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ありのままのメシア 第十三話


   ・第一章 夕暮れ時の悲報

 王都ヒュブロとラゼアンを結ぶ道は、貿易や観光で人の行来が多く、そんなに長い道でもないので、しっかりと整備されており、天候が悪く無ければ快適に馬車を進められる。
 本日の空は青く澄み渡り、風は弱く、過ごしやすい気温。北西へと快調に馬車を引いていた馬は、今は芝生にしゃがみ込み、気持ち良さそうに日向ぼっこをしている。実にのどかな昼下がりの光景である。
 道を少し外れた場所に停められた馬車の馭者台に座っているメシアは、ヒュブロを出る前にパン屋で買ったサンドイッチを噛みしめ、ほのぼのとした雰囲気を楽しんでいた。
 メシアの隣に座っているソフィスタは、エリクシア村のオカマ獣人シャクヤクから渡された、手の平サイズの球体を膝の上に乗せ、お茶を飲みながら見つめている。
 木の精霊ケヤキからの餞別で、太い木の枝を丸めたようなものである。何に使うのか、メシアにはさっぱり分からない。
 なので、ソフィスタに尋ねた。
「…ソフィスタ、それは何に使うものなのだ?」
「ん〜?…ああ、あたしにも分からなくて、調べているところだけど…だいたい分かってきた」
 ただ膝の上に乗せて見つめるだけで、一体何が分かったというのだろう。それを尋ねる前に、ソフィスタが「よし、やってみよう」と言って、水筒の蓋も兼ねたコップを置き、枝の球を両手に乗せて、差し出すように前へ腕を伸ばした。
「やってみるとは、何を?」
「集中するから、話しかけるな」
 ソフィスタは魔法を使おうとしているのだとメシアは察し、言われた通り黙って、何が起こるのだろうと枝の球を眺めながら、サンドイッチを頬張る。
 しばらくすると、枝の球はフワリと浮き上がり、枝が解れて広がり始めた。
 枝は全て、一つの株のような塊から生えており、それを中心にして、さらに伸びてゆくかと思ったら、不自然にうねり、絡み合って魔方陣を描いた。
 その様子に驚かされたメシアは、黙っていろと言われたのも忘れて「何が起こっているのだ!?」と騒ぐが、ソフィスタはメシアを無視して両腕を高々と掲げると、それに合わせて枝の魔方陣もソフィスタの真上へと移動した。
 枝が光を帯び、かと思ったら光は枝から離れて収束し、ソフィスタがよくメシアに放つものより遥かに大きい光球となった。
 何度もソフィスタの攻撃魔法を喰らってきたメシアは、手にしていたサンドイッチをしっかりと口の中に詰めてから、両腕で頭を庇った。
 光球は音を立てて上空に向けて放たれ、一瞬遅れて周囲を衝撃波が襲った。しゃがみ込んでいた馬も、音と風に驚いて立ち上がる。
 光球は、雲一つ無い青空へと昇ってゆき、やがて、込められた魔法力を光や推進力で使い果たして消えた。
 風が治まると、メシアは恐る恐る頭を上げた。魔方陣を描いていた枝は、メシアが見ていない間に元の球状に戻り、ソフィスタの両手に収められていた。
「…ソフィスタ、今のは…?」
「よく使っている、破壊力を込めた光球の魔法だよ。魔方陣で威力を高めてみた」
 魔方陣が、魔法の補助をするものであることは、アーネスでメシアも学んでいた。
「いや、それもあるが…その木の球が、先程まで魔方陣になっておったろう」
「ああ。どうやらコレは、魔法力を注いだ者の意のままに枝が動き、また成長もするみたい」
 そう話して、ソフィスタは枝の球を膝の上に置く。
「精霊ケヤキの魔力が込められた、マジックアイテムの一種ってところだね。今みたいに、あたし自身が魔法を使う際に、魔方陣を描かせて補助させることもできるし、込められた魔力を使って、あたし自身が消費する魔法力を抑えたり、上乗せしてより強力な魔法を使うこともできそうだ。消費したぶんは、使わずに持っているだけで勝手に回復するみたい」
 ソフィスタは、枝の球を腰のポーチにしまうと、馭者台を下りて、先程の魔法で少しパニックになっている馬を落ち着かせに向かった。
 メシアには、ソフィスタの話の半分は理解できなかったが、あの枝の球があれば、ソフィスタが使う魔法が強化することは分かった。先ほどの光球が己の顔面を直撃する様を思い浮かべ、メシアは恐怖に身震いする。
 …いや、私に対して使う攻撃魔法を、あの球を使って強化してはこないと思うが…うっかり…なんてことは…ない…はずだ。うむっ。
 考えながらも、メシアは隣に置いてある水筒の蓋を開けた。
「もう少し馬を休ませたら、出発するからね。天気も良いし、これなら日が落ちないうちにラゼアンに着きそうだ」
 ソフィスタは、馬の傍に置いたタライの中に、魔法で生じさせた水を注いだ。さっそく馬は、それを飲み始める。
 …そうだ。今日のうちに、やっとラゼアンに着くのだ…。
 メシアは空を見上げ、かつて立ち寄った町と、そこに住む人物に思いを馳せる。
 人間に助けてもらい、仲良くなったのは、あの町に住む一人の女性が初めてだった。
 謎の少年ホルスに奪われた、アーネス魔法アカデミーの校長の帽子を取り戻しに行くという、奇妙な経緯ではあるが、久しぶりに彼女に会えると思うと、胸が躍った。
 …マリアさん…。彼女とは、使命を果たしてから会いに行くつもりであったが…会いたいな…元気にしているだろうか…。私に会ったら、どんな顔をするのだろうか…。
 思い浮かべるのは、マリアの満面の笑顔と、メシアの名前を呼ぶ優しい声。お茶を飲み込んだメシアの頬が、自然と緩んだ。
 それを見たソフィスタに、「そんなにお茶が美味しいのか?」と声を掛けられたが、気付かなかったため、近づいてきたソフィスタに「無視するな」と額を小突かれた。


 *

 ラゼアンは小さな港町だが、海側は活気があり、魚市場や、海の幸を扱った食堂、王都ヒュブロへ向かう観光客目当ての土産屋などで、そこそこ観光も楽しめる。
 しかし、そこで働く者たちが暮らす、陸側の居住地は、本当に民家しかなく、静かなものであった。
 空が赤くなり始める頃にラゼアンに着いたソフィスタとメシアは、ホルスがどこにいるか分からないので、ひとまずマリアの家へ向かうことにした。

「…次の道を右に…いや、左だ」
「記憶が曖昧だな。そんなんで、マリアって人の家に着くのか?」
「町を出る際に通った道を逆に辿るので、少し分かりにくかっただけだ。ちゃんと覚えているから、大丈夫だとも」
 馬車を先導して歩くメシアを、通りすがる町の人々はジロジロと見てくる。居住区に観光客などは滅多に入ってこないし、巻衣を羽織って緑色の肌を極力隠しているとは言え、メシアは筋肉質で背も高く、巻衣のデザインも見慣れないものなので、やはり目立ってしまうようだ。
 馬車の中からでは道を思い出しにくいと言うので前を歩かせているが、あまりウロウロしていると不審がられるだろうと、ソフィスタはメシアを急かす。
「誰かに道を尋ねたほうがいいんじゃないか?そもそも、町を出る際に通った道って…町に入ってマリアの家へ行く時は、どこを通ったんだ?…確か、海に落ちて、浜で倒れていたところを助けてもらったんだったね」
 メシアは故郷を出てアーネスへ向かう途中、海を渡るべく人間の船に潜り込んだが、見つかって海に落ち、グレシアナ大陸の浜で倒れていたところをマリアに助けられたと、ソフィスタは聞いている。
「うむ。だが、浜に流れ着いた時には意識を失っており…いや、一度目を覚ましたが、再び意識を失い、気付いたらマリアさんの家に運ばれていたのだ」
「…お前みたいな体の大きい男を、マリアはどうやって家へ運んだんだ?誰かに手伝ってもらったのか?」
「マリアさんの家の近くに住む人間の男に手伝ってもらったそうだ。その男も、なにかと私を助けてくれた、恩人である」
「ふーん。…男ねぇ…」
 その男とやらが、マリアとどういう関係かは知らないが、こんな得体の知れない緑色の大男を、よく女が住む家に運ぶのを手伝ったなと、ソフィスタは思う。マリアの身が危険にさらされることを、彼は考えなかったのだろうか。マリア自身も、危険を感じなかったのだろうか。
 まあ、かくいうソフィスタも、研究目当てでメシアを一人暮らしの自宅に連れ込んだのだが。
 …マリアも、あたしと同じでメシアに興味を持ったのかな。本当に親切心だけで助けたのかな。…マリアって、どんな女性なんだろう。メシアよりひと回り年上で、綺麗な人らしいけれど…。
 メシアは、マリアに対して特別な感情を抱いているような素振りを見せたことがある。そのメシアに恋をしているソフィスタとしては、メシアとマリアを合わせることに抵抗が無いわけではないが、ソフィスタもマリアに興味があるし、恩人に会わせてやりたいという気持ちもある。
「あっ、あれだ!あの低い木に囲まれた家だ!」
 人通りは無いが、そこそこ広い道の左側に見える植木を指してメシアが声を上げ、さっそく走りだした。悶々としていたソフィスタは反応が遅れ、馬を少し急がせてメシアを追った。
 マリアの家は、玄関前に庭のある一階立ての一軒家で、家屋自体は、ソフィスタが住む借家より広く見える。馬車を入れるスペースもあったので、ソフィスタは馬車に乗ったまま敷地に入った。
 庭を抜け、メシアは玄関前で立ち止まろうとしたが、勢い余って両手をドアに突き、バンッと音を立ててしまう。
 住人を驚かせてしまったのではないかとソフィスタは心配するが、メシアはお構いなく「マリアさん!!」と声を張り上げた。
「落着け!そんなでかい声を出さなくても聞こえてるって!」
 馬車を下りてドアの前まで来たソフィスタが、ドアノブへと伸ばされたメシアの手を掴んだ。
「知り合いとは言え、乱暴にドアを叩いて大声を出したら驚かれるし、近所迷惑だろ」
「…そ・そうであるな。すまぬ」
 謝るメシアを押しのけ、ソフィスタはドアをノックしようとした。しかし、ドアの向こうから足音が近付いてきたので、腕を下ろし、メシアと共にドアから離れた。
 ドアノブが回り、ドアが半分ほど開かれると、中年の男性が姿を覗かせた。てっきりマリアという女性が出てくると思っていたソフィスタは、見知らぬ男性の登場に目を丸くする。
 男性は腰に警棒を差しており、アーネスの自警隊と似たような格好をしている。彼はソフィスタを怪訝そうな顔で見た後、さらにドアを開き、ソフィスタの隣に立つメシアに気付いて目を見開いた。
「メシアさっ…メシアさん!!」
 名前を呼ばれ、メシアも男をじっと見る。
「お前は……ああ、覚えておるぞ。名前は何だったか…」
 彼らの様子から、顔見知りではあると判断したソフィスタは、一歩後ろに下がってメシアに場所を譲った。
「レジーだよ!久しぶりだな!そうか…来てくれたのか…!」
 レジーと名乗った男は、メシアの両手を握り、上下に振った。彼の声と表情は、嬉しそうにも悲しそうにも見て取れる。
「メシア、この人を知っているの?」
「うむ。この家の近所に住んでいる、マリアさんの友達である。さっき話した、マリアさんを手伝って私をこの家に運んでくれた男が、彼…レジーなのだ」
 それを聞いてソフィスタは、メシアにとってのレジーの立場は理解したが、なぜ彼はマリアの家にいるのだろうか。
「あの時は世話になった。ところで、マリアさんはおるか?」
 メシアは体を少し傾け、ドアが開け放たれたままの玄関の奥の様子を窺う。他に誰かがいる気配は、今のところ感じられない。
 レジーは、ひどく辛そうな顔で俯く。
「…レジー?」
 メシアに声をかけられても、レジーは返事をしない。ソフィスタも、様子がおかしいレジーに声をかけようとしたが、その前にレジーが顔を上げ、口を開いた。
「マリアさんは…ここにはいない。…あの馬車は、君たちのものかね?」
 レジーがメシアの手を放し、馬車を指して、そう尋ねてきた。ソフィスタは「ええ、まあ…」と答える。
「そうか。じゃあ、マリアさんがいる場所へ案内するから、貴重品だけ持って、他の荷物はこの家の中に置いて鍵をかけていこう。ここから遠くはない場所だが、馬車は奥まで入れられないので、歩いて行こう」
 勝手に話を進め、ソフィスタとメシアの脇を通って馬車に近付くレジーを、ソフィスタは「ちょっと待って下さい!」と怒りを含んだ声で止める。
「ここはマリアさんの家ですよね。なぜ、そのマリアさんがいなくて、あなたがいるんですか?なぜあなたが、この家の鍵を持っているんですか?」
 レジーは立ち止まり、ソフィスタを振り返る。彼は、やけに深刻そうな顔をしていた。
「…後で説明しよう。ところで、君はメシアくんの友達かい?」
「えっ…まあ、保護者です」
「そうか。でも、一緒にここへ来たのだから、仲は良いんだろう」
 素直じゃないソフィスタは返答に困ったが、代わりに正直者のメシアが「ソフィスタとは、体を張って助け合える仲である」と答えた。
「お前っ…大げさに言うな」
「大げさなものか。私の怪我を治すために、森の中を一日中走り回って薬草を探したり…」
「余計な話をするな!!」
 ソフィスタはメシアの脛を蹴り、メシアは「痛いっ!」と悲鳴を上げ、蹴られた箇所をさする。
「とにかく、私はメシアの保護者です」
 ソフィスタは、レジーに強く言う。
「そ・そうかい。まあ、何にしても、メシア君と一緒に来てくれて、ありがとう。…さあ、荷物を下ろしなさい」
 何でメシアのことでレジーが礼を言ってくるのか、ソフィスタは疑問に思う。
「ソフィスタ。私にも何が何だか分からぬが、レジーは信頼できる者だ。言う通りにしよう」
 何を根拠に、メシアがレジーを信頼しているかは分からないが、力ずくで事情を聞き出す気になるほど悪い人間にも見えず、ソフィスタは仕方なく、レジーに言われた通り馬車から荷物を下ろしてマリアの家に預けた。


 *

 レジーは、これから行く場所や、なぜマリアが自宅にいなかったのかなどは聞いても教えてくれなかったが、他のことは、わりと話してくれた。
 元々レジーは、西のトルシエラ大陸にある国の衛兵だった。今から二十年ほど前に、事故で重傷を負って体が不自由になったため、衛兵を引退し、レジーの両親が暮らすラゼアンへ妻子と共に引っ越し、リハビリを続けた。
 努力の甲斐があって、人並みに動けるようになったが、その頃には五十路も近く、年老いた両親の体も心配なってきたので、トルシエラ大陸には戻らず、前々から誘われていた自警隊に入隊した。
 そしてマリアとは、トルシエラ大陸にいた頃に知り合い、十数年ほど前にラゼアンで再会し、住む場所に困っているというので、レジーの両親が自宅に迎え入れたそうだ。
 つまり今のマリアの家は、元々はレジーの両親の家ということだ。レジーの両親が亡くなってからは、家はマリアに譲られ、レジーがマリアの家の鍵を持っていたのも、そのためなのだろう。
 それにしてもレジーは、やけにマリアに親身だと、ソフィスタは思う。
「ところでメシア君は、アーネスへは用事があって向かっていると、以前話してくれたが、その用事は済んだのかい?」
 夕日を背中に浴び、長い影を追うようにして坂道を上り歩きながら、レジーは隣にいるメシアに尋ねた。
「いや、まだ済んではおらぬ」
 メシアは、貴重品などを入れたザックを肩から下げ、その上から巻衣を羽織っている。
「そうかい。では、なぜラゼアンへ?」
「それは、ソフィスタが通う学校の…」
 メシアはレジーの質問に答えようとしたが、後ろにいるソフィスタに巻衣を引っ張って止められた。
 ソフィスタの腕には、花束が抱えられている。花屋に寄ってレジーが買い、ソフィスタに持たせたものだ。なぜ買ったかは教えてくれなかったが、プレゼント用には見えない。
 ソフィスタは「余計なことは話すんじゃない」とメシアを厳しく注意する。仕方なさそうにメシアは黙り、レジーは機嫌が悪そうなソフィスタの顔を見つめる。
「…もしかして、私を警戒しているのかい?」
「はい。自警隊員とは言え、不審な行動が幾つか見られますから」
 きっぱりとレジ―に言い放つソフィスタを、メシアが叱る。
「ソフィスタ!レジーは不審な者ではない!!」
「いや、構わんよ。君の言う通りだし、メシア君は私を信頼してくれているようだが、実はそれほど知った仲ではないのだよ」
 不審がられている割には、レジーは嬉しそうな顔をしている。今まで、どこか辛そうな顔をしていたというのに、一体何が辛くて、何が嬉しかったのだろうと、ソフィスタはレジーを睨みながら思う。
「若いのに、しっかりとした子だ。メシア君は人間の社会を知らないから、アーネスでも困ったことになってはいまいかと、心配していたのだが…。ソフィスタさんは、あのアーネス魔法アカデミーの有名人だろう?君のような賢い子と一緒なら、安心だ」
 そう話して微笑み、レジーは前へと向き直る。
「…アーネスでもって…。メシア、お前、この町でも何かやらかしたのか?」
「いつも私が何かやらかしているふうに言うな」
「やらかしているじゃねーか。アーネスじゃ指名手配にされかけたんだぞ」
 そうしているうちに坂道が終わり、目の前にレンガの塀と鉄の門が現れた。開け放たれていた門をくぐって中に入ると、そこは丘の上の広場となっていた。
 奥には人工的に形を整えられた石が、幾つも規則的に並んでいる。それを見てソフィスタは立ち止まり、「えっ…」と呟いた。
 石畳を挟んで連なるそれは、墓石であることが分かった。形や大きさは様々で、夕日を浴びてほんのりと朱色を帯びている。
「ソフィスタ?どうしたのだ」
 ソフィスタより数歩進んだところで、彼女がついてこないことを不思議に思ったメシアは、戻って声をかけた。
「…いや…別に…」
「?…そうか。それにしても、ここはどのような場所なのだ?それに、どこにマリアさんがいるというのだ」
 メシアは広場を見回す。門を潜った位置から見渡せる程度の広さで、ソフィスタたちの他には誰もいない。
 しかしレジーは、ただ前を向いて石畳を歩き、奥へと進んでゆく。
 ソフィスタは、手にしている花束へと視線を落とす。
 …まさか…いや、でも…。
 自宅にいなかったマリア。レジーの辛そうな表情。マリアのもとへ案内すると言って連れてこられた墓地。そして、この花束。
 嫌な予感を覚えるピースが、これほど揃っている。
「おいソフィスタ、行くぞ」
 メシアに促され、ソフィスタはゆっくりと歩き出す。
 レジーは、一つの墓石の手前で、ソフィスタたちが来るのを待っていた。墓石はソフィスタの身長の半分ほどの高さで、そこそこ立派な造りだが、この墓地にある墓石全体から見れば、目立つほどではない。
 メシアはレジーの隣に並び、彼に尋ねる。
「レジーよ、この石は何なのだ?マリアさんのもとへ案内してくれるのではなかったのか?」
 レジーは沈痛な面持ちで墓石を見下ろし、一つ息をついてから、「マリアさんは、この中だ」と答えた。
 メシアより少し遅れて来たソフィスタは、それを聞いて言葉を失う。
「…この中?どういう意味だ?」
 メシアは腰を屈め、墓石を眺める。そして、そこにマリアの名前が刻まれていることに気付くと、息を呑んだ。
「マリアさんは…この墓石の下で眠っている。つい二週間前に亡くなったのだよ」
 それを聞いて、メシアはレジーを振り返る。
「なっ…亡くなった?い・いや、だが、嘘だろう!?」
 レジーと墓石を交互に見て、さらにソフィスタに、メシアはすがるような視線を送った。ソフィスタも、信じられないといった顔で墓石を見つめていた。
 マリアの名前の下には、二つの年月日が刻まれている。マリアの生まれた年月日と、亡くなった年月日なのだろう。
 レジーの言う通り、亡くなったのは二週間前で、まだ三十五歳だったようだ。今も実家で元気に暮らしているはずの、ソフィスタの母親より若い。
「嘘だろう…。この町で待っているから、いつでも遊びに来ていいと、マリアさんは言ってくれたのだ。私を…笑顔で見送って…」
 墓石に視線を戻し、メシアは弱々しく呟く。その背中に、そっとレジーの手が添えられる。
「君がラゼアンを訪れる以前から、マリアさんは病気がちで、余命も言い渡されていたのだよ。…君に会ってから、しばらくは具合が良かったのだが…亡くなる三日ほど前に、急に体調を崩してしまい…そのまま…」
 マリアの墓前に来るまで、マリアが亡くなっていることを話さなかったのは、マリアに会うことを楽しみにしていたメシアへの気遣いか、墓前に来るまで辛い事実を語る決心がつかなかったからかは分からない。だが、どちらにしろ、心を痛めていたレジーに思い切り不審だと言ってしまった自分を、ソフィスタは恥じた。
 いつメシアに襲い掛かってくるか分からないエルフや、いつ何をしてくるか分からないホルスに遭遇し、元々人間不信のソフィスタが、さらに警戒心を強めてしまうのは仕方のないことではあるが。
「…そんな……」
 メシアの体が、ふらりと前に傾いた。石畳の上に膝と両手を着き、ザックの肩紐がメシアの腕からするりと抜けて落ちる。
 そのまま、メシアは黙ってしまう。
 気付けば、夕日で赤く染まっていた西の空は、東から迫る深い青に浸透されつつあった。レジーはメシアの背中を撫でてから、ソフィスタに声をかける。
「君たちは、今日はこの町に泊まるのだろう?宿はとってあるのかい?」
「えっ?…はい、泊まるつもりで来ましたが、まだ宿はとっていません」
 少し反応が遅れて、ソフィスタは答える。
「それなら、私の家に泊まりなさい。私は先に帰って、食事と寝具の用意を妻に頼んでおこう。その後、マリアさんの家へ戻るので、そこで落ち合おう。マリアさんの家までの道は覚えているかい?」
「はい、覚えています。…でも、良いんですか?急に来て、お世話になってしまって…」
「いつかメシア君が、再びラゼアンを訪れた時には、私の家に泊まってもらうつもりだったのだよ。…それに、家には妻と子供たちがいる。大勢で食事をしたほうが、気持ちも紛れるだろう」
「…そう…ですね…」
 ソフィスタは、メシアの背中を見つめる。
 あの前向きの熱血漢が見る影も無く、茫然自失となっている。慰めてやりたいとは思うが、ソフィスタ自身もマリアの死にショックを受け、平静を努めるのにいっぱいいっぱいであることが自分でも分かる。
 こんな状態でメシアを慰められる自信は無い。だがレジーなら、メシアのことをずいぶん気遣ってくれているようだし、マリアのことを全く知らない自分より、メシアの良い話し相手になってくれるかもしれない。
 そう考え、ソフィスタはレジーに「では、お言葉に甘えさせて頂きます」と答え、頭を下げた。
「それと…さっきは不審だなんて失礼なことを言って、申し訳ありません」
「ああ、気にしないでくれ。それより、メシア君の傍にいてやってくれ。…頼む…」
 そう言ってレジーは、ソフィスタとメシアを残して墓地を去った。
 レジーを見送ると、ソフィスタはメシアの隣に立った。その気配は感じているはずだが、メシアは反応を示さない。
 レジーが花束をソフィスタに持たせたのは、こうなることが分かっていたからなのだろう。
 …メシア…。本当に好きだったんだな。マリアって人のことを…。
 浜辺で倒れていたところを助けてもらっただけでなく、よほどメシアはマリアに良くしてもらったのだろう。メシアの外見を怖がらなかったという彼女の存在は、人間に恐れられて海に落ちたばかりのメシアにとって、命の恩人以上に大きなものとなり、それが恋心かどうかはメシア自身でも分かっていないようだが、どれほどマリアを慕っていたかは今のメシアを見れば分かる。
 メシアが恋をしているかもしれない女性だと思って危機感を覚え、会わせたくないという気持ちが沸かなかったわけではない。だが、こんな形で二度と会えなくなるなんて、決して望んでいなかったし、こんなことは嘘であって欲しいとソフィスタも思う。
 …あたしも、マリアさんに会って話をしてみたかった。こんなことになるなら、メシアに会わせてやりたかった…。
 呼吸により微かに動く以外、メシアは体を動かさず、黙り込んでいる。
 ソフィスタも、ただ黙って立ち尽くし、メシアを見下ろすことしかできなかった。


  (続く)


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