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ありのままのメシア 第十四話


   ・第四章 ラスタバンの願い

 エルフの掟は、時に人間にも強いられる。
 例えば、ネスタジェセルの存在を知るソフィスタが、ユドに死罪かもしれないと言われたように。それは、人間にネスタジェセルについて調べられたり、ネスタジェセルの存在を知る人間から情報が広まるのを防ぐためであった。
 ラゼアン近くの森の中にある地下神殿の調査をしていた考古学者の女性も、似たような理由でユドに拘束された。ユドは、彼女の頭の良さと行動力を危険と見なしたエルフの女王より、護衛として近付いて監視し、場合によっては拘束するよう命じられていたのだ。
 こうして拘束された人間は、エルフの国へ送られ、女王の判断によって処分を受けることとなっている。だが、捕えた考古学者を国へ送る役目は、ユドではなく他のエルフが担っていた。それが、ソフィスタがクヌムへ落ちる前に遭遇した三人のエルフたちである。
 もともと彼らは、ドラゴン…すなわち排除の対象であるアメミットが、どこで生まれたかを探っており、最初にドラゴンが現れたとされるヒュブロ近辺を調べていた。
 おそらく地下深くにアメミットを生み出す大きな施設があるのだろうと考え、地下神殿のことも怪しんでいた。そして、考古学者の女性が地下神殿の奥にあった謎の施設を見つけたとユドから報告を受け、彼女を国へ送った後、捜索範囲を地下神殿のある森に絞ったところ、森に入る一組の男女を偶然見かけた。
 不審に思って二人を尾行していると、男のほうは人間に化けていたネスタジェセルで、しかも突然生じた光と共に地下へと落ちていった。
 三人のエルフは、すぐにネスタジェセルを追おうとしたが、女のほうが魔法の光でエルフたちの目を眩ませ、穴の中に逃げて入口を塞いだ。
 この時、エルフたちが身に着けていたゴーグルには、暗闇の中でも物体の形や位置といった情報を視界に映す機能があり、その機能を使うことで、明かりを使わずに暗い森の中でも尾行ができ、さらにマジックアイテムとは違って魔法力を全く必要としないため、ソフィスタのような魔法力を察知できる人間にも気付かれない。
 ただ、太陽の光や目眩ましの魔法の光によって目が受けるダメージが、裸眼よりも強烈になってしまうという弱点が、この機能にはあった。
 失明せずに済んだのは幸いだったが、回復するまで時間がかかり、倒木によって穴は塞がれ、エルフたちも体のあちこちに打撲傷を負った。
 やむなくエルフたちは、森の中に作って拠点としている簡易コテージへ戻り、装備を整えてから、あの男女を追うことにした。

 アーネスにある宿の一室で、ギラは剣以外の荷物を降ろしてベッドに腰をかけると、左耳に小さい円盤状のケースのようなものを取りつけ、円盤の中央にある突起を押した。
 すると、先端に小さい玉が取りつけられたワイヤーが円盤から伸び、玉が口元に添えられるかたちで固定された。
 そのままギラは黙って座っていたが、少しして円盤が少年の声を発した。
「はーい、こちらホルスでーっす。やあギラ、首尾よくやってるぅ?」
 人を小ばかにしているような声だが、ギラは特に気に留めず「ああ」と答える。
「ついさっき、ウチの女王に通信を送った。メシアを泳がせるため、メシアとソフィスタに接触しないようエルフたちに命じろと手紙には書いたが、女王がそれに同意する保障は無いぞ」
 部屋の外まで声が漏れないよう、ギラは小声で話す。円盤から聞こえる声も、耳にあてていなければ聞きとれないほど小さかった。
「大丈夫だよ。ギラは実績があるから信頼されているんだろ?」
「ほとんど、お前にあてがわれた実績だけどな。それに、女王から特例が下されるにしても、それまでにあの二人がエルフに遭遇しないとも限らない。ラゼアン近くには、クヌムを探しているエルフたちがいるし…」
「その心配は、もうしなくていいよ。そいつらと既に遭遇しちゃったから」
 それを聞いて、ギラは「マジかよ、ヤバくね?」と焦るが、ホルスの声は能天気なものだった。
「ソフィスタが瀕死の重傷を負った時はヒヤっとしたけど、それはそれでスリルがあって良かったと思うよ」
「あ、そう。まあ、俺はお前に従うだけだから、別にいいけど」
 そう言って、ギラは枕元に置いてある封筒を手に取った。
「それと、そろそろ健康診断のために国へ戻れって通達が届いた。一年以内にゃ戻るが、何かやることはあるか?」
「…ん〜…できればボクが指示するタイミングで戻って欲しいな。あと、健康診断を受けた後に何をするかは、ちゃんと分かっているよね」
「分かってる。お前から貰った剣で、体のどこでもいいから血が出る程度に切る…だろ。毎年ちゃんとやってんじゃねーか」
 ギラは、背負っている剣を鞘から抜き、刀身が目の前にくるよう構えた。薄いカーテンを通して差し込む光が刃に反射し、ギラの顔が真紅に照らされる。
「そうそう。今年もちゃんとやってね。それじゃ、キミも北へ向けて出発してくれ。いつでもエルフの国へ入れるよう、港町とかで待機ね」
「了解。指示を待っているぜ」
 円盤から「はーい、通信終了っと」というホルスの声が聞こえた後に、プツっと糸が切れたような音が聞こえ、それ以降は何も聞こえなくなった。
 ギラは封筒を床に放り投げると、再び円盤の突起を押した。ワイヤーが引っ込んで円盤に収納されると、耳から円盤を取り外し、懐にしまい込む。
 そして剣を柄から切っ先までじっくりと眺め、ニィっと口の端を釣り上げた。
「…あ〜楽しい。掟を破って女王を騙して、今の俺すっげぇ生きてるわ…」
 そう呟くギラの恍惚とした顔が、真紅の刀身に映り、妖しく揺れていた。


 *

 翌朝、ソフィスタはラスタバンに起こされた。
 背中の傷は完全に塞がっており、あとは傷跡が消えるまで薬を塗るだけだそうだ。背中を拭いて薬を塗り直し、患部をガーゼで保護して包帯を巻き、服を着て寝台から降りたところで、メシアとトゥバンが部屋に入ってきた。
 メシアは、今朝はソフィスタが起こされた時間になっても熟睡しており、先に起きたトゥバンに腹にダイブされて、やっと起きたそうだ。マリアの死を知らされてから今までの心と体の疲れが出てしまったのだろう。
 起こされ方は派手だったが、しっかり眠って寝不足も解消され、ソフィスタが動けるようになったことに安心し、メシアはスッキリとした笑顔を見せた。

 ラスタバンが用意してくれた朝食を食べ終え、お茶を啜っていると、ラスタバンがソフィスタとメシアにこう言った。
「アンタたちの荷物を全部持って、地下にある車庫へおいで。トゥバンちゃん、食器は片付けなくていいから、メシアとソフィスタの準備ができたら、車庫へ案内しとくれ。あたしゃ先に行って待っているよ」
 言うだけ言って、ラスタバンは部屋を出て行ってしまった。ソフィスタとメシアは顔を見合わせる。
「車庫、とは馬車を停めておく場所のことであったな」
「うん。…クレメストまでの移動手段ってやつが、ここよりさらに地下にあるのかな?トゥバン、ラスタバンが言う車庫に何があるんだ?」
 セタとルコスを持ち上げて遊んでいたトゥバンは、そうソフィスタに尋ねられ、二体をテーブルに降ろして答える。
「うん、機関車があるぞ」
「キカンシャ?何だそれ」
「え、知らないの?機関車を知らないの?」
 トゥバンに悪気は無いのだろうが、天才少女に対して皮肉とも取れる言い方である。しかし、その天才少女の知識も想像も及ばない存在がクヌムであり、クヌムにあるものはトゥバンにとっての日常であることも、ソフィスタは理解している。
「機関車は、すごく速い乗り物だよ。もしクヌムに強くて悪いヤツとかが侵入したら、機関車で逃げるんだって、よくじーちゃんから聞かされてた。…でも、メシアとソフィスタだけじゃ機関車を操縦できないから、オレかじーちゃんのどっちかが操縦するのかな?オレが操縦したいな〜」
 トゥバンは、飲みかけのお茶が入っているコップを手に取り、中身を啜る。
「…つまり、そのヒカンシャという乗り物が、ここより深い地中にあるのだな」
「そんなネガティブな名前じゃなくて、キカンシャだとさ。あたしにもよく分からないけど、とにかく出発の準備をしよう。エルフが来る恐れがあるのなら、急いだほうがいい」
 ソフィスタが立ち上がると、テーブルの上にいたセタとルコスは、体を伸ばしてソフィスタの肩に乗った。
「あたしは救急箱を片付けてるから、メシアは他の荷物を確認して。忘れ物の無いようにね」
 ソフィスタの治療に使われていた救急箱は、寝台のそばにある台車の上に置かれ、消毒液や包帯は出しっぱなしになっている。昨日は、使った後はラスタバンが全て片付けていたが、今朝は片付けを忘れてしまったのだろうか。
 メシアも「分かった」と頷いて立ち上がり、荷物がまとめて置かれている部屋の隅へと向かう。
 ソフィスタのマントや帽子、メシアの巻衣なども、ザックの上に畳んで置いてある。マントの切り裂かれた部分は、ソフィスタが暇な時に縫って補修した。
 今ソフィスタが着ている服も、マントと同じように背中の裂かれた部分は縫われており、目立った血も洗い落とされて残っていない。なんとなくソフィスタを見ると、背筋をしっかり伸ばし、痛がる様子も無いので、メシアは改めて安心した。
 そして、マントを羽織っていないとよく分かるソフィスタの体系をじっと観察して、「安産型か…?」と呟いた。


 *

 トゥバンの話によると、機関車がある車庫は、ソフィスタとメシアがいる階よりさらに地中深くにあり、縦穴一本でこの階層と繋がっているという。
 その縦穴の中を上下に移動して物資などを運ぶ、運搬室とかいう小部屋を使って、地下へ降りるそうだ。ソフィスタとメシアは、まずその運搬室までトゥバンに案内される。
 廊下を歩いている途中、いくつか取っ手の無い扉があり、近付くだけで勝手に開くという話をメシアから聞いていたソフィスタは、試しに近付いてみたが、扉は開かなかった。
「メシア、この扉って、近付くだけで開くんだよな?」
「うむ。…この扉は、昨日は確かに近付くと開いたのだが…」
「うん、この部屋の中をメシアに見せてやったんだ。…もしかして、寄り道しないで車庫まで来るように、じーちゃんが閉めちゃったのかな?」
 ソフィスタ、メシア、トゥバンの三人が並んで扉の前に立っても、トゥバンが「クヌム、この扉を開けて!」と言っても、扉は開かない。
「オレの声でも開かないってことは、やっぱりじーちゃんが、自分の声でしか開かないよう設定を変えたのかもしれないぞ」
「その設定ってのは、お前には変えることはできないのか?」
「うん。クヌムはじーちゃんの命令を一番にきくから、クヌムにオレの命令をきかないようじーちゃんが命令していたら、オレには変えられないよ」
 仕方なく、扉を開くことは諦めたが、ソフィスタにはもう一つ、気になることがあった。
「ところで、このプレートは何?」
 扉のすぐ横にはプレートが取りつけられており、その表面は塗料で塗りたくられている。他の扉のほとんどにも、同じように近くに塗料べったりのプレートが取りつけられていた。
 問題は、その塗料に劣化が見られることと、その塗料の下に、さらに劣化した塗料が塗ってあること、そして塗料の上から『そうじのどうぐをおくへや』や『ほんがあるへや』などと、おそらくその部屋の中の様子を分かりやすく示すものであろう文字が、子供でも読めるように書かれていることだ。
 ソフィスタが見た限り、ここクヌムの床や壁、扉や柱などからは劣化という劣化が見られず、多少の乾いた汚れがついていても、指先で軽くこすっただけで汚れはポロっと剥がれ落ち、シミも残っていなかった。
 プレートも、それ自体に劣化は無く、とても数千年前からあるものとは思えなかった。
 そんな中で、劣化した塗料や、そこに書かれた幼稚な文字は、ソフィスタには異様に見えた。
「コレ?コレは、この部屋に何があるのか分かりやすいように、じーちゃんが書いたんだ」
「字はラスタバンが書いたんだね。じゃあ、その下の塗料もラスタバンが塗ったものか?」
「う〜ん…分かんない。ずっと昔からこうなんじゃないのか?…あ、でも、オレが目を覚ました頃は、もっとキレイになってたな。それより、そろそろ寄り道はやめて、じーちゃんのとこ行かないと」
 トゥバンに促され、三人は扉から離れる。
 廊下を歩きながら、ソフィスタは考え込む。
 …トゥバンの話からして、プレートに塗料が塗られたのは、トゥバンが目覚めた頃だろう。分かりやすい文字はトゥバンのためか?もともと何か書いてあったものを、塗りつぶして分かりやすく書き直したのか?
 扉の近くにプレートがあれば、だいたいが部屋の用途を書かれているものだ。塗料を塗ったのは、それを分かりやすく書き直すためだと説明はつく。
 しかしプレートの中には、塗料だけ塗られて何も文字が書かれていないものもあった。それは何の目的があって塗りつぶされたのだろうか。
 …塗料の本来の目的は、プレートの表面を隠すため?それは、部屋が何に使われていたのかを隠すためのものか、それともプレートの文字自体を隠すためのものなのか…。
 そこまで考えた所で、一つの仮定が浮かび上がった。
 …プレートには、古代文字が書かれていたとか…?
 クヌムがエルフに見つかった時の覚悟はできていると、ラスタバンは話していた。
 その覚悟というのは、クヌムを捨てて外の世界でトゥバンと共に生きる覚悟なのだろうか。
 もし古代文字がエルフの排除の対象であるなら、地上で生活するようになったトゥバンが、うっかり古代文字を使ってしまおうものなら、エルフに居場所を嗅ぎつけられる恐れがある。そういった危険を考慮して、ラスタバンはトゥバンに古代文字の存在すらも知られないよう、クヌムにある古代文字を全て隠したのかもしれない。
 …メシアがネスタジェセルの文字を人間に教えるなと言われているのは、その文字を知った人間がエルフの排除の対象となることを危惧してのことなのかもしれない。仮に、クヌムに古代文字があったとしたら…ラスタバンも古代文字を読めたりするのか?
 ネスタジェセルの文字が、人間の世界で言う古代文字であることは、ソフィスタの中ではほぼ確定している。
 エルフの排除の対象であるネスタジェセル。同じく排除の対象であるクヌムと、そこで生み出されたトゥバンとラスタバン。さらに、ネスタジェセルの文字であろう古代文字がクヌムで使われていたとなると、ネスタジェセルとクヌムの繋がりが、さらに強くなる。
 …まあ、本当にクヌムに古代文字があったかどうかは分からないし、調べる時間も無いけど…もしラスタバンとトゥバンも一緒に機関車に乗るのなら、その間にいろいろと話を聞き出してみよう。ラスタバンが正直に答えてくれるとは思わないけど、話をするだけでも得られるものはあるはずだ。
 クレメストへ行くことには、自分の故郷でありながら気乗りはしなかったソフィスタだが、謎の施設に謎の生命体、そして謎の乗り物と、未知の存在が次々と沸き出てくるこの状況に、いつの間にか憂鬱を忘れてしまっていた。

 やがて三人は、廊下の奥にある扉の前で立ち止まった。
 その扉は、近付いても開く気配は無かった。しかし、トゥバンが扉の脇にあるスイッチを押すと、扉は左右に分かれて開き、壁の中に収まった。
 扉の向こうは、壁に手すりが取りつけられた小部屋となっている。これが、地下の車庫に繋がっている縦穴を昇降するという運搬室なのだろうか。
「早く入れよ。扉が閉まったら地下へ降りていくからな」
 トゥバンはさっさと運搬室に入る。それに続いてソフィスタが入口を潜る際、扉が収納された隙間を覗こうとしたが、トゥバンに「早くしろってば」とマントを引っ張られてしまった。
 メシアも部屋に入り、扉が閉まる。狭くて窓も無い上に、大男が二人もいるため、なかなか窮屈な状態となった。
「…そういえば、私がここに落とされた時も、透明な壁に閉じ込められたな。この小部屋も似たような仕組みで降りてゆくのか?」
 ふとメシアは思い出し、トゥバンに尋ねる。
「ん〜…ちょっと違うな。あっちは生体認証をして入る用で、この運搬室より高い技術で作られているんだって、じーちゃんが言ってたよ。オレとじーちゃんは、別の出入り口を使っているけど、そっちは鍵が必要で、メシアが下りてきたほうは鍵が必要ないぶん生体認証をするんだって。たぶんホルスが、メシアが入ってこられるよう設定したんじゃないかって、じーちゃんが言ってた」
 ソフィスタにとっても訳が分からないことを、トゥバンはスラスラと話しながら、扉の脇にあるスイッチを押した。
 すると、部屋全体がガタンと音を立てて大きく揺れ、ソフィスタは倒れそうになったが、メシアが腕を掴んで支えた。
「あ、言うの忘れてたけど、動く時と止まる時に揺れるからな。手すりに掴まるといいぞ」
 そうトゥバンが注意している間にも揺れは続き、やがて落ち着いたと思ったら、妙な浮遊感に襲われた。クヌムに落とされた時と似た感覚であるため、また落下先で体を床に投げ出されるのではないかと思ったメシアは、ソフィスタの背中に右腕をまわして引き寄せ、左手で手すりを掴んだ。メシアの体に密着させられ、ソフィスタは「ち・ちょっと…っ」と戸惑いはしたが、抵抗はしなかった。
 揺れで体が跳ねていたセタとルコスは、ソフィスタのマントの内側に避難する。
「おい、何が起こっているのだ!?」
「地下へ移動しているんだよ。すぐに車庫に着くからな」
 トゥバンも手すりに掴まり、ソフィスタとメシアの様子を「そんなに怖がらなくてもいいのに」と笑う。
 やがて浮遊感が徐々に弱まってゆき、かと思ったら再び部屋全体がガタガタと揺れ始め、最後に大きくガタンと揺れて静かになり、扉が何事もなかったかのようにスイーッと開いた。
 扉の向こうの景色は、天井の高い広間へと変わっており、中央には異様に長い馬車のような乗り物があった。
 長方形の車両を半楕円の車両で挟んだような形をしており、それぞれドアと窓がある。長方形のほうは、ここから見て左右にドアがあり、その間に並ぶ窓からは座席が見えるが、背もたれの向きはまばらだった。
 各車両の底に車輪が見えるので、乗り物であることは分かったが、前後の区別がつかない。
 乗り物は、アーネス魔法アカデミーのゴーレムのカタパルトにあるようなレールの上に置かれ、レールは部屋の奥にあるトンネルの、さらに先へと続いているようだ。
「やっと来たかい!こっちの準備は、ほとんど終わっているよー!」
 そのトンネルの入口近くにいたラスタバンが、そう声を上げた。トゥバンは「機関車!ねえねえ、オレが操縦したいー!」とはしゃぎながら、翼を広げて文字通り運搬室から飛び出す。
 運搬室に残されたソフィスタとメシアは、しばらくぽかんとしていたが、トゥバンと何やら話してから近付いてきたラスタバンに「アンタたち、トゥバンちゃんの前でイチャついてたんかい」と言われ、まだメシアと密着していることに気付いたソフィスタは、慌ててメシアの腕から抜け出し、ずれた眼鏡と帽子を整えた。セタとルコスは、既に定位置に戻っている。
「え、と…、ここがキカンシャってのがある車庫か?地下の?」
 ソフィスタは、誤魔化すようにラスタバンに尋ねる。
「そうさ。ほら、アレが機関車だよ」
 ラスタバンが、中央にある乗り物を指し示す。ソフィスタが「あれが?けっこう大きいんだ…」と機関車を眺めながら運搬室を出ると、メシアもザックを担ぎ直して彼女に続く。
 だが、ラスタバンに「ちょっと待ちな」と尻尾で前を遮られ、ソフィスタは尻尾にぶつかって立ち止まり、メシアもソフィスタにぶつかって立ち止まる。
「ソフィスタ、アンタに話がある。メシアは先に機関車に乗って待ってな」
 ラスタバンは、じっとソフィスタを見つめる。何やら真剣な雰囲気を彼から感じ、ソフィスタとメシアは少し戸惑って顔を見合わせたが、すぐに頷き合ってラスタバンに従った。
 メシアは、機関車のドアを開いた所で待っているトゥバンのもとへと向かう。
「…ところで、抱き合うほど怖かったのかい?あの運搬室」
「そ・そんなんじゃねーよ。得体の知れない狭い部屋に押し込められて揺らされりゃ、誰だって驚くわ」
 ラスタバンにからかわれ、ソフィスタは動揺する。
「アハハ…ごめんねぇ。クヌムの機械は定期的に整備しているんだけど、あたしゃも何でも直せるわけじゃないからねえ。メシアがクヌムに降りてきた時も、荒っぽくなっちまったようだしね」
「ああ、トゥバンからも少し話を聞いたけど、セイタイニンショウとやらをする運搬室だとか…何なのセイタイニンショウって」
「ん〜と…生物の体格や体の特徴などを一瞬で調べて、そいつが誰かを特定する機能さ。メシアの場合、合い言葉を言うことで機能が作動し、メシアであることを確認してからクヌムへ降ろしたんだよ」
 合言葉と聞いて、ソフィスタはホルスが残したらしき古代文字を思い出す。あれは合言葉を記したもので、メシアが読み上げたため生体認証という機能が作動したのだろう。
 魔法でも難しそうなことを実現させているクヌムの様々な機能には、もはや聞いてもあまり驚かなくなってしまったソフィスタだが、どういう仕組みで生態を調べて認証しているのだろうかと興味は津々である。ラスタバンに聞きたかったが、「それより、あの機関車だけど…」と話題を変えられてしまった。
「あたしゃがクヌムに命令すれば、機関車が走り出して目的地で自動的に停まるんだけど、念のため手動で操縦できる者を必ず乗せるようにしている。操縦は、あたしゃもトゥバンちゃんもできるよ」
「じゃあ、やっぱりお前らも一緒に機関車に乗るんだな」
 この施設ごとエルフの排除の対象になっているであろうラスタバンとトゥバンが、エルフにクヌムの場所を知られたとなれば、クヌムを捨てて逃げるのは分かるし、トゥバンも朝食の時に、ソフィスタたちと一緒に機関車に乗るかもしれないと話していた。だからソフィスタは、ラスタバンにそう尋ねたのだが、彼は「それは…」と言いづらそうな素振りを見せてから、こう話した。
「…そのことなんだけどさ、トゥバンちゃんをアンタたちの旅に同行させちゃくれないかい」
 急な頼みに、ソフィスタは「はぁ?」と声を上げた。
 ラスタバンは、悲し気に語る。
「あたしゃね、クヌムに残されていたアメミット…トゥバンちゃんと、もう一体の子に、地上で誰かと触れ合って生きる幸せを教えてやりたかったんだよ。でもトゥバンちゃんは、成長が遅くて生命維持装置からすぐには出せなかったし、もう一体の子も、装置から出れば長くは生きられない体だった。…結局、もう大丈夫だと思ってトゥバンちゃんを装置から出した頃には、あたしゃも歳をとっちまったし、もう一体の子も、いつどうなるか分からないまま装置の中にいるより、寿命を縮めてでも外に出たいっつって、ホルスと一緒に出てっちまった」
 ホルスがヒュブロへ連れてきたアメミットは、やはりクヌムにいたもう一体のアメミットだったようだ。トゥバンは、あのアメミットが装置の中から出されなかった事情を知らないようだが、寿命が短くなるからと正直に伝えたらトゥバンが不安がると思って、ラスタバンは話さなかったのだろう。
「だからトゥバンちゃんには、地上でも生きていけるよういろいろと教えてきたけれど…実際に人間と上手くやっていくためには、トゥバンちゃんを理解してくれる人間の協力者が必要だ。…アンタたち、その役を頼まれちゃくれないかい?」
 そんなことを急に言われても困るが、ラスタバンがトゥバンを心配する気持ちは、ソフィスタにも分かる。
 トゥバンは、ソフィスタと出会ったばかりのメシア以上に人間の常識を知らないようだし、心が幼くて落ち着きが無い。人間の姿を保てなくなり、先も長くない自分より、トゥバンと仲良くできているメシアと、頭の良いソフィスタが、トゥバンに地上での生き方を教えてくれると安心だと、ラスタバンは考えているのだろう。
 ソフィスタとしては、子供のお守りは面倒臭いが、この謎の施設で数千年前に生み出された未知の生命体への興味のほうが勝っている。
 だからと言って、まだまだ常識外れぶりがとめどないメシアに加え、見た目は怪物で心は子供なトゥバンまで、ずっとソフィスタ一人で面倒を見ろと言われたら無理だしイヤだ。しかし異種族に寛容な魔法学の街アーネスでなら、トゥバンを引き取って面倒を見てくれる人が見つかるだろうし、トゥバンもいろいろと学べるはずだ。
 トゥバンが地上で生きるための協力は、してやってもいい。ラスタバンも、クヌムから脱出した後に行く当てが無いのなら、アーネスへ連れて行ってやろうと思う。ただ、ソフィスタとメシアの旅に彼らも同行することには抵抗がある。
 旅の目的地であるクレメスト…ソフィスタの生まれ故郷の街へは、本当はメシアを連れて行くのも嫌なのだ。それに加えて巨大イタチと精神が幼い怪物まで連れて街に入って、異様に目立ちたくない。
 考えてから、ソフィスタは答える。
「…アーネスに連れて行けば、あんたたちを受け入れてくれるだろう。そこでトゥバンも、もっと地上のことを勉強すればいいさ。街の人たちとの仲介役にはなってやる。…でも、これからあたしたちが向かうクレメストへは、あたしの都合の問題で、あんたたちを連れて行きたくない」
「そうかい?それなら、街の外で待たせときゃいいさ。アーネスへは連れて行ってもらえるなら、それだけで充分だよ。ありがとうね」
 ラスタバンは、嬉しそうな声で言った。クレメストへは連れて行きたくないと言われても気を悪くせず、その事情を追及してこないことには、ソフィスタは助かったと思う。だがラスタバンの口ぶりは、トゥバンだけを連れて行ってもらおうとしているようにも聞こえるし、ラスタバンも一緒に来るとは、まだハッキリと言われていない。
 それが気になって、ソフィスタはラスタバンに尋ねようとしたが、ラスタバンは「さっ、あたしゃもう一仕事やらないとね」とソフィスタに背を向けた。
「アンタも機関車に乗って待ってな。食糧や薬とか、必要そうなものは座席の上の棚に入れてあるから、確認しとくといいよ」
 ラスタバンは、ソフィスタたちが出てきた運搬室の隣にある扉を開いた。奥の小部屋の壁には機械が並んでいる。
「おい、何なんだその部屋は」
「いいから、早くメシアのとこへ行きな。いつエルフが侵入してくるか分からない状況だってことを忘れるんじゃないよ」
 ソフィスタを残して、ラスタバンは小部屋に入って扉を閉めた。鍵をかけた音はしなかったが、ソフィスタが扉を開こうとしても、ガタガタと揺れるだけで開きはしなかった。
 仕方なく、ソフィスタはラスタバンに従い、メシアたちが既に乗っている機関車へ向かった。


 *

 メシアが通された車両には、二人は座れる幅の広い座席が、中央の通路を挟んで左右にずらりと並んでいた。
 この車両は客車で、外から見ると半楕円形の部屋が、それぞれ進行方向側の操縦室。この操縦室を進めることで、後部車両を引いて移動するという。
 ソフィスタを待っている間、メシアはトゥバンから、そう説明された。トゥバンはラスタバンから、機関車の操縦と必要事項の説明を任されたそうだ。
「それとねえ、コレなーんだっ!」
 トゥバンが指している壁には、透明の板で蓋をされた窪みがあった。浅い窪みの奥には赤い突起がある。
 メシアは荷物を座席に下ろし、窪みを覗き込んで「分からぬ。何なのだ?」とトゥバンに尋ねる。
「コレを押せば分かるよ。押してごらん」
 メシアに機関車の説明をしている間もニコニコと笑顔だったが、透明の板を開いて赤い突起を指すトゥバンの顔は、いたずらをする子供のような笑顔だった。
 しかしメシアは、それに気付かずに素直に赤い突起をカチッと押す。とたんに、車内のあちこちで赤いランプが点灯し、虫の羽音のような大きな音が、どこからともなく鳴り響き、メシアは思わず「うわっ!」と声を上げて驚いた。
 その様子に、トゥバンはプッと吹き出して笑う。
「お・驚かせるな!いったい何なのだ!」
「あははは…ごめんごめん。それは緊急停止ボタンで、走っている機関車を止めてほしい時、このボタンを押して音を鳴らして、運転手に知らせるんだ」
 しばらくして音が止むと、トゥバンはすぐ近くにある引き戸を開いた。扉の向こうは操縦室で、反対側の操縦室も、客車と扉で隔たれているそうだ。
 メシアが操縦室を覗き込むと、正面は広い窓になっており、窓の下にはハンドルやらレバーやらが取りつけられた機械があった。
「メシアも、機関車を止めてほしい時は、さっきの赤いボタンを押して運転手に知らせるんだぞ。うっかり押して音を鳴らしても止めるから、むやみに触っちゃダメだぞ」
 トゥバンは、時計の文字盤のようなものを確認したり、レバーをガチャガチャと動かしながら話す。
「ああ、説明のために非常ベルを鳴らしただけか。急にでかい音が響いてきたから、何が起こったのかと焦ったよ」
 客車の出入り口から、ソフィスタが乗り込んできた。メシアは彼女を振り返る。
「ソフィスタ、ラスタバンとの話は終わったのか?」
「ああ。…にしても、このでかい乗り物、魔法も無しで本当に速く走るのか?」
 ソフィスタはメシアの背後からトゥバンに尋ねる。
「速いよ。レールの上しか走れないけど、障害物の無い地下道だし、いちばん北にある出口まで止まらずに走るから、そのぶんも速く移動できるんだって、じーちゃんが言ってた」
「じゃあ、他にも出口があるのか?」
「うん。全部で五つ出口があるぞ。オレは二番目の出口までしか操縦したこと無いし、そこの出口は地上では土に埋もれていて出られなかったけど…あれ?じーちゃんは?」
 トゥバンがソフィスタを振り返り、ラスタバンがいないことに気付いて首を傾げる。
「何か一仕事あるっつって、先に乗って待ってろってさ」
「ふーん。じゃあ、一緒に座って待ってようか」
 トゥバンは操縦室から客車へ戻り、メシアの腕を引いて座席へ促す。ソフィスタは操縦室を眺めていたが、また大きな音が鳴り響いて、びくっと全身を震わせた。
「うわっ!またかよ!今度は何だ!?」
「トゥバン!あの赤い突起は押していないぞ!?なぜまた音が鳴るのだ!」
 ソフィスタとメシアは、耳を塞ぎながらトゥバンを見るが、トゥバンも戸惑っていた。
「違う!これはクヌムのほうからの非常警報音だ!何か危ないことが起こったのかも!」
 トゥバンが客車の窓に張り付き、外を見る。広間の天井の一部が赤い光を点滅させており、光は車内まで差し込んでくる。
 トゥバンが「じーちゃん!」と叫んで、開け放たれている客車の出入り口から外へ出ようとしたが、どこからか「落ち着きな!」とラスタバンの声が響き、立ち止まる。
「上の階に侵入者がいる。おそらくエルフだろう。機関車は手動で動かすことになったから、トゥバンちゃんは操縦室で待機して、ソフィスタとメシアは客車で座ってな!あたしゃもすぐに行くから、外へ出てくるんじゃないよ!!」
 アーネス魔法アカデミーにも、声だけを送る魔法の装置があるので、ソフィスタとメシアは、それと似た仕組みでラスタバンの声が聞こえているのだろうと考えた。
 トゥバンは「分かったよ!じーちゃんも早く来るんだ!」と叫ぶ。こちらの声もラスタバンに聞こえるようになっているのだろうか。
「じーちゃんが乗ったら、すぐに発進させるから、メシアとソフィスタは座席に座ってろ!発進する時に揺れるからな!」
 そう言って、トゥバンは操縦室に駆け込む。
「…こんな重そうな乗り物が、本当に速く走るのだろうか…」
「そうなんじゃない?…それにしてむ、クヌムには調べたいものが山ほどあったのに…もったいない」
 ソフィスタは、トンネル側の操縦席に一番近い座席の窓側に座った。メシアもソフィスタの隣の座席に座る。
「もったいないとは、どういうことなのだ?」
「この施設もラスタバンたちも、おそらくエルフの排除の対象になっている。だからラスタバンたちも、あたしたちと一緒に機関車で逃げるんだろう。そしたらクヌムは、エルフによって破壊されるだろうね」
 ラスタバンは、エルフに見つかったら自分たちもクヌムごと始末されると話していた。そして、その時の覚悟はできているとも言っていた。
 話からして、ラスタバンらアメミットと、この施設クヌムはエルフの排除の対象になっており、覚悟というのは生まれ育ったクヌムを捨てることへの覚悟のことだろうと、ソフィスタは推測していた。
「そうか…。だが、すぐにここまでは来られまい。クヌムはかなり広いようだし、部屋も幾つもあるから、我々がどこにいるかなど分からんだろう」
「…だといいんだけどね…」
 やがて警報音が止み、ラスタバンが客車に乗り込んできた。かなり焦っており、尻尾の先がドアを潜るより先に「トゥバンちゃん!発進させとくれ!」と叫んだ。
「ラスタバン、何があったのだ?」
 メシアがラスタバンに尋ねる。ラスタバンはドアを閉めてから答えた。
「侵入者に気付くのに遅れた上に、あたしゃらが機関車でクヌムを脱出することも、おそらく知られている。あいつら、クヌムの中枢に侵入して情報を引き出したんだろうね」
 ラスタバンは、メシアの隣で床に座り込んだ。
「中枢って、クヌムのいろんな機能を制御しているトコロだよな?そんな簡単にいじれるもんじゃないだろ?エルフにはそれができるってのか?」
 ソフィスタは、座ったまま少しメシアの前に身を乗り出して、ラスタバンに尋ねる。
「…エルフはね、このクヌムのような施設を潰して回っているけど、利用できるものは残すか持ち出すかしているんだよ。そうやって持ち出した何かを使って侵入できたのかもしれないし、クヌムの構造も、他の施設で調べられたのかもしれない」
「そうなんだ…。でも、もしヤツらが中枢に侵入できるのなら、この機関車は大丈夫なのか?中枢とは繋がっているんだろ?」
 機関車は、ラスタバンがクヌムに命令しても動かせるという。それは、機関車とクヌムの中枢が繋がっているからなのだろうと、ソフィスタは考えた。
「この地下設備には、非常時の脱出用としての機能が備わっているのさ。さっきの小部屋で、機関車を含む地下の設備を全てクヌムから切り離すよう操作しといたから、その点は心配無いよ。声で機関車を動かすことはできなくなったけど、奴らにクヌムを利用させないために一部の機能を施錠して…」
 その時、機関車がガタンと音を立てて大きく揺れた。身を乗り出していたソフィスタは前につんのめるが、メシアに支えられて倒れずに済んだ。
「走り出したようだね。まだ小さくだけど揺れるから、ちゃんと座っているんだよ」
 窓の外の景色が、機関車の進行方向の反対側へと流れるように移動する。ラスタバンの言う通り、揺れが大きかったのは最初だけで、あとは小さい揺れだけが続く。
「おおお…進んでおるのか?」
「そうみたいだね…。まだゆっくり走っているようだけど、クレメストまで一日で着くほど速く走るようになるのか?」
「ああ。トンネルに入れば、少しずつスピードを上げて走るよ。トンネルに入ったら、出入り口は門で塞がれるから、そしたらもう安心さ」
 話している間に、機関車がトンネルに入った。トンネル内の壁には、まるで導くように、一定の間隔で明かりが取りつけられている。
 ソフィスタは、鼻先が触れるほど窓に顔を近づけ、トンネルの出入り口が遠ざかってゆく様子を眺める。後ろの操縦室もトンネルに入ると、出入り口が左右から門によって閉ざされてゆくの見えた。
 機関車の速度も徐々に上がっているようだし、これならエルフから逃れられそうだと、ソフィスタは安心する。
 しかし、突然メシアが「伏せろ!!」と叫び、ソフィスタとラスタバンの頭を掴んで荒っぽく屈ませた。直後、車体がガタガタと大きく揺れて左に傾き、後ろの操縦室がトンネルの壁にぶつかって弾かれた。
 揺れが激しく、悲鳴を上げる余裕も無かったが、黒板をひっかいたような音が響くと、徐々に揺れが落ち着いていった。しかし機関車の速度も落ち、やがて揺れと共に停止した。
「な・何が起こったんだ?」
 ソフィスタは、かろうじてマントにしがみついているセタとルコスを肩に乗せ直しながら、メシアに尋ねた。
「あの動く小部屋から、男が三人出てきたのだ!ゴーレムの武器のようなものを構えておった!」
 機関車が激しく揺れる直前、後ろの操縦室の引き戸の窓の、さらに奥の窓の先に、三人の男の姿をメシアは捉えていた。その内の一人が物々しい銃を構えており、かつてアーネスでゴーレムと戦った経験から、メシアは危険を感じ取ったのだった。
 三人とも黒いスーツによって鼻から爪先まで覆われており、頭部はメットで、目元はゴーグルで隠されている。スーツの生地が薄いためか体格はハッキリと現れており、男のものだと分かる。エルフの特徴たる耳もメットの中に収められているようだが、この状況で攻撃を仕掛けてくる三人の男となれば、エルフしかいないだろう。
「みんな、大丈夫!?」
 前の操縦室からトゥバンが飛び出し、ラスタバンに駆け寄る。
「トゥバンちゃん、何が起こったのさ!」
「後ろの操縦室の車輪がレールから外れたか壊れたのかも!直すか操縦室を切り離さないと走れないぞ!」
 ソフィスタとラスタバンは、後ろの操縦室を振り返る。
 揺れによって操縦室の扉は開け放たれており、奥の窓から、こちらへ駆け寄ってくる三人の男の姿が、ソフィスタたちにも確認できた。
 確かに、アーネス魔法アカデミーにもあるマジックアイテムの銃に似た形の武器を構えている男が一人いた。その銃口は、こちらに向けられている。
 ラスタバンが舌打ちをして立ち上がり、トゥバンに「後ろの操縦室を切り離して、すぐに走らせるんだよ!!」と荒々しく言った。トゥバンは「うん!」と頷き、すぐに前の操縦室へ向かう。
「メシアとソフィスタは、伏せてじっとしてな!」
 ラスタバンは全身の毛を逆立てて唸り、前足の指先の爪を伸ばした。
 爪は、鉄に似た光沢を帯び、巨大な鎌へと変じる。それは、あのカマイタチ三兄弟のものと全く同じであった。
「ラスタバン、何をする気だ!!」
 エルフたちから注意を逸らさずに、メシアは声を上げる。
「あたしゃが連中を食い止める。アンタたちは、ここで大人しくしてな!」
「待てよ!!お前だけで奴らと戦う気か!?」
 ソフィスタはラスタバンへ手を伸ばし、尻尾を掴もうとしたが、真っ白いフサフサの毛ごと尻尾が鎌へと変じたので、驚いて手を引っ込めてしまう。
「機関車は一度止まったら、奴らを振り切れるスピードが出るまで時間がかかる。誰かが足止めしないといけないのさ!」
「ならば私も行こう!力を合わせて戦ったほうがいいに決まっておる!」
「アンタらにあの光線銃は荷が重いんだよ!!いいから伏せてな!!」
 そう怒鳴って、ラスタバンはソフィスタとメシアに来るなとばかりに尻尾を振るい、後ろの操縦室へと向かって走り出した。
 機関車がガタンと揺れて進み始めると、三人の男たちの一人が「また走り出すぞ!止めろ!」と叫んだ。その声は、メシアがクヌムに落とされた直後に現れたエルフの声であることに、ソフィスタは気付く。
「やっぱりあいつらは、あたしが遭遇した三人のエルフだ!」
 エルフの男が三人も、しかも前回より武装している。ソフィスタが療養している間に、連中もメシアの抹殺とクヌムの破壊に備えていたのだろう。
 できればトンネル入口の門に行く手を遮られて欲しいとソフィスタは願ったが、エルフたちは門が閉じるギリギリのところで潜りぬけ、こちらへと近付いてくる。
 トンネルは狭く、エルフたちは切り離された操縦室に阻まれるが、左右に通り抜けられる程度のスペースはあるようだ。ラスタバンは、揺れで半分閉じた引き戸を鎌で破壊し、頭だけ外に出すと、口から炎を吐き出した。
 炎はトンネルの上下左右いっぱいに広がり、操縦室を飲み込む。ラスタバンに駆け寄ろうとしていたソフィスタとメシアは、その熱気に思わず「あつっ!」と声を上げて顔を覆ったが、エルフたちからは何の声も上がっていない。炎で姿は見えないが、操縦室の影に隠れて炎をやりすごしたにしても、ソフィスタたち以上の熱気を浴びているはずだというのに。
 突然、一筋の閃光がソフィスタとメシアの視界を過り、ラスタバンが「グアァッ!!」と苦しそうに叫んで、背中から床に倒れた。それに驚かされる間も無く、ラスタバンの手前で床が裂けた。
 裂け目は床から天井まで伝い、まるで果物を切ったように客車の一部が切り落とされる。
 切れ目は黒く焦げ、煙と共に嫌な臭いを立ち昇らせている。その匂いに混じる、肉や毛の焦げた臭いをメシアは嗅ぎ取った。
「ラスタバン!!!」
 メシアがラスタバンに駆け寄った。
 ラスタバンの後ろ足と右前足が切断されて無くなっており、断面は客車の切断面と同じように焼け焦げている。
「じーちゃん!!!」
 ラスタバンの悲鳴を聞いたトゥバンが操縦室から飛び出す。それと同時に、銃を構えたエルフが客車の切断部から機関車に乗り込んできた。銃口はメシアに向けられていたが、とっさにソフィスタが破壊力を帯びた光球を放ち、エルフの腕を弾いた。
 銃口は上に向けられ、そこから天井へ閃光が走り、焦げた穴を開けた。あの光線が機関車を脱線させ、ラスタバンの足や客車を焼き切ったのだろう。凄まじい威力を想像してソフィスタは震えあがったが、メシアは銃口が逸らされた隙にエルフに掴みかかった。
 自慢の怪力でメシアは銃を奪おうとするが、残る二人のエルフも機関車に乗り込み、両手に斧を携えたエルフがメシアに近付いて攻撃を始めた。もう一人の、長剣を両手で構えるエルフは、ラスタバンに襲い掛かる。
「じーちゃんに何すんだ!!!」
 稲妻を纏ったトゥバンが、長剣のエルフに殴りかかる。その表情は、メシアを泥棒と勘違いしていた時以上の怒りに満ちていた。
「セタ!!ルコス!!」
 ソフィスタはセタとルコスをメシアの加勢に向かわせ、自身は混戦する場から距離を取って状況を見極める。
 メシアは銃口の向きに気をつけながら、その銃で斧を防ぐ。斧で銃を破壊する目的もあったが、何度刃を叩きつけられても、銃は傷すらつかない。
 セタとルコスが、銃を奪われまいとあがくエルフの首や腕に巻きつくが、締めあげても苦しむ様子が全く見られない。
 長剣のエルフの攻撃は全て、ラスタバンの左前足と尻尾の鎌によって弾かれているが、トゥバンが電撃を浴びせても長剣のエルフは平然としており、互いにダメージを与えられずにスタミナを消費するだけの戦闘となっている。
 …あいつら、ラスタバンの炎もそうだけど、攻撃が効かないのか?あの妙なスーツが攻撃を防いでいるのか?
 座席の影に身を隠し、枝の球を取り出して魔法力を高めながら、ソフィスタは考える。
 エルフたちは三人とも、ソフィスタの見立てでは魔法力は低い。やけに打たれ強いのは、魔法によって肉体の防御力を上げているからではなさそうだ。
 スーツを着ていてもメシアやトゥバンより体が細いので、元々肉体が打たれ強いようにも見えない。となると、エルフらの防御力はスーツによるものなのだろう。
 マジックアイテムでもないのに、あんな薄地で外からの圧力や電撃に耐えるなど、少なくとも現在の人間の技術では有り得ないが、もしあのスーツが、クヌムのように古い割には高い技術で作られているものだとしたら、有り得ない話では無い。ラスタバンも、エルフは昔の高度な技術を利用していると話していた。
 しかし、剣を弾かれればのけぞるし、腹を蹴られれば背中を曲げているエルフたちの様子から、スーツは受けた衝撃を全て吸収して消しているわけではなさそうだ。
 強力な攻撃魔法でも放てば、エルフを機関車の外へ放り出せるかもしれない。今の機関車のスピードは馬よりもメシアよりも速いので、逃げきられるはずだ。
 このスピードから落下して、果たしてあのスーツでも耐えられるかどうかは分からないが、そんな気を使っている余裕など無い。
 それに、瀕死に等しいラスタバンと、頭に血が上って冷静さを欠いているトゥバンでは、エルフ一人を相手に長く持ちそうにないし、セタとルコスの加勢があるとは言え、エルフ二人がかりではメシアも厳しいだろう。手段を選んでいる暇も無いのだ。
 …あの混戦状態じゃ、攻撃魔法を放てばメシアたちも巻き添えを喰らう。隙を作らないと…目くらましの魔法で隙はつくれないか…。
 クヌムの外で、あのエルフたちの目を魔法の光で眩ませた時、思った以上に効果があったようだった。
 …幸い、奴らの魔法力は低いみたいだ。あたしが魔法を使っても、発動するまで気付かないだろう。それに、メシアたちがこっちに背を向けて戦っているのも好都合だ。
「メシアもトゥバンも、こっちは気にせずに戦え!!奴らから絶対に目ェ離すなよ!!!」
 ソフィスタが立ち上がって声を上げると、エルフたちは彼女に気を取られ、メシアとトゥバンは言われた通りエルフたちとの戦いに集中して振り返りもしなかった。
 確実にエルフたちの気を引いた、このタイミングで、ソフィスタは彼らに向けて右手を翳し、目を閉じて強い光を放った。
 光はすぐに消え、ソフィスタは目を開く。
「バーッカ!!対策済みなんだよ!!」
「ウゼェんだクソガキが!!!」
 エルフたちに目くらましが全く効いておらず、長剣のエルフがトゥバンとラスタバンの攻撃をかわしてソフィスタに飛び掛かる。さらに斧のエルフも、メシアを飛び越えて長剣のエルフに続く。
「ソフィスタ!!!」
「ソフィスタぁ!!」
 トゥバンとラスタバンがソフィスタの名を叫んだ時には、既に斧と長剣の刃はソフィスタをめがけて振り下ろされていた。
 しかし、平然とするソフィスタの目の前に生じた魔法障壁によって、刃は弾かれる。
 ソフィスタの足元で、枝が魔方陣を描いていた。ソフィスタの魔法力を増幅し、魔法障壁をいつでも発動させられるための魔方陣である。
 座席によってエルフたちの視界から隠されており、近付くまで気付けなかったのだ。
「あたしも、同じ手が二度も通用するなんて思ってねーよ」
 ソフィスタは右手を薙ぐように振る。すると、魔法障壁が広がって二人のエルフを囲み、収縮して体を押し付け合わせた。
 狭い棺の中に強引に詰め込められたように、二人は身動きが取れなくなる。
 目くらましの魔法は、彼らの注意を引きつけための囮であり、あの乱戦から一人でもエルフをおびき寄せて動きを封じる算段であったが、二人も無力化できたのは幸運だった。
 ソフィスタを信じて銃を抑え続けていたメシアは、斧による攻撃が無くなったため余裕ができ、銃のエルフの鳩尾に拳を叩き込んだ。銃のエルフは「ゴフッ」とメットの下で呻き、床に崩れ落ちた。
 気を失ったのか、全く動かないが、銃を握って離さない。念のため、セタとルコスが彼の手足に巻きつく。
「クソォ!放しやがれ!!」
「おいナダ!斧持ったまま暴れんじゃねぇ!!」
 魔法障壁に閉じ込められたエルフは、騒ぎながらもがくが、魔法障壁は破れない。
 ひとまずエルフを制圧できたと思ったトゥバンは、ラスタバンに「すぐに救急箱を持ってくるからね!!」と言って操縦室へ戻っていった。
「メシア!そいつの武器を外へ投げ捨てるんだよ!」
 呼吸の荒いラスタバンが、声を振り絞る。メシアはエルフの手から銃を取り上げようとするが、ベルトによって銃が手に固定されており、メシアの馬鹿力でもベルトは引きちぎられなかった。
 メシアが手こずっている間に、ソフィスタは右手を魔法障壁に翳したまま、メシアたちのもとへと進み始めた。魔法障壁は、閉じ込めたエルフと共に、ソフィスタの歩調に合わせて同じ方向へ移動する。
「メシア、こいつらを外へ押し出すから、道を開けろ」
 ソフィスタの進行方向を遮っていたメシアは、銃を取り上げるのをいったん諦め、エルフを引きずって壁際へと移動する。
 魔法障壁に囲まれている状態なら、この速度から落とされても死にはしないだろう。強い衝撃によって魔法障壁が消えても、彼らのスーツが身を守ってくれるはずだ。メシアの拳には耐えられなかったようだが、魔法障壁で落下のダメージを減らした上でなら、スーツも耐えられるかもしれない。
 彼らには聞きたいことも調べたいこともあるが、さすがに三人もの男エルフを拘束し続けられる自信は無い。銃のエルフだけ残し、斧と長剣のエルフには退場してもらうとする。
 二人は魔法障壁に運ばれている間も騒いでいたが、切断された機関車の縁までくると大人しくなった。メットで表情は見えないが、通りすぎてゆくレールを黙って見下ろしているようだ。
「落下の衝撃で魔法障壁が消えなくても、あたしから離れてしばらくすれば消えるから、あとは自力で地下から脱出するんだな。できるかどうかは知らないけど、お前たちだってラスタバンをあんな目に遭わせやがったんだ。死んでも恨むなよ」
 怒りを露わにした低い声で、エルフたちにそう言うと、ソフィスタは右手を振り上げた。その動作で魔法障壁が少し浮き上がり、倒れて地面に落とされる…はずだった。
 何の前触れも無く、魔法障壁が内側から弾けるようにして消えたのだ。中にいた二人のエルフは、解放されるなり武器を振り上げた。その動作には無駄が無く、魔法障壁が消えることを分かっていたようだった。
 眼前に迫る、男エルフの想定外の攻撃を自らかわす術など、ソフィスタには無い。だが戦士であるメシアは、魔法障壁が消えてすぐ紅玉から赤い光を伸ばし、ムチのようにしならせて斧と長剣を弾いた。
 そのまま光のムチで二人のエルフの体を拘束しようとしたが、気絶したと思っていた銃のエルフが、セタとルコスを振り払って起き上がり、銃口をメシアに向けた。
 いつ意識を取り戻したのか、それとも気絶していなかったのかは分からない。どうもエルフの男は、気配や殺気に鋭いメシアを欺くことができるようで、メシアが銃のエルフの動きに気付いた時には、既に銃の引き金は引かれていた。
 銃から光線が放たれ、一瞬で額に焼けた穴が貫通する。それを見たメシアとソフィスタ、さらに長剣のエルフと、ナダと呼ばれていた斧のエルフが、目を大きく開いて息を呑む。
 光線は、メシアが警戒していた銃口から放たれたのではなかった。なぜか銃の後ろあたりから光線が射出し、引き金を引いたエルフの額を貫いた。
 ぐらりと体を後ろへ傾かせて機関車から落ちていった銃のエルフを、四人は放心して見ていた。
「ウガアァァァァァ!!!」
 唯一、この状況に冷静だったラスタバンが、背中の翼と左の前足で勢いをつけて、長剣のエルフとナダに突進した。
 我に返った長剣のエルフが、ラスタバンの気迫に押されながらも長剣を突き出し、剣はラスタバンの首から胴体へと沈む。ラスタバンの勢いは衰えたが、前足が長剣のエルフの腕に届いて掴み、彼もろとも機関車から飛び降りた。
「ラスタバン!!!」
 メシアは光のムチをラスタバンに向けて伸ばそうとしたが、ナダが振り下ろした斧に弾かれた。自分だけラスタバンの突進をかわしたナダは、猛スピードの機関車から仲間が落とされるのを、助けるどころか気にすらかけていなかった。
「セタ!ルコス!」
 ソフィスタも我に返り、セタとルコスにメシアを加勢させようと呼びかけたが、二体とも床でぐったりとしており、声をかけても反応が無い。
 銃のエルフに簡単に振り払われたことには、おかしいと感じていたが、二体の身に何が起こったのだろうか。
「じーちゃぁぁん!!!!」
 操縦室から出てきたトゥバンが、手にしていた救急箱を落として悲鳴を上げた。
 ラスタバンと長剣のエルフの体が、レールの上に叩きつけられる。その衝撃で、ラスタバンの首は剣を差し込まれた部分から千切れた。
 ラスタバンの胴体が、砂となって崩れ落ちてゆき、その傍らを頭部が転がる。トゥバンにとってもソフィスタとメシアにとっても、あまりに衝撃的な光景であったが、それはトンネルの天井から勢いよく降りてきた門によって遮られた。


  (続く)


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