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ありのままのメシア 第十四話


   ・第一章 エルフの男

 人間の世界を守るために、エルフは存在する。大人のエルフたちは子供のエルフに、そう厳しく教える。
 特に気を付けるべきは、自らの種族を"ネスタジェセル"と呼ぶ者たち。奴らは、はるか昔に絶滅したとされているが、過去に存在したという証すら人間の世界を壊しかねない、汚らわしく、忌々しい種族である。
 幼い頃のタギも、大人たちから、そう教えられ続けていた。
 人間が遺跡の調査などをする際、エルフの男が積極的に協力するのも、ネスタジェセルの存在を人間に知られることを懸念してのものなのだ。
 男エルフは、幼い頃から戦闘訓練を積み、大人になったら人間の世界を守るために各地を巡ったり、考古学者や地形学者のもとへ派遣される。遺跡や地層からネスタジェセルの痕跡が見つかることを懸念し、ボディーガードとして積極的に男エルフを調査に参加させることで、人間を監視するのだ。
 昔は治癒能力を持つ女エルフも同行させていたが、その能力と希少性、人間より遥かに若い期間が長いという特性に目をつけた人間に乱獲されるという事態が起こり、それ以降、基本的に女エルフは国を出てはいけないことになっている。
 女エルフの治癒能力が必要となったら、男エルフは国へ戻るが、そうでなくとも定期的に国へ戻り、怪我や病気はしていないか、いわゆる健康診断を受ける。
 エルフの国には、健康診断用の巨大な魔方陣があり、診察を受ける者は魔方陣の中央で横になり、魔法力のあるエルフが魔方陣を作動させて診察を行う。なお、魔方陣が作動している間、診察を受ける者は意識を失うが、意識があると診察の精度が下がるので、あえて眠りの魔法も魔方陣に込めているのだと、タギは聞いている。
 定期的な健康診断はエルフの掟でもあり、女エルフの妊娠の検査にも、その魔方陣が用いられる。
 他にも、人間同士の戦争に加担してはいけない、女エルフの治癒能力は人間の医学の進歩の妨げになるので人間に使ってはいけないなど、人間と深く関わらないための掟が多くある。人間の社会を守るためには、エルフが干渉しすぎてもいけないのだ。
 タギも、大人たちの言うことに従って掟を守っていたが、外見が人間の十歳相当になった頃から、掟に疑問を抱くようになった。
 なぜエルフは、人間の世界を守ることに徹底しているのだろうか。
 なぜネスタジェセルは、人間の世界を脅かす存在とされているのだろうか。
 それを他のエルフたちに聞くと、信じられないといった顔をされ、言い伝えだのエルフの本能だの、納得のいかない答えを返された。
 そんな納得のいかない答えしか返せない掟に、なぜ他のエルフたちは疑いもせずに従っているのだろう。そう言い出したタギは、仲間たちから奇異な目で見られるようになり、両親からも煙たがれるようになった。
 ついには、エルフの女王によって国を追放された。
 女王はタギを抹殺するつもりだったようだが、さすがにそれはやめてほしいと両親が止めたそうだ。その両親は、「もし人間たちにネスタジェセルの存在を明かしたり、人間の子供を身籠ったりと、あまり掟に背く行動を取ったら、エルフの男が殺しに来るからな」とタギに警告し、押し付けるように定期船に乗せた。
 家族や仲間たちからの別れの言葉も涙も無く、ほぼ身一つでタギは人間の地に放り出されたのだった。

 母国を追い出されたことは悲しかったが、追い出されてしまった以上は人間たちの世界で逞しく生き抜こうと、早くに気持ちを切り替えた。
 外見は子供でも、タギは既に三十年以上を生きていた。多少なりと戦い方も教わってきたし、人間の社会については母国で学べるだけの知識は得ている。自信があるとは言えないが、否が応でもやらなければいけないことに、自信のあるなしなんて関係無いと、母国への未練も悲しみも、ふっきったのだった。
 人間の土地に着いてからは、実際に人々と触れ合って人間社会を学びつつ、各地を転々とした。
 触れ合うと言っても、あまり良いことは無かった。エルフの女、しかも外見が子供であるタギは、人間たちに珍しがられ、捕まって危ない目に遭うこともあった。そのため、一つの場所には留まらなかったのだ。
 優しい人間にも出会えたが、悪い人間や、母国の同族たちから受けた仕打ちを思うと信じることができなかった。

 こうして、人間不信のままタギは各地を巡り続け、国を出てから四十年余り、外見が大人とよべなくもないほど成長した頃、魔法学の街アーネスに辿り着き、異種族に寛容な雰囲気を気に入って、少し腰を落ち着けることにした。
 アパートの一室を借りて一人暮らしを始め、様々な種族や学者から話を聞いているうちに、長いこと旅をしてきた自分でも知らないことはまだまだあると感じるようになり、再び旅に出たり、勉学に興味を持って魔法アカデミーに入学したりもして、友達もできて人間不信も克服していった。
 ソフィスタと出会ったのは、その頃である。人を寄せ付けない雰囲気のある彼女に、人間不信だった自分が重なって見えたため、タギはソフィスタを気にかけたが、うっとうしがられ、すっかり嫌われてしまった。

 ソフィスタとの距離を縮められないまま、また旅に出たくなったタギは、学校を中退してアーネスを発った。そして数ヶ月後、アーネスに戻り、ここ数ヶ月間で街に変化はないかと知人に尋ね、耳を疑う話を聞いた。
 なんと、トカゲの亜人種のような姿の男が、アーネスに住みついているというのだ。しかも、こともあろうかソフィスタと同居しており、ソフィスタと共にアーネス魔法アカデミーを出入りしているそうで、さらにヴァンパイアカースによる街の危機を、ソフィスタと共に救ったという。
 その男の名前は、メシア。まさかネスタジェセルなのではないかと思ってタギは彼に会い、直接に聞いて、そうであることを認めた。
 タギは焦りを覚えた。ネスタジェセルの存在を人間に知られまいと、あれほどエルフは徹底しているというのに、メシアの存在は既にアーネスに知れ渡っている。それを他のエルフに知られたら、メシアだけではなく、彼と同居しているソフィスタや、彼を受け入れたアーネスの街は、どうなってしまうのだろう。
 そしてタギ自身も、彼に対してどうしたらいいのだろう。ネスタジェセルの存在は人間の世界を壊すと教えられたが、メシアは壊すどころかアーネスの人々を救っている。見つけたら抹殺するのがエルフの掟だが、もはやメシアは易々と抹殺できない存在となっているだろうし、そもそも自分を見放した国の掟に従う気も無い。
 考えた末に、メシアと戦って実力を確かめた。もしメシアを黙認することになっても、彼を抹殺できる力がタギに無ければ、言い訳はできる。さらにソフィスタとの関係も探ってみたところ、どうやらソフィスタは、メシアに少し心を開いているようだ。
 それからソフィスタの自宅で彼らと食事をし、ソフィスタとの距離も少し縮まった。その機会を与えてくれたメシアを、他のエルフに殺されたくないと、タギは思うようになり、彼の味方をすることに決めた。
 そして、ソフィスタがメシアに好意を寄せていることに気付き、その恋にも味方しようと決めた。

 それから間もなく、ソフィスタとメシアがラゼアンへ行くことになり、その道中で二人の仲が進展することを、タギは期待した。
 旅先でエルフに遭遇する危険性については、メシアは人間の姿に変身できるそうだし、そもそもエルフと遭遇する可能性も、たかが知れている。実際、タギが国を追放されてから四十年余りもの間、エルフと遭遇したのは二度だけであった。
 気をつけろとメシアに念を押しはしたが、タギはそんなに心配はしなかった。
 まさかアーネスを発ったその日のうちに、エルフと遭遇するとは、思いもしなかった。


 *

「ああああああ―――――!!!!!」
 椅子に座ってウトウトとしていたところに耳障りな絶叫が響き、タギは体を跳ね上がらせて驚いた。椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったが、どうにか踏ん張った。
 目の前のベッドには、着脱のしやすい服を着たユドが、上半身を起こして騒いでいる。
「うるさい!!ここは病院なんだから、静かにしな」
 タギがユドを叱りつけると、彼はタギを振り向き、身を乗り出した。
「オレの腕が無いじゃねーか!!オイ、オレの腕はどこだー!!!」
 ユドはタギに、包帯が巻かれた両腕を突き出して見せる。どちらも肘から手にかけて失われていた。
「うるさいっつってんだろ!アンタの腕なら、だいぶグッチャグチャになっていたから、切断されたんだよ。もう処分されちまったんじゃない」
 やつれて血の気の無いユドに対し、タギの態度は冷たい。
「なんだと!?ふざけんな!!腕の再生くらい、おめーにもできるだろうが!!!」
「…チッ。瀕死だったところを助けてやっただけ感謝しな。女エルフは基本的にアタシらの母国にしかいないんだ。アタシがアーネスにいなかったら、アンタ、間違い無く死んでいたよ」
「助けるなら両腕も治しとけよ!!今からでも…」
 そう言いかけたところで、ユドはふらりと体をよろめかせ、ベッドに倒れた。
 タギは、わざとらしくため息をつく。
「…ユドさぁ…アンタと会うのは国を追い出されて以来だけど、礼儀知らずでやかましいトコロは全然変わっていないねぇ」
 タギとユドは、同い年の幼馴染であった。
 幼い頃は仲が良かったのだが、タギがエルフの掟に疑問を持つようになると、ユドは露骨にタギを嫌い、避けるようになった。ユドに裏切られ、見放されたと感じたタギもユドを嫌い、国を追放されてからは全く接点が無く、長らく彼のことを忘れていた。
 しかし最近になり、アーネスの病院から、瀕死のエルフが運び込まれたと連絡を受けた。
 関わりたくないと思いつつも、顔見知りかどうかが気になったので見に行くと、両腕がボロボロにされて意識も無いユドの姿があった。彼は、アーネスからヒュブロへ続く街道で倒れていたところを、商人の馬車に拾われ、アーネスの病院へ送られたそうだ。
 嫌っているとは言え、幼馴染の彼を見捨てることはできず、タギは自らの寿命を削ってユドの命を取り留めてやったが、腕の再生までは行わなかった。
 生物が自ら再生が不可能な部位を、女エルフの能力で再生させる場合は、特に寿命を削られてしまう。両腕を丸ごと再生となると、女エルフの平均寿命の半分は削られるだろう。
 タギには、この男のために、そこまで寿命を削る義理は無かった。
「くそォ…エルフの女は、エルフの男のために命を削るモンだろーが…」
 体力が回復していないことを悟ったユドは、仰向けになって寝転がり、タギを睨みつけて憎らしげに言った。タギは「アタシを同族扱いしなくなったのは、アンタたちじゃないか」と鼻であしらう。
「…で、何でまた、そんな重傷を負ったのさ。事故?それとも誰かの仕業かい?」
 タギがそう尋ねると、ユドは足をベッドに叩きつけて答えた。
「あのトカゲのバケモンにやられたんだよ!!!エルフが最も忌むべき存在としているヤツが、一匹生きながらえていやがったんだ!!チクショウが!!」
 そう叫び、もう一度ユドは足をベッドに叩きつける。
 ユドの答えを、タギは予想していなかったわけではないが、まさか的中するとは思っていなかった。
 そのトカゲのバケモンとは、間違い無くメシアのことだろう。ユドが保護された場所と時間を考えると、アーネスを発ったメシアとソフィスタに遭遇し、返り討ちにされて命からがらアーネスへと向かって逃げたと推測できる。
 だが、ユドの状態の酷さを見ると、それがメシアとソフィスタの仕業とは思えなかった。まあ、ユドもメシアを本気で殺害する気で襲い掛かったのだろうから、容赦ない仕打ちを受けても自業自得なのだが。
 それにしても、メシアたちのほうから戦いを仕掛けたとは思えないので、ユドから攻撃を仕掛けたのだろうが、果たしてメシアとソフィスタは無事なのだろうか。数日前に校長宛てに通信があったので、生きていることは確かだが、大怪我をしてはいないだろうか。
 なぜかヒュブロの劇場で舞台の代役を務めることになったそうだが、怪我をしたとしても、既に治ったということなのだろうか。
 ソフィスタとメシアを心配して俯き黙り込んだタギの様子を見て、ユドは歯噛みをした。
「…おいタギ、おめーがアーネスに住みついていることは、多くのエルフが知っているんだ。もしかして、あのバケモノ…この街にいたんじゃないか?そんで、おめーはヤツのことを知っていたんじゃねーか?」
 タギは顔を上げ、ユドと目を合わせる。ユドの表情は怒りを露わにしていた。
「あのバケモノ…メシアって呼ばれていたが、最初に見た時は人間の姿をしていやがった。だが、正体を現しても、一緒にいた人間の女…この街の有名人のソフィスタってヤツだが、そいつはトカゲ野郎の正体を見ても、驚いていなかった。あのトカゲは、けっこう前からアーネスにいたんじゃねーのか?おめーはそいつを見て見ぬふりをしてたんじゃねーのか?」
 ユドはタギを問い詰めるが、タギは落ち着き払っており、息を一つついてから答えた。
「アイツがこの街に来たのは、アタシが旅に出ている間のことさ。知り合ったのも二週間ちょい前で、その四日後にはアイツらアーネスを出ていっちまった」
「知り合っただあ!?まさか仲良くしてたんじゃねーだろーな!!!」
 ユドは起き上がって怒鳴り散らす。
「仲良くしちゃいけないって掟は無いだろ」
「見つけたら殺すのが掟だろーが!!」
「ぶっそうなことを大声で言うんじゃないよ!アンタが戦って負けた相手を、アタシが始末できるわけないだろ。メシアとは一度、戦ったことがあるけど、アタシも負けたし」
「戦うだけが手段じゃねーだろ!!」
「たった四日で何ができるってのさ。アタシがアーネスを留守にしている間に、メシアはいろんな人と友達になっていたようだし、下手なことはできなかったんだよ」
「屁理屈を並べてんじゃねー!!!」
 そう怒鳴ったところで、ユドはクラっと体をよろめかせた。タギは肩を竦める。
「体力も血液も足りていないんだから、回復するまで大人しくしてな」
「…体力も血液も、おめーなら回復できるだろーが」
 ユドは頭を抱えながら、ゆっくりとベッドに体を横たえた。
 タギがユドの体力の回復を最低限に留めたのは、ユドから話を聞き出すためでもあり、もしメシアにやられて重傷を負ったにしても、直ちに仕返しに行ったり、他のエルフに連絡を取ることを阻止するためでもあった。
 本当はユドと関わりたくないのに、こうして付き添っていたのも、彼を見張るためであったのだ。
 だが、ユドがメシアの存在を知ってしまった以上、他のエルフにメシアの存在が知られるのも時間の問題だろう。できれば、ユドが弱っているうちに、メシアたちを助けるべく何かしら手を打てないだろうか。
 それに、不安要素はユドだけではなかった。
「おいユド、ぶっそうなことを言うなよな。廊下まで聞こえて、看護婦たちがビビっていたぞ」
 男の声と共に、病室の引き戸が開かれた。振り返ったタギの瞳に、花束を手にした男の姿が映る。
 タギとユドと同じ尖った耳は、彼がエルフであることを示しているが、それより目を引くのは、側頭部にある花柄のリボンで束ねられた羽飾りだ。赤、白、緑と、鮮やかな色のものが混雑し、ふわふわと揺れている。
 髪は前髪の一部だけが黒く、他は薄いピンク色。顔全体が白い顔料で塗りたくられ、下瞼と唇は黒く、まるで幽鬼のようである。
 腕と足にも、頭部のものと同じ柄のリボンが巻かれ、首には黒のチョーカー。全体的に白と黒とピンクが目立つ、残念なファッションである。背負っている大剣を収めた鞘も、赤と黒のまだら模様で物々しい。
 男エルフは、主に高い戦闘能力が特徴だが、彼やユドのような残念なファッションセンスも、人間たちに男エルフの特徴として捉えられていた。
 ユドが頭を少し持ち上げ、病室に入ってきた者を見る。その目は、たちまち大きく見開かれた。
「ギラ!?何で、おめーまでアーネスにいるんだ?」
 この羽飾りのエルフの名は、ギラ。つい二日前に、この病室を訪れており、タギとはその時が初対面となった。
「たまたまアーネスに寄ったんだ。そしたらエルフの男の重傷者がいるって聞いて来てみたら、お前がいて驚いたよ」
 遺跡の調査などに派遣されている者以外の男エルフは、あちこちを渡り歩いている。そういった者どうしが偶然会うことは、可能性として無くはないが、この街にメシアが来て一月ちょいしか経たないうちにエルフが三人も集まるなんて、偶然にしても運が悪すぎるんじゃないかと、タギは思う。
「にしても、数十年前に国に戻った時以来だな、お前に会うのは。まさか、そんな姿になって再会するとは思ってもみなかったぜ」
 ギラは引き戸を閉めてからユドのベッドに歩み寄り、壁に立て掛けてあった折り畳み式の椅子を開いて置き、そこに座った。花束は、近くのテーブルの上に置く。
 ギラの外見は、人間から見ればユドより二つ三つ年上といったところだが、実際にはユドより二十年ちょい早く生まれている。
 ユドとは特に仲がいいわけではないが、何度か剣の手合わせをしたことがあるという。タギの身の上も、噂程度に知っているそうだ。
「オレだって、こんな無様な姿を、おめーに晒すとは思わなかったぜ。…それもこれも、あのトカゲのせいだ!!」
「あ?お前の怪我、メシアにやられたものなのか?」
 ユドの言葉に、ギラは目を丸くするが、ユドも驚かされた。
「何でおめーまでヤツの名前を知ってんだよ!!!」
「大声出すなって。一昨日にアーネスに来てから、少し街を見て回ったんだが、そのトカゲについて少し耳に入ったから、タギに確かめたんだ」
 昨日もギラはユドの見舞いに来ており、その時、タギはメシアについてギラに聞かれた。
 メシアをギラに売るつもりは無いが、タギが話さなくてもメシアの存在はアーネスの住民から聞き出されるだろう。だから、下手なことを人間から聞き出される前に、下手なことは伏せて話したのだ。メシアたちが街を発ってから、プルティやアズバンとメシアのことを話す機会があったが、その時に聞いたメシアの紅玉の力などは、ギラに話していない。
 このギラという男とは初対面だし、どうも彼は、何を考えているか分からない節がある。メシアのことを知ったギラが、その後どんな行動を取るかは、ユド以上に懸念すべきなのではないかと、タギは考えたのだが、メシアの存在を他のエルフに教えなかったことを責められなかったのは意外だった。
「一月と少し前に、そのメシアって名前のトカゲ男は、この街に現れ、あの有名人ソフィスタと一緒に暮らしていて、アーネス魔法アカデミーにも出入りしていたそうだ。それから何かと目立った行動を取っていたようだが、ヤツ自身は、存在をあまり知られたくないとかで、街の外まではヤツの存在は知られていないはず…って、タギから聞いたんだが…」
 ギラは、何故かフフッと笑った。
「あの忌まわしいトカゲ族が生き延びていたことには、俺も驚かされたよ。…しっかし、人間に知られちゃいけないはずの存在が、よりによって魔法学の街として有名なアーネスで、天才少女と世間に知られるソフィスタと同居しているたぁ…我が国の女王が知ったら卒倒モノだな」
 ニヤニヤしながら話すギラを見て、ユドが笑い事じゃないと言って怒るのではないかとタギは思ったが、ユドは枕に頭を沈め、ギラを睨んでこう言った。
「…おいギラ、あのトカゲのこと、女王にも誰にも話すなよ」
 ギラは笑うのをやめ、真顔でユドを見る。
「オレを、こんな目に遭わせやがったヤツだ。オレがぶった斬ってやる!他の誰かが手ェ出しやがったら、トカゲの代わりにソイツをぶった斬る!ギラ、おめーであってもだ!!」
 ユドの言葉が本気であることは、タギにもよく分かった。この男は昔から、負けず嫌いの乱暴者なのだ。
 しかし、「女王にも誰にも話すな」という言葉には、違和感を覚えた。それは、ネスタジェセルの存在の黙認を要求するもので、エルフの掟に背く行為である。
 確かにユドは、プライドを傷つけられたら、自分の力で報復し取り戻そうとするタイプではある。だが、そういったこだわりより掟を優先するのがエルフなのだ。そうでないエルフを、タギは自分以外に知らない。
 メシアを殺す気は満々のようだし、そもそも男エルフがネスタジェセルに返り討ちにされたケースは、タギの知る限りでは今回が初めてなので、ユドの反応がエルフとして本当に正しいものかどうかは、ハッキリと判別できないが。
 ギラも顔をしかめ、しばらくユドと睨み合っていたが、ふっと息を吐き出し、力を抜いた。
「そのことだが、ユド、お前もトカゲ野郎には手を出すな」
 ギラの意外な言葉に、ユドは「ハァ!?」と怒鳴り、タギも思わず「えっ」と声を漏らした。
「考えてもみろ。一匹いたからには、そいつの親がいるはずだ。何も無いところからポっと現れるわけがないだろう。俺たちエルフは、あの種族の存在を、現代からも過去からも消すことが使命だ。ならば、ヤツがどこから来たのかを突き止める必要がある。ヤツらが絶滅したとされてから今まで、エルフが見つけられなかった場所から来たことは間違い無い。手がかりとなるヤツが死んだら、探し出すのはさらに困難になるだろう」
 ギラの言い分は、もっともと言えばもっともだろう。メシアの故郷の場所がエルフたちに知られるまでは、男エルフがメシアを襲う心配が無くなるのなら、タギにとっても好都合だ。
 だが、ユドは納得のいかない顔で「でも…」反論しようとするが、それを遮ってギラが口を開いた。
「どのみち、そんな体じゃ何もできないだろ。お前が怪我をして休んでいる間、他のエルフもヤツに手出しができなくなるってことで、ここは妥協しろ。他のエルフや女王には、俺から連絡を入れておく」
 ギラは立ち上がり、タギに「その花束を活けておいてくれ」と頼み、さらに「ユドの世話代と、少しだが医療費だ」と言って、タギに金を渡した。
「足りないだろうから、後でユドを通して国に請求させろ。ユド、大人しく体力の回復に努めて、国に帰って腕をどうにかしてもらえ」
 ユドは、まだ不満そうな顔をしていたが、何も言わなかった。タギもギラの言葉が気に障って、彼を睨む。
 男エルフは、女エルフが治癒能力で寿命を削ることを、何とも思っていない。
 だが、国にいる女エルフたちも、それが当たり前であるように命を削って、怪我や病気を治している。女王や、その親族の女、繁殖が可能な女など、治癒能力以外でエルフにとってメリットとなるものを持つ女は、治癒能力の使用を控えさせられるが、そうやって女を分別することにも、タギは嫌悪感を抱いている。
「それか、いっそ義手でも作ってもらうんだな。この魔法学の街では、マジックアイテムの研究開発が進められている。生身の腕より便利な魔法の義手とか、頼めば作ってくれるんじゃないか?」
 タギたちに背を向け、ギラは病室の出入り口へと歩く。
「良い物が手に入れば、今より強くなれるかもしれないぜ。…俺みたいにな」
 引き戸の手前で立ち止まり、ギラは背負っている剣の柄を握り、刀身を鞘から覗かせた。
 真紅と呼ぶに相応しい輝きを放つ、まるで宝石のような美しい刀身。本当に宝石でできた飾りの剣に見えるが、ギラの口ぶりからして、こういう剣型のマジックアイテムなのかもしれないと、タギは思った。
 ギラは病室を出て、引き戸を閉める。
「…なに、あの剣。マジックアイテムなのかい?」
 病室を離れてゆくギラの足音が聞こえなくなった頃、タギはユドにそう尋ねたが、ユドは不思議そうな顔をしていた。
「さあ…オレも知らねー。でも、あの剣、どこで手に入れたんだ?飾りモンみてーな見た目の割には、切れ味は良さそうだ」
「ふーん。でもアンタ、ギラとは知り合いなんだろ?あんな剣を持っていたことを知らなかったのかい?」
「会うのは数十年ぶりだって、ギラも言ってただろ。そんだけ間がありゃ剣も新調するだろーよ。その剣がマジックアイテムになったところで、べつにおかしいことなんかねーけど…そうか…マジックアイテムか…」
 天井を仰ぎ、ユドはニイッと笑った。ギラの言葉を真に受けて、本気でマジックアイテムによるパワーアップでも考え始めたのだろう。ユドは負けず嫌いではあるが、手段は選ばない。
 男エルフの多くは、そんなものだ。力を求めて努力はするが、力を得る近道があれば、躊躇なく近道を選ぶ。
 ユドが魔法を使うのも、魔法の才能を見出され、剣の腕と共に磨けば有利な戦い方ができるようになると考えたからだ。剣の腕だけに物を言わせる戦い方に、特にこだわりがあるわけでもない。
 今は、その肝心の腕が両方とも無くなっているのだが。
「…でもさ、ユド。アンタは、おかしいと思ったことが本当に無いのかい?」
 タギに名前を呼ばれ、ユドは「ああん?」と面倒臭そうに返事をする。
「ネスタジェセルの存在を人間に知られてはいけない、それは人間の世界を守るためであり、エルフの使命である…って、アタシも子供の頃に教わっていたけれど、なんでそんな使命をエルフは背負っているんだ?そもそも、どうしてネスタジェセルの存在は人間を脅かすとされているんだ?エルフが国を挙げてまで徹底するほどのことかい?」
 ギラとユドの会話を聞き、タギはエルフの掟…エルフの誰もが深い理由を追及せずにネスタジェセルの存在の抹消に徹底していることに、改めて異常を感じていた。
「…てめーの言うことは、相変わらず変わらねーな。そのせいで国を追い出されたってのに、懲りてねーのかよ」
 ユドはタギの質問を、鼻で笑う。掟に疑問を抱かないユドのほうこそ相変わらずだと、タギは思ったが口には出さなかった。
「…まあ、あのトカゲどもが人間の世界にとって、どれほど脅威であるかを教わっていないんじゃ、しょーがねーのかもな」
 独り言のように、ユドが言った。タギが「えっ?」と声を上げると、ユドは「おっと」と顔を背ける。
「なんだい、アンタは知ってるってのかい?ネスタジェセルが人間を脅かすとされている理由を。いったい、なんだってのさ」
 タギは椅子から立ち上がり、ユドの頭を両手で掴んで、こちらを向けさせた。ユドは頭を振ってタギの手を離させようとしたが、ユドが弱っている今、タギのほうが力が強かった。
「放せよ!!知りたかったらオレの腕を治しやがれ!!そんで、寿命が尽きる直前に教えてやる!!」
「なんだって!?アンタって最低だね!!昔から知ってたけどさ!!」
 タギはユドの額に平手打ちを叩き込んだ。頭を放してはもらえたものの、ユドは「痛ェっ!」と悲鳴を上げ、思わず額を押さえようとしたが、腕が無いので叶わなかった。
「くそっ、てめーな!覚えてやがれ!!」
「命の恩人に軽く叩かれたくらいで覚えてやがれたあ、アンタ、どんだけ器が小さいのさ」
 ユドから話を聞き出したいが、あまり意地になって聞き出そうとしても、ユドも意地でも答えなくなるだろう。ネスタジェセルについて、タギが知らないことを他のエルフが知っているという情報を得ただけでも収穫だと考え、タギは椅子に座り直す。
 …とにかく、メシアの存在はエルフたちに知れ渡ることになりそうだけど、見つかっても直ちに殺されることは無くなったってことか。
 まだ騒ぐユドを無視して、タギは考える。
 …でも、メシアを見つけても殺さず泳がせろって連絡がエルフたちに行き届くまでには時間がかかる。それに、あのギラってヤツも得体が知れない…。
 会った時から、ギラにはどこか不気味な雰囲気を感じていたのだが、奇妙な剣を見せられ、ますます得体が知れなくなった。
 …ギラのことも、ユドがアーネスにいるということも、ソフィスタに通信で知らせておいたほうがいいな。アイツら、もうラゼアンには着いたのかな。…校長がソフィスタから何か連絡を貰っていないかな…。
 校長に確認しに行こうと考え、タギは立ち上がった。いつの間にか貧血で静かになっていたユドに「また来るわ」と言って、早歩きで病室を出る。
 ユドが「その花を活けとけって言われただろ!!」と怒鳴り、タギはギラに頼まれていたことを思い出したが、まあ病院の人が来たら活けてくれるだろうと、聞かなかったことにした。


 *

 ドラゴン、竜などと呼ばれる生物は、人間にとって架空の存在であった。
 だが、実在しないはずのドラゴンに人間たちが脅かされた時代があったという。
 当時の資料によると、ドラゴンは世界各地に突然現れ、その姿や大きさは様々だった。翼があるもの、甲羅があるもの、家より大きいもの、手の平に収まるほど小さいもの、口から毒や炎を吐き出すもの…などといったドラゴンが資料に記されている。
 人を襲い、人を喰らい、時には群れを成して人里に攻め込んでくるドラゴンに、人々は必死に抵抗した。エルフの協力もあり、ドラゴンは徐々に姿を見せなくなり、やがて人々は安心して眠れる平穏を取り戻した。
 それから数千年後、ラゼアンの東の森の奥、木々が密集した場所に迷い込んでしまった人が、偶然に地下神殿への入口を見つけ、本格的な調査が始まった。そして、地下神殿の内部の様子に、学者たちは驚かされた。
 地下神殿の壁には、人間を襲うドラゴンと、武器を手にしてドラゴンに立ち向かう人間たちの戦いの様子が描かれていたが、驚くべきは、その戦う人間たちを守るように寄り添う別のドラゴンの姿だった。
 ドラゴンが猛威を振るっていた時代の各地の文献によると、どんな姿や大きさのドラゴンでも、ドラゴン同士が争うことは無く、ただひたすら人間を襲い、それを邪魔するエルフにも攻撃を加えたそうだ。
 人間を守るドラゴンがいたなど、どの文献にも書かれていない。唯一、地下神殿の壁画が、人間を味方するドラゴンの存在を記していたのだ。
 どうやら地下神殿は、人間を守るドラゴンを祀っていたようだ。しかし、そのドラゴンに関する資料は壁画しか見つかっておらず、神殿内部も狭いため、そもそもそんなドラゴンが実在したかさえ明確にすることは難しかった。
 祭壇にあった花瓶や器などからして、地下神殿はドラゴンが猛威を振るっていた頃に造られたもののようだが、誰が作ったかは分からない。こんな森の奥深くの地下に造られたのは、人目に触れないためなのかもしれないが、それがなぜかも分からない。
 その他諸々、謎を解明すべく調査は続けられていたが、つい最近、事故で崩れて地下神殿には入れなくなってしまったそうだ。
 いつか御堂に入り、できれば調査に加わりたいと思っていたソフィスタは、その事故の話をヒュブロで聞き、がっかりした。
「まあ、とにかく、ドラゴンは実在したそうだけど、今や伝説の生物ってことだよ」
 地下神殿がある森を目指して歩きながら、ドラゴンという生物の存在と地下神殿について、何も知らないメシアに、ソフィスタは説明してやった。
 ちなみにメシアは、赤い髪の人間の姿をしている。遺跡などの調査には必ず男エルフが同行するという話を数日前に聞いていたので、念のための変身であった。
「そうか…。ドラゴンが実在したという痕跡は無いのか?骨や爪といったものは…」
「あるみたいだけど、滅多に手に入らない代物だから、とんでもなく高額で売買されていたり、盗まれないよう厳重に保管されていたりで、あたしも見たことが無い」
「それほど希少な物なのか?かつては、たくさんのドラゴンが実在したのだろう?」
「…それなんだけど、不思議なことに、ドラゴンの多くは命を落とすと跡形も無く消えるらしい」
「消える?どういうことなのだ」
「さあね。溶けて無くなるとか、塵になるとか、消え方は統一されていないみたいだよ」
 話しているうちに、森の入口に差し掛かり、ソフィスタとメシアは立ち止まった。
 道は森の奥へと続いているのだが、道の左右の木の幹に結んで張られたロープが、行く手を遮っている。
 ロープには『危険につき進入禁止』と書かれた木札が吊るされているが、ソフィスタは躊躇せずロープを潜って森に入った。木札の文字を読めたメシアは、少し迷ったが、ロープを跨いでソフィスタに続いた。
 道は広く、馬車二台ぶんの幅はある。地下神殿の調査のため、人が何度も行き来しながら整備した道なので、日が暮れ薄暗い森の中でも、迷わず目的地まで進める。鳥などの動物の鳴き声は聞こえるが、人に害のある危険な動物が出没した例は聞かない。
 やがて、地下神殿への入口があった場所に着いた。
「…ここが、地下神殿の入口があった場所か?」
「うん。…完全に過去形だけどね」
 地下神殿が発見された当時は、人が三人ほど通れそうな幅の穴を掘って階段を設えただけの、シンプルな造りだったそうだが、調査が始まってからは付近の木々は伐採され、それを屋根や手すりの材料にして、さらに入口を拡張して出入りしやすくされた。
 しかし今は、入口があった付近の地面が陥没し、そこに流れ込んだ土砂や倒木で、すっかり埋もれていた。
 離れた場所には、屋根の残骸が積み重なっている。
「これは復旧に時間がかかりそうだ。地下神殿の内部の被害が確認できない以上、慎重に地道に土砂や倒木をどかしていくしかないし、その末に再調査が可能かどうかも分からないな…あ〜あ」
 ソフィスタは、ため息をついて肩を落とす。地下神殿の話を聞いて興味を持ち始めていたメシアも、「そのようであるな」と呟いて項垂れる。
「しかし、地下神殿にソフィスタの故郷へ早く行くための何かがあるようなことを、ホルスは言っておったな。この状態を、ホルスは知っていながら、そう言ったのだろうか…」
 落ち込んでいても仕方ないので、メシアは気持ちを切り替え、ソフィスタに話しかけた。
 ホルスは、ソフィスタの故郷クレメストまで来たら校長の帽子を返すと言った。
 ソフィスタの話では、クレメストまでは馬車を乗り継いで半月はかかるという。だがホルスは、一日で着くと言い、地下神殿へ行けば何とかなると話した。
 しかし、目の前の有様を見ると、とてもなんとかなるとは思えない。
「…さあね。もしかしたら、地下神殿の内部じゃなくて、入口があった付近に何かがあるのかもしれない。…何かあるにしても、既にたくさんの人が何年も前から付近も調査しているんだから、見つかっているはずなんだけどね…」
 ソフィスタは、仕方なさそうに周囲を見回し始めた。
 故郷へ早く戻れる手段があるというのに、どうも彼女にはやる気が無いと、メシアは感じる。まさか、故郷へ戻ることに乗り気ではないのだろうか。
 ソフィスタの様子を気にしながら、メシアも辺りを見回した。すると、陥没した地面の向こう側に生えている木の幹に突き刺さっているものを見つけ、「あっ」と声を上げた。
「ソフィスタ、あれを見ろ!」
 そう言って、メシアは木の幹を指し示したが、だいぶ離れているため、ソフィスタがそちらを見ても、彼が何を指しているのか分からなかった。
「あれって、どれ?」
「ほれ、向こう側に生えている、あの木の幹に、大きな羽が突き刺さっておろう」
「刺さる?羽が?…それって…」
 ソフィスタは、かつてホルスが腕から生じさせた羽を床に突き刺すのを見たことがあった。もしホルスの羽なら、茶色や白のまだら模様をしているはずだ。
「ここからじゃ見えないし、暗いよ」
 空は徐々に深い青を帯びてゆく。この辺りは木々が伐採されて開けているため、かろうじて足元も見えるが、木が密集している場所に入れば、たちまち視界は暗闇に閉ざされてしまうだろう。
 メシアは「こっちだ」と言ってソフィスタの腕を引き、陥没している地面を迂回して、指し示した木が生えている場所へと移動した。
 近付いてやっと、ソフィスタにも木に突き刺さる羽を確認できた。確かに大きな羽であるが、木の幹に溶け込みやすい色であるため、この暗さで離れた場所から気付くことは、普通の人間の視力では不可能だろう。
「…これは、ホルスの羽か?」
「あたしも、そうだと思う。よく見付けられたね」
 羽は、メシアの目の高さくらいの位置で突き刺さっており、風に小さく揺られている。ソフィスタが手を伸ばし、指先が羽に触れると、まるで砂塵のようになって風に流され消えてしまった。
 ソフィスタは、驚きはしたものの、ホルスの羽であったことを確信した。かつてホルスが床に突き刺した羽も、いつの間にか消えていたのだ。
「どういうことだ?さっきまでは、風に揺れても消えなかったのに…」
「さあ。でも、間違い無くホルスの羽だったね。たぶん、目印のつもりでホルスが突き刺しておいたんじゃないかな」
 それを聞いて、メシアは「ふむ」と頷き、暗い森の奥へと目をやった。すると、またしてもホルスの羽が突き刺さった木を発見できた。
「おい、むこうにもあるぞ!」
 メシアは、木が密集する闇の中へと踏み入った。
「ちょっと、待てよ!!」
 ソフィスタはメシアを呼び止めようとしたが、メシアは木の根を跨ぎ草を分け、ひょいひょいと身軽そうに奥へと進んでゆく。荷物がパンパンに詰まったザックを二つ背負い、その上から巻衣を羽織って、しかも暗い木々の中を、よく全くもたつかずに進めるものだと、相変わらずの人間ばなれぶりにソフィスタは呆れる。
「まったく…夜行性のケモノかよ…」
 ソフィスタは、両肩に乗っているセタとルコスに魔法の光を灯し、足元を照らさせ、メシアを追って暗闇へと踏み込んだ。
 メシアは、魔法の光が届く場所で、ソフィスタを待っているが、膝より高く盛り上がっている木の根や、地面を覆い隠す草に足をとられ、距離のわりには時間がかかってしまう。
 そうして近くまで来たソフィスタに、メシアは「ほれ」とホルスの羽を指し示した。
「やっぱり、目印のつもりで刺していったようだね」
「うむ。この羽を辿ってゆけということなのだろう。向こうにもあるぞ」
「待てってば。進みにくいんだから」
 今度はソフィスタをフォローしながら、メシアは奥へと進む。
「こんなに暗いのに、よくホルスの羽を見つけられるな」
「そんなに暗くはなかろう。まだ日も沈みきっていないようだからな」
「…お前の感覚には、ついていけそうにないな…」
 次にホルスの羽が突き刺さった木がある場所は、少し開けていた。木の枝や葉で空も地面も埋め尽くされているが、この空間には、不思議と無機質さが感じられた。
 地面に、木の根が這っていないからかもしれない。
 メシアが見つけたホルスの羽は、この空間の端に生えている木に突き刺さっている。だがソフィスタとメシアは、その羽よりも、空間の中央の地面に突き刺さっている羽が気になり、近付いた。
 足を動かす風圧で羽は揺れるが、消えはしない。
「ここに、何かがあるってことか?」
「そうかもしれぬな」
 ソフィスタとメシアは、羽を囲ってしゃがみ込む。メシアが右手で羽と落ち葉を払うと、羽は消え、落ち葉の下からは固い土が現れた。
「…ここを掘れというのだろうか」
「…面倒臭い…」
 ソフィスタは、何気なく顔を上げた。すると、メシアの後ろにある木に、紙らしきものが貼りつけられていることに気付いた。ホルスの羽ばかりに気を取られて、すぐには気付けなかったのだ。
 ソフィスタは黙って立ち上がり、その木に歩み寄る。
 紙は、ソフィスタの頭より高い位置にあり、釘で木の幹に四隅を打ちつけて固定されている。セタとルコスが、ソフィスタに命じられるまでもなく、紙に光をあてた。
 紙は乾いており、汚れもほぼ無いので、最近誰かが張りつけたもののようだ。だが、それがホルスによるものかどうかを考えるより、その紙に黒インクで記されているものに、ソフィスタは目を見張った。
「っこれ…古代文字だ!!」
 思わず声を上げて紙に手を伸ばし、掴む直前で手を引っ込めた。四隅を固定されたまま紙を引っぺがそうとすれば、文字の部分まで破れてしまうかもしれない。
 昔から人間が用いている文字は、ほぼ統一されており、古い文献など、言葉の使い方や文章の書き方が多少現代と違っていることがあっても、文字自体は八割がた変わっていない。
 国によって多少違いがあったり、外部との接触に乏しい少数民族が独自の文字を用いていたりすることはあるが、一般的とされている文字から見た目や発音や組み合わせ方がかけ離れることはなく、一般的な文字さえ知っていれば、わりと解読できる。
 だがある時、千年以上前とも、それより遥かに以前ともされている時代に作られたであろう書物や石版から発見された文字は、動植物や人体の一部を模している、現代の人間の文字とは全く違うもので、縦や横に規則正しく並べられていなかったら、誰も文字とは気付かなかったであろうほどの代物だった。それが、古代文字である。
 古代文字は、世界各地で発見されているが、大昔の人々が一般的に用いていた文字であると明確にはされていない。世界各地と言っても、発見場所がまばらなだけで、発見された文字の数は少ないのだ。
 文字一つの発音も分からず、現代の文字へと変わっていった過程も、そもそも現代の文字との繋がりがあるかすらも分からず、もちろん確立された解読方も無い。
 ソフィスタが見ている紙に記されている古代文字は、ソフィスタが知っている形のものもあれば、知らないものもあり、二つの文字が一つに組み合わさっているようなものもある。
 横一列に並んでいることと、文字数からして、短い文章を形成しているように見えるが、発音や文法など関係無く並べたものだと言われても、判別のしようがない。それほど、古代文字の解読は進んでいないのだ。
「まさか、ホルスが書いて張りつけたのか?ホルスのヤツ、古代文字の読み書きができるってのか?アイツ、ホントに何者なんだよ…」
 紙を見上げてブツブツと呟き、ふと、さっきからメシアが黙っていることに気付き、ソフィスタは彼を振り返った。
 メシアは、落ち葉と羽を払った位置に立ち尽くし、驚いた顔でこちらを見ている。
「…メシア?どうしたの?」
 ソフィスタが、そう声をかけると、それに反応してか、メシアはポツポツと呟いた。
「…クヌム……生体?…認証…実行…」
 その声がよく聞き取れなかったソフィスタは、「何だって?」と、もう一度声をかけた。メシアはハッとして、なぜか足元へ顔を向けた。
 突如、メシアの全身から赤い光が立ち上り、左手の紅玉に吸い込まれるようにして消えてゆき、メシアの姿が本来のものへと戻った。それに驚く間も無く、今度は淡く緑色を帯びた光の壁のようなものがメシアの四方を囲って出現し、高い立方体に閉じ込められる形となったメシアの足元から、さらに光の板が出現した。
 光の壁に沿って地面を覆う光の板は、メシアの体を透過して水平に上昇し、頭を通過すると消え去った。
 メシアの変身が解けてからここまで、ほぼ一瞬の出来事であり、ソフィスタもメシアも声を上げる余裕すら無かったが、メシアの足元がガコンと音を立てて揺れた時は、さすがに声が上がった。
「メシア!!」
「おあっ!?」
 ソフィスタはメシアに駆け寄ろうとし、体がぐらついたメシアは、思わず光の壁に手を着いた。先ほどの光の板はメシアの体を透過したが、光の壁はすり抜けられなかった。
 そして、メシアを囲う光の壁の範囲を切り取って地面が抜け落ち、メシアの体は、光の壁ごと降下を始めた。
「わわわわソフィスタぁぁ――――!!!」
 メシアの姿が地中へと消え、声もどんどん遠くなる。凄まじい速さで降下しているようだ。
「メシア―――!!」
 メシアが立っていた場所に開いた正方形の穴の手前に来ると、腰を屈めて穴を覗き込み、彼の名を叫んだ。
 肩に乗っているセタとルコスの光で穴の奥を照らそうとしたが、突然、背後で何かが落ちた音が聞こえ、反射的に振り返った。
 目の前に、ソフィスタより少し年上くらいの男の顔があり、その男の耳がタギやユドのように尖っていることに気付くより早く、ソフィスタは男に胸倉を掴まれ、横に放り投げられて穴から遠ざけられた。
 肩から地面に叩きつけられ、ソフィスタはうめき声を上げる。
「おい、どういうことだ?あの赤い髪の野郎が変身したの、例のトカゲじゃないか!?」
「いや、トカゲが人間に変身していたんだろう」
「落下先は、きっとあの施設だ!だとしたら、トカゲであろうがなかろうが、生かしてはおけねえぞ!」
 怒りと焦りが混じった声が三つ。ソフィスタを放り投げた者を含み、三人の男が穴の近くに立っていた。三人とも耳が尖っており、物々しいゴーグルを額に掛けている。
 二人は若そうだが、一人は四十代くらいに見える。
 …エルフの男?それも、三人も…!
 ソフィスタは立ち上がろうと体を起こしたが、男エルフの内の一人が素早くソフィスタに突進し、腹部に拳をめり込ませた。
 ソフィスタは、仰向けになって倒れる。
「こいつ、あのトカゲとどういう関係なんだ?それに、あの古代文字を書いたヤツを知っているのか?」
「とにかく、詳しい話を聞き出す必要がありそうだ」
 三人のエルフが、ソフィスタを囲って立つ。
 彼らの発言からして、三人ともソフィスタとメシアの様子を隠れて窺っていたようだが、いつからだろうか。男のエルフが三人も、ソフィスタたちの動向を探らなければならない理由があるのだろうか。
 だが今は、そんなことを考えている暇は無い。彼らから逃れることが先決だ。メシアの本来の姿を見られた以上、ソフィスタもどんな目に遭わされるか分からないし、メシアを追わさせるわけにもいかない。
 謎の穴に落ち、もう声も聞こえなくなったが、メシアは無事なはずだ。
 ソフィスタは、痛がるふりをしてマントの裏で手を動かし、背中にあるポーチの中から、ケヤキから貰った枝の球を取り出した。
 そして、目を閉じ、肩に乗っているセタとルコスの光を消す。
「おい、明かりを消すなよ!暗いだろうが!」
 三人のエルフは騒ぎ、何やらカチャカチャと音が聞こえる。
 …だったら、明るくしてやるよ!!
 ソフィスタが腕で目元を隠すと、それを合図に、セタとルコスが強い光を放った。
「ぎゃああぁ―――!!!」
 エルフたちが悲鳴を上げる。辺りを暗くしてから、急な強い光で彼らの目を潰す、ソフィスタの作戦であったが、思った以上にエルフたちの目にダメージを与えられたようだ。
 セタとルコスが光を弱め、ソフィスタは腕を下ろして目を開く。エルフたちは、顔を抑えて呻いている。
 その隙にソフィスタは立ち上がり、枝の球を広げて魔方陣を描いた。魔法力を急速に高め、破壊力を帯びた光球を幾つも生じさせて周囲に放ち、穴を目がけて走り出す。
 光球は、三人のエルフと木々を襲った。比較的細い木は、幹を大きく抉られ、ミシミシと音を立てて傾いてゆく。
 ソフィスタが穴に飛び込んでから、木々によって穴を塞ぐ算段だった。穴の奥がどうなっているかは分からないが、メシアの身が心配だし、メシアと協力しなければ、男エルフ三人から逃れることはできないだろう。
 落下中に壁にぶつかる危険性などは、魔法でどうにかするつもりだ。開いたままの枝を抱え、ソフィスタは穴に飛び込もうとした。
「待ちやがれ!!」
 だが、エルフの一人が上げた声が聞こえた直後、ソフィスタの背中に強い衝撃と痛みが走った。
 重量のある刃物を投げつけられたのだろうか、マントと服と共に、背中の肉が切り裂かれる。
 ソフィスタは前のめりに倒れ、頭から穴に落ちた。ソフィスタの体が通過した後、穴は倒れた木によって塞がれた。
 目的を達することはできたが、あまりの痛みに思考が麻痺し、セタとルコスが肩から背中へと這って移動する感覚も意識できなかった。
 穴は縦に真っ直ぐと伸び、幅は狭かったが、セタとルコスが庇ってくれているおかげか、ソフィスタの体が直に壁に打ちつけられることは無かった。
 しかし落下のスピードと、背中の強い痛みにより、やがてソフィスタは気を失った。


  (続く)


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