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ありのままのメシア 第六話


   ・第三章 拉致乙女

「…結局、プルティは姿を見せなかったな」
 放課後、昇降口を抜けて外へ出たところで、巻衣を羽織って隣を歩いているメシアが、そう呟いた。
 ソフィスタは、プルティがメシアに何かちょっかいを出してくるのではないかと心配していたが、以外と静かだった。
 だが、逆にそれが不気味だった。プルティは昼休みになると、しょっちゅうソフィスタの個室に押しかけてきたものだが、今日は来なかった。それどころか、ソフィスタが校長と話をしている間にメシアがプルティと会って以来、全く姿を見ていない。
 メシアから、ソフィスタを押し倒した回数を聞かされたことが、そんなにショックだったのだろうか。それとも何か企んでいるのだろうか。
「いっそこのまま、あたしにつきまとわなくなればいいんだけどな」
 面倒臭そうにソフィスタがそう言うと、それを聞いたメシアがソフィスタを見下ろし、「なぜだ」と尋ねてきた。
「なぜって…見りゃわかるだろ。あんな奴につきまとわれてちゃ、うっとうしくてたまんねーよ」
「だが…そもそもお前は、普段から誰かと楽しく話したり遊んだりすることが全く無いではないか。プルティがいなくなれば、ますます誰とも交流できなくなるぞ」
「そのほうがいいんだよ。お前だって、もう魔法で攻撃されたくないだろ」
「…私に一番攻撃を加えているのは、貴様ではないか…」
「そこにさらにプルティに加わって欲しいのか?」
「貴様が私を攻撃しなくなるという選択肢は無いのか!!」
 そうやって話をしながら正門をくぐろうとした時、ふいにメシアが立ち止まって、赤みを帯び始めている空を見上げた。
「ん?どうかしたのか、メシア」
 正門をくぐってからメシアの様子に気付いたソフィスタも、立ち止まって振り返る。
 周りには何人もの生徒が歩いているが、空を見上げているのはメシアだけである。
「おい、どうしたんだよ」
 メシアのもとまで引き返し、彼の視線を追ってソフィスタも空を見上げた。すると、何かが飛んでくるのが見えた。
 小さいためか遠いためか、飛んでくる物体が何なのかは分からず、メシアが気付かなければソフィスタも気付かなかっただろう。
「…ソフィスタ。あれは、ゴーレムではないか?」
 ここからではまだ白い点にしか見えないというのに、飛んでくる物体を言い当てたメシアに驚かされ、ソフィスタは思わず「えぇっ?」と声を上げた。
「ゴーレム?何で分かるんだよ」
「ほれ、形が似ているではないか」
 ほれ、と言われても見えないのだが、メシアの視力の良さは知っているし、適当なことを言っているとも思えない。メシアがゴーレムと言うからにはゴーレム、もしくはゴーレムと姿が似ているものなのだろう。
 眺めていると、ソフィスタにも輪郭が捉えられるほど近付いてきて、三角錐状の機体から腕のようなものが伸びているのが分かった。確かに、ゴーレムである。
「何でゴーレムが?それに、こっちに飛んでくるような…」
 周りの人間たちもゴーレムに気付き始め、僅かだが風を切って飛ぶ音も聞こえてきた。
 そして、その装甲の色が見えたと思ったら、ゴーレムは突然こちらへ向かって猛スピードで急降下してきた。
「うわあっ!?」
「ぬおぉっ!?」
 ソフィスタとメシアは、迫り来るゴーレムから逃れようと走り出した。周囲の人々も、散らばってその場から離れる。
 しかしゴーレムは、ソフィスタが逃げる方向へと軌道を変えて突進してくる。その姿も既にハッキリと見えていたが、中で操縦するMAゴーレムに形は似ているものの、装甲は魔法特性を表す三色には無い淡いピンク色でカラーリングを施されていた。
 さらに、何のためか頭部には黄色いリボンが取り付けられ、フリルで飾られたワンピースを着せられており、腕には白いレースの日傘を吊している。
 いわゆる、ロリータファッションというものである。こんなフリフリで可愛らしい服を着せられたゴーレムに猛突進されると、これはこれで恐ろしい。
 フリフリのゴーレムは腕を伸ばし、三本の指でソフィスタの腰を抱えるようにして掴んだ。
「うわっ!な・なんだあ!?」
 まるで地を這う獲物を捕らえる鷹のようにソフィスタを捕らえたゴーレムは、弧を描いて上昇し始める。
「ソフィスタ!!」
 メシアに名前を呼ばれたソフィスタは、反射的に彼に向けて両手を伸ばした。メシアはその手を掴もうとジャンプしたが、ぎりぎりのところで届かなかった。
 ゴーレムは屋根より高く上昇し、さらにスピードを上げて飛行する。
「くそっ何なんだ一体!」
 ソフィスタは吐き捨てるように叫び、ゴーレムの腕を強く叩いた。魔法も使っていないソフィスタの腕力では、当然ゴーレムはびくともしない。
「ダメよソフィー姉様!あんなトカゲと一緒にいちゃ!」
 もう一度ゴーレムを叩こうとした時、おそらくゴーレムの外部に取り付けられているであろうスピーカーから、女の子の声が響いてきた。
 スピーカーを通しているため、少し声の質が変わっているが、アーネスでソフィスタを「ソフィー姉様」と呼ぶ人間は一人しかおらず、こんなフリフリで自家用っぽいゴーレムを持っていそうな人間も、一人しか心当たりがない。
「プルティ?てめえ、どういうつもりだ!!」
「これ以上ソフィー姉様を、あんなトカゲの手で汚させるわけにはいかないの!」
「はあ?何言ってんだお前。とにかく下ろせ!」
 今度は魔法で攻撃しようと、ソフィスタは魔法力を高め始める。
「待って!それにソフィー姉様に見せたいものがあるの!」
 プルティがそう叫んだので、ソフィスタは発動しかけていた魔法を鎮め、ゴーレムを見上げて「見せたいもの?」と聞き返した。
「そう!プルティね、留学先でこっそり調べものをしてたんだ!それはね…」
「うおおぉぉ!待てぇぇぇ―――――!!!」
 突然、プルティの言葉を遮るように、メシアの雄叫びが聞こえた。
 屋根より高い高度を飛んでいるというのに、やけに近くから聞こえるような気がして、ソフィスタは声がしたほうを見下ろした。
「いきなりソフィスタを攫いおって!何者だ貴様は!!」
 なんとメシアは、屋根の上を跳び移りながら、ソフィスタとゴーレムを追っていた。
 巻衣は脱ぎ捨てたのか、羽織っていない。彼は、短距離ランナー以上のスピードで飛ぶゴーレムとの距離を、どんどん縮めていく。
「ギャアァ!なにあんた、バケモノォ!!?」
 プルティが叫ぶ通り、不安定な足場でゴーレムの飛行速度を上回る走りを見せるメシアは、姿が人間であっても怪物並である。
「もうっ!こっち来ないでよ!!」
 ゴーレムは片手でソフィスタの体を掴み、もう一方の手でレースの日傘を握りしめた。
 日傘の先がメシアに向けられると、そこから青白く光る光線が放たれた。
 しかし、ソフィスタの攻撃魔法を散々喰らって勘が冴えてきたのか、メシアは光線が放たれる直前に高くジャンプし、攻撃をかわした。
 光線は屋根に当たると、分厚い氷と化す。
 …あいつ、ホント化け物だ…。
 ソフィスタがそう思っていると、街灯に飛び移ったメシアが左手の紅玉を輝かせ、赤い光の筋を真っ直ぐとこちらに伸ばしてきた。
 光の筋は、光線を放ってきたゴーレムの腕に巻き付き、メシアの体はゴーレムの勢いによって引っ張り上げられて、足が宙に浮く。
「何コレ!?放してェ〜っ!!」
 ゴーレムは腕を激しく振り、赤い光を振り払おうとするが、光は振り払われるどころか全く揺れ動かされない。
「さあ、ソフィスタを放してもらおうか!!」
 メシアが叫ぶと、赤い光の筋は短くなってメシアの体をゴーレムへと引き上げ始めた。
「やだっやめて来ないでー!!」
 半ばパニックになっているプルティが、いくらゴーレムの腕を振っても赤い光は解けず、メシアも近付いてくる。
 宙に吊らされているメシアは、右腕をソフィスタに向けて伸ばした。ソフィスタが腕を伸ばしてもまだ届かないほど離れているが、その距離も間もなく縮まることだろう。
「ソフィスタ!手を伸ばせ!それか光を掴んで…」
 そう、メシアが叫んだ時…。

 ゴォォ〜〜〜〜〜〜〜ン

 メシアは前方不注意により、街の時計塔のてっぺんにある鐘が迫っているのに気付かず、そのまま激突した。
 夜中以外は一時間おきに規則正しく鳴らされている鐘は、規定外の時間に、いつもより大きな音を立てて鳴り響いた。
 ゴーレムの腕に巻き付いていた赤い光の筋は消え、ゴーレムはソフィスタを抱えたまま、時計塔の上を素通りして飛んでゆく。
 メシアの姿は、時計塔に隠れて見えなくなっていた。
「お・おい、メシア!大丈夫か―――――!!」
 鐘の余韻の中に、ソフィスタの声が混じって街に響き渡った。
 しかしそれがメシアに届いたかどうかも分からないまま、ソフィスタはゴーレムに抱えられ、街の外へと飛んでいった。


 *

 フリフリのゴーレムは、街の西にある森の中でソフィスタを下ろした。
 目の前には、三階建ての大きな館があった。
 魔法アカデミーの生徒達が、魔法の訓練などを行う合宿の際に利用する、わりと古い館である。ソフィスタも一度だけ、ここに泊まったことがある。
 かつてはアーネスに住んでいた金持ちの別荘であったが、使われなくなってからは校長が買い取り、改装したそうだ。
「…見せたいものって、ここにあるのか?」
 鐘に激突したメシアのことを、あまり心配していないソフィスタは、既に抵抗を止め、プルティに従っていた。
 メシアと一緒にいてはいけないと言われたが、それに従う気は無い。だが、彼女が言っていた、留学先でこっそり調べたというものも気になる。
 プルティの扱い方ならある程度は心得ているし、こうやってプルティに拉致されるのは、実は三度目である。なので、拉致されたということには全く動揺していなかった。
「ううん。見せたいものは、今プルティが持ってるの。でも、他の人に知られるとちょっと危険かもしれないから、ここに連れてきたの」
 ゴーレムのハッチが開く音がして間もなく、ゴーレムに着せられているワンピースの胸元に垂れ下がっているレースが左右に開き、そこからプルティが顔を出した。
 ゴーレムはレースの日傘を差し、上品に佇んだまま動かなくなる。
「それより、このゴレミィを見て!あ、ゴレミィってゆーのは、このゴーレムの名前ね」
 鞄を脇に抱えてゴーレムから下りたプルティは、ソフィスタの隣に立って腕を組み、ゴレミィの自慢を始めた。
「パパが特別に作ったゴーレムを、プルティ好みにコーディネートしたの!か〜わいいでしょ〜☆およーふくも日傘も特注で、ココの刺繍はプルティが縫ったんだ〜」
「校長が特別に作ったって…お前専用に作られたゴーレムなのか?」
「ううん。パパが装甲が魔法鉱石ミスリルのゴーレムを特別に作っていて、それを勝手にいじったの」
「勝手にいじるなよ…って、ミスリル?」
 魔法鉱石ミスリルは、昔から研究され続けている、人工の鉱石である。
 はるか昔、人間を滅ぼさんとする悪魔がこの地に降り立った時、それに対抗すべく人間が作り出した鉱石がミスリルとされているが、あくまで一説であり、はっきりとした起源は分かっていない。
 元々魔法力に感応しやすい鉱石を、魔法で強度や形を変えられるように加工したものがミスリルと呼ばれているのだが、作り出すには膨大な魔法力が必要であり、その技術もごく一部の人間しか知らず、公にされていない。
 しかし、既に加工を加えられてミスリルとなった鉱石を、さらに武器や道具へ加工するのは難しいことではない。MAゴーレムやRAゴーレムにも、一部にミスリルを用いることで、魔法力による操作などが可能となっている。
 装甲などにもミスリルを用いれば、魔法力を注ぐだけでいくらでも強度が増し、複雑な回路を組み込まなくても思い通りに動かせるゴーレムが出来るのだが、ミスリルはそう簡単には手に入らない代物であり、価値も高い。魔法学の街アーネスだからこそ、ゴーレムを作れるほどの量のミスリルを集めることができたのだろう。
 そんな貴重なミスリルゴーレムを、ここまで自分好みに改装するプルティは、度胸があるのやら何も考えていないのやら…。
「ソフィー姉様なら、このゴーレムの凄さが分かるでしょ♪」
「…凄さが分かっていないのは、お前のほうなんじゃないか?」
「でもね、ソフィー姉様に見せたいものは、このゴーレムじゃないの」
「そりゃ、あそこまで堂々と街を騒がせた物体が、他の人間に知られると危険かもしれないものなわけないだろうな」
「ほら、早く館の中に入りましょっ。ソフィー姉様にとって、このゴレミィよりずっと興味深いものになるはずよっ」
 ソフィスタの突っ込みを全く聞いていないのか、プルティはニコニコと笑ってソフィスタの腕を引く。
「わかったわかった。見てやるから、そんなに引っ張るな」
 思えば、プルティがやっと留学でアーネスから出ていったと安心したら、今度は常識外れのトカゲ男がやってきた。
 アーネスにいる限り、ソフィスタは誰かしらの世話を焼く運命にあるのだろうか。
 …まあ、興味深い何かを仕入れてくれたってんなら、付き合うか。メシアもそのうち来るだろうし。
 屋根を飛び移りながら、ゴーレムのスピードに食らいついていたメシアを思い出すと、彼なら地の果てでも追いかけてきそうな気がする。
 わざわざ街へ戻らなくてもメシアと合流できるのなら、プルティが見せたがっているものを見てからでもいいだろう。ソフィスタはそう考え、留学先でのどうでもいい出来事を楽しそうに放すプルティの言葉を聞き流しながら、館の中へと入った。


 *

 ゴーレムが現れた時、アズバンは昇降口前で掃除用具入れの整理をしていた。
 飛行音は校舎の中まで響いていたようなので、校長や他の教員たちに連絡する必要はないだろう。
 それに、あのフリフリのゴーレムは、プルティが勝手に服を着せた校長のゴーレム。おそらくプルティが操縦しているのだろう。そして彼女が何かやらかす時は、決まってソフィスタが絡んでいる。
 アズバンは、掃除用具入れの中からほうきを持ち出し、正門から外へ飛び出した。すると、メシアの巻衣が目の前にヒラヒラと舞い降りてきた。
 ソフィスタだけではなく、メシアの身にも何か起こっているようだ。アズバンは巻衣を拾い、適当に丸めて脇に抱えると、ほうきの柄に跨った。そして、魔法で自分の体ごとほうきを浮かせ、ゴーレムを追って飛行し始めた。
 西へと飛行するゴーレムのスピードは速く、引き離されるばかりだったが、ゴーレムのすぐ後ろで屋根の上を移動していた緑色の大男が時計塔の鐘に激突したのが見えたので、ゴーレムを追うのを諦め、彼のもとへと向かった。
「メシアくん!!」
 アズバンが時計塔の下に着いた時には、メシアは既に地上で仰向けになって倒れており、彼を中心に地面がえぐれていた。落下した際の衝撃の強さがうかがえる。
 あれだけの高さから落ちたにもかかわらず、血は流れ出ていないようだ。だが内出血の可能性があるので、アズバンはほうきから下りると、急いで彼の様態を調べようとした。
「あ〜うるさかった…」
 しかしその直前、メシアがそう言って両足を振り上げ、下ろす勢いで体を起こした。
「…それだけ?」
 鐘に激突した上に、塔から落下して地面に叩きつけられた者が、何事もなかったように起き上がり、痛かったより先にうるさかったという感想を述べるとは。メシアの体はどれだけ丈夫なのだろうか。
 ポカンとした顔で呟いたアズバンを見て、メシアは「何が?」と言った。
「いや、頭を打ったりはしていないかい?他にも怪我をしているんじゃ…」
「擦り傷くらいはあるが、大した怪我は無い。かろうじて受け身を取ったのでな」
 受け身を取ったから無事でした、で済むもんじゃないだろう…とアズバンは思ったが、もう突っ込むのはやめておく。
「それより…あのヒラヒラした服を着たゴーレムは、どこへ行ってしまったのだ」
 メシアは空を見上げるが、ゴーレムの姿はどこにもなく、飛行音も聞こえなくなっていた。
「ゴーレムなら、おそらく街の西にある森へ行ったんじゃないかな。あそこには学校の合宿所があるからね。大きな建物だから、森に入ってもすぐ見つかるよ」
 西の森の中にある合宿所は、学校が長期休暇になると多くの生徒が利用するが、使われていない間は校長やプルティが個人的に利用していることを、アズバンは知っていた。
「でも、どうしてメシアくんは、あのゴーレムを追っていたんだい?」
「なぜかは分からぬが、あのゴーレムがソフィスタをさらっていったのだ!私は奴を追わねばならぬ!」
 そう意気込むなり、メシアは西へと走り出した。どうやら本当に怪我などの心配はなさそうである。
「え、ちょっと待ってくれ!さらったってどういうことだい!?それに、この布きれを忘れているよ!!」
 アズバンは脇に抱えている巻衣を指しながら、メシアを呼び止めようと叫んだ。しかし、彼の耳には声が届かなかったようだ。砂煙を上げて、メシアは走り去ってゆく。
 ゴーレムも腰を抜かしそうな勢いで走り去ったメシアを、ほうきで飛んで追おうかどうかアズバンは迷ったが…。
「まあいいか。コレ、長く乗っていると尻が痛くなるし…」
 巻衣も後で返せばいいやと、わりとあっさりと決断し、アズバンは歩いて魔法アカデミーへと戻った。


 *

 ソフィスタは、館の三階にある一室に案内された。
 プルティは、壁の窪みの中に置かれている燭台に魔法で火を灯し、ソフィスタをソファーに座らせ、テーブルにお茶を出す。
 そしてソフィスタの隣に腰掛けて鞄を開き、中から一冊のノートを取り出した。小さな錠前付きで、表紙には可愛らしい動物が描かれた分厚いノートである。
 プルティはポケットから取り出した鍵で錠前を外し、ノートを開く。
「じゃじゃ〜んっ!これがソフィー姉様に見せたいもので〜っす」
 最初のページを開いた状態で、プルティはソフィスタにノートを差し出した。ソフィスタは両手のグローブを外してソファーに置き、ノートを受け取る。
「実はプルティねえ、留学先でこっそり調べていたことがあるんだ〜。ソフィー姉様ならゼ〜ッタイ気に入ると思うよっ」
 寄り添ってくるプルティを肘で押し退けながら、ソフィスタはノートの一ページ目に書き込まれている内容を確認する。
 そこには、丸まった文字で『プルティの獅子吼事件調査結果(は・あ・と)』と書かれ、周りには花のイラストが描かれていた。
「…獅子吼事件…!これって、調査を禁じられているやつじゃないか。こんなもの調べてきたのか」
 ソフィスタが驚いている様子を見て、プルティは満足げに笑った。
 『獅子吼事件』とは、西のトルシエラ大陸にある、人類発祥の地とされている『聖地アムセル』で起こった、原因不明の魔法力消失事件のことである。
 聖地アムセルは、ヘロデ王国というトルシエラ大陸の大部分を統べる国の領土だが、獅子吼事件は、その国で起こった。
 王はその事件で右腕と左目を失ったというが、何故かその理由を明かそうとはせず、事件についての調査を固く禁じ、今でも追求する者には罰を与えている。
 そのため、魔法力に関する事件であるにもかかわらず、アーネスにも資料は無く、ただそんな事件があった程度にしか知られていない。
 ちょうどソフィスタが生まれた年に起こった出来事なので、興味を持って調べようとしたことはあるが、いかんせん情報が少なく、獅子吼事件のことを調べていることを知られると捕まる危険もあったため、すぐに断念した。
「そうそう。でもねえ、留学先にいる先生が、極秘裏に調査を進めているグループの一人だったんだよ。その人に、ソフィー姉様なら何か分かるかも知れないって言ったら、事件のことをまとめた資料を見せてくれたの」
「…それでも、よくそんな極秘事項を教えてくれたな」
「うん。ちょっと魔法で探ったり脅したりもしたから☆」
 不良に脅されてビクビクしていたプルティが、今度は人を脅す側に立つようになるとは。しかも、全く悪びれる様子もなく、「エヘッ」などと笑っている。
 利用できるものは何でも利用し、騙せる人間は平気で騙す。そんな考え方を持っているソフィスタは、少しだがプルティを見直した。
「それでね、調べて分かったことを、プルティなりにそのノートにまとめたの。読んで読んでっ」
「わかったから、静かにしていろ」
 肩を揺すってくるプルティを軽くあしらい、ソフィスタは次のページを捲った。


 プルティのノートには、所々に動物などのイラストや、どうでもいいコメントが書かれていたが、それは無視して、獅子吼事件については次のように記されていた。

 十七年前のある日の夜、一瞬で聖地一帯の魔法力が消失するという奇妙な現象が起こった。
 聖地アムセルの中心にあるヘロデ王国では、城内と城下町で使用されている魔法装置が一斉に機能停止し、ほとんどの人間に貧血に似た症状が現れ、魔法力が高い者は失神した。
 さらに、妊娠していた者は後に未熟児を産み、最悪死産した者もいたという。
 アンチマジックのように魔法の効果を魔法で打ち消したのではなく、魔法力そのものが消し去られたのだ。そのため、魔法力とは深く関わりのある人間の体にも影響が及んだのだろう。
 そんな中、右腕と左目を失い、血を流しているヘロデ王が城内で発見された。治療に当たった人間の話では、痛みのせいか正気を失っていた王は、化け物に襲われたと騒いでいたらしい。

 それから間もなく田畑が荒れ始め、近隣の森では多くの植物が枯れ果てた。
 聖地アムセルは、特に強い魔法力を帯びている大地であるため、その地で育つ植物も魔法力を水のように生命活動の源としている。突然魔法力が消えれば、砂漠に投げ出されたように枯れ果ててしまうのも当然だろう。
 やむなく人々は別の土地に移り、枯渇した大地が生気を取り戻すまでの四年間を、そこで過ごした。

 この事件が『獅子の咆吼事件』と呼ばれるようになったのは、事件当時、気を失っていた者が口々に「気を失う直前に獅子の咆吼のような鳴き声を聞いた」と話していたからである。
 そのため、王が化け物の仕業だと騒いでいた所に居合わせた者が固く口止めされていたにも関わらず、人々の間では既に「獅子の姿をした化け物が王を襲い、この騒ぎを起こしたのだ」という噂が流れていた。
 さらに人々は、化け物の正体を、事件の一年ほど前に亡くなったとされている、王の正室の子供と考えていたようだ。
 王の正室は、一年前にヘロデ王の第一子を身ごもったが、子供は死産し、正室も出産の際に亡くなったとされている。
 しかし当時の噂では、正室は化け物のような姿をした子供を産み、王は正室と子供を悪魔の化身と考え、母子共に地下牢に幽閉したのだという。それを裏付けるように、二人の葬儀は行われておらず、それについて追求することは固く禁じられている。
 もしかしたら、その子供は獅子の姿をしており、今回の事件を起こして去ったのではないか。
 真相を知る者は少なく、語れば罰を与えられるため、もっと詳しく調べることはできなかったが、それだけ複雑な事情が絡んでいるということは分かった。


「…やるじゃないか。お前一人で、よくここまで調べられたな」
 一通りノートを読み終えたソフィスタは、ノートから視線を外してプルティを見ながら言った。
 極秘裏に獅子吼事件を調査しているという人間が調べたことを、単にノートにまとめただけなのだろうが、その極秘事項をここまで聞き出すことができたプルティに、ソフィスタは素直に感心する。
「当然ですぅ!ソフィー姉様への愛があれば、プルティは何でもできるのっ!」
 褒められたプルティは、瞳を潤ませて見つめ返してきたが、ソフィスタはそれを無視し、視線をノートへと戻した。あからさまに無視されても、プルティはニコニコしている。
 …それにしても、この魔法力が消失する現象って…。
「たのも――――!!!」
 突然、館の外から大きな声が響いてきた。深く考え込もうとしていたソフィスタだが、声を聞いた時、それが誰が発したものかはすぐに気付くことができた。
「ううぇぇっ!!誰?もしかしてあのトカゲ?」
 プルティは声が聞こえた瞬間に肩を震わせ、この部屋にはいないと分かっていても反射的に辺りを見回したが、ソフィスタは全く動じておらず、静かにノートを閉じた。
「…思ったより早かったな。じゃ、帰るわ。コレありがとな」
 そう言ってソフィスタは立ち上がり、ノートをプルティに返し、外していたグローブをはめた。
「えっ?帰るって、どこに?」
 きょとんとした顔でノートを受け取ったプルティは、そんなことを尋ねてきた。
「アーネスの自宅に決まってんだろ」
「…あのトカゲと一緒に住んでいる家?」
 プルティはノートをテーブルに起き、ソフィスタのマントの端を抓む。
 ソフィスタがプルティを見下ろすと、それを見計らったようにプルティがまくし立て始めた。
「ダメっ!あんな野蛮でむさ苦しくて気色悪くてバカっぽくて下品でヌメヌメしてるっぽいトカゲなんかと一緒に暮らしていたらソフィー姉様が汚れてしまう!あんなのと一緒にいるくらいなら、プルティと一緒に暮らして!あのトカゲより、プルティと一緒に愛を育みましょう!!」
 プルティはソフィスタの足に、がしっとしがみついた。
「うわっ、放せバカ!そもそも、あたしはあのバカと愛なんか育んじゃいねーし、お前とも育む気はねえ!!」
「嘘だー!一つ屋根の下で愛が育まないもんかー!」
「育んでいないっつってんだろ!顔すり寄せんな!放せ!」
 プルティの頭を両手で押し、しがみつかれる足を激しく振って、やっとプルティを引っぺがした。
「育んでるもん!だってプルティが留学する前のソフィー姉様のほうがずっと冷たい感じがしたし、プルティが留学する前よりよく喋るようになってるんだもん!愛を育んで人間丸くなってきてんだー!そんなのプルティのソフィー姉様じゃなーい!!」
 プルティは床に寝転がり、両手足をじたばた動かし始めた。
 プルティの中のソフィスタ像がどのようなものなのかはともかく、「人間丸くなってきた」と聞いて、ソフィスタは戸惑った。
「は?あたしは別にお前のものじゃないし、お前が留学する前と変わっていねーよ」
 口ではそう言っても、メシアが来てから自分がどこか変わったことを、ソフィスタは既に気付いている。しかし、それを見破られたのは初めてであるため、ソフィスタは戸惑っていた。
 そしてプルティは、そんなソフィスタの動揺にさえ気が付いた。
「やっぱり変わってるぅ!!ヤダヤダ!ソフィー姉様と愛を育むのはプルティなのー!!」
 プルティはがばっと体を起こして立ち上がり、開け放たれている窓に駆け寄って桟によじ登ると、ポケットからピンク色の可愛らしいペンを取り出し、くるくると振り回した。
「プルリン・プルルン・プルラブリ〜ン☆」
 そして、短くて精神的に痛い呪文を呪文を唱えると、ペンが大きくなってステッキ状になった。先端に星の飾りが取り付けらた、分かりやすいほど魔法少女的なステッキである。
「おい、プルティ?何をする気だ!」
 ソフィスタはプルティを捕まえようとしたが、先にプルティが窓から飛び出した。
 ここは三階だが、プルティは宙に浮くステッキに腰をかけるようにして乗り、ソフィスタの目の高さの位置で留まっていた。
「ソフィー姉様はそこで待ってて!私がトカゲにインドーを渡してくるから!」
 そう叫ぶと、プルティはステッキに乗って館の入り口へと飛んでいった。
 この窓は館の裏側にあるため、ここからでは館の入り口は見えない。プルティの姿も、すぐに館の陰に隠れて見えなくなった。
「待ちやがれっての!…ったく、どいつもこいつも面倒臭い…」
 ソフィスタはがっくりと項垂れ、額に手を添え溜息混じりに呟いた。


  (続く)


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