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ありのままのメシア 第二話


   ・第五章 メシア、ちょっと反省

 メシアを連れて家に戻ったソフィスタは、マントと帽子をポールハンガーにかけると、手頃なタオルを濡らして絞り、昼過ぎに買った無地の寝巻きと一緒にメシアに渡した。
「そのタオルを使って、バスルームで体の汚れを拭き取ってきな。それと、お前が元々着ていた服とかは返してもらってきたけど、今日はもう遅いから、それに着替えな。先生から貰った服は、脱衣所の籠の中に入れておけ」
 そうソフィスタに言われたメシアは、「ありがとう」と礼を言ってから、素直にバスルームへ向かった。ソフィスタは居間へ行き、ソファーに腰を下ろす。

 それからしばらくして、セタとルコスがソフィスタのもとに戻ってきた。
「セタ!ルコス!怪我はもう癒えておるのか!?」
 体の汚れを落とし、着替えも済ませたメシアも、ほぼ同時に居間に入ってきた。彼は、ソフィスタの肩に張り付いた二匹を見るなり、心配そうに尋ねた。
「ああ。もう完治しているよ」
 口のきけない二匹に代わり、ソフィスタが答える。
「…そうか…」
 メシアは、何やら複雑そうな顔で下を向く。
「どうかしたの?」
 その様子を不思議に思ったソフィスタは、彼にそう声をかけた。
「…なあソフィスタ。この者たちは、我々と同じように、傷を負っても自然と治るものではないのか?」
「え?ああ、自己治癒能力はあるから、治ることは治るよ」
 ふいに問いかけてきたメシアに、なぜそんなことを聞くのだろうとソフィスタは思ったが、とりあえず答えた。
「だが昨日、マリオンに体を溶かされた時は、自分で完全に元に戻ることはできないと言っておったな」
「よく覚えているね。その辺は…他の生物と一緒だよ。大きな怪我をすると痕が残るし、体の一部を切り落とされたら、もう生えてこないだろ」
「だから、セタとルコスの失われた体の一部を作り出し、繋げた…ということか?」
 メシアの言葉に、ソフィスタはギクッとした。
 彼の言う通り、セタとルコスの体は、二匹を作り出した時と同じように、魔法の力によって元に戻したのだ。
 足を失った人間が義足をつけたり、他の人間の体の一部を移植することとは違う。自然界に存在しない物を新しく作り出し、繋げたのだ。
 メシアはそれに気がついた。
 そしてソフィスタに問い、彼女の答えから確信を得た。
 …マズッた…油断できねーな、このトカゲは…。
 騙されやすい馬鹿のくせに、なぜこういう時に限って頭が働くんだと、ソフィスタは思った。
 メシアは、黙っているソフィスタを睨むように見ていたが、ふと、ため息をついて言った。
「…あの時は相手も魔法生物であったし、お前もセタとルコスの身を案じて行ったことだ。今回は大目にみてやる。だが、もう二度とそのような技術を使うでないぞ」
 メシアにそう言われ、ソフィスタは少しホッとする。
「でもさ、またセタとルコスが体の一部を失っても、治さないでそのままにしておけってのか?」
「それが技術を駆使せねば治せぬものであればな」
 ソフィスタの問いに、メシアは厳しい答えを返した。意外と冷たいことも言うんだなと思い、ソフィスタはムスッとしたような顔で彼を見る。
「…魔法生物は、かわいそうな存在じゃなかったのか?」
 ソフィスタは、ひねくれた口調でメシアに言った。
「それを作り出したのは貴様であろう!!!」
 とたんにメシアはソフィスタの襟首を掴み、乱暴に引き寄せた。
「よいか!例えセタとルコスが技術を使い続けなければ生きられない体であっても、私は貴様に技術を捨てさせる!!だが、決してセタとルコスの命を軽んじているわけではない!!!」
 メシアの気迫に言葉を失い、ソフィスタは全く身動きが取れない。
 彼は続けた。
「命あるもの全てに生きる資格がある!それが過った技術によって生み出された命であってもだ!!だが、再びマリオンのような可哀想な生命体を作り出させるわけにはいかんのだ!!貴様だけがセタとルコスのために技術を駆使することを許せば、他の者が技術を身につけ、それを駆使することまで許すことになろう!一度許された過ちは、再び繰り返される可能性が高いのだ!!…多くの可哀想な命が生み出されることを許すか、それを止めるために、今ある二つの命を犠牲にするか…命の重みは数で計れるものではないが、迷っている間に犠牲が増えてしまうかもしれん。だから、その選択肢を課せられた時、私は命を天秤にかけ、そして選ばなければいけない!それがどれだけ辛いことか、貴様に分かるか!!?」
 メシアはソフィスタの襟首を掴んだまま、彼女の体を壁に叩きつけた。肩に乗っていたセタとルコスが、とっさに壁とソフィスタの間に割り込んでクッションになったので、ソフィスタが受けるダメージは少なくて済んだ。
 床に膝をつき、ずれた眼鏡を整えるソフィスタの前に、メシアは仁王立ちし、彼女に言った。
「セタとルコスの身を案じているのであれば、貴様が護りぬけ!技術を使わずとも済むようにだ!よいな!!」
 ソフィスタは肩に戻ったセタとルコスに何となく手を添え、メシアを見上げた。
「…それがあたしの罪に対する罰か?」
「いいや、罰ではない。それは当然の義務だ。罰は別に考えてある」
「あ、そう。…言われなくてもセタとルコスは護るよ」
 吐き捨てるように言いながら、ソフィスタは立ち上がった。何も壁に叩きつけることはないじゃないかと思ったが、またメシアに熱くなられるとやっかいなので、口には出さなかった。
 それに彼の瞳…あの生物学者三人に怒っていた時とは違い、怒りだけではなく、悲しく辛そうな色を浮かべていた。
 それは、昨日メシアがマリオンと戦っていた時のものと同じだった。
 体が崩れていくマリオンの苦しみを取り除くため、その命を奪うことを決意した、強い意志の中に悲しみを感じられた、あの瞳と…。
 …ハァ…あの目、どうも苦手だ…。
「…なあメシア、腹へってねーか?」
 ソフィスタは、話題を変えることにした。
「む?…いや、アズバンたちと一緒にいた時に少し食べていたので、特に空いてはおらん」
 急にソフィスタに問われ、少し戸惑った後、そう答えた。
「そうか。一応お前のぶんの晩飯も作ってあるけど」
「あるのか?では頂こう」
 メシアは嬉しそうな顔で言った。
 どうやら、上手く話をそらせたようだ。ソフィスタは一安心する。
「そうか。じゃあちょっと待ってな。今、準備してやる」
「うむ…あ、ちょっと待て!」
 食事の支度をするため、ソフィスタはキッチンへと向かおうとしたのだが、メシアに呼び止められ、立ち止まる。
 …げ…さっきの話の続きか?
 また面倒なことになるのだろうかとソフィスタは思ったが、そうではなかった。
「…もしかして、食事も取らずに私の帰りを待っていたのか?」
「ハァ?」
 予期せぬメシアの言葉に、ソフィスタは一瞬彼が何を言っているのか分からなかったが、すぐに理解すると、そっけなく答えた。
「食事の時間がバラバラだと、後片付けが面倒くさくなるからだよ」
 それだけ言うと、ソフィスタはさっさと居間を出て行った。


 *

 食事を終え、食器を片付けながら、メシアは今日の出来事をソフィスタに話した。
 メシアは店に残してきたアズバンを心配したが、ソフィスタに「適量の睡眠薬を飲まされただけなら心配ないよ。店で起こった揉め事の後始末だって、先生ならどうにかできるだろ。お前が気にすることはない」と言われ、さらに「もう二度と、あたしに子供を産ませるだの、そんなことを誰かに相談すんじゃねーぞ!!」と念を押された。

 片付けを終えたソフィスタは、居間の椅子に座ってテーブルに向かい、例の『メシア観察ノート』の新しいページにペンを走らせ始めた。
「ソフィスタ、それは何だ?」
 同じテーブルの向かい側で椅子に座っているメシアは、彼女にそう尋ねた。
「何でもいいだろ」
「…何かやましいことを書いているのではあるまいな」
「へぇ…」
 …紙にペンで何かを書くという行為が分かるのか。
 そう思ったソフィスタは、メシアの問いを無視し、そのことをノートに書き記した。
「無視するな!見せてみろ!!」
 ちょうどキリのいい所まで書き終えた時、メシアが手を伸ばしてノートを掴み、強引に取り上げた。ソフィスタは抵抗もせず、ノートの内容を確かめようとしているメシアを涼しい顔で見ている。
「…何だこれは…文字か?」
 メシアは、ノートに書き記されている文字を睨みながら、そう呟いた。
 …やっぱり、こいつ字ィ読めないのか。
 人間が使っている文字を、メシアが読めるかどうか確かめるため、ソフィスタはあえてノートを彼に取り上げさせたのだった。
 …でも、文字という存在を知っているのだから、メシアの種族は人間とは違う文字を使っているんだろう。
 できれば、彼がどのような文字を使っているのか調べたいが、今日はもう遅いのでやめておこう。そう考えたソフィスタは、メシアからノートを取り返し、彼に言った。
「日記みたいなものだ。気にするな」
 そして、再びノートにペンを走らせ始めた。メシアはどうも納得のいかないような顔をしているが、またノートを取り上げるようなことはせず、じっとソフィスタを見ている。
 ソフィスタはその視線に気づかず、手を止めてノートを閉じ、横目でメシアを見た時には、彼は既に視線を他所へと移していた。
 ソフィスタは、ふうっと一息つくと、ノートとペンを持って立ち上がった。
「じゃあ、あたしは着替えて寝るよ。着替えが終わったら呼ぶから、それまで待ってな」
 そうメシアに言い、彼が頷いたのを確認すると、肩に張り付いているセタとルコスと共に、居間を出て行った。
 居間には、メシアだけが残される。
 夜、メシアとソフィスタ、そしてセタとルコスも同じ部屋で眠っていた。居間の隣にあるソフィスタの部屋が、それである。
 ソフィスタの家で初めて夜を明かす日、メシアはソフィスタの監視をするため、同じ部屋で寝ると言ってきかなかった。
 当然ソフィスタは嫌がったが、そんなにひどく嫌がっていたわけでもなく、わりと早く諦めた。もちろん、ソフィスタはベッドで、メシアは床で寝ることになったが。
 …化け物だのゲテモノだの言っておったわりには、同じ部屋で眠ることに、あまり抵抗を感じておらんのか…。
 ソフィスタが何を考え、同じ部屋で眠ることを許したのかを完全に知ることはできないが、少なくともメシアがそんなに危険な存在ではないと判断したことは確かだ。
 …私を追い掛け回していた人間とは違う。ソフィスタは、ちゃんと私の内面も見ていてくれているのだ…。
 実の所、ソフィスタはメシアを単純で騙しやすい馬鹿だと思い、彼を見下しているから、あまり警戒をしていないのだが、まあ内面を見ていると言えば、そういうことになる。
 …体が大きく、人間とは違う姿の私が化け物に見えてしまうことは仕方がない。それをきっぱりと答えたソフィスタには腹を立てたが…その化け物に見える私の面倒を、ソフィスタは見おるのだな。
 一緒にこの家に住めと誘ってきたのはソフィスタのほうで、メシアに生活を保障すると約束した以上、彼の面倒を見ることは当然のことなのだろうが、散々人間に怖がられ、化け物扱いされていたメシアにとって、自分の内面を見てくれている人間がいるというだけでも嬉しかった。
 …これでソフィスタが罪人でなければな…。
 メシアは深くため息をつく。
 …まあ、再び魔法生物を作り出すことはしないと言っておったので、それを信じ、時間をかけて罪を悔い改めさせるべきだろう。今日のように技術を駆使せぬよう見張っておくだけでいいか。焦って余計な行動を起こしては、また人間に追い掛け回されかねん。
 そう考えを改め、自分で二度ほど頷く。
 …それに…ソフィスタに化け物と言われて怒っていた時、技術を捨てれば私は故郷へ戻り、二度と会うこともないと言ったが…。
 メシアは、ふっと口元に笑みを浮かべた。
 …横暴で冷たいと思ったら、優しい面も見せるなど、やはりよく分からん性格だが…一緒にいると、わりと楽しいかもな…。
 そんなことを考た時、隣の部屋からソフィスタの声が響いてきた。
「メシアー。着替えは終わったから、お前も寝るならいつでも部屋に来なー」
 ぶっきらぼうな声だが、それを聞いたメシアは、小さく笑うと「ああ、分かった!」と、ソフィスタに聞こえるよう大きな声で返事をした。
 すると、「声を抑えろ。近所迷惑だ」と彼女に怒られてしまった。

 PM.10:30。メシア、就寝。


  (終)

あとがき


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