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ありのままのメシア 第十一話


   ・第五章 ソフィスタ VS メシア

 メシアと出会ってから、ソフィスタは日常的に魔法を使う機会が増えた。
 バカなことをやらかしたメシアに激しいツッコミのつもりで攻撃魔法を放つ他、メシアが同居し始めてから、魔法力を動力とする冷蔵庫の中身が増えて燃費が上がった等、一日の魔法力の消費量が、一人暮らしを続けていた頃より遥かに増した。
 それは、ソフィスタの魔法力と、魔法を使いこなす技術の向上に繋がっている。
 また、魔法で動くMAゴーレムを操縦したり、人間が生み出した禁呪によって強化された魔獣と戦うなど、魔法力と深く関わっているものに接したことは、魔法使いとして貴重な経験であり、良い刺激でもあった。
 つまり、ソフィスタの魔法使いとしての能力は、メシアと出会う前と比べて伸び率が上がり、今まで徐々にパワーアップしてきたのだった。
 それに、ヴァンパイアカースや魔獣との戦いで追い詰められ、自分が把握している能力の限界を超えざるを得ない状況に陥り、そこから意地で這い上がったことで自信がつき、心身共に鍛えられた。体力と精神力も、強力な魔法を使いこなすには必要な要素である。
 魔法力、そして魔法をコントロールする技術は、今やアーネス魔法アカデミーに同期で入学した、魔法研究学部に属している者たちの中では、確実にトップである。そう、ソフィスタは自分のレベルを見究めていた。
 決して高く見積もっているわけではない。同期の生徒で、魔法を使う授業が特に多い魔法技術学部に属している者たちの中には、今のソフィスタの魔法力を上回る生徒はいくらでもいるし、ソフィスタより一年遅く入学したプルティなど、魔法力だけなら校内一である。
 まあ、頭脳明晰で実戦経験も何度かあることを考慮すれば、魔法技術学部の上位の生徒と魔法で戦うことになっても渡り合えるかもしれないが。
 それはそうと、東軍の陣地から少し離れた場所に立っているメシアは、じっとソフィスタを睨みつけている。確かに怒ってはいるようだが、それ以上に、どうやって棒の上にいるソフィスタを奪取しようかと考えているようにも見える。
 東軍の防衛手たちにしっかりと支えられた棒の上にいるソフィスタに対し、メシアは足場らしい足場も無い棒をよじ登ってこなければならない。場所的にはソフィスタのほうが有利である。身体能力が急上昇したメシアと言えど、この状況で、ソフィスタが使う多種多様の魔法に対応しきれるとは思えない。メシア自身も、そのことに気付いたのだろうか。
 …いいぜ、どんな手を使っても。持ちうる限りの様々な魔法を使って返り討ちにさせてもらうけどな!
 メシアの身体能力を調べるつもりで挑発したが、ただ肉体を駆使するだけではなく、頭も使ってソフィスタを出し抜こうとするのなら、それはそれで面白そうだ。
 それに、彼が全てを駆使してソフィスタの奪取に挑み、それをことごとく返り討ちにすることができれば、今まで溜まるに溜まった彼へのイライラも解消できよう。
 探究心を満たすため、そしてうさ晴らしのために魔法を叩き込まれるメシアの意思など全く考えず、ソフィスタはワクワクしながら、メシアが動くのを待った。
 やがてメシアは、東軍の陣地に背を向け、小走りで棒から離れていった。何か仕掛けてくるつもりだと考え、ソフィスタは魔法力を高める。
 ある程度離れたところで、メシアは立ち止まって振り返り、さらに二歩ほど後ろに下がってから、東軍の陣地へ向かって走り出した。それに気付いた東軍の防衛手たちは、メシアが体当たりをかましてくると思ったらしく、身構えた。
 しかしメシアの視線は、東軍の防衛手たちではなく、ソフィスタを捉えていた。
 メシアは片足で踏み切って跳び、棒を登る手間も、東軍の防衛を潜り抜ける手間も省いて、一気にソフィスタのもとへ到達した。
 だが、メシアの目の前に、ソフィスタの両手の平がかざされていた。メシアが地を蹴る直前に、彼の行動を察して構えていたのだ。
 ソフィスタがニィっと笑みを浮かべたことに気付く間も無く、メシアは正面から突風に襲われた。しかしメシアの体は、助走をつけて跳んだ勢いで突風に対抗する。
 攻撃魔法を喰らった上でソフィスタを奪取しようと考え、助走をつけて跳んだのだろう。そして、その行動をソフィスタに読まれることも覚悟していたかもしれない。
 彼なりに、少しは考えて取った行動かもしれないが、まだまだ捻りが足りない。だがソフィスタは、そこにメシアの強さがあるのだと、彼と一月以上の同居生活を経て知った。
 真正面からバカ正直に攻めてくる彼の行動を読めても、力が圧倒的すぎて止められない。単純な男だと思ってなめてかかると、意表をつかれてしまう。
 だから、この戦いが始まってから最初にメシアに放ったものより、威力を高めて突風を放った。意表をつかれなければ、ソフィスタの魔法だって、メシアの馬鹿力に負けてはいない。
 メシアが突風に押し負かされ、立てられた棒に沿って落ちてゆが、彼はかろうじて棒の中腹にしがみついた。それを見て、ソフィスタは次の魔法に備えるべく、魔法力を高める。
 メシアはソフィスタを見上げ、棒をよじ登り始めた。東軍の防衛手たちが、メシアを棒から引きずり下ろそうと手を伸ばし、メシアの足首を掴んだが、メシアの勢いは衰えず、逆に東軍の防衛手たちの体を引き上げて、棒をよじ登ってゆく。
 相変わらず単純な行動に見えるが、何度も同じ攻撃を喰らって撃退されるほど馬鹿ではないはずだ。そう考えてソフィスタは、今度は氷の魔法をメシアに放った。たちまちメシアの腕と脚が、ぶ厚い氷に包まれる。
 肘や膝などの関節の動きが封じられ、メシアは再び棒を支えている東軍の防衛手たちの上に落下した。
 見物人や、東軍の陣地にいる者たちは、ソフィスタが放った魔法の効果に、魔法使いからして見れば大げさに驚いていた。氷は、あくまでメシアの腕と足を覆っただけで、体の内側まで氷らせたわけではない。アーネスに住む者なら、この程度の魔法で驚くことはないだろう。
 放っておけば凍傷は負うかもしれないが、その心配はメシアには不要だった。メシアは、すうっと息を吸い込むと、氷に覆われている部分の関節を強引に折り曲げた。氷は音を立てて砕け、地面に散らばる。
 ソフィスタの魔法も、この村の者たちや山賊たちにとっては凄まじいものだったようだが、それを難なく砕くメシアの怪力も凄まじく、広場は歓声に包まれた。
「すっげー!!さすがメシア!」
「ソフィスタ姉さんも凄いっス!」
「いいぞー!どっちも頑張れー!!」
 見物人たちだけでなく、東軍の防衛手や西軍の攻撃手まで、ソフィスタとメシアをはやし立てる。どうやら西軍の攻撃手たちは、メシアに自軍の勝敗を託し、野次馬と成り果てたようだ。
 ちなみに、ソフィスタを「姉さん」と呼んだのは、昨日の精霊騒動で、一時ソフィスタに協力した山賊である。
 …うるせえな。静かにしろよ。
 軽く攻撃魔法を放って黙らせてやりたかったが、メシアのと戦闘が持久戦になった場合を考えると、余計に魔法力を消費したくない。それに、すっかり盛り上がっている連中全てを黙らせるには、相当な魔法力を消耗することになるだろう。
「わはははははははははは!!!!」
 突如、真下から野次を吹き飛ばすほど大きな笑い声が上がり、ソフィスタはビクッと体を震わせた。棒の下を見下ろすと、再びメシアが東軍の防衛手をぶ ら下げて棒をよじ登っていた。
 先程よりも勢いが良く、しかも、頭からネジが一本飛んで壊れたように笑いながら。
「あははははっ!ソフィスタぁ――――――!!」
「うわあぁぁぁぁぁ!!!」
 メシアの異様な迫力に、ソフィスタは思わず悲鳴を上げて、破壊力を帯びた光球をメシアに向けて放った。メシアに対して使い慣れてしまった攻撃魔法である。
 メシアは真正面から攻撃魔法を受け、その直前まで笑っていたため、「わははあぎゃぁっ!!」と愉快な悲鳴を上げた。そして、ぶら下げていた東軍の防衛手たちと共に、棒から落下する。
 目を回しているメシアを、東軍の防衛手たちが棒から遠ざけている間に、ソフィスタは、驚かされて激しくなった動悸を落ち着かせようとする。
「わっはっはっはっ!!楽しいなあ、ソフィスタ!」
 メシアに笑いながら名前を呼ばれて、ソフィスタはメシアを見下ろす。地面に尻を着き、上半身だけ起こした体勢で、メシアはソフィスタを見上げていた。
「お前とは、協力して戦ったことなら幾度かあるが、こうして、お互いの力をぶつけ合うことは初めてではないか?ちょっとおかしな状況ではあるが、私はとても楽しいぞ!」
 メシアは、この戦いを、子供が友達と競い合って遊ぶような感覚で楽しんでいるようだ。西軍の仲間たちや見物人に楽しそうに応援されて気持ちよくなり、テンションが上がってしまったからだろうか。
 しかし、そんな楽しそうなメシアに対し、ソフィスタの中にムカムカしたものが込み上げてきた。
「はあ!?バカじゃねーの!何が楽しくて笑ってんだ!」
 メシアよりは劣るが、ソフィスタも声を張り上げてメシアに怒鳴りつける。いかにも苛立っているソフィスタの声を聞いて、メシアは笑いを止めるが、なぜソフィスタが怒っているのか分からないとばかりにキョトンとしている。
「楽しいから笑っているのではないか!お前こそ、何を怒っているのだ!私が楽しんでいては悪いのか!」
 メシアは立ち上がり、やはり声を張り上げる。周囲は騒がしく、地上のメシアと棒の上のソフィスタでは距離もあるので、大声を出さなければ会話ができない。
「うるせえ!!人の気も知らないで、ヘラヘラしやがって!!」
「だから!私はそれを聞いているのだ!!何があって機嫌が悪いのか教えてくれなければ、私としてもどうしようもないではないか!!」
「それは、お前がマリアって人を…」
 自ら口走ったことに気付き、怒りに任せて怒鳴っていたソフィスタは、我に返って口を噤んだ。
「マリア?マリアさんが、どうかしたのか!!」
 メシアに尋ねられ、さらに女性の名前を出してしまったせいで痴話ゲンカと思ったのか、東軍の陣地にいる者たちや見物人たちが好奇の目でソフィスタに注目している。ついマリアの名を出してしまった自分の失態を、ソフィスタは心の中で激しく糾弾する。
「おーい!マリアさんと、お前が怒っていることの何が関係していると言うのだ!おーい!!」
 そんなソフィスタの気も本当に知らず、メシアはデリカシー無くソフィスタに呼びかける。しかも、マリアの名を聞いて気になって仕方がないといった感じに。
 せっかく我に返ったソフィスタに、再び怒りが込み上げ、心が乱されてゆく。
「黙れ!!てめェがそんなんだから、こっちは怒っているんだ!!」
「私の何が、お前を怒らせていると言うのだ!そもそも、今日の昼頃から、お前は様子がおかしいぞ!筋肉痛で動けなくて苛立っているのだと思っておったが、そうではないのか!?私に原因があるのなら、教えろ!」
 ただ怒ってメシアを責めるばかりのソフィスタに、メシアも腹を立ててきたようだ。声に、はっきりと怒気が表れている。
 しかしソフィスタは怯まず、むしろこっちが理不尽な怒りをぶつけられている気分になり、苛立ちは増す一方であった。
「知るか、そんなもん!!」
「怒っている理由が、自分でも分からぬのか!!」
「お前のせいだってことは、よく分かってるよ!!」
「だが、私の全てが悪いというわけではないのだろう!私の全てが嫌いだからというわけでもないのだろう!!」
「それはっ…」
 メシアの言葉に、ソフィスタは愕然とした。
 メシアに問われ、嫌いだとは答えられなかった。違うと答えてしまいそうだった。そんな自分に、ソフィスタは気付かされてしまった。
 子供が、本来親しい友人や家族とケンカをして、思わず嫌いだと口走ってしまうように、それでもメシアを嫌いだとは言えなかった。
 メシアが言う通り、彼の全てが嫌いなわけではない。照れがあるため面と向かっては言えないが、メシアのことは、おそらく誰よりも信頼している。そうでなければ、いくら研究のためでも同居生活を続けていられなかっただろうし、昨日と一昨日のように、命懸けで彼を助けようともしなかっただろう。
 メシアを信頼している。だから嫌いではない。しかし、ソフィスタの言葉を詰まらせたのは、もっと決定的な何か。
 何も答えないソフィスタに業を煮やしたのか、メシアが大声で言い放った。
「いいか、ソフィスタ!私は、お前のことが大好きだ!!!」
 いきなり言われて、ソフィスタは動揺させられるが、彼のことだから仲間意識のような意味で好きだと言ったのだと考え直した。
 …って、それ以外の意味があるほうを、アイツが言うわけないだろ!何を期待して動揺したんだ!い・いや、何も期待してなんて…。
 メシアの発言を愛の告白だと勘違いをした者たちがどよめく中、メシアはさらに続けた。
「お前と出会って間もない頃は、ただ罪人だと憎んでおったが、共に生活し、命を預け合って戦った仲として、今では信頼しておるし、友達や家族のような親しみも感じておる!!」
 ソフィスタが照れがあって言えないことを、メシアは堂々と言ってのけた。彼の、こういう面を、ソフィスタはつくづく苦手だと思う。
 そして、先程の「大好きだ」が恋愛的な意味ではないことも、きっぱりと言い切ったメシアに、分かってはいても、どこかの血管が膨れて浮き出る思いだった。
「お前が私のことを嫌っているわけではないと信じてもいる!お前が、いくら私を化け物だのゲテモノだの妖怪だの気色悪いだの爬虫類の突然変異だの言おうとも、私を蹴り飛ばしたり殴りつけたり魔法で吹っ飛ばしたり三階から突き落としたりしようとも、それが本心からだったとは…本心だったかもしれぬが、それでもかまわぬ!それが全てだとは思っておらぬ!!」
 ソフィスタから受けた仕打ちを、よくもまあ述べたものだ。おそらく、根に持っていたのだろう。いや、根に持たれても当然な仕打ちではあるが。
 村の住民や山賊たちが、「うわぁ」や「怖っ」などと言って、ソフィスタを見上げている。一部ソフィスタも忘れていた暴力暴言を暴露され、さすがにソフィスタも恥ずかしくなって、メシアを睨んだ。
「こ・こんな所で言うことかよ!!てめェは、あたしに何を言いたいんだ!!」
「お前が、私にどんな態度を取ろうが、私はお前から離れるつもりは無いということだ!魔法生物を作り出す技術を捨てさせるという使命を果たすためだけではない!お前と一緒にいることが、私は楽しいのだ!もっと一緒にいさせてほしい!それが、今の私の気持ちだ!!」
 聞きようによっては愛の告白とも取れるメシアの言葉を、ソフィスタは真に受けたつもりはないのに、胸が熱くなるのを感じた。
 友達や家族のようにしか、ソフィスタはメシアに思われていない。メシアが、マリアという女性のことを気にしているのも知っている。なのに、メシアの言葉を真に受けてしまったように、頬が熱を帯び、指先が落ち着き無く震えるのを止められなかった。
 一緒にいることが楽しい、もっと一緒にいさせてほしいというメシアの気持ちが、嬉しくてたまらない。意地を張って否定できないほど、喜びが込み上げてくる。
 ヒュブロ城で、人間の姿をしていたメシアに「貴女が傍にいて下さって、本当によかった」と言われた時に湧き上がったものと同じ感情が、ソフィスタの中に蘇っていた。
 …あの時、あたしは確かに認めた。あの気持ちが何だったのかを。赤い髪の騎士に、強くて真っ直ぐで優しい心は何も変わっていなかったメシアに、どんな感情を抱いていたのかを…。
 ソフィスタが言葉を紡ぎ出せないでいると、メシアが口を開いた。
「そうだな…せめて、お前が伴侶を持つまでは一緒にいさせてくれ!!!」
 ソフィスタだけでなく、広場にいる者たちのほとんどが、心の中で、もしくはリアルにずっこけた。メシアの近くにいた東軍の防衛手や西軍の攻撃手など、「余計なことを言うなよバカ!!」と言って、メシアを肘や足でどついている。
 人をときめかせておきながら、それこそ赤い髪の騎士が正体を明かした時のように、悪気無くソフィスタの気持ちを裏切るメシアのデリカシーの無さに、ソフィスタの怒りは頂点に達した。
「だからテメェは腹立つっつってんだ―――――!!!!」
 メシアに向けて両手をかざし、そこに破壊力を帯びた光球を…今までのと比べるとひときわ大きい光球を生じさせ、叫ぶと同時に放った。メシアの周囲にいた者たちは、わらわらと逃げ出し、メシアも一瞬遅れて横にダイブして光球を逃れる。
 光球は、地面に触れると爆発音を上げて地面を抉り、広場中に土砂を撒き散らした。
「な、何だ?まだ怒っているのかソフィスタ!」
 何も分かっていないメシアは、ソフィスタの魔法によってできたクレーターのそばに立ち、ソフィスタを見上げる。
「まだもなにも、お前はさっきから、あたしを怒らせっぱなしじゃねーか!!」
「そんなつもりで気持ちを伝えたわけではないのだが!伝わっておらぬのか!!」
「あー伝わったとも!!伝わりすぎて、こちとら怒り心頭だ!!」
「何故に!?私が言ったことの、何がいけなかったのだ!!」
「黙れ!てめェで考えろ!!」
 ソフィスタが再び、メシアに向けて光球を放つと、メシアは棒へと向かって走り出して、それをかわした。
「ええい、この傍若無人の怒りんぼめ!!」
「うるせー!!この単細胞の走光性!!」
 ぎゃーぎゃーと言い合いながら、ソフィスタは攻撃魔法を放ち、メシアは棒に飛びつく。東軍の防衛手たちは、敵であるはずのメシアを止めようとせず、「行けー!」とか「登れー!」などと言って、メシアの体を押し上げている。
 もはや西軍も東軍も、村の住民も山賊も関係なく、広場にいる者たちは一心同体となってメシアを応援していた。重傷を負って村に運び込まれ、目を覚ましてから一日も経っていないというのに、メシアと特に会話をしていない者たちまで、彼の味方になってしまったようだ。
 これも祭りの熱気のせいだろうか。それともメシアの、獣人たちを圧倒する馬鹿力と、良くも悪くもありのままの心をソフィスタに語った馬鹿正直ぶりが、人々の心を掴んだのだろうか。
 何なんだ、この状況は。そう、ツッコミを入れたい気分であったが、棒をよじ登ってきたメシアに足を掴まれそうになったので、ソフィスタは、その手に光球を叩きつけてやった。
 メシアは両足で、がっちりと棒を挟んで体を支えていたため、手に攻撃魔法を受けても落下はせず、再び腕を伸ばしてきたが、ソフィスタは魔法で光の幕を生じさせ、自身と棒を包み込んだ。
 魔法や物理的な攻撃を防ぎ、触れた者を弾く効果のある、防護結界である。メシアの足も防護結界に弾かれ、魔法が及んでいない棒の下の部分を支えている東軍の防衛手たちの上に落ちた。
「ドンマイ!諦めるな!!」
「男を見せろ!!」
 東軍の防衛手たちが、メシアの体を受け止め、激励する。
 …まったく!あのヤロウは、どんだけあたしの調子を狂わせりゃ気が済むんだ!
 メシアの身体能力と魔法への耐性を調べることが目的であったのに、今のソフィスタは、その目的を見失っていた。
 メシアがマリアの名前を出した時から溜まっていったうっぷんを晴らすつもりで攻撃をしかけたのに、メシアの正直すぎる言動に、一度怒りのピークを通過すると、急に毒気を抜かれ、うっぷんもどこかへ消えてしまったような気がする。
 何度も同じ攻撃を喰らって撃退される馬鹿と成り果てても諦めずに迫ってくるメシアと、騒ぎながら戦っている今も、全く怒っていないわけではないのだが、なんとなく楽しい気分でもあった。
 もはや彼に対し、怒っても無駄だと諦めかけているのかもしれない。
 そして、今まで否定してきたメシアに対する感情を、これまたメシアによって否定しきれなくなるほど明るみに引き出され、もうどうにでもなれとヤケになっているからかもしれない。
 単細胞の走光性。悪口のつもりでメシアに言ったことは、あながち間違いではない。
 深く考えもせず、己の感情がままに本能のままに、ソフィスタの中に光を見つけ出し、それに向かって突っ走り、拒もうとしても止まりやしない。
 ソフィスタ自身は、自分の中に光などという前向きな表現が似合うものなど存在していないと思っているが、メシアは光があると信じ、僅かでも見えたと思ったら、それを決して逃さず、走って走って走り続け、障害をぶち破り…具体的に言うと、ソフィスタの魔法攻撃を潜り抜け、棒を包む防護結界を殴り続け、ついに防護結界を消し去った。
 攻撃が強力であればあるほど、それに反発する力を働かせようとして、防護結界はソフィスタが込めた魔法力を消費する。その魔法力が底をつき、防護結界を維持できなくなってしまったのだ。
 メシアがソフィスタを見上げ、「わはははは!どうだー!!」と高らかに笑った。急に笑い出して棒をよじ登ってきた時のテンションが蘇っているようだ。
 …勝ち誇った顔しやがって!お前は、いつもそうだ!深く考えもせず、本能と馬鹿力にまかせて、あたしのテリトリーにずかずか入ってきやがって!!
 人間不信で頭脳派のソフィスタにとって、心理的にも物理的にもストレートなメシアは、苦手なタイプの象徴のようなものだった。
 だからこそ…自分に無いものを持ち、自分が持っているものでは太刀打ちができないメシアだからこそ、ソフィスタの調子を狂わせ続けてきたのだ。そしてついには、決してありえないと思っていた感情を、ソフィスタに抱かせた。
 マリアの名前を出し、頬を赤らめるメシアを見てから湧き始めた怒りだって、その感情があるからこそのものだった。
 ユドとの戦いの中で、恐ろしい姿となって暴れ狂うメシアの姿を見た時、元のメシアに戻って欲しいと強く願ったのも。
 重傷を負ったメシアを早く治すために、薬を探しに行くことを決意したのも。
 打算や仲間意識も、確かにあった。だが、一番ソフィスタを突き動かしていたものは、ずっと否定し続けてきた、この感情。
 防護結界が消えた棒をよじ登ってきたメシアに、ソフィスタは攻撃魔法を放とうと、右手を高々とかかげ、そこに光球を生じさせた。
 しかし、その腕を振り下ろし、光球をメシアに放たんとした、その瞬間、光球が急速に萎み、ポンッという小さな音を立てて消えた。
 …もういい。怒ったって、この馬鹿は何も変わらない。否定したって、あたしの気持ちは変えられない。
 魔法の力は心の力。攻撃魔法を何度喰らっても這い上がってくるメシアに、いくら拒もうとしても乱されてしまう自分の心に、もはや足掻いても無駄だと、すっかりやる気が無くなってしまい、集中力が途絶えてしまったのだ。
 …こいつに許嫁が何人いても、感覚がズレていても、マリアって人のことを気にしていても、あたしの気持ちは変わらなかった。むしろ、膨らんでしまった。
 てっきり光球をぶつけられると思っていたメシアは、一瞬不思議そうな顔をするが、すぐに好機と捉え、振り下ろされたままのソフィスタの右手を掴んだ。
 …常識外れで、デリカシーが無くて、暑苦しくて…。それでも、あたしはお前のことが…。
 正面からソフィスタを見つめ、メシアはニヤリと笑った。
「私の勝ちだ、ソフィスタ!」
 そしてソフィスタも、自然と肩の力を抜き、笑みをこぼした。
「ああ。あたしの負けだよ、メシア」
 腕を引かれる力に逆らわず、ソフィスタはメシアに体を引き寄せられ、彼の肩にあごを乗せる形で抱きすくめられた。
 …負けたよ。あたしは、メシアのことが好きなんだ。


 *

 途中からメシアとソフィスタの痴話ゲンカで盛り上がっていた、この夜這い祭りは、結果的に東軍の勝利となった。
 メシアがソフィスタの奪取に苦戦している間に、東軍の攻撃手であるバディルゾンが、西軍の陣地の棒の上にいる少女を奪取することに成功したのだった。
 東軍の陣地が盛り上がりすぎて目立ってはいなかったが、少女の奪取に成功した山賊バディルゾンは、いかにも山賊らしく悪そうに笑って喜んでいた。彼の、カマイタチ三兄弟秘伝の薬を使った副作用による乙女化は、すっかり消えたようだった。
 奪取された少女のほうは、そんなチョイワルオヤジなバディルゾンに、うっとりしていたとかいなかったとか。しかし、近々バディルゾンら山賊たちは、ひとまず王都ヒュブロへ護送される予定なので、二人の恋が始まるにしても、当分先のことになりそうである。
 そしてメシアも、女っぽい仕草や発言も出なくなったし、一昨日の夜から昨日の夜にかけて、ベッドの上でぐったりとしていたので、楽しく体を動かすこともでき、自分の気持ちをソフィスタに伝えることもできたので、心身共にスッキリした気分だった。
 ソフィスタも、メシアへの恋心を認めたことで、だいぶ気持ちが楽になった。
 ずっとイライラしていたソフィスタが、何やら吹っ切れたような顔をしていることに気付いたメシアは、怒っていた理由は分からないままではあるが、ひとまず安心した。
 こうして、夜這い祭りという名の棒倒しは終了し、その打ち上げで、広場は宴会場と化した。元々、村長はカマイタチ三兄弟を救ってくれたソフィスタのために宴を開くつもりであったので、席も料理もたっぷりと用意された。
 村の住民たちと山賊たちは、酒も入って気分が良くなり、祭りを通じてすっかり打ち解けていた。山賊たちは元々、そんなに悪党ではなかったのだろうか。
 今回の夜這い祭を大いに盛り上げたメシアとソフィスタも、広場で人々にひっぱりだこにされた。メシアはまだまだ元気であったが、ソフィスタのほうは、魔法力を消耗したことと、こういう賑やかな場所が苦手なこともあって疲れてしまい、この朝まで続きそうな勢いの宴会を、メシアと共に抜け出した。

 メシアとソフィスタは、村の診療所へ戻り、預けておいた荷物と、念のため荷物番をさせていたルコスを回収し、今晩は村の宿で休むつもりだったが、山賊たちの手当てをしていた女医のステビアが「これから宿を取りに行くのも面倒でしょう。今日も泊まっていきなさいな」と勧めてくれたので、彼女の厚意に甘えることにした。
 風呂でざっと体を洗い、メシアとソフィスタは、昨晩と同じ病室で、それぞれのベッドに横になった。隣の病室にいる山賊たちのいびきは、昨日より静かになっている。なんでも、歩けるほど傷が回復した山賊は、宴会場へ行ってしまったらしい。
 メシアはソフィスタに、なぜ今日は機嫌がコロコロと変わっていたのか尋ねたかったが、こうして一緒の部屋に泊まり、隣のベッドで静かな寝息を立てている様子を見ると、まあその必要も無いかと考え直してしまい、明日の旅立ちに備えて眠りに付くことにした。


 *

 翌日、ソフィスタとメシアは、朝早くから出発の準備を始め、村の住民たちの協力もあって、昼前には準備が整った。
 二人がヒュブロへ発つという話は村中に広がっており、馬車で移動を始めようとする頃には、村の住民の多くが見送りに来た。
 警備のアザミ。女医のステビアと、その夫のニレ。最初は厳しい態度であったが、今ではすっかり友好的になった村長。そして、自称三姉妹の、カマイタチ三兄弟。夜這い祭りでメシアと共に戦った者たちなど、わりと親しくなった面々が前列に並んでいるが、バディルゾンら山賊たちは、拘置所にいるか怪我で動けないかで、見送りには来ていなかった。
「ソッフィー。アネキとボタンを助けてくれて、マジ感謝してるし!」
「ヒュブロへ行くそうですわね。旅の無事を祈っておりますわ」
「もしまた、この村に寄ることがあれば、今度はメシアちゃんも、私たちの家に招待するわねぇん」
 ユリ、ボタン、シャクヤクは、笑顔のメシアと、ちょっと嫌そうな顔をしているソフィスタと、握手を交わした。そしてシャクヤクは、「それと、コレなんだけどぉ」と言ってソフィスタに近づき、フリル付きで花柄の風呂敷に包まれた一抱えの荷物を差し出し、ソフィスタにしか聞こえないよう、小声で話し始めた。
「あの秘伝の薬が、中に入っているわぁん。ホントはいけないんだけれどぉ、どうか受け取ってちょうだい。他の人にはナイショよぉん」
 あの秘伝の薬と聞いて、喋り方と仕草が女っぽかったメシアを思い出し、荷物を受け取ることを躊躇したが、効果は確かだし、メシアにさえ使わなければいいだろうと考え直して荷物を受け取った。
「それと、ケヤキちゃんからの餞別も入っているわぁん。ケヤキちゃんは森から出られなくて、見送りには来れないからぁ、私が預かってきたのぉん」
 確かに、荷物を触ってみると、風呂敷の中に円筒状の箱のようなものと、手の平に収まるサイズのボールのような、丸くて固いが軽い何かが入っている。
「何かは、ソフィスタちゃんになら分かるって言ってたわぁん。五百年も生きている樹の精霊の、勘かしら。アナタは、何だか危なっかしいから、コレを持っていたほうがいいって言っていたわぁん。コレも、人に渡したり無くしたりしないようにってぇん。それとぉ…」
 シャクヤクは、一度ソフィスタとメシアの顔を交互に見てから、メシアにも聞こえる声量で話を続けた。
「メシアちゃん。ソフィスタちゃんは、つっぱっていても女の子だからぁ、ちゃんと守ってあげるのよぉん」
 それを聞いて、メシアは「もちろんだとも」と頷いたが、ソフィスタは「変なことを言うんじゃねえ!!」と言って、シャクヤクの脛を蹴ろうとした。しかし、シャクヤクは一歩後に下がって、それをかわす。
「まあまあ。ソフィスタちゃんも、ムリしちゃダメよぉん。メシアちゃんのこと、信頼しているのならぁ、もっと…て、ちょっとぉ!!」
 話の途中で、ソフィスタは何も言わずに踵を返してシャクヤクに背を向け、さっさと馬車の馭者台に座って手綱を握った。
「おい、ソフィスタ!せっかく皆が見送りに来てくれたというのに、ちゃんと挨拶もできぬのか!」
 メシアは馬車に駆け寄ったが、ソフィスタが馬車を走らせ始め、意図的なのか運が悪かったのか、メシアは足を馬車の車輪に轢かれた。メシアは「あぎゃあっ!」と悲鳴を上げ、その場で片足でピョンピョンと跳ね回って痛がる。
「もおっ!ソフィスタ様ったらあ!」
「ちょっと、メッシー!大丈夫!?」
 ボタンとユリに心配されている間に、馬車は村の出入り口を通過していってしまった。
「待て!ぬう、なんてヤツだ!!」
 メシアは、見送りに来た者たちに、「このたびは、本当に世話になった。短い間ではあったが、ここで楽しく過ごした日を忘れはせぬ」と述べてから、もう足の痛みも消えたかのように走り出して馬車を追った。
 メシアのタフぶりに呆れつつも、この元気が良くて純真な青年と、捻くれ者だが憎めない少女の旅の無事を祈り、エリクシア村の住民たちは、大きく手を振って二人を見送った。


 *

 村を囲む森を出て、王都ヒュブロへと続く街道に入ると、やっと旅を再開できた気分になって、ソフィスタは、やれやれと息をついた。
 エリクシア村へは、旅を始める前から寄るかもしれない程度に考えていたが、まさか三泊もすることになるとは思わなかった。
 しかし、無駄に時間を過ごしたとは思っていない。樹齢五百年の樹に宿る精霊との出会いは貴重な経験だし、イヤな副作用はあるが効果は確かな薬も手に入った。アーネスに戻ったら成分を調べてみたいものだ。
 それに、ヒュブロ城で人間の姿をしていたメシアに初恋を果たしてから蓄積していったモヤモヤしたものが、全て消えたとまではいかないが、かなり解消できた。
 何気なく空を見上げると、水の上に白い羽を浮かべたように、真っ青な空に小さな雲が漂っていた。
 …認めてみると、楽なもんだな。…いや、本当は認めたかった。メシアが好きだと認めた上で、メシアと一緒に過ごしたかった。
 車両の隣を歩いているメシアを見遣ると、彼はエリクシア村へと続く細い道を振り返り、遠く離れてゆく森を眺めていた。
 …メシアは、マリアって女の人のことが好きなのかもしれない。あたしは、まだ会ったこともないソイツに嫉妬していた。…こんな暑苦しいトカゲ男に恋心を抱いたってだけでも、改めて考えてみると信じられないってのに、メシアより一回り年上の女性に嫉妬するだなんてな…。
 しかし、マリアがメシアのことをどう思っているのかは、まだ分からないし、メシア自身も知らなさそうだ。ソフィスタも、マリアのことはメシアから少し話を聞いただけで、よく知りもしないし、メシアに詳しく聞きだす気にはなれない。現時点では、メシアがマリアを好きだと知っても、どうにもできないし、どうにかしたいとも思わない。
 正直、メシアのことが好きだからと言って、彼とどうなりたいのかは、自分でも分からない。メシアの気持ちが、他の女に向けられることは嫌うが、自分に向いて欲しいと強く願ってもいない。
 メシアが、まだソフィスタと一緒にいたいと言い、慣れてしまった今の関係がまだ続くのだと思うと、それに甘え、それ以上の関係を求めようとしないのかもしれない。
 人間不信で恋愛経験も無いため、いざ恋沙汰になると、臆病になってしまうのかもしれない。
 …でもまあ、今まで恋なんてしたことも無かったし、仕方ないっちゃ仕方ないよな。それに、マリアって人に会えば、これから自分の気持ちにどう向かい合っていけばいいかも、決まるかもしれない。
 メシアがソフィスタの視線に気付き、「何だ?」とソフィスタを振り向いた。ソフィスタは「なんでもない」と視線を逸らす。
 この旅の目的は、ホルスが奪った校長の帽子を取り返すこと。ホルスが何のつもりでソフィスタとメシアを指名し、ラゼアンへ来いと言ったのかは知らないが、そのラゼアンに、マリアはいるのだ。
 ここからラゼアンまで、ヒュブロを経由し、順調に進めば二日後には着く。
 …二日しか無いけど、マリアに会うまでは…今のままの関係でいいか。
 もう一度、ソフィスタは空を見上げた。
 すると、漂っていた小さな雲が、少し薄くなっているように見えた。


  (終)

あとがき


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