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ありのままのメシア 第七話


 グレシアナ大陸にあるヒュブロ王国の王都は、世界一華やかで美しい都と呼ばれている。
 かつては閉鎖的な軍事国家であったヒュブロの王都を、解放的な芸術の都へ変貌させるクーデターが起こり、今や城はもちろん、城下町の建物の作りも芸術的な美しさを誇っていた。
 街道には色違いのタイルを組み合わせた虹が描かれ、それを囲む花壇には、負けじと色鮮やかな花が咲き乱れている。
 王族や都民のファッションは常に最先端をゆき、国が誇る王宮楽士団は、世の音楽家達の憧れである。
 世界屈指の観光地でもあり、芸術家を名乗る者であれば、誰もが一度は訪れる。それが、王都ヒュブロ。
 しかも、かつて起こったクーデターは、王子が異種族でもある旅の歌姫に恋をし、彼女と結ばれるために起こしたものだという。
 身分も種族も越えた恋。国すら変えた王子と少女のひたむきな想い。そんな乙女好みのロマン溢るる歴史と華やかさは、恋愛スポットとしても大人気であった。
 恋人同士のデートはもちろん、この都でドラマティックな出会いを果たす者も多いという。

 とにかく、王都ヒュブロの恋愛効果は、半端ではない。
 なにしろ、恋人がいるいない以前に恋すらしたこともなく、それどころか友達もおらず、自ら出会いを求めることもない研究一筋の冷血少女が、この都で初恋を果たしたほどなのだから。


   ・第一章 ヒュブロへ

 アーネス魔法アカデミーのホームルーム棟にある、ソフィスタの個室は、メシアがアーネスに訪れてから、使用する回数が減ったそうだ。
 ソフィスタの研究目当てで訪れる、神の使者と自称する詐欺師。神について話を聞くために、ソフィスタ自ら招いた宗教家。彼らとの面会は全て、学校の個室で行っていたが、メシアが来てからは一切行っていない。
 それでも、学校で昼食を取る時はほとんど個室を使用するし、放課後には個室でよく勉強をしている。

 今日の放課後も、メシアはソフィスタと共に個室を訪れた。
 なんでも、大事な話があるらしい。もしかして、魔法生物を作り出す技術を捨てる気になったのだろうか。
 椅子に座り、目の前にある木造のテーブルの木目を意味無く眺めながら、メシアはそんな期待をしていた。
 ソフィスタは、給湯室へお茶を入れに行った。しばらくして、受け皿に乗せたティーカップと、おしぼり、それぞれ二つずつ乗せた盆を片手で持ったソフィスタが、空いているほうの手でドアを開いて部屋に戻ってきた。
 温かい紅茶で満たされたティーカップは、二つとも受け皿と一緒にテーブルに置かれ、その隣におしぼりが並べられる。
 ソフィスタはメシアの向かい側にある椅子に座り、盆を空いている椅子の上に置いた。
「メシア。五日後、あたしはヒュブロへ出かけるよ」
 いきなりソフィスタにそう言われ、メシアは持ち上げかけたティーカップをテーブルに戻した。
「ヒュブロ?」
「街から馬車でまる二日はかかる所にある王都だ。前に話したことあるだろ」
 確かに、ヒュブロ王国の話は、ソフィスタだけではなくアズバンやザハムからも聞いたことがあった。
 アーネスなど、グレシアナ大陸にあるほとんどの街を管轄下に置く王国の名称であり、とても華やかな王都の名称でもある。それがヒュブロ。
 そこへソフィスタは行くと言っている。ならば、ソフィスタの監視という役目がある自分も、王都ヒュブロへ行くことになる。
 神の命を全うすることが第一だが、どれほど華やかなのだろうと興味を持っていた場所へ行けることに、メシアは少なからず喜びを覚えた。
 しかし…。
「でも、あんたは留守番だ」
 期待を裏切るソフィスタの言葉に、メシアは無意識的に唇を尖らせた。
「…何故だ」
「ヒュブロも異種族には理解ある国だけど、王都は人の出入りがアーネスより多い。お前、自分の種族のことは、できるだけ人間には秘密にしておきたいんだろ。それがどこまで保障されるか分からない」
 そこまで言い切って、ソフィスタはティーカップの取っ手を取り、静かに紅茶をすすった。
「だがそれは、巻衣で身を包んで姿を隠せば済むのだ。問題は無い」
「…確かに、あたしと一緒ならそれで済んだかもしれないけど…今のヒュブロじゃ無理だ」
 口の中を空にし、ティーカップを口から離してから、ソフィスタは言った。メシアは「どういうことだ?」と彼女に尋ねる。
「説明するから、最後まで聞けよ。今のヒュブロの王は病気で、王都とは別の場所で療養中だ。そんな中、王は自分にもしものことがあった時は、すぐにお前と同じくらいの歳の王子に王権を譲ろうとしている。今は王子が、王に代わって国を治めているんだ。っつっても、王ってのは国の象徴であり、なにも王子一人で政治を行っているわけじゃない。でも、王族とは言えまだ若すぎるという理由で、別の人間に王位を継がせるべきだという声も上がっている。最近じゃ、王都に反王子派テロ組織まで現れたらしい。だから、いくら異種族に理解ある国でも、そんなピリピリした状況の王都で姿を隠して歩いていたら不審者に思われるし、巻衣もひっぺがされるだろうね」
 説明を終え、ソフィスタは再び紅茶を口に含み、喉を潤した。
 一気に説明されても完全には理解できないし、彼女の言う「反王子派テロ組織」というものがどのようなものかも分からなかったが、今のヒュブロの状況は、なんとなく分かった。
「つまり、今のヒュブロの王子には敵がいて、王子はその敵を警戒しているため、よそ者を怪しんでいる…ということであるな」
「そういうことだ」
「では、反王子ナントカというものも、王子の敵なのか?」
「反王子派テロ組織だ。武力行使によって自分たちの要求を国などに認めさせようとすることをテロと言い、テロを行う人間をテロリストと呼ぶ。反王子派テロ組織とは、王子に王位を継がせることを反対する人間が集まり、テロを行っている組織のことだ」
 ソフィスタがちゃんと説明してくれたので、テロというものがどういうものなのか、意味としては分かった。
「だが、それならソフィスタも…それにセタとルコスも怪しまれないか?」
 ソフィスタの肩に乗っているセタとルコスは、メシアに名前を呼ばれて少しだけ体を震わせた。
「お前みたいな見るからに化け物と一緒にするな。あたしはヒュブロに招待されていて、むしろ歓迎されているんだ。セタとルコスは、その気になりゃ装飾品に見せかけることができるから、いいんだよ」
 相変わらず、ソフィスタはメシアをきっぱりと化け物と呼ぶが、彼女の口の悪さはいつものことなので慣れてしまい、メシアは何も言い返さなかった。それでも少しはムッとして、眉を吊り上げる。
 だが、同種族と異種族では信頼が違うことは確かである。メシアも、今はそれほどでもないが、人間を警戒していた。
 ティーカップと受け皿をテーブルに置き、ソフィスタはさらに続けた。
「あと、ヒュブロへは校長と一緒に、転移魔法で行くことになっている。あんたを連れて行くにも、転移魔法が効かないんじゃしょうがないだろ」
 一瞬で別の場所へ移動する、転移魔法。それがメシアには効かないことは、ヴァンパイアカースの一件で実証済みである。
 おそらく、今もメシアが左手にはめている紅玉が魔法を妨げているのではないかと、ソフィスタは考えているそうだ。ならば紅玉を外せば済む話だが、これは神から承った大切なもの。手放すことなどできない。
「乗り物などを利用して行くのではないのか?」
「馬車だとまる二日はかかるって言っただろ。それに旅費もかかる。転送の魔法なら、ほぼ一瞬で着くし、旅費もかからないから、効率がいいんだ」
 ソフィスタの言う通り、時間も金もかからずに済む手段があるのなら、わざわざ馬車を使うこともない。
「…しかし、私とお前の間に、それほどの距離を置くわけにはいかんのだ。私にはソフィスタの監視という使命があるのだからな」
「用が済んだらさっさと帰ってくるんだから、別にいいだろ。三日もすりゃ帰って来るんだ」
「三日も?そんなに離れ離れになるわけにはいかん!」
 そう声を上げて、メシアはテーブルを強く叩いた。すぐそばに置いたティーカップが振動で揺れ、テーブルとメシアの手にお茶が跳ねる。
「あちぃっ!」
 メシアは手に跳ねたお茶を慌てて払う。落ち着いているソフィスタに「落ち着けアホ」と差し出されたおしぼりは、よく冷えていた。こんなこともあろうかと冷えたおしぼりを用意していたのだろうか。
「…ま、お前ならそう言って意地でもついてくる気だろうと思っていたから、ちゃんと方法を考えておいたよ。安心しな」
 もう一つのおしぼりでテーブルを拭きながら、ソフィスタはメシアに話し始めた。
「校長に相談したら、お前はアズバン先生と一緒に馬車で来いってさ。あたしと校長が先に魔法でヒュブロへ行って、お前も王都に入れるよう手配しておく。それでいいだろ」
 あれだけ来れないとメシアに説明をしていたのに、既に解決していることをさらっと話され、おしぼりで手を冷やしていたメシアは目を丸くした。
「…では、お前とは二日遅れてヒュブロに入れるのであるな」
 テーブルを拭き終えたソフィスタは、再びティーカップと受け皿を手にし、お茶を飲む前に「そういうことだ」と答えた。
「馬車を使ってもよいのであれば、私とソフィスタが馬車でヒュブロへ向かってもよいのではないか?」
「あたしと校長は、早めにヒュブロへ行く必要があるんだよ。帰りならはあたしも馬車でもいいし、お前一人でアーネスで留守番しているよりはマシだろ」
 それを聞いて、メシアはおしぼりをテーブルに置き、考え込む。
 メシアがアーネスで留守番する場合、ソフィスタとは三日間離れることになる。しかし遅れて馬車でヒュブロへ向かえば、帰りはソフィスタと馬車に乗るので、離れている期間は二日となる。
 …たった一日だけでも、離れる期間が少なくなるのなら、ここは妥協して馬車でヒュブロへ向かうべきか…。
「分かった。私はアズバンと共に後からヒュブロへ向かおう」
 メシアの答えを聞いて、ソフィスタは一瞬ニヤッと笑った。しかしメシアは、まだ一度も口をつけていないお茶を見つめていたので、気がつかなかった。
「ところで、ヒュブロへは何をしに行くのだ?」
 メシアは顔を上げ、涼しい表情に戻っているソフィスタに尋ねた。
「ヒュブロで毎年開催されている、ノーヴェル賞受賞式典に招待されているんだ。お前には何のことだか分からないだろ」
 メシアが正直に「うむ」と頷くのを見てから、ソフィスタは説明し始める。
「偉業を成した人間が、公の場でその功績を称えられ、ご褒美のようなものを渡される式だ」
 簡単に説明し、ソフィスタはお茶をすする。
「ふむ…ではソフィスタも何か偉業を成したので、その式に参加するのか。ええと…ノーブラショーとか言ったな」
 突然ソフィスタが、すすったばかりのお茶を吹いた。
「うわっ!?何をやっているのだ!!」
「ゲホッゲホッ…お・お前が変なふうに聞き間違えたからだろうが!!そんないかがわしいショーが国家公認で開かれるわきゃねーだろ!!!」
 一体何がいかがわしいのかメシアには分からなかったが、とりあえず自分の手を冷やしていたおしぼりをソフィスタに渡した。
「…ノーヴェル賞だ。二度と言い間違えるなよ」
 ソフィスタはおしぼりを受け取り、服に飛び散ったお茶を拭き取ってから、先程のメシアの質問に答え始めた。
「魔法を使う際に、魔法力を高める方法の一つとして用いられる魔法陣の、新しい配列を発見した。魔法の効果が現れるまでかかる往来の余計な時間と労力を省くための回路の組み合わせ方としては…」
 魔法に疎いメシアには、魔法陣の配列だの回路だの話されても全く理解できず、脳内での情報処理が遅れるに遅れて渋滞を起こし、話の後半部はほとんど頭の中に入らなかった。
「…ってことで、それを国に認められ、表彰されるってわけだ。…聞いてて理解は…できなかったようだな」
 やっとソフィスタの話が終わったようだ。メシアは潔く「全くわからぬ」と答える。
「どうせ理解できないんなら、今言ったことは全部忘れろ。とにかく、話はこれで終わりにするぞ」
 ソフィスタは、ティーカップに残っていたお茶を飲み干し、空になったティーカップと受け皿を盆に乗せた。
 メシアはソフィスタに言われた通り、魔法力を高める云々を無理に理解するのはやめ、少しぬるくなったお茶を一気に飲み干して頭の中を落ち着けた。
 …結局、魔法生物を作り出す技術を捨てる話ではなかったか。
 少し期待していたので残念に思い、メシアは肩を落とした。

 しかし、魔法陣の新しい配列の発見をしたのでノーヴェル賞を受賞するという話は、嘘であった。
 本当は、魔法生物を作り出す技術の開発に成功したことをソフィスタは表彰されるのだが、それを話すとメシアの説教が始まりそうなので、わざと難しいことを言って騙したのだった。
 だが念のため、後でアズバンに、メシアには余計なことを話さないよう注意しておこうと、ソフィスタは考えた。


 *

 受賞式典が開催されるまで、あと二日。メシアと校長、そしてアズバンと共に、ソフィスタたちは校長の自宅前に集まった。
 校長の家なだけあって豪華な庭園を背に、ソフィスタはメシアと向かい合っている。
 ソフィスタと校長の荷物は、大きめの手さげ鞄が一つずつだけだが、これは見た目の十倍は物が入る、魔法の鞄である。
「じゃ、先に行ってるからな。アズバン先生に迷惑をかけるんじゃないよ」
「言われなくても分かっておる」
「そうだな。どうせ言っても迷惑かけるんだろうし」
「貴様は本当に口が悪いな!!私だって、私なりに気をつけているのだぞ!!」
「こらこら、二人ともケンカをするんじゃないよ」
 ルコスを抱えているアズバンが、口ゲンカを始めかけたソフィスタとメシアを注意した。
 ソフィスタの肩には、セタだけが乗っている。念のため、お互いの居場所が分かるようにと、ソフィスタがルコスをアズバンに預けたのだった。
「ところで、プルティくんは来ないのかい?」
 アズバンはキョロキョロと辺りを見回すが、プルティの姿は無い。
「ううむ…学校が昼休みの間に出発するから、見送りに来るよう伝えたのだが…」
 明日と明後日は、世界的に定められた休日となっている。そのため、ノーヴェル賞受賞式典も、毎年休日に合わせて開催されていた。
 だが、今日は平日。校長公認で学校を休むソフィスタとアズバンとは違い、式典に参列しないプルティは、学校に行かないとサボリになる。
 だから校長は、学校が昼休みの間に出発する予定を立てたようだ。おそらく愛娘のプルティに見送ってもらいたかったのだろう。
 プルテイに見送りに来られてもうっとうしいだけでしかないソフィスタは、今のうちに転移魔法でヒュブロへ向かおうと思い、「もう出発の時間なので、早く行きましょう」と言って校長を急かした。
「うぅ…し・しかし、プルティが見送りに来ないと…」
「見送りがいなくても魔法は使えます。それに、この時間帯にヒュブロの入国ゲートに入らないと、予約の取り直しになりますよ」
 ゲートとは、転移魔法で王都ヒュブロに入る者専用の出入り口である。
 転移魔法でホイホイ王都に入られると迷惑になることもあるので、ヒュブロ以外の大きな街や首都には、だいたいゲートがある。転移魔法でゲートがある街に入ろうとすると、自動的にゲートの中に現れるよう魔法がかけられており、観光客が多い王都ヒュブロでは予約制となっていた。
 まあ、転移魔法自体が高度なものなので、遠くから転移魔法を使って王都に入る者など、アーネスからの訪問者くらいしかいないだろうが。
「いや、予約の取り直しくらいなら、テレパシーですぐにできる。プルティも今からテレパシーで呼べば…」
「テレパシーを使うのなら、帽子を取ったほうがいいのではありませんか?あれって、脳から脳へ思念を送る魔法なのですから」
 校長は、帽子を取ることを異様に拒む。それを知りながら、ソフィスタは意地悪そうな笑みを浮かべて言った。アズバンはプッと吹き出したが、焦っている校長は気づいていない。
「いっいや、プルティにもきっと事情があって来れないのだろう!仕方ない、出発しよう」
「そうしましょう。…それじゃメシア、明後日にヒュブロで合流しよう」
 そうメシアに言って、ソフィスタは校長の背中に、空いている手を添えた。
「アズバン先生。もしプルティが来たら、よろしく言っといてくれ」
「はい、いってらっしゃい」
 校長は魔法力を高め始め、アズバンは校長とソフィスタに笑顔で手を振った。
 やがて校長とソフィスタの体と荷物が光を帯び、光は球体状に膨らんで二人を包み込んだ。アズバンはメシアの腕を引き、二歩後ろに下がる。
 光ははじけるようにして消え、ソフィスタと校長が立っていた場所には、二人の足跡だけが残っていた。
 メシアは少し寂しそうな顔をし、アズバンが抱えているルコスも、ソフィスタの姿を探すように体を動かす。
「…我々も、馬車が到着したらすぐ出発しよう。それまでにプルティくんが来るかもしれないから、ここで大人しく待っていようね」
 アズバンは、メシアとルコスにそう言って、優しく微笑みかけた。


 *

 魔法の光に包まれる直前、ソフィスタは目を閉じた。閉じなくても特に眩しいわけではないのだが、情景反射には逆らえなかった。
 一瞬の浮遊感の後、校長宅の庭の柔らい土の地面が、固く平らな石畳へとすり替わった。
 しっかりと地面に足がついていることを確かめると、ソフィスタは目を開く。
 校長の転移魔法によって移動した先は、学校にあるソフィスタの個室と同じくらいの広さの部屋の中だった。
 天井を見上げると、六角形の屋根が見えた。部屋の壁も六枚あり、それぞれに円形の窓が備え付けてある。
 出口の横には事務机があり、さらにその隣に、二人の男が立ち並んでいる。
 二人とも同じ服装で、胸元には二羽の白鳥を向かい合わせて縦長の楕円形で囲った刺繍が施されている。それは、紛れもなくヒュブロ王国の国章であった。腰に差しているレイピアから、ヒュブロの正規兵であることが分かる。
 どうやらここが、王都ヒュブロにあるゲートの中らしい。王都ヒュブロへは二度ほど来たことがあるが、ゲートに入ったのは初めてである。足元には魔法陣が描かれており、微かな光を宿していた。
 ソフィスタは校長の背中から手を離し、二人の男に軽く頭を下げた。校長も、帽子を押さえながら頭を下げる。
「受賞式典に招待されている、ディケラディオン・ヌィアロシアス・アーネスだ。こちらは、ソフィスタ・ベルエ・クレメスト」
 そう自己紹介して、校長はヒュブロ兵に歩み寄った。そして、上着の内ポケットからゲートの予約券を二枚取り出し、ヒュブロ兵に差し出した。
 二人のヒュブロ兵の内の一人が、「確認致します」と言ってチケットを受け取り、事務机の上に置いてある分厚いノートを開いて、二枚のチケットと交互に眺める。あのノートは、ゲートの予約客の名簿になっているのだろう。
 ヒュブロ兵はすぐにノートを閉じ、事務机の引き出しから取り出した印鑑で二枚のチケットに捺印すると、二枚とも校長に返した。
「確認致しました。ディケラディオン・ヌィアロシアス・アーネス様、ソフィスタ・ベルエ・クレメスト様。王都ヒュブロへ、ようこそお越し下さいました」
 チケットを返したヒュブロ兵は、そう言って優雅に一礼してみせた。もう一人のヒュブロ兵は、事務机の引き出しから何かを取り出して、校長に近づく。
 ソフィスタも校長の隣に立ち並んだ。
「こちらは、王都の観光パンフレットでございます。地図が見開きのページにございますので、よろしければお持ち下さい」
 そう言ってヒュブロ兵が差し出した二冊のパンフレットを、ソフィスタと校長は受け取る。
 観光客が多い都なので、外来客への対応もしっかり教育されているのだろう。ヒュブロ兵は二人とも気持ちが良いほど滑舌が良く、常に爽やかな笑顔を湛えていた。
「なお、ここは城下町の東側にある入都専用二番ゲートです。空間転移魔法でお帰りになる場合は、ここを出て向かい側の出都専用ゲートで、お返ししたチケットを係りの者にお渡し下さい。他、何かご質問はございますか」
 そう聞かれ、ソフィスタと校長は顔を見合わせた。ソフィスタが「メシアのことを…」と小声でささやくと、校長は頷き、ヒュブロ兵へと向き直る。
「式典当日に、馬車で来る予定の連れが二人いるのだが、その内の一人が異種族なんだ。入都管理局に連絡を入れておきたいので、窓口の場所を教えてもらえないかね」
「でしたら、中央通り西側に隣接した入出都管理センターの一階、総合窓口にてご相談下さい。場所は、このパンフレットの地図ですと…」
 ヒュブロ兵の説明を聞きながら、ソフィスタも受け取ったパンフレットを開き、地図を眺めた。
 ヒュブロ城は、ほとんど草原しか無いような丘の上にあり、その南半分を城下町に覆われている。
 城下町の南の門から城に向かって真っ直ぐ伸びている道が中央通りで、ソフィスタと校長が宿泊する予定のホテルも、その中央通に隣接していた。
今回の式典に招待されている外来客は皆、このホテルの一室を用意されている。
 …ホテルから城までは、中央通りを真っ直ぐ北へ向かえばいいのか。ホテルでドレスの衣装合わせが終わったら、少しは観光する時間もできるだろうし、城壁だけでもちょっと見れないかな…。
 ソフィスタたちが泊まるホテルでは、ヒュブロ主催の催しや、結婚式で着るドレスなどの衣装合わせのサービスを行っており、宿泊客には無料で提供している。
 ソフィスタも、授賞式で着るドレスはホテルで衣装合わせする予定だ。
「さて、ソフィスタさん。まずはホテルへ行こうか。次のゲートの予約客もいるから、早く外へ出んとな」
 ヒュブロ兵と話を終えた校長に名前を呼ばれ、ソフィスタはパンフレットを閉じ、「はい」と返事をした。
「行ってらっしゃいませ。良いご滞在を」
 声を揃えてそう言ったヒュブロ兵に見送られ、ソフィスタは校長の後に続いてゲートを出た。


 *

 パンフレットの地図を見ると、ゲートからホテルまでそう遠くはなかったので、ソフィスタと校長は徒歩でホテルへと向かった。
 ノーヴェル賞受賞式典開催間近であるためか、城下町は活気に溢れているが、同時に警備兵も多く、少し堅苦しく感じられた。
 それでもヒュブロの町並みは、芸術とロマンの国と呼ぶに相応しい華やかさがあった。
 白いレンガの家に映える、赤土色の窓枠からは、色鮮やかな花が覗いている。
 淡い色彩のパラソルが並ぶ屋外喫茶からは、コーヒーの芳ばしい香りが漂ってくる。
 道端にできている人だかりの中央では、音楽家を目指しているらしき者が、歌と演奏を披露し、曲が終わると拍手とコインの音が沸き起こる。
 特に観光スポットがあるわけでもない道をフラフラと歩いているだけでも、この町の景色と香りと音色は人を楽しませてくれる。ソフィスタは賑やかな場所は苦手なほうだが、それでもどこか心が躍るような気がした。
 …以前来た時より賑わっているんじゃないか?テロリストの件もあるってのに、町の人たちはあまり関係無さそうにしているな。
 もしかしたら、反王子派テロの標的はあくまで王子であり、無関係な人間は巻き込まないようにしているのだろうか。
「なにぃぃぃぃ!!!!」
 町の様子を観察しながら歩いていたら、隣を歩く校長がいきなり声を上げたので、ソフィスタはびくっと体を震わせて驚いた。
「な・なんですか、急に…」
 校長はパンフレットを、穴が開かんばかりに見ている。
「なんてこった!リーミンちゃん主演の舞台が二ヵ月後にヒュブロの劇場で公演されるじゃないか!!」
「…は?」
「子役の劇団員のリーミンちゃんだよ!ホレ、パンフレットの四ページ目で紹介されとるだろ。まだ有名ではないが、私ぁこの子のファンなんだよ!こりゃチケット予約せんとなあ!!」
「…さよか」
 驚いて損をした、とソフィスタは思い、気の抜けた声を漏らす。そんな彼女の様子を全く気にせず、校長は語り始める。
「リーミンちゃんは演技がとびぬけて上手いわけじゃないんだが、とても可愛くて癒し系でね、ファンクラブもあるらしいよ。あ、ちなみにそのリーミンちゃんのブロマイドが、前回の公演で売り出されていてね、私の財布の中に入っとるんだが…」
 校長は立ち止まって鞄を開き、中に手を突っ込んで財布を探し始める。
「別に見せなくてもいいですよ」
「いやいやいや、ホント可愛い女の子だよ!見ておきなさいって!」
 ソフィスタは校長が立ち止まっても歩き続け、ある程度距離を取ると「ロリコンのミーハーめ…」と呟いた。
「へ〜。そのリーミンちゃんとプルティだと、どっちが可愛いのかな?」
「ううむ、甲乙つけがたいが、やはり我が子が…」
 そこまで言って、校長はハッとして言葉を止めた。彼の数歩先を歩いていたソフィスタも立ち止まり、「えっ?」と校長を振り返った。
「えへへ〜、来ちゃった♪」
 なんと、校長の魔法の鞄の中から、プルティがひょっこりと顔を出した。
「プルティ!?お前さん、どうして…」
「わ〜い!パパと一緒にヒュブロ旅行だ〜!」
 プルティは鞄の中から飛び出し、校長に抱きついた。とたんに校長の顔がニヘラと緩む。
「パパと一緒にヒュブロに来たかったから、こっそり鞄の中に入ってついてきちゃったの。ごめんなさ〜い。怒った?」
 甘ったれた声でそう言い、プルティは潤んだ瞳で上目遣いに校長を見た。
「う、うむう…そう言われちゃ怒ることができんなあ」
 校長は、威厳のカケラもないデレッとした顔で、そう答えた。プルティは「やったー!パパ大好き〜!」と喜んで校長に抱きつきながらも、ニヤリと腹黒そうな笑みを浮かべたが、校長からは見えなかった。
「ということで、ヒュブロにいる間もよろしくね!ソフィー姉様!」
 憎たらしいほど満面の笑顔でプルティに振り返られたソフィスタは、帽子を掴んで俯いた。
 …オイオイ、アーネスを出ても、このやかましい娘につきまとわれるのかよ…。
 ホテルでは、ゲートほど厳しいチェックは行われていないし、二人部屋を二つ用意してもらってあるので、プルティもチェックインできる。
 帰りも来た時と同じように、魔法の鞄に身を潜めればいい。
 出入都に料金制はないし、こちらは受賞式典の招待客。例えゲートでプルティのことがバレていたとしても、二、三手続きするだけで入都を認められたことだろう。
 …校長のことだ。このままバレなきゃいいと思って、プルティも一緒のホテルに泊まらせるんだろうな…。
 そしてプルティも、ソフィスタと一緒の部屋に泊まると言い出しかねない。
「ソフィー姉様〜。プルティちゃんとお泊りセットを鞄の中に入れてきたんだよっ。だから、プルティもソフィー姉様と同じホテルに泊まる〜♪」
 案の定、プルティは校長から離れてソフィスタに駆け寄りながら、そう言った。
「それでねっ、よかったら、プルティをソフィー姉様と同じ部屋に…」
 ソフィスタの前まで来ると、プルティはもじもじしながら話し始めたが、話の途中でソフィスタがプルティの左右の頬を片手でガシッと掴み、言葉を止めさせた。
 ソフィスタは腰を屈め、プルティと目の高さを合わせると、射殺さんばかりに睨みつけた。
「プルティ。不慮の事故を装って全身に重度の火傷を負ってアーネスに強制送還されたくなかったら、あたしの言うことをちゃんと聞け。い・い・な?」
 指先が食い込んで痛いほど頬を強く掴まれ、地獄の底から響いてきたような低い声で、恐ろしいことを言われたプルティは、さすがに恐怖を覚え、青ざめた顔でこくこくと頷いた。
「お〜い、何を話しとるんだね」
 校長が歩み寄ってきたので、ソフィスタはプルティから手を離し、いつもの涼しげな顔で校長にこう言った。
「プルティは校長と一緒の部屋に泊まりたいそうです。あと、ヒュブロにいる間も、できるだけ校長と一緒に行動したいと」
 さらに、プルティに「そうだよな?」と声のトーンを下げて言うと、プルティはぎこちなく校長を振り返り、笑顔を作って「うん、そうなの」と震えた声で答えた。
「そ、そうか!それじゃあホテルでチェックインしたら、一緒に出入国管理センターへ行って、その後ヒュブロを観光しような!」
「う・うん、そうしようねパパ」
 小躍りまでしそうなほど喜んでいる校長に、プルティは頷いて答えた。
 そしてソフィスタへと向き直り、子犬のような瞳で彼女を見つめようとしたが、ソフィスタはいつの間にか歩き出しており、既に五メートル以上先を歩いていた。


  (続く)


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