目次に戻るTOP

ありのままのメシア 第十二話


 メシアの両親は、メシアが生まれてすぐに、不慮の事故で命を落とし、その遺体は回収できなかったという。
 両親の顔も名前も分からないメシアは、育ての親で格闘技の師でもあるゼフに、自分の両親について、いろいろと尋ねた。
 両親の名前、姿、性格、結婚した経緯、メシアが生まれた時の様子、不慮の事故とはどのようなものだったのか。思いつく限りの質問をゼフに投げかけたのだが、両親が高貴な血族であるということ以外は「大きくなったら教えてやる」と言って答えてくれなかった。
 他の大人たちに尋ねても、ゼフと同じような答えが返ってきた。さらに、年上の子供にも尋ねてみたが、ある者は大人たちと同じように答え、ある者はメシアの両親のことを全く知らないと答えた。
 幼いながらも、メシアは疑惑を抱いた。
 なぜ、仲間たちはメシアの両親について、ほとんど教えてくれないのか。
 なぜ、高貴な血族であるということだけ答えてくれたのだろうか。
 せめて名前くらいは教えてくれてもいいのにと拗ねたメシアは、ならば自分で調べようと思い、亡くなった仲間たちが埋葬されている場所へ行った。
 集落とは離れた森の中にある、小高い丘。亡くなった者たちは、この場所に埋葬される。
 遺体を回収することができなかった者は、奥にある大きな墓石に名前を刻まれることになっている。ここに両親の名前が刻まれているはずだと思って、メシアは調べに来たのだが、いざ探そうとしたら、刻まれている多くの名前のうち、どれが両親の名前なのか知る術が無いことに気付いた。
 一番新しく刻まれたと思われる、男性の名前が、もしかしたら父親の名前なのかもしれないと思ったが、確証は持てず、この名前が父親の名前なのかとゼフに聞いても、やはり教えてくれなかった。
 メシアは落胆し、それ以降、両親のことを調べるのはやめた。
 名前や姿を知りたいのは山々だが、他に調べる術が思い浮かばなかったし、大人たちにしつこく聞く気にもなれなかった。
 大人たちは、メシアに両親のことを尋ねられると、ほとんどが悲しそうな顔をした。特にゼフは、今にも涙を流しそうなほど辛く悲しい表情を見せた。
 墓石の名前のことをゼフに尋ねた時も、「父親かどうかは明かせないが、彼は私の親友だった」と、辛いことを思い出させてしまった。
 両親のことを調べていると、大人たちを悲しい気持ちにさせてしまう。厳しくも優しい、大好きなゼフに、辛い思いをさせたくない。
 メシアにとって、当たり前のようにいない両親を知ることより、今、目の前にいる仲間たちの笑顔のほうが大切だった。
 だから、ゼフや大人たちの言う通り、両親のことを知るのは大人になるまで待とうと、メシアは心に決めた。

 しかし、ゼフより背が高くなり、成人の儀も果たしたというのに、その時に現れた神に使命を与えられたメシアは、感動や使命感のあまり、両親のことを聞くのをすっかり忘れ、思い出した頃には既に故郷から遠く離れていた。



   ・第一章 詩の子

 王都ヒュブロに入ったのは、ほぼ夜中であった。
 以前、ノーヴェル賞授賞式典で訪れた時と警備体制は変わらず厳しいもので、しかも時間が時間なので、当然のように警備のヒュブロ兵に不審がられて呼び止められた。
 ソフィスタは、面倒くさいとは思ったが、つい最近まで、ヒュブロのティノー王子に王権が譲られることを由としない反王子派テロリストが、この王都に潜んでいたことを考えると、警備が厳しく無いほうが不安だ。
 仕方なく、ソフィスタがいつも持ち歩いている、アーネス魔法アカデミーの学生証を提示すると、ヒュブロ兵はソフィスタとメシアを歓迎し、わざわざ宿まで案内してくれた。
 宿の二人部屋で、ソフィスタとメシアは、さっさと就寝の準備を整え、明日中にはラゼアンに着くよう早めにヒュブロを発とうと話してから、それぞれのベッドで眠りについた。

 しかし朝になって、アーネスの自宅から持参した目覚まし時計のベルが鳴るより早く、ソフィスタはメシアに体を揺さぶられて起こされた。
「ソフィスタ、兵士たちが来て、城で朝食を取れなどと言っておるぞ」
「ハア?」
 どうやらティノーが、ソフィスタとメシアがヒュブロに着いたことを知り、朝食に誘ってくれたようだ。
 ノーヴェル賞受賞式典にて、ティノー王子の殺害を目論み、実行に移したテロリストたちは、ソフィスタとメシアの活躍により一網打尽にされ、ティノーの命は救われた。ティノーは、その時のお礼のつもりなのだろうが、一国の王子と食事など、ソフィスタにとっては恐れ多い以上に面倒くさかった。
 しかし、一国の王子の誘いを断るわけにもいかず、ソフィスタとメシアは身だしなみを整えると、アーネスから乗ってきた馬車は宿に預けたまま、ヒュブロ兵たちが用意してきた迎えの馬車に乗り込んだ。


 *

 ヒュブロの王宮に入る前に、城の者が用意した衣装に、ソフィスタとメシアは着替えさせられた。
 ソフィスタは白のロングドレス、メシアは紺のスーツを身にまとい、ヒュブロの王宮内の食堂へ案内され、三人で食事をするには余りありすぎる長テーブルの席に着き、上座のティノー王子と共に食事を始めた。
 いつもソフィスタの肩に乗っているセタとルコスは、ドレスに着替える前まで着ていた服と共に、別の部屋に預けられている。
 食堂は、縦も横も呆れるほど広く、どこを見ても豪華な設えであった。給仕が次々とテーブルに並べる皿は、そんな周囲の雰囲気に合わせたデザインの高級皿で、盛り付けられている料理の見た目ともバランスが取れている。
 壁際には給仕人が立ち並び、出入り口には兵士が、ティノーの側には近衛兵が控えている。食事の様子を見張られているような気分になって、メシアは落着けない。
 近衛兵が、面識のある人間であったのが、せめてもの救いだった。あのテロ騒動の最中、身を挺してティノー王子を守っていた彼は、メシアと目が合うと、優しく微笑んでくれた。
 ソフィスタも、少し落ち着きが無かったが、それは周囲の雰囲気より、メシアが何かしでかさないか不安だからであった。
 前々から、ソフィスタはメシアに、人間の食事の作法を教えていたが、王宮で王子様との会食を想定して教えてなどいない。しっかりとした作法を心得ているソフィスタやティノーから見れば、メシアの作法は、まだまだ拙かった。
 しかし食事を始める前に、メシアに完璧な作法は無理であるとソフィスタがティノーに話し、ティノーはそれを許してくれたし、拙いながらも一生懸命なメシアの気持ちが伝わってか、ティノーはメシアの食事の様子を、むしろ微笑ましく眺めていた。
 ティノー王子の人柄か、異種族に寛容な国柄か、ソフィスタとメシアが国の恩人だからか。しかし、そんな大らかな王子と、拙い作法のメシアに、給仕人と兵士は眉を顰めていた。
 こうして食事を進める中、ティノーはソフィスタとメシアに、ヒュブロの近状等を話した。
 ティノーの実の叔父でありながら、反王子派テロリストの主犯であったハバルは、国外にある監獄で終身刑となったそうだ。
 親しく思っていた叔父に命を狙われたティノーの、そのショックは計り知れないが、それよりティノーの父親のほうが重体だそうだ。病気で療養中に、実の弟に実の息子の命を狙われ、さらに体調を悪くしたらしい。
 テロリストたちや、ハバルが放った魔獣によって荒らされた城の修繕と、まだ不安を拭いきれない民衆を抱えての政治、父の心を支えるために顔を見せに行くなど、とにかくティノーは多忙な日々を送っているそうだ。
 ソフィスタも、ヒュブロに立ち寄った経緯を「アーネス魔法アカデミーの校長から、港町ラゼアンへ行って特注の帽子を貰ってくるよう頼まれたついでに、ラゼアンに住むメシアの恩人を訪ねる旅の途中」と説明をした。
 具体的には、ホルスという謎の少年に帽子を奪われ、返してほしければラゼアンまで来いと言われたからラゼアンへ行くことになったのだが、そこまで話すと説明が長引きそうなので、その辺りは省いた。

「ところで、ラゼアンで用事を済ませたら、また王都へ寄るんだよね」
 デザートも食べ終え、食後のお茶を楽しんでいると、ティノーがソフィスタに、そう尋ねてきた。ソフィスタは、手に取っていたティーカップを、テーブルに置かれている受け皿に戻してから、「はい」と答える。
「ラゼアンには、どれくらい滞在するのかい?…いや、七日後にヒュブロの劇場で、我が王宮楽士団が演奏を務める劇を見に行く予定が入っているんだ。アーネス魔法アカデミーの教師、アズバン…といったかな。彼の友人もバイオリン奏者として参加するから、良かったら、一緒にどうだい?席もこちらで用意するよ」
 それを聞いて、ソフィスタとメシアは瞳を輝かせた。
 ソフィスタは、演劇にはあまり興味は無いが、音楽を聴くことは好きなほうだ。それも、ヒュブロの王宮楽士団と言えば、名のある演奏家を何人も抱え、その演奏技術は、世界に数ある楽士団の中でも頂点であるとされている。そんな楽士団に、バイオリン奏者として加わっている以上、アズバンの友人も、かなりの腕前なのだろう。
 楽士団の演奏なら、ノーヴェル賞受賞式典会場でも聴いたことがあり、ピアノを習っていたことがあるソフィスタには、その演奏の素晴らしさが、よく分かった。
 以前、アーネス魔法アカデミーの音楽室で、ソフィスタのピアノの演奏に聴き惚れていたメシアも、王宮楽士団とやらの、まだ聴いたことの無い演奏に興味を持った。
 …でも、ティノー王子と一緒ってのが、面倒だな…。
 一緒に食事をして、よく分かったが、ティノーはかなり気さくにソフィスタとメシアに接してくれている。まだ若く、歳も近いからだろうか。
 しかし、王子は王子。彼と一緒にいる間は、とにかく言動には気を付けなければいけないし、何より目立ってしまう。
 迎えの馬車も豪華だったし、朝早く、まだ人が外で活動を始める時間帯では無かったから良かったものの、正直、かんべんしてくれとソフィスタは思っていた。
 それに、王都ヒュブロが観光地として人の出入りが多いことを考えると、問答無用でメシアに襲い掛かってきたユドのようなエルフに遭遇する可能性もある。
 …ユドには、メシアの人間姿まで見られている。あれから、まだ四日しか経っていないから、エルフ全体に情報が伝わっているとは思わないけれど、今後も用心しておいたほうがよさそうだな…。
 あれこれとソフィスタが考えている間も、ティノーは話を続ける。
「テロリストの件で、ここのところ城にこもりきりだったから、少しずつ外へ出るようにして、民と触れ合う時間を作らないとね。ちなみに演目は、フェザーブーツ劇団による"詩の子"だ。毎年、この時期には"詩の子"を公演するのが劇団の恒例となっていて、七日後の公演が、その初日となるんだ」
 "詩の子"と聞いて、ソフィスタは思わず「詩の子?」と聞き返してしまいそうになったが、失礼だと思って堪えた。しかしメシアは堂々と「ミケネコ?」と聞き間違えて聞き返し、ソフィスタと給仕人たちには睨まれ、ティノーには「プフッ」と吹き出して笑われた。
「三毛猫か…それはそれで興味が沸くが、そうではなくて、"詩の子"だよ。ウ・タ・ノ・コ。メシア君は知らないのかな。それじゃあ、フェザーブーツ劇団も知らないかい?」
 フェザーブーツ劇団は、ここグレシアナ大陸の各地で公演を行っている劇団で、アーネスでも公演が行われたことがあるそうだ。
 ソフィスタは、アーネスへ越してくる以前に、何度かフェザーブーツ劇団の公演を見たことがある。しかし、ソフィスタが気になっているのは、劇団ではなく、演目のほうであった。
「"詩の子"は、"魔力の王妃"と"証の神"の悲恋とも呼ばれる、西のトルシエラ大陸から伝わった、作者不明の物語ですね。フェザーブーツ劇団も、存じております」
 ソフィスタが、そう言うと、ティノーは嬉しそうに語り始めた。
「そうそう。あの不思議な物語には、私も興味があってね、毎年劇場へ足を運んでいるんだよ。私の部屋にも、内容が原本そのままの本があるんだ」
 物語の内容も存在も全く知らないメシアは、ティノーの話についていけなかった。
 一方、ソフィスタのほうは、過去に"詩の子"について、かなり調べていた頃があった。
 架空の世界で繰り広げられる、一組の男女の悲恋。物語自体は決して長くはなく、内容も特に難解なものでもない。
 しかし、この物語は、二千年以上前の時代を生きた人間が作った、神話と呼べる内容のもので、作者が不明であることも含めて不思議な点が多く、考古学的にも注目されている。
 神の存在について調べていたソフィスタにとっても、"詩の子"は興味深く、アーネスの図書館で、関係する書物を探して読み漁ったこともある。
 …劇を見て、改めて内容を確認するのも、悪くない。でも、ホルスが素直に帽子を返してくれるとは思えないし、ラゼアンに何日滞在することになるかも分からない。王子と一緒ってのも面倒くさそうだし、どうしようかな…。
「…まあ、まだ七日後の話だし、すぐに答える必要は無いさ。君たちの旅の都合もあるし、席は当日に手配することも可能だから、今度ヒュブロに寄った時に、劇を見に行きたかったら声をかけてくれ」
 ソフィスタの考えあぐねる様子に気付いたティノーが、そう言って話をまとめてくれた。
 一国の王子に、ここまで気を使われてしまうと、申し訳ない気分になってもいいものだが、ソフィスタはティノーの配慮に気付きながらも、面倒くさいことから解放されたと考えていた。
 感謝の気持ちが全く無いわけではないが、それより自分の都合を優先しているソフィスタは、ティノーに「身に余るご高配、まことに恐れ入ります」と、表向きは丁寧に礼を述べて頭を下げた。
 メシアも、ソフィスタに倣って頭を下げたが、こちらはしっかりと感謝の意がこもっていた。


 *

「ソフィスタ。ティノーが話しておった、ウタノコとは、どのような物語なのだ」
 宿へと向かう馬車の中で、メシアは、向かい合って座席に座っているソフィスタに、そう尋ねた。
 二人とも、城へ向かっていた時の服装に着替え、ソフィスタの肩にはセタとルコスも乗っている
 珍しくて美味しい料理を、たっぷりと味わえたメシアは、機嫌が良く、声もはずんでいたが、ソフィスタは眠そうにうつむき、メシアに声をかけられるまで黙っていた。
「…"詩の子"は、二千年以上前に作られたとされている物語で、はるか昔、人間と神が争っていた時代が、物語の舞台だ」
 そう話して、ソフィスタは欠伸をする。
「人間と神が争っておったのか?」
「そう。ま、架空の世界の話だから、何でもアリなんだよ。…昔、実際に起こった人間同士の戦争を、神と人間の争いに例えた物語という説もあるけれど、物語を作った人も判明していないし、ホントのところはどうなのかは不明だ」
「そうか。だが、人間の世界で二千年以上語り継がれているのだから、人間にとって、それだけ親しみのある物語なのだな」
「いや、そういうわけじゃないよ」
 眼鏡を外し、欠伸をした時に滲んだ涙をハンカチでぬぐいながら、ソフィスタはメシアと会話を続ける。
「"詩の子"が発見されたのは八百年ほど前で、それから徐々に広まっていったんだ」
「…作られたのは、二千年以上前なのだろう?発見が八百年ほど前とは、どういうことだ?」
「八百年ほど前、西のトルシエラ大陸にある、小さな図書館の本棚の中に、いつの間にか、その物語が記された本が置かれていたんだ。当時、その図書館の管理人が見つけて、本の材質や文字が古かったので、古い時代に詳しい学者に調べてもらったところ、その本が二千年以上前に作られたものであることが判明した。その後も、トルシエラ大陸各地の図書館から"詩の子"が記された本が発見された。物語の内容より、その不可解な点が注目されて、世に広まっていったそうだよ」
「二千年以上前に作られた物語と本が、それから千二百年ほどの時を経て、急に出現した…ということか?」
 話をちゃんと聞いてくれるメシアに、ソフィスタは気が良くなる。眼鏡をかけ直し、説明を続けた。
「そう。しかも、発見された本は全て、古い時代に作られたもののわりには、劣化が少なかった。おそらく、二千年以上前に作られてから、ずっとどこかに保管され、千二百年ほど経ってから、誰かが図書館に置いて回ったんじゃないかって噂されているんだ」
 そこまでソフィスタの話を聞くと、メシアは「むう」と唸って腕を組む。
「確かに、不思議であるな。…それで、その物語の内容は、どのようなものなのだ。ナントカの悲恋とも呼ばれているそうだが」
「"魔力の王妃"と"証の神"の悲恋だ。人間と神が争っている世界が、物語の舞台だって、さっき話したよね。元々、その世界は神々が統治していたんだけど、ある出来事で、人間が神の力を手に入れ、その力で神々を聖域から追放した。それ以来、人間と神は争うようになるんだけど、そんな中で、"魔力の王妃"と呼ばれる女と、神々の王である"証の神"と呼ばれる男が出会い…互いに恋に落ちるわけだ」
 好意を寄せているメシアに、恋物語の説明をするのに、ソフィスタは少し抵抗を覚えたが、メシアは、そんなソフィスタの気も知らずに、ただ黙って話を聞いている。
 一呼吸置いて気を取り直し、ソフィスタは説明を続けた。
「でも、"魔力の王妃"の夫…人間の王様なんだけど、ソイツが、妻の心を奪った"証の神"を妬み、殺害する。しかし、それを怒った神々が、人間の王を殺害した。神々は、復讐を誓って眠りにつき、人間たちは"魔力の王妃"を女王にして、世界を統治させた。こうして、世界は人間のものとなった。…と、ざっとこんな感じの物語だよ」
 物語の内容を一通り聞いたメシアは、「神と人間の恋物語か…」と、腕を組んだまま呟いた。
 メシアら種族が崇めている神は、大地母神イシスのみ。複数の神が存在する世界など、想像がつかなかった。
 そして、信心深いメシアにとって、俗世の者が崇高なる神に反旗を翻すなど、さらには神が俗世の者に恋心を抱くなど、とても信じられなかった。
「何か深く考えているみたいだけど、所詮はおとぎ話だ。多少は妥協して受け入れるもんだよ」
 難しく考えていることを、ソフィスタに見抜かれたメシアは、言われた通り、「人間と自分たちの種族は、信仰も考え方も違うのだ」などと考え直した。
「…その物語を、人間たちが表現するのが、舞台というものなのだな。…難しそうであるな…」
 お芝居など、子供のゴッコ遊び程度のものしか、見たことも演じたことも無かったメシアには、"詩の子"という、複雑そうな物語を表現することは、難しそうに思えた。
 そんなメシアに、ソフィスタは「そんなに難しいもんじゃないと思うけど」と言った。
「フェザーブーツ劇団が演じる劇は、"詩の子"の他にも幾つか見たことがあるけれど、中でも"詩の子"は、激しい踊りも無いし、戦う場面もほとんど無い。剣舞とかみたいな激しい動きを加える舞台と比べたら、難しそうには見えなかったな」
 難しそうには見えないと言っても、それはあくまで他の舞台と比べての動きの話。
 どんな舞台であっても、役者たちは観客の心に響く演技ができるよう、日々努力し、衣装や小道具、舞台の仕掛けなどを手掛ける裏方も、役者を引き立て、観客を沸かせるために工夫をこらし、手入れにも余念が無い。
 ソフィスタが見たことのある"詩の子"の舞台は、確かに激しい動きは少ない。しかし、素人がサラっと「難しそうには見えない」と言えるほど、プロの世界は生易しいものではないのである。
「そうであろうか。演技とは、その物語に登場する者になりきって表現することであろう。二千年以上前の時代を生きた人間が作った物語に登場する者の心情など、表現できるものなのだろうか」
 メシアの言うことは、もっともだ。作者が描いたつもりの登場人物の心情を完全に読み取ることは不可能であると、ソフィスタも、おそらく"詩の子"を演じる役者たちも分かっている。
 しかし、本が発見されてから八百年ほど、その物語が何のために作られたのか、作者の意図は何だったのかなど、多くの人間が調べてきた。登場人物の心情にも、様々な説が挙げられている。
 その説の内の幾つかを採用し、ちゃんと物語になるよう繋げ、役者の個性を生かすためにアレンジを加えるのが舞台であり、そのアレンジこそが舞台の醍醐味となることもある。
 舞台を見たことの無いメシアには、それが分からなかった。
「私だって、二千年以上前どころか、目の前にいるお前の心情を読み取ることさえままならぬ。夜這い祭りの時に、お前が怒っていた理由も、結局は分からずじまいだ」
 それとこれとは話が違うのではないかとソフィスタは思ったが、メシアに夜這い祭りの時の自分を話に持ち出されて見つめられ、思わず顔を背けてしまった。
 一昨日の夜…ヒュブロに着く前日の夜に、ソフィスタとメシアは、獣人族が多く住む村、エリクシアで、夜這い祭りという名の棒倒しに参加した。
 祭りが始まる前に、メシアに複数の許嫁がいることや、メシアが好意を抱いている女性がいることを知ったソフィスタは、嫉妬心から祭りの最中にメシアとケンカを始めた。
 メシアは、ソフィスタの気持ちに全く気付かず、デリカシーの無い言動を乱発したが、そんなメシアの姿に、ソフィスタは逆に毒気を抜かれ、何をされてもメシアへの想いが変わらないことに気付くと、怒りは冷めてしまった。
 そして、メシアが好意を寄せている女性…港町ラゼアンに住むマリアに会うまでは、今の関係のままでいいとソフィスタは考え直し、現在に至っているわけだが、夜這い祭りの最中の自分の、みっともない様子を思い出し、ソフィスタは恥ずかしい気持ちになった。
 頬が紅潮していくのが自分でも分かり、それをメシアから隠そうと、両手で頬を覆った。しかし、その動作を不自然に思ったメシアに、「どうかしたのか?」と尋ねられる。
 ソフィスタは「何でもない」と答え、さらに顔を隠そうと、背中を丸めて下を向いたが、余計にメシアに不審がられてしまった。
 メシアは立ち上がり、ソフィスタの隣へ移動する。
「…腹が痛いのか?気分が悪いのか?」
 メシアはソフィスタを心配し、背中をさすってやる。
 服越しに伝わるメシアの手の感触を、ソフィスタは敏感に感じ取ってしまい、頬はますます赤くなる。
「ま・まあ、そんなところだ。ちょっと気分が悪くて…」
 そんな自分を悟られまいと、ソフィスタはメシアに嘘をいた後、ソフィスタに好意を寄せられているなど、つゆほども思っていないメシアに、ここまで顔を隠そうとしなくても誤魔化すことくらい容易だったかもしれないことに気付き、後悔する。
「そうか。…食べ過ぎではないか?珍しい料理が多かったからな」
 自分でも言った通り、ソフィスタの気持ちを全く読み取れていないメシアは、彼女の様子を食べ過ぎによる体調不良と勘違いする。それはそれで照れを隠すことができたが、食べ過ぎと誤解されるのも、ソフィスタとしては何か嫌だし、デリカシーの無さに別の意味で気分が悪くなり、「気分が悪くなるほど食べてねーよ」と、つい荒っぽくメシアに答えてしまった。
 そういえば、今朝のソフィスタは、いつもより小食だった気もしなくはないと、メシアは思い出す。
 メシア自身も、今朝の食事量は、普段と比べると少なかった。窮屈なスーツを着せられて動きにくかったし、ソフィスタから「バカみたいに食べ過ぎるな」と注意されていたからでもある。それでも、ティノーや城の者たちから見れば、かなり食べたほうだが。
 …そういえば、ソフィスタが着ていた服も、窮屈そうであったな。
 腰が細く、年の割には胸が大きいソフィスタにドレスを着付けた者たちは、だいぶ苦労させられていた。体型にぴったりのドレスが見つからず、結局、胸の部分は締め付けられる形となり、その窮屈さは、見ただけでメシアにも分かった。
 ソフィスタが小食だったのも、慣れない服のせいだったのかもしれないと、メシアは考える。
 …もっと胸の部分に余裕ができる服は、無かったのだろうか。女性の胸の大きさの基準など、私には分からぬが、ソフィスタの体型に丁度いい服が用意できなかった以上、やはりソフィスタの胸は、人間から見ても、かなり大きいのだろう。
 ソフィスタの背中をさすってやりながら、そんなことを考えているメシアは、ふと、一つの可能性に気付いた。
 …まさか、ソフィスタは、妊娠しているのではないか?
 子供を産むことで命の尊さを知れと、今までに何度かソフィスタに提案を出しては、ソフィスタの蹴りや攻撃魔法を喰らってきたメシアだが、性懲りもなく、そんな発想に至った。
 確かに、女性は妊娠すると胸が大きくなるし、つわりで気分が悪くなり、心も体も不安定で怒りっぽくもなる。メシアも、そんな話を故郷で聞いたことがあった。
 しかし、妊娠すると日に日に食事量が増え、胎児の成長に伴って母体のお腹も日に日に膨らむ。ソフィスタの食事量は、基本的に変わらず、むしろ今朝は小食で、腹も目立って膨らんでいない。
 …だが、妊娠による体調等の変化は、すぐに現れるものではないという。そういえば以前、私がソフィスタに、妊娠したのかと聞いた時は、暴力を加えられて否定されたな。その時は、ソフィスタが気付いていないだけだったのかもしれん。私と出会ってからは、ほとんど一緒に行動しているので、妊娠するとしたら、私と出会う以前…いや、人間は愛が無ければ子供を産めないとソフィスタは話しておったし…。
 そんな勝手なことを思案されていることも知らず、頬の熱がなかなか引かないソフィスタは、取りつく島も無く困り果て、背中を丸めた状態のまま黙っていた。
 …とにかく、身重の体であるとしたら、無理をさせてはならぬ。ここは、しっかりと確認をしておくべきだ!
「ソフィスタ。正直に答えて欲しいことがあるのだ」
 メシアの口調が、あまりに真剣なものであったため、ソフィスタは、つい赤い顔のままメシアを振り返った。すかさず、メシアはソフィスタの肩を掴み、彼女を見据える。
 ソフィスタの心臓が大きく脈打ち、微かに体が震えた。
「な・何?答えて欲しいことって…」
 緊張で震える声を、どうにか振り絞ったソフィスタに、メシアは、こう尋ねた。
「生殖可能な男と性的に交わった経験は、あるか?」
「ねぇよ!!!!!」
 とんでもないことをストレートに尋ねてきたメシアの顔面に、ソフィスタは右の拳のストレートを叩き込んだ。
 とっさに出した拳の割には、しっかりと魔法で威力が高められており、メシアは後ろへ軽く吹っ飛ばされた。
 殴り飛ばしてから、思わず「ねぇよ!!!!!」とメシアの質問に答えてしまったことを、ソフィスタは後悔したが、メシアの背中が扉にぶつかり、扉が勢いよく開くと、そんな恥ずかしい気持ちを忘れて焦った。
 メシアの体が外へと投げ出され、複数の悲鳴が上がる。
「うわあっ!?」
「キャァッ!!」
 聞き覚えの無い二つの悲鳴に続き、派手な衝突音が響いた。バキッと何かが折れる音と、それがぶつかり合い、地面に落ちる音が混じっている。
 声と音に驚いた馭者が、馬を止め、馬車はメシアを落とした場所から少し離れて停止した。
「メシア!!」
 ソフィスタはメシアの名を叫び、馬車から降りた。先ほどの悲鳴と、派手な音に、嫌な予感を覚える。
 メシアは、道端に仰向けになって倒れており、周辺には、割れた板が散乱している。
 そして、倒れているメシアの下から、誰かの手足が覗き、ピクピクと動いていた。
 つい先ほどまで赤かったソフィスタの顔が、それを見て、サッと青くなった。
「うっ…ひどいではないかソフィスタ!私が何をしたと…」
 相変わらず体が丈夫なメシアは、上半身を勢いよく起こし、ソフィスタに抗議を始めようとしたが、何か柔らかいものの上に座っていることに気付き、下を向いた。
 そこには、ぐったりした様子の女性と、さらにその下には男性が倒れていた。
「あれ?お・おい、しっかりしろ!!」
 メシアは慌てて二人の上から降り、女性の肩を叩いた。
 ソフィスタも、「しまった!」と声を上げて二人に駆け寄り、メシアに手伝わせて、容態を調べ始めた。


  (続く)


目次に戻るTOP