・第六章 違和メシアと女自警隊員を乗せた馬がアーネス魔法アカデミーの正門をくぐったのは、ソフィスタたちが街に着く三十分ほど前のことだった。正門をくぐる前から、校庭で何かが起こっていることには気付いていた。 人の騒ぎ声、足音、爆音、どこから出ているのか分からない光。そして目のいいメシアには、わずかに宙に浮いて動いている二体の巨大な甲冑のようなものも確認できた。 女自警隊員が馬を止めると、すぐにメシアは馬から下り、そこに広がる光景に目を見張った。 武装した自警隊員たちが、ことごとく大きな網に体を絡め取られている。 中には、びしょぬれになってむせている者、上着とズボンを逆に着ている者など、どうしたらそうなるのか分からないような状態の隊員が、何人もいた。 自由に動ける隊員たちは、二体の甲冑と戦っている。 …隊員たちは、ヴァンパイアカースの感染者だろうか。だが、あの大きな鎧は? どちらに加勢すればいいのかと迷っていると、二体の甲冑の内、青いカラーリングが施されているほうが、指のない筒状の右腕をメシアへと向けた。 嫌な予感がする間も無く、腕から大量の水が放たれた。メシア慌てて横に跳んだが、水は軌道を変えてメシアを追跡する。 「え、ぶわっ!!」 水はメシアに直撃して弾け、彼を全身びしょぬれにした。 「あれ、メシアくん?ごめんよ〜敵と間違えてしまったよ〜」 青い甲冑の中から、聞き覚えのある声が響いてくる。 「ゲホッ…あ・アズバン?アズバンなのか!?一体何があって、そのような体に!!」 「イヤ、別に体が変わってしまったわけではないよ。コレはMAゴーレムと言って、鎧のようなものなんだけど、これに乗ることで…」 などとノンキな声でアズバンが説明している間にも、武装した隊員が数人、アズバンが乗っている青のMAゴーレムに殴りかかっていた。 しかし、MAゴーレムはびくともしない。よほど強固な鎧なのだろうか。 「えーと…メシアくん、やっぱり説明は後でするよ。先に、この血気盛んな自警隊員たちを大人しくさせないとね。ホントごめんよ〜」 アズバンのMAゴーレムが、メシアに向けていた右腕を動かし、その照準を群がる自警隊員たちに合わせた。 それに気付いた隊員たちがギョッとした時、先程と同様、腕から大量の水が噴き出す。 水は隊員たちを呑み込むと、瞬く間に凍りついた。 もし、メシアが水を浴びせかけられた時、アズバンが気付くのが遅かったら、あの隊員たちと同じようにメシアも凍らされていたのだろうか。 それを思うと背筋が寒くなるのは、全身水浸しのせいではない。 「アズバン先生!こっちもお願いします!」 もう一体の黄色いMAゴーレムが、カトルの声を発した。 黄色いMAゴーレムは、近くにいた隊員たちに向けて右腕をかざすと、そこから光線が放たれた。 光線を浴びた隊員たちは、忽然と姿を消したが、次の瞬間には氷付けにされた隊員たちに覆い被さるようにして姿を現した。 「了解!カトル先生!」 すかさず、アズバンのMAゴーレムが左腕を持ち上げ、集められた隊員たちに向けて網を発射した。 同時に氷が溶け、自由を取り戻した隊員が慌てて逃げようとしたが、間に合うはずもなく網に体を絡め取られてしまった。 隊員たちは、力任せに網を引きちぎろうとしたり、ナイフで切ろうとしたりしているが、網は全く傷つかない。 「…おお…」 あっという間に隊員たちを片付けていくMAゴーレムを、メシアは目を丸くして眺めていた。 「そういえば、魔法アカデミーでは、魔法力で動く兵器が実用化に向けて開発中って話、聞いたことがあるわ」 メシアの隣に立ち並んだ女自警隊員が、そう言った。 「兵器?どういうこと…」 メシアは女自警隊員に尋ねようとしたが、一人だけMAゴーレムから離れた場所にいる自警隊員の姿がふと目に入ったので、言葉を止めた。 その自警隊員も、メシアの姿に気付くと肩を大きく震わせて驚いた。 「むっ、お前もヴァンパイアカースの感染者か!?」 「いっ、イヤ、その…」 メシアが隊員に一歩近付くと、隊員は一歩後ずさる。 「トカゲ君!そいつがウルドックだ!」 カトルのMAゴーレムが、そう声を上げると、隊員は「くそったれが!」と吐き捨て、この場から逃げ出そうと走り出した。 メットを被っているので顔は分からないが、声は確かにウルドックのものであった。 「ウルドックだと?逃すか!!」 メシアも走り出し、水しぶきを撒き散らしながらウルドックを追う。 武装していることもあってウルドックの足は遅く、あっさりとメシアに追いつかれた。メシアは後ろから彼の首根っこを捕らえようと、左腕を伸ばす。 「くそぉっ!!」 ウルドックは、右手に握る警棒を振るい、メシアの左腕を払おうとした。 メシアは右手でウルドックの右腕を掴み、攻撃を止めた。さらに、伸ばした左腕がウルドックの首根っこを捕らえると、彼の足を払ってバランスを崩させ、体重を乗せて地にねじ伏せた。 ソフィスタが睨んだとおり、ウルドックは特に鍛えているわけではないようだ。メシアから見れば、その動きは自警隊員より鈍く、腕力も人間からすれば並み外れていたが、メシアには敵わなかった。 メシアは強引にウルドックのメットを外す。すると、髭こそ剃られているが、確かに洞窟の中で見たウルドックの顔が現れた。 「うぐっ…てめぇ、何で生きていやがるんだ!!岩の下敷きになっていただろうが!」 ウルドックが左手の指先をメシアに向け、爪を伸ばしてメシアの体を貫こうとするが、先に指を掴んで動きを止めた。 「私の石頭を甘く見るな!」 メシアはウルドックの背中を膝で押さえつけ、笑みを浮かべて言った。 「くそぉぉぉ!あの眼鏡の女はどうした!何でお前を止めなかった!あいつもヴァンパイアカースに感染したはずだぞぉぉぉ!!」 なおも暴れようとするウルドックを押さえつける力は緩めず、メシアは思わず「何?」と聞き返してしまった。 …そういえば、あの洞穴の中で、ソフィスタはウルドックの爪に皮膚を裂かれ、その後、ウルドックの言うことに従っておった…。 街のことで頭がいっぱいで忘れていたことを、メシアは思い出す。 東の山の洞穴の中で、まだ体と切り離されていたウルドックの右手の爪が、突然伸びてソフィスタの皮膚を切り裂いた。 その直後から、ソフィスタの様子がおかしくなり、ウルドックにメシアを引き留めろと命令されると、自分の意思に反してウルドックの言う通りに動いていた。 …では、この呪い騒動で最初にヴァンパイアカースに感染した人間は、ソフィスタだったということか? しかし、メシアが岩の下敷きになって意識を失い、気が付いた時には、ソフィスタはウルドックの命令に背いてメシアを助け出そうとしていた。 メシアを助け出してからも、共にウルドックを追い、今も街をヴァンパイアカースの感染から救うべく動いているはずだ。 …ソフィスタの呪いは、私が気を失っている間に消えたということだろうか。 考えていると、洞穴の中でソフィスタに「どうせ分かりもしないことで悩むなバカ」と言われたことまで思い出してしまった。 ちょっとイラッとしたが、気を失っていた時のことなど分かるはずもないし、ソフィスタのほうがヴァンパイアカースについては詳しいので、気になることは彼女と相談した方がいいだろう。 それより今は、戦っている自警隊員たちを止めなければ。 「ウルドックよ!お前の指示に従って戦っている自警隊員たちに、戦いを止めさせるのだ!」 「ハァ!?ふざけんなトカゲ!生臭ぇんだよ!」 当然、ウルドックはメシアの言うことなど聞かない。口の悪さならソフィスタといい勝負だと、メシアは思う。 「ならば、ヴァンパイアカースを消す方法を教えろ!」 「やなこった!トカゲが偉そうに人間の言葉喋ってんじゃねえ!爬虫類語喋れ!」 「無理を言うな!声真似が限界だ!」 「バカにしてんだよ!真に受けるな!」 「あー、ちょっといいかしら…」 メシアとウルドックが言い合っていると、横から女自警隊員が声をかけてきた。 「あのMAゴーレムとかいうやつ、感染者たちを全員捕まえちゃったわよ」 それを聞いたウルドックが、「何ィ!?」と言って顔を上げると、確かにウルドックが連れてきていた自警隊員たちは、総隊長も含めて全員、網に体を絡め取られて身動きが取れなくなっていた。 「おい!そんな網に手こずってんじゃねーよ!引きちぎって出て来いよぉ!!」 「ムリムリ。あの網には特殊な加工が施されていてね、魔法も物理的な攻撃も受け付けないんだ。でも、君は魔法力を吸収するそうだから、君にはうかつに使えないな。ちなみに、コレも我が校の優秀な女生徒が教えてくれました」 アズバンのMAゴーレムが、ウルドックに近付きながら声を発した。ウルドックは「あの眼鏡のクソガキか…!」と唸る。 どうやらソフィスタが、ヴァンパイアカースやウルドックのことを、先に魔法アカデミーに伝えていたようだ。 メシアたちより先に学校に連絡を取ることは知らされていなかったし、通信用のマジックアイテムの存在も知らないメシアは、ソフィスタがどうやってアズバンたちにウルドックの情報を伝えたのかが分からなかったが、今はそれを気にしている場合ではないので、考えるのを止める。 「さてと、残るはあんた一人となったようだな。観念しろ」 カトルのMAゴーレムの肩あたりにある小さな扉がカパッと開き、そこから細長いチューブが伸びた。 チューブの先には、注射針が取り付けられている。 「ひっ…それは…」 ウルドックの体が震え、その振動がメシアの腕に伝わる。 「学校にあった、ヴァンパイアカースの解呪剤だ。これを、あんたの体に打つ。牙を立てずともヴァンパイアカースを感染させ、感染者を操るという異例のあんたに、解呪剤が効くかどうか分からないが…」 チューブはミミズのようにうねりながら、ゆっくりと注射針の先端をウルドックに近づける。 「ぐ、ふざけんなあぁ!!やめろ!ちくしょう、放しやがれトカゲ!!」 ウルドックは死にものぐるいで暴れ始めたが、やはりメシアの力には敵わない。さらに女自警隊員まで、ウルドックの体を押さえつける。 「メシア君、そのまま押さえつけていてくれ。すぐに済ませよう」 カトルがメシアの名前を口にしたので、メシアは顔を上げた。 ちょうどその時、カトルのMAゴーレムの額の部分に刻まれている赤い模様が、太陽の光を反射して輝いた。 目を僅かに細める程度の輝きであったが、その赤みを帯びた光が注射針の先端と重なると、一瞬メシアの頭の中が真っ白になり、ウルドックを押さえつける腕から力が抜けた。 諦め悪くあがき続けていたウルドックは、その一瞬の隙をついてメシアと女自警隊員の両腕を弾き飛ばした。 その衝撃で、メシアは我に返る。 「うおおおおおおお!!!」 うつ伏せになっていたウルドックが、振り向きざまに左手の爪を振るい、メシアを切り裂こうとする。 とっさに、メシアは太い両腕を交差させて爪を防ごうとするが、このままでは爪に皮膚を裂かれ、ヴァンパイアカースに感染してしまう。 しかし、ウルドックの爪がメシアの腕に触れることはなかった。 寸前の所で、注射針がウルドックの左手の甲を刺したのだ。 「ひ・あ…ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!」 ウルドックが悲鳴を上げた。それはあまりに耳障りで、人間離れしていた。 すぐ近くで悲鳴を上げられた女自警隊員は、思わず耳を塞ぐ。しかし、メシアは交差させた腕の隙間から、ウルドックの様子に目を見張っている。 そのため、解呪剤を投与された感染者たちとは違うウルドックの様子に、真っ先に気付くことができた。 ウルドックの爪が指先から零れるように落ち、粉々に砕けた。 爪だけではない。左手は手首から切り離されて地に落ち、グローブの中から黒ずんだ肉片が飛び散った。 血は流れておらず、まるで乾きかけた泥のようだった。手を失った左腕の袖口からも、肉片がボトボトと流れ出てくる。 その中には、白い破片も混じっていたが、それはウルドックの骨だった。 …まさか、解呪剤を打たれた部分から、体が崩れておるのか!? その様子は、かつて魔法生物マリオンが、メシアの攻撃によって塵と化したものと似ていたが、メシアは覚えていない。 アズバンとカトル、女自警隊員もウルドックの異変に気付き、呆然としている。 やがて左腕の袖が、肩から力なく垂れ下がった。ウルドックの悲鳴も、掠れて弱々しいものとなっている。 「おおぉぉ…あ…ありが…と…やっと…俺に戻れた…」 ウルドックの唇が震え、声を振り絞るようにして紡がれた言葉が、メシアの耳に確かに届いた。 ウルドックは、メシアと顔を向かい合わせる。 それは、先程までの殺気に満ちていたウルドックとは全く違っており、苦しそうだが、優しい笑みを浮かべているようにも見えた。 「…ウルドック!?」 メシアは、ウルドックの脇へ移動し、体を支えてやる。 「だ・が…まだだ!早く滅ぼせ!…残る…れ…の……ぇ…ぉ…」 メシアはウルドックの口に耳を近付け、彼の言葉を聞き取ろうとするが、それでも途切れ途切れで、何を言っているのかほとんど分からない。 プレート入りのスーツを通して、ウルドックの体が原型を失っていくのが、メシアの腕に伝わる。 「気を…つ…け……ろ…」 メシアがそれだけ聞き取れたのを最後に、ウルドックが頭がもたげ、その重みで首が裂けた。 胴体から切り離された頭は、メシアの腕の上を転がって地に落ちると、その衝撃でバラバラになり、髪は細かい砂と化して宙に舞った。 ウルドックの体も、メシアの腕からするりと抜け落ち、プレート入りのスーツは泥のような肉片の山に覆い被さった。 右手に握られていた警棒も、ガランとメシアの足下に落ちる。 「え…ど・どういうことなの、これ。解呪剤を打たれて、こんなふうになるなんて例は無い…はず…」 狼狽している女自警隊員が呟くが、メシアもわけが分からない。無言で首を横に振ると、膝を着いてしゃがみ込んだまま、スーツを拾い上げる。 「ウルドック…お前は一体、何者だったのだ…?」 中に残っている泥を袖口から流し出しているスーツを見つめ、メシアは呟いたが、その問いの答を口にする者は誰もいなかった。 * ホークの情報通り、自警隊本部内に残っている人数は少なく、戦える者がほとんどいなかった。 ザハムとシバーを先頭に、窓から本部に突入した隊員たちは、戸惑う感染者たちを手際よく片付けていった。 性格はアレなザハムだが、真面目に戦うと強かった。シバーや他の自警隊員たちも、日々鍛えられているだけあって、ザハムにも引けを取らない強さを感染者たちに見せつけた。 一方、魔法力も完全に回復しきっていないし、本部の構造を熟知していないという理由で、ソフィスタは外で見張り役についていた。 たまに外へ逃げ出してきた感染者を見つけたら、同じく見張りについている隊員に知らせることしかできなかったが、それだけでも彼女は充分役に立てた。 こうして、本部内の感染者の鎮圧は、思ったより早く終わった。 噛みつかれてしまった者もいたが、ソフィスタの言いつけを守って早くに対処したので、被害が広がらずに済んだ。 さらに、本部の医務室には解呪剤がいくつか保管されていたので、この本部奪還作戦は、予想以上の成功を収めたことになった。 拘束した感染者を本部の留置所に押し込めるのを隊員たちに任せ、ソフィスタは屋上に出ると、自警隊の馬車から持ってきた発煙筒に火をつけた。 取り付けられていた蓋で発煙筒を開け閉めし、途切れ途切れの煙を出す。この信号が、自警隊本部を奪還した合図である。 解呪剤を打っていない人間には、ただ煙を出すとしか教えていない。解呪剤を打った者のみ煙の信号を教え、それが本当の奪還成功の合図だと伝えてある。それは、後でヴァンパイアカースに感染してしまった隊員が、他の隊員を騙すべく発煙筒を使った時に備えて、ソフィスタが考えておいた安全対策であった。 信号を送りながら、ソフィスタは魔法アカデミーの方角を見る。 本部は二階建てで、ここからでは魔法アカデミーの屋根しか見えない。しかし、ウルドックが向かった割には騒がしい様子が無いので、既に魔法アカデミーの人間か、メシアたちがウルドックを押さえているのだろうと考える。 ウルドックのことを事前に知らせておけば、簡単に乗っ取られるほど魔法アカデミーはやわではない。 教師らの魔法力や頭脳、学校に保管されているマジックアイテム。これらを駆使すれば、魔法アカデミーは下手な軍隊より強いのだ。 それを分かっていたから、ウルドックが魔法アカデミーへ向かったと聞いても、ソフィスタは全く心配しなかった。 …この煙を見れば、魔法アカデミーへ向かった隊員から連絡がくるだろう。…でも…。 そう。魔法アカデミーについては、全く心配していない。だが、あの場所にいるはずの、気になるトカゲが一匹。 …あいつがウルドックにやられるとは思わないけど、何せバカだからな。魔法に巻き込まれてすっ飛ばされたりしてんじゃねーのか?もしくは足手まといになってんじゃねーだろうな…。 「おーいソフィスタ。言われた通り、解呪剤が足らなかった感染者を留置所に入れて、シバーを見張りにつかせたぞー」 考えながら信号を送っていると、後ろから声をかけられた。 軽く手を振りながら、ザハムがこちらへ歩み寄ってくる。 「山で怪我して医療室に運ばれていた隊員は、手当は済んでいたから、解呪剤を打ってそのまま寝かせておいたぜ。まだ意識は戻ってねーけど、ま、大丈夫だろう」 「ご苦労様です」 「で、これからどうすんだ?」 ザハムはソフィスタの隣に立ち、煙を見上げながら問いかける。 「アーネスへ向かった隊員たちの戻りを待ち、結果を聞いてから今後の行動を考えます」 「そうか。…っにしても、お前すげーな」 ソフィスタは「何が?」とでも言いたげな顔でザハムを見る。 「だってよー、ヴァンパイアカースなんて聞いたら、普通ビビるぜ?なのに、よく落ちついていられたな。しかも綿密な作戦を素速く立てるわ、大人の隊員たちに堂々と指示を出すわ、感染者を怖がらないわ…ほんっと度胸あるよなー。お前さあ、心臓にどんだけ毛ェ生えてんだ?」 ザハムは笑って言った。どうやら、ソフィスタを誉めているらしい。 しかしソフィスタは、ため息をつくと発煙筒をザハムに押しつけた。 「怖がっている暇があれば、その原因を取り払うために行動した方が効率がいいではありませんか」 発煙筒を受け取らされたザハムは、信号を送れというソフィスタの指示に、言われなくても気付いた。早速、蓋の開け閉めを始める。 「いや、それはそうだけど…それでも行動に移るには、けっこう度胸いるぜ?」 「合理的に考えているだけです。度胸だの何だの、そんなものは関係ありません」 「…そんな可愛くないこと言ってると、友達なくすぞ」 「最初から友達なんていません」 きっぱりと答え、ソフィスタは、屋上から直接地上に下りられる非常用階段に向かって歩き出した。 「ん?どこ行くんだ?」 「魔法アカデミーです」 ザハムに背を向け、早歩きで進みながら、ソフィスタは答える。 「ああ、メシアを迎えに行くのか。一人で行く気か?本部で待ってたほうがよくね?」 階段の前でソフィスタは立ち止まり、間を置いてから口を開いた。 「一人じゃありません。ルコスがいます。それに、もしあの馬鹿が一人で突っ走って行動していたら、探し出せるのもルコスだけです」 ソフィスタは、左肩に乗っているルコスの体を軽く撫でる。 「じゃあ、また戻ってくると思いますが、それまで本部のほうをお願いします」 「はいはい。気ィつけて行ってこいよ…って、そうだ!ちょっと待ったぁぁ!!」 急に何かを思い出したようで、ザハムが大声を上げてソフィスタを呼び止めた。 そんなに大声を出さなくても聞こえると思いながら、ソフィスタはザハムを振り返る。 「ハッキリとしたことは分からないけどよ、本部にあった解呪剤が、一個だけ無くなってたそうだ」 その場で煙の信号を空へと送りながら、ザハムは言った。 「えっ…本当ですか?」 ソフィスタが聞き返すと、ザハムは「ホントホント」と頷いた。 …もし感染者が解呪剤を見つけたのなら、全部廃棄しているはずだ。誰かが盗んだのかな…。 突っ立って考えていると、再びザハムに声をかけられた。 「とにかく、調べがついたら教えるから、さっさと緑色のダーリンを迎えに行きな。気になるんだろ?」 「…殴りたくなるような冗談はやめて下さい」 そう言って、ソフィスタはギロッとザハムを睨むと、踵を返して階段を下りていった。 「ひゅ〜おっかねえ。ありゃ将来カカア天下になるな」 小さく呟き肩を竦めるザハムに見送られ、ソフィスタは階段を下りていった。 * ズースたちが魔法アカデミーへ応援に駆けつけたのは、ウルドックらとの戦いが終わってしばらくしてからのことだった。 「よかった!二人とも無事だったんだね!」 全身びしょぬれの上に、崩れたウルドックの肉片が装束にこびり付いているメシアの姿に、ズースは驚きはしたが、彼と女自警隊員が無事だったことを破顔一笑し、二人の肩をバシバシと叩いた。 しかし、メシアと女自警隊員の顔は浮かない。それは、MAゴーレムから降りたアズバンとカトルも同じだった。 何かあったのだろうと、ズースはすぐに察したが、網に捕らえられたままの感染者を放ってはおけないので、先に彼らをどうにかすることにした。 感染している隊員たちは、精神感応系の魔法が使える教師によって眠らされ、ウルドックの体の破片は、アズバンとカトルが集めてガラスケースの中に移した。 彼が着ていた、プレート入りのスーツも、しばらく魔法アカデミーで預かり、調べられることになった。 びしょぬれにされたメシアの装束にも、ウルドックの砂が固まってこびり付いているので、採取するついでに洗って乾かすということで、襟飾りなども含めてアズバンに預けた。 左手の紅玉と耳飾りだけを残し、装束の代わりに大きめの白衣を渡され、それに着替えたのだが、やはり似合わない。 ちなみに、下着も水浸しになっていたが、流石にカトルもそれは預かりたくないようだったし、ウルドックの体の破片もついていないので預けなかった。 しかし、「水浸しのよりはマシだから、コレを巻いていなさい」と言ってカトルがサラシを渡してくれたので、下着の代わりにそれを巻いた。 着替えを終えたメシアは、最期のウルドックの様子がおかしかったことを、アズバンやズースたちに話した。 いや、様子がおかしかったのは殺気立っているウルドックのほうで、最期に優しい笑みを見せたウルドックが、彼本来の姿だったのかもしれない。 ヴァンパイアカースに感染していたザハムたちのように、ウルドックも被害者だったのだろうと、メシアは考えた。 そして、「気をつけろ」という言葉。何かを早く滅ぼせと、必死に伝えようとしていたこと。 ウルドックが消え去っても、ヴァンパイアカースの恐怖は消え去っていないというのだろうか。 確かに感染者は何人も残っている。だが、それは解呪剤で解決できるはずだ。 …一体、ウルドックは何を滅ぼせと言おうとしたのだろうか。何にしても、まだ気を抜くことはできぬ。 こんな時に頼りになるのは、ソフィスタら人間の知識である。 アズバンもソフィスタに協力して貰いたがっているので、自警隊本部の方角から煙が見えると、ズースたちと一緒に本部へ向かい、ソフィスタを魔法アカデミーへ連れてくることにした。 空は赤みを帯び始めている。 メシアは空を見上げ、ウルドックの魂が天に召されることを祈った。 (続く) |