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ありのままのメシア 第六話


   ・第六章 ツンデレ乙女

 館の三階の窓から炎が見えた時、メシアは館が燃えることより、森に火が燃え広がることを心配した。
 部屋の灯りから、ぬいぐるみに火が燃え移ったとしたら、故意ではないとは言え少なからず自分にも責任はある。まだ被害が小さいうちに手を打たなければならない。
 都合の良いことに、メシアの体はプルティの魔法で操られている水に包まれている。メシアは紅玉から伸びている光の筋をつたい、ためらいなく燃えさかる部屋の中に飛びこんだ。
 窓を通過する際に少し水が散ったが、大した量ではないので気付かなかった。
 部屋の中では、放置されていたぬいぐるものほぼ全てが炎に包まれ、カーテンを伝って壁にも燃え移っていた。
 メシアは水に包まれたまま、床いっぱいに埋め尽くされたぬいぐるみの上に、ふよんと降り立つ。窓の近くで転がっているぬいぐるみには燃え移っておらず、部屋の出入り口を塞ぐように山積みになっているぬいぐるみは全て燃え、炎が天井を焦がしていた。
 メシアは紅玉の光を引っ込める。体は水ごと宙に浮いているが、泳げば前に進めるようだ。
 …この水を、ただ振りまくだけでは炎は消せまい。
 この体を包んでいる水では、炎を全て消すには足りない。だが水に包まれているので、自分に燃え移る心配は無いだろう。
 息が保つうちに何とか手を打とう。そう考えながら、ふよふよと部屋の中央まで進んだ時…。
「マ…マッビィィィ…」
 燃えさかっているぬいぐるみの山から、弱った蝉のような鳴き声が聞こえた。
 ぬいぐるみの山は、グラグラと揺れている。
 …まさか、まだ動いているのか?
 嫌な予感がして、メシアは一歩後ずさった。
「マッビィィ―――ッ★゛☆゛★゛☆゛」
 ぬいぐるみの山の中から、燃えているぬいぐるみが数体、ボコッと飛び出してきた。
 ホラー映画さながら、頭が無いものや腕が半分千切れているものが、燃えながらこちらに迫ってくる。その光景に、メシアは一瞬だが恐怖を覚えた。
「――――っ!!!」
 メシアは水の中でゴボッと息を吐いてしまった。空気が減って苦しんでいる間に、ぬいぐるみたちは水の中に飛び込んできた。
 当然、ぬいぐるみの炎は消える。それを見て、メシアは少し落ち着きを取り戻したが、息が苦しいのに変わりはない。
 …しまった!これでは長く保たぬ!
 無理をせず一度外に出て、ソフィスタかプルティに魔法を解いてもらった方がよさそうだ。そう考えている間にも、燃えさかっているぬいぐるみたちが、どんどん水の中に飛び込んでくる。
 ぬいぐるみは、水の中に飛び込むと動きが鈍り、のろのろと体を動かすだけで、近付いてきても攻撃らしい攻撃はしてこない。しかも水を吸ってくれるので、この調子なら全ての水を吸ってくれるのではないかと、メシアは思った。
 しかし、それまでに息が保つ保証はなく、それどころか大問題が発生した。
 飛び込んできたぬいぐるみの熱で、水がお湯になっていく。
 そして、ぬいぐるみが水を吸って質量が減るぶん、熱が水全体に行き渡りやすくなる。
「っん〜んむむ〜っ!!」
 全身が熱く、息も苦しくなってゆく。どんなにもがいても、ほぼ熱湯の中からは逃れられない。
 …だめだ…もう…限界…だ…。
「あ、ちょっと、何やってんのよ!!」
 後ろからプルティの声が聞こえたが、熱いのと息が苦しいのとで、頭が正常に働かなくなっているメシアの耳には届かなかった。
 そして…。
「フガァァァァ―――――――ッッッ!!!!」
 命の危機に瀕したメシアの中で、何かがプツッと音を立てて切れた。


 *

 窓から入ろうとして詰まったゴレミィを見上げ、さっさと壁を壊して入ればいいのにと、ソフィスタは思った。
 水の中に閉じ込められたメシアを見た時は、トカゲだから人より水の中に長くいられるだろうと思っていたが、いざ姿が見えなくなると、やっぱり窒息するんじゃないかと不安が生じた。
 …なにモタモタしてんだプルティの奴!入らなくてもいいから、外から魔法を使って何とかしろよ!!
 そわそわしていると、ゴレミィが「あ、ちょっと、何やってんのよ!!」と叫んだ。さらにその直後、獣のような雄叫びが部屋の中から上がった。
「フガァァァァ―――――――ッッッ!!!!」
 まるで怒れる猛獣のような雄叫びは、大地を揺るがし、ゴレミィと館の壁を吹き飛ばした。実際には、三階の部屋でメシアが暴れているのだろうが、ソフィスタは、その雄叫びだけで館が壊れたように錯覚してしまった。
 瓦礫や木片、黒こげになったぬいぐるみが花火のように飛び散り、黒い煙がブワっと立ち上った。ゴレミィはソフィスタから少し離れた場所に落下し、体を地面にめり込ませた。
 バラバラと落ちてくる瓦礫から逃れようと館を離れながら、ソフィスタは、黒い煙に包まれて見えなくなっている部屋を見上げた。
「お・おい、何が起こってんだ!?」
 何度か爆発のような音と破壊が続き、雄叫びが止んだと思ったら、煙の中からススだらけのメシアが飛び出してきた。
「メシア!!」
 ソフィスタは、メシアが降りてくるほうへと走った。
 髪に絡んだススを撒き散らしながら落下し、地面の上に両足をめり込ませて着地するなり、メシアは体をゴロゴロと転がし始めた。
「あっつぁ―――――!!!あちゃちゃじゃじゃあぢいぁ――――!!!!」
 若干赤みを帯びた緑色の肌と、湿った髪と体にこびりついているスス、体から立ち上がる湯気。そんなメシアの様子にを見て、彼の身に何が起こったのかを察したソフィスタは、あらかじめ高めておいた魔法力を解放し、細かい氷の山を出現させた。
 細かい氷はメシアの全身を覆い、寝転がって暴れていたメシアはピタッと大人しくなった。
「ちょっと、大丈夫?あの部屋の中で何が起こったんだ」
 ソフィスタは氷の山の前でしゃがみ、埋もれているメシアに問いかける。
「だ…大丈夫ではない!!水は熱くなるわ息はできぬわで、ついに天に召されるかと思ったわ!!」
 メシアは氷の中からびしょぬれの顔を出し、息を切らしながら叫んだ。
「…ああ。よく生きていたね。で、何があったんだよ。それに、どうやってあの水を払ったの?」
 氷の粒を片手に掬い、メシアの顔にかけてやりながら、ソフィスタは再び彼に尋ねた。
「も・燃えているぬいぐるみが…また飛び掛かって…きて…水が熱く、なって…息も苦しくて…だから…」
「だから?」
「全て壊してきてやったわ!!」
「説明になってねーよ!」
 ソフィスタは氷の粒を握り締め、メシアの頭の上に叩きつけた。
「いやな、炎も消さなければならぬし、熱湯も払わなければいけないので、とにかく力任せに暴れてきたのだ。他に良い方法もあったのだろうが、苦しくて我を忘れてしまったのだ」
「アブネーな…命の危機に瀕したら、とにかく暴れりゃいいのかよ」
 確かに、すっかり崩れてしまった三階の部屋からは、炎が立ち上る気配は無く、煙もだいぶ薄れていた。ちょっと暴れたくらいでは払えなさそうな水を、どれだけ暴れて払ったのかが気になるが、我を忘れていたのでは聞き出せないかもしれない。
 見るも無惨に破壊された壁を見ると、本当に力任せに水を払ったような気もしてくる。ともあれ、あの様子ではプルティのノートも原型を留めていないだろうし、館もあれだけ壊されてしまえば、確実に校長に呼び出され、何かしらの罰を与えられることだろう。
 しかし、メシアを責める気にはならなかった。
 熱湯に包まれ、息も出来ない、なんて状況に陥ったら、ソフィスタだって冷静ではいられなくなるだろう。そうなると、自分でも何をするか分からない。
 それに、メシアが無事…とまではいかないが、大事に至らなくて良かったという気持ちも、少なからずあった。
 プルティに水でメシアを包めとけしかけたわりには彼を心配している自分に矛盾を感じたが、考えるのは面倒臭いのでやめた。
「まったく。…まあ、バカな発言をする元気があれば上等か」
 ソフィスタがそう言った時、メシアは嬉しそうに口元を緩ませて、ソフィスタを見つめた。
「な・何だよ」
「いや、生きていて良かったと思ってな。お前のその憎まれ口を聞くと、そんな気がした」
 予想外のメシアの言葉に、ソフィスタまで目を丸くする。
「は?罵られることに生き甲斐感じてるのかよ。変態だな」
「そういう意味で言ったのではない!!それに一言多いぞ!!」
「いつものことだろ。慣れろよ」
 熱くなるメシアと、しれっとしたソフィスタの、いつものやりとりが始まった。メシアは充分元気のようだ。
「その口の悪さを正す気にはならぬのか!!」
「諦めろ。いいかげんしつこい…」
「うわあぁぁぁぁ――――――っっ!!!やっぱり育んでるゥ―――ッ!!」
 突然、離れた場所で倒れているゴレミィが、破れて煤けてボロボロになった日傘を振り回しながら叫んだ。ソフィスタとメシアは、揃ってそちらを振り向く。
 ゴレミィは体を起こし、騒ぎながら二人に近付いてきた。
「プルティだって痛い目に遭ったってゆーのに、どーして真っ先にトカゲのほうに駆け寄るの!?しかも何かフツーに話してるしィ!やっぱりプルティがいない間に、二人で愛を育んでいたんだウワーンッ!!」
 そう泣き叫び始めたゴレミィが着ているワンピースも、日傘と同様にボロボロに破けてススと土まみれになっていた。
 よく見ると、腕の装甲がへこんでいる。
 …まさか、メシアがミスリルの装甲をへこましたのか?
 正真正銘の火事場の馬鹿力にしても、操縦者の魔法力が高いほど強度が増すミスリルをへこませるとは、一体どれほどの力をメシアは発揮したというのだろうか。
「おい、一体何を騒いでいるのだ。愛を育むとは、どういうこもがんぐっ!!」
 メシアが氷の山の中から這い出て、プルティに余計なことを尋ねようとしたので、ソフィスタは氷を彼の口の中に突っ込んで止めた。
「だから育んでいないっつってんだろーが!真っ先にメシアに駆け寄ったのも、あいつがやかましかったからだ」
 単純な話、ミスリルゴーレムの中にいるプルティと、いくら体が丈夫とは言え生身のメシアとでは、メシアの怪我のほうを心配するのは当然だ。もしメシアが騒いでいなくても、それはそれで心配したことだろう。
「うぅっ…でもっでもっ…プルティよりもそのヌメり気のあるトカゲのほうがソフィー姉様と仲がいいもん!!」
 ゴレミィの腹部のハッチが音を立てて開き、ワンピースの裂け目からプルティが出てきて、メシアをビシッと指差した。
 メシアと仲が良いと言われたソフィスタは、不機嫌そうな顔で立ち上がり、腰に手を当ててプルティにこう言った。
「こんな気味悪いトカゲと仲良くなった覚えはねーよ。むしろしょっちゅう半殺しにしているくらいだ」
 氷をペッと吐き出したメシアは、ソフィスタの言葉を聞いて「そんなに私が嫌いか!!」と怒鳴ったが、無視された。
「それでも仲がいいの!プルティの目は騙されないんだからあ!やだぁー!ソフィー姉様とっちゃヤダー!うえーん!!」
 プルティはゴレミィから降り、地面に座り込むと、声を上げて泣き出した。
 プルティに意地悪をしているつもりは全くないのに、一方的に泣かれてしまい、ソフィスタは面倒臭そうにため息をつき、メシアはオロオロと困っている。
「こ・これ、泣くな!私とソフィスタが仲が良いかどうかはともかく、お前からソフィスタを取るつもりは全くないのだぞ。私の目的は、あくまで使命を果たすことなのだから…」
 プルティのせいで散々な目に遭ったというのに、メシアは彼女を慰めようとしているようだ。まあ、ソフィスタもプルティを煽ったりもしたが。
 だがプルティは、メシアの言葉を全く聞いていない。
「ヤダヤダぁ!ソフィー姉様を取らないでよう!プルティの友達はソフィー姉様だけなんだもん!ソフィー姉様を取られちゃったら…プルティひとりぼっち…」
 両腕で顔を覆って地面に突っ伏し、プルティは声をしゃくり上げ始める。
「…プルティ。お前にも他に友達がいないのか?」
 そうプルティに尋ねるメシアの、「お前にも」という言葉の中に、自分が含まれていると気付いたソフィスタは、見下されているように聞こえて少しムカッとしたが、メシアにはそのつもりはなさそうだし、友達がいなくても別にいいと思っているので、何も言わなかった。
「…だってぇ…ソフィー姉様と友達になってから、みんなプルティを避けるんだもん…」
 プルティの答えを聞いて、ソフィスタは少し姿勢を崩した。メシアはそんなソフィスタを、何だか微妙な表情で見つめる。
「…な、なんだそりゃ…あたしのせいってか?だったらお前が、あたしにつきまとわなくなりゃ済む話だろ。そもそも、あたしはお前と友達になった覚えはないよ」
「ソフィスタ!お前を慕ってくれている者に対し、そんな言い方はないではないか!!」
「慕えと頼んだ覚えもねーよ」
「頼まれなくても慕ってくれているのだぞ!いや、慕うということは頼まれてできることではないが…」
「違うの!ソフィー姉様は悪くないの!」
 また言い合いが始まりそうだったソフィスタとメシアの間に、プルティの声が割って入る。
「最初っから、みんなどこかプルティと距離を置いてたの。みんなプルティのこと、父親が校長だからって。それに、魔法力が高いのは校長の娘だからとか、校長の娘のくせに筆記は悪いとかって、見下していた人もいるの。…そういうこと、関係なく付き合ってくれるのは、ソフィー姉様だけなんだもん」
 プルティは顔を上げ、涙を溜めた目でソフィスタを見つめた。
 ソフィスタにしてみれば、王様の子供であろうが何であろうが、関心が無いだけである。それをプルティが、どう受け止めていたかなども、全く気にしていなかった。
「うっとうしがっているのは分かってるもん。プルティのこと、友達だと思っていないってことも分かってる。でも、校長の娘だから距離を取っているのとは違うじゃない。他の人は、プルティが話しかけたりすると、どこかぎこちないのに、ソフィー姉様には、そういうものがないじゃない。プルティのことを、蹴ったり叩いたり縛ったりもしてくれるじゃない…」
 それを聞いたメシアが、「蹴ったり叩いたり縛ったりして築ける友情など、あるのか?」とソフィスタに尋ねてきた。ソフィスタは、「いや、それはコイツがしつこいから…そもそも友達になった覚えもないし」と答える。
「…よく分からんが、プルティがソフィスタを慕っているということは、よく分かった」
 メシアはプルティに近付き、彼女の前で地面に片膝を着いた。
「プルティよ。私は、お前からソフィスタを取り上げる気はないし、むしろソフィスタと友達でいて欲しいと願っておる。だがそれでも、私がお前からソフィスタを取り上げているように感じているのであれば…」
 話ながら、メシアが右腕を動かした。それを見て、プルティはビクッと肩を震わせ、ぎゅっと目を瞑る。ぶたれるとでも思ったのだろうか。
 しかしメシアは、広げた手の平を上に向け、そっとプルティに差し伸べた。
「私を、お前の友達にしてはくれまいか?そうすれば、皆で仲良くできて、お互い友達も増えるではないか」
 それを聞いて、プルティは目を丸くして開き、メシアを見つめた。
 散々な目に遭わした者が、まさか友達になろうと言ってくるなど、予想もしていなかったのだろう。メシアの言葉には、プルティだけでなく、ソフィスタも驚いていた。
「私には、校長の娘というものが、なぜ距離を取られるのかは分からぬし、魔法力が高くて筆記とやらが悪いことが、なぜ見下されるのかも分からぬので、対等に付き合えるとは思うのだが…」
 だが、さらに続けたメシアの言葉には、何やらカチンときたようで、プルティは涙を浮かべたままの目で、キッとメシアを睨んだ。
「…な、なによぅ。それは、プルティの立場のことを、よく分かっていないから言えるだけじゃないの!!偉い人の子供に生まれたってだけで、プルティがどんな気持ちでいるか、分かっていないからでしょ!!」
 プルティは、泣き叫ぶようにメシアに言い放った。それを聞いた時、ソフィスタの手が自然と震えたが、メシアにもプルティにも気付かれなかった。
 メシアは、差し出した手はそのままに、ちょっと困った顔をする。
「…確かに、気持ちは分かるとは言えないが…お前は父親のことが嫌いなのか?」
 急にそう問われ、プルティの表情から、怒りが半分薄れる。
「…そんなわけないわよ。パパは優しいし、偉い先生だから、尊敬してる…」
「ならば、それでよいではないか」
 メシアはプルティに、にっこりと微笑んだ。
「血筋を妬まれて寂しい思いをしても、それに負けないほど血筋を誇りに思っているのだろう。誰に何と思われようと、父への気持ちは変わらないくらい、慕っているだろう。そんな親思いの優しい心の持ち主と友達になりたいと思うのに、他に何を知る必要があるというのだ」
 プルティの表情から、怒りが完全に消えた。
 メシアの瞳は、全てを見透かし、それでも全てを受け入れるような、優しく、澄んだ瞳だった。ソフィスタからは見えないが、彼がそんな目をしているということは、言葉からなんとなく分かった。
 校長の娘だから妬まれる。校長の娘だから距離を置かれる。校長の娘だから、何か失敗すると馬鹿にされる。それはプルティにとって、「お前は校長の娘であってはいけない」と言われているようなものだったのかもしれない。
 メシアがそれに気付いたからかどうかは知らないが、彼がプルティに告げた「親思い」という言葉は、確かにプルティが校長の…ニアロという名の立派な男の娘であることと、血筋など関係なしのプルティの本質を、同時に認めているように聞こえる。
 そしてその言葉は、プルティだけではなく、ソフィスタの心にまで浸透する。
 メシアは、さらにずいっとプルティに手の平を近づけた。すると、プルティの手もゆっくりと持ち上げられ、徐々にメシアの手に近付く。
 このまま握手して、めでたしめでたしになるだろうか。そうソフィスタは期待したが、急にプルティが目を吊り上げ、魔法力を一気に高めた。
「そういう問題じゃないって言ってんの―――――!!!」
 プルティの魔法力の高まりに気付いていたソフィスタが止める前に、プルティが怒鳴と同時に魔法力を解放した。
 魔法力を感知できないメシアは、何が何だか分からないうちに、爆風のように強烈な風に襲われ、館の壁まで体を吹っ飛ばされた。
 壁に背中を叩きつけられたメシアは、「ごばっ」と短い悲鳴を上げる。
「め・メシア!大丈夫か!?」
 クレーターを作って壁にめり込んだメシアは、手足の先をピクピクと痙攣させている。ソフィスタはメシアの様子を確かめてこようとしたが、再びプルティが声を張り上げたので、立ち止まった。
「プルティはトカゲとソフィー姉様のツーショットが嫌なの!!あんたみたいなおバカな筋肉モリモリのヌメヌメトカゲの友達なんか、プルティだってネガイサゲだもんねーだっ!!それにプルティがせっかくソフィー姉様のために書いたノートが燃えたのもアンタのせいだからねっ!!」
 そう言いきって「フンッ」と鼻を鳴らすと、プルティは踵を返し、ゴレミィの中へと引き返した。
 プルティがゴレミィのコクピットに身を滑り込ませ、ハッチを閉じると、へこんでいた装甲がベコッと音を立てて元に戻った。魔法によって変形できるミスリルでできたゴーレムには、このような芸当も可能なのであった。
「でも、今日はこれくらいで勘弁してやるんだからね!でもソフィー姉様とトカゲの一つ屋根の下生活を許したわけじゃないからね!覚えてろー!!」
 ゴレミィの中から幼稚な言葉で言いたい放題言ったプルティは、ボロボロの日傘を広げると、ゴレミィの機体を浮かせ、風を起こして上昇させた。
 森を抜け出すと上昇を止め、最後にメシアに向けて「バーカッ!アーホッ!ヌメヌメーッ!!」と言い放ち、ゴレミィはキーンと飛行音を立てて飛び去った。
「………なんだったんだ、アイツ…」
 遠ざかってゆく飛行音を追うように、ソフィスタはゴレミィが飛んでいった空を眺めていたが、館のほうからガラガラという音が聞こえたので、そちらへ顔を向けた。
 壁にめり込んでいたメシアが、その巨体をのそのそと引っ張り出している。彼は崩れたレンガの上に下りると、カクンと膝を折り、両手を地面に着いて項垂れた。
「…メシア?」
 項垂れたまま動かないので、ソフィスタはメシアに歩み寄った。
 足音で近付いてきたことが分かったのだろう。メシアは「ソフィスタよ…」と小さい声で名前を呼んだ。
「私は…そんなに嫌われるほどヌメヌメしているのだろうか…」
 何度もプルティにヌメヌメと言われ、友達になろうとしても拒まれたことが、メシアにはこたえているのだろう。低く、ゆっくりとした声から、その落ち込みぶりが伺える。
 ソフィスタは、少し考えてからメシアの前で屈み、彼の頭を両手で包み、前を向かせて視線を合わせた。
 眼鏡越しにメシアと視線を合わせると、ソフィスタは薄く微笑み、メシアに言った。
「気にするな。見た目がヌメヌメしているっぽくて気持ち悪いのは、今に始まったことじゃないだろ」
 その言葉に、メシアは「あぁぁ」と変に色っぽい声を出して肩から力を抜き、ソフィスタの両手をすり抜けて瓦礫の上に突っ伏した。
「何やってんだよ。あたしたちも早く帰るぞ」
 ソフィスタは涼しげにそう言って立ち上がると、尻を頭より高くして突っ伏しているメシアを放って、スタスタと歩き出した。
 言うこととやることは涼しげだが、メシアに背を向けて歩くソフィスタの口元は、誰かを見下してではない、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 しかし、それはメシアからは見えなかったし、ソフィスタ自身も気付いていなかった。


 *

 脱力したまま動けなかったメシアだが、見かねて引き返してきたソフィスタに尻を蹴っ飛ばされ、その怒りで気力を取り戻し、文句を言いながら彼女と共にアーネスの街へ戻った。
 森から出ている煙に気付いた自警隊員が館に駆けつけたのは、ほぼその直後であった。
 プルティが愛用しているゴレミィと、ゴレミィにさらわれたソフィスタ、そしてソフィスタを追って屋根の上を飛び越えていたメシアの姿は、多くの人間が目撃していたので、館の火事に関しては、この三人が絡んでいると、あっさりとバレた。
 まあ、元々ソフィスタは街に戻ったら校長に館のことを伝えるつもりだったので、自警隊に捕まる前にメシアを連れて魔法アカデミーへ向かった。
 事情を正直に説明すると、校長は、わりとあっさりとメシアたちを許した。館を壊したことについても、修繕を手伝うという条件で不問にしてくれるそうだ。
 あれだけ壁や家具を壊しておきながら、あまり叱られなかったことを、ソフィスタは不思議に思っていた。娘のプルティが事の元凶だからと校長は言っていたが、それにしても妙にメシアを気遣っていたような気がする。
 しかしメシアは、校長が寛大な人間だからと、単純に考えていた。
 ミスリルゴーレムで生徒達を驚かせ、ソフィスタを攫ったプルティも加えて、一度四人で話し合おうとのことだが、既に日は沈んで外は暗くなっていたため、話し合いは後日ということになり、今日は家に帰らせてくれた。
 メシアとソフィスタは、ゴレミィが魔法アカデミー前に現れた時にメシアが脱ぎ捨てた巻衣を、預かっていたアズバンから回収し、その後、学校を出て帰路についた。


   ・エピローグ

 二日続けて朝早くから登校することになったので、昨日のようにソフィスタは朝から機嫌が悪いのではないかとメシアは心配していた。
 しかし翌朝、起きてきたソフィスタに「お早う」と声をかけると、ちゃんと「お早う」と返してくれた。いつもより明るく聞こえるような気もするし、機嫌は悪くもないようだ。
 今日も天気が良く、ソフィスタの機嫌が気にならないぶん昨日よりも清々しく感じられる朝の空気を楽しみながら、メシアはソフィスタと共に学校へ向かった。
 まだ静かな大通りを歩きながら、うつらうつらと眠そうに頭と帽子を揺らしているソフィスタを見下ろしていると、昨日の事件が嘘のように思えてくる。
 熱湯に全身を包まれた時は命の危機を感じたが、相手が子供のような女の子やら変な声を出すぬいぐるみやらであったため、過ぎてみればイマイチ緊張感のない出来事だったような気もする。
 …しかし、今日またプルティと顔を合わすのだな。…また、あれほど激しいケンカはしたくないのだが…。
 メシアは何気なく空を見上げた。
 プルティがメシアを嫌っているということは、よく分かった。しかし、アーネスに来る途中で、メシアを化け物呼ばわりして退治しようとしていた人間とは違い、まるで何かを競い合うケンカ相手のように扱われていた気もする。
 ソフィスタとの同居を巡ってという理由はともかく、本気でメシアを退治しようとする人間よりはケンカ仲のほうがマシなのかもしれないが、彼女も彼女で、言うこともやることも度が過ぎている。体が丈夫で、普段からソフィスタの体罰と暴言で鍛えられているメシアでなければ、おそらく耐えられまい。
 子供みたいな女の子と思いきや、やることは大胆で自分勝手で、何故かソフィスタに首ったけ。
 だが、悪い気はしない。それは、自分には持てない温かな心を、彼女が持っているからだろう。
 親の顔も覚えておらず、もう会うことも叶わないメシアとは違い、直に親を思える心。それに触れることで、自分も親を思うという気持ちを感じられるかもしれない。
 そんな期待が、メシアにはあった。
 メシアは空を見上げたまま苦笑した。
 …ともあれ、これまた個性的な人間と知り合ってしまったものだ…。
 そんなことを思った矢先、急にソフィスタが「メシア、避けろ!」と声をかけてきたが、それに反応するより先に、背後から強烈な突風に襲われ、メシアは「うわぁっ!?」と声を上げた。
 メシアの巨体が強風で浮かび上がり、風に翻弄されながら前方へと飛ばされてしまう。しかし、ものの数秒で風は止み、地面に落とされたメシアは、勢い余ってゴロゴロと体を転がした。
 両手を地面について回転を止め、体を起こして辺りを見回すと、ソフィスタと一緒にいた場所から学校側へ、かなり飛ばされていることが分かった。
「もうっ!朝っぱらからソフィー姉様と並んで歩いているなんて、ゼータクなトカゲねっ!!」
 プルティの声が上から響いてきたので、メシアはぎょっとして顔を上げた。すると、フヨフヨと宙に浮く杖に腰をかけているプルティの姿を確認できた。
 先程の突風は、彼女の魔法だろうか。だとしたら、またケンカをふっかけられるかもしれない。そう感じて不安になっていると、プルティはゆっくりと高度を下げて地面に降り、メシアの目の前に立った、
「言っとくけど、パパに言われたから謝るんだからね。…昨日は、イロイロとごめんなさい」
 予想していなかったプルティの言葉に、メシアは目を点にして「えっ?」と呟いた。
「れーせーになって考えてみたら、プルティがやったことって、確かにやりすぎだったよ」
 昨日の暴走っぷりとは打って変わって、しおらしい様子のプルティを、メシアは不思議に思いつつも話を聞いていた。
「…それに、プルティを親思いだとか、そう言ってくれたのは、家族以外じゃあんたが初めてかもしれない。ソフィー姉様なら、気付いてくれていたかもしれないけど、正面きって言われたのは初めてで…ちょっと、嬉しかった…」
 彼女の声は小さくかすれていったため、メシアにはよく聞き取れなかった。しかし、彼女が照れているということは、少し紅潮した顔を見れば、すぐに分かることだった。
「だ・だから、あんたが友達にしてくれって言った時も…その…ちょっとは…」
 口をもごもごさせ、何かを言おうとしているプルティを、メシアは何を話すつもりなのだろうかと眺めていたが、後ろの方からソフィスタの声が聞こえたので、そちらを振り返った。
「メシア〜、大丈夫か〜」
 ソフィスタが手を振りながら、こちらに駆け寄ってくる。軽く走っているので、メシアのもとに着くにはまだ距離がある。
 メシアも腕を大きく振って、「ああ、大丈夫だ!」とソフィスタに聞こえるよう声を張り上げたが、急に周りの空気が冷やされて身震いし、その直後、メシアの体を分厚い氷が覆った。
「ひっ、人が話している時に、なにソフィー姉様に手を振ってるのよぉ!!!」
 メシアがソフィスタのほうを向いている間に、プルティアは杖を振って魔法を放ったのだった。首から上は氷に覆われていないメシアは、あまりの寒さに歯をガチガチと噛み合わせつつも、「な・何故急に…」と声を漏らした。
「やっぱりプルティか。まだ昨日のことを根に持ってんのか?」
 そんな彼の傍らに、追いついたソフィスタが立ち、メシアを覆っている氷をドアをノックするようにコンコンと叩いた。
 メシアが全身氷付けにされるというひどい目に遭っているというのに、ソフィスタは表情を全く変えず、口調も落ちついている。
「あったりまえです!プルティのぬいぐるみが全部燃えちゃったし、努力の結晶のノートまで灰になっちゃったんだから、一生恨んでやるんだからね!!」
 プルティはメシアに「べーっ」と舌を出して見せ、再び宙に浮かせた杖に腰をかけて、一気に上昇した。
 屋根の上を飛び越えたプルティの姿が見えなくなると、ソフィスタは氷付けにされているメシアを振り返り、こう言った。
「メシア、プルティと何を話していたんだ?」
「先に私を助けようとは思わないのか!」
 気遣いのカケラも感じられないソフィスタの態度に、メシアは悲痛な声で叫んだ。

 それにしても、自分の身の回りにいる人間の女性は、何故こうも凶暴で自分勝手で、なのに憎めない者が多いのだろうか。
 以前、アズバンに連れられて行った合コンでも、結局学べなかった人間の乙女心というものを、今度こそ勉強し直し、凶暴な女性への対処法を調べようかと、メシアは思った。


  (終)

あとがき


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