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ありのままのメシア 第十一話


   ・第一章 男の夜這い祭り

 ユドに剣を突きつけられた時、恐怖を抱いたのはユドに対してではなく、その姿に重なって見えた何者かの影であった。
 記憶に無いはずの光景、香り、感触、そして強い恐怖が、一気にメシアの中に流れ込み、頭の中で情報を処理しきれず、何より正体不明の恐怖に心を押しつぶされ、メシアは正気を失った。
 何かがメシアに強い恐怖を与えてくる。何かがメシアの命を奪おうとしている。それは、とても大きくて強くて、自分の力ではとても敵わない。だけど抵抗しなければ、すぐに殺されてしまう。メシアは命の危険を強く感じ、獰猛な獣のような攻撃性が沸きあがり、本能的に身を守ろうとしたのだった。
 そして周囲のもの全てを敵と感じ、ユドだけではなく、ソフィスタをも攻撃しようとしてしまった。
 そんな荒々しい感情の中に、なぜか助けは必ず来ると信じる気持ちがあった。優しく、温かく、いつもメシアを守ってくれる者が、この恐怖から救ってくれると信じ、その者を求めていた。
 それが誰かは分からない。メシアにとって、どのような存在なのかも分からない。ただ、その者に対する信頼は絶大なものであったことは覚えている。
「…その攻撃性ってヤツが、メシアの体を変化させたんだね」
「ええ。ただの感情とは思えない、何か強い力を帯びていたわ。…今、喋り方が女っぽかったか?」
 普段とは違う喋り方をしてしまったことに気付き、ソフィスタに確認したところ、ソフィスタは「女っぽかった」と頷いた。メシアは「しまった」と呟いて頭を抱える。
 現在、メシアとソフィスタは、エリクシア村の診療所におり、メシアは病室のベッドに腰をかけ、ソフィスタは隣のベッドでうつ伏せに横たわっていた。
 メシアの傷は、縫合を施すほど深い傷は跡が残っているものの、完全に塞がって抜糸も終えている。浅い傷は全て跡すら残さず消えており、深い傷の跡も、いずれは消えるだろう。
 ほぼ全身を包帯に包まれ、いかにも重傷を負っているように見えるメシアだが、人が思うより体は軽かった。昔から傷の治りが速いメシアは、それを当たり前のように捉えているが。
「今思えば、薬を使わなくても、今頃は目を覚ましていたかもしれないね。余計なことをして、悪かったよ」
 自分に非があっても謝らず、それどころか「知るか!」などと怒鳴ってくるソフィスタが、今は珍しく落ち込み、求めてもいないのに謝ってきた。
「謝るな。余計なことだなんて、とんでもない」
 ユドとの戦いの後、メシアが意識を失ってから目覚めるまでの間、ソフィスタが何をしていたのかは、全て今朝話してもらった。
 このエリクシア村に来て、メシアを診療所に預け、村に伝わる薬の存在を知ったソフィスタは、メシアの怪我を治すために、薬を作っている三兄弟の次男と共に、薬の材料を探しに森へ入ったという。
 その森に住む精霊と戦ったり、精霊を無理矢理従わせていた山賊と戦ったりと、ソフィスタはとにかく動き回り、行方が分からなくなっていた長男と三男を探し出して薬を手に入れた。精霊の事情も解決し、山賊たちは村に勾留されている。
 その話を聞き、今のソフィスタの様子を見れば、彼女がどれほど苦労して薬を手に入れたかが分かる。使うと女っぽくなるという副作用のことを知っても、メシアはソフィスタを責める気など全く沸かなかった。むしろ、そこまで体を酷使した彼女を、こちらが案じるくらいだ。
 ソフィスタは今、診療所の女医に足をほぐすように揉まれている。体を酷使した結果、彼女は足が筋肉痛になり、歩くのもままならないそうだ。
 ということで、今日も二人して診療所の世話になることになり、現在に至るのであった。ちなみに時刻は、アーネスでの生活で言うと学校へ向かっている頃である。
「薬を使っていなければ、意識を取り戻さなかったかもしれないではないか。なにより、そうやって私の身を案じてくれたことが、とても嬉しいわ…のだ」
 枕に顔を突っ伏し、いかにも元気がなさそうなソフィスタを、メシアは励まそうとしたのだが、最後のほうで女言葉が出てしまい、逆にソフィスタをへこませてしまった。
「…で、そのユドと重なって見えたヤツの姿も、あんたを助けてくれるはずだったヤツの姿も、思い出せないの?」
「ううむ…あの時ははっきりと見えていたような気がするのだが…」
「少なくとも、今は思い出せないんだね」
「うむ」
「そっか」
 と、ここで会話に区切りがついた。一昨日からメシアが目を覚ますまでの出来事で、メシアとソフィスタのどちらか一方しか知らない情報は、これで一通り話し終えたはずだ。
 メシアは、左手のアクセサリーにはめ込まれている紅玉を見つめる。
 一昨日、正気を失って暴れていたメシアを止めたのは、この紅玉の光だと、ソフィスタは話した。
 筋肉が異常に膨れ上がり、狂気のままに咆え、ユドの両腕をへし折った。その時のメシアの姿を、ソフィスタは「正真正銘のバケモノだった」と、全く気を使わずに語った。
 そんなバケモノに…ソフィスタに襲い掛かろうとするほど狂暴になってしまったのは、なぜだろう。なぜユドに、それほどの恐怖を抱いてしまったのだろう。
 …一体、私の体に…記憶に何があるのだろうか…。
 紅玉の光がメシアに正気を取り戻させたことについては、神のご加護だとメシアは単純に考えていた。そのご加護がなければ、ソフィスタを傷つけてしまっていたかもしれないと思うと、冷や汗が出る。
 ユドのようにメシアの命を奪おうとしてきた者とは違い、ソフィスタのように付き合いが長く親しく感じている者を、まさか襲おうとしただなんて。そんな獰猛な攻撃性が、自分の内に潜んでいただなんて。
 メシアは自身を両腕で抱き、包帯越しに皮膚に爪を立てた。己の内に潜む禍々しい何かを呪い、指に力を込める。
 自分の意思とは関係の無い何かがメシアを狂わせたのは分かる。だが、それを許したのは己の意志の弱さだ。正体不明であろうが何であろうが、強い恐怖に負けない強靭な精神があれば、あんなことにはならなかったはずだ。
 神より承りし使命を果たしつつも、戦士として鍛錬を怠らなかったメシアだが、よりいっそう己を鍛えることを心に誓った。
「大丈夫か?傷が痛むのか?」
 メシアが座っているベッドの近くのテーブルに乗っているセタとルコスを、立ったまま珍しそうに見下ろしていた男が、メシアに声をかけてきた。俯いていたメシアは顔を上げる。
 三角形状の耳が頭から生えている様は猫に似ており、肌は短い毛に覆われている。これが獣人という種族の姿であることは知っているが、こんなに間近で見るのも、声を掛けられるのも初めてであった。
「あ、君にとっては初対面みたいなものか。俺の名前はニレ。ステビアの夫だ。よろしく」
 ステビアとは女医の名前で、既に知っている。猫は神聖な生き物であると教えられて育ったメシアは、猫に似た獣人であるニレに手を差し出され、恐縮しつつも失礼のないよう手を取り握手を交わした。
「私の名はメシアだ。意識を失っている間、世話をしてくれて感謝するわ」
 また女言葉になってしまったメシアは、気まずそうな顔をし、その様子にニレは苦笑いを浮かべた。
「ステビアから話は聞いたけど、あの三兄弟の薬を使ったんだってね。でも、傷や疲労回復の効果は抜群だろう。筋肉痛にも効果あるんだけど、全部使い切っちゃったからな〜」
 カマイタチ三兄弟が用意した薬は、昨日の晩にメシアに全て使い切ってしまった。新しく作るには、また材料となる薬草を森から採ってこなければいけないと、診療所を出る前に彼らは話していた。
 ニレは手ごろな椅子に座り、話を続ける。
「いやあ、分かるよ。恥ずかしいよな〜その乙女化。俺も薬を使ってもらったことあるけど、その副作用には悩まされたもんだ」
 同じ経験をした者として、ニレはメシアに親しげに話す。それを聞いたソフィスタが、顔を上げて会話に加わってきた。
「あなたも、あの薬を使ったことがあるんですね」
 ニレは「ああ」と頷く。
「でも、今は副作用は消えていますよね。メシアの乙女化も、いずれ元に戻りますか?」
「その喋り方や、女っぽい趣味に走りそうになっても我慢していれば、カマイタチ三兄弟みたいにはならないよ。そうだなあ…使用した薬の量にもよるし、個人差もあるけど…全身に塗りたくったとなると、一週間はかかるかな」
 ニレの答えを聞いて、メシアは「一週間…」と弱々しく呟いた。
 メシアとソフィスタは、ここから北にある港町、ラゼアンへと向かって旅を始めた。その目的は、ホルスという者に奪われた帽子を取り返すこと。アーネス魔法アカデミーの校長の、どうやら大切な帽子のようだ。
 しかしメシアには、ラゼアンに住む人間の女性に会いたいという気持ちが強かった。神の使命を承ってアーネスへ向かうメシアが、その旅の途中に出会った、マリアという名の女性だ。
 そしてラゼアンへは、ここから二日で着くそうだ。メシアがラゼアンからアーネスへ向かった時は、一週間はかかったが、それはメシアが馬車も地図も持っていなかったからである。
 今日はエリクシア村に滞在するが、明日の朝には村を発つ予定を、ソフィスタは立てていた。順調にいけば二日で着く。つまり、乙女化が戻っていない状態のまま、マリアに会うことになる。
 メシアを受け入れてくれたマリアの人柄を考えると、乙女っぽいメシアを拒絶はしないだろうが、心配をかけてしまいそうだし、何よりメシアが恥ずかしい。
 落胆しているメシアの肩に、ニレの手が置かれた。
「大丈夫だ。乙女化を戻すのに大切なのは、男らしくあろうとすることだ。元々男らしい性格であれば治りは早いし、男らしい行動を取っていれば、早く治るはずだ。逆に、女っぽい言動をそのままにしていると、あのカマイタチ三兄弟や、バディルゾンみたくなってしまう」
 バディルゾンが、ソフィスタが戦った山賊たちの親玉の名前であることも、彼が女っぽい趣味をしていることも、ソフィスタから話してもらったので知っている。
「メシア君は体つきが逞しいし、普段から鍛えているんだろう?いつも通りに生活しているだけでも、一週間せずとも戻ると思う。女っぽい言動を改めようとする君自身の努力と、周囲の人の協力は欠かせないけどね」
 ニレは、メシアを励ますようにニッコリと笑った。猫のような鋭い目つきなど、外見は野生的だが、性格は穏やかなようだ。
「それで、ニレさんは、どれくらいで乙女化が治ったのですか?」
 ソフィスタは何気なくニレに尋ねたようだが、彼女の足を揉み解しているステビアの表情が、なぜか固まった。その様子に、メシアもソフィスタもニレも気付かない。
「俺も、ほぼ全身に薬を使ったけど、ほぼ一日で治ったよ」
 メシアの肩から放した手を顎に添え、ニレは答える。ステビアは、表情だけではなく動きも止めたので、足を揉まれていたソフィスタだけが、ステビアの様子に気がついた。メシアとニレは話を続ける。
「一週間もかかって治るものが、一日で治ったというのか?一体、どうやって治したのだ」
「男の本能を刺激しようと頑張ったんだ。その結果、乙女化も治ったし次男も生まれて…」
「ちょっとぉ!!」
 急にステビアが怒鳴ったので、メシアとソフィスタとニレだけでなく、テーブルの上にいるセタとルコスまで体を震わせて驚いた。二体と同じテーブルの上に置かれているソフィスタの眼鏡も揺れ、カタカタと音を立てる。
「うわっ、びっくりした…何だよ急に」
「何だよ、じゃないわよ!やめてよね、こんな若い子たちの前で!」
「いや、でも、俺はただ、男の本能を刺激するのに一番有効な手段を教え…」
「もう!黙って!!」
 キョトンとしているニレと、顔を真っ赤にして怒鳴るステビアの様子を、メシアとソフィスタは不思議そうに見ていたが、ソフィスタがハッとして顔を伏せたので、メシアは「ソフィスタ、どうかしたのか?」と彼女に尋ねた。ソフィスタは「なんでもない」と不機嫌そうに答える。
「ニレさん、それ以外に有効な治療法はありませんか?」
 少しだけ顔を上げて、ソフィスタはニレに尋ねる。
「ん?そうだな…べつに合体しなくても、刺激さえ与えがぼっ」
 そう答えかけたニレの即頭部に、ステビアが投げた枕が叩きつけられた。ニレは椅子から落ち、床に両手と両膝を着く。
「黙ってって言ったでしょう!!」
「イテテ…わ・分かったよぅ」
 ニレとステビアの、夫婦漫才さながらのやりとりを見て、メシアはニレに親近感を覚える。
 ステビアは咳払いをし、頬を膨らませて黙っているニレに代わって話し始めた。
「…手段はともかく、自分が男性であることを実感させるのは、間違いなく有効な治療法です。自分の姿を鏡でみるとか…」
「なるほど。男としてついている部分がついていることを実感すれがぼっ」
 今度は、ステビアが言おうとしていたことを具体的に解説しようとしたメシアの側頭部に、ソフィスタが投げた枕が叩きつけられた。痛くはないしベッドから落ちもしないが、解説は中断させられる。
 さらに、ソフィスタに「お前も黙れ!!」と怒鳴りつけられ、メシアもニレと同様にムスッとして口を閉じた。
「うん、まあ、彼の言う通りと言えば、確かに…。あとは、女の人とデートをしたり…あ、ソフィスタさんはメシアさんと付き合っているの?」
 ステビアに、そう質問されたソフィスタは、なぜか慌てて「付き合っていません!」と答えた。
「何を言う。付き合いなら充分あるではないか。アーネスで一緒に暮らして…」
「黙れっつっただろ!!い・いや、確かに、一緒に住んではいますが、特にその…そういった関係ではなく、事情があって住ませてやっているだけです」
 ソフィスタの言う「そういった関係」というものが、どのようなものなのかを理解できていないメシアは、一体何をソフィスタは否定しようとしているのか分からず、彼女に尋ねようとしたが、黙れと言われたばかりなのでやめた。
「そう。じゃあ、他にメシアさんが付き合っている女性は…いたら他の女の子と一緒に暮らしてなんかいないわよね。ねえ、メシアさん」
 ソフィスタには黙れと言われたが、ステビアに話を振られたので、ステビアの言う「付き合っている女性」を、家族や友人などで交流のある女性と捉えて考えてから答えた。
「…一番交流がある女性は、故郷にいる育ての母で…」
「あの、そういう意味じゃなくて、恋人とかで付き合っている女性はいるのかと聞いたんだけれど」
 会話のズレに気付いたステビアが、そう説明を加える。
「恋愛の関係にある女性と交流があるかどうかを聞いておるのか。…女性に恋心を抱いた経験は無いはずだが…あ、だが、許嫁ならおるぞ」
「はあぁぁぁ!!?」
 メシアが答えると、ソフィスタがやたらと驚き、上半身を起こして声を上げた。しかし筋肉痛のせいか、「イタタッ」と呻いてベッドに突っ伏した。
「何を驚いておるのだ?そんなに驚くことか?」
「だ、だって、いいなずけって、お前にそんなのがいるなんて、聞いたことないぞ!」
 ソフィスタは顔だけこちらに向けて怒鳴った。なぜソフィスタが怒っているのかは、メシアには分からなかった。
「聞かれなければ、私から話すようなことでもないではないか。私に許嫁がいることは、お前にとって何か問題があることなのか?」
 聞き様によっては薄情な言葉だが、メシアには悪意も何も無く、許嫁がいることについても、ソフィスタに隠しているつもりは無かった。
 子供が両親によって将来の婚約者を決められるという文化は、許嫁がいるメシアは当然のように受け入れており、その文化が人間の世界にもあることも、メシアは知っている。皆が皆、許嫁がいるわけではなく、政略が絡まなければ、互いに想い合う男女が結婚するのが一般的だということも、メシアは理解しているつもりだった。
 まあ、許嫁がいることのほうを、メシアは当たり前のように感じており、恋愛の経験も無いので、彼自身は理解している『つもり』でも、傍から見れば『つもり』と呼べるほどの理解すら無いが。
 そんなメシアに、許嫁がいると聞いて怒るソフィスタの気持ちなど、分かるはずもなかった。ソフィスタが「べつに問題ねーよ」と、ふてくされた口調で答えても、メシアとソフィスタのやりとりを見てステビアがため息をついても、メシアは不思議に思うばかりであった。
「その許嫁ってのは、すぐに会えるのか?」
 メシアと同じく、女性二人の心境を全く読めていないニレが、メシアに尋ねる。
「いや、遠く離れた地におるので、すぐには無理だ」
「そうか。じゃあ、他の方法で男の本能を刺激しないと…」
「ああ、そういうことであったか。ニレは、男という性を果たすことで本能を刺激し、乙女化を治した上に子供を産ませたと話していたのだぶっ」
 少し前にニレが言おうとしたことを今になって理解し解説し始めた、この恐ろしくデリカシーの無いメシアの頭部に、再びソフィスタが投げた枕がぶち当たる。
「お前もうホントいいかげんにしろよ!!!」
「ええい!いいかげんにするのはソフィスタのほうだ!何をそんなに怒っているのよ!私が何をしたと言うのぉ!?」
 ソフィスタに負けじと怒鳴ったメシアは、思わず女言葉を出してしまった。別の枕を掴んで投げようとしていたソフィスタは、それを聞いて動きを止め、申し訳無さそうに俯いて枕を放した。
「…そうだな。あたしが悪かった…ごめん…」
 女言葉を発したことに気付いていないメシアは、急にしおらしくなったソフィスタに戸惑い、怒る気も消え失せた。
「む?…うむ…」
 何だかメシアもばつが悪くなって、ソフィスタとの間に気まずい空気が流れる。
 女医は再びソフィスタの足を揉み解し始め、ニレは居心地が悪そうに窓の外へと視線を投げる。
 少しの間だが、病室が静まり返る。その沈黙を破ったのは、ニレの明るい声であった。
「そうだ!!夜這い祭りなんてどうだ!?」
 突然の、しかもいかがわしい単語を含んだ発言に、病室にいる者たちの視線がニレへと集う。
「この村で、よく行われている行事だ。数人の男たちが女性を巡って全力で戦う祭りだ。あれは男の祭りと言っても過言じゃない!」
 なにやら熱くなってニレは話し、ソフィスタは複雑そうな顔をしている。
「ふむ…女性を巡って戦うのも、男の本能。良い方法かもしれんな」
 夜這いの意味は分かっていないメシアだが、女を巡って争うのは、動物の雄にもよくあることだ。いや、だからこそ、男の本能を刺激する有効な手段なのだと、メシアは考える。
「そうね。村長さんに頼めば、すぐに準備してもらえるから、いいんじゃないの?」
 ステビアもニレの意見に同意し、ソフィスタだけが、唯一乗り気ではないようだった。
「ちょっと待って下さい!そもそも、その…夜這い祭りって、何なんですか?」
 ソフィスタは「夜這い」の部分だけ小声にして、ニレたちに質問した。メシアにとっても、もっともな質問に、ステビアとニレが思い出したかのようにソフィスタを振り返る。
「そうか、君たちは知らないんだな。夜這い祭りというのは…」


 *

 昔、エリクシア村に、一組の人間の家族が旅行で立ち寄った。
 その家族の中に、若く美しい未婚の娘がいた。村に住む、これまた若くて未婚の獣人の男二人が彼女を見初めた。
 娘ら一家は村に泊まり、その日の晩、彼女を見初めた獣人の男二人は夜這いを試みたが、娘が泊まっている宿の中で、二人は鉢合わせになり、さらに他の家族たちに見つかった。
 娘は家族たちによって柱の上へと避難させられ、家族たちは娘を守るべく柱の下に陣取った。獣人の男二人は、やむなく協力しあって娘に近づこうとしたが、娘の家族は兄弟が多く、しかも何かやたらと強くて、二人の獣人は撃退されてしまった。
 そして、娘ら一家が村を去った後、獣人の男二人の家族が、この件を知り、数では劣っていたとは言え、人間より優れた身体能力を持つ獣人が、しかも我が子が負けたことを恥じ、次は柱の上に避難されても捕まえろと、獣人の男二人を特訓した。
 しかし、娘が再びエリクシア村に訪れることも、他の見初めた女が柱の上に避難することも無く、特訓は無駄に終わったが、特訓をする様子を見た村の者が、面白がって真似し始め、それはやがて村の行事となった。
 その特訓の内容というのは、立てた丸太の上に女性を登らせ、その丸太の周囲を屈強な男たちが囲んで守り、それを突破して丸太によじ登るか倒すかして女性を奪取するというものであった。

「…棒倒しじゃねーか…」
 ステビアとニレから夜這い祭りの詳細を聞いた後に突っ込んだ時と同じセリフを、ソフィスタはボソッと呟いた。
 アーネス魔法アカデミーでも、年に一度は開催される運動会。その種目の中に、棒倒しはある。その起源が、エリクシア村の夜這い祭りかどうかは分からないが、ルールはほぼ同じだった。
 参加する男は東軍と西軍の二チームに分かれ、さらにそれぞれのチームメンバーは、攻撃手と防衛手というポジションに振り分けられる。
 攻撃手は敵軍の防衛手が支える棒を倒しに向かい、防衛手は自軍の棒が倒れないよう支えつつ、敵軍の攻撃手によって棒が倒されないよう守る。そして、自軍の棒が倒れると負けとなり、それより先に敵軍の棒を倒すことができれば勝ちとなる。
 と、ここまではソフィスタが知る棒倒しと同じルールだが、エリクシア村の夜這い祭りでは、さらにルールが加わる。それは、立てた棒の上には女性を一人配置するというルールと、敵軍の棒の上にいる女性を奪取すれば、棒を倒せなくても勝利となるルール、そして、棒の上にいる女性の行動に関するルールである。
 棒の上にいる女性は、自ら棒を降りてはいけないが、棒が倒れる際は、身の安全を守るために降りてもよい。
 敵軍の攻撃手が棒を登って近づいてきたら、女性は攻撃手に協力してはいけないが、抵抗はしてもよい。
 棒の上に登る女性は、その棒を守る軍に属しているとされるので、敵軍の攻撃手に抵抗はしても協力はしないはずなのに…とソフィスタは思ったが、夜這い祭りではそうではないのだという。
 例えば、夜這い祭りは結婚を控えたカップルを祝して行われることもあり、その場合、カップルは別々のチームに振り分けられ、花嫁は棒の上に登り、花婿は自軍の攻撃手というポジションに付く。つまり、花婿が花嫁を奪いに行くという、夜這い祭りの起源となった状況が再現される形となるのだ。
 花婿が花嫁の奪取に失敗したら結婚は中止になるとか、そんな野暮な決まりは無い。しかし花嫁としては、花婿のチームに勝って欲しいし、花婿が棒を登ってくれば協力したくもなる。そうすれば、気持ち的にもロマンチックに結婚式を迎えられるというものだ。
 しかしそれではフェアにはならないということで、敵軍の攻撃手に協力をしてはいけないというルールが明確に定められたのだった。
 ちなみに、花婿のチームの棒の上に登るのは、主に花嫁の母親とされている。花婿は花嫁を貰うだけではなく、花嫁の家族も守り抜くという意味があるそうだ。
 また、カップルを祝す以外にも、何かの記念日などで開催される夜這い祭りでは、基本的に花婿募集中の未婚の女性が棒の上に登る。村の繁栄のために、未婚の女性に夜這い祭りで出会いの場を提供しているのだそうだ。
 といった具合に、エリクシア村では頻繁に夜這い祭りが行われている。人数さえ集まれば、開催が決定したその日のうちに行うこともあるそうだ。「夜這い祭りする人、この指とまれー!」と言えば、直ちに集まって開催するくらい、この村の住民は夜這い祭りが好きで、参加する者も観戦する者も大いに盛り上がるのだと、ニレは話していた。
 名前はいかがわしいが、未来の夫婦を応援し、村の住民の結束を高める、重要な祭りではあるようだ。
「午前中のうちに村長に話をつけておけば、今晩には開催できるそうだけれど…あたしたちよりニレさんから頼んでもらったほうが、話も通りやすかったかなあ…」
 メシアと共に、村長の家へと向かっているソフィスタは、空を仰いで呟いた。
 雲一つとない青空を、小鳥たちが戯れながら飛んでいる。気候も日差しも暖かく、風は穏やかで心地よい。昨日の疲れも取れきっていないソフィスタは、この絵に描いたように平和な環境に眠気を誘われ、まだ朝の時間帯だというのに目蓋が重くなった。
「ソフィスタ。疲れているのなら、診療所で休んでいてもよかったのだぞ」
 ぼんやりとしているソフィスタの顔を、メシアが後から覗き込んできた。少し心配そうに見つめてくるメシアの視線に照れてしまい、ソフィスタは顔を前へと向き直す。
 疲れているし筋肉痛もしんどいソフィスタは、診療所にあった車椅子を借り、メシアに押してもらって村長の家へと向かっているのだった。
 メシアは戦士の装束の下は包帯ぐるぐる巻きという格好で、ソフィスタはマントを羽織っていない以外はいつもと同じ服装。両肩にはセタとルコスも乗っている。すれ違った村の住民が二人を見て不審そうな顔をするのは、ただ二人がよそ者だからではなく、車椅子に座るべきは重傷を負っていそうな男のほうだろうとか、彼は獣人の一種なのだろうかとか、あの少女の肩にある物体は何なのだろうとか思ったからでもあるのだろう。
 そうやって注目されることは予想していたが、一昨日も昨日も村の様子を見て回れなかったし、昨日の件で怪我を負った山賊も診療所にいて声がうるさいので、ソフィスタは自ら村長に会いに行って夜這い祭りの開催を頼むことにしたのだった。
「大丈夫だよ。…車椅子を押して歩くのがおっくうになってきたのか?」
「そんなことはない。こんな良い天気の日に、お前とこうやって散歩をするのは、とても楽しいわ」
 メシアも、村の様子を見たがってソフィスタについてきた。ソフィスタの監視という使命もある彼と共に外へ出かけることは、アーネスでも日常となっていたし、一緒に散歩するのが楽しいと言われたのも、今が初めてではない。
 しかし、そんなことを言われ慣れていない上に、正直で自分の気持ちをストレートに言うメシアの言葉は、何度言われても照れくさいものがあり、ヒュブロでの屈辱の初恋を経てからは、一緒に散歩しているのだと意識し始めるだけで頬が熱を帯びるようになってしまった。
 今も顔が紅潮しているのが分かるが、彼の最後の女口調のおかげで、そんなに熱は上がっていない。
「その女言葉、本当に棒倒しで治るのかねえ…」
 アーネスへ来る前に通っていた学校は女学校で、運動会はあっても棒倒しという競技は種目に無く、アーネス魔法アカデミーで開催される運動会はサボって見学すらしなかったため、ソフィスタは棒倒しという競技をまともに見たことが無い。練習している様子を校舎の窓から少しだけ見たり、男子生徒が棒倒しについて話しているのを耳にした程度だ。そもそも、運動系の競技自体に興味を持っていないため、ソフィスタは棒倒しを、たかが運動会でやる遊び感覚の競技としか思っていない。
 そんな競技で、たかが棒倒しで、メシアの乙女化は治るのだろうか。そう、ソフィスタは疑っていた。
「分からぬが…面白そうではないか。その、夜這い祭りとやら」
 ソフィスタは「夜這い」などと言いたくなかったので「棒倒し」と名前を変えて言ったのだが、メシアは何の躊躇も無く「夜這い祭り」と言う。
「ちょうど、思いきり体を動かしたいと思っていたところなのだ。朝の鍛錬を二日も怠ってしまったので、体がなまっているに違いない」
「あんたが思いきり体を動かすと、物や人を壊しかねないから、ほどほどにしな。…まあ、怪我が治っているのなら、少しは体を動かしたほうがいいには違いないんだろうけれど」
「この村の住民たちと一緒に、協力し合って競い合うそうだな。獣人の者とは、アーネスでも交流の機会が無かったので、実に楽しみだ」
「それもそうだな。獣人が集団で運動する様子なんて見たことないし、興味はあるかも。…ユリたちみたいに特殊な変身能力みたいなのを持っている獣人って、他にもいるのかな…」
「あのカマイタチ三兄弟のことか。彼らとは昨晩会っただけで、あまり話もしなかったな」
「…あいつらと一緒にいたら、お前の女言葉は悪化するぞ…きっと」
 平和そうな青空の下、平和な気候と、朝の挨拶を交し合う平和そうな村人たちの声が聞こえる中、こうしてメシアと会話をしていると、一昨日は禍々しい姿で暴れ、大怪我を負って意識を失っていたメシアが、本当にいつもの元気なメシアに戻ったのだと、やっと実感できたような気がした。
 ユドの両腕をへし折り、獰猛な獣のように唸るメシアの姿を見た時、確かにソフィスタは怖いと感じたが、これ以上メシアに苦しんでもらいたくない、いつものメシアに戻って欲しいと願う気持ちが勝ったから、恐怖を克服することができた。
 あの時ソフィスタの心を奮い立たせたのは、メシアと共に過ごした日々の思い出。常識もデリカシーも無く、しょっちゅうソフィスタを怒らせていたが、強くて優しくて真っ直ぐで、何度もソフィスタを助けてくれたメシアの姿。
 薬の副作用で乙女化したのは申し訳ないと思っているし、メシアに許嫁がいることについては、何か気に食わない。それでも、こうしてメシアと会話をしていることに喜びを感じている自分がいる。
 もしメシアが狂ったままだったら、もし意識を取り戻さなかったらと思うと、胸が張り裂けそうになる。
 しかしメシアは目を覚まし、ソフィスタを見て明るく笑った。
 いつものメシアが、すぐ傍にいる。メシアが自分のもとへ戻ってきてくれたのだ。
 意地を張って認めまいとはしているものの、この込み上げてくる熱い感情に逆らいきれず、ちょっとくらいならとメシアを求めてしまい、姿勢を整えるふりをして、車椅子を押すメシアの手にさり気なく触れた。
「…メシア。もう少しゆっくり押してくれ」
 そして、村長の家に着くまでの短い散歩が少しでも長引くよう、メシアにそう頼んだ。


  (続く)


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