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ありのままのメシア 第三話


 魔法は万能であり、多種多様である。
 例えば、炎の魔法は暖を取り、氷の魔法は食べ物を冷凍保存することができる。肉体を強化させる魔法は、どんなに重い荷物でも少人数での持ち運びを可能にし、小さな音を遠くまで伝えることができれば、多くの人間に情報を伝達できる。
 しかし、人間も十人十色。誰もが生活に役立てるためだけに魔法を使っているわけではない。魔法を用いた悪事は、毎日どこかしらで行われている。
 魔法の研究開発、魔法使いの育成で有名な大学がある街、アーネスには、当然のように魔法使いが数多く存在しており、彼ら皆、善良な人間というわけではない。
 だが、治安は良かった。それも、アーネス自警隊のおかげである。
 アーネスの治安維持のため昔からある組織の一つで、他に消防隊と人命救助隊がある。この二つは、どちらも事故や火災が起こらなければ出動しないが、万事に備えて訓練を怠らない。
 一方、自警隊は、街の出入り口の監視や夜間の巡回など、朝から晩まで交代制で活動している。街の金融機関や、高級品を扱う店の警備員も自警隊から派遣されているため、仕事が多い。
 まれに、窃盗犯との交戦もある。特に相手が魔法を使える場合は、こちらも無傷では済まされず、装備が乏しかった頃は殉職者が多かった。
 辛く、危険な仕事ではあるが、宿舎付きで給料も高く、実力と功績が認められれば、アーネスを管轄する国の王宮護衛官に推薦されるという特典もある。
 そのハードルは当然高いが、王族を守護するという国家機関の一員として迎えられることは、この上ない名誉である。そのため自警隊員には、王宮護衛官を目指す者が多く、そんな隊員を指揮している隊長も、優秀で人望が厚い。
 立派な隊長、心身共に鍛えられた隊員。だが彼らも人間。少なくとも悪人はいないが、問題を起こすような人間は、当然のように存在する。
 まあ人間なのだから、多少の欠点はあっても仕方がないものかもしれないが、問題を起こされ、被害を受ける者にとっては、たまったものではないだろう。

 そして今回、そんな被害に遭う者こそ、アーネスが誇る天才少女ソフィスタと、彼女が抱える問題トカゲ、メシアなのであった。


   ・第一章 被疑者の救世主

 魔法生物の研究開発を行っていた頃は、けっこう充実した生活を送っていたと、ソフィスタは思っている。
 開発に成功し、彼女が通う魔法アカデミーから、研究に必要な資材や費用、さらに個室まで提供されれば、これで本来の目的である『神の存在と魔法の関係』という研究課題に没頭できると思った。
 しかし、わざわざ宗教家を訪ねても、聞き出せる話は胡散臭くて辻褄が合わない。
 神に選ばれた人間と自称する者と面会しても、全員ペテン師であることを片っ端から暴いてしまった。
 アーネスの私立魔法図書館で、神に関する文献を漁っても、研究を進める上での役には立たなかった。
 研究は進まない。新しい発見も無い。ついでに友達もいないので、面白いことも何も無い。
 友達がいるかいないかは別として、ソフィスタはそんな味気ない生活にウンザリしていた。
 そう。確かにウンザリしていたのだ。新しい発見を、生活に刺激を、研究しがいのある存在を、確かに求めていたのだ。
 だからと言って、出会ったその日から、ぶっ通しで問題を起こし続けるような男との同居生活を望んだ覚えは無い。
 なのに三日前、そんな男が突然ソフィスタの前に現れ、今も朝食を並べたテーブルを挟んで向かい側に座っている。
 ソフィスタに魔法生物を作り出す技術を捨てさせるため、神の命によりアーネスを訪れたという、トカゲと人間を足して二で割ったような外見の男、メシア。
 研究意欲を掻き立てるには、見た目だけでも十分だったが、さらに神の使者ときたものだから、ソフィスタは、つい彼を家に招いてしまった。
 そして、メシアを騙してアーネスに留まらせることに成功したが、次の日、さらにその次の日にも、彼は問題を起こし、ソフィスタを振り回した。
 …ったく、このトカゲは。人間が住む土地に来たばかりだからとは言え、常識知らずにも程があるんだよ。
 ソフィスタは、明らかに不機嫌な顔でメシアを睨みつけ、これまた不機嫌な仕草でサンドイッチにかぶりついた。
「ソ・ソフィスタ?何だ、私を睨みつけおって…」
 メシアは彼女の様子に気付くと、恐る恐る声をかけた。
「別に。それより、今日は学校へ行くけど、お前も付いてくる気か?」
 口の中を空にしてから、ソフィスタはメシアに尋ねた。メシアは頷き「当然である」と即答する。
 それを聞いて、ソフィスタは頭を抱えてため息をついた。彼女の両肩、それぞれの定位置に乗っているセタとルコスが、もそりと動く。
「言うと思ったよ…でも、その前にあたしの話をよく聞け」
 食事を続けながら、ソフィスタは深刻そうな面持ちで話し始める。
「昨晩、お前が何をしたのか、ちゃんと覚えているな?」
 その問いを聞いて、メシアは食事の手を止めた。気まずそうな顔でソフィスタを眺め、暫し間を置いてから答える。
「ああ、覚えている。…昨晩のことを怒っているのか?」
「当たり前だ。でもまあ、一番非があるのはアズバン先生だし、お前もあれで懲りただろ。二度とあんな余計なお世話を焼かないってんなら、いつまでも根に持ったりはしないよ。それより問題なのは、今後のことだ」
 ソフィスタは涼しげにそう言って、さらに「片づけが遅れるから、話を聞いている間は食事を続けろ」と付け足した。メシアは言われた通り、食事を再開する。
 昨晩メシアは、魔法アカデミーの教員アズバンに騙され、彼と一緒に合コンに参加した。
 メシアは、罪人であるソフィスタに命の尊さというものを教えるため、彼女に子供を産ませようと考えていた。それを聞いたアズバンは、メシアに乙女心を理解させるため、合コンに誘ったという。
 おそらくアズバンは、騙されやすくて単純なメシアを面白がって、合コンに誘ったのだろう。しかも合コン相手の女三人組がマッドな生物学者だったので、彼女たちを喜ばせることもできて一石二鳥と考えていたに違いない。
 こうしてまんまと騙されたメシアは、乙女心を学ぶために合コンに参加した。しかし、メシアの外見に興味津々の生物学者たちは、彼を麻酔で眠らせようと、注射器を取り出して襲いかかってきた。
 魔法を使えるわけでもない学者の女が、三人がかりでもメシアに敵うはずがなく、当然返り討ちにされたが、正当防衛であるその行為は、周囲の人間たちからは、暴力と見なされてしまった。
 筋骨隆々の大男で、明らかに人間とは違う外見のメシアを一方的に悪者と決めつけた人々は、彼の言い分も聞かずに飛びかかってきた。これ以上何を言っても無駄だと悟ったメシアは、店から逃げ出し、外で隠れていたところをソフィスタに保護された。
 こうして、その日の晩はソフィスタの家に戻ることができたメシアだが、おそらく人々の誤解は解けていまい。
 もしかしたら、目を覚ましたアズバンが、一部の人間に事情を説明してくれたかもしれないが、悪い行いというものは人々の間に広がりやすいので、彼一人では、たった一晩では対応しきれないはずだ。  例え、その悪い行いというものが、誤解であっても。 「昨晩、あんたを追いかけ回していた人間たちにとっては、危険な奴が街にいるという恐れが残っているはずだ。それは分かるな?」
 メシアは口の中にパンを頬張ったまま、ソフィスタの言葉に頷く。それを確認してから、ソフィスタは話を続けた。
「おそらく、あんたのことは自警隊にも通報されているだろうね。連中に見つかると、特に面倒だ」
「自警隊?」
「街の治安を守っている組織のことだよ。治安を乱す危険な奴を捕まえるのも、その組織の仕事だ。だから下手に外を出歩くと、捕まりかねない」
 ソフィスタが話している間に、メシアは自分の分の食事を取り終えた。ちゃんとごちそうさまを言ってから、食器を重ね始める。
「だから、私に外へ出るなと言っておるのか?」
 ボウルに盛ったサラダをつまみながら、ソフィスタはメシアの問いに小さく首を振った。
「いや、今日は一緒に出かけて貰わないと困る」
 ソフィスタの答えに、メシアは驚いた顔で彼女を見た。
 昨日の朝、監視のために一緒に外へ出ると言って聞かないメシアを、ソフィスタは実力行使で気絶させてまで家に残そうとしたからだ。もっとも、それは失敗に終わったが。
「あたしとあんたが一緒に歩いている所は、既に街の人間に目撃されているんだ。そのことを自警隊に通報されていたら、連中は家に押しかけてくるかもしれない。そんな時に、お前一人で留守番なんかしていたら、最悪家の中が荒らされかねないだろ」
 そう言って、皿の上に残っていたパンの切れ端を口に放り込んだところで、ソフィスタも食事を終えた。セタとルコスが、肩からテーブルの上へと移動し、体をうねらせて食器を片付け始める。
 ソフィスタの話を真剣に聞きながらも、メシアは布巾でテーブルの上を拭いていた。片づけをしているメシアたちを尻目に、ソフィスタは椅子に腰を掛けたまま、眼鏡を外し、手入れを始める。
 ソフィスタが料理と食事の支度をするのなら、残るメシアたちは片付けの役である。この役割分担は、暗黙の内に決まっていた。
「だから、これからあんたと一緒に自警隊の詰め所に行って、誤解を解くんだ。その前に、ちょっと学校にも顔を出すけど…それまで、目立った行動を取るんじゃねーぞ」
 眼鏡をかけ直すと、ソフィスタはメシアの姿を改めて眺めた。
 筋肉質で大柄な男は、人間であっても目立つが、メシアの場合、さらに肌が緑色なのだ。立っても座っても十分目立つ。
 彼が着ている戦士の装束も、古代的なデザインで露出度も高い。ちなみに、昨日アズバンから貰って着ていた服は、ソフィスタによってズタボロにされ、修復不能となってしまった。
 これだけ特徴のある者なら、自警隊に見つかれば、通報がなくても職務質問をされそうである。ソフィスタと出会う前に、よく捕まらずに済んだものだ。
「…いや、あんたに目立つなと言うほうが無理があったな。せめて、あの大きい布で肌を隠せ」
 部屋の隅にあるポールハンガーに、ソフィスタのマントと帽子、そしてメシアの巻衣が掛かっている。それを指さし、ソフィスタはメシアに言った。メシアは「分かった」と頷く。
「よし。それじゃ、まずは学校へ行くよ。支度しな」
 話がまとまった所で、ソフィスタは立ち上がると、マントと帽子を取りに向かった。
 その時、玄関のドアが強くノックされ、ソフィスタは帽子を取ろうと伸ばしていた手を止めた。
 …こんな朝早くに、誰だろう。
 ソフィスタは、流し台で布巾を洗っているメシアに「ここで待ってろ」と声を掛けてから、居間を出た。
 ドアをノックする音は鳴りやまず、ずっと続いている。
 …うるさいな。朝っぱらから近所迷惑だろーが!
 玄関まで来て、ドアの向こうにいるであろう者に、そう怒鳴りつけてやろうと思った矢先、その訪問者が先手を取って声を上げた。
「誰かいるなら開けろ!自警隊の者だ!!」
 聞き覚えのない男の声で発せられた、その言葉に、ソフィスタは顔を強張らせた。
 …自警隊!?まさか、メシアが家にいるってことを知って訪ねてきたのか?
 昨晩メシアが暴れてから今朝までの間で、もうソフィスタが彼と一緒にいたという情報が、自警隊に流れたのだろうか。家を訪ねてくることを予想はしてはいたが、こんなに早いとは思っていなかった。
「おい!いるのは分かっているんだ!開けろ!!その気になれば鍵を壊してでも開けられるんだぞ!!」
「はいはい、今開けますよ」
 昨日、メシアに鍵を壊され、直したばかりだというのに、また壊されては敵わない。ソフィスタは渋々鍵を開けた。
 すると、すかさず外側からノブを回され、勢いよくドアを開かれた。ソフィスタは、思わず一歩後ろに下がる。
 ドアの向こうから姿を現したのは、白い隊員服姿の青年だった。彼が早速玄関に踏みいると、腰に吊されているリング状の手錠が揺れ、鎖をぶつけ合って苛立った音を立てた。
「あんた、ソフィスタ・ベルエ・クレメストだな?」
 男は、今にもソフィスタに掴みかかる勢いで詰め寄った。しかしソフィスタは気圧されることなく、素知らぬふりをして答える。
「そうですけど…こんな朝早くから何の用ですか?」
 平然としたソフィスタの態度に、男は小さく舌打ちをすると、懐に手を突っ込み、取り出した隊員証を彼女に突きつけた。
「俺は自警隊の第三区隊員、ザハムだ。あんたに聞きたいことがある。時間を取らせてもらうぜ」
 隊員証には、確かに彼の名があった。他にも年齢や性別、所属暦等が記されていたが、興味が無いので読まなかったし、ザハムもすぐに隊員証を引っ込めてしまった。
 彼の言う第三区とは、魔法アカデミー周辺の地区のことである。
 この地区に配属されている自警隊員たちは、紫色の腕章を身に着けており、学校の警備に派遣された隊員も、紫色の腕章を身に着けることを義務づけられている。
 ちなみにソフィスタの家も、その地区内に入っている。
「何ですか?聞きたいことって」
 玄関先で立ち話をするつもりで、ソフィスタはザハムに尋ねた。居間にはメシアがいるので、奥に招き入れるわけにはいかない。
「昨晩、明らかに人間とは違う外見の男が、ここいらの地区の飲食店で、客を襲って逃げたとの通報が入った。これが、そいつの手配書だ」
 ザハムは、折りたたまれた紙を取り出し、広げてソフィスタに差し出した。それを受け取り、真っ先に目に入ったものに、ソフィスタは思わず吹き出しそうになった。
 手配書にはメシアの似顔絵が描かれていたのだが、一瞬、誰の顔だか分からなかった。
 長いストレートの髪や、エルフのように尖った耳はともかく、尖りすぎている牙や、明らかに骨格が違うゴツイ顔立ちなど、ひたすら本人に似ていなかった。しかも、描き忘れたのか、証言者が見間違えたのか、眉毛が描かれおらず、その代わりとばかりに顎が割れている。
 どうやら、彼の特徴を証言した人間は、メシアの顔をよく見ていなかったようだ。確かにメシアの体は大柄で筋肉質であるが、爬虫類のそれと似た肌の質や色を考慮しなければ、顔立ちは人間から見ても整っているほうだった。
 人間の顔の良し悪しでさえ気にしないソフィスタが、人間ではないメシアの顔の良し悪しなど、当然気にするわけがなかったが、この手配書の似顔絵を見た後では、流石に彼の本来の顔立ちを意識せずにはいられなかった。
 …いくら化け物だからって、あいつの顔はここまで酷くねーよ。こんな似顔絵じゃ、逆に分からなくなるんじゃないか?
 緑色の肌で直立二足歩行の生物など、少なくともソフィスタの知る限りでは、メシアしかいない。緑色の肌という特徴だけ押さえて手配書を回しても、メシアを捕まえることはできるはずだ。
 なのに何故、こんな余計な似顔絵など描いたのだろう。
 …昨晩から今朝までの間に、街の人間の証言を基に描いたんだろうけど…余計な努力で無駄に睡眠時間を削って、それで給料を貰うつもりか?あたしたちの税金から出ているんだぞ、その給料…。
 メシアの顔想像図と、自警隊の無駄な労力に、ソフィスタは笑ってしまいそうになる。
 同時に、自警隊の間抜けぶりに腹を立てたが、表情は至って平静を保つよう務めていた。
 しかし、次のザハムの言葉には、流石にポーカーフェイスを崩してしまった。
「その手配書の男だが、昨日の午前中に、半裸で近くの通りを歩いている姿が目撃されている。何でも、ヤツはあんたに子供を産ませるんだとか叫んでいたようだが…」
「ハァッ!?」
 ソフィスタは裏返った声を上げ、手配書からザハムへと視線を移した。そして、昨日メシアが腰にタオルを巻いただけの姿で街を歩いていたことを思い出す。
「わ・私に子供を産ませるって…叫んだ?半裸で?通りで…?」
「そうだ。だから、あんたならコイツのことを知っているんじゃないかと思って、話を聞きに来たんだ!」
 ザハムは偉そうに胸を張って言った。しかし、今にも手配書を破らんばかりに、震える手に力を込めているソフィスタの耳には、彼の言葉など届いていなかった。
 …あのクソトカゲが!あんなカッコで道ばたで子供を産ませるなんて叫ぶ奴がいるかーっ!!!
 今からでもメシアを殴り飛ばしに行きたい気分だったが、ザハムがいる手前、どうにか堪えた。
 一度、深く深呼吸をし、心を落ち着かせる。
「…で、どうなんだ?もしかしてあんた、コイツをかくまっているんじゃないだろうな」
 ザハムは、あからさまに疑わしそうな目で、ソフィスタの顔を覗き込んだ。
 …さて、どうしようかねえ…。
 自警隊の人間が家を訪ねてくることは、想定の内に入っていた。
 しかし、このザハムという隊員は、独断でソフィスタの家を訪れたと考えられる。
 犯罪者に関する情報を得たら、真っ先に隊長に連絡し、隊長の判断の上で、他の自警隊にも通達しなければいけない。
 かくまわれている可能性がある家で事情徴収や家宅捜査を行う場合も、やはり隊長に報告し、許可を得てから複数の隊員で調べに来るはずだ。
 おそらくザハムは、隊長や他の隊員たちにはにも何も伝えずに、メシアに関する情報を得るなり、この家に押しかけてきたのだろう。その可能性は高い。
 …ちゃんと隊長を通して家宅捜査に来たんだったら、事情を説明しようと思っていたけれど…。
 こんな先走りするような自警隊員に事情を説明して、果たして穏便に事を運ぶことができるだろうか。
 …どのみち、メシアについては自警隊に説明しに行くつもりだったし、この場で話をつけられるのなら、それに越したことはない。…上手くコイツを丸め込んでみるか。
 そう考え、ザハムに話を切り出そうとした、その矢先…。
「おぉいソフィスタ!食器の片付けも、外へ出る支度も終えたぞ!」
 響いてきたメシアの声に、ソフィスタは心の中で「アホ―――ッ!!」と叫びながら振り返った。ここからメシアの姿は見えないが、居間にいることは確かだ。
「あん?やっぱりあんたの他に誰かいるのか!」
 ザハムは、ソフィスタを邪魔とばかりに突き飛ばすと、声が聞こえたほうへと走った。
 突き飛ばされた衝撃でバランスを崩し、倒れそうになったが、何とか壁に寄りかかり、体を支えることができた。
「お・おい、ちょっと待て!勝手に人の家に上がるな!!」
 体勢を整えながら、ソフィスタはザハムを呼び止めようとするが、彼は全く聞いておらず、走るスピードに衰える気配が見られない。
 ソフィスタは、ずれた眼鏡を整え、小さく舌打ちをした。
 メシアと出会ってから、立て続けに起こる騒動。
 どうやら今日も、メシアが巻き起こす厄介ごとに巻き込まれたようだ。しかも、朝早くから。
 …ったく。昨日、一昨日、一昨々日に続いて…少しは休ませろよ…。
 まだ日が上っている時刻だというのに、精神的にも肉体的にも疲れた気分になったソフィスタは、深いため息をつき、がっくりと項垂れた。


 *

 紅玉があしらわれているアクセサリーは、食器を片付けている最中だけ外していた。
 食器を片付け終え、アクセサリーを身に着け直し、ポールハンガーにかけておいた巻衣を軽く羽織ると、その場からソフィスタを呼んだ。
 それからすぐ聞こえた足音に、メシアは反射的にそちらへ顔を向けた。
 足音がソフィスタのものではないことには、すぐに気が付いた。椅子に乗っているセタとルコスも、異変に気付いたのだろうか。二匹は警戒するかのように、身を固くしている。
「ソフィスタ!?」
 居間で待っていろと言われたが、彼女の安否が気になったメシアは、すぐさま走り出そうとした。しかし、先に足音の主が居間に飛び込んできたので、メシアは体の向きを変えただけに終わった。
「うぅわっ!本当に緑色だ!気持ち悪ィー!!」
 足音の主である男は、メシアの姿を見るなり、立ち止まって叫んだ。
 人間とは姿形や美的感覚が違うのだから、気持ち悪いと言われても仕方がないと考えているメシアだが、こうも嫌悪の念をあからさまにした態度を取られると、さすがにムッとする。
 文句を言ってやろうとしたが、男はメシアに喋る暇を与えず、鍔が十手型の警棒をベルトから引き抜いた。
 引き抜かれた時点では、バトンがグリップに収納されていたので、変わった棒にしか見えないそれに、メシアは一瞬戸惑ったが、男がグリップを強く握りしめるとバトンが勢いよく飛び出したので、武器であることに気付き、素速く身構えた。
「観念しやがれ化け物!!」
 男は床を蹴り、メシアに突進した。メシアは身構えたまま動かず、男を捕らえようと僅かに体を伸ばしたセタとルコスを視線で制した。
 動いたのは、男が武器を振り下ろした瞬間だった。
 メシアは、臆することなく一歩前に踏み出し、男が振り下ろした左腕を、右手で持ち上げるようにして捕らえた。警棒は、メシアの頭より高い位置で止まる。
「へえ。俺の一打をびびらずに防ぐたぁ、やるじゃねぇか!」
 男は面白がるように笑みを浮かべると、メシアの腕を振り払って後ろに跳んだ。メシアは、その場で体勢を整える。
「貴様、何者だ!ソフィスタはどうした!!」
 メシアがそう怒鳴ると、男は瞳を大きく見開き、明らかに驚いた顔をする。
「あん?お前、一緒前に喋れるのか。まっ、そんなこたどうでもいいけどな」
 男はメシアの問いに答えず、警棒の先端をメシアに向けると、得意げに名乗り上げた。
「おいトカゲ!俺様は自警隊員のザハム!神妙にお縄を頂戴しろぃ!!」
 …自警隊?
 メシアは、朝食時にソフィスタから聞いた話を思い出した。
 街の治安を守っている組織。メシアを危険な存在として、捕まえようとしているかもしれない連中。
 このザハムという男も、メシアを街に危害を及ぼす存在と考え、捕らえにきたのだろうか。
「待て!まだ答えを聞いておらんぞ!ソフィスタはどうしたのだ!!それに…縄など貰ってどうしろと…」
「やかましい!!いいから黙って俺と戦えぇぇぇっ!!!」
 問答無用で再び警棒を振り上げ、ザハムはメシアに飛びかかった。
 …こやつ、私の話をまともに聞く気が全く無いのか!!
 ザハムは一方的に熱くなって、メシアに攻撃を繰り出さんとしている。
 自警隊とやらの一員として、彼なりに職務を全うしているのかもしれないが、だからと言って、素直に叩きのめされる筋合いは無い。
 …仕方ない。少々荒くなるが、奴の動きを封じ、無理にでも話を聞かせてくれる!
 メシアはザハムの攻撃に身構え、こちらが動くタイミングを計る。
 しかし、ザハムはメシアの間合いに入る直前、突如、足をもつれさせた。警棒が手からこぼれ落ち、前のめりに倒そうになるザハムに、メシアは驚かされつつも、その体を支えようと腕を伸ばした。
 だが、ザハムはメシアの腕に倒れ込むより早く、後ろに立っていたソフィスタに服を掴まれる。
「ったく…忍耐ってモノを知らないのかコイツは…」
 ため息混じりに呟きながら、ソフィスタはザハムを床に横たわらせた。その際、腰を屈めたソフィスタの両肩に、セタとルコスが飛び乗る。
「ソフィスタ…この者に何をしたのだ?」
 メシアはその場に立ちつくしたまま、ザハムとソフィスタを見下ろす。
「魔法で気絶させただけだ。暴れられて、家の中を荒らされちゃかなわないからな」
 そう言って背筋を伸ばし、ソフィスタもメシアと一緒にザハムを見下ろす。呼吸はしているが、閉ざされた目蓋に開く気配は見られない。
「ソフィスタ。この者は、自警隊員のザハムと名乗っておったが…お前が話していた通り、私がこの家にいることを知って訪ねてきた者か?」
 メシアが問うと、ソフィスタは頷き答える。
「そうだよ。コイツは単独で動いているようだけど。…あんた、既に指名手配にされているみたいだよ」
「指名…手配?」
「犯罪者の名前や特徴を公にして、見つけたら捕まえるなり知らせるなりしてくれって、自警隊以外の人間にも協力を求めることだ。ホラ、これがあんたの名前や特徴を公にするために作られた、手配書だ。字は読めなくても、似顔絵なら見て分かるだろ?」
 ソフィスタは、ニヤニヤと嫌な笑みを見せながら、握っていた紙をメシアに差し出した。彼女の様子を不審に思いつつも、メシアは紙を受け取る。
 そして、折りたたまれていたその紙を開き、描かれていた自分の似顔絵が目の前に現れた瞬間、メシアは思わず肩を震わせ、「うおぉっ!?」と裏返った声を上げて驚いた。その反応が面白かったのか、ソフィスタは小さく吹き出した。
「お前を見たヤツの証言を基に描いたんだろうけど…お前が化け物だから、顔まで化け物だと思われているみたいだな。どうだ?この絵の顔、かなり笑えるだろ」
「化け物と言うな!…し・しかし、これが私の顔?想像とは言え、どこをどう見れば、このような顔立ちになるのだ…全く違うではないか」
 メシアは自分の似顔絵を凝視し、そう呟く。
「バカっぽく見える所なんか、そっくりだと思うけどな」
 すると、ソフィスタがそんな失礼なことを言ってきたので、メシアは「何故口を開くたびに皮肉ばかり言うのだ!!」と文句を言ったが、「それより、この自警隊員をどうするかだ」とスルーされてしまった。


   (続く)


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