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ありのままのメシア 第五話


   ・第七章 ウルドックという男

 馬車に置いておいたメシアの巻衣を持って、ソフィスタは魔法アカデミーへ向かったが、眠っている感染者を馬車に乗せて自警隊本部へ向かっているズースたちと、途中で合流した。
 馬車には、似合わない白衣姿のメシアも乗っており、ソフィスタは彼の姿に「ゲッ」と呟いた後、自警隊本部奪還成功と、本部に向かった隊員たちの安否、そして留置所に押し込めた感染者たちのことを、メシアとズースたちに簡単に説明した。
 本部を奪還できたことと、重傷者が出なかったことに、ズースは安心したが、ヴァンパイアカースに感染し隔離された人間のことを思うと、まだ喜ぶ気にはなれないようだ。
 感染者を閉じ込め、解呪剤を打った者に見張りを任せておけば、これ以上感染者は増えない。
 解呪剤さえ集まれば、感染者たちを救うことができる。
 だが、アーネスで集められた解呪剤だけで、果たして感染者全員を解呪することができるのだろうか。呼びかけた王都ヒュブロからは、いつ解呪剤が届くのだろうか。
 再び込み上げてきた不安に浮かない顔のズースをよそに、ソフィスタはメシアにウルドックのことを尋ねた。メシアは、鮮明に記憶に残っているウルドックの最期を、全てソフィスタに話す。
 解呪剤を打たれ、その箇所から体が崩れ落ちていったこと。
 そんな中で、ウルドックが優しい笑みを浮かべたこと。
 彼が何かを伝えようとしていたこと。「気をつけろ」と言っていたこと。
 崩れた体の破片は、集めて魔法アカデミーで調べられているということ。
 解呪剤を打たれてヴァンパイアカースから解放され、ウルドックが己を取り戻したのなら、優しく笑ったということは分かる。だが、感染者が解呪剤を打たれて体が崩れるという例は、ソフィスタも聞いたことが無い。
 ウルドックが他の感染者には無い能力を持ち合わせていたことや、体がほぼ死体だったことに、何か関係があるのだろうか。
 とにかく、崩れたウルドックの体を保管してあるのなら、調べてみれば何か分かるかもしれない。ウルドックが何を滅ぼせと伝えようとしていたのか、何に対して気をつけろと言ったのかも、判明するかもしれない。
 ソフィスタは、自警隊の感染者をズースたちに任せ、「まだ感染者が隠れているかも知れませんし、警戒は怠らないで下さい」と念を押すと、メシアと一緒に魔法アカデミーへ向かった。


 *

 魔法アカデミーに着いたメシアとソフィスタに、アズバンがパンを渡してくれた。学校の購買の売れ残りらしい。
 ヴァンパイアカースの件で、どこの店も閉まっており、昼食を食べていない二人にとって、アズバンの心遣いはとてもありがたかった。
 アズバンは、カトルが第三実験室でウルドックの体の破片を調べているとソフィスタに伝えると、校内の見回りをすると言って去っていった。
 メシアとソフィスタは、先に個室へ寄って余計な荷物を置き、パンを食べてから第三実験室へ向かうことにした。

 そろそろ夕飯時。窓から覗く空では、夕焼けの名残が夜の帳に隠されつつあった。
 外に出されたタオルハンガーにはメシアの下着がかけられ、風ではためいている様子も見えるのはさておき、個室にあったタオルで髪を拭きながら、メシアは明け方の神のお告げから始まった今日の騒動を思い返していた。
 東の山を探索し、体から切り離されているのに動く手を発見し、死体と思っていたウルドックが復活し、洞穴からの脱出し、パンツ一丁にされたザハムを含む自警隊員に襲われ、ヴァンパイアカースの存在を知り、街の危機を救うべく働き、アズバンに水浸しにされ、ウルドックを捕らえたと思ったら彼の体は崩れ落ち…。
 何だか一週間ぶんは働いたような気もするが、過ぎてしまえば、あっという間の出来事だった。
「…そういえば、ソフィスタ」
 回想中、気になっていたことがあったのを思い出し、テーブルを挟んで向かい側のソファーに座っているソフィスタに、メシアは声をかけた。
「…なに…」
 明らかにメシアより体力が無く、魔法力は半分も回復していないというソフィスタは、疲れた顔で、疲れた返事をする。貰ったパンも、まだ一口しか食べていない。
 ちなみにメシアは、自分のぶんのパンを既に食べ終えている。テーブルの上、すぐ目の前に置かれているティーカップの中身も、とっくに空になっていた。
 心なしか、ソフィスタの肩の定位置にいるセタとルコス、さらにポールハンガーに掛かっているマントと帽子、そしてメシアの巻衣まで、ぐったりしているように見えた。
 実際二人とも、今日は外で動き回りすぎて、体も服も汚れてくたびれていた。メシアの装束はカトルに預けたからいいとして、他の衣類は目立つ汚れだけ拭ってあるが、洗濯は必須だろう。
 できれば、ソフィスタを休ませてやりたいと思う。目立った肉体労働はしていないようだが、魔法力を失ったことによる疲労と戦い、人の命が関わる危機の中で冷静に頭を働かせ続け、弱っている姿を見せずに大の大人に怯むことなく指示を出していたのだ。
 今日一日の彼女の働きを全部見ていたわけではないが、それでも本日一番の功労者はソフィスタだと、メシアは堂々と言える気がする。
 だが、事態が事態だし、彼女自身も、勧められて素直に休むことはないだろう。
 メシアは、思考を気になっていたことに戻す。
「お前は、あの山の洞穴の中で、ウルドックの爪に皮膚を裂かれ…ヴァンパイアカースに感染したのだな」
「ああ、そうだよ」
 ソフィスタは表情を変えず、あっさりと答えた。まあ彼女のことだから、メシアより早く気付いていたのかもしれない。
「その後、ウルドックの言うことを聞いていたのも、ヴァンパイアカースに感染していたからであったのだな」
「そうとしか考えられないだろ」
 そう答えてから、ソフィスタは自分の前に置いてあるティーカップを取り、良い香りの湯気を立てている紅茶を、静かにすすった。
「だが、ウルドックが洞穴の天井を崩して我々を気絶させ、その後、私が目を覚ました時には、ソフィスタは元に戻っておった」
「ああ。解呪剤を打ったわけでもないのに、あたしの呪いは、いつの間にか解呪されていた。…その理由が気になるのか?」
 ティーカップから口を離し、ソフィスタはメシアに問う。メシアは素直に頷く。
「うむ。その理由が分かれば、解呪剤がなくても呪いを消すことができるようになるではないか」
「それなら、あたしも考えたよ。だけど…やっぱり分からなかった。考えようと思えば、理由は幾つも挙げられるけど、どれもこじつけになるし、あの時の記憶も曖昧だし…確信が持てないんだ」
「そうか…」
 当事者であるソフィスタが分からないのなら、ソフィスタより長く気を失っていたメシアに分かるはずがない。
「ウルドックの体を調べりゃ、もしかしたら分かるかもしれないな」
 ティーカップをテーブルに置き、ソフィスタはパンにかじりつく。メシアは耳飾りを外し、まだ残っている水気をタオルで拭き始めた。
 そして、両耳につけていた耳飾り、それぞれの水気を拭き取り終え、テーブルの上に置いた時、窓の向こうに気配を感じて、メシアはそちらへ顔を向けた。
「…メシア?どうかしたの…」
 その様子に気付いたソフィスタが、メシアに声をかけてきたが、その途中で窓をノックする音が響いたので、彼女は言葉を止めた。
「すいませ〜ん。ソフィスタさん、いませんか〜」
 控えめな声で、控えめに窓を外からノックしているのは、人間の少年だった。
 見覚えがあるような、ないような。子供らしい無邪気な笑顔を浮かべている少年を、メシアはじっと見つめる。
「あん?ホークじゃないか」
 まだ残っているパンをティーカップの受け皿に置き、ソフィスタはソファーから立ち上がって、窓へと歩き出す。
 どうやら、少年はソフィスタの知り合いのようだ。
「何だよ。用があるなら、昇降口通って来い」
「まあそう言わずに!ちょっと急いで見せたいものがあったから来たんです」
「見せたいもの?一体何だ?」
「あの、中に入れてもらってからでいいですか?そろそろ寒くなってきたもんで…」
「だったら昇降口通って来い」
 ホークと呼ばれた少年は、笑顔を引きつらせて固まった。メシアは、朝のザハムとのやりとりを思い出す。
「も〜子供にそんな固いこと言わないで下さいよ〜。メシアさんも何とか言ってやって下さいよ〜」
 ホークに名前を呼ばれたので、メシアもソファーから立ち上がって窓に近付いた。
 ホークはメシアの名前と顔を知っているようだが、メシアには、このホークという少年と過去に知り合った覚えはない。だが、人間と違う外見を持ち、アーネスの有名人ソフィスタといつも並んで歩いているメシアは、街中では嫌でも目立ち、いつの間にか名前まで知られるようになっていた。おそらくホークも、そうやってメシアの外見と名前を知った人間の一人なのだろう。
 メシアは窓越しにホークを見下ろす。
 黒い長髪と浅黒い肌の人間は、アーネスへ向かう旅の途中で見かけたことがあるような気がする。だが、見覚えがあるような気がしたのは、髪と肌のせいではない。
 あどけなく、しかしどこか鋭さのある、金色の瞳。近付いて見て分かったが、この瞳には確かに見覚えがある。
 …どこかで見たような目だが…それが誰の目であったかが思い出せぬ。
 あんまりメシアがホークを見ているものだから、ホークは怖がったように後ずさりする。
「あの、早く窓を開けて下さいってば。コレ見せてあげますから…」
 ホークは、肩から下げている大きめの鞄を開け、中から古い本を取り出し、ソフィスタに見せびらかした。
 本の背表紙には、七桁の数字と魔法アカデミーの校章が描かれたラベルが貼ってある。
「それ、うちの図書館の本じゃないか。何でお前が持ってるんだ?」
 アーネス魔法アカデミーの図書館は、校舎とは少し離れているが、同じ敷地内にあった。魔法に関する書物は、世界一と言っていいほど豊富に取り揃えられており、わざわざ遠くから足を運んでくる魔法使いも多い。
「だからぁ!そういうこともひっくるめて説明するから、部屋の中に入れて下さいー!!」
 ホークが本を振り回して地団駄を踏むので、ソフィスタは仕方なさそうに窓を開け、先に靴の裏の土を払わせてから、ホークを個室に招き入れた。
「あ〜寒かった〜。あ、あなたとは初対面でしたっけ。初めまして。…うわ、すんごい筋肉!近くで見るとホントでっかいな〜…」
 窓を乗り越えたホークは、まずメシアの前に立った。
 ソフィスタより背が低く、ソフィスタより細身の少年にとって、それとは対照的なメシアの体格は、驚異的であり、憧れでもあるようだ。おっかなびっくりメシアを見上げてはいるが、瞳は嬉しそうに輝いていた。
 肌の色や尖った耳などを気持ち悪がったりせず、純粋に男として憧れてくれるホークに、メシアはくすぐったい喜びを覚える。
「で、ホーク。見せたいものって、その本のことか?」
 窓を閉め、ソファーに座り直したソフィスタに促され、ホークはメシアから離れると、脇に挟んでいた本をテーブルの上に置いた。
「そうそう、この本。自警隊本部前でソフィスタさんたちと別れてすぐ、図書館から借りてきたんです」
 ホークはテーブルに両手を付き、ソフィスタに話し始める。メシアはホークの隣に立ち、腕を組んで本を見下ろす。
「借りたって…今は図書館は一般公開されていないぞ。それに、そのラベルが貼られている本は、特別図書庫に保管してあるやつじゃねーか。それは貸し出し禁止のはずだぞ」
 図書館は、休校日のみ一般公開されているが、本の貸し出しは許されていない。基本的に学校関係者と、ちゃんとした手続きを取って許可を得た者しか本を借りることができないのだ。
 しかし、特別図書庫に保管してある本は、歴史的価値のある貴重な書物や、人を脅かす危険な魔法…禁呪とされた魔法の使い方が記されている書物などで、一般公開はもちろん、貸し出しも禁止されている。館内で読むにも、いちいち司書に許可を得なければいけない。
 だが、そんなことをメシアが知っているはずもなく、ソフィスタとホークの会話についていけなくて黙っていた。
「うん、だから、こっそり持ち出してきたんです」
「まさか、図書館に忍び込んだのか?しかも特別図書庫に?あそこの鍵は、かなり厳重なはずだぞ。どうやって忍び込んだんだ」
「それは、掃除屋の企業秘密です。…そんなことより、聞いて下さい。ボク、ソフィスタさんに、ヴァンパイアカースのことは本で読んだことがあるって言いましたよね。それで、ウルドックって人の名前を聞いたことがあるような気がして、この本を調べたんです」
 そう言って、ホークは本のしおりが挟んであるページを捲った。ソフィスタは身を乗り出し、メシアは腰を屈めて、開かれたページを覗き込む。
 表紙と比べると、中の紙のほうが古く、変色が激しかった。おそらく、後で誰かが表紙だけ取り替えたのだろう。
 ホークが開いたページには、細かい文字がびっしりと書き詰められているが、メシアには読めなかった。
「ほら、ココを見て下さい。ウルドックの名前が書いてあるんですよ」
 ホークが指でなぞった文を、ソフィスタが眼鏡を軽く押さえながら読む。
「確かに、ウルドックの名前だ。それに、この内容…」
 最初はページを覗き込んでいただけのソフィスタだったが、文章を目で追っている内に、自然と両手が本へと伸ばされた。
 それに気付いたホークが、本に押し当てていた指を離すと、ソフィスタはすぐに本を持ち上げ、開いたページを食い入るように読み始める。
「ソフィスタ?その本に、一体何が書いてあるというのだ」
 ただ事ではないソフィスタの様子が気になり、メシアは尋ねた。
「…こりゃ、特別図書庫に保管されるわけだ。この本は、ヴァンパイアカースを生み出したヤツが、その研究内容を書き残したものじゃねーか」
 それを聞いて、メシアは「何っ!?」と声を上げた。
「そう。その本は、ヴァンパイアカースを生み出した魔法使いが使っていたノートです。そいつが住んでいた国が滅んでから、別の国の調査員が見つけたって、裏表紙に書いてありました」
「では…まさか、ヴァンパイアカースの生み出し方が書き記されているのか!?」
 あの恐ろしい呪いを生み出す方法が書いてある本が存在するのでは、いつ誰が間違ってヴァンパイアカースを生み出してしまうか分からない。そう不安に思って、メシアは声を荒げた。
 だが、ホークは首を横に振った。
「これは二冊目の研究ノートで、ほとんどヴァンパイアカースを生み出した後の日記みたいな内容です。一冊目のノートは燃えてなくなってしまったそうです」
「ああ。ヴァンパイアカースの生み出し方は、一冊目のノートにまとめて記してあったのかもしれないな。二冊目のノートに書いてあることを読んだだけじゃ、ヴァンパイアカースを生み出すのは難しいよ。欠けているページもあるし…」
 ホークとソフィスタの言葉に、メシアはホッとする。
「そうか…。それで、その本には、どのようなことが書いてあるのだ。私にも教えてくれ」
 メシアがそう頼むと、ソフィスタは字の読めないメシアに代わり、本の内容を朗読し始めた。


 *

 魔法アカデミーの実験棟にある、第三実験室。この部屋では、魔法薬品を使う実験などが行われている。
 そのため壁際の棚の中には、試験管やビーカー、薬品が入ったビンなどが詰め込まれており、さらに棚の上には、数台の顕微鏡が並んでいた。
 カトルは、その顕微鏡の内の一台をテーブルに下ろし、細かくしてガラスケースに集められたウルドックの破片を、顕微鏡で観察していた。
 カトルの他にも、数人の生徒と教員が、協力し合って破片を調べている。
 本日、登校してきた生徒たちは、ヴァンパイアカースの知らせを受けた時は校内に待機させていたが、校門前でのウルドックとの戦闘が終わると、用の無い生徒は帰宅させた。
 今、学校に残っているのは、第三実験室にいる者を除くと、見回りの警備員と教員が数名、そして職員室で残業中の教員が二人くらいである。
「っう〜疲れた!」
 顕微鏡を覗き込んでいたカトルは、腰に手を当てて背中を仰け反らせた。
「カトル先生、お休みになってもいいですよ。MAゴーレムに乗っていたとは言え、ずいぶん魔法力を消費したでしょう」
 隣で、同じく顕微鏡を覗き込んでいたエメが、顔を上げてカトルを労る。
 MAゴーレムには、魔法力を増幅させる装置と、魔法のコントロールを補助する装置が設けられているので、生身で魔法を使うのと比べると、消費する魔法力も少なく、より正確にコントロールできるのだ。
 しかし、ヴァンパイアカースによって操られているだけの自警隊員との戦闘は、手加減していても精神的な疲労を蓄積していった。
 こんな時、アズバンの気楽な性格が羨ましく思える。まあ、彼にも彼なりの気苦労があるのかもしれないが。
「なに、アズバン先生も、今も校内の見回りをしているんです。私だって、まだ頑張れますよ」
 カトルは仰け反っていた背中を戻し、親指で腰を揉む。
「ところでエメ先生、何か分かったことはありますか?」
「ダメですね。今のところ、新しい発見はありません」
 ウルドックの破片を調べ始めてから、二十分は経過していた。
 まず分かったことは、死んだ細胞の塊だということ。
 分かりやすく言うと、ミイラの体の一部を砕いたようなもので、人間の細胞であることは確かだった。そんな体をどうやって保持していたかは分からないが、細胞は非常に古く、数時間前まで動いていた人間のものだとは、とても信じられない。
 それに、解呪剤を打たれて体が崩れていった感染者など、聞いたこともなかった。
「ホント、ウルドックに関しては、分からないことだらけですね。ただのヴァンパイアカースの感染者とも違いましたし、感染者に命令していましたし…」
 感染者に噛みつかれた人間が、噛みついた感染者の言うことを聞くようになるという事例も、聞いたことがない。
 まるでウルドックは、ヴァンパイアカースの感染者の親玉のようだった。
 三百年前を含む全ての感染者は、元を辿るとウルドックから呪いを受けていたのではないか。
「もしかしたら、ウルドックが全てのヴァンパイアカースの元凶だったのかもしれませんね」
 カトルと同じことを考えていたらしく、エメがそう言った。
「そうですね。だとしたら、ウルドックがいなくなった今、感染者は親玉を失ったわけですが…」
 物を操る魔法は、術者が魔法を止めると効力を失うように、ヴァンパイアカースも、ウルドックがいなくなれば消えるかもしれない。そんなことを、カトルは期待していた。
 しかし、ウルドックの体が崩れてからも、感染者は血を求めていた。
 やはり解呪剤がなければ、ヴァンパイアカースを消すことができないのだろうか。
 それとも、メシアが聞いたウルドックの遺言通り、何かを滅ぼさなければ危機は去らないのだろうか。
「そう心配しないで下さい。ソフィスタさんとメシア君が頑張ってくれたおかげで、被害が少なくて済みましたし、呼びかけた街からも解呪剤を届けてくれますよ。私たちは、私たちにできることをやりましょう」
 カトルの不安を汲み取ったエメが、そう言って慰めた。
 不安なのは、きっとエメも同じだろう。それでも自分を慰めてくれた彼女に、カトルは微笑んで「ありがとうございます」と礼を言う。
「すいません!皆さん、ちょっと来て下さい!」
 直後、生徒の一人が椅子を引いて立ち上がり、そう声を上げた。カトルとエメを含む全員が、何事かと、声を上げた生徒の周りに集まる。
「ウルドックって人の体とは違う砂が出てきたんです!見て下さい!」
 生徒は、たまたま手を伸ばした先にいたカトルの袖を引き、顕微鏡を覗き込むよう促す。
「砂?集めた時に混ざった地面の砂じゃないだろうな」
「違いますよ!コレは土ゴーレムに使う、魔造土の砂です!」
 土ゴーレムとは、物質操作系の魔法によって操られる、土でできた人形のことである。普通の人形とは違い、形や硬度を変えられるというメリットがあるが、そのぶん操作が難しい。
 だが、魔法アカデミーで開発された魔造土を用いれば、MAゴーレムのように操作しやすく、かつ強力な土ゴーレムができるのだ。
 生徒の言葉に驚かされたカトルは、慌てて顕微鏡を覗き込む。
「…本当だ!確かにこれは魔造土だ!」
 カトルは顕微鏡から目を離し、隣に置いてあるシャーレを手に取った。中には、これから顕微鏡で調べる予定の破片が入っている。
 ウルドックの体の破片は、色も大きさもまばらであったが、よく観察すれば、肉眼でも魔造土との見分けはつく。シャーレの中には、半分以上は魔造土が入っていた。
「たまたま地面に落ちていた魔造土が混ざったで済む量じゃなさそうだな。もっとあるかもしれない」
 隣に立っているエメにもシャーレを見せると、彼女も「まあ、本当だわ」と目を見開いて驚いた。
「どれだけ混じっているか調べましょう!皆さん、先に肉眼で魔造土を見分けて、別のシャーレに集めて下さい!」
 エメの言葉で、集まっていた教師や生徒たちが、一斉に元いたテーブルに戻り、置いてあるシャーレの中の破片を調べ始めた。


 *

 ノートの内容と、ソフィスタとホークが知っているヴァンパイアカースに関する知識をまとめると、こうなった。
 ヴァンパイアカースは、生みの魔法使いの名を借りて名付けられた呪いであり、その魔法使いの名がヴァンパイアである。
 ヴァンパイアは、自分が住む国の王の命により、強力な呪いを生み出した。
 その呪いは、一人の人間を媒体とし、その人間の体の一部が他の人間を傷つけることによって、感染するものだった。
 媒体に傷つけられた者は、人間の血を異常に欲し、その牙を通じてヴァンパイアカースを感染させられるようになる。
 だが、ヴァンパイアカースは人間の体そのものに感染するのではない。
 人間が持つ魔法力。ヴァンパイアカースは、それを汚染するのだという。
 魔法力を通じ、感染者は呪いに洗脳される。だが、感染者の呪いは、あくまで媒体となった者の呪いの分身。媒体の呪いの意思の支配下にある。
 感染者は呪いの意思に…媒体となった人間に従う。つまり、ウルドックこそが媒体となった人間だったのだ。
 そして、媒体の呪いと感染者の呪いの違いは、命令する側とされる側に分けられるだけではなかった。
 感染者は呪いによって洗脳されるが、媒体は洗脳されるのではなく、心と体を呪いの意思に乗っ取られるのだ。
 ソフィスタやザハムは、呪いに洗脳されながらも、人格は変わらなかった。ただ、媒体であるウルドックの命令に従わなければいけないということと、人間の血を吸いたいという理性を失うほどの欲求を、心に植え付けられただけだった。
 しかし媒体のヴァンパイアカースは、媒体となった人間の人格を根本から変え、ある程度は体を変化させることもできるのだ。
 だから、媒体が命を失っても、完璧でなくとも肉体を維持し、動かすことができた。解呪剤を打たれて体が崩れたのは、ヴァンパイアカースが解呪剤によって消え去り、元々死体だった肉体を維持できなくなったからだろう。
 また、土ゴーレムとは違い、媒体の操り手は魔法使いではなく、ヴァンパイアカースそのものである。
 媒体の肉体には、受けた魔法に込められた魔法力を吸収する能力と、傷つけた人間の魔法力を奪う能力が備わるので、呪いを生み出したヴァンパイアの死後も、効力は失われなかったのだ。

 ソフィスタはノートを閉じ、テーブルの上に置いた。メシアの前にある空のティーカップと、拭き終えてテーブルに置いてある耳飾りが、僅かに揺れて音を立てる。
「ここからはあたしの推測だけど、ヴァンパイアがウルドックを媒体とし、呪いを施したはいいが、呪いの意思はヴァンパイアの言うことを聞かずに暴走し、世にヴァンパイアカースの恐怖をばらまいたんじゃないかな」
 メシアの隣に腰をかけたホークは、ソフィスタの話を頷きながら聞いていたが、メシアは今にも頭から煙が出てきそうなほど悩み込んでいる。
 魔法に疎いメシアが、一度の説明で理解できるとは最初から思っていない。ソフィスタは面倒臭そうに「全部理解しようとする必要は無い」とメシアに言った。
「ヤツが洞穴の中にいたことについては、解呪剤が作られてからウルドックは追いつめられ、洞穴に隠れて閉じ込められたんだと思う」
「う・うむ…だが、洞穴の中で見たウルドックの体は、右手の爪を体に取り込むまで、全く動かなかったではないか。あれは、どういうことなのだ?」
 メシアの質問に、どうせ説明しても理解できないだろと思いながらも、自分の考えを述べた。
「洞穴の中に閉じ込められた後にしろ前にしろ、ウルドックの体は既に死体になっていたため、維持するには相当の魔法力が必要となっていたんだろう。でも、洞穴の中じゃ魔法力を奪える相手もいないし、生きた人間のように、休んで魔法力が回復することもできないので、残りの魔法力を肉体の維持だけに集中し、冬眠に近い状態となることで魔法力を温存していた。そして、昨日の土砂崩れで自由を取り戻した右手が、あたしから奪った魔法力を爪を通じて体に吸収させ、体も動かせるようになった…ってとこじゃないか」
 この説明にも、いまいち理解できていないようで、メシアは腕を組んで唸っている。
「無理して理解するなっつってんだろ。それより気になるのは、どうして体から切り離された右手が動いていられたのかってことだ」
 ソファーにもたれかかって天井を仰ぎ、ソフィスタはため息をついた。
 媒体は、体の一部を切り離して操ることができるとは、ノートのどこにも書かれていなかった。
 少なくとも、媒体から感染した人間には、切り離した体を操ることなどできないはずだ。
 もしかしたら、このノートの欠けているページに真相が書かれているだけで、媒体にはそういった能力が備わっているのかもしれない。
 しかし、媒体の本体が冬眠状態でも、切り離された体の一部は動けるなんて、都合がよすぎる気がする。
 それに、感染者は確かに媒体の言うことを聞くが、それ以上に呪いの意思を汲み取って行動することはない。それは、計画性の欠片も無くソフィスタに襲いかかろうとしたザハムが実証している。
 本部に保管してある解呪剤が無事だったのも、ウルドックの指示が至らなかったせいなのかもしれない。
 だが、あの右手は、まるで自分で考えているかのように行動していた気がする。
 このノートの欠けているページに真相が書かれていたとしても、それは調べようがない。
 …そういえば、本部にあった解呪剤が、一つだけ減っていたってザハムが言っていたな。それは、どうして…。
「あの、ソフィスタさん」
 不意にホークが、そわそわしながら声をかけてきた。ソフィスタは天井を仰いだまま「何?」と返事をする。
「もう、このノートは読まないですか?遅くならないうちに、図書館へ返しに行きたいんですけど…」
「ん…ああ、そうだな」
 窓の外へ視線を投げると、空は完全に夜のそれへと変わっていた。
 ヴァンパイアカースの件もあるし、ホークくらいの子供の帰りが、これ以上遅くなると、家族も心配するだろう。
「じゃあ、コレ持っていきますね。また何か分かったら来ますね」
 ホークはノートを鞄の中に入れると、そそくさと立ち上がって、窓へと向かった。
「って、おい、また窓から出ていく気か?」
 ソファーから立ち上がって、ソフィスタはホークを呼び止めようとするが、ホークは全く聞いておらず、さも当然のように窓を開けて出ていった。
 彼が去った後、開けっ放しの窓の両脇で、カーテンが静かに揺れる。
「…あのクソガキ…」
 ソフィスタは肩を竦め、メシアは無言で立ち上がって窓を閉めに行く。
「そういえば…ソフィスタ。あの本には、呪いをかけられる前のウルドックについては、書かれていなかったのか?」
 ソファーに座り直し、ぬるくなってしまった紅茶をすするソフィスタに、メシアは窓を閉めながら尋ねた。
 紅茶を飲み込み、口の中を空にしてからソフィスタは答える。
「ウルドックは、ヴァンパイアと同じ国に住む学者で、王の政治の補佐もしていたらしいよ。だけど、他の国を武力で支配しようとする王のやり方に不満を感じ、密かに王の行動を他国に伝えて、戦争を防ごうとしていたんだって。でも、それに気付いた王がウルドックを捕らえ、ヴァンパイアに差し出して魔法の実験台にしたそうだ。…その実験に失敗して、国が滅びたのは…自業自得なんだろうけど、巻き込まれた国民にとっちゃ、たまったもんじゃ ねーな」
 ヴァンパイアは、何があったかは知らないがウルドックを嫌っていたようで、ノートの後ろのほうにはウルドックへの不満がダラダラと記されていたのだった。
 答え終えたソフィスタは、ティーカップを受け皿に戻し、代わりに食べかけのパンを頬張った。メシアは俯き、「そうか…」と呟く。
 そういえば、メシアはウルドックの最期の様子を知っているんだったなと、ソフィスタは思い出した。
 ソフィスタとメシアを苦しめ、ザハムたちに仲間同士で傷つけ合わせ、街の人々を恐怖に陥れていたウルドックが、最期になって見せた笑みと、「ありがとう」という言葉。
 残虐なウルドックと、最期の優しげなウルドック。どちらが本当のウルドックだったのかを、ソフィスタの話でメシアは確信したのだろう。
 ウルドックは、本当は正しい心の持ち主だった。それ故、彼の最期がメシアの心を痛めているのだろうか。
 少しだけ見えるメシアの表情は、辛そうなものだった。
 口の中のパンを噛みながら、ソフィスタはメシアに声をかけるべきかと悩んでいたが、気の利いた言葉が思い浮かばず、パンを呑み込んでからも気まずそうに黙っていた。
 そして、メシアを慰めてやろうと考えていた自分に気付き、それを忘れようと首を横に振った。


 *

 自警隊の感染者、そしてウルドックとの戦闘を終えた後、二体のMAゴーレムは、カトルの空間転移魔法によって、魔法アカデミーの地下の格納庫に移されていた。
 格納庫は、第四実験室の奥にある。校内の見回りをしていたアズバンは、念のため様子を見に格納庫に入った。
 出入り口の脇の壁にあるスイッチを入れると、室内にある魔法のランプが灯りを灯し、部屋全体を照らし出した。
 室内には、アズバンとカトルが乗っていたMAゴーレムが二体。そして、もう一体のゴーレムが格納されている。
 その紫色の装甲は、青と黄色の二体のMAゴーレムと比べると小さいが、それでも大人二人ぶんほどの大きさもあれば、アズバンから見て十分大きかった。
 アズバンは、三体のゴーレムの様子を眺めながら、室内を一周する。
 …外で暴れさせた二体は、だいぶ汚れているし、攻撃の跡も少し残っているようだね。あとで汚れを落として、塗装し直さないと…。
 出入り口の手前まで戻り、改めて室内を見回し、異常がないことを確認すると、スイッチを切って灯りを消した。
 その時、ズボンが切り裂かれる音と共に、アズバンの脹ら脛に僅かな痛みが走った。
「いっ…!」
 痛みと驚きで声を上げ、足下を見回したが、暗くしたばかりで目も慣れておらず、何があって脹ら脛が痛んだのか、すぐには分からなかった。
 だが、急に目眩がして壁にもたれた時、痛みの原因に気付いたアズバンは、「マズイ…」と呟いた。


  (続く)


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