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ありのままのメシア 第七話


 ヒュブロが軍事国家であった頃、暴君と恐れられていた王は軍事力にばかり力を注ぎ、そのために必要な資金を民衆に過酷な労働を強いて集めていた。
 歌や踊りなどといった娯楽も禁じられていた、そんな華のカケラも無かった国は、その暴君の息子である王子と、異種族の少女によって一変した。
 王は異種族や他国の者を嫌っており、西の大陸出身の異種族で旅芸人一座の歌姫であった少女は、王都の近くを通っただけで仲間もろとも捕まり、城に幽閉されてしまった。
 しかし、そこで王子と出会い、互いに恋に落ちたのだった。
 王子は少女の歌に心を打たれ、さまざまな分野の芸術の素晴らしさを知った。そして少女を救うため、王が自ら兵を率いて他国を侵略に向かっている隙に、クーデターを起こした。
 密かに集めた芸術家たちに命じ、城壁に美しい女性や天使の絵を描かせ、王都のあちこちに花壇を造って花を植えた。兵が戻ってきた時には、音楽家たちが明るい曲を奏で、過酷な労働から解放された民衆は、温かな声で歌っていた。
 それを見た王は怒りに震えたが、戦いに疲れた兵は、美しい光景に涙し、歌を止めさせろという王の命令に従わなかった。
 既に数名の将軍が王子側につき、遠征に借り出されていた兵たちも、自ら出迎えに来た王子に心を動かされ、暴君である王を離れていった。
 こうして、王子のクーデターは成功し、孤立した王は自ら国を去ったという。
 その後の王の行方を知る者は、誰もいない。


   ・第二章 ヒュブロ城

「メシアくん。どうやらプルティくんは、校長たちと一緒にヒュブロにいるらしいよ」
 馬車の荷台の中で、巻衣に身を包んで荷物と一緒に体を揺すられているメシアは、アズバンの言葉を聞いて「えっ?」と声を上げた。
「今、校長からテレパシーが届いたんだが、プルティくんは校長たちが持っている魔法の鞄の中に、こっそり入り込んでいたそうだ。…学校をさぼってついていくなんて、あまりいいことじゃないが…大した行動力だ。あの子もやるようになったなあ」
 アズバンは嬉しそうに笑うが、メシアには何が嬉しいのか分からなかった。
「いやいや、あの子がやることは度が過ぎて、まわりに迷惑をかけることが多いが、子供はちょっとくらい悪ガキのほうがいいと、私は思うね」
 元気がある、自分で考えて行動できる、という意味では確かに良いことなのだろうが、プルティの魔法で何度も痛い目に遭っているメシアとしては、微妙に同感できない。
「そういえば、メシアくんは、どんな子供だったんだい?差し支えなければ教えておくれよ」
 アズバンにそう尋ねられ、メシアは子供の頃のことを思い出す。
「…そうだな…泉で遊んだり森で遊んだり猫と遊んだり友達と遊んだり…」
「遊んでばかりの子供だったんだね」
「そ・そんなことはない!ちゃんと勉強もしていたし、格闘技にも真面目に取り組んでおったわ!!」
「あははは。そうだよね。でも、元気いっぱいの子供だったのか」
 ケラケラと笑うアズバンにつられ、メシアも小さく笑う。
「ヒュブロまで、まだまだ時間がある。いい機会だから、いろいろ話をしようじゃないか。それに、ヒュブロのことも教えてあげよう。今のヒュブロはぶっそうだから、下手な行動を取ると捕まりかねないからね」
 胡坐をかいて座り、膝の上に乗せたルコスを撫でているアズバンは、楽しそうに話し始めた。
 メシアは素直にアズバンの話を聞き、この二日間の旅路でアズバンとの会話を楽しむことにした。


 *

 ドレスの衣装合わせなど、式典の準備を終えたソフィスタは、余った時間で散歩がてらに城下町を観光した。
 受賞式典とテロの件もあって、今は城内の見学は許可されていないようだ。式典が終わってからも、テロ騒動が治まるまで見学できないらしい。
 式典当日には堂々と中に入れるので、その時に見学すればいいわけだが、反王子派だか何だか知らないが、実に迷惑な話だとソフィスタは思った。
 そのテロ組織の情報も、観光中に多少は集められた。
 反王子派テロ組織、名は『フルムーン』。その存在が明るみになったのは、王子が城下町で暗殺されかけた時であった。
 魔法で強化された矢が王子に向けて放たれたが、隣にいた王子の伯父が、寸でのところで王子を庇い、矢は誰にも当たらずに地面に突き刺さったという。大胆にも、その矢にフルムーンの名が刻まれていたそうだ。
 それから何度か、王子はフルムーンによる様々な魔法攻撃で、危険な目に遭わされ、その都度何かしらにフルムーンの名が刻まれていた。しかし、最初に矢で王子を襲った者も含め、テロリストは誰も捕まっておらず、姿すら確認されていない。
 ただ、王子の命が狙われたという事実もあり、今回のノーヴェル賞受賞式典に乗じて、フルムーンの連中が暗殺を企てる恐れがある。
 そこでヒュブロ城には、大掛かりな仕掛けが施された。
 アーネスと共同で開発を進め、一年前から既にヒュブロ城で実用化されている魔法装置。名は『ヴォイド』という。
 ヴォイドを作動させると、ヒュブロ城の敷地内ではマジックアイテムが一切使えなくなり、人間が魔法を使おうとしても無効化する。魔法によって暗殺を企ててきたフルムーンへの対抗策で、受賞式典当日もヴォイドを作動させることになっている。
 城内にある他の魔法装置も使えなくなるので、不便さは増えるかもしれないが、フルムーンの魔法で招待客まで危険な目に遭うことはなくなる。それに警備兵も増やすだろうし、安全性は確かに高まるはずだ。
 …これで何事も起こらずに式典が終わればいいんだけどね…。
 面識が無い人間など、例えそれが一国のお偉いさんであっても、暗殺されようがされまいがソフィスタにとってはどうでもよかった。
 しかし、自分がヒュブロにいる間だけは面倒なことが起こらないでほしいと、ソフィスタは薄情なことを考えていた。

 とりあえず、ソフィスタと校長がヒュブロに来た日と、その次の日は、何事も起こらず、平和にヒュブロの滞在を楽しめたのだった。


 *

 ノーヴェル賞授賞式典当日、メシアとアズバンとルコスが乗った馬車が王都ヒュブロに着いたのは、そろそろ日が暮れ始めそうな時間だった。
 城下町の入り口で馬車から降りた二人と一匹は、ソフィスタたちが泊まっている宿へ、徒歩で向かった。
「…あ〜あ。この時間じゃ、もう校長たちは城に入っているかもね…」
 黄金色を帯びつつある空を見上げ、アズバンが呟いた。荷物を担いで彼に続いて歩いているメシアは、それを聞いて「ううむ…」と唸った。
 ちなみにアズバンたちの荷物は、ソフィスタと校長が使っている魔法の鞄ではなく、普通のリュックが一つだけであった。約二日間の馬車生活で必要なもの以外は、ソフィスタたちの鞄の中に預けてあるので、そんなに大荷物ではない。
「やっとこの街に着いて、ソフィスタに会えると思っていたのだが…」
 受賞式典の会場である城に入れるのは、ソフィスタ、校長、そしてアズバンの三人だけで、メシアは宿で待つことになっている。
 こっそりソフィスタたちについて来ているプルティも、城には入れず、宿で待っているそうだ。これは、アズバンが校長からテレパシーで伝えられたことだ。
 さらに、表彰式が終わると立食会があるので、式典に参列する三人が宿に戻ってくるのは、夜遅くになるかもしれないと、馬車の中でアズバンから聞いている。
 メシアは、がっかりして項垂れた。彼の左肩に乗っているルコスも同じ気持ちなのか、体をぺしゃっと潰した。
「そんなにソフィスタくんのことが恋しかったのかい?」
 アズバンがメシアを振り返り、ニヤリと笑って茶化すように言った。
「…そうであるな。監視のためとは言え、共に生活していた者と離れ離れになると、さすがに恋しくなるようだ」
 メシアは、自分が思ったこと、感じたことを、正直に述べたが、アズバンはつまらなさそうな顔をする。
「恋しいは恋しいでも、恋愛的なほうの意味じゃなさそうだね」
「当然である。種族が違い、子供を産んでもらう対象でもない人間に、恋などするわけがなかろう」
 メシアは、そうきっぱりと答えたのだが、答えきってから二歩進んだところで、はっとして立ち止まった。
「ん?どうかしたのかい?」
 アズバンも立ち止まり、メシアの様子を伺う。
「…いや、しかし…初恋というものは…人間に…した…かも…」
 かあっと熱くなった顔をアズバンから逸らし、メシアはボソボソと呟く。その声が聞き取れないアズバンは、「何を言っているんだい?」とメシアに近づき、彼の顔を覗き込もうとした。
「ぅおっそ――――――い!!!!」
 その時、甲高い声を上げるプルティが、通りの先から全力で突進してきた。
 アズバンは肩を震わせて驚き、思わず一歩横に移動した。プルティの姿に気付きはしたものの、ボケッと突っ立っているメシアの腹筋に、プルティの蹴りが入る。
 しかし、メシアの鍛え抜かれた体は、魔法を使っていないプルティの蹴りにはびくともせず、逆にプルティを弾いた。
「プルティ?本当にヒュブロに来ておったのか」
 平然としているメシアの前で、なんとか着地を決めたプルティは、ふてくされた声で「来てたわよ」と言う。
「やあ、二日ぶりだねプルティくん。いきなり飛び蹴りをかましてくるとは、激しい出迎えじゃないか」
 アズバンはプルティの肩を掴み、それ以上メシアにつっかからないよう、後ろに下がらせた。
「だってぇ〜…二人が遅いから、ソフィー姉様のお見送りができなかったんだもん!アズバン先生たちが、いつ来るか分からないから、ホテルで二人を待っていてってパパが言うから〜!」
「そうか、ゴメンゴメン。でもメシアくんに八つ当たりしてはいけないよ」
 駄々っ子さながら、手足をジタバタと動かすプルティと、それをなだめるアズバンは、はたから見ると親子のようであった。何だか微笑ましくて、メシアは顔を綻ばせる。
 赤らんでいた頬は、徐々に普段の色へと戻っていく。
「それじゃあ、私も着替えて城へ行かなければいけないから、ホテルへ案内しておくれ。そしたら、三人で一緒にソフィスタくんたちがいる城の前まで行こうね」
 招待状が足りず、城の中に入れないにも関わらず、ソフィスタがいる城と聞いて、プルティは単純に喜び、暴れるのをやめて「は〜い♪」と明るく返事をした。どうやらアズバンは、プルティの扱いも心得ているようだ。
 アズバンから開放されたプルティは、「早く着いて来て」と早足で歩き始めた。しかし彼女は歩幅が小さいので、アズバンとメシアにしてみれば、自分たちが普通に歩いているスピードと同じであった。
「さ、行こうか、メシアくん」
 アズバンも、プルティに続いて歩き始める。
 …城か…。
 メシアは、通りの先の丘の上にあるヒュブロ城を眺めた。
 アーネス魔法アカデミーの校舎も大きくて風格があったが、ヒュブロ城はさらに大きく、古くも優雅な佇まいであった。
 …あれほど壮大な建物は、初めて見た。中は一体どのような造りになっているのだろうか…。
 好奇心は沸くが、プルティと同じくメシアも城内には入れない。それを思い出すと、残念な気がする。
 …いや、人間の王の居城に近づくことができるだけでも、喜ぶべきなのであろうな。
 時には化け物呼ばわりされ、追い掛け回された頃を考えると、これはかなりの進歩である。そう考え直したメシアは、リュックを背負い直し、左肩のルコスの位置を整えると、先を歩いているアズバンとプルティを追って走り出した。


 *

 城門前までは馬車で移動し、門の前で控えている兵に招待状を見せるた。兵は恭しく頭を垂れ、ソフィスタと校長を門に通した。
 校長は、いつも被っているものより少し豪華な帽子を被り、高位の魔法使いが身にまとうローブの上から、襟をファーで縁取った薄地のコートを羽織っている。
 そしてソフィスタは、ヒュブロへ来る前に両親が送ってきたドレス一式に着飾られていた。
 青いバラの髪飾りで金髪を纏め、白くほっそりとした首筋が露になっている。
 アクアマリンのイヤリングと同色のドレスと、肩を覆うように羽織っているストールは、清楚で大人びた雰囲気をかもし出している。
 歩くたびに、ローヒールがコツコツと上品な音を立て、レースを重ねて膨らんでいるスカートが、軽やかに揺れる。
 校長の強い要望で眼鏡はかけておらず、淡いメイクは、青い瞳と整った顔立ちを、いっそう引き立てていた。
 清楚で品のあるお嬢様へと見事にドレスアップされたソフィスタを、いつもはガサツで口の悪い冷血少女だと、誰が想像できるだろうか。それほどの変貌ぶりであった。
 ちなみに、ソフィスタたちと一緒に来ているセタは、城内に施されている魔法封じの装置、ヴォイドの影響を受けてしまうので、ホテルで留守番させている。
 城内に入ったソフィスタと校長は、真っ直ぐ受賞式典の会場となる広間へ向かった。式典は間もなく始まろうとしている。
 城の見学をしたいという気持ちはあったが、立食会を抜け出して見回ってもいいかと、ソフィスタは考える。
 …でも、こんなヒラヒラした格好で歩き回るのも、ちょっとなぁ…。
 ソフィスタの好きな青を基調とした、ドレス一式。両親は、ちゃんとソフィスタの好みを考えて揃えたのだろう。
 他に着ていく服が無く、受賞式典では是非着てくれと手紙でせがまれていたこともあるので、せっかくだからと着たのだが、内心、げんなりしていた。
 そのため、メシアたちの到着が遅れたことには、ホッとしていた。あのトカゲは、言うことが正直すぎてデリカシーも無く、また赤面するようなことも平気で言うので、このドレス姿を見せたくなかった。
 実際、プルティと校長には既に散々騒がれ、魔法で脅して黙らせた。
 …後で会場に来るアズバン先生にも、何も言われなければいいんだけれど…。
 そして、多くの招待客が集まっている会場に入れば、社交辞令の挨拶を交わさなければならない。
 ソフィスタよりもゴージャスなドレス姿の者など、いくらでもいるだろうので、この姿について招待客から何か言われることは、少ないかもしれない。しかし、初対面の人間と気軽に話すことなど決してしないソフィスタには、いちいち挨拶をして、場合によっては長話にも付き合わなければいけないことが、面倒で仕方なかった。
 なにしろ、ヒュブロの王子を含む、王族の血縁者や貴族も参列するのだ。常に愛想笑いをしていなければならないし、家や学校での態度や発言など、もっての他である。
 さらに、賞を受賞する側にいるソフィスタは、ステージに上がって発言するという難題が待っている。
 何を言うかは既に考えてあるし、ちゃんと覚えている。人前に立っても緊張はしないほうだが、ものすごく気は重い。
 …くそっ。もうノーヴェル賞なんか、二度と取りたくねえ…。
 ステージで発言したら、村八分並みの扱いを受けそうなことを考えながら、ソフィスタは校長と共に、会場に入った。


 *

 黒のタキシードをビシッと着こなしたアズバンだが、表情は相変わらずのほほんとしていて、あまり緊張が感じられない。
 ルコスをセタと一緒にホテルに置いてきたメシアは、そんな様子のアズバンに連れられ、徒歩で城へと向かった。
 馬車を利用しようとしたのだが、全て出払ってしまったそうで、仕方なく城へと続く道を歩いているのであった。
 プルティは自前のステッキに跨り、メシアの隣でふよふよと浮いている。
 既に城下町を出て、丘の上にある城へと続く道を、三人は長い影を引きずって進んでいた。
「う〜ん…この調子じゃ、授賞式は終わっているかもしれないなあ」
 そう言うアズバンの顔は、嬉しそうである。彼も、その気になれば魔法で早く城に着けるのだが、せっかくヒュブロに来たのだから、散歩がてらに歩いていこうと言って、徒歩を選んだ。
 それにアズバンは、ヒュブロ城に勤めている友人に会うことと、立食会だけが目当てで参列しているので、授賞式などという堅苦しいものには出たくなかった。
 そんなアズバンの気を知らないメシアは、「式が終わっていては、行く意味が無いのではないか?」と、彼に尋ねた。
「バッカね〜。偉い人と挨拶したりするのも、先生の仕事なのよ。それに、お食事会もあるのよね、アズバン先生」
 メシアの問いには、アズバンではなく、プルティが答えた。プルティはアズバンの隣に移動し、アズバンはにこやかに「そうだよ」と頷く。
「食事会?」
「ああ。立食…まあ、大勢で飲んだり食べたりしながら、挨拶を交し合う会が、授賞式の後にあるんだよ」
 アズバンの説明を聞いて、飲み食いしながら挨拶をするのは行儀が悪いのではないかと、メシアは思ったが、これも人間の文化の一端なのだろうと考え直し、余計なことを言うのはやめた。
「そういうことだから、メシアくんとプルティくんは、ホテルの食堂で食事を取ってくれ。部屋で待っているスライムたちのことも、頼んだよ」
「えええぇぇぇ――――っ!!?」
 プルティが大声で、ものすごく嫌そうに叫んだので、メシアとアズバンは、思わず耳を塞いだ。道の先にある城門で待ち構えている門番らしき兵まで声が届いたようで、何事かとこちらを眺めていた。
「こら、プルティくん。こんな何も無い所で叫ぶもんじゃないよ」
 周囲には、本当に何も無く、プルティの声は遠くまでよく通っていた。
「だってぇ〜、ソフィー姉様とヒュブロでロマンチックに過ごすために、こっそり着いてきたのに、何でこんな筋肉トカゲとディナーを楽しまなきゃいけないのよ〜」
 アズバンに叱られたプルティは、声を抑えて文句を言う。
「いいじゃないか。我々がヒュブロに着く前まで、ソフィスタくんと楽しくすごしていたんだろう」
「ぜんぜんっ!ソフィー姉様ってば、プルティの相手をしてくれないんだもん!晩御飯も、二日間パパと二人きりだったのよ!…でも、そんなツンツンしたソフィー姉様もステキ…」
「…ああ、そう。でもまあ、アーネスで待っているよりはマシだったんじゃないかい?」
 ぶーたれるプルティを、アズバンがやんわりとなだめる。そんな二人の背中を、メシアは黙って眺めながら歩いていた。
 やがて、城門前の跳ね橋が見えるまで、城に近づいた。城は水で満ちた堀に囲まれており、跳ね橋以外で城に入れる橋は無さそうだ。
 跳ね橋の手前両サイドで、二人のヒュブロ兵は待ち構えている。
「も〜ぅ。ヒュブロに来てから最後のディナーになるってゆ〜のに、メシアちゃんとツーショットだなんてイヤすぎ〜。それならプルティは、一人で別のレストランで食事するもんねー」
 アズバンの隣で浮いていたプルティは、ぶーたれている間にスピードが緩み、今はメシアの後ろにいた。
「だーめ。メシアくんだけじゃ、ホテルのレストランでちゃんと注文ができないだろう。それに、フルムーンの件もあるから、夜に一人で出歩いてはいけません」
 反王子派テロ組織が、フルムーンを名乗っていることについては、既にメシアもプルティから聞いて知っている。メシアもプルティを振り返り、「アズバンの言う通りにしてくれ」とプルティに頼む。
「ふーんだ。プルティ、フルムーンなんか平気だもん。プルティの魔法にかかれば、テロリストなんか、おさのこちゃいちゃいなんだから」
「それを言うなら、おちゃのこさいさい、ではないか?」
 聞き間違えが多く、時には変な単語を開発するメシアに突っ込まれ、プルティは口元をひくっとひきつらせた。
「プルティ?」
 ステッキに乗って浮いているため、プルティの足音は無かったのだが、不意に土を踏む音が後ろから聞こえたので、メシアはプルティの名を呼びながら振り返った。アズバンはそのまま歩き続け、ヒュブロ兵に話しかけようとしていた。
 プルティは地に足を着き、両手でステッキを握り締めて肩を震わせている。
「…なによう…プルティをバカにして…」
 そう呟くプルティの声は、メシアまでしか聞こえないほど小さかったが、先に進んでいたアズバンが、ヒュブロ兵に「あの」と声をかけた直後、何故かピタリと動きを止める。
「見てなさいよ…プルティに…プルティにかかれば…」
 ボソボソ呟いているプルティを、メシアは、どうかしたのだろうかと見ていた。すると、いきなり駆け寄ってきたアズバンに巻衣を掴まれた。
「フルムーンの奴らなんか、いちもーだじんにしちゃうんだからぁ―――――!!!」
 耳にキーンと響く高い声で叫ぶなり、プルティは掴んでいるステッキを真っ直ぐ伸ばし、先端をメシアに向けた。
 たちまち、プルティの手前で空気が渦を巻き、竜巻となった。渦の軸を地面と水平にして回転する風は、メシアへと向けて放たれ、強烈な衝撃波で地面を抉りながら進む。
 メシアは、風が生じる前にアズバンに巻衣を引かれ、横によろめきそうになっていたが、プルティの攻撃魔法に気付くと、「おわぁぁ!!?」と悲鳴を上げ、アズバンの力に逆らわずに横に倒れた。
 長い銀髪と巻衣が風に巻き込まれそうになったが、アズバンにも手伝ってもらって、どうにか押さえた。
 竜巻は、伏せているメシアたちの横を通り過ぎると、そのまま直進して跳ね橋を襲った。
 跳ね橋の前にいた二人のヒュブロ兵は、かろうじて直撃は避けたものの、竜巻の余波で体がよろめき、二人して水を満たした堀の中に落ちてしまった。
 跳ね橋は派手に壊され、バラバラになった木材を宙にぶちまける。
「うわぁ―――!!!なんてことをしてんだプルティくん!!」
 風に吹き上げられては堀へと落ちてゆく、元跳ね橋を見て、アズバンが絶叫した。メシアもプルティの魔法のすさまじさに、絶句する。
 やがて竜巻は消え、衝撃波も治まり、城門の前には正に嵐の後の静けさが訪れていた。
 プルティは、猫のように「フーッ」と唸っていたが、はっと我に返り、自分が放った魔法による被害に気付き、「あちゃぁ…」と呟いた。
「…えへ、えへへ…やりすぎちゃった。メ・ン・ゴ☆」
 プルティはステッキを縮めてポケットに入れ、メシアとアズバンのもとへ駆け寄ると、ぺろっと舌を出して自分の頭を軽く小突いた。
「なにがメンゴだ!!」
 先に立ち上がったアズバンが、プルティの頭にげんこつを入れた。「ゴンっ」と音が響き、プルティは前につんのめる。
「まったくもう!跳ね橋を壊すなんて、どれだけ破天荒なんだ君は!!こんなことをしたら、君が捕まってしまうんだよ!!」
 いつも温厚でノンキな者が本気で怒ると怖いもので、さすがのプルティもしゅんとなって、目に涙を浮かべている。
 アズバンが怒っている様子を初めて見たメシアは、自分までプルティを責めてしまうとかわいそうな気がし、立ち上がってからも二人を黙って眺めていた。
「君がやったことが、どれだけ人の迷惑になったか、よく考えなさい!いいか、ちゃんと責任を取って…」
「うう…」
 アズバンの説教の途中で、うめき声が聞こえた。プルティの声でもメシアの声でもなく、跳ね橋があったほうから聞こえてきたものだった。
 そちらを振り返ると、堀に落ちた二人のヒュブロ兵が、びしょぬれになって這い出ようとしていた。
 よく見ると二人とも服装が違い、一人は下級の兵の、もう一人は兵より階級の高い騎士の礼装を身にまとっていた。
 もっとも、メシアには服装で人間の階級など見分けられないが。
 アズバンは説教を中断し、「やばっ」と呟いて兵を助けに向かう。メシアとプルティも、彼の後に続いた。
「すいません、大丈夫ですか?」
 アズバンは、咳き込んでいる兵に、手を差し出そうとした。
 しかし兵は、アズバンの手を取らず、腰に差している短剣の柄を掴んだ。
「危ない!!」
 いち早く、兵から殺気を感じたメシアは、アズバンのタキシードの襟を掴み、ぐいっと引っ張った。
 アズバンは後ろに転がり、その直前まで彼が立っていた場所の宙を、刃が掠める。
「くそっ、よけやがったか!」
 ヒュブロ兵と騎士は、堀から這い出ながら、殺気だった目でメシアたちを睨んだ。
 メシアは二人を警戒し、アズバンとプルティは、突然の兵と騎士の行動に目を丸くしている。
 さらに、騎士が鞘から長剣を引き抜いて、いらだたしげに振って水気を払うと、メシアたちが想像もしていなかったことを口にした。
「どうやって見破ったか知らんが、我々がフルムーン一味の者であると知られた以上、ただでは済まさんぞ!!」
 兵も短剣を鞘に収め、城下町で見かけたヒュブロ兵も帯刀していたエストックを抜き、キョトンとしているメシアたちに対して身構えた。
「え…あなたたち二人とも、あのフルムーンとかいう反王子派テロリストの一員だったのですか?」
「すっとぼけたことをぬかすな!!そこのチビが、俺たちをフルムーンと呼んで攻撃しただろ!!」
 この場にいる者の中で、明らかに一番背の低いプルティは、チビと呼ばれたのが自分であることにすぐに気付き、カチンときて眉を吊り上げた。
「あんたたちのことなんか知らないもん!攻撃した覚えも無いもん!あんたたちが勝手に魔法に巻き込まれただけじゃない!!」
 魔法を放った張本人のプルティは、無責任なことを言ってそっぽを向く。
 兵と騎士は、一度互いに顔を見合わせた後、冷たい水の中からやっと這い出した後だというのに、暑そうに顔を赤くして怒り出した。
「…は・謀ったな貴様ら!!」
 自ら正体を明かしてしまったことをカッコ悪く思ってか、それを誤魔化すように、騎士が叫んだ。
「ええっ!?謀った覚えはないんですけど!!」
「問答無用!!!」
 兵と騎士は、剣を構え直した。その構えが決して素人のものではないことは、武器に疎いアズバンとプルティにも分かった。
 特に騎士のほうは、体格もメシアと良い勝負で、見るからに強そうである。
 しかし、相手が悪かった。
「はあっ!!」
 先手必勝とばかりに放ったメシアの蹴りが、フルムーンの二人の腕を弾き、剣を落とさせた。
「さすがだね、メシアくん!」
 続いてアズバンが、堀の水を操ってフルムーンの二人の両手足に絡ませ、瞬時に氷り付かせた。
「ズルイ!プルティもやるー!!」
 身動きが取れなくなった所で、すかさずプルティが両手を掲げ、フルムーンの二人の体を宙に浮かび上がらせた。
 彼らは、プルティの手の動きに合わせてグルグルと宙を泳がされた挙句、互いにゴチンと頭をぶつけ合い、体を地に叩きつけられた。
「イエーイ!ナイスコンビネーション!」
 怒っていたアズバンと、怒られていたプルティは、それが無かったことのように笑顔で手を叩き合った。
 メシアは、倒れているフルムーンの二人の傍で、腰を屈め、彼らの顔を覗き込む。
「気を失っておる」
 メシアがそう呟くと、その声を聞いて、アズバンとプルティも駆け寄ってきた。
「…しかし、フルムーン一味の者が、ヒュブロの兵と騎士に扮しているなんて…どういうことなんだろう」
 確かに気を失っていること確認してから、アズバンはフルムーンの二人の両手足を戒めている氷を溶かした。
「もしかして、フルムーンの正体って、ヒュブロの兵士たちなのかな?」
「いや、私の友達も城勤めで王子に仕えているが、彼は王子を心から尊敬しているようだし、テロに加担するような人間じゃない。それだけは確かだ」
「だが、兵士の中に紛れていたことも確かなのだ。二人もいたのだから、他にもいるかもしれぬ」
「そうだね。しかも、兵より高い階級の騎士にまで紛れていたくらいだ。もしかしたら、兵や騎士に扮しているだけではなく、元々王や王子に仕えていたが、最近になって王子を裏切った者もいるかもしれない。…こりゃ、やっかいなことになっているなあ…」
 メシアとプルティと会話をしながら、アズバンはフルムーンの二人の持ち物を探る。
「じゃあ、じゃあ、ソフィー姉様やパパや王子様も、フルムーンかどうかも分からない人たちと一緒にいるってこと?」
 プルティの言葉を聞いて、メシアはヒュブロ城を見上げ、ソフィスタの名を小さく呟いた。
「はっきりとそう言いきれないが、可能性は考えられる。フルムーンの連中が、この受賞式典という大きな催しに便乗しているのなら、王子の命が危ないし、ヴォイドの効果で魔法が使えない校長たちの身も危険だ。早く、このことを伝えないと…」
 ヴォイドのことは、ヒュブロへ来る途中に既にアズバンから聞いている。ソフィスタなら、魔法が使えなくても何とかしそうな気もするが、やはり心配になる。
「分かった。すぐに伝えに行こう!」
「プルティも行くぅっ!!」
 アズバンが話し終えるのも待たずに、メシアは立ち上がり、プルティもスカートのポケットに手を突っ込み、縮めたステッキを取り出そうとした。
「待ちなさいってば」
 しかし、アズバンの魔法で出現した氷の塊が、メシアとプルティの首筋に押し当てられ、二人の熱は「冷たっ」という悲鳴と共に静まった。
「こういう時は、大人の言うことをちゃんと聞きなさい。まずは、城内の様子を確認しよう。…メシアくん、ここから人の姿は見えるかい?」
 氷を払い落とし、冷やされた首筋をさすりながら、メシアは言われた通り、周囲を見回す。
 日は既に沈み、空は暗闇に閉ざされている。それでも、目のいいメシアにとって、城壁の上に設置された松明かりだけで、この場所から見える城の様子は十分よく分かった。
 松明かりは、メシアたちが来る前から既に点されていた。メシアがここに来てから、城門前にいた人間以外の人影を見た覚えは無く、改めて見回しても、この場にいる者たち以外の気配は感じられない。
「…誰の姿も見当たらぬ」
 メシアの答えを聞いて、アズバンは難しそうな顔をした。
「…我々がテロリストの存在に気付いたことを、誰にも知られていないのなら、好都合かもしれないけれど…これだけ騒ぎを起こしても誰も来ないというのも、異常だな。テロを警戒している割には警備が薄いのも気になる…いや、深く考えている暇はなさそうだ」
 アズバンは立ち上がり、メシアと向かい合う。
「この二人のテロリストは、どこかに隠しておこう。私は客として城に入り、王子か校長かソフィスタくん…もしくは友人に、テロリストのことを伝えに行く。プルティくんも一緒に来てくれ。なんとかして会場に入れてもらおう」
「え、プルティも入っていいの?ヤッター!」
 深刻な事態だというのに喜んで跳ねるプルティを見て、メシアが「遊びではないのだぞ」と突っ込みを入れたが、プルティの耳には届いていないようだった。
「信用できる者に事情を伝えて、それからどうするかは…その時に考えるしかないな。校長やソフィスタくんなら、きっと良い案を出してくれるかもしれないしね。そして、メシアくん。君は…」
 名前を呼ばれ、メシアはキリッと顔を引き締めた。
 人間同士の争いは、人間同士で解決しなければ、同じ争いが繰り返される恐れがある。それで命を落とす者がいるとしても、人間とは関わらず暮らしている種族のメシアは、決して首を突っ込んではいけないと考えていた。
 だが、メシアにはソフィスタを監視し、魔法生物を作り出す技術を捨てさせるという使命がある。それに、ソフィスタとは半月も一緒に暮らしているので、情も沸くし、身に危険が迫っていると知れば、助けてやりたいと思う。
 あまり目立った行動は取れないが、ソフィスタを助けるためなら、出来る限りの力を貸そう。メシアは、そう考えていた。
 しかし…。
「メシアくんは、目立たない場所で隠れていなさい」
 それなら確かに目立った行動はせずに済むが、力は全く貸していない。城内では魔法は使えないそうなので、肉弾戦を得意とする自分の力が必ず役に立つと思っていたのに、見事に戦線離脱を命じられてしまった。
「お・おい、私はそれだけでよいのか?他に私にできることは、無いのか?」
 ちょっと裏返った声で、メシアはアズバンに問う。
「君の力は頼もしいんだが、いかんせん君は目立つんだ。自分でも分かっているだろう?」
 アズバンにそう説明され、メシアは俯いた。
 アズバンの言っていることは、間違っていない。背が高くて筋骨隆々で異種族。そんなメシアの姿は、異種族に理解あるというこの国に入国する際も、検問の兵に驚かれた。
 慎重に行動するのに、目立つ自分が邪魔になることは、よく分かる。だが、自分だけ隠れているというのも、情けない気がする。
 そんなメシアの気持ちを察してか、アズバンはこう言った。
「もし私たちの身に何かあったと思ったら、すぐに駆けつけてくれないかな。判断は君に任せるし、我々もフォローするからさ」
 それを聞き、アズバンの言葉に含まれた気遣いを感じ取ったメシアは、顔を上げて申し訳無さそうに微笑み、「分かった」と答えた。


  (続く)


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