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ありのままのメシア 第二話


   ・第一章 メシア、一人で外出

「いいかメシア。この湯を使って体の汚れを洗い流すんだ」
「湯って…火傷をしてしまうではないか」
「大丈夫だよ、ホラ」
 ソフィスタは、メシアの前で浴槽に満たした湯の中に、手を入れた。
「な。どうってことないだろ。念のため、お前も手を入れてみな」
 彼女に言われ、メシアも指先からゆっくりと手を湯の中に入れる。
「どう?熱い?」
「…いや、温かい…」
「そうか。それならいい」
 メシアの答えを聞くと、ソフィスタは湯から手を出した。
「じゃ、脱いだものは、この籠の中にでも入れておいて。あと、そのへんのものをヘタに触るんじゃないよ。いいね」
 言うだけ言って、ソフィスタはメシアに背中を向けた。
「おい、どこへ行く」
「どこへって…家の中にはいるから、心配するな」
 そして、ソフィスタは、さっさと浴室を出て行った。
 一人、残されたメシアは、心配そうに湯をかき回した後、覚悟を決めて、身にまとっている布に手をかけた。自前の巻衣ではなく、ソフィスタに渡された、シンプルな柄の布だ。何でも、あの似合わなさすぎる白衣よりはマシだということで、学校から借りたらしい。
 そして、ソフィスタに言われた通り、脱いだものを籠の中に入れると、浴槽に入った。
 とりあえず、腰まで湯に浸らせる。
「…う〜む…」
 何か、変だ。今まで、こうして湯に体を浸からせたことなど、記憶の上では一度もないので、どうも違和感がある。
 それでも気長に浸かっていると、その温かさで、だんだん気持ちが良くなってきた。
 すぐに立ち上がれる姿勢だった体を、思い切って肩まで湯に浸からせ、体を伸ばそうとする。しかし、メシアの体は大きく、浴槽は狭いため、完全に伸ばすことはできない。
 どうにか楽な姿勢をとれまいかと、湯の中で体を動かしているうちに、何かが右足に引っかかったことに気付いた。
 …何だ?
 メシアは、右足を引く。
 すると、ゴボッという音が聞こえ、湯船に大きな気泡が生じたと思ったら、急速に水位が下がり始めた。
「えっ、うわっ!何が起こった!?」
 どうやら、浴槽の底に開いた穴から、湯が流れ出ているようだ。
「何だこの穴。なぜ急にこんなものが?」
 メシアには、その穴が浴槽の排水溝であることが、分からなかった。そして、その排水溝を塞いでいた栓は、メシアの右足にひっかかったチェーンに繋いであったため、右足を引くと同時に抜けてしまったことも、当然分からなかった。
「えっと…ていっ」
 とにかく、湯がこれ以上流れ出ていかないよう、メシアは手で排水溝を塞ぐ。
 しかし、ずっとこうしているわけにはいかない。
 …どうしたものか…。
 残った湯に体を浸らせながら、メシアは悩んだ。

 一方、居間に戻ったソフィスタは、テーブルの上に置いてあるノートを手にとり、椅子に腰をかけた。
 そのノートは、まだ新しいものだが、一ページ目は、既に埋まっている。
 昨日…メシアと一緒に暮らすことが決まった時から、使い始めたノートだ。表紙に『メシア観察ノート』と書いてある。
 ノートを開き、一ページ目に記されていることを、ざっと読む。
『名前はメシア。海も山も越えた、遠く離れた所にある村から来たと言うが、詳しくは聞き出せない』
『髪は銀。瞳孔はやや細く、虹彩は赤。エルフのような耳。舌は割れている。十八歳らしい』
『左手のアクセサリーは、神からもらったと言っている。紅玉から放たれる光は、人を気絶させたが、それ以外にも何らかの力を秘めている気がする』
 などなど、メシアに関することで、そのページは埋められていた。
 読み終えると、次のページを開いた。そして、ノートと一緒にテーブルの上に置いてあった羽ペンを取り、何も書かれていないそのページの隅に、今日の日付を記す。
 …さてと、どうやって書こうか…。
 今日、メシアについて分かったことをノートにまとめるつもりだが、今日はいろいろなことがありすぎて、何から書くべきかに悩まされる。
 それに、疲れていることもあって、頭を働かせにくい。
 今朝、アーネス魔法アカデミーに登校して間もなく、ソフィスタがメシアを叩きのめすという騒動。
 そして、ソフィスタと同じ、エリートクラスの女生徒、ミーリウが作った魔法生物マリオンとの戦闘。
 その中で、ソフィスタは魔法を使いすぎ、どうも体がだるい。セタとルコスもマリオンに体を焼かれ、学校で療養中だ。
 しかし、朝から体に受け続けてきたダメージが一番多いはずのメシアには、疲れた様子は全く見られなかった。
 特にひどかった両足首の怪我も、夕方になって帰宅し、彼を風呂に入れるため、怪我の様子を調べた時には、完全に癒えていた。
 よほど体が丈夫で、回復も早い種族なのだろうか。
 それとも、本当に神の御加護とやらのおかげなのか…。
 …もしかして、メシアが言う『神』より、メシア自身について調べていたほうが、面白いかもしれないな…。
 神に関する研究をやめるわけではない。しかし、メシアにも謎が多すぎるのだ。
 どの本にも載っていない、メシアの種族。
 彼が住んでいた所には、同じ種族の者が多く住んでいるのだろうか。
 それはいつから?昔から存在する種族であれば、既に人間に発見されていてもいいはずだ。人間の歴史は長く、世界地図だって数百年前に完成している。
 ただ、何らかのミスで発見されていないだけなのだろうか。
 しかし、過去に人間との交流があることは確かだろう。そうでなければ、言葉が全く通じないはずだ。
 …神からもらったっていう紅玉についても、いろいろ調べたいことはあるけど…とにかく、少しずつメシアから聞き出していくか。
 そう考え、羽ペンを持ち直し、改めてノートと向かい合った。
 その時、バタバタという足音と共に、メシアの声が響いてきた。
「ソフィスタソフィスタ!ソフィスター!!」
 ただ事ではないメシアの声に驚かされ、ソフィスタは羽ペンを置き、足音と声が聞こえる方へと顔を向けた。
 足音が止み、慌てている様子のメシアがソフィスタの前に現れたのは、ちょうどその時だった。
「ソフィスタ!湯が全て穴から流れ出ていってしまった!どうすればいい!?」
 びしょ濡れの髪から水を滴らせながら、メシアはソフィスタに尋ねた。
 しかしその言葉は、ソフィスタの耳には全く入っていなかった。
 彼女の目の前に立つメシアは、髪だけではなく、全身もびしょ濡れだった。
 その様子は、隅から隅までよく分かった。そう、隅から隅まで…。
 ソフィスタは、真っ赤になった顔を、慌ててメシアから背けた。彼は何も身に着けておらず、正にありのままの姿で、ソフィスタの前に立っているのだった。
 幸い、一番見たくもない部分は、ソフィスタの視界に入っていなかった。
「まず前を隠せ!!」
「前?前にはお前しかいないぞ」
 ソフィスタに怒鳴られたメシアは、きょとんとした顔で言った。
「そうじゃなくてなあ!そ、その…とにかく、そこを動くな!!」
 そう言って、ソフィスタは立ち上がると、ちょうど近くに畳んで置いてあったバスタオルを拾いに行った。
「ホラ!コレを巻いて、股の間にあるモン隠せ!!」
 そして、バスタオルを掴むと、メシアを見ないよう注意しながら、彼に向けてバスタオルを放り投げた。メシアはそれを上手くキャッチする。
「…あ、コレのことか。…そんなに気になるか?種族も違うというのに」
 メシアは、素直にバスタオルを巻き始める。
 …別に気にしちゃいねーよ!!見たくないから隠せって言ってんだ!!
 ソフィスタはそう思ったが、これ以上そんな話はしたくなかったので、口には出さなかった。
「よし。ちゃんと隠したぞ。どうだっ」
 イヤ、どうだと聞かれても…と、心の中で突っ込みを入れつつも、顔をメシアへと向け直し…固まった。
「な。ちゃんと隠れているだろう」
 得意そうに胸を張るメシア。そんなことを得意そうに言われても困るのだが、それより別のことに、ソフィスタの思考は半ば止められていた。
 メシアの下腹部は、確かにバスタオルによって隠されていた。
 しかし…巻き方がおかしい。表現しにくい巻き方…いや、できれば表現したくない巻き方だった。
 あえて言うなら、ふんどし巻き。
「……」
 ソフィスタは深く…それはもう深くため息をついた。
 できれば強力な攻撃魔法をメシアに叩き込んでやりたかったが、今日は疲労に疲労が重なり、もうそんな気力も沸かない。
 …もう、好きにするがいいさ…。
「で、湯のことだが…」
「わかった。わかったから…」
 ソフィスタは、いかにも疲れているような足取りで、バスルームへと向かった。メシアも彼女に続く。

 この日の夜、ソフィスタは『メシア観察ノート』に、マリオンとの戦闘で分かった、メシアの身体的能力や、紅玉の力について記し、そして最後に『ひたすら恥知らずの常識知らずのバカ』と書いておいた。


 *

 次の日。学校が休みなので、ソフィスタは街へ出ることにした。
 まず、メシアに留守番を任せ、仕立て屋へ行く。元々メシアが着ていた装束は、マリオンとの戦闘でボロボロにされたため、昨日の内に仕立て屋へ預けておいたのだ。
 その装束を返してもらい、メシアに着せた後、彼を連れて服を買いに行く。もちろんソフィスタの服ではなく、メシアに着せる服だ。
 最後に学校に寄り、セタとルコスの様子を見るついでに、借りた布を返す。
 そう計画を立て、朝の九時ごろに、さあ家を出ようとして…メシアに呼び止められた。
「ソフィスタ、どこへ行く」
「お前の服を返してもらいに行くんだよ。もう直してあるはずだからな」
「そうか。では、私も一緒に行こう」
「…そのカッコで外に出る気か?」
 メシアは、腰から膝まではスカート状に布を巻いて隠しているが、それ以外は、例のアクセサリーくらいしか身につけていない。
「いけないか?」
「いけないよ。留守番してな」
「そうはいかん!お前に魔法生物を作り出す技術を捨てさせ、罪を裁くために、ここへ来たのだ!お前に何かあったり、逃げ出されたりされては、それを為せなくなってしまうだろう!!」
「逃げやしないよ。すぐに戻るって」
「だめだ!何を言われようと、私も行くぞ!」
 …何が何でもついて来る気か、コイツ…。
 彼の目から、そう悟ったソフィスタは、「仕方ないな」と呟くと、人差し指を立て、天井を見上げた。
「あ、あんな所に魔法生物が」
「何ィ!どこだ!?」
 メシアは、ばっと顔を上に向け、注意を天井へと移した。その隙に、ソフィスタは魔法力を拳に集中させる。
「こんな手にひっかかるな単細胞!!!」
 そして、その拳でメシアの腹を打った。魔法力によって威力を増した、ソフィスタのパンチは、メシアを殴り飛ばし、壁に叩きつけた。
「ぐぼぉっ…おうぅ…」
 メシアは床に倒れ、しばしピクピクと痙攣した後、動かなくなった。
 やりすぎたかと思い、ソフィスタは、念のため彼の脈を調べる。
「…よし、生きてるな。戻ってくるまで目を覚ますなよ」
 メシアが気を失っていることを確認すると、ソフィスタは家を出て、ドアに鍵をかけた。


 *

 仕立て屋は、家からそう遠くない。歩いて五分程度で着く。
 ソフィスタは、自分が家を出ている間に、メシアが目を覚ますと困るので、早歩きで仕立て屋に向かった。そのため、三分で着いた。
 これなら、メシアが気を失っている間に、用を済ませて戻ることができるだろう。そう考え、ソフィスタは一安心する。

 しかし、彼女はメシアの生命力を見誤っていた。
「ソフィスター!!ソフィスタどこにいるー!!!」
 彼は、ソフィスタが家を出てから一分後に、既に目を覚ましていたのだった。
 そして今、ソフィスタの名を叫びながら、彼女が向かった方向とは反対の道を歩いていた。
 そう、ソフィスタに殴られた時のままの格好で…。
 …それにしても、何と暴力的な女なのだ、ソフィスタは…。
 すれ違う人々の視線に気付かず、メシアはソフィスタの姿を求め歩く。
 …あいつには、優しい心があるはずなのだが…なぜこうも私に暴力を振るうのだろう。
 歩きながら、メシアは腕を組み、考え込む。
 …子をしかりつける親に似たようなものと捉えるにも、度が過ぎておるし、口も悪い。それに、他者を寄せ付けようとしない雰囲気がある…。
 ソフィスタと初めて会った時…走っていた所、ソフィスタにぶつかり、倒れた彼女に手を差し出した時、ソフィスタは、緑色の肌に驚きはしたようだったが、気味悪がったりためらったりすることもなく、差し出された手を掴んだ。
 それが、メシアは嬉しかった。
 ソフィスタと一緒に暮らし始めてからも…と言っても、まだ二日しか経っていないが…暴力を振るいはするが、人間と生活に馴染めていないメシアの面倒を見てくれている。
 しかし、ソフィスタと同じ種族である人間に対しては、どうだろう。
 昨日、学校で一緒にいた時、ソフィスタの他人に対する態度を見ていたが、優しい言葉をかけられても、それをうっとうしがり、受け入れようとせず、ひどい時には冷たい言葉であしらう始末だった。
 メシアもソフィスタに優しく話しかけ、あしらわれたことはあるが、その態度に冷たさは感じられず、むしろ可愛いと思ったくらいだ。
 優しい心があるはずなのに、魔法生物を作り出したり、口が悪かったり。
 同じ人間に対しては冷たいのに、違う種族のメシアに対しては、そんなにひどく冷たい態度は見せず、かと言って、温かいとは思えない暴力と暴言。だが、どういうわけか、可愛いと感じることもある。
 …分からぬ。ソフィスタとは、一体どのような人間なのか…。
 知らずのうちに、道のど真ん中で立ち止まり、メシアはう〜んとうなった。
 そして、気合を入れるかのように、「よしっ」と顔を引き締め、拳を突き上げると…。
「ソフィスタに子供を産ませるぞ―――――!!!!」
 道のど真ん中、人々が行き交う中、天に向かって、そう咆えた。
 …そうだ!やはりソフィスタには、子供を産ませるべきだ!そうすれば命を尊ぶようになるだろう!そして、我が子を思う母親の本能によって、己の持つ優しい心を他の者に対しても与えるようになるだろう!産まれる子供が種に繁栄をもたらし、ソフィスタは己の罪を悔い改め、私も使命を果たすことができる!!
 メシアの使命感が、生命を思う心が、彼の中で熱く燃え上がっていた。
 しかし、彼に向けられる人々の視線は、冷えきっていた。
 半裸で「子供を産ませる」と叫ぶメシアは、誰から見ても変質者であった。しかも、珍しい種族で筋肉質の巨体を持つ彼は、黙っていても目立つ。
 このままでは、捕まりかねない。
「ちょ、ちょっとちょっとメシアくん!!」
 そんな彼に、声をかける者がいた。
「そんな格好で何叫んでいるんだ!変態と思われて捕まってしまうよ!!」
 そう言って、慌てて駆け寄って来る男に、メシアは見覚えがあった。
「お前は…アズバンではないか」
 アーネス魔法アカデミーの教授、アズバンだ。もっとも、メシアは彼を、ただのソフィスタの知り合い程度にしか認識していないが。
「あ、覚えていてくれたんだね…って、のんきに話をしている場合じゃないよ!ホラ、これを着なさい!」
 アズバンは、メシアの前まで来ると、着ていた上着を脱ぎ、メシアに渡そうとした。
「いや、寒くはない。大丈夫だ」
「そうじゃなくて…とにかく着なさい!何もないよりはマシだろう…ホラ、みんな見ているだろう」
 アズバンに言われ、メシアは初めて人々の視線に気付いた。
 しかし、その視線が持つ意味までは読めなかった。
 …そうか。そんなに寒そうに見えるのか。
「わかった。ありがとう、アズバン」
 メシアは上着を受け取り、袖を通した。わりとゆったりとしたサイズなので、一応着ることはできたが、やはりメシアの体には小かった。
「君の体は本当に大きいねえ…ところで、ソフィスタくんはどうしたんだい?一緒じゃないのかい?それに…君の服は?」
「うむ、実はソフィスタが私を殴り飛ばして家を出てしまい、今、探している所なのだ。服は、そのソフィスタがどこかへ預けたらしく、今はない。返してもらって来ると言っておったが…」
「殴り飛ばした?…とにかく、ソフィスタくんもいないし、服もないんだね」
 アズバンは、周囲の視線を気にしながら、困った顔で考え込んだ。
「何にしても、そんな格好で歩いていたら、変な奴と思われるよ。服を貸してあげるから、私の家に来なさい。すぐそこにあるから」
「いいや、私はソフィスタを探さねばならんのだ。人間に変な奴と思われることくらい、何ともない」
 メシアの言葉に、アズバンはさらに困った顔をする。
「…だからねえ…君の格好も発言も、人間に怪しく思われるんだよ。怪しい奴がいたら、人間はそいつを捕まえて、調べようとする。そしたらソフィスタくんを探せる時間が、ますます減ってしまうだろう。だから、ここは怪しくない格好をしておくべきだ。そうだろう」
「う〜む、それもそうだ…」
 アズバンの説得に、メシアは納得する。
「分かってくれたかい。じゃあ、私の家に行こう」
「ああ。世話になる」
 メシアは、アズバンの言うことに素直に従った。アズバンはホッと胸を撫で下ろす。

 こうして、ソフィスタの知らないうちに、メシアはアズバンの家へと向かうことになった。
 AM.9:10。メシア、アズバン宅へ。


   (続く)


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