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ありのままのメシア 第十四話


   ・第二章 トゥバンとラスタバン

 メシアを囲う謎の光は、長い縦穴に沿って降下し続け、メシアが光を強く叩いても、不思議と衝撃を全て吸収され、こちらにも痛みが無い。
 わけが分からないうちに光に閉じ込められ、自由落下と変わらないスピードで降下し、残してきたソフィスタの悲鳴が微かに聞こえ、メシアは不安と焦りで混乱していた。
 やがて縦穴を抜け、薄暗く広い空間に出た。と思ったら、急に降下が止まって光が消え、メシアの体は硬い床の上に投げ出された。
 床には、淡く白い光がポツポツと灯っており、まるで星空と地面が反転したようだった。
 メシアは倒れた体を起こし、辺りを見回す。どうやら、この広い空間の中央にいるようだ。
 真上にある縦穴からは、ボロボロと砂や枯れ枝が落ちてくる。その中に混じって、精霊ケヤキから貰ったという枝の球と、レンズが外れてフレームがひしゃげた眼鏡が落ちてくるのを見た時、嫌な予感がして暗い縦穴を見上げると、光と共に落ちてくるソフィスタの姿が見えた。
 ソフィスタは体を下に向けて落下してくるが、その速度は不自然に遅かった。よく見ると、光はソフィスタがセタにかけた光の魔法で、セタは体を薄く伸ばして四角く広げ、その四隅でソフィスタの腕や足を掴んでいる。空気の抵抗を受けて、ソフィスタの落下の速度を緩めているのだった。
 命に関わるほどの速度ではないが、落下する先が硬い床では、強い衝撃を免れられないほどの速度はある。メシアは急いで巻衣を脱ぎ両腕に巻きつけ、ハンモック状に広げて固定した。それでソフィスタの体を受け止めようと、縦穴の真下で構える。
 落下を待っている短い時間に、メシアはソフィスタの状態を、見える範囲で確認したが、どうも気を失っているようだ。さらに、ルコスの姿も見当たらない。
 縦穴を抜けたソフィスタの体を、メシアは極力衝撃を与えないように巻衣で受け止めたが、ソフィスタはうめき声も上げなかった。そして、マントにこびりついている血に気付き、メシアの顔が青ざめる。
「ソフィスタ!?おい、しっかりしろ!!ソフィスタ!!!」
 ぐったりとしているソフィスタの様子と、決して少なくない血の量に、メシアは気が動転し、思わず怒鳴ってしまったが、セタが体を縮めてメシアの右肩に乗り、肌に伝わった感触で我に返った。
 …落着け!!とにかく、出血があるなら止めるのだ!!
 枝の球を放置し、まだ砂が落ちてくる縦穴の真下から離れ、巻衣と共にソフィスタの体を、慎重に床に降ろした。平らな床で、自然にできたものには見えないが、石畳を敷き詰めたような堺目も無い。不思議に思いはしたが、今はそれどころではない。窒息しないよう気を付けてうつ伏せに寝かせたソフィスタの状態を、メシアは確認する。
 か細いが息はあり、指先も微かに動く。マントは鋭利な刃物によって切り裂かれたようで、血はその部分を中心に広がっている。
 マントを捲ると、そこに体をU字に伸ばしたルコスがいた。背骨と脇腹の間で縦に服を裂かれており、剥き出しになった肌にも、縦に長い傷があった。そこから出血していたようだが、ルコスが直接傷に触れないよう気を付けて押さえて出血を防いでいる。
 メシアは、少しほっとした。ソフィスタの怪我に光を当てるセタと、止血をしているルコスを見て、この二体もソフィスタの命を繋ぎとめようとしているのだと分かり、それが心強かった。
 メシアは、まだ残っていた動揺を振り払い、ソフィスタのように冷静にセタとルコスに指示を出した。
「ルコスは、そのまま止血を頼む。セタは床に下りて、私の手元を照らしてくれ」
 言われた通り、セタは床に降りる。メシアは背負っていた二つのザックを下ろし、その一つの中身を床に雑に広げた。今まで使わなかったのでザックの底に入っていた救急箱を取り出すことが目的だったが、その前に、花柄の風呂敷に包まれた物が転がり出てきた。
 エリクシア村に住む、カマイタチ三兄弟…自称三姉妹からもらった薬が入っている風呂敷である。ソフィスタから、三兄弟から薬を貰ったことは聞いていたが、まだ一度も使っておらず、今まで忘れていた。
 …そうだ!この薬があったか!
 副作用があるため、極力触るなともソフィスタに言われていたが、今はそれどころではない。救急箱と風呂敷を持って、ソフィスタの傍にしゃがむ。
 風呂敷と救急箱を下ろし、先に風呂敷を開くと、浅い円筒の漆器と、素材は分からないが柔軟性のあるヘラが出てきた。器を手に取って蓋を開けると、覚えのある匂いがむわっと広がる。
 器の中の薬の匂いで、そんなに強い匂いでもないし、特に不快なものでもない。
 …この薬があってよかった!あとは、せめて傷が骨や内臓にまで届いていなければよいのだが…。
 救急箱も開き、消毒液や包帯などの使いそうなものを取り出して風呂敷の上に置いていたら、突然、後ろのほうから息を吹き出すような音が聞こえ、メシアは振り返った。
 壁の一部が開いており、そこに人間とも獣人とも違う姿の者が立っていた。離れている上に周囲は薄暗いが、メシアの視力なら床の弱い光だけでも、その姿は充分見える。
 額から頭頂にかけて角を生やしており、肌は爬虫類のように細かい鱗に覆われている。ネスタジェセルよりずっとトカゲっぽいが、背中には蝙蝠のような大きな翼を背負っている。
 胸から膝までは布を雑に巻いて隠しており、ソフィスタより少し短いくらいの菫色の髪は、わりと綺麗に整っている。メシアには及ばないが体つきは逞しく、背もそこそこ高いが、体格の割には顔立ちが幼く見える。
 人間と動物を合わせたような姿…という意味では獣人と同じだが、爬虫類系の獣人はいないとソフィスタから聞いたことがあったし、ここがドラゴンを祀った神殿の近くで、少し前までドラゴンの話をソフィスタから聞いていたメシアは、その翼ある者を、例えるなら獣人ならぬ竜人だろうと思った。
 竜人も驚いた顔でこちらを見ていたが、何か声をかけたほうがいいのだろうかとメシアが悩み始めたところで、牙と敵意が向き出しの表情となって、こう怒鳴った。
「ドロボー!!!」
 竜人は床を強く蹴り、メシアに突進してきた。身に覚えも無いのにドロボー呼ばわりされたことに戸惑いつつも、メシアは竜人の体をとっさに掴んだ。
 すぐ傍にいるソフィスタを巻き込まないよう、後ろに投げるようにして突進を受け流そうとしたのだが、掴まれた直後に竜人は翼を広げ、羽ばたかせて体を浮かせた。竜人を掴んだままのメシアの体も少し浮いたが、驚いて手の力を緩めてしまったため、竜人に振り払われて床に落とされた。
 着地で少しよろめいたが、メシアはすぐに体勢を整え、真上でホバリングをしている竜人を見上げる。
 天井すれすれまで上昇しており、赤と青が混じった虹彩の瞳がメシアを捉え続けている。その竜人の様子から、自分だけが標的とされているようだと察し、ソフィスタたちに危害が及ばないよう、メシアは竜人の動きに注意しながら、少しずつソフィスタたちから離れる。
「ドロボー!!!」
 再び怒鳴り、竜人は鋭い鉤爪を生やした足を突き出して、メシアをめがけて急降下する。
 ある程度、ソフィスタたちから距離を置くことはできたが、あんな大きな翼を持つ者に暴れられるわけにはいかない。まずは動きを封じようと、メシアは左手を竜人に向けて突き出した。紅玉が強い輝きを放ち、それに竜人が怯んだところで、細長く伸びた光が竜人の体に巻きついた。
 手足も翼も巻き込まれ、宙で拘束された竜人は、「なんだこりゃー!放せー!ズルイー!!」と喚いてもがく。
「いきなり襲い掛かってくるとは、どういうことだ!それに、私は泥棒呼ばわりされるようなことをした覚えは無い!!」
 何がズルイのかは分からないが、言葉を解しているようなので、メシアは竜人の意味不明な誤解を解こうとしたが、竜人に「嘘つけ!!」と返されてしまった。
「そうやってドロボーは嘘をつくんだろ!嘘つきはドロボーの始まりなんだからな!!この初めてのドロボーめ!!!」
 言葉は通じたようだが、話は通じそうにないと、メシアは早くも感じた。声と顔立ちに幼さはあっても、体格は最低でも十代半ばに見えたので、ここまで子供っぽい言動は意外であった。
「違うと言っておろうが!!私が何をしたというのだ!!」
「黙れドロボー!盗んだ薬を返せー!!!」
 メシアは思わず「くすり?」と聞き返すが、竜人はメシアを無視し、角からバチバチと音を立てて青白い光を走らせた。
「うらァ―――――!!!」
 竜人が叫ぶと同時に角から稲妻が放たれ、竜人の体を這うように駆け巡った。竜人を捕えていた紅玉の光は、稲妻によって砕かれたように弾けて消える。
 稲妻も消え、自由を取り戻した竜人は、眩しさに目を細めていたメシアに殴りかかった。メシアは両腕で竜人の攻撃を防ぐ。
 足や拳、尻尾を叩きつけてくる竜人の攻撃は、故郷ルクロスで格闘技を叩き込まれたメシアから見れば雑だが、全くの素人というほどではなく、動きが早くて力も強い。防御に徹しながら、メシアは竜人の誤解を解くべく再び声を張り上げた。
「やめろ!!私は本当に薬を盗んだ覚えは無いのだ!!何か勘違いをしているのではないか!?」
「カンチガイなもんか!!匂いで分かる!あれはゼッタイにオレたちの薬だ!!!」
「その薬とは、どの薬のことだ?エリクシアで貰った薬のことか?あれは盗んだものではない!!」
「嘘つき!ドロボー!薬を返せ!!クヌムから出てけー!!!」
 竜人の「オレたち」という言葉や、ここへ落とされる直前にメシアも呟いたが意味は分からない「クヌム」という単語が気になりつつも、メシアは無実を訴えるが、竜人は聞く耳持たず、攻撃も緩めない。
 おそらく竜人は、ソフィスタがエリクシア村で貰った薬のことを、盗まれたものだと勘違いしているのだろうが、それほど自分の薬であると言える根拠が、この竜人にはあるのだろうか。確かに特別な薬で、あまり村の外に知られてはいけない物だそうだが、それと同じ薬を、この竜人は持っているということなのだろうか。
 それにしても、頭に血が上っているためだろうが、竜人はあまりにメシアの話を聞かず、泥棒と決めつけすぎている。こちらには今すぐ手当をしなければいけない怪我人がいるというのに、この竜人相手に時間をかけている余裕は無い。
 竜人の攻撃を防ぎつつも、ソフィスタたちがいる場所からは、だいぶ離れることができた。もう多少暴れても大丈夫だろうと、メシアは突き出された竜人の拳を掴み、強く引いてよろめかせたところで足を払い、床に捻じ伏せて押さえ込んだ。
「なにすんだ!放せ!」
 両腕は背中に回し、翼ごと押さえ込んだが、竜人は足をバタバタと動かし、自由のきく尻尾でメシアの体のあちこちを叩く。
「いたっ、やめろっ!暴れるな!」
 うつ伏せにされた竜人からはメシアが見えないので、当てずっぽうで尻尾を振り回しており、威力も大して強くはないが、少しは痛いしうっとうしい。
「うーっ!うーっ!放せってばー!!」
 もがく竜人の角に、再び光が生じた。それに気付いたメシアは、あの紅玉の光を消した得体の知れない攻撃が来ると察し、竜人の腕を抑えつけていた右手を放し、その拳を竜人の後頭部に叩き込んだ。
 ゴンッという音に少し遅れて、竜人の「あぐっ」という短い悲鳴が上げる。
 竜人に攻撃を加えることは極力避けたかったメシアだが、話を全く聞かず怒ってばかりの竜人を落ち着かせるためにも、少しは痛めつけたほうがいいのかもしれないと思い始めていたし、なにより重症のソフィスタを残して倒されるわけにはいかなかったので、わりと早く拳を出せた。
 竜人の角の光は消え、力が抜けた足と尻尾は、へたっと床に落とされる。一発喰らって呆然となった竜人の様子に、メシアも少し警戒を緩めた。
「…うっ…ウウゥ〜ッ」
 やがて、竜人が獣のように唸り、ぶるぶると体を震わせたので、また暴れ出すかとメシアは思ったが、竜人は先程までとは違う暴れ方を始めた。
「ぶったぁぁ〜〜〜!!!うあああぁぁ〜〜〜〜ん!!!!」
 攻撃するではなく、駄々っ子のように足をバタバタさせて、竜人は泣き喚いた。
 散々拳や蹴りを叩きつけておきながら、多少は手加減をしたメシアの拳骨の一撃で泣く、そのあまりの情けなさと子供っぽさに、メシアは驚き困惑する。
「うえぇぇ〜〜〜ん!!いだいよぉ〜!じいちゃぁ〜〜〜〜〜ん!!!!」
「じ・じいちゃん?お前の他にも、ここに誰かいるのか?」
 思わずメシアは竜人に聞いてしまったが、竜人はメシアの声など聞こえていないようで、とにかく大声でびーびーと泣き喚く。
 すると、竜人が現れてから開いたままになっていた壁の向こうから、ズシンズシンと巨大な獣が走っているような音が近付いてきた。
 早くソフィスタの手当てをしたいというのに、また新手が来るのかと、メシアは焦る。
「おいゴラァァァ!!!なぁにあたしゃの可愛いトゥバンちゃんを泣かしてくれとんじゃいー!!!!」
 低くしゃがれた怒鳴り声が響き、竜人はぴたっと泣き止んだ。トゥバンというのは、この竜人の名前だろうか。
「待っとれトゥバン!!どこのどいつか知らんが、じーちゃんがボッコボコにしてぇオッオェッげほっ!げェーッホ!!」
 しゃがれ声がむせたと思ったら、さらに「グホッぐほあっ?あわっあわわぉー!?」と慌てふためき、足音も不規則になった。
 それから間も無く、ドゴォォンと大きな音を立てて壁をぶち破り、巨大な毛玉が、この広い空間に文字通り転がり込んできた。
 六畳一間にすっぽり収まりそうなほど大きな毛玉は、ごろごろと転がり、「あやわわやー!!」と悲鳴を上げている。
 メシアも竜人も、突然の毛玉の襲来に「わーっ!?」と驚いたが、毛玉が転がる先にソフィスタが倒れていることに気付いたメシアは、竜人から離れてソフィスタのもとへと走った。
 ルコスはソフィスタの傷を押さえ続け、セタは体を伸ばしてソフィスタを覆っている。その上にメシアは飛びつき覆いかぶさった。
 わけがわからないことが起こりすぎて、もはや頭は理解することを諦めていた。ただ、何が起こっても仲間を守り抜こうとする戦士の本能が、メシアの筋肉を強張らせ、床に着く手に力がこもって指先がめり込んだ。
 巨大な毛玉は、すぐそこまで迫っている。メシアは硬く目を閉じ、ソフィスタたちの無事を祈った。


 *

 目を開くと、心配そうなメシアの顔が視界を覆い尽くしていた。
 少し遅れてソフィスタは「うわっ!」と声を上げてメシアから離れようとしたが、マントの上から肩をがしっと掴まれた。
「動くでない!!お前は怪我をしておるのだぞ!」
 メシアの手を振り払おうとしかけたソフィスタだが、そう強く言われて大人しくなった。
 メシアは「気がついてよかった」と微笑み、それを見たソフィスタも少し安心して心に余裕が生まれ、今の自分の状態を確認し始める。
 ソフィスタの体は、メシアの巻衣が敷かれた寝台の上で、自らのマントに包まって横を向いて寝かされていた。少し離れた場所にあるものはぼやけて見えるので、自分が眼鏡をかけていないことも分かった。
 寝台の傍には三段式の台車があり、見たことの無い機材やら、見たことのあるケースやタオル等が置かれていた。ケースとタオルはソフィスタの自宅から持ち出してザックに入れたもので、ケースの中にはスペアの眼鏡が入っている。他にも救急箱や、エリクシア村で貰った薬が入った漆器が置かれていた。
「背中に傷を負っているのだ。そのままの体勢で楽にしておれ」
 そう言われて意識してしまったためか、背中がズキズキと痛み始めた。耐えられない程ではないが、つい呻いて顔をしかめてしまい、メシアが再び心配そうな顔をして「痛むのか?」とソフィスタの肩を擦った。
 そうやってメシアが心配してくれるのは嬉しいが、まだ状況が掴めていないので、デレデレしている場合ではない。気持ちと痛みを表情に出さないよう努め、「そんなに心配されるほどじゃないよ。それより、眼鏡取ってくれない」とメシアに頼んだ。
 メシアはソフィスタから手を放し、眼鏡ケースを取る。
「…あたし、今まで眠っていたんだよね。何があって背中に怪我をして意識を失ったんだっけ…」
 ソフィスタは、マントの下で背中に手を回そうとした。そして、腕や肩の素肌に触れ、上半身は腹部以外は何かを身に着けている感触が無いことに気が付いた。
 下半身は下着もズボンも履いており、ブーツを脱がされただけのようなので問題はないが、豊満な胸はマントの下で剥き出しになっている。腹部にきつく巻かれているのは、包帯のようだ。
 ソフィスタは胸を腕で覆い、顔を真っ赤にする。
「お・おい…メシア?あたしの服…脱がしたの…まさか…」
「服?ああ、血がついていたものは、ちゃんと洗って、屋内だが干しておいたぞ」
 まさかメシアが脱がしたのかと聞こうとしたのだが、ケースの中から眼鏡を取り出してソフィスタに差し出しているメシアは、肯定ともとれるズレた回答をサラっと言ってのけた。ソフィスタは「そういう問題じゃねえ!!!!」と悲鳴のように叫ぶ。
「おーい、メシアー!そいつ起きたのかー?」
 そこに、子供のような明るい声が響き、ドタバタと慌ただしい足音が近付いてきた。足音のほうへと顔を向けると、眼鏡を掛けていなくても得体が知れないと分かる二足歩行の生物が、セタとルコスを抱えて駆け寄ってくる様子が見えた。
 ソフィスタは、メシアから眼鏡を受け取って掛け、その生物の姿を確認する。
 背中には皮膜の翼が生えており、肌の色は明らかに人間のものではない。さらにその後ろから、白い毛並みの巨大イタチのような生物が、のしのしと歩いてくるので、ソフィスタは思わず体を起こそうとしたが、メシアに「大丈夫だから、動くでない」と肩を押さえられた。背中もズキンと痛み、傷の深さも分からないまま下手には動けないと感じて、仕方なくソフィスタは大人しくなる。
「あの者たちが、お前を助けてくれたのだ。体つきが我々と似ているほうがトゥバン、白い大きな獣の姿をしているほうがラスタバンという名前である」
 トゥバンと紹介された者は、メシアの隣に立ち、ソフィスタの顔を覗き込む。童顔で、セタとルコスを小動物のように抱えている。
「起きた?起きたな。じーちゃん、コイツ起きてるよ!」
 トゥバンは、巨大イタチ…ラスタバンに向かって、そう言った。ラスタバンは「お〜、そうかそうか〜」と、しゃがれた声を発する。
 トゥバンに遅れてメシアの隣に並んだラスタバンは、メシアよりひと回りは大きいイタチのような怪物で、トゥバンと同く皮膜の翼を背中に生やしている。
 まさか魔獣かと思ったが、それにしてはトゥバンもラスタバンも魔法力を全く感じられない。ただ、その巨大で得体の知れない生物二体に挟まれて立っているメシアは、怯えも警戒もしていない落ち着いた様子なので、ソフィスタもひとまず落ち着こうと深呼吸をする。
「おや、思ったよりあたしゃらに驚かないんだね。それより、具合はどうだい?麻酔が切れて酷く痛むようなら、痛み止めの錠剤があるから飲むといいよ。怪我の様子も確かめたほうがいいかね」
 巨大イタチのしゃがれた声は老人のようで、体毛には艶が無く、真っ白なのも年を経て色素が薄くなったためのようにも見える。
 とても医学的な知識があるようには見えない巨大イタチに麻酔だの錠剤だの言われ、ソフィスタは思わず「麻酔だあ?」と聞き返す。そこにトゥバンが「怪我を見るの?オレも見たい!見せて!」と言って、ためらいなくソフィスタのマントを掴んで引っ張った。
 いろいろと混乱しているところに非常識な行動を取られ、ソフィスタは声すら出せなかったが、マントを引っぺがされる前に、ラスタバンがトゥバンの手をマントからひっぺがしてくれた。
「こらっ!上は何も着ていないんだから、マントを取っちゃダメでしょ!人間のメスはね、オスやオスの姿をした知能ある生物の前では素肌を晒したがらないものなの!さっきもそう話して、治療中はメシアと一緒に部屋の外に出しただろ!」
「でも、さっきはじーちゃんがコイツの服を脱がして怪我の手当てをしていただろ?」
「あたしゃ昔は医者として人間や獣人のメスの素肌どころか出産も手伝っていたからいいの!それに、怪我を見たいだなんて、不謹慎だよ!」
「じーちゃんだって、怪我の様子を見るって言っただろ。ちょっと前に傷に触ったりもしてたんだろ?」
「好奇心で言ったわけじゃないの!治療をするのに傷を確認するのも当たり前でしょ!縫合だって、傷に触らないとできません!」
 ラスタバンは、親のようにトゥバンを叱り、トゥバンは子供のようにむくれて言い返す。
 メシアが何も言わないので、ラスタバンがソフィスタの傷の治療をしたというのは本当なのだろう。あの毛まみれの手で縫合したのかだの、昔は医者だの何だのと気になるところは多々あるが、裸の上半身をメシアに見られていないであろうことには安心した。
「トゥバンよ、ラスタバンの言う通りにするのだ。人間にしろネスタジェセルにしろ、男や子供が理解できない習慣が、女性には多いものなのだ」
 なんだかしみじみとした言い方で、メシアがトゥバンを諭す。トゥバンは「分かった…」と頷きつつも、納得できていない顔をしている。
「じゃあさっ、メシアと遊んでてもいいか?」
「いいけど、その二体のスライムは置いてってやりな。あたしゃと二人だけ部屋に残されても、この子が不安だろうからね」
「やった!もうコイツ起きたから心配ないな!メシア、遊ぼう!!」
 トゥバンはセタとルコスを寝台に下ろし、メシアの腕を掴んで引いた。
 勝手に話を進められた上に、メシアを連れて行かれる不安に「待てよ!」と声を荒げたソフィスタだが、ラスタバンに「まあまあ」と前足で額を押さえられた。
「あたしゃらを警戒しているから、メシアと離れ離れになりたくないんだろ?でも、既にあたしゃアンタの怪我の治療をしちまったし、背中にある傷じゃアンタ一人じゃ手当できないだろ?メシアもあたしゃらのことを信頼してくれてんだし、アンタもあたしゃらを信頼してくれないかねえ」
 そう言ってラスタバンは顔を少し近付けた。大きさを除けば、顔は普通のイタチと同じで愛嬌があり、ちょっと気持ちの良い肉球の感触や、おばちゃんっぽい喋り方に、ソフィスタの警戒心が薄れる。そういえばイタチつながりのためか、ラスタバンはエリクシア村のカマイタチ三兄弟と雰囲気が似ている気がする。
「ホラ早く行こうよ!オレたちがいたらソフィスタの手当てができないんだから!」
「そ・そうではあるが…ソフィスタ!ラスタバンは医療に長けた、信用できる者だ!お前の怪我も、命に関わるほどの深さだったので、ラスタバンに見てもらえ!そして安静にするのだ!喉が渇いたり腹が減ったりしたら、ちゃんと言うのだぞ!」
 ラスタバンに腕を引かれながら、メシアは何度もソフィスタに声をかける。部屋を出て行ってからも、しばらくはメシアの声は聞こえていた。
 ラスタバンがソフィスタの額から手を放し、「ところで、アンタさあ」と話し始める。
「アンタらが持っていた薬さあ…メシアから聞いたけど、エリクシア村の獣人から貰ったんだってね。一族秘伝の薬ってことで、村の外に持ち出しちゃいけないってことにしたはずなんだけどねぇ」
 まるでラスタバンが薬に関する決まりを作ったような言い方をするので、ソフィスタは「その薬のことを知っているのか?」とラスタバンに尋ねた。
「そりゃ知ってるよ。あたしゃが村に伝えた薬だからね。今の薬は、あたしゃがいた頃より改良されているみたいだけど、副作用は相変わらずあるらしいね」
 台車に置いてある箱の一つから、白い手袋を取り出し、それを前足に装着しながら、ラスタバンは答えた。巨大イタチの前足にはとても入らないサイズの手袋に見えたが、異様に伸縮性のある素材だったようで、ラスタバンの前足の指の付け根までぴったりとフィットした。
「はあ?伝えた?お前が?」
「まあ、あたしゃが調合法を発見したわけじゃないけどね。昔は医者だったって言っただろ。エリクシア村で、獣人の姿で暮らしていたことがあってねえ。…まあ、その辺りはアンタが眠っている間にメシアに話したから、後で聞くといいさ」
 ラスタバンの話は…そもそもラスタバンの姿すら、ソフィスタの想像を超える驚くべきものだったが、「眠っている間に」と聞いて、ソフィスタは自分が意識を失っている間に経過した時間がどれくらいのものか知らないことに気が付いた。さらに、エルフの男三人に襲撃されたことと、刃物で背中の肉を抉られる感触を思い出す。
「お・おい、あたし、どれくらい眠っていたんだ?」
「あ?…ん〜…まあ、半日くらいかねえ。ああ、そんだけ寝てりゃ麻酔もきれるわな。痛みで目を覚ましたのかもね」
 それを聞いたソフィスタが「半日…」と深刻そうに呟いたので、ラスタバンに「何か問題でもあるのかい?」と尋ねられた。
 ソフィスタは頷き、事情を話そうかと少し悩んだ。
 メシアにも、ラスタバンは信用できると言われたし、ラスタバンがソフィスタの手当てをしたというトゥバンの発言も、信じつつある。
 エリクシア村で医者をしていたという話はともかく、確かにラスタバンには医療の知識があるようだし、毛まみれの手でも、あの白い手袋を装着すれば傷の手当てもできそうだ。
 エルフの攻撃を受けた時の痛みや感触からして、怪我は相当深かったはずだ。おそらく縫合され、カマイタチ三兄弟から貰った薬を塗られたのだろう。
 メシアや、あの子供っぽいトゥバンの手に負える怪我ではなかったはずだ。ラスタバンがソフィスタの怪我の治療をし、命を救ってくれたことは間違いないだろう。それに、背中の痛みは目を覚ました頃より増しており、手が届きにくい背中の怪我など、今から魔法を使って自分でどうにかできる自信は全く無い。
 メシアの言う通り、ここはラスタバンを信用し、頼った方がよさそうだ。ならば、エルフに目をつけられたことも話さなければいけない。この場所がどこなのかは薄々察しているが、エルフたちが侵入してこない確信は無いのだから。
「あたしたち…正確にはメシアがなんだけど、エルフに狙われているんだ。この背中の怪我も、三人の男のエルフと遭遇してやられたもので、今も奴らは、あたしたちを探しているだろう」
 話の途中で、ラスタバンが微かに息を呑んだ。エルフに何か嫌な思い出でもあるのだろうかと思ったが、とりあえず、ソフィスタは話を続ける。
「この場所は、竜を祀った神殿の近くで、地下の施設だよな?今まで誰にも見つかっていない場所なんだろうけど、そのエルフたちが侵入してくる恐れはあるか?あたしたちも長居する気は無いし、そもそも神殿の近くに北へ速く移動できる手段があるって聞いたから来たんだけど…」
 そう話していると、ついさっきまでの明るくお喋りなラスタバンが、暗い雰囲気で黙り込んでいることに、ソフィスタは気付いた。「どうかした?」と声をかけると、ラスタバンは一つため息をついてから語り始める。
「…そうだよ。ここは、あの地下神殿よりもっと深い地中にある施設で、許された者しか入れないけど、エルフたちが強引な手段で侵入してくる恐れはあるよ。…まあ、そうなった時の覚悟はできているけどね…」
 許された者にしか入れないのなら、なぜメシアとソフィスタは入ることができたのだろうか。先にメシアが不思議な光に閉じ込められて地下に落とされたので、おそらくメシアが許された者なのかもしれないが、それは何故なのだろうか。
 ラスタバンが深刻そうに言った「覚悟」というものも気になり、「それって、どういう…」とラスタバンに尋ねようとしたが、「ひとまず話はここまでね」と言葉を遮られてしまった。
「そろそろ痛み止めを飲んどかないと、後で辛いよ。アンタの怪我さ、刃物か何かで抉られたもののようだけど、幸い骨や臓器には達していない。完璧な縫合を施したし、この薬なら塗り直すだけの治療で、まあ明日には少し動いても大丈夫なくらいまで回復するだろう。エルフの連中も、二日や三日じゃここには入ってこられないと思うから、今は大人しく治療されてなさいよ。北への移動手段も、後で教えてやるよ」
 ラスタバンは治療の準備を始める。てきぱきと機材を取り出して金属製のトレーに並べているが、エルフと聞いてから暗くなった雰囲気は変わっていない。
 そんなラスタバンの様子も含めて聞きたいことはたくさんあるが、背中の痛みは酷くなる一方だし、一度頭を落ち着かせる必要もあるだろう。
 仕方なく、ソフィスタはラスタバンを信用し、大人しく治療を受けることにした。


 *

 ラスタバンとトゥバンは、地下神殿よりさらに地中深くにあるこの施設で暮らしており、トゥバンが言っていた『クヌム』は、この施設の名称だという。
 メシアがクヌムの内部に落下してきた時の音を聞いて、何事かと駆けつけたトゥバンは、メシアが持っていた薬の匂いが、ラスタバンが腰が痛い時などに使っている薬とほぼ同じ匂いだったので、盗まれたのだと勘違いしてメシアに襲い掛かったそうだ。
 ラスタバンも、トゥバンより遅れてメシアがいる部屋へと向かっていたが、トゥバンの泣き声を聞き、怒りにまかせて叫んでむせて、よろめいて転倒し、六畳一間すっぽりサイズに巨大化させた体をゴロゴロと転がして壁に激突して破壊し、その先にいたメシアとソフィスタにぶつかりそうになったが、寸でのところで体を縮めて回避することに成功した。
 メシアの脇をかすめて転がる体をどうにか止め、目を回しながら起き上がったラスタバンは、メシアにこう言った。
「ネスタジェセル…ってことは、アンタがメシアだね。ホルスから、アンタらがココに来るから協力してやれって言われてるよ」
 さらにトゥバンにまで「え、オマエ、ネスタジェセルなのか!初めて見たー!!」と言われ、巨大イタチが喋るわホルスの名前が出るわネスタジェセルを何故か彼らが知っているわで、頭が追い付かなかったメシアだが、とにかく自分が泥棒ではないことを伝え、ここでソフィスタの手当てをさせてくれと頼んだ。
 薬については、ラスタバンが匂いですぐにトゥバンの誤解に気付き、早とちりして悪かったとトゥバンも素直に謝ってくれた。そしてソフィスタの容態を見たラスタバンは、しっかり治療してやると言い、施設内にある医療設備の整った部屋へとメシアたちを案内した。
 そして、ラスタバンがソフィスタの怪我の治療をしている間、部屋の外で待たされたメシアは、トゥバンにラスタバンやクヌムなどについて尋ねた。今までラスタバンとしか話したことがなかったというトゥバンは、メシアと話ができることが嬉しいようで、知らないこと以外は何でも答えてくれた。
 また、ソフィスタの治療を終えたラスタバンからも、少し話を聞いたが、こちらはトゥバンと違って何でも教えてくれるというわけではなく、知っているのか知らないのか曖昧な答え方をされることもあった。

 ラスタバンもトゥバンも、人間がドラゴンと呼ぶ存在で、他の多くのドラゴンと共に、ここクヌムで生まれたそうだ。ただ、トゥバンの性格が子供っぽいのは、生まれてからつい最近まで眠り続けていたからだという。
 ドラゴンたちは、地上に出ると各地に散らばり、ひたすら人間を襲った。しかし、突如として現れた怪物に成すすべなかった人間たちが反撃を始めると、群れを成したり待ち伏せたりと、自然と知恵を付けて戦略を用いるようになった。
 また、ドラゴンの多くは肉体の形や大きさを変える能力を持ち、それを生かして効率良く戦うようにもなった。
 特殊な能力と、それを生かせる知能と強さ。それらをドラゴンは、人間を襲うことにしか使わなかった。というのも、地上に蔓延る人間どもを殲滅させることが、ドラゴンの本能であったからだ。
 人間を襲うこと以外でドラゴン同士の意思疎通は無く、互いに争うことは無いが仲間意識が強いわけでもない。寿命は長いが、子を成したり進化しようという意思も意欲も無い。だから知能が高いはずなのに獣の域を脱せず、もし世界から人間がいなくなっても、寿命が尽きるまで人間を探し求めてさまよった挙句に絶滅したかもしれない。それほど、強い本能であったのだ。

 だが、なぜかラスタバンには、その本能が無かった。
 地上に出たばかりの頃は、他のドラゴンに倣ってラスタバンも人間を襲っていたが、こんなことをする意味が分からないと感じるようになり、人間を襲うしか脳のない他のドラゴンを避けるようになった。
 人間も、ドラゴンの姿を見ると恐れたり攻撃を加えたりしてくるので、持ち前の変身能力で小動物などに変身して逃れていたが、そうやって当てもなく彷徨っているうちに、人間や世界のことに興味を持つようになった。
 自分が生まれた施設のことも知りたくなって、クヌムに戻り内部を調べ、そこにある書物を読み漁ったりもした。
 クヌムの外では、隠れながら人間を観察し、さらに人間に接触するべく、人間の姿は無理だったが獣人に似た姿に変身できるようになった。
 怪しまれないかどうか試すべく、まずは獣人と接触を図ろうと、クヌムの近く、ドラゴンに見つかりにくそうな森の中に、獣人が多く暮らす村があったので、迷子の少年を装って侵入を試みた。その村こそが、エリクシアである。
 村では、ドラゴンによって住処を奪われて逃げ伸びてきた獣人を多く保護しており、ラスタバンも、そんな行き場の無い獣人だと思われて保護された。多少は挙動不審だったかもしれないが、まだ子供の姿をしていたこともあって、故郷をドラゴンに襲われたショックで未だ混乱しているからだろうと勘違いしてくれた。
 村で話を聞いていると、どうも獣人はドラゴンの殲滅対象にはなっていないようで、邪魔になるような真似さえしなければ、腹の足しに食べる以外で獣人が襲われることは無かったそうだ。
 せっかく保護されたのだから、この村で人間や獣人について調べようと、ラスタバンは考えた。行き場を失った子供だからと、村の獣人たちが何かと親切にしてくれるのも好都合だった。

 そうやって数年も村で暮らしているうちに、獣人たちに情が湧き、変身によって大人の姿へと成長していったラスタバンに好意を寄せてくれた女性と夫婦にまでなった。
 驚いたことに、女性との間に子供を授かることができた。ラスタバンの心は、より村の者たちに惹かれ、ドラゴンに怯えて暮らし続ける彼らを安心させてやりたいと強く思うようになった。
 そしてついにラスタバンは、他のドラゴンと戦う決意をした。
 当時のラスタバンの本来の姿は、白い毛並みが美しい巨大なイタチのような姿で、さらに巨大化したり、体の一部を刃に変えたりしてドラゴンと戦っていた。その様子を見た人間や獣人は、ラスタバンを神々しく感じ、人食いドラゴンから人間を守護する神のような存在であると崇めるようになった。
 だが、それは極めて少数で、多くはラスタバンも危険なドラゴンなのだと恐れ、時には刃を向けられた。特にエルフは、ラスタバンが他のドラゴンと戦っている最中でも、隙あらば殺そうとしてきたが、必要以上の反撃はせず、多少の怪我はさせてしまうことはあっても、人間もエルフも決して殺さなかった。
 村の獣人たちの多くも、近くに現れるようになった巨大イタチも危険なドラゴンなのだと恐れていたが、仕方のないことだとラスタバンは理解した。
 村の外ではドラゴンと戦い、村の中ではクヌムで得た知識を生かして医者として働き、妻を助け、子供を自立するまで育てた。やがて、人間とエルフの奮闘もあって、他のドラゴンは姿を見せなくなり、本来の姿で戦うことはなくなったラスタバンは、獣人の家族や仲間と穏やかに暮らし、獣人としての寿命が尽きる頃になると、人知れずエリクシア村を去った。

 村を出てからは、姿を変えながら世界のあちこちを巡っていたが、肉体が衰え、変身した姿を長く保てなくなったので、いつの間にか近くにラスタバンを祀る神殿ができていたクヌムに戻り、まだ眠っていたトゥバンを目覚めさせた。それが、今から五年前のことだそうだ。
 こうして、トゥバンに世間を教えながら、クヌムでひっそりと暮らす生活が始まり、現在に至るという。
 ちなみにホルスとは、一年ほど前にクヌムを尋ねてきた時に知り合ったそうだが、特に仲が良いわけではないらしい。

 一通り話を聞いたが、とにかく疑問が多い。
 ソフィスタからは、ドラゴンが人々を襲っていたのは数千年前のことだと聞いたが、となるとラスタバンは数千年も生きていることになる。エルフの寿命もかなり長いが、ラスタバンはエルフより遥かに長く生きているのだ。
 そんな生物が存在し得るのかとメシアは驚いたが、現にラスタバンが存在するので、まあそういう生物もいるのだとしよう。だが、トゥバンがラスタバンと同じ頃に生まれて今まで眠っていたとは、どういうことなのか。しかもラスタバンのように年老いておらず、顔も体も若くて元気が有り余っているほどだ。ドラゴンは、眠っている間は年を取りにくい生物なのだろうか。
 エルフがネスタジェセルに対するそれと同じように、ドラゴンには人間を襲う本能があるそうだが、人間はドラゴンに何かしたのだろうか。本能になるほどドラゴンを虐殺したりでもしたのだろうか。ネスタジェセルもエルフに何かした覚えはないそうだが、恨みではない他の何かがあるのだろうか。
 その辺りもラスタバンに聞こうとしたのだが、「用事があるから、暇ができたら教えてやらなくもない」と言って、どこかへ行ってしまい、トゥバンは「オレもメシアに聞きたいことがあるから、今度はオレがメシアに聞く番ね!」とメシアに質問攻めを始めたため、ソフィスタが目を覚ますまでに彼らについて聞き出すことができたのは、ここまでとなった。

 トゥバンは、地上に出たことはあっても、地下神殿がある森より外へは出たことが無いため、ラスタバンから話だけは聞いていた人間やネスタジェセルに会ってみたいと、ずっと思っていたそうだ。さらに、地下神殿が崩れてからは、危険だからとクヌムの外にすら出してもらえなくなり、つまらないと感じてきたところにメシアたちが現れたので、泥棒の誤解が解けてからは、好奇心からメシアにべったりとなり、メシアも子供っぽいトゥバンに対し面倒見良く接していたため、すっかり懐かれてしまった。
 今もトゥバンに仲良さげに腕を組まれ、長い廊下を歩いている。どこかへ案内されているようだが、どこへ行くかは「着いてからのお楽しみ!」と言ってトゥバンは教えてくれない。
「ねえねえ、そんなにココの天井が珍しいのか?」
 メシアが歩きながら天井を見上げているものだから、トゥバンにそう尋ねられた。
 ソフィスタがいる部屋もそうだったが、この廊下の天井は光を帯びており、昼間の穏やかな日差しが差し込む室内のような明るさを保っている。
 ちなみに、ソフィスタの傷の縫合は、今彼女がいる部屋とは別の部屋で行われ、手術後に寝台ごと今の部屋に移された。
「うむ。それも、この明るさは魔法によるものではないのだろう?」
 クヌムに来てから、光る床や天井だけではなく、近付いただけで開く扉や、火を使っていないのに温かい風が出てくる箱のようなものなど、不思議な設備を幾つか見てきた。だが、それらの動力は全て魔法ではなく、ラスタバンとトゥバンも、魔法は全く使えないそうだ。
 いったい何を動力として、どういった原理で様々な現象を起こしているのかまでは、まだ聞いていない。トゥバンが放つ稲妻についても、トゥバン本人に聞いたところ「気にしたことないから原理とか分からない」だそうだ。
「魔法じゃないよ。…その魔法ってヤツ、何も無いトコロに火や水を出したり、オレみたいに稲妻を出したりできるんだよな。スゴいなあ」
「確かに魔法も凄いが、私からしてみれば、ここの天井も、お前の稲妻も、魔法と変わらず凄いものだと思うぞ」
「ふ〜ん。じゃあ、オレたちが天井を光らせたりするのに使っているチカラと、魔法のチカラって、同じようなものなのかな。あのセタとルコスっていう生き物は、魔法のチカラから生まれたんだろ?じーちゃんとオレも、生物本来のとは違う生まれ方をしたし…」
 トゥバンはメシアの腕を放し、額の角に指をグリグリと押し当てる。考え込む時のトゥバンの癖のようだが、そんなことより先程のトゥバンの発言に、メシアは耳を疑った。
「…トゥバンよ、何と言った?どんな生まれ方をしたと…」
「えっ?だからオレとじーちゃんは…あっ、ほら、ココに入れば分かるよ!最初にココを見せたかったんだ!」
 廊下の奥の、重厚そうな両開きの扉の前で、トゥバンは立ち止まった。
 近付くと勝手に開く扉には取っ手がついていなかったが、この扉には、見た目より機能性を重視した飾り気の無い取っ手が取りつけられている。また、扉の横の壁には、不透明の塗料で塗りつぶされた箇所があった。
 トゥバンが取っ手を掴んで引くと、見た目より軽々と開かれる。
 扉の向こうは薄暗く、蝋燭のように弱々しく小さな光が、高い位置に灯っており、前後左右に間隔を置いて規則正しく並んでいる。
「クヌム、明るくして!」
 トゥバンが、そう声を上げると、天井がぼんやりと発光し始めた。
「天井が光り始めたぞ?魔法ではないのだよな?誰かに光らせるよう頼んだのか?だが、クヌムはこの施設の名前ではなかったのか?」
「魔法じゃないよ。クヌムは施設の名前だよ。でも、いろんな機能を動かしている中枢の制御装置のことも、クヌムって呼ぶんだ。じーちゃんが、クヌムの音声識別設定に俺の声を登録してくれたから、中枢と繋がっている機能はオレの声でも作動させられるんだ。重要な機能は、じーちゃんの声でしか作動しないけど」
 わけの分からないことを、さも常識であるかのように話すトゥバンに戸惑っているうちに、部屋は廊下と同じくらい明るくなった。
 小さい光は目立たなくなったが、部屋の中の様子がハッキリと分かり、その奇妙な光景に、メシアは目を見開いた。
 天井が高く、アーネス魔法アカデミーの校庭くらいはありそうなほど広い部屋だが、規則正しく立ち並ぶ円柱によって、部屋の面積の半分は占められている。
 円柱は、根本と上部以外は透明で、天井までは届いていないが、メシアの身長の三倍の高さはある。根元には、太さがまばらな管が木の根のように伸び、床と柱を繋いでいる。小さい光は、この柱の上部に灯っていた。
 中には壊れた円柱もあり、その円柱の周囲の床には多少のへこみや傷が見られるが、柱の瓦礫は落ちていない。
「…な、何なのだ、この部屋は。いったい、なんのための部屋なのだ?」
 立ち尽くすメシアを置いて、トゥバンは原型を保っている柱に駆け寄ると、こう言った。
「ここは、生体兵器製造保持室。そんでこの柱が、アメミット製造保持装置。人間は、オレたちをドラゴンとか竜とか呼んでいるけど、正式名称は『アメミット』。人間をクチクするために、この装置の中で作り出された生体兵器なんだ」
 トゥバンは、難しくて物騒なことを、ニコニコと笑顔でメシアに語った。
 その意味の半分以上は理解できなかったが、ここに入る前のトゥバンの「生物本来のとは違う生まれ方をした」という言葉と、「人間をクチクするために、この装置の中で作り出された」という言葉が頭の中で結びつくと、メシアは目眩がするほど驚愕した。
「…作られた?駆逐するために?そんな…ことが…」
 目を見開き、口をぱくぱくさせて、途切れ途切れに小さい声を漏らすメシアの様子に、トゥバンは「びっくりしただろー」と得意げに笑っていた。


  (続く)


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