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ありのままのメシア 第十二話


   ・第十一章 ウリスとテセネ

 "魔力の王妃"と"証の神"は、その後、世界平和に尽力しただのとナレーションを加え、第七幕で強引に終わったが、観客はなかなか盛り上がっていた。
 何も知らされていなかったソフィスタとメシアと劇団員たちにとって、正真正銘の怪物乱入は、たまったものではなかったが、どうにか芝居として演じきれたことに胸を撫で下ろした。
 カーテンコールでは、今回の思い切った舞台はいかがなものかと団長が観客に笑顔を振り撒き、その様子を見たソフィスタは、怒りを破壊力へと変えて団長の顔面に攻撃魔法を叩きつけてやりたい気分になったが、まだ観客の前だと自分に言い聞かせ、両腕と左足が動かせるようになったメシアの隣で愛想笑いを浮かべていた。
 こうして、フェザーブーツ劇団による舞台"詩の子"の初日公演が終わり、控室に戻ると、団長が一部の劇団員たちから再びアメミットの件で問い詰められていた。しかし、アメミットの登場に驚きを見せなかった劇団員や王宮楽士団たちが団長に味方し、詰め寄ってくる劇団員たちをたしなめた。
 そして、その団長や王宮楽士団たちに、おそらく何かしたであろうホルスと、姿を消したアメミットを、ソフィスタとメシアは探そうとしたが、これから着替えて多目的会館に戻って食事会を開くからと団長に急かされ、探す時間を与えられなかった。
 仕方なく、稽古用にと支給された服に着替え、ソフィスタとメシアは、劇団員と王宮楽士団たちと共に多目的会館へ戻った。


 *

 初日公演の一応成功を祝し、劇団員や王宮楽士団たちを労う食事会が始まると、アメミットの件をまだ納得していなかった劇団員たちも、食事を楽しみ始めた。
 広い部屋に丸テーブルを並べ、それぞれに料理が置かれた、立食式である。
 観客席にいたアズバンも、王宮楽士団としてバイオリン奏者を務めたヒュブロ兵の友達によって、この席に招かれている。
 アズバンは、さっそくソフィスタにアメミットについて尋ねてきた。
「ソフィスタくん、あの怪物は一体なんだったんだ?魔獣とも魔法生物とも違う感じがしたし、幻でもなかったね。それに、最後は妙な消え方をしていなかったかい?」
 ソフィスタは、団長やホルスから聞いたことや、アメミットが魔法を消す能力を持っていたことなどをアズバンに話した。話を聞いたアズバンは、「そんな生物が、存在し得るのだろうか」と唸った。
「生物と呼べる代物かどうかも分かりません。体の一部でも採集できればよかったのですが…。ホルスも魔法力が無さそうなのに姿を変えたりできるようですし、あいつらは本当に何なのでしょう…」
「さあねえ。王宮楽士団のバイオリン奏者として参加していた友人から、そのアメミットってヤツの話を聞いたけれど、投資家の子供ホルスのペットって、団長と同じことを言っていたよ。他の王宮楽士団も、それを信じているようだが…あんな不思議すぎるアメミットの姿を、どうして妙に思わないのだろう」
 アズバンが話す通り、団長や、事前にアメミットが登場することを知っていた劇団員は、「よく分からないけれど、世の中にはああいう珍しい生物がいるもんだね」と、ソフィスタにアメミットについて尋ねられると呑気な答えを返してきた。
「ホルスには、不自然なものを自然と思わせる能力があるのかもしれません。その能力の正体が、魔法かどうかは分かりません。…ホルスもアメミットも、私には魔法力が無いように見えましたが…魔法以外で、大勢の人間の思考を短期間で支配するようなことは可能なのでしょうか…」
「う〜ん…いくら考えても推測の域だな。ワブル先生は、アメミットのような生物の存在を示す文献などを見たことはありますか?」
 アズバンは、隣にいるワブルに話を振った。フェザーブーツ劇団の舞台"詩の子"の脚本に関わっている彼は、四日前に既に、団長からこの食事会に誘われていたそうだ。
 ちなみに、立食式に松葉杖は不便なので、今日は車椅子を利用している。
「…複数の生物の特徴を持つ、キメラという幻獣に関する古い文献ならありますが、今のところ魔獣の類か、空想上の生物のどちらかとされています。アメミットが、それに該当しているかは分かりませんが」
 三人は一台の丸テーブルを囲み、専門的な用語を挟んだ会話を続けていた。アーネス魔法アカデミーの教員と、天才と呼ばれる生徒、そして考古学の権威というインテリのスリーショットを、劇団員たちは敬遠し、そこそこ距離を取っている。
 ちなみに、トカゲ男姿に戻ったメシアは、子役のリーミンに室内で引っ張り回されながら飲食を楽しんでいる。紅玉も、メシアの左手に戻されていた。
 アズバンは、しばらく唸った後、ため息をついた。アズバンもワブルも、グラスの中に注ぐ飲み物は酒ばかりで、息も既に酒臭い。
「まったく、世の中には、我々の知識を以ってしても解明できないものが、あとどれほど存在しているのでしょうね。…とにかく、ホルスとアメミットについては、私から校長にも話しておこう。…あ、校長で思い出した。ソフィスタくん、リーミンちゃんからサインは貰ってくれたかい?受け取ってアーネスへ持ち帰るよう、校長に言われているんだ」
 急に話が変わったが、ソフィスタはすぐに「はい、貰っています」と答え、なんとなくメシアの姿を視線で探した。舞台で役を演じていた時は眼鏡を外していたが、舞台が終わって着替えてからは、ずっと掛けており、少し離れた場所にいる者の顔も、よく見えている。
 メシアはリーミンと、フォークに刺した果物を差し出して食べさせ合っている。傍から見ると微笑ましいが、ソフィスタにはそうは見えず、眉間に皴を寄せる。
「そうかい。じゃあ後で、校長から預かった追加ぶんの旅費と交換しよう。…ソフィスタくん?」
 アズバンに名前を呼ばれても、ソフィスタは気付かず、楽しそうなメシアを睨んでいた。アズバンはメシアとソフィスタを何度か交互に見ると、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「ん〜?あの子が子役のリーミンちゃんかな?メシアくん、あの子とずいぶん仲が良いんだね〜」
 意味ありげに言うアズバンを、ソフィスタは思わずギロッと睨んだが、すぐに我に返り、「そ・そうですね」とアズバンから顔を逸らした。
 睨まれて少し怯んだアズバンだが、ソフィスタがこちらを見ていないのをいいことに、再びニヤニヤと笑う。
「まあ、あのくらいの年の女の子は、カッコ良いお兄さんに憧れやすいものだよ。人間姿のメシアくんは、かなりカッコ良いほうだったからね。…とにかく、旅費とサインの交換は、この会が終わってからにしよう。じゃ、後でね」
 アズバンは、まだ中に飲み物が残っているグラスを片手に、その場から離れた。
「…しかし、まあ、無事ってほどではありませんが、最後まで芝居を続けられたことについては、良かったと考えるべきでしょうか。劇団員の皆さんと、特にあなた方二人の頑張りのおかげですね」
 料理を皿に盛っていたため、ソフィスタの不機嫌そうな表情を見ていなかったワブルは、そう言って無邪気に笑う。
「第八幕と終幕が省かれてしまったのは残念でしたがね。あなたの演技を楽しみにしていたのですが…」
 ワブルが話している間にリーミンから解放されたメシアが、こちらへ歩み寄ってきた
「…リーミンと、ずいぶん楽しそうにしていたな」
 早速ソフィスタはメシアに皮肉を言うが、やたらと機嫌の良いメシアは、「うむ!」と明るい声を上げて頷いた。
「人間の少女に、あれほど慕われたのは初めてだ!珍しくて美味しい食べ物を、たくさん食べさせてくれたぞ!」
 ソフィスタの気も知らないメシアは、上機嫌にそう話した。そんなメシアとは対照的に、ソフィスタの機嫌は、さらに悪くなる。
「やあ、四日ぶりですねメシア君。私のことを覚えていますか?」
 ワブルが片手を軽く上げて、メシアに挨拶をした。だがメシアは、機嫌の良い表情のまま「…誰だ?」とワブルに尋ね、ワブルを苦笑させた。
「失礼な言い方するな。四日前に、"詩の子"の原本が七冊あることとか、話しただろ。あの時、一緒にいたワブルさんだよ」
 ソフィスタはメシアの後頭部を強めに叩き、そう叱った。メシアは後頭部をさすりながら「ああ!」と声を上げる。
「そうだ、思い出した!すまぬ、忘れておった」
「ははは…まあ、稽古で忙しかったようだから、仕方ありませんよ。いやあ、私も観客席で芝居を見ていたのですが、君たちの演技、楽しませて頂きました」
 ワブルは取り皿をテーブルに置き、右手でメシアに握手を求めた。メシアもグラスをテーブルに置き、右手を差し出す。
「歌も上手でしたよ。特に、序幕と終幕の歌には思い入れがあるので、君たちに歌ってもらえて嬉しいです」
 いくら練習してきたとは言え、それ以上に練習をしてきたプロの役者と比べたら、メシアの歌唱力はまだまだなので、ワブルの言葉はお世辞だろうとソフィスタは思った。
 ワブルと握手しながら、メシアは「思い入れ?」と首を傾げ、聞き返す。
「舞台"詩の子"で、第二幕から第八幕までの歌は、セリフに曲をつけただけのようなものだけど、序幕と終幕の歌の歌詞は、物語"詩の子"に対するワブルさんの見解を反映して作詞されたものなんだよ」
 ソフィスタがメシアに、そうフォローするが、メシアはまだよく分かっていない顔をしている。しかし、それに構わずワブルが語り始めた。
「そうそう!"魔力の王妃"と"証の神"の、それぞれの最初のフレーズは、互いに想い合っているのにすれ違ってしまう二人の心情を表したものですが、次からのフレーズはですね、神と人間による争いのようなものが実際に起こり、それを後世に伝えるために"魔力の王妃"が物語"詩の子"を作ったという私の見解を入れたつもりなのですよ!」
 急に早口で強く語り出したワブルに、まだ手を握られているメシアだけでなく、ソフィスタも思わず片足を一歩後ろに退かせた。
 そういえばワブルの顔が赤く、ほろ酔い状態であることにソフィスタは気付いた。
「しかし、ほら、歌詞にあるでしょう。『二人 出会えたことが はるか彼方で この夢を 叶えるなら 描くなら 刻み付けよう ここにある幸せを 消えないように』…この歌詞こそがソレなんですよ!この『夢』というのは、神と人間の共存で、『はるか彼方』とは未来のことです。"魔力の王妃"と"証の神"が出会い、想い合っていたという事実が、未来で神と人間の共存を望む者に伝えることで役に立つかもしれないと、"魔力の王妃"は考えたに違いないのです!」
 酔ってはいるが、考古学者の権威による"詩の子"への見解を直接本人から聞ける良い機会だとソフィスタは考え、メシアも真面目にワブルの話を聞き、「そういう意味であったのか」と頷く。
「確かに、その後の歌詞にも『未来を 物語を綴る筆に 思い乗せ』…とあるな。命に記した二人の愛というものも、"魔力の王妃"と"証の神"の恋心を、物語として記し、残す…という意味か?」
 ちゃんと話を聞き、自分なりに考えもするメシアに、ワブルは気を良くし、ますます饒舌になる。
「そうそう、それです。しかしね、あのフレーズには二つの意味を込めたんですよ。分かりますか?」
 ワブルの問いに、メシアは「いや…」と首を横に振った。
「分かりませんか?命に記した二人の愛ですよ?"魔力の王妃"と"証の神"の子供に決まっているではありませんか!」
 ワブルが声を張り上げるものだから、周囲の視線が集まってしまう。目立つことは好きではないソフィスタは「声が大きいですよ!」とワブルに注意したが、彼は全く聞いていない。
「そもそも"詩の子"というタイトルは、"魔力の王妃"が作った物語という意味と、"魔力の王妃"と"証の神"の子供という意味があると、私は考えています。終幕での"魔力の王妃"のセリフでも、未来に"詩の子"を残すと言っているでしょう。それは子孫を残すという意味かもしれないのです!そして『祈りを まだ明けない空へ捧げ 目を閉じる』という歌詞は、神と人間が手を取り合う世界という夢が未来で叶うことを祈り、"魔力の王妃"も生涯を終えるという意味を込めたものなのです。分かりますか?」
 ワブルは、やっとメシアの手を放す。
「…うむ。あの歌詞の意味は分かったが、"証の神"は生前に自らの想いを"魔力の王妃"には伝えなかったのだろう?それでなぜ子を成すことができたのだ」
「なぜって…君は原本を呼んだことが無いんでしたっけ?そりゃハッキリと描写はされていませんが、"魔力の王"によって幽閉された"証の神"を助けに来た"魔力の王妃"が、わりと強引に、それを漂わせる行為を…」
 ワブルがそこまで話したところで、ソフィスタはグラスをテーブルに置くと、メシアの腕を掴んで引き、足早に会場の出入り口を目指した。
「ああ、ちょっと!まだ語り足りないんですが!」
 ワブルの声を背に、メシアはソフィスタに会場から連れ出され、さらに廊下を進む。
「おい、ソフィスタ?急にどうしたのだ!どこへ行く気だ!」
「やかましい!ワブルさんとの話は、もう終わりだ!」
 ワブルにしてみれば、あくまで"詩の子"に対する自分なりの見解を語っただけに過ぎないかもしれないが、惚れた男が目の前で下世話なことを聞いている様子は、見るに耐えられなかった。
 "魔力の王妃"と"証の神"が子を成したという説は、ワブル以前から唱えられている。
 牢の中で処刑の日を待つ"証の神"を、"魔力の王妃"は一緒に逃げようと説得し、その時に初めて想いを告げるが、原本ではその後に、"魔力の王妃"が"証の神"に、わりと強引に性的な行為に及んだことを窺わせる内容が記されている。
 はっきりと描写はされていないが、それなりの年頃になった者が読めば一目瞭然なものである。ソフィスタが絶対に演じたくないと思っていたのが、そのシーンだ。まあ、健全な劇団の舞台で、そんなシーンを演じるわけが無いことくらい、分かってはいたが。
 突き当りの手前でソフィスタは立ち止まり、メシアの腕を荒っぽく放すと、彼の襟首を掴んだ。
「なぜ、もう終わりにしなければならぬのだ。…そういえば、もう一つ聞きたかったことが…」
「とにかく!!"詩の子"の見解についての話は終わりだ!あとは食うモンを好きなだけ食ってろ!」
「ふ〜ん。ソフィスタって、あーゆー話は苦手なんだ。研究一筋の冷血女かと思いきや、乙女だね〜」
 背後で少年の声がしたので、ソフィスタは振り返った。そこにはホルスが壁に背をもたれて立っており、ソフィスタはまともに驚かされる。
「うわっ!…ホルス?いつの間に来やがった!」
「ついさっき。そこの角の壁の向こう側に、ずっといたんだけどね。騒がしいから、何を話しているのかなーと思って。…そうそう、舞台お疲れ様でした!良い演技だったよ!」
 壁から背を離し、ホルスはパチパチと手を叩いた。ソフィスタはメシアの襟首から手を放し、代わりにホルスの上品な服の襟首を掴む。
「ふざけるな!!あたしたちが、どれほど苦労したと思ってんだ!アメミットはどうした!」
 ほぼ首を絞められる状態で、ホルスはソフィスタに凄まれるが、余裕のある表情を崩さない。
「アメミットなら別の場所で待っててもらっているよ。あの子もしっかり"怒りの獣"の役を演じてくれたから、後でご褒美をあげなきゃね」
「いいかげんにしやがれ!!今回のことといい、校長の帽子といい、てめェは何をしたいんだ!いったい何者なんだ!!」
「そう怒らないでよ。ボクはメシアを導く者として動いているだけさ。校長の帽子もラゼアンに来れば返してあげるし、今回のことにしたって、大した被害は出ていないじゃないか。代役の務めを果たしたキミたちは、晴れて明日からラゼアンへ向かえる。めでたしめでたし!…ってことにしちゃダメ?」
 そもそも事の発端は、ホルスが校長の帽子を奪ったことにある。なのに悪びれなく話すホルスの腹に、ソフィスタは膝を叩き込んでやろうとしたが、その直前に、ホルスの衣服が生きているかのように蠢き、ソフィスタの手をすり抜け、解放されたホルスは大きく後ろに跳んだ。
「やれやれ、短気だなあ。おわびに、キミたちを悩ませているエルフをどうにかしてあげるって言っただろう。だから許してよ」
 ソフィスタから離れながら、ホルスは両腕を翼に変形させ、衣服もメシアの戦士の装束に似たデザインのものへと変わった。
「てめェの話なんか、誰が信じるか!」
「そう?まあ、信じなくてもいいよ。勝手にそうさせてもらうから」
 ホルスは廊下の窓を開け、桟に足をかける。
「それじゃ、今度こそ寄り道しないでラゼアンへ来てね!待ってるよ!」
 窓から飛び出そうとするホルスを、ソフィスタとメシアは「待て!」と呼び止め、駆け寄ろうとした。しかし、後ろから大声で名前を呼ばれたため、思わず振り返ってしまった。
「ソフィスタさん!!メシアさぁん!!そんなトコロで何やっているんですかぁ!!」
 団長が会場から出てきて、気持ち良さそうに笑いながらソフィスタとメシアに近付き、太く毛深い腕で二人の腕を掴んできた。
「んもう!アンタたち、明日にはヒュブロを発つんでしょう?たくさん食べて飲んで精をつけて下さいなぁ!!」
 明るいが野太い大声で女っぽく喋る熊男は、さすがのメシアもビビるほど迫力があった。
「ちょっと、団長!放して下さい!ホルスが窓から飛び降りたんですよ!」
 団長は「ホルスさんがぁ?」と開け放たれた窓を見るが、既にホルスの姿は無い。
「ホルスさんなら、アメミットちゃんと一緒に家に帰ったはずですよ?」
 ソフィスタは団長の手を振り解き、窓に駆け寄って外へと顔を覗かせ、周囲を見回した。しかし、ホルスの姿は見当たらない。
 あのタイミングで団長が現れたのも、ホルスの仕業だろうか。ソフィスタがそう考えている間に、メシアと団長もやってきて、窓の外を覗いた。
「…見失ったな」
 人間離れした視力の持ち主であるメシアが言うのなら、間違い無く見失ったのだろう。ソフィスタは「くそっ」と悪態をつく。
「ホルスさんなんて、どこにもいないじゃなぁい。ほらほら、冗談言ってないで、もっと料理をお食べ!」
 再び団長に腕を掴まれたソフィスタとメシアは、引きずられるように会場へと連れ戻された。


 *

 リーミンから貰ったサインをアズバンへ渡し、追加ぶんの旅費を受け取ったソフィスタとメシアは、後日、ラゼアンを目指すべく、アーネスから乗ってきた馬車を走らせた。
 フェザーブーツ劇団は、ソフィスタとメシアが怪我をさせてしまった劇団員も復帰したことだし、次からは普通に舞台"詩の子"の公演を続けるとのことだ。あれほどのハプニングがあって、果たして今後もまともに公演を続けていけるかどうかが気になったが、面倒なことに巻き込まれたくはないソフィスタは、世話になった劇団員たちへ社交辞令の挨拶を済ませ、メシアを馬車に押し込み、さっさと出発したのだった。
 昨晩の疲れが残っているが、あまりヒュブロに長居はしたくなかったので早めに起きたソフィスタは、眠そうな顔で手綱を握っている。
 ソフィスタより早く起き、日課の鍛錬まで済ませたメシアは、馬車の中で窓の桟に肘を掛け、朝日を浴びるヒュブロの街並みを眩しそうに眺めていた。
「…いろいろあったが、フェザーブーツ劇団の者たちと共に過ごした七日間は楽しいものであったな、ソフィスタ」
 メシアに声をかけられ、馭者台に座っているソフィスタは、メシアの呟きを聞いて「まあ、いろんな意味で思い出に残る七日間だったよな」と答える。
 舞台の代役を務めるなど、面倒臭いと思いながらも、物語"詩の子"には興味があったし、これを機に考古学の権威と知り合うこともできた。何より、想い合う男女の演技をメシアと共に練習した日々は、恥ずかしさでいっぱいだったが、過ぎてみれば楽しかったし嬉しかった気がする。
 しかし、それをメシアに伝えられるほど、ソフィスタは素直ではない。
「うむ。…あ、七日で思い出したのだが、"詩の子"の原本は七冊あり、その原本では、"記録の神"という舞台ではおらぬ者が登場するそうだな。代役を果たしたら詳しく教えてくれると約束したではないか」
 馭者台の真後ろにある窓からメシアは顔を覗かせ、ソフィスタに言った。
「…あ〜、そんな話していたな。"記録の神"は"証の神"の親友で、"怒りの獣"を鎮める"証の神"を手伝うんだ。それ以来"魔力の王妃"とも何度か会い、"証の神"が命を落とした後、"魔力の王妃"に手紙を送って、神々が眠りにつくことや、"証の神"が"魔力の王妃"に恋心を抱いていたことを伝えるんだよ」
 "記録の神"は"魔力の王妃"と"証の神"が密会を重ねた森に手紙を隠し、"魔力の王妃"が手紙を見つけたのは"証の神"が亡くなってから約一年後と、原本には記されている。
 ソフィスタは前を向いたまま、メシアに語り続ける。
「その"記録の神"を足すと、"魔力の王妃"や"証の神"といった感じに呼ばれている登場人物は、七人になるよね」
「…ええと…"大地の神"、"力の神"、"魔力の王妃"、"証の神"、"魔力の王"、"怒りの獣"…そして"記録の神"…か」
 メシアは右手の指を折りながら名前を挙げていく。
「"詩の子"の原本の数と同じだろ?今のところ、原本は五冊まで発見されているんだけど、それぞれ物語の内容は同じままに、登場人物をナントカの神とか肩書みたいな呼び方じゃなくて、ちゃんとした名前で呼んでいるという違いがあるんだ」
「…どういうことなのだ?」
「例えば、ある原本には"魔力の王妃"だけをテセネという名前で表記しているんだ。別の原本では、"証の神"だけをウリスという名前で表記している」
 それを聞いて、メシアは「えっ」と呟いたが、馬車の車輪の音によって、ソフィスタの耳には届かなかった。
「といった具合に、"大地の神"はアーサ、"力の神"はイオム、"怒りの獣"はセクメト…と表記された原本が見つかっている。そこから、重要な登場人物の数だけ原本は存在すると推測されているんだ」
 メシアは黙って俯いてるが、ソフィスタは気付いていない。
「おそらくそれは、物語"詩の子"の基となった実際の出来事に関わった者たちの名前で、あと"魔力の王"と"記録の神"の名前さえ分かれば、"詩の子"が何のために作られた物語で、なぜ八百年経ってから別々の図書館に置かれ始めたのか等の謎が明らかになるかもしれない…って、"詩の子"を調べている学者たちは考えているみたい。…でも、テセネなんて名前の人間の女王が大昔に実在していたら、歴史に残されるはずなんだけど…。ウリスだのセクメトだの、少なくともあたしが知る限りでは、歴史に残されていない…」
 そこでソフィスタも黙ってしまい、しばらくして、メシアが何も言ってこないことを妙に感じた。
「メシア?あたしの話、聞いているのか?」
 声をかけられ、「ああ、聞いている…」とメシアは答えるが、明らかに生返事であった。
「疲れているの?寝たほうがいいんじゃない?」
 メシアがホルスと夜中まで舞台の稽古に励んでいたことを聞いてから、それでよく今日まで眠そうな顔を見せなかったなと、ソフィスタは思っていた。
 しかし、代役の務めを果たし、緊張が解れて今になって眠くなったのかもしれないし、どんなに体力がバケモノ並でも休める時には休ませてあげたい。ソフィスタは、そう考えた。
 メシアも、ソフィスタに言われて眠くなってきたような気がした。
「いや、大丈夫だ。ソフィスタのほうが眠いのではないか?」
「あたしが眠ったら、誰が手綱を取るんだよ。早く城下町から出たいし、お前だって早くラゼアンに着きたいんだろ。いいから寝ておけ」
 強く言われ、メシアは少し考えてから「分かった」と返事をした。
「昼食には起こすからな」
「ああ。お休み、ソフィスタ」
 メシアは馬車内の長椅子の上で横になり、置いてある二つのクッションを頭の下に敷いた。メシアの身長は馬車の幅より大きいので、必然的に膝を折ることになる。
 こうして横になっていると、目蓋が重くなってくる。ソフィスタの言う通り、疲れが残っているのかもしれない。
 完全に眠りに就くまで、ここ数日間の出来事と、つい先程に生まれた疑惑を、メシアは思い浮かべていた。
 …ウリス…テセネ…偶然だろうか…。





 墓石に刻まれている、遺体を回収することができなかった者たちの名前の中で、一番新しく刻まれたらしき名前を指しながら、これが父親の名前なのかと、幼いメシアは背後にいるゼフに尋ねた。
「…父親かどうかは明かせないが、彼は私の親友だった」
 ゼフは辛そうな顔をしていたが、それに気づいていないメシアは「親友?」と言って首を傾げた。
「ああ。誰よりも優しい心の持ち主だった…。仲間と人間の命を重んじ、共に手を取り合う世界の実現に尽力したが…それにつけ込んだ悪しき人間に騙され、命を落としてしまった。…私より、ずっと若かったのにな…」
 ゼフが俯き、声を落としたところで、メシアはゼフを悲しい気分にさせてしまったと気付き、「ごめんなさい」と謝った
 ゼフはメシアの頭を優しく撫でて微笑むが、表情から悲しみは消えていない。
「…だが、善き人間と出会うこともできたんだよ。命懸けでウリスを助け、彼の生きた証を人間の世界に残してくれた。…あの人間にだけは…私は一生感謝するだろう…」
 そう話して、ゼフは墓石の前で膝を着き、冥福を祈る姿勢を取った。メシアもゼフに倣い、隣で膝を着く。
 その時、ちょうどメシアの目の前に、ゼフが親友と呼ぶ者の名前よりも遥かに新しく刻まれた文が位置した。
 ゼフの親友の名前の隣に刻まれた、幼いメシアには意味がよく分からない一文。一度それを、視線で読み上げてから、メシアはゼフと共に、亡き仲間たちの冥福を祈った。

 ゼフの親友。その名は、ラウルシレス。
 墓石に刻まれた彼の名前の隣には、『その願いと血を 愛するテセネに託し 彼の地に眠る』とあった。


  (終)

あとがき


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