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ありのままのメシア 第五話


   ・第四章 アーネス防衛作戦

 自警隊本部の総隊長室の椅子に、ウルドックは足を組んで座っていた。
 口の端を吊り上げ、ニヤニヤと笑いながら天井を見上げる。
 部屋の中は閉めきられており、窓はカーテンに閉ざされて日の光も差し込まない。
 ドアの向こうからは、忙しく動き回る隊員たちの声や足音が聞こえてくる。
 しばらくして、ドアがノックされた。ウルドックが投げやりに「入れ」と言うと、ドアが開き、一人の自警隊員が部屋の中に入ってきた。
 ひときわ大きなバッヂがついている金色の腕章を袖に通している彼は、少し前まで、この総隊長室の椅子に座っていた者である。
 総隊長はウルドックの前まで来ると、かかとをビシッと合わせて背筋を伸ばし、敬礼の姿勢を取った。
「報告します!本部内にいる全ての人間に、ヴァンパイアカースが行き渡りました!戦える者はロビーに集まっております!」
「ヒヒヒ…結構なことだ」
 ウルドックは、ふんぞり返って座ったまま、総隊長を見上げる。
「それじゃあ、計画を実行するとしよう。ただし、武力行使は最終手段だ。できるだけ穏便にな」
 総隊長は、「はっ!」と返事をして、部屋を出ていった。
 …順調だ。もうすぐ、俺の忠実なる軍隊が出来上がる…。
 総隊長の備品らしい立派な机の上に足を乗せ、ウルドックは深く息を吐き出した。
 …解呪剤が発見されてから、俺が広めたヴァンパイアカースは一気に鎮圧され、俺自身も山に追いつめられたが…今度はそうはいかねえ!俺を守りつつも、ヴァンパイアカースをばらまく軍隊が完成した暁にはな!!
 ウルドックは、右手の平を目の前まで持ち上げた。
 そこに絡まる鮮血が、ウルドックの頬に滴り落ちると、彼は悪意に満ちた笑みを浮かべて舌を伸ばし、その血を舐め取った。


 *

 東の山と街を結ぶ道は、人が行き来しているうちに自然とできた、細い一本の道しかない。
 まだ乾ききっていない土の上を、自警隊の馬車が何台も通ったので、車輪や馬の蹄の跡が、いくつも残っていた。
 そこに、さらに四頭の馬の蹄の跡が追加されていく。
 その最後尾の馬にメシアは乗っているが、手綱は彼の前に座っている女性が引いていた。
 馬に乗ったことのないメシアは、誰かと同じ馬に乗せてもらうしかなく、見た目で明らかに体重が重い彼と一緒に乗るには、体重の軽い女性を選ぶしかなかった。
 馬に揺すられ、メシアの長い髪が踊るように跳ねる。彼の右肩にへばりついているセタの体も、ぷるぷると揺れ動いている。
「ヴァンパイアカースが現れたのは、今から三百年くらい前。あちこちで戦争が起こっていた頃のこと」
 自警隊の隊員服をきちっと着こなし、はきはきとした口調で語る彼女は、歳は隊員の中でも若い方だが、メシアより五つは年上である。
「今は滅びてしまった国で、一人の魔法使いが、恐ろしい呪いを生み出したの。それが、ヴァンパイアカース」
 メシアは女隊員の肩に掴まりながら、大人しく話を聞いている。
「その呪いを受けた人間は、やたらと他の人間の血を飲みたがるようになるの。そして、血を吸われた人間には呪いが移り、呪いはどんどん広がっていく。中には、人を殺してしまう感染者もいたそうよ」
 初めてヴァンパイアカースという単語を聞いた時は、メシアには何のことだか分からなかったが、ソフィスタの様子から、かなり危険なものであると察することはできた。
 だが、女隊員の話を聞いて、危機感は膨れ上がった。
「学校で教わった話じゃ、呪いを生み出した魔法使いは、最初にその呪いをかけた人間に血を吸われ、自らも呪いに侵された。そうやって呪いは国中に広がり、完全に行き渡ると、感染者たちは血を求めて国を出ていった。…元々は、敵の国を滅ぼすために生み出した呪いらしいけど、そのせいで自らの国は滅びたわ。こうしてヴァンパイアカースは、余所の国にまで猛威を振るい始めたの」
「何と…そのような恐ろしい魔法があるとは…」
 感染する魔法というものを、メシアは初めて知った。だが、人間が持つ魔法力が、使い方を間違えれば危険になりうるということは、ソフィスタから散々魔法攻撃を受けて実感していた。
「ええ、恐ろしい呪いよ。まだ解呪剤が見つかっていなかった頃は、感染者は直ちに処刑するしかなくて、たくさんの人間が命を落としたわ。解呪剤が無かったら、人間は…滅んでいたかもしれない」
 人間が、自ら生み出した呪いにより滅ぶのなら、他の種族からしてみれば、それは自業自得である。
 だが、それほどの恐ろしい魔法の被害が、人間のみに留まるとは思えない。それに、ごく一部の人間の過ちで、理不尽に命を奪われた罪のない人間を思うと、心が痛む。
「それで、解呪剤は、どうやって発見されたのだ?」
「西のトルシエラ大陸にある国の、当時の王様が、感染者に血を吸われたけど、ヴァンパイアカースに感染せず、逆に血を吸った感染者の呪いを解いたの。他にも感染しない人間は何人か見つかったわ。そこで王は、自分や感染しない人間の血を、学者たちに調べるよう命じた。こうして、その血液から解呪剤が作り出されたの」
 王というものは気位が高く、下々の者に体を調べられることなど、嫌がるはずだ。せいぜい、自分が病気になった時に、医者に調べてもらうくらいだろう。
 人類が危機に瀕していたからとは言え、自ら進んで血を提供するとは、寛大な王である。しかしメシアにしてみれば、王たるもの国民が危機に瀕していれば助けて当然だと考えているので、正しい行いをしたとは思うが、大げさに感動はしなかった。
「では、アーネスの街の人間全てにヴァンパイアカースが行き渡っても、治すことができるのか?」
 メシアに問われ、女隊員は難しそうな顔をする。
「…病院や救助隊の本部には、いくつか解呪剤が置いてあるはずだけど、もし街中の人に感染したら、余所の街から解呪剤を取り寄せても、たぶん足りないわ。感染者がいなくなったとされてから、もう百年は経っているからね。あまり作られていないのよ。感染しない人間の血がなければ作れないし、これから作ろうにも時間がかかるわ」
「解呪剤を使った者の血を感染者が吸って、呪いが消えることは?」
「ないわ。血を吸われて感染者の呪いが消えたと確認されているのは、さっき話した王様だけよ」
 女隊員の答えに、メシアの表情が曇る。
 解呪剤の作り方は分かっているのだから、後で感染者の呪いを消すことはできる。だが、あまり対応が遅れると、死傷者が出てしまうかもしれない。
感染者が増えれば増えるほど、その確率は高くなるのだ。
 そんなメシアの不安を察した女隊員が、励ますように明るい声で言った。
「悪い事態のことなんて、考えるもんじゃないわ!それを防ぐために、私たちがいるんでしょ!…大丈夫、あなたのカノジョは頭がいいから」
「私の彼女?」
 何のことだと、メシアは首を傾げる。
「ソフィスタさんのことよ。カノジョじゃないの?」
「いや、確かにソフィスタの性別は女である」
「そういう意味じゃなくて…」
 噛み合わない会話をしている内に、前方にアーネスの街が見えてきた。
「もうすぐ街に着くぞ!みんな、気を引き締めろ!」
 先頭を走る馬の手綱を引いている自警隊員が、後ろを振り返って、そう叫んだ。メシアと一緒に馬に乗っている女隊員も含め、他の隊員たちが雄叫びに近い声で返事をする。
「俺たちは住民を避難させ、解呪剤を集めに行く!メシア君たちは魔法アカデミーへ!分かってるな!」
 前を走る三頭の馬、それぞれに乗っている隊員たちは、ソフィスタに解呪剤の回収と、数の確認を指示されていた。
 ウルドックが解呪剤の存在を知っていれば、必ず始末するだろう。その前に、数少ない解呪剤を回収しなければいけない。
「それと、ウルドックとかいう奴はもちろん、自警隊の感染者には気をつけろ!特に、解呪剤を打っていないメシア君は、十分注意して行動しなさい!」
 解呪剤は、注射器によって体に投与するもので、ヴァンパイアカースを予防する効果もあった。
 しかし、救助隊が持ってきていた解呪剤は、既に感染していた隊員全員に使うと、四本しか余らなかったし、人間にとって未知の種族であるメシアに対し、解呪剤の安全性は当然確認できていない。
 まあ、メシアはタダでさえ強い上に紅玉の力もあるので、簡単には感染者に噛みつかれないだろうし、ウルドックの攻撃も受けないだろう。そう考えたソフィスタの判断により、人命救助隊の隊長とズース、そして、先にアーネスへ戻る四人の自警隊員の内の二人が、解呪剤を打った。
 メシアは前を向き直り、「分かっておる!」と返事をして、まだ遠く離れているアーネスの街を見据えた。
 出た時と特に変化は無く、空も晴れ渡っている。
 しかし今、あの街では確かに不穏な影が浸透しつつあるのだ。
 街に住む人間の全てが、危険にさらされている。それは、小さな村で育ったメシアには経験したことのない規模の危機であった。
 …いや、規模の大きさに圧倒される必要は無い。この女の言う通り、私はできることに全力を尽くすまでだ!
 余計な迷いや恐れといった感情は、時間の浪費に繋がる。そう考え直し、メシアは先頭の自警隊員に言われた通り、気を引き締めた。


 *

 感染者が他にいないことを確認してから、ソフィスタは自警隊員と救助隊員を二人ずつ選び、先に馬で街へ向かわせた。
 ウルドックの顔を見ているということで、メシアも同行させた。彼は、ソフィスタと別行動を取ると聞いて、少しだけ困った顔をしたが、文句は言わなかった。
 互いの居場所が分かるよう、セタをメシアに預け、今はルコスだけがソフィスタの肩に乗っている。
 メシアと四人の隊員たちの見送りもせず、ソフィスタは残りの隊員たちを集め、詳しい事情を説明した。
「じゃあ、あんたがウルドックを見つけなければ、こんなことにはならなかったんじゃないのか!?」
 隊員たちの中には、ソフィスタを責め立てる者もいたが、それに対してソフィスタは、こう返した。
「私たちが見つけなかったら、自警隊員が見つけて、結果は変わらなかったでしょう。それでも文句があるなら、後でいくらでも受けて立ちますが、今は余計なことで議論する必要も時間もありません」
 大勢の大人の前に立っても表情を変えず、ソフィスタはキッパリと言い切った。彼女の態度が大きくて偉そうに感じている隊員は少なくないが、言っていることは正論なので意義を唱えることもできず、口を噤むしかなかった。
 こうして、速やかに事情を説明し終えたソフィスタは、今後の自分たちの行動についての作戦を練り始める。
「山に来ていた自警隊員は、全員が感染したと考えてもいいでしょう。でも、普通の感染者とは違い、おそらくウルドックの言うことに従っています」
 持っていたメモ帳に、鉛筆で文字を書きつづりながら、ソフィスタは隊員たちに、自分の考えを聞かせる。
「ヴァンパイアカースの根源はウルドックですが、あいつ自身も普通の感染者とは違います。奴に血を吸われなくても、爪で傷つけられるだけで、ヴァンパイアカースに感染します。そして、ウルドック以外の感染者から感染した者も、ウルドックの言うことに従います」
 ヴァンパイアカースについての資料が、魔法アカデミーの資料室にあり、ソフィスタはそれを調べたことがあった。
 当時の資料によると、ヴァンパイアカースは感染者に噛みつかれることで感染し、感染者の基本的な症状は、感染していない人間を見ると理性を失い、血を吸うことしか考えられなくなるというものだったそうだ。
 しかし、感染した自警隊員たちの行動には計画性があった。血を求めるという衝動は確かにあり、ザハムのように元々単純な性格の人間は、その衝動を堪えきれないようだったが。
 おそらく感染した隊員たちは、ウルドックの命令により行動しているのだろう。頭を働かせることができるのも、奴がそう命令したからかもしれない。
 そして、感染者に噛まれた傷しか見当たらない者もいたことから、直接ウルドックから感染した者ではなくても、奴の言うことをきくと考えられる。
「ウルドックについてまとめると、爪を長く伸ばして武器にする、切り離された腕を動かしていた、ウルドックに傷つけられると感染する、感染者はウルドックに従う、私の魔法の光を浴びて魔法力を吸収していた。そして一番やっかいなのは、奴や感染者たちが頭を働かせられるってことです」
 ウルドックの能力については、先にアーネスへ向かわせた自警隊員やメシアにも説明してある。
 ウルドックに何の目的があって、化け物が出たなどウソをつかせたのか、はっきりとは分からない。だが、自警隊本部が討伐隊を結成し、ここへ向かわせたことで、そのぶんだけ本部が手薄になっているということだ。何か企んでいるのは確かである。
「顔を包帯で隠し、ザハムの隊員証を持っていた自警隊員が、ウルドックだったのでしょう。彼はザハムに扮して街に入り、手薄にした自警隊本部に侵入して、隊員をたちにヴァンパイアカースをばらまいているかもしれません。本部が奴に占領されている可能性も考え、本部へはヴァンパイアカースが出回っていることと、隊員の中に感染者がいることだけを通達し、私たちの行動については、魔法アカデミーへ通達します。近くの街やヒュブロにも危険を伝え、解呪剤を要請し、また警戒を強めるよう呼びかけましょう」
 ヒュブロとは、アーネスを管轄下に置く王国の名称であり、アーネスの北にある王都の名称でもある。ヒュブロ王国に属しているアーネスでは、「ヒュブロ」と言うと主に王都の方を指す。
 ソフィスタは、読める程度に走り書きでつづった便箋を三枚、近くにいた自警隊員に渡した。
「通信係がいるなら、これを送るよう頼んで下さい。こっちは自警隊本部と人命救助隊本部へ。こっちはアーネス魔法アカデミーの教頭へ、そして、これと同じ文書を、ヒュブロと近くの街へ飛ばして下さい」
 ソフィスタが山へ来るのに途中まで乗っていた馬車には、緊急の連絡用として、通信用マジックアイテムが置いてあった。それを使えば、今から連絡を送ってもメシアたちより先に街に届く。
 便箋を受け取った隊員は、ソフィスタに指示されるとすぐ、馬車へと走った。
 ソフィスタは、隊長を通さずに隊員に指示を出せる権限をズースから得ている。それにも不満を感じている隊員はいたが、彼女の指示は適切であり、やはり文句を言う隙が無かった。
「私たちも、これからアーネスへ向かい、先に行った隊員たちと合流します。状況に応じて指示を出しますが、基本的には、救助隊の人たちは感染者に解呪剤の投与と、感染していない人の避難。自警隊の人たちは、感染者の制圧をお願いします。解呪剤は節約したいので、感染しないよう気をつけて下さい」
 一通り隊員たちに指示を出し終えると、ソフィスタは馬車に乗り込んだ。隊員たちも、全員馬車に乗り、馬を走り出させる。
 馬車は、通信が行われているものを除いて、全て発進し、アーネスを目指し始めた。

「それでな、そのウルドックって奴が山から降りてきて、俺たちに襲いかかってきやがったんだ!!」
 ソフィスタが乗った馬車は人命救助隊の馬車であり、ソフィスタの他に、ザハムと、街に戻って怪物が出たとウソをついた自警隊員、そして人命救隊の隊員が数人、乗っている。
 服を剥ぎ取られているザハムは、人命救助隊の防護服を着せられていた。その前まで彼の体をくるんでいた、メシアの巻衣は、ソフィスタが畳んで持っている。
 彼らは目を覚ますなり、山で何が起こったのか、ソフィスタに説明を要求された。三人は互いに向かい合って座り、話を始める。
 ザハムは少し混乱、及び興奮しながら話し、所々でどうでもいい話も交えたが、説明を聞き終えると、ソフィスタは要点だけまとめて話の内容を確認する。
「あんたたちは、山に着いてからウルドックに襲われた。ウルドックに傷つけられた隊員は、ウルドックの言うことに従って仲間を襲った。そしてヴァンパイアカースが全員に行き渡ると、奴はザハムさんの服を剥いで着て、怪我した隊員とシバーさんを馬車に乗せて街へ向かった…ということですね」
 ザハムと、もう一人の自警隊員のシバーは、血を欲していたことと、ウルドックに従っていたことをハッキリと覚えていた。おかげで、こちらから事情を説明する手間がだいぶ省け、貴重な情報を得ることもできた。
「そしてウルドックは、シバーさんに街に怪物が出たとウソをつかせ、討伐隊を山に向かわせるようし向けた。ザハムさんたちは山で待機し、討伐隊が来たら、彼らにもヴァンパイアカースを感染させろと命令されていた。どちらも、行動は慎重に、決して感染が広がっていることを余所に漏らすなと注意されていた。ザハムさんたちが、私とメシアを襲おうとしたのは、隊員以外の人間が来た場合の指示をウルドックから出されていなかったし、血を飲みたいという欲求に負けたからでもあった」
「そうそうそう!それを言いたかったんだよー!あん時ゃ悪かったなー」
 ぶかぶかの防護服の着心地が悪いのか、何度も袖や襟を整えながら、ザハムが相槌を打つ。
「じゃあ、感染者が頭を働かせられるのは、そう命令されているからかもしれませんね。…それで、仮に討伐隊を感染させたとして、その後の指示はウルドックから出されていますか?」
「ああ。みんなで街に戻って来いって言われたぜ。でも、それだけしか言われてないぞ。理由も何も教えちゃくれなかったな」
「シバーさんは?ウルドックの目的とか、聞いていませんか?」
「いいえ。私たちは何の疑いも持つことなく、ただ奴の命令に従っていたので…」
 このシバーという自警隊員は、ザハムより年下のようだが、精神面ではずっと大人に見受けられる。わりと礼儀正しく、非常に落ちつきのある青年だ。
「そうですか。じゃあ、奴がどうしてヴァンパイアカースを広めているのか、知っている人はいないんですね」
 ウルドックの行動は、ヴァンパイアカースを広めると同時に、自分の部下を増やすためのものだと考えられる。
 ソフィスタとメシアによって、その計画の一端が失敗に終わっていることから、詰めの甘さも感じられるが、奴なりに考えて行動しているのだろう。
 …あいつ、何のためにヴァンパイアカースを広めているんだろう。そもそも、奴は何者なんだ…。
「それにしても…噂に聞いた通り、あなたはとても頭が良いですね」
 不意に、シバーにそう言われ、ソフィスタは彼を見る。
「私たちから話を聞き出す前から、ウルドックに切られただけでも感染するということや、感染したらウルドックの命令を聞くということまで推理できていたのでしょう。よくそこまで分かりましたね」
 シバーの言葉を聞いて、ザハムも「そういえばそうだよな」と彼に同意して頷く。
「そうですか。ありがとうございます」
 ソフィスタの涼しげな口調には感情がこもっておらず、上辺だけの礼の言葉であることが、ザハムとシバーにはよく分かった。ザハムが「可愛くねぇ」とボソッと呟いたが、それを無視し、ソフィスタは自分の左の二の腕を見た。
 そこに残る、横一直線に刻まれた傷痕は、山の洞穴の中で、ウルドックの爪に傷つけられたものである。
 …そうだ。自分の推理に確信を得られたのは、あたし自身がウルドックの爪に傷つけられて、奴の言うことを聞いていたからだ。
 隊員たちに言うと騒がれると思い、メシアも気付いていなかったので、あえて黙っていたが、ソフィスタもヴァンパイアカースに感染していたのだ。
 しかし、今は血を吸いたいという衝動は無い。それに、感染者は感染者の血を吸わず、感染者を見分けることができるらしいので、ザハムたちに襲われそうになったソフィスタは、既にヴァンパイアカースが解呪されていたということになる。
 …解呪剤を使っていないのに、どうしてあたしは解呪されていたんだろう。解呪剤を使わなくてもヴァンパイアカースを消し去る方法があるのか?
 だとしたら、これは新しい発見になるし、解呪剤が少ない今、非常に助けになる。
 だが、肝心の方法が分からない。
 …あたしの身に何かがあって、ヴァンパイアカースが解呪されたんだろうけど…一体、いつ何が起こったんだろう…。
 壁によりかかって動かないウルドックの体をメシアが調べていた時、ウルドックの体から切り離された右手が伸ばした爪が、ソフィスタの皮膚に傷をつけた。
 ソフィスタがヴァンパイアカースに感染したのは、その時だろう。
 血を欲するという症状は、傷つけられてすぐには現れなかったが、そのへんは個人差があるというので、気にしないことにする。
 そして、自分の意志に反してウルドックの命令を聞くようになり、洞穴を出ていくウルドックを追おうとしたメシアを、言われた通り止めたが、振り払われてしまった。
 そこから、ソフィスタの記憶は曖昧になっており、鮮明に残っているのは、魔法力が尽きかけて倒れている自分に気付いた所からである。
 メシアに突き飛ばされて気を失い、一度目を覚まして何かをしたような気がするが、ハッキリと思い出せない。
 魔法力を急激に失ったことで、体だけではなく頭の働きも鈍ったからだろうか。
 …きっと、魔法力を失ったことと、ヴァンパイアカースが解呪されたことは、何か関係しているんだろうな…。
 そういえば、今はどれくらい魔法力が回復しているのだろうと、ソフィスタは目を閉じ、自分の中の魔法力を感知しようと試みる。
 万全の体調の時と比べると、まだ半分も回復していないようだ。
 …向こうに着いた時、何があるか分からない。今の内に、できるだけ魔法力を回復させておかないと…。
 ソフィスタは荷物に背を持たれ、ウェストポーチの中から眼鏡ケースを取り出すと、かけていた眼鏡を外してケースの中にしまった。それをポーチの中に戻し、膝を抱える。
 ザハムに、どうしたのかと尋ねられると、ソフィスタは「疲れたので寝ます」と答えた。
「寝るって…他に何かやらなきゃいけないこととか、あるんじゃねーのか?」
「いいえ、今やることは全てやったはずです。忙しくなるのは街についてからですから、今の内に疲れを取っておきたいんです。街に着いたら起こして下さい」
 そう言って、メシアの巻衣を膝に乗せ、そこに顔を埋めて目を閉じた。
 ザハムは何か言おうとしたが、シバーに肩を掴まれて止められた。
「いいじゃないですか。僕たちより年下の女の子が、既にとんでもない事件に巻き込まれているんです。休める時に休ませてあげないと、この先、身が持ちませんよ」
 シバーは小声でザハムを説得し、ザハムは納得したようで、口を噤んだ。
 シバーの言う通り、隊員たちの前では冷静さを保っていたソフィスタだが、まだ十七歳の少女。急に街一つが危機に陥るような事件に巻き込まれたことで、精神的な疲労が蓄積しつつあった。
 しかしソフィスタは、その疲れを魔法力の低下のせいだとしか考えず、静かに呼吸をしているうちに、やがて浅い眠りについた。


 *

 魔法アカデミーの校門をくぐって、自警隊員が学校の敷地内に進入してきた。
 ざっと五十人だろうか。全員メットを被って顔は見えず、プレート入りのスーツを身に着けている。握っている警棒も、巡回の自警隊員が所持しているものより一回り大きく、収納タイプではない。
「ちょっとちょっと!どうしたんですか急に!そんな危ない格好をして入ってきたら、生徒たちが怖がるじゃないですか!」
 その場に居合わせたアズバンが、隊員たちのもとに駆け寄った。さらに後ろから、魔法力測定テストで試験官を務めていた男性教師、カトルが続く。
「何かあったんですか?そんなに武装して…。来るなら事前に連絡を下さいよ」
 カトルが隊員たちに尋ねると、先頭に立っている総隊長が、二人の前に出てきた。
 彼の隣には、一人の自警隊員が控えている。
「ヴァンパイアカースの感染者が、この学校の人間に紛れ込んでいるとの通報を受けた!感染が広がると、非常に危険である!よって、校内を徹底的に調べさせて貰うぞ!!」
 それだけ言い放って、総隊長はアズバンとカトルの間を、強引に進もうとする。
「ちょっと待って下さいって!そんな通報、誰もしていないはずです!だいたい、ヴァンパイアカースなんて、とっくの昔に壊滅した呪いじゃないですか。きっと誰かがイタズラで通報したんですよ」
 アズバンが総隊長の腕を掴み、引き留めた。すると、総隊長の隣にいる隊員もアズバンの腕を左手で掴んで引き、総隊長から引っぺがした。
「…いいから、お前は大人しく俺の言うことを聞いてろ!」
 メットの下から、隊員は低く小さな声を響かせた。
 よく聞き取れなかったのか、アズバンが「え?」と隊員を見た時、アズバンの腕に押し当てられている指先に力がこもり、その尖った爪がシャツを裂いて皮膚を抉った。


   (続く)


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