・第三章 異変東の山へ向かった自警隊員の内、四人が街に戻ってきた。全員、大きな獣に爪で引っかかれたような傷があり、一人は軽傷だが、他の三人は重傷で、歩くこともできない様子だった。 頭全体を包帯でぐるぐる巻きにされ、体も青アザだらけで意識を失っている者もいたが、持っている隊員証と、一緒にいた自警隊員の証言で、ザハムであることが分かった。 彼らは、自警隊本部内にある医療室に運ばれ、軽傷だった隊員も手当を受けながら、街に待機していた自警隊員に事情を説明した。 話によると、大きな爪を持つ怪物が東の山に現れ、襲ってきたそうだ。 こちらも負けじと応戦したが、怪物は三人の隊員に重傷を負わせ、山に逃げ込んでしまった。 あんな危険な怪物を野放しにはしておけないので、重傷を負った者を馬車に乗せて街へ戻し、残りは山を見張ることになったという。 その話は、すぐに総隊長に通達され、本部は討伐隊を結成し、山に残っている隊員の救助も兼ねて、東の山へと向かわせた。 * 目の前は真っ暗で、何も見えなかった。 ついさっきまで気を失っていたような気もするが、こうも何も見えないと、目が覚めたという実感が湧かない。 何だか妙に喉が渇いているような気もするが、覚醒しきっていない頭では、その飢えを解消する気にもなれない。 ただ、両肩に感じる慣れた重みから、セタとルコスの存在を、ぼんやりと認識することはできた。 ぼーっとしていると、足下が赤く光り、周囲をうっすらと照らし出し始めた。 視線を落とすと、太い腕が転がっており、ソフィスタは驚いて思わず立ち上がった。 しかし、それがきっかけでソフィスタの頭は覚醒し、その腕が誰のものであるかも、すぐに気付いた。 …メシア? ずれていた眼鏡を整えてから、改めて腕を見下ろす。 赤い光に照らされているが、確かに緑色の肌で、その手には紅玉のアクセサリーがはめ込まれている。 どうやら、この紅玉が光源になっているようだ。 一瞬、腕だけが体から切り離されて転がっているのかと思ったが、腕の根元は、ちゃんとメシアの体と繋がっており、ソフィスタは安堵のため息をついた。 だが安心したのも束の間。メシアはうつ伏せになって倒れており、動く気配は無い。脹ら脛より下は、積み重なった岩の下敷きになっている。 不安に駆られ、ソフィスタは腰を屈めてメシアの左腕を持ち上げる。 手首は力無く垂れ下がるが、脈は確かにあった。 次は意識を確かめるべく、横を向いているメシアの顔を覗き込んだ時、彼の額を伝う血に気付いた。 頭部を負傷しているようで、髪にも少し血が絡みついていたが、大した量ではない。まだ固まっていない様子からして、負傷してからあまり時間は経っていないようだ。 メシアは気を失っているだけのようで、息はあった。 だが、ソフィスタはメシアの血を見た時から、何故かそれに釘付けになり、他のことなど考えられなくなっていた。 緑色の肌に映える赤い血に、喉の渇きを思い出す。 やたらと滲み出てきた唾液を、ソフィスタは喉を鳴らして飲み込むと、吸い寄せられるようにメシアの額に顔を近付け、彼の前髪を掻き上げた。 そして、舌の先でメシアの額の血を舐め、鉄の味を確かめると、食らいつくように残った血を舐め取り始めた。 * メシアの故郷では、猫は古くから神聖な生き物として崇拝されていたという。 その風習は今も続いており、メシアも猫を大切にしろと言われて育った。 メシアに対する猫の態度が時々おかしいと思うこともあったが、それでもメシアは、猫を心から大切にしていた。 その気持ちが通じたのか、ある時、一匹の猫がメシアに懐き、家に居着くようになった。 メシアも猫にケセベジュという名前をつけて可愛がり、メシアの育ての親である格闘技の師と、その妻も、メシアと共にケセベジュを可愛がっていた。 やがてケセベジュに寿命が近付き、ある日を境にメシアの前から姿を消すまで、彼らはまるで兄弟のように仲よく遊んでいた。 「ははは…こらケセベジュ、やめないか…」 青い毛並みに金色の瞳を持つ猫、ケセベジュは、メシアの肩に前足を着いて首を伸ばし、彼の額を何度も舐め回す。 食べ物のカスでも付いていない限り、いつもはこんなに舐めてこないのだが、今日はやたらと、特に額を執拗なほど舐めてくる。 小さな舌の、ザラザラした感触が、とてもくすぐったい。 「やめろって…今日はずいぶんと甘えてくるな」 メシアはケセベジュの両脇を掴み、持ち上げて引き離そうとしたが、ケセベジュは妙に重く、メシアの力でも持ち上がらなかった。 あれ?と思ってケセベジュを見ると、いつの間にか、ケセベジュの体が大きくなっていた。 ちょっと太ったとか成長したとか、そんなレベルではない。フサフサの毛並みと、メシアを優しく見つめる可愛らしい瞳はそのままだが、全体の大きさはメシアの倍以上あった。 その姿に驚く間も無く、ケセベジュはメシアの頭にガブッとかぶりついた。 「どわぁっ!?」 そこで、目の前の景色が変わり、メシアは自分がうつ伏せになって倒れている事に気付いた。 両足がやけに重くて動かず、上半身も所々が痛い。 「お、気が付いたか」 まだ頭が混乱しているが、聞こえた声に、そちらへ顔を向ける。 すぐ隣で、ソフィスタが倒れていた。 「あ、え…ソフィスタ?ケ・ケセベジュは…?」 「は?何だそれ。寝ぼけてんのか?…ニヤニヤ笑いながら寝てると思ったら、急に叫んで起きやがって…いつも以上に気色悪いぞ」 一言多いが、いつも通りのソフィスタの態度のおかげで、メシアは落ち着きを取り戻せた。 …そうだ。ここは、あの山の洞穴の中だ…。 メシアは、神託を授かった今朝の出来事から、意識を失う直前の出来事…ウルドックと名乗る男が天井を崩したことまで、全て思い出す。 そして、左手の紅玉から淡い光が放たれていることに気付き、それが周囲を照らしているのだと分かった。 ウルドックが崩した天井の破片が降り注いできても、こうして無事でいられたのは、神のご加護のおかげだろう。そう考えたメシアは、感謝の意を表すように目を閉じた。 「…そうだ、ウルドック!あの者は!?」 メシアは目を開き、動かない両足を力任せに持ち上げようとしたが、ソフィスタがメシアの手首を掴み、それを制した。 「動くんじゃねーよ。危ないだろ。今、セタとルコスが岩をどけてやってるから、もう少し待ってろ」 頭だけ動かして、軽く後ろを見遣ると、確かにセタとルコスが、メシアの足に積み重なっている岩を、地道にどかしていた。 メシアの力なら、両足を強引に引きずり出せるかもしれないが、積み重なった岩の破片がどう崩れるかも分からないので、ソフィスタの言う通り、もう少し岩の数が減るのを待った方がよさそうだ。手伝って作業を早く終わらせたいが、うつ伏せでは動きようがない。 「ところで、ケセベジュって何?」 「ん、ああ。仲がよかった猫の名前だ。さっきまで、その猫の夢を見ていたようだ」 少し額が湿っているような気がするのも、舐められた感触が残っているような気がするのも、夢のなごりだろうか。 「ふーん。岩の下敷きになりながら、よくそんな平和な夢を見られるもんだ」 「む…それもそうであるな。危機感不足だ。反省しよう」 ソフィスタは皮肉を言ったつもりだが、メシアは真に受け、本当に反省する。 「…そういえば、ソフィスタ」 「何?」 「何故、そこで倒れているのだ?」 ソフィスタは、顔だけメシアと向かい合わせて、地に伏していた。首から脹ら脛あたりまでにかけて、紺色のマントが覆い被さっているので分からないが、もしかして、どこか怪我でもしたのだろうか。 「魔法力が大量に削られていてさ…あんまり動けないんだよ」 「魔法力が?…どういうことなのだ」 「理由は分からないけど、あたしの魔法力が、急激に失われたらしい」 「では、魔法力を使い果たすと、人間は動けなくなるというのか?」 「ああ。精神的な疲れが肉体にも影響を及ぼすってことは知ってるな。魔法力も、そんな感じだ。ウルドックに魔法力を奪われた時も立ちくらみがしたけど、あの時よりもっと魔法力が削られている…何でだろ」 「…ソフィスタ。やはり、今日のお前はおかしいぞ。あの時も…ウルドックに右手を投げて渡した時も、変なことを言っておったな」 ウルドックが、小指の折れた右手をよこせと命令してきた時、ソフィスタはメシアが持っていた小指の折れた手を奪い取り、ウルドックに渡した。そして、自分で返したにもかかわらず、何故かメシアに「何で渡したんだ」と怒った。 メシアがウルドックを追いかけようとした時も、ソフィスタがメシアを止め、何で止めたのか自分でも分からないようだった。 「うん。自分でも、おかしかったってことが分かるよ。どういうわけか、あいつに逆らうことができなくって…」 「ウルドックが、お前に何かしらの魔法でもかけたのではないか?」 「あたしもそう思う。…だとしたら、いつあたしに魔法をかけたんだろう。あいつが魔法を使うところは見てないけど…」 話をしている間に、セタとルコスの作業は、ずいぶん進んだ。積み重なっていた岩の破片の山は低くなり、足への負荷も軽くなっている。 「セタ、ルコス。ありがとう、もう大丈夫だ。あとは自分でやる」 メシアがセタとルコスにそう言うと、二体は岩の破片の山から下りて、ソフィスタの傍へ移動する。 メシアは両足に力を込め、乗っている岩を蹴ってどけた。 ようやく自由を取り戻した両足は、少し怪我をしているが、骨は折れていない。 立ち上がり、砂埃を払う。両足も含めて体中擦り傷だらけだが、メシアにとって、この程度なら怪我の内にも入らない。 巻衣も岩の下に埋もれていたが、すぐに引っ張り出せた。 「よし…。さあ、早くここを出て、ウルドックを探しに行くぞ!」 ぐったりとしているソフィスタとは対照的に、メシアは急に元気になって、拳を突き上げた。 「まったく…あんたのタフさが羨ましいよ。それじゃあ…」 呆れてため息をついた後、ソフィスタは視線を洞穴の入り口側へと向けた。 「その調子で、まずはあたしを担いで洞穴を出てくれ」 そう言われて、メシアは初めて気が付いた。 通ってきた道が、瓦礫で埋め尽くされている。 「あの野郎、洞穴の中をずいぶん荒らして出ていきやがったようだな」 「……」 早速元気を失い、メシアは呆然とする。 完全に道が塞がっているわけではなく、上のほうなら通れそうだが、この不安定に積み重なっている瓦礫の山を、果たして上手く登れるだろうか。 「くっ…とにかく、行動しなければ何も始まらん!」 そう自分に言い聞かせて、やる気を取り戻すと、メシアはソフィスタの体を背中に担ぎ、巻衣で結んで固定した。 「セタ、ルコス。メシアの手助けを頼む」 二人の足下にいるセタとルコスは、メシアにおんぶされた状態のソフィスタに指示され、邪魔な瓦礫をどかそうとしているメシアを手伝い始めた。 * 洞穴を出てすぐ、ウルドックの足跡が見つかった。 ソフィスタとメシアの足跡も残っており、ウルドックの足跡は、それに添って山を下っている。 太陽の位置からして、今の時刻は昼過ぎ。ソフィスタとメシアが洞穴に入った時の時間などを計算すると、ウルドックが洞穴を出てから、だいたい四時間経つか経たないかくらいだろう。 セタとルコスを肩に乗せ、メシアに背負われているソフィスタは、足跡を見下ろして難しそうな顔をする。 「…でも、それだけ時間が経っていれば、後から来ていた自警隊の連中が、あたしたちを探しに来てもいいはずだ。足跡があるから、見つけるのは難しいことじゃない。なのに、探しに来ていないってことは…」 彼らの身に、何かあったのかもしれない。 それを聞いて、気絶している間の時間と、それ以上に瓦礫の山を越えて洞穴を出るまでのタイムロスを悔やみ、焦りを覚えたメシアは、ウルドックの足跡を辿って山を駆け下りた。 山を下りた頃には、ソフィスタは自力で歩けるようになっていた。 辺りに人の気配は無いが、ウルドックの足跡の他に、ソフィスタとメシアが山に来た時には無かった足跡が多く残っていた。 おそらく、自警隊員たちのものだろう。中には、人が倒れた跡や、激しく動いた跡、破れた服の切れ端も落ちていた。 「たぶん、自警隊の連中とウルドックの交戦があったんだよ」 切れ端の中には、赤く染まっているものもあった。 巻衣を羽織り直したメシアも、それを見て、不安でいてもたってもいられなくなったようだが、ソフィスタは落ちついている。 …今のところ、死に至るほどの血が流れた跡は見当たらないな。でも、どうして誰もいないんだ?。 ウルドックを捕らえたにしても、ソフィスタたちの安否を確認しに来なかったのはおかしい。全員、動けなくなるほど負傷して、仕方なく街へ戻ってしまったのだろうか。 考えながら歩いているうちに、人の足跡が集中している場所にたどり着いた。 そこには馬のひづめの跡と、馬車の車輪の跡もあった。 ひづめの跡の向きからして、馬車が一台、街へ戻ったのだろう。しかし、自警隊員が乗ってきた馬車二台の内、もう一台は傍らに残っている。 ソフィスタは、荷台の中を覗き込む。 中には誰もおらず、ひどく荒らされていた。馬車を引く馬二頭は無事だが、落ち着き無く足踏みをしている。 「街へ戻っていった馬車は一台だけか。…ウルドックに奪われたって可能性もあるな」 もしかしたら、自警隊員の姿が見当たらないのは、ウルドックに馬車に乗せられ、連れ去られたからかもしれない。 しかし隊員の人数は、馬車一台に収まるほど少なくなかったはずだ。 「…?ソフィスタ、これを見てくれ」 メシアに声をかけられ、そちらを振り返ると、彼は少し離れた場所でしゃがみ込み、地面を見ていた。 「何かあったの?」 近寄ってみると、そこには新しい足跡がいくつかあり、山のふもとの雑木林に向かって続いていた。 その内の一つは、裸足のものだ。 「何コレ。何で靴脱いで歩いてんだ?」 裸足の足跡を辿り、ソフィスタとメシアが雑木林に近付いた時、手前の茂みが大きく揺れ動いた。ソフィスタとメシアは、とっさに身構える。 「ソフィスター!!そこを動くなー!!」 そう雄叫びを上げて、茂みの中から飛び出してきたのは、ザハムだった。 「ザハム!?」 見知った人間の姿に、メシアはつい警戒を緩めてしまうが、ソフィスタはメシアとは逆に、警戒を強めた。 ザハムは丸腰で、警棒も所持していなかったが、服すら身に着けておらず、かろうじてパンツを履いているだけだった。 しかも、ソフィスタに襲いかかろうとしている。完全に変質者である。 「近寄るんじゃねー!!」 薙ぎ払うように、ソフィスタが腕を横に振ると、それを合図にセタとルコスが体を伸ばし、ザハムの腹と顔面を強く打った。 ザハムは「ぶぐぉっ」と変な声を上げ、もんどり打って倒れた。その隙に、セタとルコスはソフィスタの肩から離れ、ザハムの体に巻き付く。 「動いたなコノヤロー!!自警隊が動くなっつったらピタッと止まれ!!」 ザハムは上半身を起こすが、ルコスに両腕を巻き込んで胴を絞められ、セタに両足を戒められているため、立ち上がることができない。 「そんなカッコで襲いかかってくりゃ、隊員証を持っていても変質者だ!一体、ここで何があったんですか?他の隊員たちは?」 見苦しいザハムの姿から視線を逸らし、ソフィスタはその場から彼に尋ねる。 「バカ野郎!合図したら襲いかかれって言っただろ!!」 ザハムが答える前に、そらした視線の先にある林の中から声が聞こえ、今度は別の自警隊員が飛び出してきた。 ざっと七人。彼らはザハムのように裸ではなかったが、身に着けている隊員服は泥まみれである。 「相変わらず忍耐ってものを知らないのか!」 「気持ちは分かるが、返り討ちにされたら元も子もないだろ!」 「まずは二人を動けなくさせてからだ、若造!」 ザハムと同じように、やけに殺気立っている隊員たちは、ソフィスタとメシアを囲って立ち並び、警棒を抜いてバトンを伸ばした。 ソフィスタとメシアは、互いの背中を合わせて身構える。 「な・何なんですか、いきなり!何で私たちを襲うんですか!?」 隊員たちの異変に動揺を覚え、それを態度に表したソフィスタに、隊員たちは余裕たっぷりの笑みを浮かべる。 「何でだって?そんなことはどうでもいいだろ。なに、すぐに分かるさ」 隊員たちが警棒を構え、にじり寄ってくる。 魔法力が尽きかけて体が弱っており、セタとルコスはザハムを拘束しているため、今のソフィスタには、自警隊員一人を相手にすら戦える術がなかった。 しかし、それに対して不安は覚えなかった。動揺しているのも、隊員たちの様子がおかしいからであり、自分の身に危険を感じているからではない。 襲ってくる理由を聞いても無駄で、原因を考えている暇もないのなら、今は自分の身を守るのに徹しよう。そう気持ちを切り替えると、動揺は消え失せた。 「メシア。ザハムだけ残して、他の連中を気絶させろ。できるよな」 隊員たちに聞こえないよう、ソフィスタはメシアに小声で囁いた。 「気絶を?…うむ、この際、そうしたほうがよさそうであるな」 ソフィスタの意志を汲み取ってメシアは頷き、左手の紅玉に右手の平を添える。 隊員の一人が、その様子に気付き、嫌な予感がしたのか、慌てて声を上げた。 「何する気だ!かかれ!」 隊員たちは一斉に地を蹴り、警棒を振り上げて襲いかかってきたが、既に遅かった。 メシアが左腕を高々と掲げ、紅玉から赤い光が放たれる。 光を浴びた隊員たちは、次々と呻き声を上げて倒れ、泥を跳ね上げて地に伏した。 …初めてコイツと会った時も見たけど…すごいな、この力。これが物質操作系の魔法なら、けっこうレベルが高いほうだよ。 ソフィスタが感心している間に光は消え、メシアは左腕を下ろした。 隊員たちは気を失って倒れ、騒がしいのはザハムだけとなった。 「あーもう、バカー!!早速やられるなよー!何のために日々鍛えてるんだよー!」 今の自分の状況を棚に上げて、ザハムが隊員たちにブーイングを飛ばすが、当然、彼らの耳には届いていない。 「あっさりと返り討ちにされた人間の言うことか…。それより、ザハムさん。何で私たちに襲いかかったのか、答えて下さい。他の隊員の人たちが襲いかかってきた理由も、知っているんじゃありませんか?」 ソフィスタとメシアに見下ろされ、ザハムはギョッとする。 「だ・だって、血ィ欲しいんだもん!!なあ血ィよこせよ!ちょっとでいいから!なっ!」 情けない声でわめくザハムの、その言葉に、ソフィスタとメシアは同時に「は?」と聞き返した。 「何故、急に血を?ザハム、お前もどうかしてしまったのではないか?」 「だからーぁ!質問はもうやめてくれ!血ィくれりゃ答えてやるから!だから、な、放してくれよ!!」 何を聞いても答える気は無いのだろうか。ソフィスタとメシアは、互いに困った顔を見合わせる。 「イヤです。パンツ一丁で襲ってくるような奴の言うことを、何で聞かなきゃいけないんですか」 「いいじゃねーか!ちょっと血をもらうくらいさー!献血だと思えば軽いって!」 「あんたは献血しなくても、十分血の気がありますよ。それ以上、血を増やしてどうするんですか」 「ケチケチすんなよー!大丈夫、奪い過ぎやしねーから!ちょっと貧血になるかもしれないけど、お前、アレだ、その、少し早く女が貧血になる時期がきただけと思っ…」 「ルコス、落とせ!」 余計なことを口にしたザハムに対し、ソフィスタは、立てた親指をクイッと下に向けた。 すると、ルコスがさらに体を伸ばし、ザハムの首に巻き付いて、強く締め上げた。 その行為に、メシアは思わずルコスを止めようとしたが、ソフィスタに肩を掴まれる。 「心配するな。ルコスも手加減くらいはできる」 「し・しかし…」 ソフィスタの言う通り、ルコスは指示が無くても、タイミングを見計らって力を緩め、ザハムの首から離れた。 ザハムは泡を吹いて、力無く地に伏す。 あまり手加減しているようには見えないが、確かにザハムには息がある。 セタとルコスがザハムを開放し、ソフィスタの肩の定位置に戻ると、メシアは巻衣を脱ぎ、それでザハムの体をくるんだ。 「…ところでソフィスタ。女が貧血になる時期とは、どういうことだ?」 女の事情を知らないのか、知っていながら気付いていないのか、メシアがソフィスタに尋ねてきたが、ソフィスタは「聞くな!」の一言で質問を拒否した。 …血か…。ザハムは、どうして急に血をくれなんて言い出したんだ?他の隊員たちも、何でよってたかって襲ってきやがったんだ…。 他の隊員たちやウルドックの行方、ザハムが服を着ていない理由など、疑問は数多くあるが、メシアが言った「貧血」という言葉で、ソフィスタはザハムが血を欲した原因に考えを集中させ始める。 …そういえば…洞穴の中で目を覚ました時、口の中で妙に鉄の味がしていたような…。 ウルドックが洞穴の天井を崩し、メシアがソフィスタを突き飛ばした。そこは覚えている。 その後の記憶で鮮明に残っているのは、魔法力が尽きかけて動けなくなっていた所からである。 …でも、その前に、一度目を覚ましたような…。 ぼんやりとだが、気を失っているメシアの額を血が伝う光景が、ソフィスタの頭の中に浮かぶ。 …でも、ハッキリと残っている記憶の中では、メシアの額に血なんかついていないはずだ。だとしたら、この記憶は…。 「…!ソフィスタ、これを見てくれ!」 メシアに声をかけられ、ソフィスタは思考を中断させて、「何?」と返事をする。 「ザハムの手に、何者かの歯形が残っておる」 メシアは、肩に担いだザハムの左腕を出して、その手の甲をソフィスタに見せた。 「これは…人間の歯形だ」 誰に噛みつかれたかは知らないが、皮膚を食い破るほど強く噛まれており、固まった血が傷口を塞いでいた。 傷口は、わりと新しい。 「もしかして、ウルドックに噛みつかれたのかな」 「いや、ウルドックの歯は何本も抜けておった。奴の歯形なら、もっと隙間ができているはずだ」 一応、ザハムの口を開かせて歯を調べたが、血はついていないし、歯形も一致しない。ならば考え得るのは、他の自警隊員に噛みつかれたという可能性だ。 …そうだとしても、どうして噛みついたんだ?さっきのザハムみたいに、血を欲しがって噛みついたとか…。 そこまで考えた時、ソフィスタの中でピンとくるものがあり、一瞬、驚いたように目を見開いた後、ひどく難しそうな顔をした。 「ソフィスタ?どうしたのだ」 メシアがソフィスタの顔を覗き込もうとしたが、ソフィスタが「くそっ!」と呟いて歯噛みしたので、思わず首を引っ込めてしまった。 「あんたが神から聞いたって言う、人間の脅威だったってやつに見当がついたんだよ。この考えが的中していれば、今の事態は…かなりヤバい」 ソフィスタは帽子を掴んで握り締め、俯いた。 「何だと!?それは、どういう…」 そう言いかけた時、メシアは轍の音に気付いた。 街の方角から、こちらに向かって馬車が何台もやってくる。 俯いていたソフィスタも、音に気付いて顔を上げる。 「あれは…自警隊の者ではないか」 目の良いメシアは、馬車の馬を引いている者が、自警隊の隊員服を身に着けていることに気付いた。 先頭を走っている馬車に乗っている隊員も、ソフィスタとメシアに気付くと、後ろの馬車に何やら合図を送った。 近付くにつれ、地響きが足の裏から伝わってくる。馬車は、ソフィスタとメシアから少し離れた所まできて、全て止まった。 馬車から隊員が続々と降りてくる。自警隊とは違う格好をした者もいたが、それがアーネスの人命救助隊であることに、ソフィスタは気付くことができた。 彼らは、倒れている隊員たちと、立ち尽くしているソフィスタとメシアを見て…特にメシアの姿に驚かされ、どよめきたつ。 一時、指名手配されていたメシアの似ていない似顔絵が、隊員たちに配られていたが、実物を見るのは初めてなのだろう。当時の誤解は既に解けているのだが、メシアが倒した隊員たちの様子を見て、また別の誤解が浮上しつつあるようだ。 「おおい!あんた、ソフィスタさんじゃないか!何でこんなところにいるんだ!」 先頭の馬車から降りてきた中年の自警隊員が、ソフィスタとメシアの姿を見るなり、そう声を張り上げた。彼は他の隊員たちに「ちょっと待っててくれ」と声をかけてから、こちらに駆け寄ってくる。 「ズースさん!」 彼は、ザハムの上司、ズースだった。ズースはソフィスタたちのすぐ手前まで来ると、立ち止まって心配そうに話しかけてきた。 「あんたたち、砂だらけじゃないか。メシア君も怪我をしているようだね。怪物が出たと聞いて、我々は来たんだが…。倒れている隊員は、その怪物にやられたんかね?」 さらにズースは、メシアに担がれているザハムに気付くと、あれ?とでも言いたげな顔をして驚いた。 「ザハム?お前、怪我をして街で手当を受けているはずじゃ…」 ズースはザハムの肩に手を伸ばそうとしたが、ソフィスタに止められた。 「全員、気を失っているだけです。でも、あまり近寄らないほうがいいかもしれませんよ」 ソフィスタの言葉に、ズースは「どういうことだ」と尋ねたが、ソフィスタは答えず、逆に質問で返した。 「それより、怪物が出たって話は、誰から聞いたんですか?もしかして、ここの山の調査に来ていた隊員じゃありませんか?」 「あ・ああ。重傷を負った者が何人か戻ってきて、そう教えてくれた。ザハムも怪我をして運ばれてきたはずなんだが…」 「怪物の他には、何か言っていませんでしたか?隊員が仲間を襲ったとか、そういう話は聞いていませんか?」 「いや、そんな話は聞いとらんが…」 「じゃあ、戻ってきた隊員で、誰かここに来てる人はいますか?」 「うむ、怪我が軽かったのが一人いたので、連れてきているぞ。でも、どうしてそれを?」 ソフィスタが矢継ぎ早に質問をしてくるので、それに押されてズースは正直に答え続け、先頭の馬車の荷台から顔を覗かせている隊員を指し示した。ソフィスタは何も言わずにズースから離れ、その隊員のもとへと早歩きで進む。 ズースに指し示された隊員は、こちらを睨んで近付いてくるソフィスタに動揺している。 「あ・あの、何ですか?」 隊員は、少し逃げ腰になっているようだ。ソフィスタは、ある程度彼に近付くと、指をパチンと鳴らした。 とたんに、肩に乗っているセタとルコスが、その隊員の体に巻き付いた。そして、先程のザハムと同じように、ルコスが彼の首を締め上げる。 「何をするんだ!!」 他の隊員たちがソフィスタを止めようとしたが、先にソフィスタが彼らに言い放った言葉が、隊員たちの動きを止めた。 「ヴァンパイアカースの解呪剤を、コイツとザハムと、倒れている隊員たちに打って下さい!人命救助隊なら持っているでしょう!早く!!」 それを聞いた、ズースを含む隊員たちは顔色を変え、ルコスに首を絞められた自警隊員も、別の意味で顔色が変わって気を失った。 セタとルコスが隊員から離れ、伸ばした体を縮めると、ソフィスタは彼を馬車の中に横たわらせ、体を調べる。 隊員服の、脹ら脛あたりの部分が破られ、そこからひっかき傷が覗いていた。 「噛まれた跡じゃないけど、仲間同士で襲い合ってたって話を伝えていないんなら、感染しているって考えてもいいだろう。…なにボヤボヤしてんですか!早く解呪剤を出して下さい!!」 突っ立ったままの隊員たちに、そう怒鳴って急かすと、人命救助隊の一人が、同じく救助隊の隊員たちに指示を出し始めた。 「ソフィスタ。その…半端に嫌がらせるとか言っておったが、どういうことだ?」 ザハムを担いだメシアが、ソフィスタのもとへ来て変なこと聞いてくる。 「んなこと言ってねーよバカ!聞き間違えんなアホ!!とにかく、ザハムも馬車の中に寝転がしておけ!」 軽くメシアをなじって、ソフィスタは、彼と一緒にこちらへ来ていたズースに話しかける。 「ズースさん。ここにいる隊員たちの指揮を執っているのは誰ですか?」 「あ・ああ、自警隊の指揮は私が執っている。人命救助隊は、そっちの隊長が仕切っているが、私なら直接、救助隊の隊員を動かすこともできる」 「それなら話が早い。ヴァンパイアカースが出回り始めている今は、一刻を争います。詳しい話は後でしますので、今は私の言う通りにして下さい」 ソフィスタの口調は、淡々としているが早口だった。しかしズースも、いち自警隊の隊長。ソフィスタの言葉を聞き逃すことなく、聞いた以上に状況を理解して、素速く判断を下した。 「分かった。君の言う通りに隊員を動かすし、必要があれば隊員を貸そう」 ズースの答えに、ソフィスタは満足げに頷くと、メシアへと向き直る。 軽くなじられたことにショックを受け、「聞き間違えたくらいで、そこまで言うことはないではないか…」などと呟きながら、巻衣でくるんだままのザハムを馬車に乗せ終えたメシアも、ソフィスタを振り返ったので、二人の目線は同時に合わさった。 すかさず、ソフィスタが口を開く。 「メシア!これから、あたしの指示に従って行動してくれ!詳しく話している暇はないけど、考える前に体を動かせ!でないと、神のお告げの通り、多くの人間が命を落とす!下手したらアーネスの街も壊滅だ!!」 壊滅と聞いて、メシアは目を見開いて驚くが、すぐに真剣な表情で、ソフィスタに「分かった」と返事をした。 もっと事情を聞いてくるかと思っていたが、以外と早くメシアの了解を得られた。メシアも自分なりに危機感を感じ、速やかに行動しなければならないということを悟っているのだろうか。 何にしても、彼が何も言わずに協力してくれるのは、とても助かる。 「…くれぐれも、勝手な真似はするなよ」 それだけ言ってメシアに背を向ける、その態度はひねくれているが、内心はメシアの協力が心強く、ソフィスタは知らずのうちに笑みを浮かべていた。 (続く) |