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ありのままのメシア 第十三話


   ・第二章 マリアとの出会い

 自宅に戻ったレジーは、妻と娘に、メシアとソフィスタの食事と寝室の準備を頼むと、マリアの家へ戻った。
 マリアは余命を言い渡されてから、少しずつ身の回りの整理をし、家も土地も速やかにレジーに返還されるよう手配していた。
 今まで世話になった礼と、亡くなった後の葬儀などの費用にと、生前のマリアは遺産の全てをレジーに譲渡したのだった。
 家と土地、祖父母が暮らしていた頃からある家具、そしてマリアが日常的に使っていたため残されている衣類や食器などの私物も、事実上レジーが所有するものとなっている。
 レジーは暗い寝室に入り、ベッドの前に立つ。ここで、レジーは家族と共にマリアを看取った。
 枕もマットも片付けられたベッドを、自警隊員に配布されたマジックアイテムの灯りで照らし、レジーは深くため息をついた。
「まだ、約束を果たすべき時ではないのでしょう。しかし…」
 レジーは、カーテンによって閉ざされた窓を見遣る。僅かな隙間から、街灯の柔らかな光が差し込んでいた。
「…メシア様にとって、本当の幸せは…どこにあるのでしょうか…マリア様…」
 どこか神秘的な細長い光を、レジーはすがるような目で見つめ、そう呟いた。


 *

 ソフィスタが抱えている花束が風に揺られ、花びらや葉を擦り合わせて音を立てた。それに気付いたように、俯いていたメシアが顔を上げ、弱々しい声で「ありがとう」と言った。ソフィスタは、それはマリアに向けられた言葉かと思ったが、そうではなかった。
「ずっと、そこにいてくれたのだな」
「えっ…うん」
 普段なら皮肉でも言い返すソフィスタだが、さすがに今はそんな気にはならず、また一言返事をする以外にかける言葉も思い浮かばない。
「寒くなかったか?」
「…別に…あたしは寒いのは平気なほうだから」
「そうか…。レジーは、どこへ?」
「マリアさんの家で待っているって言ってた。今日はレジーさんの家に泊めてくれるってさ」
「…そうか…」
 メシアは、ゆっくりとソフィスタを振り返った。辺りは既に暗く、時折雲に隠れては姿を現す月の明りが、メシアの表情をソフィスタに教えた。
 泣いてはいない。だが、その気力すら無いような顔をしている。
「…これ、花束…。墓前に供えてあげな」
 メシアの顔を見ていられなくて、ソフィスタは視線を少し逸らして花束を差し出した。メシアは花束を受け取り、マリアの墓へと向き直る。
「ここに…寝かせるようにして置けばよいのか?」
「ああ」
「…人間は、どういった作法で冥福を祈るのだ」
「自分のやり方で良いと思うよ。そのほうが、きっと伝わる…」
 メシアは、そっと花束を墓前に供えると、ソフィスタには見慣れない姿勢を取って、目を閉じた。ソフィスタも胸の前で手を組み、目を閉じてマリアの冥福を祈る。
 先にソフィスタが目を開き、腕を下ろした。それから間もなく、メシアも目を開き、落としたザックを拾って立ち上がった。
「待たせたな、ソフィスタ。…マリアさんの家へ戻ろう」
「もういいのか?」
「ああ。…ただ、明日もここへ来てよいか?」
「うん。あたしも、また来たいと思っていた」
 それを聞いて、メシアは微笑んだが、ちょうど月が雲に隠れ、ソフィスタにはよく見えていなかった。
 メシアは巻衣を羽織り直し、ソフィスタに「行こう」と告げる。ソフィスタは頷き、右肩に乗っているセタに光の魔法をかけて足元を照らしてから歩き始めた。
 何も話さず、ソフィスタとメシアは黙って並んで歩く。
 …辛いだろうな。何か言って励ましてやったほうがいいのかな…下手に声をかけないほうがいいのかな…。
 歩調を合わせてくれるメシアの足音を聞きながら、ソフィスタは、メシアの心をひたすら案じる。
 …何か言ってやるにしても、何て言えばいいんだろう。そもそも、マリアさんのことを何も知らないあたしが、メシアを慰めることなんて…。
 …そうだ。あたしは、マリアさんのことを何も知らない。何も知らないまま…。
「マリアさんって…どんな人だったんだ」
 ソフィスタは、つい声を漏らしてしまった。メシアはソフィスタを振り向き、じっと見つめる。
 視線に気付いたソフィスタは、今の独り言を言わなかったことにするべく誤魔化すか、メシアの反応を待つべきか迷う。その決断を下す前に、メシアが口を開いた。
「そうであるな…。優しくて、明るくて…だが、深い悲しみを抱えていて…それに、不思議な女性であった…」
「不思議な?」
「うむ。初めて会った時…浜で倒れていた私を助けに来てくれた時も…」
 メシアは星空を見上げ、マリアとの出会いと、たった一日だけだが彼女と共に過ごした思い出を、ソフィスタに語り始めた。


 *

 かつて人間によって迫害され、辺境に追いやられたメシアら種族、ネスタジェセルは、今では人間にとって未知の種族であり、エルフにとっては昔と変わらず抹消すべき存在であった。
 だから、エルフにはもちろん、人間にもむやみに姿を見せてはいけないと、故郷ルクロスを発つ前に、メシアは育ての親や年長者から厳しく言われた。
 それに従い、人間がいそうな場所は避けてアーネスへと向かって進んだが、やがて海に行く手を阻まれた。
 初めて海を見たメシアは、そのとてつもない広さに圧倒され、感動し、そしてアーネスへは海を渡らなければならないという現実に気付かされた。
 まずは試しに泳いで渡ろうとしたが、いくら泳げども行く先に陸地は現れず、波と日差しに体力を削られ、さらに獰猛な海洋生物に襲われたりもして海の脅威の洗礼を受けたメシアは、やむなく引き返したのだった。
 困り果てて海沿いを歩いているうちに、人間が乗る大きな船を見つけ、船着き場にいる人間たちの会話から、それがアーネスがある大陸へ向かう船であることを知った。
 メシアは船倉に忍び込み、船荷の陰に隠れたが、船が出港して数日後、船酔いでぐったりしていたところを人間に見つかり、化け物と呼ばれて武器を向けられ、フラフラと甲板を逃げ回っていたら、船が揺れた拍子に海に落ちてしまった。
 紅玉の光が指し示す方角を、荒波に逆らって泳ぎ続け…この辺りの記憶は、ほとんど無い。おそらく何日か泳ぎ続け、体力が尽き意識を失ったが、運良く陸地に打ち上げられたのだろう。気が付いたら、浜辺で仰向けに倒れていた。
 しかし、この時は意識が朦朧としており、半分開いている目蓋から覗く景色はぼやけ、触れているはずの砂の感触も無い。
 だが、左胸あたりの感触と、嗅覚だけは、やたらと冴えていた。
 何かがメシアの左胸に触れ、そこから温もりが伝わってくる。
 どこか懐かしい香りが、メシアの心に安らぎを与える。
 全てから守られ、愛情を一身に注がれているような、そんな錯覚すらしてしまう心地よさに、メシアは眠りへと誘われる。
「…この傷は……あなたは…」
 女性の震える声がメシアの耳に届き、閉じかけた目蓋の隙間から、人間らしき者の顔が見えた。
 しかし、それを脳が認識する前に、メシアの意識は途絶えた。


 *

 目を覚ますと、まず一面の木目がメシアの視界に広がった。
 温かく、柔らかいものに体は包まれており、それがあまりに心地よくて、状況を把握し始めるのに少々時間がかかった。
 …ここは…屋内?そういえば、私は海に落ちて、泳いで……っ!
 ぼんやりとそこまで考えた直後、メシアの意識は覚醒した。
 …ここはどこだ!?
 メシアは上半身を勢いよく起こした。肩までかぶさっていた毛布が捲れ、メシアの視界を一瞬遮る。
 毛布は、メシアの膝の上に、くしゃくしゃになって落ちる。目の前を遮るものがなくなり、そこに現れた光景に、メシアの思考と動きが一旦止まる。
 レースのカーテン越しに差し込む日の光によって照らされる、質素だが清潔感のある部屋。四方を囲う白い石壁も、年季は入っているがキレイに磨かれているようだ。
 タンスや机、観葉植物、本棚といった家具が置かれており、メシアの故郷にある家具とはだいぶ雰囲気が違う。
 そしてメシア自身は、部屋の角に置かれたベッドの上にいた。
 …家の中?どこの?誰の家だ!?
 メシアは辺りを見回し、視界に自分の左手が過った時、そこに紅玉が無いことに気付いた。
 紅玉だけではなく、耳飾りや襟飾り、戦士の装束や巻衣も身に着けていない。代わりに、胸から脹脛までにかけて、柔らかく厚手の布に包まれている。
 …紅玉が無い!どこだ!!
 メシアはシーツの上を両手でまさぐり、その手が枕を叩くようにして触れた時、立ち上った香りに気を取られた。
 優しく、不思議と懐かしく、焦っていた心を落ち着かせる。他のことは何も考えられなくなるほど、その香りに惹かれたメシアは、ふらりと体を倒し、枕に顔を埋めた。
 部屋のドアがキィと音を立てて開いたのは、ちょうどその時だった。音が耳に届くなり、メシアは跳ね上がるように体を起こす。
 ドアの向こうから、人間の女性が顔を覗かせる。メシアと目が合い、一瞬、ひどく悲しく切なそうな表情を見せたが、すぐに明るい笑顔を浮かべて部屋の中に入ってきた。
「良かった。目を覚ましたのね」
 女性は、何のためらいも無くメシアに近付く。ドアが開く音を聞いた時から鼓動が早くなり、落ち着きを失っているメシアは、近付いてくる彼女に声を掛けることも逃げることもできなかった。
 女性は水差しを右手に持ち、左手では何かを包んだ布を抱えている。布のほうは、ベッドの隣にある机の上に置かれるが、その際、布の中からカチャカチャと小さな金属音が聞こえた。
「喉が乾いているんじゃない?お白湯を入れてきたけれど、飲む?」
 女性は、水差しを持ち上げるようにしてメシアに見せた。しかし、まだ落ち着きの無いメシアは、反射的に首を横に振ってしまい、女性は「そう。じゃあ、ここに置いておくから、飲みたくなったら飲んでね」と言って、水差しも机の上に置いた。
「あなたが着ていた服は、洗って外に干してあるわ。アクセサリーも、ちゃんと海水を拭き取ってあるからね」
 女性は、机の上に置いた布を開く。中から、メシアの耳飾りや襟飾り、紅玉などが現れた。確かに、全て丁寧に汚れを落とされている。
 金属類を机の上に残し、それらを包んでいた布を、女性はメシアの前で広げて見せた。それは、ただの布ではなく、女性が着ているものよりもサイズが大きいローブであった。
「服が乾くまで、これを着ていてちょうだい」
 そう言って女性は、ローブをメシアの膝の上に置いた。
 彼女は常に笑顔で、メシアに優しく話しかけてくる。船で人間に襲われたことが記憶に新しいメシアにとって、それは驚くべきものだったが、彼女の態度があまりに自然であったため、驚くまでもう少し時間がかかった。
「レジーさん…近所に住む友人から借りてきた男物のローブで、サイズも大きめだから、あなたにも着られると思うけれど…」
 さらに彼女は、ベッドに腰かけ、メシアの頬を撫で、湿った銀髪に触れた。そこでやっとメシアは、彼女の態度が他の人間のものとは違うことに気付いた。
「…うん、髪はまだ少し濡れているけれど、体は温まっているわね。浜辺で倒れていたあなたに触れた時は、すごく冷たくて、びっくりしたのよ」
 それを聞いてメシアは、自分がここにいる事情を理解した。
 船から海に落ち、浜辺に流れ着いて倒れていたところを、この人間が見つけて介抱してくれたのだ。彼女が言う浜辺で、一時的に意識を取り戻していたことも思い出す。
 だが、女一人の力でメシアを運ぶことは難しい。マリアは首にスカーフを巻き、袖が長くゆったりとしたシャツと、足首まで隠れる長いスカートを履いており、完全に体格を隠してしまっているが、指は細く、頬もこけており、とても一人でメシアを運べるほどの筋力と体力が備わっているようには見えない。
 おそらく、メシアを運ぶのを手伝った人間がいるはずだ。だがそれより、今こうして彼女に触れられていることに、メシアは驚かされていた。
 …この人間…私を全く警戒していない…?
 彼女にとって、ネスタジェセルであるメシアは未知の生物であるはずだ。しかも、メシアの体は大きく逞しく、対して女性は若干痩せ気味に見える。
 船で遭遇した人間の中には、メシアほどではないが力が強そうな男がいた。彼ですら、メシアに恐怖しているような顔を見せた。
 だが、目の前にいる女性には、メシアを警戒している様子は見られない。危険な存在ではないと思われているのであれば嬉しいことだが、思われていなさすぎても、それはそれで困惑する。
 …なぜ、この人間は私の姿を恐れぬのだ?種族の違いや、体格の差を考えれば、私が彼女の立場でも多少なりと警戒はするだろうに。なのに、なぜ…?
 そしてメシアもまた、彼女の言動に驚かされはするものの、警戒することができなかった。
 自分より弱そうに見えるからでも、命の恩人であることを知ったからでもない。むしろ、この人間の姿を見る以前から、危害を加えてくる存在ではないと本能が悟っていたような気がする。
 …確かに、こうして触れられていると、心が落ち着く…。手の感触に、温もりに、まるでルクロスの仲間たちのもののような親しみを感じる…。
 そう思った矢先に、女性の手がメシアの頬から離れた。メシアは、その手を掴んで引き戻したい気分になったが、自らの右手をシーツから少しだけ浮かしたところで止まった。下手な行動を取って、彼女に危険だと思われたくなかった。
 女性はベッドから立ち上がり、メシアの正面へ移動する。スカートと髪が揺れ、枕のものと同じ香りを漂わせた。
「ねえ、あなたの名前を聞いてもいい?私はマリアよ。よろしくね」
 マリアと名乗った女性は、スカートをつまんで軽く持ち上げ、首を少し横に傾け、にっこりと笑った。
 メシアには、その仕草にどのような意味があるのかは分からなかったが、そんなマリアの笑顔と姿に見惚れ、マリアという名前を心から素敵だと感じた。
 ぼーっとマリアを見つめていると、マリアが「名前を聞いちゃダメだったかしら?」と申し訳なさそうな顔をしたので、メシアは慌てて首を横に振り、名乗ろうと口を開いた。
 …すまない!私の名前は…っ?
 だがメシアの喉は、掠れた声しか発しなかった。
 あれ?と思って、もう一度喋ろうとしたが、やはり正常に声を発することがず、喉の奥に微かな痛みを覚えた。マリアも不思議そうにメシアを見ている。
 メシアは喉をさすり、息を吐き、調子を確かめる。その様子から、マリアもメシアの喉がおかしいことを察したようだ。
「もしかして、声が出せないの?」
 マリアに、そう尋ねられ、メシアは頷いた。
「まあ…。ちょっと喉を見せてごらんなさい」
 マリアはメシアに、ぐっと顔を近付けた。ドキッとして肩を震わしたメシアをよそに、マリアは親指と人差し指を使って、メシアの口を開かせる。
「…う〜ん…素人目では分からないけれど…腫れているように見えるわ。あなた、海水をたくさん飲んでいたから、浜辺で吐き出させたんだけれど、その時か、それ以前に喉を傷めたのかもしれないわね」
 そのマリアの言葉は、メシアの頭にはほとんど入ってこなかった。触れるどころか、口を開かせて覗き込むなんて、警戒心が無いにも程がある。
 …それに、この香りは…。
 マリアはメシアの口から指を離し、外傷は無いかとメシアの首を調べ始めた。マリアの前髪がメシアの鼻先に触れ、より濃い香りをメシアは吸い込む。
 …なぜ私は、この香りに惹かれるのだろう。それに、声にも、姿にも、雰囲気にも…。
 そんなことを考えていると、急に顔を上げたマリアと目が合った。
「ねえ、声が出せない他に、悪いところは無い?」
 なぜか気恥ずかしくなったメシアは、マリアの問いに、大げさに首を横に振った。
「そう?…とにかく、お医者さんに見てもらったほうがいいわね。午後から診察して頂く予定だから、一緒に診療所へ行きましょう」
 メシアの故郷にも医者はおり、診療所と呼ばれる設備もある。まあ、幼い頃から体が丈夫なメシアは、医者と仲は良くても、病気や怪我などで世話になることは少なかったが。
 むやみに人間に姿を見られてはいけないと言われているのに、果たして人間の医者に診察されに行っても良いものかと考えながら、メシアは渡されたローブを身に着ける。
「…でも、名前が分からないと不便ね。声を出せないんじゃあしょうがないし…よーし、どんな名前か、当ててみせるわ」
 マリアは「う〜ん」と唸ってから、「あなたの名前は、モーリス?」とメシアに聞く。当然、メシアは首を横に振る。
「じゃあ…フレイド?ケイニー?アベル?…マーシャス?」
 聞かれるたびに、メシアは首を横に振る。名前など、そう簡単に当てられるものではなく、このまま聞かれ続けてもキリがなく、しかしろくに声を出せない今、どうやって自分の名前を伝えればよいものだろうかと、メシアは悩む。
 だが、次にマリアが挙げた名前に、メシアは耳を疑った。
「…メシア?」
 名前を言い当てられ、メシアは驚いた顔でマリアを見つめる。
「もしかして、当たっていた?」
 メシアが頷くと、マリアは「やっぱり!」と手を叩いて喜んだ。
「そんな名前の気がしたのよ!あははははっ!当たっちゃった!」
 マリアは子供のようにはしゃぎ、メシアはローブの腰のあたりに付属している紐の用途を察して結びながら、名前を当てられたのは偶然だろうかと考える。
「…ねえ…メシア」
 結び終えた紐から手を離したところで、メシアはマリアに声をかけられる。顔を上げてマリアを見ると、彼女は笑顔ではあるが、どこか辛そうに見えた。
「診察の時間まで、だいぶあるし、喉の他に具合が悪いところが無いのなら…私の話し相手になってくれないかしら。もちろん、聞いてくれるだけでいいの。私、この町でずっと一人で暮らしているし、近所の人たちも忙しいから、話し相手がいなくて…ちょっと寂しくてね」
 マリアは言動だけを見る限り、明るくて優しい女性で、友達がいないようには見えない。診療所へ行く予定があると言った以上、どこか具合が悪いのだろうが、移る病気ならメシアに近付かない配慮はするだろうし、寝たきりでもないのだから、友達と話す機会くらい、いくらでも作れるようにも見える。
 だが、人間の社会の事情など、メシアは全く知らないし、他の人間が忙しくて話をする機会が無いのなら、そういうものなのかもしれない。そう、メシアは考える。
「こんなおばさんの話なんて、聞いていても面白くないかもしれないけれど…ねっ、お願い」
 人間の年齢を外見から判断することは、種族が違うメシアには難しいが、マリアがおばさんと呼べるほどの年齢には見えない。それでも自らをおばさんと呼んだのは、実際にそれなりの年齢だからなのだろうか。
 メシアはマリアを不思議そうに見つめてから、優しく微笑み、頷いた。
 …できるだけ早く、罪人ソフィスタのもとへ向かいたいが…人間のことを知る良い機会だ。体の具合も万全ではないし、人間の話を聞きながら休ませてもらえるのなら、こちらとしても都合が良い。それに、私を助けてくれた親切な者の頼みを断るわけにはいかぬ。
 メシアが頷いたのを見て、マリアは嬉しそうに笑い、メシアの隣に腰掛けた。人間に化け物と呼ばれ、武器を向けられたメシアの心が、マリアの笑顔に癒されてゆく。
 笑顔だけではない。声も、仕草も、香りも、彼女の全てが優しく温かく、そしてどこか懐かしかった。
 …不思議な人間だ。傍にいると心が安らぐ。この人間のことを、もっと知りたい…。
 マリアへの興味と、彼女の傍にいたいという気持ちが、メシアの中で沸き上がる。
 だが、使命を忘れてはいけない。体を休める少しの間だけと、メシアは自分に言い聞かせ、心が浮かれすぎないよう努めながら、マリアの話を聞いた。


  (続く)


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