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ありのままのメシア 第四話


   ・第三章 罠

 第五実験室は、第四実験室と、ほぼ同じ造りだった。
 分厚い壁とガラスに囲まれた広い部屋で、床に直径十メートルほどの円が描かれ、その線上には奇妙な模様が彫り刻まれた柱が六本、距離を均等に保った位置に立ち並んでいる。第四実験室との違いは、この柱と床の模様だけのようだ。
「あの柱には魔法が込められていて、柱の内側…つまり円の内側では、魔法を使っても人の体や物が被害を受けることはないのよ。この実験室の壁は、外側はただの石と同じ質だけど、内側は魔法を通さない仕掛けが施してあるの。すごいでしょ〜ぉ」
 ガラス越しの狭い部屋では、エメがメシアに第五実験室について説明をしていた。
 エメもソフィスタと同じく、見たこともない種族のメシアに興味津々のようだ。ソフィスタから預かった鞄、そしてセタとルコスを抱えて部屋に入ってきたメシアに、早速話しかけてきた。
 校舎内で追いかけ回されたり、生徒や教師を気絶させたり、第五実験室の壁とガラスを素手で叩き壊したりと、学校ではまだ暴れん坊のイメージがあるメシアだが、理不尽に人間を傷つけることはしないし、性格もわりと大人びている。偉そうな口調ではあるが、肌の色や質を気にしなければ、たくましくて顔立ちも悪くなく、堂々とした雰囲気のある彼には、この口調が返って似合う。
 そんなメシアを、エメは気に入ったようだ。
「メシアちゃんったら、第四実験室のガラスと壁を壊したんですってね。事情はだいたいソフィスタさんから聞いたけど、ダメじゃないの。でもすごいわね〜どういう筋肉してるのかしらぁ〜」
 エメは、おばちゃん丸出しで喋り続け、会話を始めてから五分と経たぬ間に「ちゃん」付けでメシアを呼び始めた。
 …他の街では、人間と話すことはおろか、この外見故、顔を合わすこともできなかったというのに…。
 問題さえ起こさなければ、この街の人間たちは、珍しい生物程度にしかメシアを捉えていないようだ。
 というのも、この街が昔から学問の街であったからである。
 余所の街では化け物だの悪魔だの扱われる種族も、現実的で探求心旺盛の学者が多いアーネスでは、むしろ歓迎されていた。そのため、他の人々も異種族に慣れ、今ではどこの国よりも異種族に対する理解が深い街となっていた。
 と言っても、住める環境も文化も違う異種族が人間の住む土地に訪れることは、アーネスであっても少ないが。
 そのことをメシアが知る由も無いが、ともあれ、裁きを下すべき人間であるソフィスタが、異種族にとって比較的安全な街に住んでいてくれて良かったと思う。
「エメ先生〜、いつまで話しているんですか。後がつかえているんですから、早くテストを始めましょうよ」
 メシアとエメの他に、男性教師が一人、この部屋にいた。彼は、ガラスの向こうの部屋にいる生徒たちを指し示しながら、呆れ顔でエメに声をかける。
「アラ、ごめんなさい。つい話し込んじゃってたわ。ほら、メシアちゃんも実技テストの様子を見学していなさい」
 エメはメシアの巻衣を掴んで引き、メシアをガラス窓の前まで誘導した。
 窓の手前には机が設えられ、その脇に何かを操作する機械のようなものが取り付けられているが、もちろんメシアには、何に使うものか分からなかった。
「それでは、実技テストを行います。準備はよろしいですね」
 エメはマイクに向かって、そう言った。そういえば第四実験室でも、これと同じ棒状の何かに向かってミーリウが喋っていたなと、メシアは思い出す。
 …この棒に向かって発した言葉が、やけに大きな声となって、私がいた広い部屋に伝わってきたが…この棒は声を大きくする魔法の道具なのだろうか。
 マイクの機能に勘付きつつも、メシアはガラス窓の向こうの部屋を覗き込んだ。
 円の内側に生徒が四人、適当に距離を取って立っている。その内の一人はソフィスタで、他の三人は、廊下で並んでいる時にソフィスタに嫌みを言ってきた、あの女生徒だった。
 …ソフィスタは、あの者たちと一緒に実技テストとやらを行うのか…。
 実技テストでは、実際に魔法を使って各々の能力を測るとソフィスタから聞いたが、それ以上の詳しいことは分からない。
 柱の内側にいれば、魔法によって怪我をすることもないとエメは言っていたし、既にテストを終えた生徒が、何事もなかったように実験室から出てきた所を見たので、テストの内容に危険はないだろう。
 …ただ、またソフィスタたちがケンカを始めなければよいのだが…。
 そんな不安を抱く代わりに、メシアは抱えていた荷物を、セタとルコスごと一緒に床に下ろす。しかしセタとルコスは、メシアの腕を這い上がって、彼の肩へと移動してきた。
 肩が僅かに重くなるも、いつもソフィスタが肩に乗せていられる二匹を、ソフィスタより力持ちのメシアが重荷と感じるはずがなく、邪魔だとも思わなかったので、そのまま肩に乗せておくことにする。
 そして、魔法を使おうと集中力を高めているソフィスタたちを、メシアはセタとルコスと一緒に、ガラス越しに見守った。


 *

 実技テストは、列の先頭から四人ずつ行われていた。そのためソフィスタは、後ろに並んでいた女生徒三人と一緒にテストを行うことになってしまった。
 テストの際、余計な荷物や生物を実験室に持ち込んではいけないので、ソフィスタは鞄とマント、そしてセタとルコスをメシアに預け、彼を別の部屋へ向かわせた。マントと帽子は持ち込み禁止の対象ではないし、あると落ち着くので、それだけメシアから受け取り、身に着けていた。
 廊下で教員に怒られてから、女生徒三人はソフィスタと口を聞かなかったが、三人だけで何やら小声で話していた。しかし、自分にとってはどうでもいい会話だろうと、特に気にも留めず、彼女たちと一緒に実験室に入った。
 広い室内の中央を囲むように立っている柱より内側に入り、女生徒三人とは適当に距離を取った位置に、ソフィスタは立つ。
 第五実験室には、ソフィスタから見て部屋の前後の壁に大きなガラス窓があり、それぞれ奥の部屋から、この広い室内の様子を見渡せる造りになっている。正面の部屋では、エメを含む教員二人とメシアの姿があり、三人とも、ガラス窓を通してこちらの様子を窺っている。
 後ろの部屋では、既にテストを終えた生徒が集められていた。窓に張り付くようにして、こちらを覗き込んでいる生徒らが、ソフィスタには少々うっとうしい。
 …さっさと教室戻るなり、家に帰るなりして好きにしてりゃいいのに…。仕方ない、無視するか。
 この際、余計なギャラリーは気にしないことにした。一度だけ深呼吸し、気を改める。
「今回、実技テストを行うメンバーはと…。名前を呼ぶので、返事をして下さいね」
 マイクに向かって発せられたエメの声が、広い部屋の中に響き渡るが、うるさく感じるほどではない。
「リジェーンさん、ルフルさん、サイアさん、ソフィスタさん…はい、みんないますね」
 エメは、事前にソフィスタたちから回収した、測定用紙入りの封筒を手にしており、そこに記されている名前を読み上げていった。各自、名前を呼ばれると返事をする。
「実技テストの内容は、前回と同様にバトル形式です。リジェーンはルフルさん、サイアさんはソフィスタさんと、互いに魔法をぶつけ合って下さい。制限時間は五分です。その間に、いかに魔法を効率よく使いこなせるかを評価するテストなので、勝敗がそのままテストの結果に出るとは限りませんが…」
「おい、そんなことをして大丈夫なのか?」
 エメの説明を遮って、メシアの声がスピーカーから流れ出てきた。
 …あの馬鹿…大人しくしていろって言ったはずなんだけどなぁ…。
 早速メシアが出しゃばった真似をしたので、ソフィスタは頭を抱えたくなった。しかし、周囲の視線があるので、顔や仕草には表さない。
「大丈夫よぉ〜。さっきも説明したでしょ。魔法で人の体や物が被害をうけることはないって。そのやり方でテストを行って、問題が起こったことがないんだから〜」
 いつもは厳しいエメの、明らかにおばちゃんな話し方がスピーカーから響き、それを聞いた生徒たちは、ぽかんと口を開いて驚く。
 その様子に気付いたエメは、わざとらしく咳払いをした。
「…コホン…それと、対戦相手以外に魔法を使うことは反則と見なしますが、意図的でなければ対戦相手以外を巻き込んでしまっても反則にはなりません。意図的かどうかは、こちらで判断します。巻き込まれた場合、どう逃れるか、または利用するかで、評価が上がります。…私からの説明は、以上です。テストを始めてよろしいですか?」
 我に返ったリジェーンら女生徒たちと、ずっと平然としているソフィスタが、エメの問いに頷くと、エメは測定テストでも使っていた懐中時計を取り出した。
「私の相手はソフィスタさんね。よろしくお願いしま〜っす」
 サイアが、その場からソフィスタに向かって明るく言い、軽く手を振った。しかし、どうもわざとらしい。
 ソフィスタは肩を竦める。気にくわないと思ったいるのはお互い様と考えているので、不快は感じなかった。
「…よろしくお願いします」
 感情のこもっていない声で、そう言いながら、ソフィスタはサイアと向かい合った。
 リジェーンとルフルも互いに向かい合い、テスト開始の合図を待っているが、やけにニヤついた笑みを浮かべている。
 ソフィスタは、彼女たちの様子を軽く見遣っただけで、それ以上は気にしなかった。
「では、用意……始めて下さい」
 スピーカーから、エメが開始の合図を告げる声が響いた。
 リジェーンは短い杖を、ルフルは細かい文字が柄と刃に刻まれたナイフを目の前に立て、魔法力を高めている。魔法を使う際に媒体としているものなので、持ち込みは許可されている。
 媒体や呪文の詠唱は、魔法を使いやすくするための自己暗示にすぎず、魔法使いなら誰でも媒体や呪文を使っているわけではない。基本的に媒体も呪文も使わないソフィスタは、両手の平をサイアにかざして狙いを定め、魔法力を高める。
 指の隙間から見えるサイアは、祈るように両手を胸の前で組み合わせ、目を閉じて呪文を詠唱している。それが彼女の魔法を使うスタイルなのだろうか。
 …でも、目を閉じている間に標的が動いてしまう可能性は、当然ある。標的が動かないものであっても、目を閉じている時間が長いとズレが生じてしまう。それくらいは、魔法アカデミーに通っている生徒なら誰でも分かっているはずだ。
 そんな基本的なことも分からないほどのバカでは、この魔法アカデミーに入学すらできないはずだ。おそらく、このサイアという女生徒が、これから使おうとしている魔法の標的は、ソフィスタではないのだろう。
 …あたしの魔法を防ぐために、防護結界を張る気なのか、それとも他の魔法か…とにかく、先手必勝といくか。
 ソフィスタの魔法力は、レベル5。サイアたちも測定テストでレベル5という結果が出たから、一緒に実技テストを受けているのだ。魔法力が同じなら、ソフィスタが魔法力を最大に引き出して攻撃魔法を仕掛けても、サイアも魔法力を最大に引き出せば、防ぐことは可能なはずだ。
 多少は魔法力に差があるかもしれないし、単純に魔法力だけで勝負するなら、僅差でソフィスタが負けることもありうる。
 だがソフィスタには、自分より高い魔法力の持ち主と魔法で勝負しても勝てるほどの技術があった。
 魔法を正確に操る操作力と、その場に見合った魔法を選んで使用する判断力は、熟練の魔法使いに匹敵し、持ち前の魔法力を引き出すまでにかかる時間も、他の魔法使いと比べて短いのだ。
 例えサイアの魔法力がソフィスタを上回っているとしても、先に仕掛けられてはひとたまりもないはずだ。
 …威力を押さえた魔法なら、もっと早く繰り出すこともできるし、すぐに次に使う魔法に備えることもできる。弱い魔法で相手の様子を探るってのも、一つの手段だけど…面倒臭いし、真剣にやることはない。さっさとケリつけちまおう。
 かざした手の平の前に、たちまち魔法の光球が生じた。
 目蓋を通して光を感じたサイアは、慌てて目を開き、高めていた魔法力を開放した。
 半透明な白のヴェールのような壁が、サイアの目の前に生じる。魔法によって作り出された、身を守るための障壁である。
 …あんな間に合わせの障壁じゃ、あたしの魔法を完全に防ぐことはできない。威力を弱めることはできるだろうけど…。
 ソフィスタは、破壊力を帯びた光球を、サイアへと向けて放った。
 光球はサイアに届く前に、当然魔法障壁にぶつかる。しかし、障壁は光球の威力に押し切られ、弾け飛んで消え失せた。
 光球も障壁と一緒に光を散らし、威力を削られたが、少女一人を倒すくらいの余力は残していた。
「きゃぁぁっ!!」
 光球がサイアに命中し、彼女の悲鳴が上がった。
 エメが言った通り、円の内側にあるものは魔法で守られ、魔法による攻撃を受けても服すら破れず、強烈な光で目を焼こうとしても、失明することはない。
 しかし、少し強く突き飛ばされる程度の衝撃は受けるので、集中力を乱すことはできるし、一時的だが目を眩ますこともできる。
 サイアは後ろによろめき、光球が散らした光に目を伏せる。
「び・びっくりしたぁ…。ほんと、ソフィスタさんって容赦ないのね!」
 光が消えると、サイアは体勢を整え、顔を上げる。
 そして、魔法を放ったばかりのはずのソフィスタの右手が、先程の光球と同じ光を帯びていることに気付き、思わず肩を震わせた。
 ソフィスタは、光球を放った直後から既に、次に使う魔法に備えていたのだった。
 …もっと強い魔法をぶちかましてやってもいいんだけど…一定の威力を超える魔法は、全てその一定の威力まで弱められる。だから、相手を倒すことはできない。五分間ずっと魔法戦を続けていることになる。それなら、無駄に魔法力を消費せず、相手に魔法を使おうとしたら攻撃し、魔法を使う隙を与えなければいい。
 我ながら姑息な手段だと思う。それに、タイムリミットまでサイアに魔法を使わせずにいると、彼女の実技テストが成り立たず、再度テストを受けることになるだろう。
 しかし、サイアたちのように嫌みを言ってきた人間に対し、そんな気を使うつもりはない。自分のテストさえ終えられれば、それでいいのだ。
 右手に光を宿し、いつでも魔法を発動できる状態を保ったまま、ソフィスタはじっとサイアの様子を窺っていた。
 サイアも、すぐに魔法力を高めようとはせず、慎重になってソフィスタの出方を探っているようだ。
 こんな、にらめっこを五分間続けてテストが終了するものなら、それが一番楽なのだがと、ソフィスタは考える。
 ソフィスタにとって、この実技テストも、面倒臭いものでしかなかった。
「ソフィスタさんって協調性ないのね。友達が一人もいないだけあるわぁ」
「ホント、冷血なヤツ!お互い仲良く実技テストで良い点を取ろうって気にはならないんだ〜」
 互いに魔法力を高めていたリジェーンとルフルが、ソフィスタを横目で見ながら、そう嫌みを言った。二人とも、いつでも魔法が発動できる状態にあるようだ。
 協調性を求めるテストじゃないんだから、わざわざ相手に合わせる必要なんかないだろと思うも、ソフィスタは口に出さず、二人を見向きすらしなかった。
「無視ばっかりしていないで、何か言い返したらどうなのよ。天才のくせに、言い返す言葉も思いつかないのかしら?」
 そう言って、リジェーンはソフィスタを笑うと、サイアとルフルに何やら目配せし、杖を大きく振った。同時に、ルフルも手にしていたナイフを高々と掲げる。
 リジェーンの杖から黒い煙が吹き出し、周囲に広がった。ルフルのナイフからも、確かに魔法力が開放され、目に見えない何かがソフィスタたちを包み込む。
「なっ…」
 ソフィスタは黒い煙の出現に驚かされるが、冷静さを欠くことはなかった。
 煙は円の外側まで広がることはなかったが、そのせいで円の内側では、すぐに煙が充満し、周りが全く見えなくなった。吸い込んでも体に害がないのは、柱の魔法の効果があるからだろうか。
 しかし、これだけ煙が濃いと、外からもソフィスタたちの様子は見えていないだろう。これではテストにならない。
 …一時的に姿を眩ますための煙じゃなさそうだな。持続性があり、対戦相手だけじゃく、広範囲に及んでいる。これじゃテストにならないってことくらい、魔法を使ったやつ自身、分かっているはずだ。
 対戦相手以外に魔法の被害が及んでも、それは反則にはならないが、無駄に魔法力を消費しており、効率が悪い。
 実技テストでは、これはマイナスの要因となるはずだ。むしろ、全員の姿を眩ませるような魔法は、実技テストでは禁止されている。
 …それを覚悟でやっているとしたら…目的は、外からあたしたちの姿を見えなくすることか!
 嫌な予感がして、まずは視界を取り戻そうと、ソフィスタは右手を振り上げた。破壊力を帯びた光を、周囲に放射状に放てば、煙は払えるだろう。
 だが、突然何者かに背中を突き押され、光は一つの光球となって、ほぼ真上に放たれてしまった。ソフィスタは前のめりになって、床に突っ伏す。
 その衝撃で眼鏡が外れてしまい、カラカラと床を滑って、手の届かない所まで転がっていってしまった。
 光球は柱の高さまで達すると、空気に溶け込むように消えた。光球の軌道に沿って煙が晴れた空間も、ものの数秒もしないうちに、再び煙に閉ざされる。
「ぐっ…何しやがる!」
 ソフィスタは床に両手を着き、上半身を起こそうとしたが、それより早く肩を掴まれ、体をひっくり返される。
 仰向けになると、ソフィスタの周囲だけ煙が晴れており、リジェーン、サイア、ルフルの三人が、ソフィスタを囲んで見下ろしている様子がハッキリと見えた。
「そ〜れっ!ソフィスタさん、つっかまえたー!」
 サイアとルフルがソフィスタの両腕を掴み、上半身を起こさせた。リジェーンは杖で、ソフィスタの両足を床に強く押しつけている。
「…てめぇら、はめやがったな!!」
 ソフィスタは、状況を理解した。
 この三人は、最初からソフィスタをはめる気だったのだ。
 テストの順番待ちをしている時、わざと後ろに並び、ソフィスタと一緒に実験室に入った。そしてテストが始まり、リジェーンは煙幕の魔法を使うために魔法力を高め、サイアはその時間稼ぎをしていた。
 ルフルがどのような効果の魔法を使ったかは分からないが、おそらく煙幕と同じく、エメたちに騒ぎを聞きつけられないための魔法だろう。
「うふふっ、騒いでも無駄だかんね!外に声や音が洩れない魔法、あたし使っちゃったんだぁ」
 ナイフでソフィスタの頬をペチペチと叩きながら、ルフルが言った。
「私、ずっとソフィスタさんってムカつくって思っていたんだけど!ちょっと頭がいいからって調子に乗って、人のこと見下してさぁ!自分以外はみんなバカだって思ってんでしょ!あんた何様?」
 さっき受けた攻撃魔法の仕返しとばかりに、サイアはソフィスタの腕に爪を立て、力を込めて肌に食い込ませた。ソフィスタの白い肌が、みるまに赤みを帯びていく。
 柱の魔法の効果によって、確かに柱の内側にいる限りは、魔法によって傷つけられることはない。しかし、こういった物理的な攻撃にまでは効果は及んでいない。
「きゃぁっはははっ!なぁにがアーネスの天才少女よ。こんなふうに身動き取れなくされてさ、何もできなくなってるくせに!」
 耳障りなほど高い笑い声を上げながら、リジェーンは杖を膝で押さえて手を離し、その手をソフィスタの腰のベルトに添えた。
「てめっ…触るんじゃねぇ!!」
 リジェーンが何をしようとしているのか勘付いたソフィスタは、手足を動かし、三人を振り払おうとするが、上に乗られては足も動かせず、両腕も二人がかりで押さえつけられては、当然力負けしてしまう。
「ふざけんな!変な真似すんじゃねぇ!」
 抵抗虚しく、ベルトの金具がカチャカチャと音を立て、リジェーンの手によって外されていくのが分かった。
「おお怖い。ソフィスタさんって、ホント口が悪いんだから」
「でもさー、みんなの前で裸にされたらぁ、流石に女の子らしく恥ずかしがったり泣いたりするんじゃないかな〜」
 ルフルの言葉を聞き、予想はしていたが、ソフィスタは僅かに目を見開いた。その反応が楽しかったようで、リジェーンたちは顔を見合わせて笑い出す。
「ありえる!お願いやめて〜とか言いそう!」
「あはは!感謝してね、ソフィスタさん!女の子らしさに目覚めさせてあげるんだから!」
 幼稚な人間が考えそうな、単純でくだらない嫌がらせだとソフィスタは思ったが、その幼稚さ故の屈辱的な仕打ちだ。さすがにソフィスタも、焦りを感じ始める。
「勝手にくだらねーことぬかしてんじゃねぇよ!だいたい、そんなことして、お前らもタダで済むと思ってんのか?お前らがやったってことまでエメ先生たちにバレるんだぞ」
「そう?確かに柱の内側にいれば、魔法で服が破けたり怪我をしたりすることはないけど…服が脱げることはあるのよね。だから、魔法が暴発したとか言って誤魔化せば大丈夫よ」
「べつにバレたっていいもんね〜。ちょっとくらい先生に怒られても気にしないしぃ。でもあんたは、他の生徒たちにまで裸を見られたら、ずっと恥ずかし〜い思いをしていなきゃいけなくなるんだよねー」
 ソフィスタが怒鳴り散らしても、それをリジェーンたちは面白がっているようだ。
 気に入らない人間が取り乱す様子に、優越感を感じているのだろう。ソフィスタを見下ろし笑う、その表情は、ひどく陰険なものであった。
「…てめぇら…」
 最悪なやつらめ、と続けた言葉は小さく、声を上げて笑っているリジェーンたちには聞こえていなかった。
 そして、先程までソフィスタの瞳に宿っていた少々の焦りの色が、徐々に薄れてゆくことにも、彼女たちは気付いていなかった。
 代わりに、深海のように暗く、氷のように冷た色が、ソフィスタの澄んだ碧眼を濁していく。

 熱と光を遮る、どす黒い波の壁は、心まで包み込み、やがて凍りついた。


  (続く)


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