目次に戻るTOP

ありのままのメシア 第十一話


   ・第二章 メシアの許嫁事情

 エリクシア村の村長は齢八十ちょいであると、一昨日の夜に村長の家に案内してくれたアザミから聞いた。獣人の年齢など聞かなければ分からないが、雰囲気からして歳を重ねていることは確かである。
 犬に似た毛の濃い獣人で、アザミのように逞しくはないが、毛に覆われているせいか細い感じはしない。落ち着き払っているが視線は鋭く、背筋を真っ直ぐ伸ばして椅子に座る、堂々とした様子から、付け入る隙の無い男だとソフィスタは感じた。
 村長の家を訪ねてすぐ、客間に案内され、村長と面会できた。彼はまず、ソフィスタが精霊を静め山賊を捕らえ、カマイタチ三兄弟を探し出たことに感謝し、礼を言った。
 怪我で診療所に運ばれた山賊たち以外は、この村の拘置所に収容されているそうだ。この村では、住民に危害を加えたなどで外部の者を捕らえた場合はヒュブロに報告し、身柄を引き取ってもらうことになっている。処罰についてはヒュブロに託すか、村の住民から意見が出た場合は村長がヒュブロに掛け合うなどして決めており、今回の件に関する山賊たちへの処罰は、後でカマイタチ三兄弟を含めて住民たちと話し合うそうだ。ユリたちと共に山賊と戦ったソフィスタも、その話し合いに参加してほしいと村長に頼まれたが、面倒なことは嫌いなので断った。
 とりあえず、王都ヒュブロへは既に通信機で報告し、身柄を引き取ってもらうための馬車も要求してあるそうだ。
 また、カマイタチ三兄弟が無事だったことや、ソフィスタへの感謝も込めて、今晩は盛大な宴を開くつもりだったらしい。これから村の住民に呼びかけ、準備を始めるところだったそうなので、それならただの宴会ではなく、夜這い祭りを開催してくれと、ソフィスタは村長に頼んだ。
「なんだ。君たちは夜這い祭りに参加したかったのか」
 ソフィスタたちが座るソファーと向かい合って、気持ち豪華めな椅子に座り、ずっと厳しい表情で話をしていた村長だが、夜這い祭りと聞いて表情が緩み、鋭かった瞳も子供のように輝かせた。
「いいえ、私たちではなく、メシアだけを参加させてやりたいんです。薬の副作用による女っぽさを治すためには、その祭りが効果的だと、診療所のニレさんから聞いたので」
「副作用?…ああ、あの三兄弟の薬を使ったのか。薬の存在は外に漏らさんでくれよ。それより、夜這い祭りだが…」
 カマイタチ三兄弟の薬は、怪我などへの効果は抜群だが副作用が問題なので、極力村の住民以外には使わず、その存在が外部に漏らすことも禁止されている。どうしてもよそ者に使うのなら、村長の許可を得なければいけなかったそうだ。
 カマイタチ三兄弟がバディルゾンに薬を使った時は、村長の許可を得ておらず、後でこっぴどく怒られたそうだ。なので、メシアに薬を使ったことについても責められるかと思ったが、夜這い祭りによって「それより」扱いされてしまった。村長は、そんなに夜這い祭りという呼び名の棒倒しが好きなのだろうか。
「拘置所にいるバディルゾンも参加させていいか?ヤツも薬の副作用で女っぽくなって、それを逆恨みして今回の事件を起こしたのだから、夜這い祭りで男を取り戻すことができれば、少しは丸くなると思うんだ」
 確かに、バディルゾンの中途半端な乙女化を治せるのなら、それにこしたことはないのだろうが、拘束したばかりの山賊を村の行事に参加させるなど、いくらなんでも安易すぎではないか。祭りに便乗して、バディルゾンが逃亡を図るかもわからないというのに。
 この村長はバカなのか。そう思った時、ソフィスタの中では既にバカが確定しているメシアが「かまわんぞ」と勝手に答えた。
「おい、メシア!勝手に答えるんじゃ…」
「よし、決まりだな!それと、お嬢さんはメシア君の同じ軍に属する、棒に登る女性の役に着くといい。そのほうが、メシア君もやりがいがあるだろう」
 村長はソフィスタを、メシアが属する軍が奪取する女性の役に着かせるつもりのようだ。ソフィスタは「勝手に決めないで下さい!」と村長を止めようとするが、その声は、夜這い祭りが楽しみすぎる村長の耳に届いていなかった。彼は椅子を引き、立ち上がろうとする。
「ソフィスタも参加するのか!一緒に夜這い祭りを楽しもうではないか!」
 メシアもソフィスタの意見を聞かず、いかがわしく聞こえることを楽しそうに言う。
「しないっつってんだろが!!話を聞きやがれ!!!」
 ソフィスタが怒鳴ると、さすがにメシアと村長は静まり、ソフィスタの口の悪さを知らなかった村長は、目を丸くしてソフィスタを見つめたまま固まっている。
 ソフィスタは、ため息をついてから話し始める。
「拘束中の山賊を祭りに参加させるのは、危険でしょう。奴らは私やカマイタチ三兄弟を恨んでいるでしょうし、隙をついて逃亡する恐れもあります。それと、私は祭りには参加しません。底なしの体力のこいつほど元気は余っていないのですから、今日はゆっくり休んで、明日に備えます」
 先程の剣幕がなかったことのように、ソフィスタは淡々と語った。メシアと村長も、冷静になってソフィスタの話を聞いていた。
 しかし、村長は自分の考えを覆さなかった。
「お嬢さんは心配性だな。確かに山賊は野蛮で危険な存在だろうが、我々エリクシア村の者は猛者揃いで、以前山賊たちが村を襲ってきた時も、奴らの半分以下の人数で撃退したんだぞ。たかがバディルゾン一人に逃亡を許すわけがないだろう。なんなら、拘留中の山賊たち全員を参加させてもいいぞ」
「さらに山賊を導入してどうするんですか!そもそも常識的に考えて、そんな野蛮で危険な連中を祭りに参加させないで下さい!!」
「どんな者でも、夜這い祭りに参加する権利はある。それが、この村の常識だ。もちろん、そういった連中を参加させる以上、警戒はするがな。罪を犯した者を許しはしないが、祭りなどといった行事に参加させて人と触れ合わせることで、自らの行いを省みさせることができるかもしれない。そうすれば、山賊たちも再び悪事を働かなくなるだろう」
「…そんな都合よく改心するわけがないでしょう」
 人間不信のソフィスタには、村長の絵空事に、ばかばかしそうに肩を竦めて言った。そんなソフィスタの態度と言葉を、村長は笑い飛ばす。
「そんなことは分かっているとも。だが、それが人を改心させるというものだ。とにかく、山賊たちにも呼びかけてみよう。夜這い祭りは大勢でやったほうが楽しいぞ!祭りの最中に山賊どもが悪さでもしようものなら、我々がこらしめてやるから安心せい!」
「そうではなくて、常識的に考えてですね…」
 どこまでも山賊を参加させたがる村長に、めげずにソフィスタは反論しようとしたが、メシアに服の袖を軽く引かれたので「何だよ!」と彼を睨んだ。
「よいではないかソフィスタ。私の体は、もうどこも痛くはないし、戦えないほど体がなまっているつもりもない。それとも、ユドのように強い者が、あの山賊たちの中にいるとでも言うのか?」
 メシアは優しく語り、その優しく嬉しそうな瞳は「私の身を案じて、山賊たちを参加させまいとしているのだな」と語っていた。ソフィスタにはそのつもりは無いが、そうやって見つめられると、心のどこかではメシアを気遣っていたような気がしてきてしまう。
 …い・いや、実際、メシアは重傷を負っていたわけだし、また怪我されても旅が再開できなくなって困るから、べつにコイツの身を案じるのは特別なことじゃなくて…って、何を言い訳っぽいこと考えているんだ!何だよ特別って!!
 軽く混乱し、それをメシアに気付かれたくなくて、ソフィスタはメシアから顔を背け、極力平静を装って喋った。
「お前の体調の話をした覚えはないんだけど。…まあ、ここの獣人たちに負けるような連中の中に、ユドみたいなバカ強い奴が混じっているわけはないし…参加させたいんなら、好きにすれば?」
 夜這い祭りが楽しみすぎて既に気分がお祭りになっている彼らに、もはやソフィスタの説得は通じない。これ以上話を長引かせたくもなかったので、ソフィスタは諦めて投げやりに言った。
 それを聞いて、村長はさっそく立ち上がり、「よし!では参加者を募ろう!」と言って窓から外へ出て行った。よそ者を自宅に残して窓から外へ出てゆく村長もどうかとソフィスタは思う。村長が夜這い祭りが好きすぎるということは、痛いほど分かった。
 メシアも「やった!」と言って手を合わせて喜んでおり、その仕草は女っぽい。彼らのボケに付き合い疲れたソフィスタは、テーブルに突っ伏した。まだ朝の時間帯だというのに、なぜこんなに疲れなければいけないのだろうか。
 …でも、危険を伴ってでも男らしいことをしたほうがいいってのは、確かのようだな。いっそ山賊たちと乱闘になるくらいが丁度いいんじゃ…。
 そうやって、自分の考えを妥協させる。結局、ソフィスタの意見は彼らに何一つ聞き入れてもらえなかったということだ。
 …あれ?ってことは、あたしが棒に登るって話も…!?
 そういえば、ソフィスタが棒に登る件については、よく話し合っていなかった。それを思い出し、ソフィスタは勢い良く体を起こした。
「ちょっと待て!あたしは棒にのぼぶっ」
 スキップしながら庭を出て行こうとしている村長を、ソフィスタは家の中から呼び止めようとしたが、メシアに強く背中を叩かれて吹き出した。
 文句を言おうと振り返ると、メシアの嬉しそうな顔が、鼻先が触れ合うほど近くにあったので、ソフィスタは息を呑んだ。
「ソフィスタ!夜這い祭りでは、必ず私がお前を棒の上から奪取してみせるわよ!!」
 やはり勝手に棒の上に登る役にされているわ、それを女言葉で言われるわ、顔は近いわで、脳内の情報処理が滞り、ソフィスタは固まった。
 そこにトドメを刺すボケの刺客のごとく、窓の外から村長の声が響いた。
「夜這い祭りする人、この指とまれー!!!」


 *

 夜這い祭りは今夜に開催されることとなり、参加する者はチーム分けのために話し合い、参加しない者は棒や開催場の整備を始めた。
 村の住民からは二十人くらいの男が参加し、山賊たちからは、先日の一件での怪我をしている者以外が参加することになった。その中にバディルゾンもいる。
 メシアは、夜這い祭りが好きすぎて活き活きとしている獣人たちに、すっかり溶け込んでいた。異種族への理解のあるアーネスでさえ、ここまで早くは溶け込めなかったというのに。村の住人の数が少ないのもあるが、それ以上に夜這い祭りの効果があるのだろう。
 バディルゾンも、自分の乙女化が治るならとやる気満々だし、他の山賊たちも棒倒しの競技を懐かしがり、また「お頭のためなら」と熱心に取り組む姿勢を見せている。
 そうやって、種族も住む土地も違う者同士が文化を通じて交流し、親睦を深めることは、世界にとって重要なことである。
 だからと言って、ソフィスタは棒に登ることを承諾した覚えなど無い。なのに勝手に棒に登る女性の役にされ、筋肉痛だからと断っても、参加者たちは「座っているだけだから大丈夫!」などと能天気なことを言って相手にしてくれない。
 みんな夜這い祭りが楽しみすぎて団結し、盛り上がりすぎてソフィスタの話を聞いちゃくれない。
 唯一メシアが、ソフィスタの味方になって参加者たちを説得しようとしてくれたが、「無理強いはよくないわ」と女言葉で説得し始めたものだから、メシアの乙女化を和らげるのに役立てるのならと、ソフィスタは仕方なく棒の上に登ることを承諾した。
 バディルゾンら山賊たちも、純粋に夜這い祭りを楽しもうとしているようだし、村の住民たちも一応、山賊たちを警戒しているようだ。まあ大丈夫だろう、もうどうにでもなれと、ソフィスタは投げやりな気持ちで考え直す。
 こうして話し合いは進み、メシアは西軍、ソフィスタとバディルゾンは東軍に配分され、村の住民と山賊たちは、それぞれの軍に均等に振り分けられた。チーム分けが終わると、次はチーム内で攻撃手と防衛手を決めるわけだが、その話し合いは、西軍と東軍で別々の場所で行うのだという。
 西軍は村の集会場、東軍は村長の家で話し合うことが決まったところで、ソフィスタとメシアは話し合いから一旦抜け出すことにした。旅を始めた当初の予定では、今頃は王都ヒュブロにいるはずだったが、予定が狂ったので、村の通信機を借りてアーネスに連絡を送らなければいけないし、預けた馬車の様子も見に行きたかった。

 メシアに車椅子を押してもらいながら、村の通信所へ向かっていると、不意に車椅子が止まり、メシアがソフィスタの右手首を掴んできた。
「な・何だよ」
 グローブごしにだが急にメシアに触れられたことに焦り、ソフィスタはぎこちない動作でメシアを振り返る。
「ソフィスタ。一緒にいてくれて、ありがとう」
 メシアはソフィスタのグローブを外し、白くきめ細やかな肌が露になった手を握って、そう言った。その声も、ソフィスタを見つめる瞳も、直に触れられている手から伝わるメシアの体温も優しく、ソフィスタの頬を熱くさせると同時に、心を戸惑わせた。
「はあ!?唐突に何を言い出すんだ!!」
 困惑するあまり、ソフィスタはメシアの手を振り払い、メシアが持っているグローブをひったくって前に向き直った。その直後、自分の乱暴な態度がメシアを傷つけてしまったのではないか思い、ソフィスタは「ごめん」と小さい声で謝った。
 紅潮したままの顔では、振り返って彼の表情を確認することもできないが、メシアはソフィスタの行動に少し驚いただけで、特に傷ついた様子もなく微笑んでいた。
「ユドとの戦いの中で、恐怖で気が狂ってしまった私が目を覚ますことができたのは、ソフィスタ、お前のおかげだ」
「いや、それは、たぶん、その紅玉のおかげなんじゃないかって、今朝話をしただろ」
 車椅子のハンドルを握り、再び押し始めたメシアの左手を、ソフィスタは横目で見る。
「だが、私の心を救ってくれたのは、間違いなくソフィスタである。目を覚ました時、お前が傍にいてくれたから、恐怖が取り払われ、私の心は安らいだのだ。…ユドの両腕をへし折り、理性を失って暴れる私から、お前は離れないでいてくれたから…」
 ソフィスタに語りかけるメシアの声は、あまりに優しく、彼が息継ぎの後に声を発する度に、ソフィスタの心臓が大きく脈打つ。何か言い返すにも緊張しきって声を発することができず、ただ黙ってメシアの話を聞くしかなかった。
「薬のことにしても、お前には心から感謝しておる。本当に苦労をかけてしまったな。世話になったわ…あっ」
 最後に女言葉が出てしまったが、メシアの感謝の言葉は、ソフィスタの心に染み渡った。
 ここまで感謝の言葉が心に響いたのは、ものすごく久しぶりか、初めてかもしれない。ソフィスタが人間不信で捻くれ者のため、人からの感謝を素直に受け止めようとしなかったからでもあるのだが。
 それに、メシアの傍にいたことで彼の心を救えたのなら…メシアがソフィスタを必要としてくれたのならと思うと、喜びが込み上げてきて、今にも顔に表れてしまいそうである。
 同時に、その気持ちを否定しようとする捻くれ者の意地も込み上げ、皮肉を言うなり話題を変えるなりして誤魔化そうと、ソフィスタは口を開いた。
「そ・それより、お前、許嫁がいるって言っていたよな」
 そう言ってから、ソフィスタは「何でとっさにメシアの許嫁の話が出るんだ!!」と、心の中で頭を抱えた。
「うむ。それがどうかしたのか?」
 メシアの許嫁の話を初めて聞いた時にソフィスタは腹を立てたというのに、メシアはすっとぼけた感じに聞き返してくる。いや、ソフィスタが勝手に腹を立てていたため、メシアの態度も勝手に気に障るふうに捉えてしまっただけなのだが。
「その…あのさあ、故郷に帰ったら、その許嫁ってやつと結婚するのか?」
 そう尋ねてから、ソフィスタは「なんでもないとか言って許嫁の話は終わりにしてもよかったんじゃないか?」と、再び心の中で頭を抱えた。べつにメシアが誰と結婚しようが関係ないはずだと、いくら自分に言い聞かせても、思い通りに口が動いてくれない。
「うむ。結婚するとも」
 ソフィスタが戸惑う心を落ち着かせる間も無く、メシアは即答した。ソフィスタは、さらに動揺する一方である。
「で・でも、相手はどうなんだ?お前と結婚しようって気はあるのか?」
「あるとも。だからこそ許嫁になったのではないか。許嫁の他にも女性を娶ることとなっても、無理強いはせぬ」
「え、はあ?お前、まだヨメをもらうつもりなのか?」
 さも当然のように話すメシアに、ソフィスタは裏返った声で聞き返してしまった。
「我らが種族は、今や数も少なくなっておるし、私は戦士であると同時に貴族の血統でもあるので、多くの子を残す必要があるのだ。妻が多いに越したことはないだろう。確かに、第三妃までいる許嫁だけでも充分だとは思うが…」
「三妃!?許嫁で既に三人もいるのか!?何で!!」
 メシアが貴族の血統であるというのは初めて聞いたが、それより許嫁が三人もいるという彼の発言に驚かされ、ソフィスタは思わずメシアを振り返った。彼は、きょとんとした顔でソフィスタを見ている。
「妻が多いに越したことはないと言ったではないか」
「でも、その許嫁たちは、お前に許嫁が三人もいるってことは知っているのか?」
「当然であろう」
 質問する度に、とんでもない答えを当たり前のように返し続けてくるメシアに、ソフィスタは心の中だけではなく仕草でも頭を抱えた。
 一人が複数の妻、もしくは複数の夫を持つことは、決して禁止されているものではなく、世界的に見れば一夫多妻も決して珍しいものではない。しかし、ソフィスタの周囲には例が無いため、結婚というものは一組一人ずつの男女によるものが当然だと考えていた。
 複数の妻や夫を持つことに対し、まあ世界にはそういう文化もあるのだろうと、他人事のように考えていたが、あまり快くは思わなかった。
 それが、ここにきて判明した、ソフィスタにとっては非常識なメシアの結婚概念。
 メシアと出会った当日、彼はソフィスタに生命の尊さを教えるため「子供を産んでみろ!!」と言い、さらに「私が人間の男を捕まえてくるので、お前はそいつの子供を産め!!!」などと続けた。
 あの常識をぶっちぎった発言の背景には、メシアが育った環境があるのは当たり前だが、今回、その一部が見えたような気がした。
 結婚というものに対し、メシアは「種の存続のために必要なこと」というイメージから植えつけられ、考え方のベースになってしまったのかもしれない。
 種の存続のためには、できるだけ強い血統の子供を残したほうがいい。それは、動物の本能そのままの生殖理論である。
 飛びぬけて強い男がいれば、彼が多くの女性に種を授ければいい。強い女は、その男から種を授かれば、さらに強い子供が生まれるかもしれない。実際に子供を生むのは女性のほうなので、男性のほうが体への負担が軽いことも考えると、必然的に一夫多妻となり、メシアもそれを常識的に受け止めているのだろう。
 種の存続が全てであるとは、さすがにメシアも考えていないだろうが、恋愛よりも種の存続云々を優先的に考えていることは確かである。
 そんな考え方だから、メシアは恋愛経験が無いのか、それとも恋愛経験が無いから、そんな考え方になったのか。
 まあ、彼の恋愛や結婚に対する考え方を完全に知ることはできないし、そもそもソフィスタ自身も、メシアをとやかく言えるほど恋愛を経験したことは無い。恋愛も結婚も考え方は立場や時代によって変わるものなので、その真理を解き明かすことは永遠に不可能だろうが、それはともかく、メシアには許嫁が三人おり、彼女たちはメシアが複数の妻を持つことを承知の上で許嫁となったということは分かった。
 しかし、今朝の診療所の話では、メシアは恋愛経験が無いとのこと。ならば許嫁三人に対しても、メシアは恋心と呼べるほどの感情は抱いていないはずだ。許嫁たちに対しては失礼かもしれないし、複数も許嫁を持ちながら恋愛経験が無いなど、何かムカつくが、メシアには悪気は無さそうである。
「…とにかく、お前は故郷に帰ったら、その三人の許嫁たちと結婚するんだな」
「うむ」
「絶対に?」
「…いや、確定しているわけではない」
 ソフィスタは「へっ?」とメシアを振り返る。メシアは、夜這い祭りの準備を進めている獣人たちの様子を眺めながら答えた。
「今は結婚する気はあっても、誰かが許嫁の解消を求め、それに私と許嫁が同意すれば、許嫁の解消は可能という約束なのだ」
 許嫁の解消は可能と聞いて、ソフィスタは少し気が軽くなった。
「そうか…。じゃあ、許嫁の三人が、お前とは結婚しないと言い出したら?」
「むう…まあ、残念ではあるが、他の女性たちを娶るしかあるまい」
 残念と言いつつも、その許嫁たちを諦めることができるのは、その程度の思い入れしかないということなのだろう。しかし「他の女性たちを娶る」という言葉からは、メシアは複数の妻を持つ気が満々であることが分かる。
「他の女性って…当てはあるのか?」
「あるとも。故郷にいる同じ年頃の女性のほとんどから、大人になったら娶ってくれと言われた」
「はあ!?ウソだろ!!!」
 自身がメシアにときめかされているにも関わらず、ソフィスタは彼の答えを全く信じられないとばかりに叫んだ。そんなソフィスタのオーバーなリアクションに対し、メシアは少し気を悪くして「こんなことで嘘などつかぬ」と言い返した。
 …いや、考えてみれば、強くて貴族の血統なんて、確かにモテる要素だよな…。
 メシアの立場を人間に置き換えて例えるなら、名門の騎士、もしくは武芸も嗜む貴族といったところだろうか。
 人間の社会では言動が常識外れのメシアだが、故郷ではそうでもないのだろうし、性格も悪くはない。誠実で勇ましく、自分や他人に厳しい面は短所でもあり心強くもある。単純で騙されやすいが、それはそれで手玉に取りやすいし、本当に何も考えていないわけでもない。
 人間の姿になった時の顔立ちは端整に見えたし、体格はソフィスタから見れば逞しすぎるが、全体的に見て決してスタイルは悪くないし、背も高い。
 考えてみれば、なかなか上等な玉の輿ではないか。
「…でもさあ、嫁を一人に絞る気は無いのか?」
 女に困っている様子も無く、なかなか一夫多妻から抜け出してくれないメシアに、ソフィスタはそう尋ねた。
「なぜだ?たくさん娶ったほうが、子供もたくさん…」
「そうじゃなくて!子供云々は置いといて!!」
 ソフィスタは思わず怒鳴り、メシアは驚いて車椅子を止めた。怒鳴り声に気付いた村の住民たちも、何事かとこちらを見ていたが、ソフィスタもメシアも、それに気付いていない。
 ソフィスタは、ため息をついて気持ちを落ち着かせてから話し始める。
「だって、ほら、嫁が何人もいたら、そいつら全員をかまってやらなきゃいけなくなるだろ。でも、もし、そいつらの中で特別に大切にしたいとか、できるだけ長く一緒の時間を過ごしたいとか、そう思える奴がいたら…何て言うか…そいつをヒイキしたいって気持ちになるだろ。そしたら、他の嫁をないがしろにするようになるんじゃないかな。そんな自分の気持ちに気付いたら、お前はどうするんだ?」
 話し終えてから、何でこんな野暮な話をコイツにしているんだろうと、ソフィスタは改めて自問した。
 メシアはソフィスタを見つめたまま黙っており、ソフィスタも何か気まずくなって、前を向き直した。二人を見ていた村の住民たちも、興味を失って作業に戻っている。
「…それは、考えたこともなかったな…」
 車椅子がゆっくりと押され、金具が擦れる小さな音に合わせて前に進み始めたと同時に、メシアも語り始めた。
「許嫁たちのことは、皆、大切に思っておる。平等に接してきたつもりだったし、娶ってからも平等に接するつもりだ。…だが、もし結婚前に、特別に大切にしたいと思う女性がいることに気づいたら、その者だけを娶るだろう。その女性が許嫁でなければ、私の妻になりたいと願ってくれるよう、努力しよう」
 それを聞いて、メシアに許嫁がいることを知ってから、ずっとソフィスタの心にかかっていた靄が、スッと消えた。
 メシアには許嫁が三人いるが、必ず結婚しなければいけないわけではなく、彼女たちに対するメシアの思い入れは、それほど強いものではない。
 複数の女性を娶る気はあるが、場合によっては一人に絞る気になるかもしれない。
 一夫多妻を許され、許嫁が三人もいる上に、他にも娶ってほしいと言い寄ってくる女性も多くいるというのに、彼女たちをふって一人に絞ろうなど、きれいごとに聞こえるかもしれないし、何様のつもりだと思われるかもしれない。
 しかし、ソフィスタはメシアの答えに満足した。
 …メシアは、状況によって自分や相手の気持ちをちゃんと考えて判断しようとする気はある。そして、まだ結婚もしていないし、恋心を抱いている女もいない…。
 そう思うと、前向きな気持ちになる。メシアが一人の女性を伴侶として愛するようになる可能性と、その一人の女性になることができるかもしれないという期待を感じて、そんな明るい気分になったのだろうが、ソフィスタ自身はそれに気付いていなかった。
「…そっか」
 ソフィスタはメシアに、そっけなく言ったつもりだったが、その声が心なしか明るくなっていることにメシアは気付き、小さく笑った。
「…そういえば、許嫁の話などをしてきたが、私は女言葉になっていたか?」
「ん…いや、なっていなかったな。男として、結婚や恋愛について考えることも、乙女化を防ぐ効果があるのかな?」
「あ、そうか。もし私が誰か女性に恋心を抱いたら、その者とだけ結婚しようと考えるようになるのだな。そうか。その者が私にとって特別に大切にしたいと思う女性になるのだな」
 子供でも当たり前に知っているようなことを、メシアは今更になって納得している。ソフィスタはカクッと項垂れ、そのはずみで眼鏡が外れかける。
「さっきから、そういう話をしていたつもりなんだけど…何で今になって気付いたように言うんだ」
「う〜む、恋心か…。それとは違うと思うが、大切にしたいと思う女性なら、たくさんおるぞ。人間にだって、ソフィスタにプルティにタギに…」
 眼鏡を掛け直しながら、ソフィスタはメシアの話を聞く。
 大切にしたいと思っている人間の女性として、最初にソフィスタの名前を挙げたのは、単に一緒にいる時間が誰よりも長いからかもしれないし、今、こうしてメシアの目の前にいるからかもしれない。メシアをライバル視しているプルティや、会って間もないタギの名前も挙げているので、彼の言う「大切にしたいと思う女性」に恋愛的な意味が無いことも分かる。
 それでも、最初に名前を出してくれたということを、ソフィスタは嬉しく感じた。
 メシアは、明るい声で人間の女性の名前を挙げていたが、ふと、声のトーンを落とし、ソフィスタも聞いたことのある女性の名前を呟いた。
「…マリアさん…」
 押されて進む車椅子のスピードが急に緩み始め、やがて止まってしまった。
「メシア?」
 ソフィスタがメシアを振り返ると、彼は北の空を見つめており、もう一度「マリアさん…」と呟いた。その瞳は、どこか寂しそうに潤んでいる。
 どうかしたのかと、ソフィスタはもう一度メシアに呼びかけようとしたが、その前にメシアが、右手で自らの顔を包んで俯いた。
「あれ?い・いや、マリアさんは人間であるし、ひとまわりは年上で…綺麗な女性であるとは思ったが、種族が違うし…しかし…」
 しどろもどろと独りごちるメシアの緑色の頬は赤みを帯び、車椅子のハンドルに添えられている彼の左手は、落ち着きが無さそうにもぞもぞと動いている。
 そんなメシアの様子に、晴れたばかりのソフィスタの心が再び曇る。
 マリア…メシアがアーネスへ向かう旅の途中に出会ったという、人間の女性の名前。今回の旅の目的である港町ラゼアンに住む、メシアの恩人。
 以前にも何度か、ソフィスタの前でメシアがマリアという女性に思いを馳せることがあった。その時にしか見せないメシアの表情は、優しく、嬉しそうで、どこか照れているようなものであった。
 薄々とだが気づいてはいた。メシアがマリアという人間の女性に対して、どのような感情を抱いているかを。
 気のせいだと思っていたが、今のメシアの様子は、気のせいで済ませられないほど、その感情で溢れている。
「…おい、メシア!」
 ソフィスタはメシアの左手首を掴み、焦って彼に呼びかけた。メシアは右手を顔から放してソフィスタを振り向く。頬は紅潮したままで、瞳ははっきりと動揺を現していた。
「えっと…早く車椅子を押してよ。アーネスに通信を送らないといけないんだから」
「う・うむ、そうであったな」
 ソフィスタに言われた通り、メシアは車椅子を押し始めるが、車輪は真っ直ぐに転がってくれない。
「通信を送った後は、馬屋へ行って馬車の様子を見て、それから…昼食はどうしようか。通信が終わってから考える?」
「そうであるな…」
 それから通信所に着くまで、ソフィスタはメシアを動揺させている感情を忘れさせたい一心で、彼に声を掛け続けた。


  (続く)


目次に戻るTOP