快く許してくれた。
 ひとまず、今晩も診療所に泊めてもらえることになったし、夕食も女医がごちそうしてくれるそうなので、薬が完成するまで、ソフィスタは診療所で待つことにした。

 夕食を終え、しばらくして、ソフィスタはセタとルコスを診療所に残し、カマイタチ三兄弟の家へ向かった。彼らはまだ作業中だったが、家の中に招き入れてくれた。
 彼らは、植物に襲われてボロボロだった服は着替え、さらに花柄の三角巾とフリフリのエプロンを身につけてキッチンで作業をしていた。使用している器具も完全に調理用で、まるで女子のお料理教室のような光景であったが、薬の調合は確かに行われていた。
「もうすぐ出来上がりますわ。そこで待っていて下さいまし」
 ボタンが、背もたれがハート型になっている椅子を用意してくれたので、ソフィスタはそれに座り、彼らの作業を見学する。
 …そういえば、兄弟三人が揃わないと薬は作れないって言っていたけれど、それってどういう意味なんだろう…。
 森でユリは、薬は三兄弟が揃わないと作れないとソフィスタに話した。
 三人それぞれしか知らない調合法でもあるのだろうか。それとも、それぞれにしか出来ない作業があるのだろうか。
「よーっし!出来ましたわ!」
 ソフィスタが考えていると、ボタンが高い声を上げた。
 テーブルの上に、浅い円筒状の器が置かれ、その中にゲル状の薬が入っている。
「さあ、最後の仕上げですわ!」
「みんな、準備はオッケー?三人で息ピッタリ合わせてやるのよぉん」
「準備バッチシ!ちょーイケてる!」
 三人はエプロンと三角巾を外し、器が置かれているテーブルを囲って立った。
「最後の仕上げって、何をするんだ?」
 やたらと気合を入れている三人に、ソフィスタは椅子から立ち上がって尋ねる。
「まあ見てなよソッフィー。ここが一番大事なトコロなんだよね〜」
「そうそう。この仕上げだけは、三人揃っていないとできないのよぉん」
「さあ、ユリ姉様、シャクヤク姉様、いきますわよ!」
 三人は、薬が入った器に向けて両手をかざし、深呼吸をした。エプロンを外し、器具も持っていないのに、一体何をするつもりなのだろうか。
 …まさか、魔法でも使って薬に何らかの効果を与えるのか?
 しかし、彼らの魔法力では、三人で力を合わせても魔法が使えるとは思えないし、マジックアイテムらしきものや魔法陣も見当たらない。
 魔法を使うわけではないとしたら、一体何をするつもりなのだろう。重傷を負っていたユリが一晩で回復するほどの薬を作る、最後の作業とは、一体どのようなものなのだろう。ソフィスタが興味津々に見つめる中、彼らは互いに目配せをし合うと、「せーのっ」と声を揃えて両手を高々と掲げた。
「早く良くなぁ〜れ!ラブきゅんチュッ♪」
 三人は、可愛いんだか頭がおかしいんだかのブリっ子全開な仕草で、短いダンスを踊り、最後に器に向けて投げキッスを飛ばした。
 魔法を使ったわけでもない、ほんの数秒のパフォーマンスであった。薬作りとは全く関係の無さそうな行動に、ソフィスタの思考がしばし停止する。
「キャーッ!これで完成ですわ!」
「イエーイ!ちょーイケてるー!!」
「いや〜ん、カンペキ〜!」
 固まっているソフィスタを他所に、三兄弟はハイタッチを交し合った後、器の蓋を閉めた。
「おまたせっ!これでカマイタチ三姉妹の秘伝の薬、完成ーっと!」
 明るく笑いながら、ユリが器をソフィスタに差し出した。
「…え?完成って…最後の仕上げは?」
 器を受け取りながら、ソフィスタはユリに尋ねる。
「さっきやってたじゃん。薬の効果を百パー引き出すマジカルダンス」
「はぁ!?あの変な踊りが仕上げぇ!?」
 ソフィスタは思わず裏返った声を出してしまう。
「べつに変じゃねーし!あのダンス、必須だし!」
「そうよぉ!薬の調合法と共に代々伝わる秘伝のダンスなのよぉ!」
「愛情をたっぷり込めて踊りましたわ!これで薬の効果も抜群ですわ!キャーッ!」
 何かテンションが上がっている三兄弟とは対照的に、ソフィスタは心身ともに力が抜け、受け取ったばかりの器を床に落としそうになったが、寸でのところでユリが「アブネッ」と器をキャッチした。
 …兄弟三人が揃わなきゃ薬が作れないのって…今の作業のためだけに?
 薬の材料を調達する目的で森に入り、兄弟三人が揃わなければ薬が作れないと知ったのは、森の中に入ってからだった。
 その後も、兄弟三人を揃えることより、まずはスムーズに材料を手に入れられるよう行動を選び、結果的に兄弟三人が揃った。
 しかし、先程の踊りを思い出すと、森の中を走り回ったり、必死に植物と戦っていたことが馬鹿みたいに感じ、虚しさを覚える。
 …まあ、いいか。とにかく薬は手に入ったんだから…。
 今日はずいぶん運動をしたし、魔法も使った。もはや怒る気力も沸かない。
 過程はともかく、これでメシアの怪我も治り、体力が回復するなら、それでいい。そう考え直して、ソフィスタは兄弟たちに「ありがとう」と礼を言った。


 *

 ボタンとシャクヤクは自宅に残り、女医に昨晩世話になった礼をしに行くと言うユリだけを連れて、ソフィスタは再び診療所に戻った。
 薬を使うことは女医たちには秘密にしているので、二人はこっそりとメシアがいる病室に入った。
 薬は直接患部に塗るものではないが、塞がりかけている傷や、縫合をした上からなら塗っても良いとのことなので、早速ソフィスタはメシアの包帯を外した。
 包帯に血はついていないので、負った傷は全て塞がったようだ。皮膚が破れていた部分は跡すら残っておらず、縫合されている傷も、薬を使わずとも明日には抜糸できそうである。
 しかし、意識がまだ戻っていない以上、思っているより体は衰弱しているのかもしれない。傷を治すより体力を回復させることを目的として薬は塗るべきだと、ソフィスタは思った。
 ユリに手伝ってもらい、ソフィスタはメシアの全身くまなく薬を塗った。
 ちなみに、年頃の少女が見たり触ったりするようなものではない箇所は、痔に悩まされていた村長に薬を塗ってやったことがあるというユリに任せた。そんな部分に薬を塗られてもメシアは目を覚まさなかったが、くすぐったそうに「やめろ、ケセベジュ…」などと、故郷で仲がよかったという猫の名前を寝言で呟いた。
 なぜ、そこで猫の名前が出るのか。ソフィスタはメシアにツッコミを入れたくなると同時に、彼にノンキな寝言を言う余裕があることに安心した。
 こうして薬を塗り終え、包帯を巻き直し、ほっと一息ついたところで、人の気配に気付いてやってきた女医が病室のドアを開いた。
 女医は、まず元気そうなユリの姿を見て喜んだが、メシアの包帯が巻き直されていることと、テーブルの上に置かれている空の器に気付くと、声を上げて驚いた。
「これって、まさか、あの薬!?彼に使ってしまったの!?」
 予想していたより驚いている女医に、逆にソフィスタが驚かされる。
 彼女が夫と「村の者以外には使ってはいけない」だの「効果が強すぎる」だのと話していたことは覚えているが、それはバディルゾンのように薬を悪用しようとする輩を用心してのことだろうと、ソフィスタは考えていた。なので、こっそり薬を使ったことに気付かれても、まあ仕方ないと許されると思っていた。
 しかし、女医の様子からして、事情は違っていたようだ。
「まあ、いいじゃん。ソッフィーはアタシらの恩人だし、この村の恩人っつっても過言は無いってゆーか?薬のことも、ちゃんと秘密にしてくれるはずだし」
「そうじゃないわよ!ソフィスタさんが自分に使う分には、私もここまでは騒がないけれど、問題は、彼に薬を使ったことよ!!」
「え?それって、どういうことですか?」
 メシアに薬を使うことの、何がいけないのだろう。ソフィスタが自分に薬を使ったとしても、それと何が違うのだろう。そう思って、ソフィスタは女医に尋ねた。
「あのね、その薬には副作用が…」
 女医が答えかけた時、何の前触れも無く、メシアがむっくりと上半身を起こした。それがあまりに唐突だったもので、ソフィスタ、ユリ、女医の三人だけでなく、ソフィスタの肩に乗っているセタとルコスまで、跳び上がって驚いた。
 メシアは前方を向いたまま、不思議そうに瞬きをしている。まだ目覚めたばかりで、少しボーッとしているようだ。
「メ・メシア?大丈夫なのか?」
 ソフィスタは、メシアが起きたことに喜ぶより、女医が言った「副作用」という単語が気になり、恐る恐る彼に声をかけた。
 すると、メシアはソフィスタを振り返り、彼女の姿を見るなり瞳を輝かせ、両手を自分の頬に添えた。
「ソフィスタ!!」
 メシアは明るくソフィスタの名を呼んだ。ソフィスタの表情も明るくなりかけたが、彼の仕草が妙に女っぽく、声も普段より高いことに気付き、怪訝そうな顔をする。
 メシアはベッドから両腕を伸ばし、ソフィスタの体を捕らえようとしたが、ソフィスタは何か不気味な気配を感じて、その腕を避けた。
 メシアは、勢い余ってベッドから落ちそうになったが、どうにかふんばった。その様子は、先日負った怪我がウソのようであった。
「あっ、酷い!なぜ避けるのだ!…あら?ココはどこかしら」
「…かしら?」
 メシアの喋り方が、ちょいちょい女っぽくなることに、ソフィスタは嫌な予感がし、女医は片手で顔を覆って「あ〜あ…」と呟いた。ユリは、そんな二人を見て「どったの?」と首を傾げている。
 頬に両手を添えたまま、キョロキョロと周囲を見回しているメシアの仕草は、やはり女っぽい。彼を見て「まさか…」と青ざめているソフィスタの背中を、女医が軽く叩く。
「薬の成分の問題だと思うのだけれど…あの薬を男の人に使うと、女っぽくなってしまうの」
 女医の言葉を聞いて、ソフィスタが「何それェ!!」と絶叫すると、メシアが「きゃっ」と悲鳴を上げて耳を塞いだ。


 *

 薬の効果と持ち前の回復力によって、メシアの容態は遥かに良くなった。二日分の食事を取り、自分で体を拭き、普通に歩くこともできた。
 心なしか、昨日ユドと戦う以前より体つきががっしりとしているような気もするが、健康状態に問題は無く、ユドとの戦いの最中に自分の身に異変が起こった時のことも、ぼんやりとだが覚えているそうだ。
 しかしソフィスタは、今日は当時のことを聞くのはやめようと判断した。メシアに気を使っているのもあるが、何よりソフィスタ自身が疲れていた。
 そもそも旅立ちが決まった日からトラブルが続き、ソフィスタは動きっぱなしである。
 一昨日は旅の仕度。昨日はユドとの戦闘。そして今日は、朝早くに起きて森へ向かい、メシアを思って森の中を駆け回り、植物や山賊たちと戦い、村に戻ってきたら三兄弟の奇怪なダンスに、メシアの乙女化。
 これは一体、何の嫌がらせだろうと、ソフィスタは思う。
 そして明日も、何かしらのトラブルがあるのだろう。と言うより、メシアが乙女化するというトラブルを引きずって明日を迎えることになるのだろう。
 …バディルゾンが女っぽくなったのも、あの三兄弟がオカマなのも、秘伝の薬のせいだったのか…。
 体を洗い、寝巻き代わりのワンピースに着替えてベッドに潜り込んだソフィスタは、そんなことを考える。
 隣のベッドでは、メシアが静かな寝息を立てている。
 昨晩は、ソフィスタは隣の病室を利用していたが、今日は同じ病室で休むことになった。植物に襲われて怪我をした山賊が、ここ以外の病室に運び込まれたからである。
 …まる一日以上は眠っていたってのに、まだ寝足りないのかよ…。
 心の中で悪態をつくが、腹が立っているわけではない。乙女化はともかく、メシアが目を覚ましてソフィスタの名を呼んでくれたことは、素直に嬉しかったし、彼の規則正しい寝息を聞いていて安心する。
 これで、隣の部屋から山賊たちのイビキや呻き声が聞こえてこなければ、もっと気持ちが安らいだろうに。
 雰囲気をぶち壊す要素はあるが、隣のベッドで眠っているメシアと、テーブルの上で薄地の布を被って休んでいるセタとルコスを見ていると、一昨日の夜までのメシアとの生活を思い出す。
 …一人で寝たのは昨日だけだったってのに、何でこんなに懐かしい気分になるのかな…。
 ソフィスタは、胸がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えるが、次の瞬間に隣の部屋から聞こえてきた呻き声によって忘れた。
 …それにしても、女っぽくなったのとは別に、何かメシアの様子がおかしかったな…。
 乙女化して目を覚ましたメシアが、再び眠ろうとベッドに横になった時、彼はソフィスタの手を強く握って、「今度目を覚ました時も、傍にいてくれるな」と言った。
 ユリと女医がいたというのに、そんな恥ずかしくなるようなことを言われたソフィスタは、ぶっきらぼうに「いればいいんだろ」と答えてメシアの手を振り払った。
 その時の寂しそうなメシアの表情が頭から離れず、メシアの手の感触と体温も、まだソフィスタの手に残っているような気がする。
 …あいつ、あんな弱々しい姿を見せるようなヤツじゃないはずなんだけど…。
 重傷を負って意識を失っていた時に、何か夢でも見たのだろうか。それとも、昨日のユドとの戦いの中で、メシアの心境に何かあったのだろうか。
 不安も、まだ解決していないトラブルも多い。
 …とにかく、メシアの容態が回復したことだけ喜んでおいて、他のことは明日考えよう。
 そう自分に言い聞かせて悩むのをやめると、疲れきっているだけあって、隣の部屋がうるさくても、ソフィスタは眠りにつくことができた。


  (終)

あとがき


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