・第二章 メシア、また騙されるソフィスタが家に戻ったのは、メシアが出て行ってから、約七分後のことだった。気絶させたメシアが、ソフィスタが家を出た後すぐに目を覚まし、自分を追って外へ出た…ということは、すぐに分かった。 ドアの鍵が、壊されている。 内側から強引にドアノブを回したのだろう。ドアの開け閉めはメシアに教えておいたが、鍵のかかったドアの開け方は、まだ教えていない。 …けっこう強く殴ったはずなんだけどなあ…。 メシアの装束が入っている紙袋を抱えているソフィスタは、さらに頭も抱えた。 …とにかく、誰も家にいない間に、泥棒とかは入ってはいないだろうな。 念のため、家の中をチェックしようと考え、ソフィスタは紙袋を床に置いた。 * 「…ずいぶん大きな家に住んでおるのだな、アズバン…」 「いや、この家の部屋を一つだけ借りているのさ」 メシアは、小ぎれいで大きな家の、その一室に招かれた。部屋の中は、わりと片付いており、一人で住むなら十分な広さがあった。 アズバンは、親元を離れ、ここで一人暮らしをしているという。 「数ヶ月前までは、一緒に住んでいた男友達がいたんだけど、よその町へ引っ越してしまってね。そいつが置き忘れていった服があるんだ。後で彼に聞いても、いらないって言っていた服だから、君にあげるよ」 そう言って、アズバンがメシアに着せた服は、ハイネックの長袖と、長ズボンだった。どちらも無地の白だが、サイズはぴったりだ。 「いや〜その男友達も、背が高くて筋肉質だったんだ。正直言って彼との二人暮しは心地よくなかったね。あ、あと上着も靴もあるから、外へ出る時は、それも身につけていくといい」 アズバンは、サイズが合ってよかったと笑うが、メシアにはどうも窮屈な気がして、落ち着かない。 「…気に入らないかい?」 それに気がついたアズバンが、そうメシアに尋ねる。 「いや、このような服には慣れていないのでな。だが、これで怪しまれることなく外を歩けるのだな。ありがとう、アズバン」 「いやいや、礼には及ばないよ。…ただ、君に聞きたいことがあるんだが…いいかな?」 「む?ああ、かまわんが」 メシアは、すぐにでもソフィスタを探しに行きたかったが、服を貰ったという借りもあるので、そう言った。 「君、道のど真ん中で、ソフィスタくんに子供を産ませるって叫んでいたよね。何であんなことを?」 「うむ、それは…」 メシアは、道の真ん中で叫んだ時に考えていたことを、アズバンに正直に話した。 「…まあ、それもソフィスタくんの考えを改めさせる、一つの手段ではあるね…」 話を聞いたアズバンは、何やら微妙な顔をしてみせる。 「ただ、君の話を聞いている限り、どうやら君は乙女心を分かっていないようだね」 「乙女心?」 メシアにとって、それは初めて聞いた言葉だった。 「そう。女性の心理…心のことだよ。君の種族にも女性はいるだろう」 「うむ、おるが…」 「その女性たちは、どんな男性の子供を産みたいと願っているか、君は知っているかい?」 「屈強な男の子供を産むことを、我々の種族の女性は夢としておる」 メシアの答えに、アズバンは再び微妙な顔をする。 「…君の種族の女性は、そんな考え方を持っているんだね。でも、人間は違うんだよ」 「愛がなければ子供は産めないということか?」 「なんだ、知っているんじゃないか」 アズバンは、思わずメシアにツッコミを入れる。 「一昨日、私がソフィスタに子供を産めと言ったら、そう言い返されたのだ」 「へえ。ソフィスタくんが、そんなことを言ったのかい」 アズバンは、今度は興味深そうな顔をする。 「うむ。…だが、ソフィスタには愛する男がいないそうだ。誰か男を愛するようになってはくれまいか…」 メシアは、真剣に悩み込んだ。もし、この場にソフィスタがいたら、余計なお世話だとか言うのだろうなあと、アズバンは思った。 「…何にしても、メシアくんには、人間の乙女心というものを、よく知る必要があるね」 アズバンに言われ、メシアも「そうだなあ…」と呟く。 「では、直接ソフィスタに聞いてみることにしよう」 「いや、そういうことは、直接本人に聞くものじゃないよ」 「そうなのか?」 「そうなのだよ。本人じゃなくても、見ず知らずの女性にいきなり『乙女心って何ですか』って聞いても、怪しい奴だと思われてしまうだろうね」 メシアは「そういうものなのか…」と、困った顔で下を向く。 「なに、人間の女性の心理を知りたければ、多くの女性と友達になって、たくさん話をすることだね。君にその気があれば、私も協力するよ」 アズバンの言葉に、メシアは、はっとして顔を上げ、アズバンを見た。アズバンは話を続ける。 「昨日、君に言われて気付いたんだ。魔法生物を作り出すことは罪だということにね。例え自分で作り出してはいなくても、誰かが作り出している所を黙って見ていた私にも罪はある。そして、その罪は…もう二度と、犯してはならないものなんだ!!」 急に強い口調になったアズバンは、メシアの両手をがしっと握り、真剣な眼差しを送った。 「そう!昨日、君が言った通り、私は罪人だ!そして、その罪の重さを知った!だからこそ!罪の重さを知った私だからこそ、これ以上過ちを犯してしまう者が出ることを防がなければいけないんだ!!」 「おお…アズバンよ!分かってくれたのだな!!」 メシアも、アズバンの手を握り返す。 「君のおかげさ!!君が過ちに気付かせてくれたんだ!だから私は、君の力になりたいんだ!君がソフィスタくんを改心させるためなら、私は協力を惜しまない!!」 「あ、アズバン…私は嬉しいぞ!!ありがとう、アズバン!!!」 メシアの手は、感激のあまり震えていた。アズバンは、その手を離し、今度は肩を組む。 「さあ、メシアくん!ソフィスタくんを改心させるために、君に乙女心を学んでもらおう!」 「うむ!ソフィスタと同じ人間である、お前の協力ほど心強いものはない!!」 「ハッハッハ!そうだろうとも!ということで、メシアくん!!」 「何だ!?」 「今夜は合コンだ!!!」 「オーッ!!!」 …………。 「えと…ゴーコンとは、何のことだ?」 勢にまかせて意気込んでから、約五秒後、その言葉の意味を知らないことに気付いたメシアは、アズバンに尋ねた。 「早い話、男性と女性が数人ずつ集まって、仲良く話をしたりする会さ」 アズバンは、得意そうな笑みを浮かべて、メシアに説明する。 「人間の女性の心理を知りたければ、多くの女性と友達になって、たくさん話をすることだと言っただろう。合コンでは、初対面の女性とたくさん話ができるし、仲良くなることもできるんだ。いや、君なら必ず仲良くなれる!絶対にモテる!!」 合コンの意味を知らないメシアは、熱意あるアズバンの言葉を疑うことはなかった。「モテる」という言葉も、友達を持てるという意味だと解釈する。 「今晩、その会が、私を含む人間の男性三人と、人間の女性三人で開かれる予定なんだけど、私以外の男性二人が、急な用事で来れなくなってしまってね。それで、丁度いいから君に是非参加してもらいたいんだ。君なら男二人ぶん…いや、それ以上を補えるはずだ!」 「ふむ…とにかく、乙女心を学ぶことができるのであれば、その会に参加しよう。ソフィスタも連れて行ってかまわぬな?」 「えっ?いや、ソフィスタくんはダメだ!」 少し焦った様子で、アズバンはメシアの肩から腕を離す。 「いいかいメシアくん。ソフィスタくんの心を知るには、彼女がいない時に、第三者の意見を聞いておく必要もあるんだ。彼女がいると、話し辛いこともあるかもしれない。だから、ソフィスタくんは参加させてはいけなよ。わかるかい?」 メシアは、「そうかもしれんな…」と、呟いた。 「よし決まりだ!!じゃあ、いろいろと準備をしなければいけないから、今日は私と一緒にいたまえ」 「いや、しかし、ソフィスタを探し、監視せねば」 「まあまあ。気持ちはわかるが…」 メシアの言葉を、アズバンが遮った。 「ずっとソフィスタくんから離れていろと言っているわけじゃないんだ。それに、これから私が彼女の様子を見てきてあげるよ。たぶん家に戻っていると思うからね。君はここで待っているといい」 アズバンに説得され、メシアは仕方なく、彼の言う通りにすることにした。不満の見える表情ではあるが、「わかった」と頷く。 「じゃあ、ソフィスタくんに、君のことも話してくるね。鍵は閉めていくから、誰か私を訪ねてきても、いないふりをしなさい」 そう言って、アズバンは部屋を出て行った。 メシアは、まだ納得がいかない顔をしていたが、これもソフィスタを改心させるためだと自分に言い聞かせると、適当な場所に座り込み、大人しく待っていることにした。 * 家の中が荒らされていないこと、大切なものがなくなっていないことを確認し終えたソフィスタは、居間のソファーに腰をかけ、さてどうしたものかと考え込んだ。 …メシアの奴、まさかあの格好で外に出て行ったのか? ソフィスタがメシアを気絶させた時の彼の格好は、ほぼ裸に近く、あの姿で外を出歩けば、確実に変態と思われ、捕まるだろう。 …もしかしたら、とっくに捕まっているかもしれない…。 とにかくメシアを探しに行こう。鍵も魔法でどうにかなりそうだ。もし、入れ違いにメシアが家に帰ってきたら、またどこかへ行かれると困るので、書き置きでも残していくか…と、ここまで考えた所で、ソフィスタは、はっとした。 …あいつ、字ィ読めたっけ…。 よく考えると、メシアに人間が使っている文字が読めるという根拠が、何もない。 …言葉は通じているんだし、読めると思うけど…どうだろうなあ。何か別の方法を考えるべきか…。 しばらく考えた後、ソフィスタは「ちくしょっ」と、吐き捨てるように呟き、天井を仰いだ。 …ったく、あんにゃろめ!あいつこそ書き置きを残して外に出ろってんだ!一昨日から散々人を悩ませやがって! いや、書置きを残していった所で、字が下手で読めないかもしれないし、あの格好では外で捕まることには変わりない。むしろ、外に出ないで欲しかったなと、ソフィスタは考え直す。 …ハア。誰かに振り回されるなんて、あたしらしくないな…。 ソフィスタは下を向き、ため息をついた。 その時、玄関のドアがノックされ、ソフィスタは顔を上げる。 「ソフィスタくん、いるかい?」 ノックされる音と共に、アズバンの声が聞こえた。 「アズバン先生?今、行きます」 ソフィスタは、ソファーから立ち上がると、玄関のドアの前まで、早歩きで向かった。そして、何の用だと思いつつも、ドアを開く。 「やあソフィスタくん。やっぱり家に戻っていたんだね。よかったよかった」 ドアの向こうに立っていたアズバンは、ソフィスタの顔を見るなり、笑顔でそう言った。まるで自分が外出していたことを知っているかのような口ぶりだと、ソフィスタは思った。 「いや、実はね、さっきまでメシアくんと一緒にいたんだ。君が外へ出かけていたことも、メシアくんから聞いたんだ」 ソフィスタは、思わず「えっ?」と声を上げる。 「最初、彼を見つけた時は、腰に布一枚しか巻いていない姿で歩いていたものだから、驚いたよ。てっきりソフィスタくんに家を追い出されたのかと思ったけど、違っていたようだね。ハハハ」 アズバンは、脳天気に笑う。やはりメシアは、あの姿で外を出歩いていたのかと頭を抱えつつも、アズバンのノンキな様子からして、捕まったわけではなさそうだと、安心する。 「それでメシアくんは、今は私の部屋にいるんだけど…今日一日、メシアくんは私と一緒にいるってさ」 「はい?」 ソフィスタは、驚いた顔でアズバンを見る。 「一緒にって…何で?」 「ほら、メシアくんは、我々人間と暮らす上で、守るべきマナーを知らないだろう。あんな姿で平気で外に出るくらいだからね。彼には、人間のマナーを教える必要がある。そうだろう?」 「はい…私も、そう考えています」 ソフィスタは頷き、そう答えた。 「それでね、そのマナーの中には、女性は知らないけど、男性は必ず守っているマナーというものがある。そして、それは男性だけの秘密のマナーだったりする。そういうマナーは、女性にもあるだろう」 アズバンの言葉に、ソフィスタは少し考えてから、無言で頷く。 「だから、そのマナーを、同じ男性である私が教えてあげるって言ったんだ。ソフィスタくんは女の子だから、そういったマナーを知らないだろうし、知っていても教えにくいだろう」 確かに、アズバンの言う通り、女が男に教えられるマナーには、限度がある。アズバンのような大人の男性に手伝ってもらえると、それは助かる。しかもアズバンは、多くの教え子の相手を毎日のようにしている、大学の教授だ。その人柄も、生徒たちから評判がいいと聞く。 もっとも、ソフィスタにとってはどうでもいいことだったが。 「ただ、私とメシアくんだけで…男同士で話したいし、時間もかかりそうだから、今日だけメシアくんとは離れ離れになってもらうよ。メシアくんも、それでいいって言ってくれたからね」 「え…メシアが、そう言ったんですか?」 ソフィスタが一人で出かけようとした時、着いて行くと言ってきかなかったメシアを思い出すと、どうもアズバンの言葉が信用できず、つい聞き返してしまった。 「ああ。しぶしぶとだが、納得してくれたよ。今日一日、寂しいかもしれないが…かまわないよね?」 「いや、別に寂しくはありません」 ソフィスタは、さらりと言い返した。アズバンは苦笑する。 「そ、そうかい。それなら平気だね。あ、それと、丁度メシアくんに合う服を持っていたから、彼にあげたよ。だから、服については心配いらないからね。じゃ、失礼するよ。メシアくんを待たせてあるんでね」 そしてアズバンは踵を返し、立ち去ろうとした。そんなアズバンを、ソフィスタは呼び止めようとして…やめた。 なぜアズバンは、メシアに留守番を任せているのだろうか。そんな疑問が、ソフィスタの頭に浮かび上がっていた。 服がないから外に出せないのだろうと思っていたが、アズバンはメシアに服を与えたと言った。ならば、一度くらい戻ってきてもいいはずだ。 しかし、メシアの面倒を見てくれる上に、服まで貰っておいて、アズバンを疑っているような質問をぶつけたら、気分を悪くさせてしまうかもしれない。 生徒等の、同等の立場にある人間に対してなら、気にせず聞いてしまうが、アズバンは教師である。教師の機嫌を損ねては、後々面倒なことになるかもしれない。 アズバンがドアを閉め、颯爽と立ち去った後も、ソフィスタはその場で悩んでいた。 …念のため、こっそり調べてみるか。 そう考え、ソフィスタは外に出る支度を始めた。 ソフィスタの家から去り、メシアが待っている部屋へと向かうアズバンは、こんなことを呟いていた。 「いや〜騙しやすいなあメシアくんは。ハッハッハッハッハ」 そんな彼の足取りは、とても軽く、楽しそうなものだった。 AM.10:00。メシア、今夜は合コン決定。 (続く) |