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ありのままのメシア 第四話


   ・第一章 アーネスの冷血少女

 自警隊との悶着が落着した、その日の晩、ソフィスタは自室のベッドに腰掛け、スケジュール帳をパラパラとめくっていた。
 シンプルだが清潔感のあるパジャマに着替え、毛先が少し膨らんだ金髪を肩に垂らし、静かにスケジュール帳を眺めている様は、昼間の堅苦しくて飄々とした雰囲気から一変し、まるでお嬢様のように清楚でしとやかだった。
 今は眼鏡をかけているが、風呂上がりで眼鏡を外していた時は、彼女の顔の各パーツが絶妙な位置に配置され、非常に端正であることがよく分かった。少女らしいあどけなさが残る碧眼も、陶器のように滑らかで白い肌に映えている。
 雰囲気や顔立ちだけではない。普段はスカーフや紺色のマントで隠されているが、この年頃の女性の割には胸が豊かで、腰のくびれと尻の肉付きのバランスも良く、足もスラリと長い。スケジュール帳のページをめくる指も細長く、どこかしっとりとした色気があった。
 女性の理想を絵に描いたようなプロポーションと、整った顔立ち。飾りを必要としない、むしろ飾りなど邪魔になるほどの、女性の魅力的な輝きが、彼女にはあった。
 床に敷いたシーツを整えながら、ソフィスタの姿を眺めているメシアも、その美しさに感嘆のため息をもらした。
 ソフィスタの家に住み込むようになった日から、メシアはソフィスタを監視するためと言って、彼女と同じ部屋で就寝していた。当然、ソフィスタはベッドで、メシアは床でと別々に眠っているが。
 一日目は嫌がっていたソフィスタも、特にいびきがうるさいわけでもなく、ソフィスタに変なちょっかいを出すことも全くないメシアを信用したようで、二日目からは当然のように同じ部屋で眠るようになっていた。
 ちなみにセタとルコスも同じ部屋で、床に敷かれたマットの上を寝床としている。
 …これだけ贅沢な容姿を持ち合わせているのだから、普段も女性らしく振る舞えば、さぞ男も寄ってくるであろうに…。
 メシアは他人の趣味をとやかく言う性格ではないが、全く気にしていないわけではない。
 己を着飾り、美しく見せようとすることは、女の本能である。しかしソフィスタは、持ち前の美しい容貌を隠し、異性も同性も寄せ付けようとしない。
 人との関わり合いを面倒臭がる傾向があるので、あえて近寄りがたい雰囲気を漂わせているのだろうか。
 …それにしても、この容姿から、あの横暴で口の悪い性格など、とても想像できんな…。
 あの冷血なソフィスタが、今目の前にいるソフィスタと同一人物なのか信じられなくなってきたが、ふいに彼女がスケジュール帳のページをめくる手を止め、「ゲッ」とでも言いたげに顔を歪ませたので、やっぱりソフィスタだとメシアは考え直した。
「どうかしたのか?」
 メシアが声をかけると、ソフィスタは肩を竦めてスケジュール帳を閉じ、枕元に置いた。
「明日は魔法力測定テストと実技テストがある…って言っても、あんたには分からないか」
「…分からん」
「持ち前の魔法力がどれほどのものかを測定し、魔法使いとしての実力を評価する…って言って、分かるか?」
 メシアは、しばし考えた後、「なんとなくだが分かる」と答えた。
「訓練を受けた者が、それをどれだけ身に着けているかを計るのであろう?」
「そう。それを明日やるってことだ。…面倒臭い…」
 ソフィスタは上半身を倒し、投げ出していた両足もベッドの上に乗せて、仰向けになって寝転がった。
「ふむ…それでソフィスタは、評価が高い方なのか?…そもそも、魔法力というもの自体、私にはピンとこないのだが…」
 メシアの言葉を聞いて、ソフィスタは体を横に転がし、彼と向かい合わせた。
「まあ、魔法力には実体がないからね。その上、当たり前のように人に備わっている力だから、ピンとこないのも無理ないよ。魔法が使えれば、魔法力を意識できるだろうけど…」
 ソフィスタはメシアに向けて腕を伸ばし、指を適当に動かしてみせる。
「例えば、こうやって指先を動かす、一見簡単な動作にも、確かに筋力を使っている。分かるか?」
 ソフィスタの指の動きに注目しつつも、メシアは頷いた。
「たかが指を動かす動作に筋力を使っているなんて、いちいち実感しないだろ。そして今、指が動いたのは、筋肉を働かせようとする意志があったから。つまり、筋力の前に、物事を考え判断し、実行しようとする意識が働いたからだ」
 ソフィスタが、動かしていた指を自分の額へと導くと、メシアの視線もそれを追う。
「そういった、生物に備わっている様々な力の一つとして、魔法力があるんだよ」
「では、私にも魔法力が備わっているというのか?」
「…さあ、どうだろうね」
 ソフィスタは上半身だけ起こして、メシアに手招きをした。メシアはソフィスタに近付き、何の用かと彼女を見つめる。
 ベッドの上から女性が男性に手招きをするという、えらく大人の雰囲気漂うシチェーションであるが、メシアは全く気にしていないし、ソフィスタもその気で手招きをしたわけではなかった。
「あたしが見た限りじゃ、あんたには大した魔法力は無いみたいだね。この紅玉とやらの力を使っていた時も、魔法力の流れを全く感じなかったしな…」
 メシアの太い左腕を持ち上げ、ソフィスタはそう言った。
「そんなことまで分かるのか?」
「ああ。魔法を使える奴には、魔法力を感知する力が自然と備わるものなんだ」
「では、私には魔法を使うことができないのか?」
「少なくとも、今は無理だよ。これから魔法力を鍛えたところで、向上するかどうかは才能と努力次第だ。どんなに努力しても魔法力が向上しない人間もいるからね。そういった個人差もあるんだよ」
 そう言って、ソフィスタはメシアの腕から手を離し、再びベッドの上に体を横たわらせた。
「さて…もうおしゃべりは終わりだ。あたしは寝る」
 ソフィスタは眼鏡を外し、レンズを拭いてからケースに収めると、魔法によって灯りを点しているスタンドから伸びている紐を掴んだ。
 メシアはシーツが敷かれている場所に戻り、折りたたまれていた毛布を広げる。そしてシーツの上で体を横にし、毛布を被ろうとしたところで、ソフィスタが紐を引き、灯りを消した。
「お休み。ソフィスタ」
 毛布を肩まで掛けてくるまり、メシアはソフィスタに言った。
「…お休み」
 間を置いて返されたソフィスタの言葉は、そっけないものだったが、いつものことなので特に気にすることなく、メシアは目を閉じた。


 *

 直球に故郷や種族の話を聞こうとすると、メシアは話したがらない。
 しかし、何気ない会話や動作、メシアの衣類などから、彼が住んでいる場所がどのような所か推測することができる。
 余計な会話を嫌うソフィスタが、メシアの話に付き合うのも、そのためだった。昨晩の会話だけでも、メシアが魔法について何も知らないふうに話していたことから、彼の故郷では魔法が使われていないということが分かった。
 人間が調べた限りでは、この世界は魔法力で満ち、どんな辺境に住まう部族にも必ず魔法を使える者がいた。メシアの故郷のように、魔法が全く使われていないという例は珍しく、貴重な情報かもしれない。
 …人間とは異なる独自の文化を持ち、人間と関わらずに暮らしており、人間もメシアの種族を発見できていない。だが逆を言えば、人間が足を踏み入れたことのない土地に住んでいるということになる。
 言葉を解する以上、必ず過去に人間との接点があるはずだが、それについては後で解明するとして、まずはメシアが住む場所を特定してみようと、ソフィスタは考えた。
 …一昨日、メシアを風呂に入れようとした時、温かい湯の中に入って火傷はしまいかと聞いてきた。おそらく、湯に浸かったことがなかったんだろう。ということは、メシアが住んでいる土地は、常に温かい気候なのかもしれない。
 アーネス魔法アカデミーの資料棟にある地理室で、壁に貼り付けられている世界地図の前に立ち、ソフィスタは思考を巡らせる。
 …あの露出度の高い装束からして、温かい地域に住んでいることは間違いない。だいたい爬虫類が寒い地域に住めるか。
 ソフィスタは世界地図の中央に人指し指を押し当てた。世界地図には、ソフィスタが指を押し当てた中央を囲むように、幾つかの大陸や島が描かれている。
 特に際だっているのは、世界地図の左右それぞれにある大陸である。地図上東の大陸は『グレシアナ』、西の大陸は『トルシエラ』と名付けられている。
 …海も山も越えた、離れた所から来たって言っていたな。仮に、アーネスがあるグレシアナ大陸でないとすると、調査が行き届いていない島か、まだ発見されていない島か…。
 考えながら指で地図をなぞり、グレシアナ大陸周辺で、調査の行き届いていないであろう島を一通り繋ぎ終えると、一度指を地図から離す。
 …そして、仮にトルシエラ大陸にメシアの故郷があるとしたら…温かい気候で、調査が進んでいない場所と言えば、まずココだな。
 次にソフィスタが人指し指を押し当てたのは、トルシエラ大陸の南側にある、空白のスペースだった。
 …大陸南部にある、岩山に囲まれた砂漠地帯。一国の領域ではあるけど、調査は全く進んでいない場所。別名、『魔渇の砂漠』…。
 聞いた話では、今までに調査に送り込まれて戻って来られた者は、指で数えても余る程しかおらず、戻って来られたとしても命からがらで、調査どころではなく生きて戻るだけで精一杯だったという。
 ただ砂漠が過酷だからではない。魔法で空を飛ぶ船に調査隊を乗せ、空から調べようとしても、砂漠の上空に差し掛かるなり魔法の効果が消え、墜落してしまったのだ。
 理由は分からないが、あの砂漠には魔法力を消し去る、何らかの力が働いているようだ。ソフィスタも、この怪奇現象に興味を持ち、魔法アカデミーにある資料や文献は既に調べ尽くしていた。
 …でも、そんな砂漠で生物が生活できるわけないし、メシアの故郷がここにあるという可能性は低いかな。
 魔法力は、生物にとって体力と同じような要素なのだ。
 使えば消耗するし、休めば回復する。そして使えば使うほど、鍛えることもできる。だが、全く無くなるということはありえないはずだ。
 何度か魔法アカデミーで、動物を使って魔法力を全て奪う実験が行われたそうだが、ある程度削ることはできても、完全に奪うことはできなかった。その死骸ですら、僅かながら魔法力を残していたのだ。
 …もしかしたら、あの砂漠なら、生物の魔法力を完全に消し去ることができるかもしれない…。
 そこまで考えたところで、ソフィスタは首を横に振り、今はメシアの故郷の場所を特定するのだと、心の中で自分に言い聞かせた。
「メシア。ちょっとこっちおいでよ」
 ソフィスタは地図から指を離して振り返り、メシアを呼んだ。
「何だ?」
 ソフィスタが調べものをしている間、室内にある様々な資料を珍しそうに見て回っていたメシアは、ソフィスタに呼ばれるとすぐ返事をし、彼女のもとへと向かった。
「あんたは世界地図を見たことある?コレがそうなんだけどさ」
「世界地図?そのような地図は見たことがないが…世界の地図なのか?」
「そういうこと。これが海で、この部分は陸。この細い線は川。世界の陸や海は、こういう形に配置されているんだ。知ってた?」
「いや、知らなかった…本当に、このような形をしておるのか?」
 メシアはソフィスタより二歩後ろの位置に立ち、そこから世界地図を見て、目を丸くする。
 …でも、地図ってものがどういうものなのかは知っているんだな。
 メシアが地図を知らなかったら、地図について説明するのに時間を食われる所だったので、その手間が省けたことに、ソフィスタは安心する。
「ちなみにねぇ…こっちの大陸を、あたしたちはグレシアナ大陸って呼んでいるんだ。んで、こっちはトルシエラ大陸。アーネスはグレシアナ大陸のココにある。それと、一応教えておくけど、地図上の東西南北は、基本的に上が北、下が南になっている」
 それだけ説明して、ソフィスタは一歩後ろに下がり、メシアに地図を見るよう、さり気なく促した。メシアは勝手に前に出て、地図を食い入るように眺め始める。
 メシアの後ろで、ソフィスタは密かに笑みを浮かべた。
 地図を見せると、大抵の者はまず、自分の住んでいる場所を探したくなるものである。
 世界地図を見たことがないメシアが、どうやってアーネスに辿り着くことができたかは分からないが、方角くらいは意識して旅をしていただろう。大まかな地形と方角、そしてアーネスの場所を教えれば、メシアは地図上にあるはずの故郷を探し当てようとするはずだ。そう、ソフィスタは考えた。
 メシアは、ソフィスタに教えられたアーネスの場所に人指し指を置き、北西の方角へとなぞっていく。
 その先に、メシアの故郷があるのだろう。指先は、そのまま地図上の海を越えていくとソフィスタは思っていたが、海に出る直前でメシアの指は動きを止めた。
「ソフィスタ。ラゼアンという町は、この辺りであろうか」
 メシアはソフィスタを振り返り、そう尋ねた。
「ん?ああ。その辺に枠があって、中にラゼアンって書いてあれば、そこがラゼアンだ…って、あんたは字が読めないんだっけ」
 ソフィスタもメシアの隣に並び、一緒に地図を覗き込む。
 ラゼアンとは、グレシアナ大陸の西側の海に面している、小さな港町である。一度だけだが、ソフィスタも立ち寄ったことのある町だ。
 アーネスのような華やかさはないが、のどかで平和な雰囲気に満ちた町だと、ソフィスタは記憶している。
「ここの文字…ラゼアンって読むんだが…何で知ってるの?アーネスに来る途中に寄ったのか?」
「うむ。この町には、私がとても世話になった人間が住んでいるのだ」
「お前の世話を?何でまた…」
 そう言って、メシアへと顔を向けると、彼は優しい微笑みを浮かべて地図を見つめていた。
「グレシアナ大陸…だったな。この大陸へは、人間の船に潜り込んで海を渡って来たのだが…途中で見つかってしまい、海に落ちてしまったのだ。その後、グレシアナ大陸に流れ着き、浜で倒れていた私を、その人間が助けてくれたのだ」
「助けた?そりゃ物好きな人間だな」
 子供が見ると泣き出しそうな外見のメシアを助けるなど、人間不信のソフィスタには信じられなかった。助けるとしても、ソフィスタのように研究のためであったり、見せ物にするためとしか考えられない。
「失礼なことを言うな。…彼女は、人間とは違う種族の私に対しても、何の偏見も持たず接してくれた、とても優しい心の持ち主であった。今も、元気にしているだろうか…」
 どうやら、メシアが言う「世話になった人間」は、女性らしい。女であれば、なおさらメシアの姿を怖がるのではないかと、ソフィスタは思う。一昨日の合コンでメシアを捕まえようとした女性たちのように、マッドな性格だったのだろうか。
 だが、よほどその「世話になった人間」に良くしてもらったのだろうか、彼女を思い出し語るメシアの瞳は、いつになく優しく、嬉しそうで、どことなく潤んでいるような気がする。
「…メシア、その人間の女って…」
 メシアの様子に、何かひっかかったソフィスタは、その女性について彼に尋ねようとしたが、地理室の出入り口の引き戸が開かれる音がしたので、それに気を取られてしまい、最後まで言い切れなかった。
「あらソフィスタさん、お早う。朝から地理室でおデェトかしらぁ」
 ソフィスタと同年じ年頃の少女が四人、嫌みっぽく笑いながら地理室の中に入ってきた。
 ソフィスタとメシアは、揃って彼女らを振り返り、メシアは小声でソフィスタに「誰だ?」と問う。
「知らん。面識のない生徒だ」
 特に小声でもなく面倒臭そうに答え、ソフィスタは地図へと向き直る。
「あっそ。やぁねえ、有名人は。態度がでかくて」
 女生徒たちは、ソフィスタとメシアを囲むように立ち並んだ。彼女らが浮かべている、見下すような笑みは、良い気分がしない。
「ねえねえ、そいつが噂のトカゲ人間?あんたが連れ回しているって奴でしょ。あんたたち、すっかり有名になってるわよ」
「気持ち悪〜い。よくそんなの連れて歩けるね〜」
「肩に乗っけてるスライムと言い、ソフィスタさんってゲテモノ好きね」
 明らかにソフィスタとメシアをバカにしている女生徒たちの態度に、メシアは眉間にしわを寄せた。その様子が怖かったのか、女生徒らは一歩後ろに退く。
「う…何よ、このトカゲも態度が悪いわね。ソフィスタそっくり!」
「何を言うか!態度が悪いのは…」
「メシア、やめな」
 ソフィスタはメシアや女生徒たちを振り返りもせず、静かに口を開いた。
「ソフィスタ!この者たちは、私たちを馬鹿にしておるのだぞ!」
 あからさまに悪意ある中傷をされているにも関わらず冷静なソフィスタに、メシアは心外だとばかりに言った。
「自分の頭の悪さを露呈するガキ臭い中傷なんざ、いくら聞いても痛かねーよ。そんな精神年齢幼児以下並の連中を相手にしてどうする」
 あくまでも強気で涼しげなソフィスタの発言に、女生徒たちは口元をひきつらせる。
「それより、そろそろテストが始まる時間だ。行くぞ」
 そんな女生徒たちを全く無視し、ソフィスタは壁にかかっている時計を見遣り、時間を確認すると、地理室を出ようと歩き出す。
「ち・ちょっと待ちなさいよ!人にそれだけ悪口言っておいて、どこ行くつもり!?」
 しかし女生徒らに行く手を塞がれ、立ち止まる。
 彼女らは、怒りに満ちた顔でソフィスタを睨んでいるが、ソフィスタは動じない。先に悪口を言ってきたにも関わらず、ソフィスタの態度を責めたことについても、特に何か言おうとはしなかった。
「そう言う貴様らこそ、私とソフィスタに悪口を叩いておったではないか!確かにソフィスタも口が悪かったが、その前に己をかえりみようとする気は起こらんのか!!」
 代わりにメシアが、拳を突き上げて女生徒らを叱りつけた。
 体が大きく筋肉質なメシアの迫力は、少女と呼べる年頃の女生徒たちを脅すには十分以上だった。
 だが、それ以上に女生徒たちが恐れおののいたのは、ソフィスタであった。
「余計なこと言ってんじゃねーよクソトカゲ!」
 ソフィスタがメシアの後頭部を拳で殴りつけた。ゴッと鈍い音が響き、メシアは前につんのめる。
「がっ…い・痛いではないかソフィスタ!」
 メシアは頭をさすりながら文句を言うが、ソフィスタはそれを無視し、行く手を阻んでいた女生徒に「邪魔。どけ」と面倒臭そうに言い放った。
 反射的に道を開けた女生徒の脇を通り過ぎ、ソフィスタは地理室の出入り口へと向かって歩く。
「おい、ソフィスタ!待て!」
 メシアも女生徒が開けた道を通って、ソフィスタの後を追った。
 涼しげな足音を響かせて地理室を出て行くソフィスタを、女生徒たちは怨めしそうな目で見送っていたが、メシアが地理室を出る直前に、一度振り返ったので、彼女らは慌てて顔を背けた。


 *

「…ソフィスタ。なぜお前は、同じ年頃の者と仲良くしようとせんのだ」
 地理室を出てしばらくして、メシアはソフィスタに尋ねた。
 メシアの前を歩くソフィスタは、答えようともしなければ、振り返りもしない。ただ黙々と廊下を歩き続けている。
「ミーリウの時にしてもそうだったではないか。先程の少女らの場合、先に嫌みを言ってきたのは彼女たちのほうであったが、だからと言って、あそこまで言い返すことはないだろう。互いに罵り合うだけでは、いつまでたっても仲良くできんぞ」
「馬鹿なこと言ってんじゃねーよ。あんな連中と仲良くするなんざ、こっちから願い下げだ」
 やっと口を開いたソフィスタだが、口調からして、機嫌が悪そうだ。
「だが、悪口を言ってきたわけではない者に対しても、突き放すような態度を取っているではないか。同じ年頃の者ではなくてもそうだ」
 ソフィスタと共に行動するようになってから、メシアはよくソフィスタを観察していたが、彼女が常に人を突き放すような態度を取っていることには、すぐに気付いた。
 昨日、自警隊の人間たちに、当時の騒動の事情を説明していた時、ソフィスタは必要なことだけ淡々と話し、必要以上に話をしようとはしなかった。
 関係のないことを執拗に問われれば、「そんなどうでもいいことに答えなければいけない義務はありませんし、あなたたちに追求する権限もありません」などと言って、自警隊員を黙らせた。
 感情を全く表さない言葉や仕草は、彼女の心に壁を感じる。面倒臭そうな目で人を見、時には無視するので、相手は不快を覚える。
 メシアが親しくなったアズバンに対してさえ、明るく会話をすることもかった。
「それに、お前が誰かと親しそうに会話をしているところも見たことがないが…もっと心を開いて話ができるような友達はいないのか?悩みの相談ができるような相手は?」
「そんな奴いねーよ、いてもうっとうしいだけだ。悩み事だって、結局は自分のことなんだから、相談相手も必要ないね」
「そんなに自分を孤独にして、寂しくはないのか?誰かと笑い合うことが楽しいとは思わんのか?そんなはずはないだろう」
 それを聞いたソフィスタが立ち止まると、メシアも少し遅れて立ち止まる。
 ソフィスタは、少し間を置いてから振り返った。
「あたしは好きこのんで一人でいるんだ。だから寂くなんかないよ。楽しいと思うことにしたって、何も誰かと笑い合うことに限らないだろ。一人で自由に研究や実験をしているほうが、ずっと楽しいね」
 ソフィスタは、馬鹿馬鹿しい質問だとばかりに肩を竦めて答え、さっさと前を向き直ってしまう。
「しかし私に対しては、突き放すような態度を取らないではないか。私のことは、うっとうしいとは思わんのか?」
「他の奴ら以上にうっとうしい」
 そう即答され、メシアは顔を引きつらせた。
「…ならば、なおさら私を突き放す態度を取っているはずであろう。同じ種族である人間より、私に対しての方が心を開いているような気がするのだが…」
「開いていない」
 また即答された。
 さらに、「強いて言うなら、お前が頭が悪いからだな」と付け足され、メシアは思わず「んなっ…」と変な声を漏らした。
「人間の常識からは外れているし、人間にとっては未知の力を持っているけど、性格的には単純で分かりやすくて扱いやすいから、ある意味信用できるんだよ。疑う気すら沸かないほどの馬鹿だってことだ」
 ソフィスタはメシアに好き放題言い、最後にちらりと後ろを振り返ると、いかにも馬鹿にしているような目でメシアを見て、鼻で笑った。
 メシアは、思いっきり怨めしそうにソフィスタの背中を睨みつける。
「貴様な…そういう態度と口の悪さが友達を減らすのだぞ!!」
「だから友達なんていらねーっつってんだろ。もうその話は終わりだ。聞く気も答える気もねーからな」
「まだ話は終わっておらん!」
「うるさい。静かにしろ」
 メシアは、まだ言い足りず、しばらく粘ってわめき続けていたが、何を言ってもソフィスタに無視され、周囲の人間の視線も気になり始めたので、大きなため息を一つついた後、ようやく静かになった。


  (続く)


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