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ありのままのメシア 第十四話


   ・第三章 合成獣アメミット

 ソフィスタとメシアがクヌムに落ちたのは、昨日の夜。ソフィスタが目を覚ましたのは今朝。
 怪我と貧血でソフィスタは寝台から動けず、メシアはトゥバンに連れ回され、昼になると全員がソフィスタがいる部屋に集まって昼食を取った。
 食事は、ラスタバンが用意してくれた。保存用に加工しておいた肉や野菜を簡単に調理したものだったが、栄養をしっかりと考えて食材を選んでおり、味も悪くなかった。
 おかげでソフィスタの体力は順調に回復し、今朝より顔色が良くなったが、反対にメシアは今朝より元気がなく、気になったソフィスタは、どうかしたのかとメシアに尋ねた。しかし話してもらう前に、再びトゥバンがメシアを部屋から連れて出て行ってしまった。
 ラスタバンも、昼食の後片付けとソフィスタの世話を終えると、部屋を出てゆき、しばらくしてメシアだけが部屋に戻ってきた。
 なんでも、ラスタバンに「あたしゃ夕食の準備を始めるから、アンタはソフィスタについてやっとくれ」と言われ、メシアにべったりだったトゥバンは「今夜はごちそうにするから、手伝っとくれ」と頼まれて、はりきってラスタバンと一緒に厨房へ向かったそうだ。
 ようやくメシアと二人だけで話す時間を設けられ、ソフィスタはメシアに、トゥバンに案内されて何を見てきたのかと尋ねようとしたが、促すまでもなくメシアのほうから話し始めた。

 外では日が沈んで暗くなっているであろう頃、寝台の傍で椅子に座っているメシアは、一通り話を終えると難しい顔で俯き黙り込んだ。ソフィスタも黙って頭の中でメシアの話を整理する。
 ラスタバンとトゥバンが、かつてドラゴンと呼ばれ恐れられていた存在であることや、獣人に変身して家族を作って暮らしていたこと、その時代から現在まで数千年以上を生きていることなどには、もちろん驚かされた。薬の調合を子孫に受け継がせたことや、体の一部を刃に変えて戦っていたことから、カマイタチ三兄弟はラスタバンの子孫で、魔法ではない変身能力もラスタバンから受け継いだものなのかもしれない。
 しかし一番驚かされたのは、自然のものとは違う方法で生み出された生命体であるということだった。
 魔法によって生命体を作り出す技術なら、ソフィスタが生まれる前から存在はしている。それが発表された当時は、普通の生物と同じ環境下で生きられない不完全なものであっても、世間を大いに騒がせた。
 だがドラゴンが出現した時代は、それよりも遥か昔。生命体を作り出す技術は、ドラゴンの時代以前から世界に存在していたということになる。
 トゥバンの話によると、ドラゴンの正式名称は『アメミット』。様々な動物の遺伝子を組み合わせて作られた合成獣で、人間を駆逐するための生体兵器なのだという。アメミットと名付けられた由来や、誰に作りだされたのかまでは、トゥバンは知らないそうだ。
 アメミットたちは、カプセル状の製造保持装置の中で作られ、ラスタバンは体が成体の状態で目覚めたが、彼が一度外に出た後にクヌムに戻った時、トゥバンはカプセルの中で胎児のような姿をしていたという。
 トゥバンの肉体は数千年かけてカプセルの中で成長し、五年前にラスタバンによって目覚めさせられた時は、身長はソフィスタより少し低いくらいだったが、痩せ細って弱々しく、這いつくばっても移動することができず、それどころか目蓋を開くこともできない、まるで背が異様に高いだけの赤ん坊のようだったという。
 トゥバンの他にも、もう一体だけ成体のアメミットがカプセルの中で眠っていたそうだが、ラスタバンは「具合が悪いから」とだけ言ってカプセルからは出さず、数日前に、いつの間にかいなくなっていた時も「目を覚ましてホルスと一緒に外へ出て行った」としか教えてくれないそうだ。
 そのアメミットこそが、ホルスがヒュブロに連れてきたアメミットなのだろう。ちなみにトゥバンは、ラスタバンとホルスが知り合った一年前も、もう一体のアメミットを連れて行った数日前も、夜中だったため寝ていてホルスとは会わなかったらしい。

「…あ〜…ハハハ…。数千年前に合成獣だの生体兵器だのって、普通は信じねーよ」
 気力の無い声で、ソフィスタは独り言つる。彼女の枕元では、セタとルコスが体を休めている。
 確かに、今より便利な道具も魔法も無い時代の遺物の中には、その時代にしては高度な技術で作られた物が、まれに見つかる。しかしそれは、便利な道具も魔法も無いからこそ、当時の技術者が知恵を絞り時間を費やし、現代には無い発想で不可能を可能にしたものだと考えられている。
 だが、トゥバンが語るクヌムやアメミットについては、その許容範囲を突き抜けている。なんだか想像力の逞しい作家が書いた物語を聞かされたようで、乾いた笑いが漏れる。
 だが、トゥバンの話を全て嘘だと突っぱねるには不可解なものが多く、それを解明するための情報も少ない。
 そもそも、このクヌムという施設は、メシアがトゥバンに案内された限りではアーネス魔法アカデミーの敷地ほどの広さはあるそうだ。扉に鍵が掛かっていたり、入ってはいけないとラスタバンに言われたという部屋も幾つかあったそうなので、もしかしたらもっと広いのかもしれない。
 そんな巨大な施設が、いったい誰がどうやって何日かけて、人に知られずに造られたのだろうか。
 地面を掘り、支柱を組み、資材を運び込み…と、例え魔法を使ったとしても大掛かりな工事となり、間違い無く目立つはずだ。
 数千年前に造られた割には壁や天井に劣化らしい劣化は見当たらず、そこに灯っている安定した光も魔法によるものではないし、どのような仕組みで光っているのか全く分からない。そんな謎だらけの施設が、こうして存在している以上、トゥバンの信じがたい話も信じたくなる。
 …何にしても、実際に自分の目で見て調べて回りたい。でも早く怪我を治したいし、エルフがいつここに侵入してくるかも分からないし…。ラスタバンは、エルフが侵入してきた時の覚悟はできているって言っていたけれど、どういう意味かも気になるし…。
 このクヌムという施設、ここで作られた合成獣アメミット、ラスタバンとトゥバンの言動…などなど、ソフィスタの好奇心を駆り立てるものが、これでもかというほどあるのに、それらを解明するためには、どう考えても時間が無いし、一人で解明できるスケールでもないし、体もろくに動かせない。
 …歯がゆいけど、それが現状じゃ仕方ない。悔しがる時間も惜しい。…クヌムやアメミットについては、今のトコロはメシアが見聞きしたものが全てだから、これ以上は調べようが無いな。他の気になっていたことを片付けるとするか。
 ソフィスタは一つ息を吐き出すと、まだ俯いているメシアに「ねえ、メシア」と声をかけた。メシアは顔を上げる。
「あんたさぁ…古代文字を読めるだろ」
 メシアがクヌムに落とされる直前まで見ていた紙に記されていた古代文字のことを、ソフィスタはしっかりと覚えていた。そして、文字を見ているメシアの様子がおかしかったことも、襲い掛かってきたエルフが古代文字を気にしていたことも覚えている。
 ネスタジェセルは、現代の人間が用いている文字とは違う、人間には知られてはいけない文字を用いていると、メシアから聞いたことがある。その秘密の文字が、実は人間たちにとっての古代文字で、それが森の奥深くとは言え人間の世界にあったから、メシアは驚いていたのかもしれない。ネスタジェセルの存在を消そうとしているエルフが古代文字を気にしていたことも、同じように説明がつく。
 それに、あの古代文字はホルスが書き置きしたものなのだろうが、ソフィスタとメシアにメッセージを残すのなら、現代の文字でよかったはずだ。彼は現代の文字は読めても書けないという可能性も無くはないが、そうだとしても、ソフィスタとメシアのどちらかが古代文字を読めるという確信がなければ、書置きをする意味が無い。
 メシアの故郷や女神の名前を知っており、メシアの戦士の装束と似たデザインの衣装を身に着けているホルスなら、ネスタジェセルの文字…すなわち古代文字を読み書きできてもおかしくはない。
 ならばホルスは、メシアにだけまず書置きを読ませるために古代文字で書いたのだろうが、その理由を考えるのは後にして、まずメシアに古代文字が読めるかどうかの確認をしようと、ソフィスタはメシアと話せる機会を待っていたのだった。
「…コダイモジ?何だそれは」
「古い地層や洞窟で見つかった、人間が使っているものとは全く違う文字だよ。クヌムに落ちる前に見ていた紙に書かれていたものを、あたしたち人間は古代文字と呼んでいる」
 ソフィスタが、そう説明すると、メシアは「へわっあぶぁあわっ」などと、まるで溺れているかのように口と手を動かして動揺する。
「い・あわっそれっあわっや…わ・私は何も話せんぞ!!」
 読めないとは答えないので、やはりメシアは古代文字を読めるのだろう。そしてそれを、あからさまに隠そうとしている様子から、ネスタジェセルの文字が古代文字である可能性が高いと、ソフィスタは考える。
 …仮に、古代文字が人間のものではなく、ネスタジェセル独自のものだとしたら、昔は世界のあちこちに…少なくとも古代文字が発見された場所にネスタジェセルがいたことになる。
 ならば、エルフがボディガードを名目に遺跡の調査などに同行するのは、エルフが人間を見張り、ネスタジェセルの痕跡を発見される前に排除するためと考えられる。発見されてしまった古代文字は、エルフに気付かれず排除しきれなかったものだろう。
 …だとしたら、かつてラスタバンが人間を助けようと戦っていたのに、特にエルフに攻撃されたのは、ドラゴンは…アメミットは、ネスタジェセルと関係しているから?
 ラスタバンも、エルフにクヌムが見つかることを恐れているような口ぶりだったし、エルフも地下の施設のことを知っているようだった。
 ネスタジェセルと同じように、クヌムもアメミットも、エルフの排除の対象なのだろうか。
 …いったいエルフは、この世界の何を隠し、消そうとしているんだ?
 ソフィスタが考えている間に、メシアは落ち着きを取り戻した。表情にはまだ緊張が見られるが、溺れるパントマイムは止んでいる。
 彼が落ち着いたところで、今度はストレートに話を振らず、上手く誘導して口を滑らせてやろうとソフィスタは企んだが、それを実行する前に、「ごはんだよー!!」とトゥバンの明るい声が聞こえ、部屋の扉が開いた。ちなみにこの部屋の扉は、押しても引いても開くタイプで、近付いても勝手に開くというものではなかった。
 昼食の時よりも量が多くて手の込んだ料理を乗せた配膳台を押して、トゥバンとラスタバンが部屋に入ってくる。ラスタバンは、体の毛が料理に入らないよう、手作りと思われる巨大イタチサイズの割烹着を身に付けいる。
「今夜はメシアとソフィスタの歓迎パーティーだよ!まあパーティーって感じの部屋じゃないけど、食事は豪華だからね!ソフィスタのぶんは、ほぼ病人食だけど、そこはガマンしとくれよ」
 ガマンもなにも、怪我の手当てをしてくれただけでもじゅうぶん助けられている。ソフィスタは「ここまでしてくれて文句なんてあるわけないよ。ありがとう」とラスタバンたちに礼を言うが、内心、親切にされすぎて、何か裏があるのではないかとすら考えてしまう。
 メシアは素直にラスタバンたちに感謝して礼を言い、配膳を手伝う。昼食で使うために部屋に持ち込まれたまま置いてあるテーブルに料理を置き、最後にソフィスタのぶんの料理やおしぼりが乗ったトレーをラスタバンから受け取ると、寝台の傍に戻って椅子に座り、トレーを膝の上に置いた。
「ソフィスタ、また食べさせてやろう。どの料理から食べるのだ?」
 昼食でも、メシアはソフィスタを気遣って、料理を彼女の口へ運んで食べさせていた。早く怪我を治すためだと、ソフィスタは恥ずかしさを堪えてメシアに食べさせてもらったのだった。
「い・いや、もう自分で食べられるから」
 ソフィスタは、セタとルコスに支えられながら、上半身を起こす。
「待て、無理はするでない」
「大丈夫だってば。本当に無理なことがあったら頼むから、気にしないで自分のぶんを食べな」
 そう言われてメシアは渋ったが、ソフィスタにトレーを取り上げられ、トゥバンに「メシアはオレの隣に座って!」と急かされ、仕方なくテーブルの席に着いた。
 …食事が終わったら、トゥバンはまたメシアを連れ回しそうだな。…でも…。
 メシアがクヌムの内部を、ある程度把握してくれれば、ソフィスタが体を動かせるようになったらスムーズにクヌム内部を見て回れるだろう。動けるようになっても内部を見て回る時間が無いかもしれないが、後でメシアから話を聞くことはできる。
 だが、美味しそうな香りの料理がテーブルいっぱいに並べられているというのに、メシアは相変わらず元気が無い。トゥバンに「見て見て!コレはね、オレが盛りつけたんだよ!」と笑顔で声をかけられて、「ああ、美味そうだな」と答えて微笑むも、どこか上の空に見える。
 考えてみれば、一昨日はマリアの死を知らされたショックで、昨日はソフィスタの大怪我を心配して、あまり眠れていなかったかもしれない。元気が無いのは分かっていたのに、自分の好奇心を優先してメシアの気持ちをちゃんと考えていなかったことに気付き、ソフィスタは後悔する。
 …メシアは、あたしのことを心配して、優しくしてくれるのに…。自分が最悪な人間だってことは分かっていたのに、メシアの前ではそれが嫌になるな。…メシアの前に限っている時点で、やっぱり最悪なんだろうけど…。
 既にメシアたちは食事を始め、トゥバンが「コレおいしー!」と騒いでラスタバンに「食事中は騒ぎすぎないように」と軽く叱られている。
 そんな微笑ましいやりとりを見ながら美味しい料理を食べて、メシアも少しは元気を取り戻したようだ。
 その様子にソフィスタも少しは気持ちが軽くなり、おしぼりで手を拭いてから食事を始めた。


 *

 食事が終わると、トゥバンはソフィスタの予想に反して「眠い」と言い出した。
 昨晩は初めてネスタジェセルと人間に接触できた興奮で、なかなか眠れず、今日もはしゃぎすぎて疲れたのだろうと、ラスタバンは言った。べつにトゥバンの睡眠時間まで子供だからではないそうだ。
「じゃあ、メシアと一緒に体を洗って、歯も磨いてきな。メシア、アンタも昨晩は寝てないんだから、今日は早く寝るんだよ」
 ラスタバンに言われ、メシアは気まずそうな顔でソフィスタを見る。ソフィスタはメシアに背を向けて寝台に寝転がっており、ラスタバンの声が聞こえているのかいないのか、何の反応も示していない。
「そうそう。メシアはソフィスタが心配だからって、じーちゃんが治療している時以外は、ずっと起きてソフィスタの傍にいたんだぞ。優しいよなー」
 トゥバンは無邪気にそう言って、メシアの背中を翼でぺしぺしと叩いた。
 ソフィスタに気を使わせたくなくて、寝ていないことを黙っていたメシアだが、トゥバンとラスタバンに口止めをするまでは気が回らなかった。メシアは、今更になってトゥバンとラスタバンに「それは黙っておいてくれ!」と小声で言うが、トゥバンはキョトンとしており、ラスタバンはニヤニヤと笑っている。
 ソフィスタはため息をつき、メシアに「ラスタバンの言う通りにしな」と、背中を向けたままそっけなく言った。
 ろくに眠れていないだろうと予想はしていたが、トゥバンにきっぱりと告げられると、申し訳ないと思いつつも、照れと嬉しさで頬が赤く染まってゆく。それを悟られまいと、ソフィスタはそっけない態度を取ったのだが、メシアはソフィスタの機嫌を損ねてしまったのだと思い、どうすればいいか分からずオロオロし始める。
 それを見かねたラスタバンが、「まあまあ」とメシアの肩を前足で軽く叩く。
「それより、あたしゃらの寝室にベッドの用意をしておいたから、メシアはそこで寝るんだよ」
「えっ、ここで寝るのではないのか?」
「は?…いや、もうだいぶ怪我も治っているんだから、同じ部屋で寝ることもないだろ。これからまた、ソフィスタの怪我の具合を見たり、体を拭いてやるってのに、アンタがいたらソフィスタも落ち着かないんじゃないの?」
「そうではあろうが…。私は、いつもソフィスタの隣で寝ておるから、ほぼ習慣で…」
 そう言いかけたところで、メシアの脇腹にソフィスタの攻撃魔法が叩き込まれた。お馴染みの、破壊力を帯びた光球であるが、いつもより光も威力も弱い。
 メシアは「あいたっ」と悲鳴上げ、脇腹を抑えて痛みに悶える。メシアの隣にいたトゥバンが「何だ今の!スゲー!!」と喜んでいる。
 ラスタバンも、ソフィスタの魔法に驚かされているようだが、トゥバンほどではなく、メシアが「なぜ攻撃するのだ!!」と元気に騒ぎ出す様子を見て、怪我は無さそうだと安心すると、「隣で寝てるって、マジかいな」と、上半身を起こしてメシアに手を翳しているソフィスタに尋ねた。
「誤解するな!!同じ部屋では寝ても、あたしはベッドで、メシアは床で寝ているってだけで、隣は隣でも距離は取ってるわ!!」
「そうなの?分かったから、興奮するんじゃないよ」
「そうだ、落ち着くのだ。怪我に響くぞ」
 お前のせいで取り乱したんだろうがと思いながら、ソフィスタは再び彼らに背を向けて寝転がった。
「今の、魔法だよな!スッゲー!!もっかいやって!もっかいやって!」
「もっかいメシアを痛い目に遭わせる気かい!それよりアンタ、眠いっつってただろ!ホラホラ、メシアを浴場へ案内してやりな。ついでに、使い終わった食器を洗い場に運んどくれ」
 はしゃいでいたトゥバンは、ラスタバンに促され、食器を収納した台車をメシアと一緒に押しながら、部屋を出て行った。ラスタバンは、やれやれとばかりに息を吐き出し、ソフィスタに近付く。
「アハハハ…連れに攻撃魔法を放つくらいは元気になったようだね。んじゃ、ちょっと怪我の具合を見ようかい」
 治療に関してはラスタバンを信用するようになったソフィスタは、体を包むようにして羽織っていたマントを、自ら外した。ラスタバンは、手袋を前足に装着し、ソフィスタの包帯を外しにかかる。
「痛みのほうはどうだい?昼に飲んだ痛み止めの効果が残っているだろうけれど」
 ソフィスタは「今のところは、特に痛みを感じない」と答えた。ラスタバンは「そうかい」と言って、ソフィスタの背中の怪我の様子を調べる。
「…うん、だいぶ治ったね。薬を塗り直して、今晩も大人しくしておけばバッチリだろうよ。怪我自体は治っても、傷と縫合の痕が消えるまでは、ちゃんと薬を塗るんだよ。痕が残るのは嫌だろう?」
「ああ、分かった。…ところで、抜糸はいつになるんだ?」
 ソフィスタは、担当医への当たり前な質問をしたつもりだが、ラスタバンに「へ?」と返された。
「…あ〜、抜糸ね。しないよ?この糸は傷の癒着と共に体内に吸収されるから、ほっといていいんだよ」
 今度はソフィスタが「は?」とラスタバンに返す。
「体内に?どういうことだ?体に悪い影響とか無いのか?」
「無い無い。人間や獣人相手に医者やってた時も使っていたけど、むしろ治りが早くなったよ。消毒の効果もあるし、傷跡が残りにくいし」
 ラスタバンは軽い口調で答えながら、ソフィスタの救急箱を用意し、中からガーゼとピンセットと消毒液を取り出す。
 最近の医療用のマジックアイテムにも、縫合糸はある。消毒と怪我の治りを早める作用のある、かなりの優れものだ。
 しかしそれは、縫合糸自体は決して特殊なものではなく、医療専門で働く魔法使いが糸に魔法を込めたもので、込められた魔法力を消費しきれば作用は消え、縫合糸自体が消えて無くなることはないので、抜糸は必要である。現在では、それが人間の使う縫合糸の最先端だ。
 そんな最先端のはずの縫合糸から、さらに抜糸の手間を省いた、もはや最高限の縫合糸を、この巨大イタチは使っているのだどいう。
 エリクシア村に伝えた薬といい、いったいこのイタチが使う医療の技術は、どうなっているのだろう。そう考えて、ソフィスタはふと気が付いた。
「そんなに優れた縫合糸なら、それも村に伝えればよかったんじゃないか?」
 そうソフィスタに聞かれ、傷口を消毒するラスタバンの手が止まった。
「…それは、この縫合糸を生産する技術が、地上には無いからさ」
 少し間を置き、ラスタバンは答える。
「じゃあ、ここクヌムでは生産が可能だってのか?」
 さらにソフィスタが問い詰めると、ラスタバンは、諦めたようにため息をついて話し始めた。
「そうさ。それに、この糸の材料の幾つかは、製造方法が不明だし、地上でも調達できないからね」
「…ってことは、この縫合糸も、他の誰か開発したものってことか」
 エリクシア村の薬も、ラスタバンが調合法を発見したわけではないと、今朝彼から聞いている。
「ああ、そうさ。あたしゃ、クヌムに残されていたレシピみたいなもんを見て、その通りに薬も縫合糸も作っただけさ」
 作業の手を休めず、ラスタバンはスラスラと答える。
 生命体を兵器として作り出す技術のあるのなら、特殊な縫合糸を作り出す技術も、あってもおかしくはないだろう。アメミットや、その創造主が、この施設で怪我をした時のために用意しておいたのだろうと、理由も考えられる。
「…誰がその薬や縫合糸を開発したんだ?そのレシピってやつは、今もあるのか?」
「誰が開発したかは知らないよ。レシピも、クヌムに残されていた材料の一つが尽きて、もう縫合糸が作れなくなった時に捨てちまったよ」
 それを聞いて、ソフィスタは「ええっ!?」と声を上げ、ラスタバンを振り返ろうとしたが、「患者が動くんじゃないよ」と前足で体を抑えつけられた。
「アンタにゃ残念だろうけれど、あたしゃが地上で手に入れたもの以外でクヌムにあった書物は、いらなくなったらサッサと燃やすなりして捨てちまったさ。残りは一部屋にまとめて置いて、トゥバンちゃんも入れないよう厳重に施錠してある。アンタにもメシアにも見せないし、いずれ全部処分するつもりさ」
「処分!?なんでそんな、もったいない…!」
 クヌムだけではなく、これほど高度な技術があった過去の世界の謎を、その書物とやらから探れるかもしれないのにと、ソフィスタは暴れて抗議したいくらいだったが、ここで興奮にまかせて喚いても、おそらくラスタバンは揺るがないだろうし、それなら彼とスムーズに話ができなくなるほうが不利益だ。
 老いているとは言え、言葉はしっかりしているし、修羅場を潜り抜けて数千年を生き抜いてきた生物を相手に一筋縄ではいかないと自分に言い聞かせ、ソフィスタは心を落ち着かせる。
「…そんなに、あたしたちやトゥバンが見たらマズいものなのか?」
「そうさ。…そもそも、この施設自体、人間に知られちゃいけないものだと、あたしゃ考えているのさ。それが人間の世界のためだってね」
 ピンセットや消毒液を、外した包帯と一緒に医療箱の脇に置くと、ラスタバンは「ハイ、この話は終わり!これ以上は話せません!」と言って、前足をパンパンと叩いた。
「さて、患部はキレイにしてやったよ。ところで、体を拭くなら自分で拭くかい?上半身を起こせるくらい回復したのなら、自分で拭きたいだろ」
 ラスタバンは、水の張った洗面器とタオルをソフィスタに差し出した。ソフィスタは、マントで胸を隠しながら、ゆっくりと上半身を起こし、「大丈夫そうだ。自分で拭ける」と言って洗面器とタオルを受け取った。
「じゃ、あたしゃ向こうを向いて薬の準備をしているよ。あと、着替えが荷物の中にあるなら、取ってこようかい」
 ソフィスタとメシアの荷物は、この部屋の隅にまとめて置いてある。必要なものがあるとセタかルコスに持って来させていたので、ソフィスタは「セタとルコスに任せる」と断った。
 ラスタバンは、「そうかい。んじゃ、終わったら言っとくれ」と言ってソフィスタに背を向ける。
 ズボンも下着も脱いで体を拭いていると、ラスタバンが「あ、そうそう」と背を向けたままソフィスタに声をかけてきた。
「北への移動手段だけど、明日の朝食の後に、その設備がある場所へ連れてってやるよ」
 体を拭き終え、セタとルコスに取ってきてもらったザックの中から替えの下着やズボンとシャツを取り出しながら、ソフィスタはラスタバンの話を聞く。 
「洗っておいたアンタの着替えも、今晩のうちに持ってくるよ。明日の午前中には出発できるよう準備しておくようにね。エルフの奴らに追われているんなら、さっさと逃げるに越したことはないよ」
 早く逃げた方がいいのは分かるが、やはりクヌム内を調べる時間が欲しい。ソフィスタは下着を身に付けながら、「エルフから逃れる手段は、他にないのか?」とラスタバンに尋ねる。
「無いよ。隠れる場所ならいくらでもあるけれど、この施設ごと生き埋めにされるだろうからね。連中は、この施設の存在ごと、あたしゃらも抹消するだろうから」
「…それは、あんたたちもクヌムも、エルフの排除の対象になっているってことだな」
 ラスタバンは、何も答えない。ソフィスタは、さらに「あんたたちとクヌムの何が、エルフの排除の対象とさせているんだ?」と尋ねたが、「それも話せないね」と教えてもらえなかった。
「それより、体は拭き終ったかい?早く薬を塗って服を着ないと、メシアたちが戻ってきちまうよ。トゥバンちゃんは寝る前に、あたしゃにお休みを言いに来るのが習慣だからね」
 そう言われて、下着姿のソフィスタは慌ててズボンを履き、「終わった!」と声を上げた。


 *

 メシアがトゥバンに案内された寝室は、五台のベッドが設置された広い部屋だった。
 ベッドはメシアが寝転がっても余裕があるほど広く、天井には、それぞれのベッドを仕切るためのカーテンレールが取りつけられているが、肝心のカーテンが無い。
 メシアに用意されたベッドは、マットはずいぶん色あせて古いようだが、横になってみると、ものすごく寝心地の良い柔らかさだった。
 トゥバンはメシアの隣のベッドで、翼を広げて仰向けになっている。
「メシア、ソフィスタが目を覚ましてヨカッタな」
 眠いと言っていたトゥバンだが、ソフィスタの魔法を見て興奮したり、体を洗ったりしているうちに、目が冴えてしまったようだ。
「ああ。お前たちが世話をしてくれたおかげだ。ここにいたのが、お前たちで良かった」
 メシアが、そう言って微笑むと、トゥバンは嬉しそうに「エヘヘ」と笑った。床に淡い暖色系の光が、ぽつぽつと灯っているため、お互いの表情はよく見えている。
「オレも、メシアとソフィスタがクヌムに来てくれて嬉しいよ。いつか、いろんな種族に会いたいって思っていたけど、まさかネスタジェセルと人間に、いっぺんに会えるなんて」
 トゥバンの気持ちは、メシアにはよく分かった。十八歳まで異種族とは交流が無く、人間やエルフの恐ろしい面ばかりをルクロスの大人たちから聞かされていたが、今やエルフの少女タギとまで仲良くなることができて、その出会いに心から感謝していた。
「…ところで、トゥバンよ」
「なに?」
「我々ネスタジェセルという種族については、ラスタバンから聞いたのだろう?なぜラスタバンは、ネスタジェセルを知っておるのだ?」
 ネスタジェセルは、遥か昔に人間によって迫害を受け、エルフには存在した証を残すことすら許されず虐殺され、生き残った者は人間の世界とは隔離された地…ルクロスで、寄り添って暮らすようになった。そして今や、人間の世界ではネスタジェセルは忘れられた存在となった…と、メシアはルクロスの大人たちから教わっている。
 だがラスタバンは、メシアの姿を見てすぐに、ネスタジェセルであることが分かったようだ。
 もしかして、ラスタバンが地上に出たばかりの時代には、まだネスタジェセルはルクロスの外にも存在していたのだろうか。最近会ったホルスに、メシアの種族の名前と外見を聞いたかもしれないが、とにかく確認しようと、メシアはラスタバンかトゥバンに聞く機会を窺っていたのだった。
 トゥバンは「う〜ん」と唸って考えてから答えた。
「知らない。でも、世界中を旅していた時にネスタジェセルと会うことはなかったから、もしかしたら絶滅したのかもしれないって話は聞いたことがあるよ」
「ではラスタバンも、ネスタジェセルと会ったのは私が初めてだったということか?」
「そうなのかな?そこまでは分かんない」
「ホルスからネスタジェセルの話を聞いて、初めて知ったのではないか?」
「それは違うよ。じーちゃんがオレにネスタジェセルのことを教えてくれたのは、もっとずっと前だったもん。エルフがヘビやトカゲの皮膚になったような姿だって教えてくれたんだ」
「会ったことはないのに、姿は知っていたというのか?」
「うん。…もしかして、図鑑で見たことがあったのかな?いろんな生き物の絵が載っている図鑑が、書庫に置いてあるんだ。…でも、ネスタジェセルが載っている図鑑は無いって言ってたな。もっと昔の図鑑には載っていたのかなあ」
 メシアも、アーネス魔法アカデミーの図書館で、人間や獣人、エルフなどといった、文明を持つ種族を紹介する図鑑を読んだことがある。文字は難しくて読めなかったが、少なくともネスタジェセルの絵は無かった。まあ、古い図鑑ではなかったし、忘れられた種族なのだから、載っていなくて当たり前なのだろうが。
 トゥバンが読んだという図鑑も、そんなに古い図鑑ではないから載っていなかったのかもしれない。昔の図鑑には載っているとしたら、それはどれほど古い図鑑になるのだろうか。
 …やはり、ラスタバンに直接聞いてみなければ分からないか。…旅をしていた頃に…今から十年か二十年ほど前にネスタジェセルに会っていた可能性も考えていたのだが…。
 メシアがそう考えていたのには、理由があった。
 ルクロスにある墓石に記された、ラウルシレスという名前。
 両親の名前を知らないメシアは、幼い頃、育ての親であり格闘技の師でもあるゼフに、このラウルシレスという者がメシアの父親なのではないかと墓石の前で尋ねたことがあった。
 ゼフは、「父親かどうかは明かせないが、彼は私の親友だった」と答え、ラウルシレスを「ウリス」という愛称で呼び、人間とネスタジェセルが手を取り合う世界の実現に尽力したと語った。
 ウリスは、悪しき人間に騙されて命を落としたそうだが、協力してくれる人間にも出会えたそうだ。つまり、ラウルシレスが生きていた時代に、ネスタジェセルと人間の接触があったということになるのだ。
 それが何年前のことか、詳しくは分からないが、ゼフの親友であったのなら、最低でもゼフに物心がついた頃以降となる。
 だから、十年か二十年ほど前に、世界中を旅していたラスタバンが、ラウルシレスに会ってネスタジェセルの存在を知ったという可能性を、メシアは考えていたのだった。
 …トゥバンに、ネスタジェセルは絶滅したかもしれないと話した以上、ラウルシレスには会っていないのだろう。だが、ラウルシレスを知る人間から話を聞いたという可能性は残っている。
 ラウルシレスに協力したという人間からなら、ネスタジェセルの話を聞けるだろう。ラスタバンが、その人間に会った可能性も、無くはない。
 その人間は、ラウルシレスが生きた証を人間の世界に残したとゼフは語り、だからこそ、その人間には感謝しているとも話していた。
 その人間の名前までは、メシアは知らない。だが、もしかしたらテセネという名前かもしれないと、つい最近から考えるようになった。
 そもそも、ラウルシレスのことを思い出したのは、二日前に、メシアはソフィスタから、ヒュブロで演じた舞台"詩の子"の原本の話を聞いた時だった。
 舞台では、"証の神"や"魔力の王妃"など、重要な登場人物は肩書きのように呼ばれていたが、その登場人物の数だけあるとされている原本では、一冊につき一人ずつ名前で表記されているという。
 "証の神"の名はウリス、"魔力の王妃"の名前はテセネ。ラウルシレスの愛称もウリスで、墓石の彼の名前の隣に刻まれた、彼が愛した者の名前もテセネ。
 それぞれのウリスとテセネは、名前だけでなく境遇も似ていた。この奇妙な偶然が、メシアの記憶を呼び覚ましたのだった。
 …だが、仮にラウルシレスに協力した者の名前がテセネとして、ラスタバンがテセネからネスタジェセルの存在を聞いたのなら、旅をしていた頃に会わなかったから絶滅したかもしれないなどと、トゥバンには言わないはずだ。テセネが、どこまでネスタジェセルのことを知っていたかは分からないが、少なくともラウルシレスの子を成したのなら、絶滅したとまでは…。
 そう考えて、メシアはハッと気付いた。
 …いや、子を成したのは、物語"詩の子"のウリスとテセネであった。ネスタジェセルと人間では、子は成せないのだから…。
 正確には、物語の中ではハッキリと子を成したとは書かれておらず、それを推測できる点があるだけだが、それはともかく、メシアは再びハッと気付く。
 …思い出してみれば、ネスタジェセルと人間に子は成せないと、誰かに教えてもらった覚えは無い。犬と猫で子を成せないように、似ているようで違う種族同士では決して子を成せないのだと、思い込んでいたのかもしれぬ。それに…。
 かつてゼフは、ラウルシレスに協力した人間について、こう語っていた。
 命懸けでウリスを助け、彼が生きた証を人間の世界に残してくれた…と。
 そして墓石のラウルシレスの名前の隣には、『その願いと血を 愛するテセネに託し 彼の地に眠る』と刻まれていた。
 …ラウルシレスに協力した人間が、テセネという名前の女性であるとしたら、彼が生きた証とは…彼に愛され血を託されたということは、ラウルシレスの血を引く子供を身籠ったという意味なのではないか?ネスタジェセルと人間に子を成せるというのか?ラスタバンだって、獣人に姿を変えていただけとは言え、子を成せたのだから…いや、ネスタジェセルは獣人でもアメミットでもないし…うぅむ…。
 メシアが無意識に唸って悶々としていると、上半身を起こしたトゥバンに「ど・どうした?お腹が痛いのか?じーちゃん呼んでこようか?」と心配そうに声をかけられた。
「…いや、ちょっと考え事をしていただけだ。腹が痛いわけではない」
「考え事?」
「うむ。…だが、考えても仕方のないことだから、もうやめよう」
 なぜラスタバンがネスタジェセルを知っていたかは、直接聞けばいい。ネスタジェセルと人間が子を成せるかどうかは、今ここで悶々としても明確にはならないのだと、メシアは考えるのをやめた。
「そう?…よく分からないけど、お腹が痛いんじゃないならヨカッタ。晩ゴハンの中に、ネスタジェセルが食べちゃいけないものが入っていたかと思ったよ」
 トゥバンは、ホッと胸を撫で下ろし、上半身を倒して再び仰向けになる。
「そんなことはない。料理は、どれも美味しかったとも」
「そうだよな。じーちゃんの料理は、すっげー美味いんだ。メシアとソフィスタにも食べてもらえて良かった」
 トゥバンの笑顔と言葉から伝わる優しさに、メシアは自然と顔を綻ばせる。
 同時に、彼の出生を知った時から抱き始めた複雑な思いが込み上げる。
「トゥバン、お前は優しいな。それに、幸せそうだ」
 誤解があったとは言え、いきなりメシアに襲い掛かったり、ソフィスタの怪我を見たいなどという危ないところはあるが、目を覚ましてまだ五年の子供では仕方のないことだろう。メシアも、人間の常識を知らないがために騒ぎを起こしてしまった覚えがある。
 だが、ラスタバンの言うことは素直に聞くし、ラスタバンを思いやる優しさがある。それは、ラスタバンから確かな愛情を受けているからなのだろう。
 そして、ラスタバンがトゥバンに本を読ませたり、外の世界の話を聞かせたりするのは、いつか外の世界で自分の力だけで生きていかなければならなくなった時のためなのかもしれない。
 愛情を注がれて学ぶ、誰かを思いやる優しさ。知識を得ることによって生まれる、未来を夢見る希望。それをラスタバンはトゥバンに教え、トゥバンはラスタバンを頼り、思いやる。そう、トゥバンとラスタバンは、普通の親子のような関係なのだ。人間やネスタジェセル、様々な動物、その多くの親子と同じように。
「…私は、自然の理に背いた生命体は、周囲も自らも不幸にする存在だと思っていた…」
 現に、人間を殲滅するという本能を持って作り出されたアメミットたちは、多くの人間を殺害し、人間やラスタバンによる反撃を受けて殺されている。
「そうやって生命を作り出すことは、やはり間違っている。ラスタバンも、そのせいで辛い目に遭ったろう。…だが、はっきりとした意思を持ち、誰かに愛情を注いで笑顔になれるお前たちの命を、間違っているとは思えない」
 ならば、自然の生命ではなくても、自ら幸せを掴み取れる丈夫な体と自由な意思を持つ生命体であれば、作り出してもいいということなのだろうか。殺されてしまったアメミットたちは、強い攻撃性を持って生み出されてしまったが、そう仕向けた創造主が悪いのであり、生命を作り出す技術自体が悪いわけではないのだろうか。
「神が仰せられたことに、間違いなど無い。私は神を信じておるし、お前たちに自由な意志があるのも、幸運だったに過ぎないのかもしれない。作り出した者の身勝手により、多くのアメミットや人間が不幸になったのならば、生命を作り出す技術など、初めから無ければよかったのだ。…しかし、その技術によって生まれた、お前たちの今の幸せは…」
 そんな堂々巡りなことを呟き続け、ふとトゥバンを見ると、スースーと寝息を立てていた。
 メシアが難しいことをボソボソと経のように呟くものだから、眠くなってしまったのだろう。トゥバンに話しているつもりだったメシアは、なんだか拍子が抜けてしまう。
 そして、トゥバンのあどけない寝顔には、否応なく穏やかな気分にされる。
 …トゥバンにしてみれば、自然のものではない命だの不幸になるだの、大きなお世話でどうでもいいことなのだろうな。
 どんな生まれ方をしても、命は命。尊いものである。数千年を生き、こうしてトゥバンを育てているラスタバンは特に、それを知っていることだろう。
 …私も、もう眠ろう。神が仰せられたことを否定する気は無いが、命について考えるには、私はもっと世界を知る必要があるのだろう。人間のことも、アメミットのことも、ソフィスタやトゥバンたちの心も…。
 トゥバンの寝息に気が抜けたからか、今までの心身の疲労がどっと出てきて、目蓋も体も急速に重くなってゆく。明日は北へ向かうそうだし、忙しくなりそうなので、メシアは疲労と眠気に従い、体の力を抜いて目蓋を閉じた。
 トゥバンの静かな寝息も心地よく、メシアが完全に眠りに落ちるのに、そう時間はかからなかった。


  (続く)


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