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ありのままのメシア 第十二話


「ねえメシア。"記録の神"は登場しないの?」
 フェザーブーツ劇団が利用している多目的会館の二階、舞台用の大道具の倉庫として使われている部屋で、夜になるとメシアはホルスの指導を受けて歌の練習をしていたが、ある時、ホルスがそんなことを尋ねてきた。
「記録…の、神?」
 一通り練習を終え、劇団から配布された水筒の中に入っている白湯を飲んでいたメシアは、口を拭って聞き返した。
「うん。物語"詩の子"で重要な役割を持つ神や人間の中で、"記録の神"だけが台本には登場していないんだ。他の六名は登場しているのに」
 ホルスは、メシアが使っている台本をパラパラと捲りながら、そう説明する。
「…ああ、そういえば、都合により舞台では省かれたと、ソフィスタから聞いたことがあったな」
 ホルスがメシアに稽古をつけると言いだした、その日の昼にソフィスタから聞いた話を、メシアは思い出す。
 "記録の神"は、物語"詩の子"の原本には登場しており、"証の神"の親友だと、ソフィスタは教えてくれた。しかし、舞台版には登場しないので、台本の暗記の妨げにならないよう、それ以上は舞台が終わってから教えてもらうことになった。
「…他の六名は登場している…ということは、"詩の子"で重要な役割を持つ者は、七名いるということなのだな」
「うん、そうだよ。えーと…"証の神"と、"魔力の王妃"と、"怒りの獣"、"記録の神"、"大地の神"、"力の神"、"魔力の王"…この七名だね」
 ホルスは指を折りながら名前を挙げる。メシアは、七という数に何かひっかかるものを感じたが、それを記憶の中から探り出そうとする前に、ホルスに「それよりさあ」と声をかけられた。
「メシアの演技からは、頑張ろうって気持ちは伝わってくるけれど、お芝居の役っていうのは、やる気を表現するものじゃないんだよ。演技に必要なのは、役の心を理解し、役になりきることなんだ。分かるかい?」
 ホルスは急に話を変えたが、彼の言いたいことを、なんとなくだがメシアは理解できた。
「劇団員たちから演技を教えてもらっている時も、似たようなことを言われたぞ。"証の神"の気持ちになって演技をしろ、とな」
「そうそう。自分が演じる役の心を知る努力をするんだ。しっかり台本を読んで、いっそ自分は"証の神"なんだと思い込むくらい、役に感情移入するんだよ!」
 知ったかぶった口調で、ホルスは演技を語るが、演技の素人であり、劇団員からも似たようなことを何度も言われているメシアは、ホルスの話を簡単に聞き入れてしまう。
「そうであるな…。台本をしっかりと読み、"証の神"の気持ちを考えているつもりなのだが…まだ勉強不足なのだろうか」
「まあ、仕方ないんじゃない?"詩の子"のお話を知ったのは、最近のことなんだろ?すぐに理解しろというほうが無理だよ。でも…そうだなあ…」
 ホルスは、意味ありげに考え込む仕草を見せてから、メシアにこう提案した。
「"証の神"とメシアの似ているトコロを探してみたら?そんで、"魔力の王妃"はソフィスタに似ているトコロを探すんだ」
 メシアは「どういうことだ?」とホルスに聞き返す。
「ほら、ネスタジェセルは、かつて人間に迫害されていたけれど、ソフィスタとメシアは仲良くしてるじゃん。それを考えると、"魔力の王妃"の協力を得られた"証の神"の気持ちが分かるだろう。そんな感じに、物語の内容を、身近にある似たような出来事に例えて考えると、感情移入もしやすいんじゃないかなあって」
 確かに、"証の神"と"魔力の王妃"の関係には、メシアとソフィスタの関係に似ている箇所があると、フェザーブーツ劇団の団長から言われたことがあった。台本を読めるようになった頃のメシアも、"詩の子"はネスタジェセルと人間の過去の関係を遠回しに描いたものではないかなどと、根拠は無いが考えていた。
「なるほど。それは良いかもしれんな」
 頷くメシアに、ホルスは「でしょ!」と嬉しそうな声を上げ、ニヤリと口の端を吊り上げる。
 しかし、ホルスの意見を聞いて演技の稽古に活路を見出し、元気づけられた気分になったメシアには、ホルスの笑みが怪しげなものであることに気付かなかった。


   ・第七章 いつか別れる時

 ソフィスタはメシアを引き連れ、舞台裏にいるはずの団長のもとへと向かった。
 舞台の演出を仕切っているのは、団長である。あの恐ろしい姿の怪物を団長が用意し、舞台に導入したとは考え難いが、何にしても、団長から話を聞く必要はあると、ソフィスタは判断したのだった。
 団長は、舞台裏にある狭い休憩スペースで、既に数人の劇団員に囲まれ、さっそく怪物のことで詰め寄られていた。そこには、"魔力の王"役の劇団員の姿もあった。
「もうっ、みんな落ち着いて下さい!まずは黙って話をお聞き!」
 団長は怒鳴り、騒いでいた劇団員たちを静まらせた。団長は、一つ咳払いをしてから、こう話した。
「あの動物は、我がフェザーブーツ劇団に投資して下さっている方よりお借りした、アメミットちゃんです。教えれば言葉も喋る、お利口さんなのですよ」
 その説明に対し、劇団員たちは抗議の声を上げる。
「だからあ、そんな説明じゃ納得できないって言っているんですよ!」
「そんな軽いノリで借りられるような代物じゃないでしょ、あの怪物は!」
「何考えているんですか、団長も投資家の人も!」
 どうやら、団長に詰め寄っている劇団員たちも、ソフィスタとメシアと同様に、あの怪物の登場を知らされていなかったようだ。
「あっ…ソフィスタさん!メシアさん!」
 フェザーブーツ劇団の中では一番背が高い団長は、劇団員たちに囲まれていても、近付いてくるソフィスタとメシアの姿に気付くことができた。団長は二人の名前を呼び、にこやかに手を振る。
 劇団員たちも、ソフィスタとメシアに気付くと、自然と二人の進路をから退いた。
「いやあ、良い演技でしたよ!予定には無いはずの本物の動物の登場に、ちゃんと対応できるか、ちょっと不安もありましたが、よく切り抜けてくれました!」
 ソフィスタだけでなく、眉を吊り上げているメシアの気も知らず、団長は笑顔で二人を褒めた。しかし、目の前まで来たソフィスタに睨まれ、笑顔をひきつらせる。
「なにバカなことを言っているんですか。あんな見るからにバケモノを、何の説明も無しに導入するなんて、非常識極まりないと思わないのですか?劇団員のことを考えず、自身の遊び心を満たすためだけの、度が過ぎる悪ふざけにしか見えませんでしたよ」
 冷やかな声で、ソフィスタは団長を厳しく非難した。劇団員たちも「まったくだ!」などと声を上げる。
「そんなに団長を責めないでおくれよ。アメミットを舞台に出してくれっていうボクのワガママを聞いてくれただけなんだから」
 そこに、声変わりのしていない少年の声が割り込んだ。それがホルスのものであることに、メシアはすぐに気付き、ソフィスタは耳を疑いながら、声が聞こえたほうへと顔を向けた。
 アーネスでホークと名乗っていた時の人間の姿のホルスが、金色の箱のようなものを乗せた台車を押して、こちらへ近付いてくる。ソフィスタは思わず彼の名前を口にしかけたが、先に団長がホルスに声をかけた。
「ホルスさん!わざわざアメミットちゃんを運んできて下さったのですか!」
 団長がホルスの名前を知っていたことに、まずソフィスタは驚かされ、次いで「アメミットちゃんを運んできて下さった」という言葉を奇妙に思った。
 団長は、舞台に現れた怪物は「アメミットちゃん」であると、先ほど説明していた。それをホルスが運んできたと言っている割には、アメミットの姿は無く、ホルスが台車で運んでいる箱は、あの巨大な怪物を収納できるほどの大きさではない。
 ソフィスタとメシア、劇団員たちが戸惑っている中、ホルスは台車と共に団長の隣に並び、「初めまして」と劇団員たちに向かって頭を下げた。
「皆さん。この方が先ほどお話した投資家の方の御子息、ホルスさんです。アメミットちゃんは、この方のペットなんですよ」
 団長が、そうホルスを紹介した。ソフィスタとメシアは「は?」と声を揃る。
「ホルス!何でお前がここにいるんだ!あのバケモノは、お前が絡んでいるのか!」
「ホルスよ、団長とは知り合いであったのか?お前の親がトーシカとは、どういうことだ?トーシカという種族なのか?」
 ソフィスタとメシアはホルスに詰め寄ったが、団長に「失礼ですよ!」と腕を掴まれ、引き離された。
「まあまあ団長さん。メシアとソフィスタとは、ちょっとした知り合いなんだ。二人にはボクから説明をしておくよ。でも、他の皆さんは舞台に戻ったほうがいいんじゃない?壊れた床は直したの?あのままじゃ第四幕を始められないよ」
 劇団に投資している者の子供だとしても、団長に対して馴れ馴れしいホルスの態度に、劇団員たちは良い顔をしなかった。しかし団長は、ホルスの言葉は全て正しいと思い込んでいるかのように、「その通りですね!」と頷く。
「ほらほらっ、皆さん、早く舞台へお戻り!」
 団長は、劇団員たちを強引に追い払い始める。確かに、舞台の床を補修しなければ、第四幕は始められないし、観客たちも待たされたままなのだ。劇団員たちは、納得がいかない表情のまま舞台へと戻ってゆき、団長も「じゃ、よろしくお願いします」とホルスに声をかけると、劇団員たちを指揮するべく去っていった。
 ソフィスタとメシア、そしてホルスの三人だけが、休憩スペースに残された。ホルスは、やれやれといった具合に一つ息をつくと、ソフィスタとメシアに話を切り出そうと、口を開いた。しかし、ソフィスタに胸倉を掴んで首を絞められ、「おぐぅっ」と変な声で呻いた。
「おいホルス。今すぐお前を物理的にも社会的にも蒸発させてやりたいところだが、我慢してやるから、あたしの質問に答えろ。なぜここにいる?メシアとは、ここ数日は一緒にいたそうだが、何をしていたんだ?投資家の子供とは、どういうことだ?アメミットとかいう怪物は、その台車に乗っている箱と関係しているのか?あんなバケモノを、どこで仕入れた?数人の劇団員と、王宮楽士団は、怪物に驚かなかったようだが、ヤツらと団長に何か吹き込んだのか?他にも聞きたいことはあるが、ひとまずこれくらいにしてやる。さあ、一分以内に答えやがれ!!」
 そう言って、ホルスの胸倉から手を離すと、ソフィスタは彼の腹を膝で打った。ホルスは腹を抱えて床に蹲り、痛みに体を震わせる。
「ひ・ひどっ…投資家の子供に乱暴するなんて、団長に怒られるよ…」
 涙目で呻いているホルスの髪を、ソフィスタは荒々しく掴み、強く引いてホルスを立ち上がらせた。アメミットのことでホルスを問い詰めたい気持ちはメシアも同じであったが、ソフィスタに一方的に痛めつけられている様子を見ると、さすがに彼が可哀想になってくる。
「質問に答えろっつってんだろ。余計なことは喋るな」
「イタタタタッ!分かったってば!答えるから離してよぉ!」
「だったら最初からそう言え!!」
 軽く突き飛ばすようにして、ソフィスタはホルスを解放した。ホルスは乱れた髪を整えながら、「も〜荒っぽいんだから〜」と文句を言う。
「えーっとねえ…ボクがヒュブロにいるのは、キミたちがなかなかラゼアンへ来てくれないから、気になって様子を見に来たからなの。そしてメシアを見つけて、芝居の稽古をしているって言うから、夜の間は稽古に付き合ってあげたんだ。歌の練習もしていたんだよ」
 そこまでホルスの話を聞いて、ソフィスタはメシアに「そうなのか?」と尋ね、メシアは「うむ」と頷いた。
「でも、せっかくお芝居をやるなら盛り上げてあげようと思ったんだ。そこで、団長さんに協力させてってお願いしたんだ。投資家の息子だからいいでしょって冗談で言ったら、団長さんってば、信じちゃったよ」
 腹の痛みはもう治まったのか、ホルスはヘラヘラと笑って話す。その表情と、納得のいかない説明に、ソフィスタの苛立ちは募る。
「ふざけんな。そんな冗談で言ったことを、すんなり信じるほど、団長はバカじゃないはずだ」
「それはどうかな?なぜかみんな、ボクの言うことを信じちゃうんだよね。王宮楽士団のみんなにも、舞台本番で本物の怪物が出てくるけど、驚かずに演奏を続けてねってお願いしたら、その通りにしてくれたなあ」
 あからさまに核心部を誤魔化した答え方をするホルスに、ソフィスタは、腹にもう一発喰らわせてやろうかと思い、ホルスに近付こうとした。
 しかし、突然メシアが「待て!」とソフィスタの肩を掴んで引いた。苛立っていたソフィスタは、メシアを振り返って怒鳴る。
「なにすんだ!!」
「今はホルスに近付いてはいかん!アメミットが威嚇しておるぞ」
「はあ!?あんなデカいバケモンが、どこにいるんだよ!」
「姿を変えて、そこにおるのだ!私も信じ難かったが、その金色の六面体がアメミットだ!」
 メシアは、ホルスが運んできた金色の箱のような物体を、視線でソフィスタに示した。ソフィスタもメシアの視線を辿り、箱を見る。
 すると、箱の正面に一文字に切れ目が生じ、上下に開くと、そこに細い瞳孔の眼球が覗いた。
 謎の箱に現れた大きな目玉にギロリと睨まれ、ソフィスタはビクッと肩を震わせ、メシアはソフィスタを庇うようにして前に出た。二人の様子を見て、ホルスは小さく笑う。
「そう。この子がアメミットだよ。運びやすいよう、体を縮めてもらったけれど、舞台での姿とは全然違うから、驚いただろう」
 そう言って、ホルスはアメミットを宥めるように撫でた。するとアメミットは、目蓋を閉じて目玉を隠した。メシアは警戒を緩め、それを察したソフィスタは、彼の隣へ移動する。
「ヒュブロから少し離れた場所で、この子を見つけて、手懐けたんだ。団長に頼んで"怒りの獣"役にしてもらったんだけど、良い演技をしていたでしょ」
 相変わらず納得のいかない説明をするホルスに、ソフィスタは再び文句を言おうとしたが、その前にメシアが「ならば…」と低い声で呟いた。
「舞台で、そのアメミットがソフィスタに向けていた殺意は、お前が植え付けたものということか?」
 メシアの声と表情は、ホルスに対する強い怒りを露わにしていた。その迫力に、ホルスだけでなくソフィスタも口を噤んでしまう。
「アメミットの殺意は本物であった。本気でソフィスタの命を狙って攻撃を繰り出す以上、反撃されてアメミットが命を落とす可能性もあったのだぞ。私は、アメミットの命までは奪わないよう手加減をしたつもりだが、それが必ずしも成功したとは限らない。…お前は、ソフィスタとアメミットの命を軽んじ、アメミットにソフィスタを狙わせた。そう考えてよいのか?」
 ソフィスタとアメミットの身を案じてのメシアの怒りに、ホルスの態度から余裕が消える。ホルスは気まずそうに俯き、沈んだ声で話し始めた。
「…ごめんなさい。でも、アメミットは簡単にやられちゃうほど弱く無いし、ソフィスタが反撃する可能性も、メシアが助けに入ることも、考えていたさ。それに…ボクにも、やらなきゃいけない理由があるんだ。何かを犠牲にしてでも、キミを苦しめてでも、成し遂げなきゃいけないことが…」
 ホルスの視線は床に落とされており、彼の言う「キミ」がメシアのことを指していると断定はできない。ソフィスタはホルスに、その言葉の意味を尋ねようとしたが、ホルスは急に顔を上げ、「それじゃあさあっ」と明るい声で言った。
「お詫びに、キミたちが抱えている問題を解決してあげる!メシアは、エルフの男に姿を見られたことで困っているんだよね」
 エルフという単語に気を取られ、ソフィスタとメシアは怒りを忘れる。
「そうだが…なぜ、そのことを知っているのだ?お前に話した覚えはないのだが…」
 メシアに尋ねられても、ホルスは「ボクは物知りなんだよ」と笑ってはぐらかす。
「実はボク、エルフには顔見知りがいるんだ。べつに仲が良いわけじゃないけど、そいつと上手く掛け合って、エルフたちがメシアに危害を加えないよう、取り計らってあげるよ。…どこまでメシアの安全を保障できるかは分からないけれど、今よりは安心してソフィスタと一緒にいられるようにはしてあげられると思う」
 一体ホルスは、どんな自信があって、そんな提案ができるのだろうか。それに、相変わらずこちらの事情を妙に知っており、こちらの都合の良いように動いてくれると思いきや、非常識なイタズラを働く。
 メシアの味方と自称しているが、ホルスの言動は信用できない。しかし、もし本当にエルフが危害を加えてこないよう取り計らってるれるのであれば、それはソフィスタとメシアにとって、願っても無いものである。
 一瞬、心が揺らいだものの、ソフィスタはすぐにホルスを疑う。
「勝手なことをぬかしてんじゃねえ。詫びるのなら、今この場で校長の帽子を返せ。そして、お前の今まで行動は、どんな目的があってのものなのか、詳しく話しやがれ!」
「ボク目的?メシアを導くことだよ。前にも話したはずなんだけどなあ。…とにかく、ソフィスタの質問には一通り答えたはずだから、もう行ってもいい?そっちも、第四幕の準備をしなきゃいけないんじゃないの?いつまでも観客を待たせちゃダメだよ」
 観客を待たせる元凶でありながら、そんなことを言うホルスに、今度こそ一撃入れてやろうと思い、ソフィスタは魔法力を高め、ホルスに向けて両手をかざした。
 しかし、後ろから誰かに両腕を掴まれ、集中力が途切れてしまった。
「メシア!邪魔すんじゃ…」
 またメシアに止められたと思って、ソフィスタは振り返ったが、そこにいたのは劇団員の女性二人であった。
 一方メシアは、五人の劇団員の男性に囲まれ、戸惑っている。七人とも、先ほどまでこの場で団長を責めていた劇団員たちの中にはいなかった者たちである。
「ソフィスタさん!もう第四幕が始まるわよ!冒頭から出番なんだから、早く舞台へ戻って!」
「メシアくん、怪我をさせたウチの団員の代役を果たしてくれるんだろう。こんな所で油を売って、みんなに迷惑をかけるんじゃない!」
 ソフィスタとメシアは、それぞれ劇団員たちに引っ張られ、ホルスから離される。怪力のメシアなら、劇団員たちを振り払うことくらい容易かったが、怪我をさせた劇団員の話を持ち出されると弱かった。
 やけにホルスにとって都合の良いタイミングで現れ、弱味をついた言葉でメシアを押さえつけた劇団員たちは、もしかしたら団長や王宮楽士団たちのように、ホルスに何かされたのだろうかと、ソフィスタは思った。
「それじゃ、頑張ってね。ボクも舞台を台無しにしないよう、アメミットにちゃんと指示をしておくからね〜」
 引きずられてゆくソフィスタとメシアに、ホルスは笑顔で手を振ると、アメミットを乗せた台車を押して、ソフィスタたちとは反対方向へと歩いていった。
 ソフィスタは「調子に乗るなクソガキ!!」とホルスに向かって怒鳴ったが、女性の劇団員に「"魔力の王妃"は、そんな喋り方はしませんよ!」と頭を軽く叩かれた。


 *

 第四幕は、序幕の歌の後や、第二幕と第三幕とは違い、冒頭に語り部は入らず、"魔力の王妃"と"証の神"が、出会った場所で再び会う場面から始まる。
 緞帳が上げられると、背景は第三幕の森のままにされていた舞台に、さっそくソフィスタとメシアが姿を現す。
「"証の神"よ」
「人間の少女よ、約束通り、来てくれたのだな」
 ソフィスタ演じる"魔力の王妃"と、メシア演じる"証の神"は、それぞれ反対側の舞台袖から現れ、舞台の中央へと進んだ。
 序幕では、セリフも歌も他の劇団員に担当してもらっていたメシアだが、第三幕で"証の神"として登場した時、知らされていなかったアメミットによる演出で、つい喋ってしまったため、今後はセリフも歌もメシア自ら口に出せと、第四幕が始まる前にメシアは団長から指示され、その通りに自らセリフを喋っていた。
 壊された床は、見栄えの良く無い応急処置が施されていたが、客席からはそんなに見えないし、壊すつもりで強く踏まない限りは問題ないと、補修した劇団員は話していた。
 二人は舞台の中央まで来ると、メシアは嬉しそうにソフィスタの手を握り、ソフィスタは照れた微笑みを見せた。
「あれから数日、あなたとの再会の約束を忘れた日はありません」
 冒頭で説明が無かったぶん、ここでの"魔力の王妃"のセリフが、第三幕からの時間の経過を観客に伝える。
 "証の神"との再会を喜ぶ"魔力の王妃"を、ちゃんと演じられているソフィスタの様子に、メシアは少しホッとした。
 ホルスの勝手な介入と、常に一歩先にいるような余裕のある態度に、腹を立てたソフィスタの表情は、出番に備えて別々の舞台袖へと分かれる直前まで恐ろしいものであった。
 あんな顔で、果たして"証の神"との再会を喜ぶ"魔力の王妃"を演じることができるのだろうかと、メシアは心配していたのだが、そもそも演技力はソフィスタのほうが遥かに上なのだ。余計な心配をするより、自分の役に集中しようとメシアは考え直す。
 ソフィスタも、序幕では口パクでも緊張していたメシアが、ちゃんとセリフを喋ることができるかと心配していたが、今のところ、ひどく緊張はしていない彼の様子に、ひとまず安心した。
 第四幕でもホルスが何かしでかすのではないかという不安はあるが、観客の目がある以上、下手な素振りは見せられない。ソフィスタとメシアは、今は自分の役を果たすしかなかった。
「"証の神"よ。あなたは、神と人間の争いを止めるために動いていると、私に話して下さいました。人間は神々を聖域から追放したというのに、あなたは人間を憎んでいないのですか?なぜ、"怒りの獣"から私を救って下さったのですか?」
 ソフィスタのセリフの後、メシアはソフィスタの手を放し、辛そうな表情を作った。
「…五十年以上も前に、何が間違って神と人間が争い合うようになってしまったのかは、まだ生まれていなかった私には分からない。だが、こんな命の奪い合いは間違っている!何も分からないまま争いに巻き込まれ、理不尽な仕打ちを受けている子供もいるのだ。争いの末に生き残った者たちも、血生臭い歴史が刻まれた世界で、清く平和な未来を築くことはできるのだろうか」
 客席の奥まで響くよう、しっかりと声を出して、メシアは"証の神"のセリフを喋る。
 今は役を演じることでいっぱいいっぱいだが、稽古中のメシアは、演技の指導をしてくれた劇団員に言われた通り、"証の神"の気持ちを意識していた。
 言葉が通じ、意思を通い合わせることができるはずの者同士で争うなど、愚かであるとメシアは思う。
 だが、人間の世界とは隔離された狭い土地で、少ない同種族の仲間たちと暮らしている自分が、広い世界の複雑さを知らないことも自覚しているつもりだ。
 それでも、争いが起こるのは仕方のないことだと諦めてしまえば、それこそ未来に希望を見出せない。完全に事情を把握していなくとも、命の奪い合いは間違っていると語る"証の神"は正しいし、そういった考えを支持したい。そんなメシアの気持ちは本番に響き、声と表情に力強さを与え、争いの無い世界を強く願う"証の神"の演技に迫真性を持たせた。
「…お優しいのですね。あなたも、"大地の神"や仲間を失って、お辛いでしょうに…」
「それは人間も同じだ。神々が作り出した"怒りの獣"は、多くの人間を殺めた。親しい者を奪われた怒りと悲しみを持つ人間も多かろう。それでも…争いは止めなければならない」
 ここで王宮楽士団が、悲しげな雰囲気のワルツを演奏し始める。
 第四幕では"証の神"が歌い、"魔力の王妃"と共に踊る。今まさに演奏されているものが、その曲なのだ。
 まずはメシアが一人で歌と踊りを披露する。内心ハラハラしているソフィスタに見守られながら、メシアは観客席に体を向け、切なげに歌い始めた。

 我ら神々は 神たる力を失いつつある
 聖域を追われ 過酷な暮らしを強いられている
 このままでは滅びてしまう だから必死になっているのだ
 聖域を取り戻すため 人を滅ぼさんとする
 どちらかが滅びるまで 争いは続くだろう
 それだけが 道ではないはずなのに

 稽古を始める前に披露した歌声と比べ、メシアの歌唱力は各段に上達していた。音もリズムも外さず、声もしっかりと出せている。
 ソフィスタほど上手くは無いが、自信を持って歌い、感情もこもっているので、人の心に響かせることにかけてはソフィスタより上かもしれない。あの音痴な歌を披露していたものと同じ口から出ているとは思えない、その歌声に、劇団員たちは目を丸くし、ソフィスタも表情には出さなかったが、すっかり驚かされていた。

 私は 神々の王の末裔
 だが 人間を憎む神々は 私の言葉を聞き入れない
 怒りの獣に脅かされ 人間は神を恐れている
 人間から信用を得ることは 難しい

 この歌詞の部分を練習していた時、メシアは故郷の仲間に聞かされてきたことを思い浮かべていた。
 ネスタジェセルは、かつて人間によって迫害され、人間の世界とは隔離された場所で暮らすようになったという。
 だが、ソフィスタやアズバンのように、メシアを受け入れてくれた人間もいるし、ネスタジェセルにとって脅威であるはずのエルフのタギとも親しくなれた。
 メシアを化け物扱いして恐れる人間は確かにいたし、エルフのユドにも散々な目に遭わされた。だが、人間もエルフも、決してネスタジェセルとは相容れないわけではないと、ソフィスタやタギは教えてくれたのだ。
 なのに、なぜネスタジェセルは迫害されてしまったのだろうか。そう思うと悲しくもあり、ソフィスタがメシアを受け入れてくれたことが嬉しくもあった。
 この時の"証の神"も、きっと同じ気持ちなのだろう。神と人が憎み合う中、人間である"魔力の王妃"と出会い、手を取り合えたことが、彼にとってどれほど救いとなったことか。
 王宮楽士団が演奏している曲は、そんな"証の神"の心を表すように、明るい雰囲気へと変わる。メシアはソフィスタを振り返り、明るく語りかけるように歌った。

 だが 君と出会えた
 ずっと願い続けてきた
 人と手を取り合い 語らう
 私の夢 君が叶えてくれた

 故郷を出てアーネスの街を訪れたのは、魔法生物を作り出したソフィスタの罪を裁けという使命を神より承ったからだが、アーネスで暮らしているうちに、事情がどうであれソフィスタと出会えたことを、メシアは嬉しいと感じるようになっていった。"証の神"の歌の歌詞は、その気持ちを沸き上がらせ、メシアを自然と笑顔にした。
 台本でも、ここは"証の神"が笑顔で"魔力の王妃"を見つめるのだが、今のメシアの笑顔は、"証の神"の役としてのものではなく、メシア自身がソフィスタに向けたものであった。メシアを見つめていたソフィスタは、なんとなくそれを感じ取り、頬を赤く染める。
 だが、次は"魔力の王妃"のセリフが入るので、照れてばかりはいられない。ソフィスタは深呼吸をしてから、セリフを喋った。
「私も、あなたと出会えてから、生きる気力を取り戻しました。…私は、かつて"大地の神"に仕えていた神官です。五十年以上前、神に反乱を起こした人間が"大地の神"を殺害した時、魔法力を暴走させて体が凍り付き、今の"魔力の王"により目覚めるまで、当時の姿と記憶のまま眠っていました」
 "証の神"は、"魔力の王妃"の複雑な事情を、ここで初めて知ることになる。俯き、辛そうに語るソフィスタを、メシアは憐れむように見つめる。
「"大地の神"は、身寄りのない私を娘のように可愛がって下さいました。目の前で"大地の神"を人間に殺され、その悲しみと恐怖で、私は人を信じることも、触れることすらもできなくなりました。だけど、"大地の神"に似たあなたに触れ、あなたの優しい心に胸を打たれ、温かな気持ちを思い出すことができました」
 ソフィスタは顔を上げ、メシアに微笑んだ。
 そこで、舞台全体を照らしていた照明が落とされ、代わりに点灯されたスポットライトが、ソフィスタとメシアを照らした。"証の神"と"魔力の王妃"の二人だけの世界が作り出されたように見せる演出である。
 ソフィスタがセリフを喋っている間も続いていた王宮楽士団の演奏は、しっとりとした女性っぽさがあるものへと変わり、タイミングを見計らって、今度はソフィスタが歌い始めた。

 あなたとの出会いが 光を灯した
 忘れていた気持ち 重ね合わせた手
 太陽のように温かく 月のように優しい
 あなたの眼差し 私の心を輝かせた

 歌いながら、ソフィスタはメシアに両手を差し出した。メシアは、すぐにソフィスタの手を取り、ソフィスタと入れ替わるようにして歌う。

 太陽のように力強く 月のように美しく 輝ける心
 その光が 私を照らした

 メシアはソフィスタの腕を引き、その細い腰に腕を回す。ここから間奏となり、"魔力の王妃"と"証の神"役は、上品なダンスを披露するのだ。
 曲のタイミングを見計らい、ソフィスタとメシアは息の合ったステップを踏み始める。
 二人の動きに合わせ、時に穏やかに、時に明るく奏でられる王宮楽士団の演奏が、観客の心を高揚させる。スポットライトは、照明担当の劇団員たちによって、踊りながら移動する二人を常に照らすよう上手く動かされていた。
 再会を喜ぶ二人を表現するため、ここは楽しそうに踊れと何度も指導されてきたが、メシアと胸が密着しているこの状態に、ソフィスタは本番でも恥じらいを捨てきれずにいた。これはこれで、"証の神"に想いを寄せる"魔力の王妃"のいじらしさが出ているのかもしれないが。
 一方メシアは、稽古中や序幕では口を動かすだけだったが、ソフィスタと共に自ら声を出して歌い、踊りたかったという望みが叶い、これが悲恋の物語であることも、ホルスやアメミットに対する不信感も、今は忘れて楽しく踊りたい気分になっていた。その表情から、なんとなくソフィスタもメシアの気持ちを察する。
 …まったく。能天気で羨ましいこった。
 ソフィスタは心の中で苦笑する。しかし、こうして自分と一緒に踊ることを、メシアが楽しいと感じてくれるのだと思うと、恥じらいより嬉しさが勝ってくる。
 時に体を離すも、どちらか一方は必ず繋がれている手。息の合った動き。互いに交わし合う笑顔。信頼し合う仲の者と踊ることは、なんて楽しいのだろう。アメミットが再び出てくる気配も無いし、ここは素直に楽しもうと考えて、ソフィスタとメシアは踊っていた。
 そして間奏が終わり、"証の神"のパートが入る。踊りを続けながら、メシアは歌った。

 神と人が 手を取り合える日が来る
 今 君と私が ここにいる意味を
 信じよう それが証だと

 種族が違い、出会った頃はケンカも多く、ソフィスタなんかメシアを研究対象にしか見ていなかった。それが、一緒に暮らして様々な体験をして、ソフィスタはメシアに恋心を抱いた。
 そして、こうやって一緒に舞台で想い合う男女を演じることになろうとは、人生というものは分からないものだ。
 …もっとも、あたしの片思いなんだけれど…。
 メシアがソフィスタを信頼し、大切に思っていることは、ソフィスタも分かっている。しかし、そこに恋心が無いことも、鈍感なメシアの言動によって何度も思い知らされている。
 そんなことをソフィスタが考え始めた時、流れている曲の雰囲気が、寂しげなものへと変わった。踊りはここで終わり、舞台の中央で二人は手を取り合ったまま向かい合い、第四幕での歌の"証の神"の最後のパートを、メシアは歌った。

 君の輝きに 誰もが心を動かすだろう
 かけがえのない友 愛しき家族
 いつか君も 見つけられる
 平和な世界で それぞれの幸せを見つけよう
 輝ける未来のために どうか力を貸してくれ

 舞台"詩の子"に挿入されている歌は、原本の文章をアレンジしたり、登場人物の気持ちを原本から汲み取って作曲されている。
 メシアが歌った歌詞は、原本の"証の神"のセリフをアレンジしたもので、"証の神"が"魔力の王妃"を励まし協力を仰いでいるが、"魔力の王妃"と結ばれる道は考えていないことが分かる。
 この時点で既に"証の神"が"魔力の王妃"に恋心を抱いていたかは、原本でもはっきりしていない。仮に抱いていたとしたら、人間は人間同士で結ばれるほうが幸せであると考えており、あえて「それぞれの幸せを見つけよう」と"魔力の王妃"に告げることで、身を引く決心をつけようとしたのかもしれない。
 そもそも、出会って間も無い二人が互いに恋心を抱くケースなど少ないだろう。しかし、"証の神"にほぼ一目惚れだった"魔力の王妃"は、彼の心が自分に向けられていてほしいという淡い期待を抱いており、こんなことを言って彼の気持ちを確かめようとした。
「…私は"魔力の王"に見初められ、妻とされました。"魔力の王妃"として、それなりに地位のある立場にされたものの、無気力のまま過ごしていた私の言葉に、人の心を動かすほどの力はありません。神々を強く憎んでいる"魔力の王"も、説得は難しいでしょう。彼に触れられることを拒み続けている私の言葉に、彼は耳を貸してくれるかどうか…」
 もし"証の神"が"魔力の王妃"に恋心を抱いているのなら、"魔力の王妃"が自分の意思とは関係無く"魔力の王"の妻にされたことを批難し、"魔力の王妃"を"魔力の王"のもとから離そうとするかもしれない。そんなことを、"魔力の王妃"は考えたのだろう。
 しかし"証の神"は、手を取り合っている女性が既に夫を持つ身であることを意識し始めてしまうのだった。メシアはソフィスタの手を放し、そんな"証の神"の心情を表現する。
「…力が無いだなんて、言わないでくれ。私たちには、いくらでも強くなれる可能性があるのだ。自信を持てば、君が望む未来も見えてくるはずだ。君が何になるかは、君の自由だ。それに、私に触れることができたのなら、他の人間に触れることも、きっとできるようになろう」
 "証の神"は"魔力の王妃"に、直接的では無いが「望まないのなら"魔力の王"の妻にならなくてもいい」と告げていた。
 今は苦しくても、王妃という立場は後々彼女を幸せにするかもしれない。そもそも、関係の無い者が男女の事情に余計な口を挟むべきでは無い。"証の神"は、そう考えて直接的な言い方は控えたのかもしれない。
 どちらにしろ、手を放された"魔力の王妃"は、"証の神"は"魔力の王"と"魔力の王妃"の関係に割り込む気は無いのだろうと考え、落胆する。ソフィスタは表情を曇らせ俯くが、今のソフィスタ自身の感情も、そこには込められていた。
 少し間を置き、ソフィスタは顔を上げ、笑顔を作って"魔力の王妃"のセリフを喋る。
「励ましてくれて、ありがとう。優しいあなたが望むのなら、私はいくらでも協力します」
 寂しさを隠しきれていない笑顔。台本通りのソフィスタの演技に、メシアは何故か、胸がチクリと痛んだ気がした。
 ソフィスタは演奏に合わせた足取りでメシアから離れ、スポットライトはソフィスタの動きを追って移動し、メシアの姿は陰に隠される。
 メシアは動きを止めて俯き、ソフィスタは舞台のへりに立って、観客席に向かって語り始めた。
「長い眠りから覚めてから今まで、孤独だった私には、まだ"証の神"のように世界の未来を思い描けない。ただ、今は彼と一緒にいられる時間が欲しい。彼が喜んでくれるのなら、力になりたい。そう思って、彼に協力することを決めた」
 第四幕の冒頭には入らなかった語り部は、ここで"魔力の王妃"役が務めることとなる。ソフィスタは台本通りに語りながら、"魔力の王妃"の気持ちに、自分の気持ちを重ねて考える。
 …あたしも、この先メシアとどうなりたいのか、ハッキリとしていない。メシアがあたしに気持ちを向けてくれたら嬉しいけれど、そんな未来を想像できない…。
「そう、私は"証の神"に恋をしている。彼の心が私に向いていなくても、私の気持ちは変わらない。だけど、想いを告げる勇気は持てなかった。今は彼の傍にいられるだけでいい。…傍にいれば、いつか彼の心が私に向くかもしれない。そんな期待を抱き、この場所で"証の神"との密会を重ねた」
 …きっとあたしも、いつかメシアがあたしに想いを寄せてくれるかもしれないって、期待しているんだ。期待しながら、今の関係に甘えている。
 切ない気持ちを抱くソフィスタの語りを聞きながら、メシアも考えていた。
 …私も、今はソフィスタと共に過ごせる時間が楽しい。だが、それもいつか終わりが来るのだろう。
 使命を果たしたら、故郷に帰るつもりだ。以前、ソフィスタと口ゲンカになった時、使命を果たしたら故郷に戻り、二度とソフィスタとは会うことは無いだろうなどと言い放ってしまったことがあったが、今は別れの時が来ると考えると、寂しく思う。
 だがメシアには、帰りを待っている同種族の仲間や許嫁が故郷いる。神への信仰心や、仲間たちを守る戦士となるべく幼い頃から修行してきた自分の志を曲げたくはない。
 …"証の神"と"魔力の王妃"のように、私とソフィスタが想い合うことなど、まず無いだろう。
 メシアが人間の世界に触れたことで、ネスタジェセルと人間の関係が、どうなるかは分からない。もしネスタジェセルが広い世界で人間たちと共に暮らす世界を望んだら、その時はソフィスタの協力が必要になるかもしれない。
 だが、少なくとも男と女として共に生きることは無いと、メシアは考えていた。
 獣人族が暮らす村で、獣人と人間が夫婦として暮らしている様子を見てからは、種族の違いは恋愛に関係無いと、メシアは薄々感じるようにはなったが、神より使命を承るまで、恋愛対象になり得そうな異種族には会ったことが無く、同種族の許嫁まで決まっているメシアには、ネスタジェセル以外を恋愛の対象に見ることができなかった。
 もしかしたら恋心を抱いてしまったかもしれないと思った人間の女性はいるが、メシアはそれを認めていなかった。
 …夫婦になる気が無いのなら、ソフィスタと共に暮らし続ける道は無い。例え生涯の別れとなっても…それは仕方あるまい。
 それが、ソフィスタの気持ちに全く気付いていないメシアの考え方であった。
 だがメシアに恋心を抱いているソフィスタは、別れることは仕方が無いと考えることはできなかった。
 …メシアがあたしを好きになってくれることを期待しながらも、それからメシアとどうなりたいかは、ハッキリとしていない。でも…別れの時のことなんて、想像したくもない…。
 人間不信で恋などしたこともなかったソフィスタの初恋相手は、種族が違い、許嫁がおり、他の人間の女性を想っている節もある男。この厳しい恋に奥手になるのも仕方が無いのだろうし、焦って行動することも無いと、ソフィスタは開き直っていたが、こうして考え始めると、不安と切なさが心を押し潰しにかかってくる。
「私は、聖域で暮らす人間の様子を調べ、"証の神"に伝えた。彼は私の協力を喜び、私は彼に会う度に生きる気力を取り戻していった。けれど、人間の様子を調べれば調べるほど、"証の神"が望む世界の実現が難しいことに気付いていった。"怒りの獣"によって傷つけられた者たちの恨みは想像以上に強く、"魔力の王"も、聖域に神々が存在していた過去すら忌々しく思っている」
 "魔力の王妃"は"証の神"と何度も会えることを喜び、しかし神に対する人間の強い憎しみを知り、"証の神"の身の危険に気付くのだった。
「そして"魔力の王"は、私の変化と、密かに城を抜け出していることに気付いていた。私は、そんなことも知らず、いつも通りに城を抜け出し、"証の神"に会いに行った」
 ソフィスタが舞台のへりから一歩後ろに下がると、照明は舞台全体を照らすものへと切り替わり、演奏は区切りのいい所で止まった。第四幕での語り部としてのソフィスタの役目は終わり、メシアも顔を上げる。最初の密会から数日後の場面での"証の神"と"魔力の王妃"のやりとりが始まるのだ。
 ソフィスタはメシアに歩み寄り、メシアは"証の神"のセリフを喋った。
「"魔力の王妃"よ。神々は人間との和解を考え始めてくれた。人間の信頼を得るために、条件はあるが我々の今の隠れ里の場所を教える了承も得ることもできた。私の説得に応じてくれたのも、協力してくれる君の存在によるものが大きい」
 理想の実現に近付き喜ぶ"証の神"を演じるべく、ソフィスタとの別れの時のことは今考えても仕方がないと気持ちを切り替え、メシアは明るい笑顔を作る。それが返って素人臭い演技になっているが、おかげで今はお芝居中であることを改めて知らされ、ソフィスタもウジウジと悩むのをやめた。
「"証の神"よ。あなたのお役に立つことができたのなら、何よりです。けれど、まだ神々の居場所を人間に教えてはいけません。私も"魔力の王"に、争いはやめるよう、それとなく話したのですが、彼は神々の存在そのものを忌々しく思っています。神々の存在を世界から消し去ることしか、彼は考えていません」
 稽古を始める前に、劇団員たちによる演目を見せてもらったが、その時、ここの"魔力の王妃"のセリフを聞き、メシアはエルフを思い出していた。
 ネスタジェセルを駆逐し、存在した証すらも世界から消す。そんなエルフの本能が、"魔力の王"の神に対する考え方と似ていると感じたのだった。
「神々が再び聖域に住まうためには、人間の王たる"魔力の王"を説得しなければならない。直接会い、話し合うことで、神も人間も新たに切り開ける道もあろう。…私は"魔力の王"に会う。会って、聖域に住まう許しを請う。これ以上、人間と神が犠牲にならぬよう…」
「いけません、"証の神"よ。私が眠っている間にも続いていた争いの中で、人間たちに植え付けられた神々への恐れと憎しみは大きく膨らみ、人の命を重んじる貴方の言葉であっても、鎮めることは叶わないでしょう。もはや人間は、神々の言葉に耳を貸しません」
「だが"魔力の王妃"よ、貴女は私の話を聞いてくれているではないか」
「それは私が、心優しき"大地の神"に、かつて仕えていたからです。そして、今の人間たちのように、神々に対する怒りも憎しみも無かったからです。…神々の王の末裔である貴方が"魔力の王"に会えば、何をされるか分かりません。お願いです…"魔力の王"には会わないで下さい」
 ソフィスタは、必死に"証の神"を説得する演技をしながら、魔法力を高め始めた。そしてメシアは、少し間を置いてから"証の神"のセリフを喋った。
「分かった。事を急ぎすぎるのも良くはあるまい。君がまだ早いと思うのなら、"魔力の王"に会うのは、もう少し様子を見てからにしよう。その間にできることもあるはずだ」
 それを聞いて安心した"魔力の王妃"を、ソフィスタは演じる。ホッとした顔でメシアに見せ、同時に魔法力を解放した。
 メシアの周囲に、青い水泡がポツポツと生じ、ソフィスタとメシアがそれに気づいて驚く演技をすると、メシアの衣装の中に隠れていたルコスが、すかさず袖から体を伸ばし、メシアの両腕を巻き込んで腹のあたりに巻き付いた。水泡は、ルコスの体の色に紛れて目立たなくなってから霧散する。
 水泡は、背景用の大道具の裏に隠しておいたバケツの中の水を使った、ソフィスタの魔法による演出である。観客に見えやすいよう、青の着色料を溶け込ませてあった。
 体を締められたメシアは、苦しそうに呻くが、実際にはそれほど強く締め付けられてはいない。
「"証の神"!」
 ソフィスタは悲鳴を上げ、彼の身を案じる演技をする。
 そんな二人の状況を煽る、おどろおどろしい曲が流れ始めたところに、舞台袖から"魔力の王"と、第二幕でも登場した、彼の配下役の人間が現れる。
「そうか。私に会いたかったのか。良かったな。その願いが、今叶ったぞ!」
 "魔力の王"はメシアに向けて手の平をかざし、さも自分が魔法を使っているように見せかけている。
 メシアは床に膝を着き、苦しむ演技を続ける。ソフィスタはメシアを庇うようにして、近付いてくる"魔力の王"の前に立ちはだかった。
「"魔力の王妃"よ。急に君が生き生きし始めたことには、素直に喜んでいたのだが、妙に神々の肩を持つようにもなったので、不審に思って探ってみれば…まさか神に協力していたとはね。しかも、そいつは神々の王の末裔ときたか」
 皮肉めいた喋り方で怒りを表す"魔力の王"と、呻いているメシアを、ソフィスタは交互に見てから「やめて!」と叫んだ。
「"証の神"は"怒りの獣"から私を助けてくれたの!"怒りの獣"は、"証の神"の意思で作り出されたものじゃない!今、"怒りの獣"が人間の前に現れないのは、"証の神"が止めてくれたからなの!お願い、"証の神"を苦しめないで!」
 そう懇願するソフィスタを見て、"魔力の王"は、より憎しみが増した目でメシアを睨みつけた。
「"証の神"!!貴様は私の妻をたぶらかし、我らの国の情報を聞き出していたのだな!!」
 "魔力の王"が、かざしていた手の平をグッと握り締めると、それに合わせてルコスはメシアの体を締め付ける力を強めた。もちろん手加減はされているが、メシアは大げさな悲鳴を上げる。
 ふっと悲鳴を止め、メシアは床に体を倒し、気絶したふりをする。
 ソフィスタはメシアの肩を掴み、何度も「"証の神"!」と呼びかける。その間に、"魔力の王"と、その配下たちが、ソフィスタとメシアを囲んで立ち並ぶが、観客席からソフィスタとメシアが隠れないよう、配慮はされている。
「そいつには、他の神々の居場所を吐き出させる必要がある。今は生かしておいてやろう。…さあ"魔力の王妃"よ、君も城へ戻るんだ」
 "魔力の王"はソフィスタに向けて手をかざした。ソフィスタは、眠りの魔法でもかけられたかのように、ゆっくりとメシアの隣に倒れ込む。
 そこで演奏は終わり、"魔力の王妃"の薄れゆく意識を表すように、舞台は徐々に暗くなってゆく。下ろされ始めた緞帳が第四幕の終わりを示し、観客席から拍手が送られた。
 気を失ったふりを続けているソフィスタとメシアは、第四幕を乗り切ったことに、胸を撫で下ろす思いだった。劇団員たちも、急きょ自ら声を出すことになったメシアを心配し、第四幕が始まった頃は不安でいっぱいだったが、この調子なら終幕まで乗り切ることができそうだと、希望が見えて不安が和らいだ。
 …でも、ホルスの奴の動きが気掛かりだ。第四幕じゃ何もしてこなかったようだけれど、いつまた、とんでもないことを仕掛けてくるか分からない。
 うっすらと目を開いて、緞帳が下ろされゆく様を眺めながら、ソフィスタは考える。
 ソフィスタだけではなく、メシアも、そしてアメミットのことを知らされていなかった劇団員たちも、同じ心配をしていた。
 …第五幕が始まる前にホルスを探して、もう一度問い詰められりゃいいんだけど…。
 メシアと一緒に歌い、踊ることで忘れていた、ホルスへの怒りを思い出したソフィスタは、今すぐ立ち上がってホルスを探しに行きたくなったが、緞帳が下りきるまで堪えていた。


  (続く)


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