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ありのままのメシア 第七話


   ・第四章 フルムーン

 ソフィスタを人質に取ろうとしたテロリストは、騒がないよう拘束して、適当な部屋に閉じ込めた。
 そしてソフィスタはティノーと別れ、赤い髪の騎士と共に、中庭へと急いだ。
 ティノーと、テロリストではなかったほうの近衛兵は、会場へ戻り、校長とアズバンだけに事情を説明することになっている。
 フルムーン一味の者と、そうでない者の区別がつかない以上、大っぴらにテロリストが紛れていると言えば、連中が何をするか分からないし、招待客もパニックになるだろう。
 それに、フルムーンの目的は王子の殺害で、そのために招待客を利用するつもりなら、連中の思惑通りに事を進めていけば、招待客の命まで奪うようなことはしないだろう。そう、ティノーは考え、可能な限りは時間を稼ぐが、スピーチは行うと言った。
 もちろん、ティノーに殺される気などないが、命の保障は無く、招待客の身も安全だとは言い切れない。だからこそ、ソフィスタと赤い髪の騎士が中庭へ向かっているのだが、招待客の身の安全を考え、冷静に最善を尽くそうとする姿勢は大したものだと、ソフィスタはティノーを見直した。
 テロリストは、受賞式典という場を選んで行動を起こす以上、招待客を必ず利用する。そして、行動開始の合図はティノーのスピーチにある。
 それを前提として、ソフィスタたちが立てた作戦は、こうだ。
 ティノーがスピーチを始める前に、城内の魔法を封じている装置『ヴォイド』を停止させ、会場にいる校長たちを戦力に加える。
 ティノーは今まで魔法によって暗殺されかけているので、魔法を使える者がテロリストの中にもいるだろうが、校長とアズバン、さらにプルティを加えた魔法使い三人には敵うまい。
 それにもしかしたら、テロの首謀者は、魔法アカデミーでも特に魔法力の高い校長が受賞式典に参列することを知っていたから、式典当日にヴォイドを作動させるよう、あえて何度もティノーを魔法で襲っていたのかもしれない。
 それは、最初から式典当日に行動を起こすつもりだったことを意味する。王子からの信頼も厚い近衛兵がテロリストであったにも関わらず、ティノーを暗殺できなかったのも、そう考えると説明がつく。
 暗殺できなかったのではなく、式典当日まで生かしておいただけなのだと。
 …今までの王子暗殺未遂は、フルムーンの存在を王子に知らしめ、警戒してヴォイドを作動させるためだったとしたら…連中の真の目的は、この受賞式典で果たされるものなのかもしれない…。何にしても、フルムーンが行動を起こす前に、ヴォイドさえ停止させれば、こっちのもんだ!
 ヴォイドを停止させるくらいの操作は、ソフィスタにもできる。だからティノーに、ヴォイドを停止させるという役を任され、ヴォイドがある場所へと向かっているのだ。
 赤い髪の騎士とぶつかって出会った、あの場所からだと、中庭を通ったほうが近道になるので、今はソフィスタが通ってきた廊下を引き返して走っている。
 …それにしても、やっぱり妙だ…。
 ソフィスタが会場へ戻る途中、警備の兵や使用人の数が少なくなっていたことには、気付いていた。その時は、会場に何人か集められているのだろうと考えていたが、今は少なくなったどころか、人の姿が全く見当たらない。
 これも、フルムーンの仕業なのだろうか。
「…貴女は、勇敢で、お優しい方ですね」
 ソフィスタを助けたことで王子からの信用を得て、ソフィスタの護衛として一緒にヴォイドを止めに向かっている赤い髪の騎士が、そう声をかけてきた。
 考え事をしていたソフィスタは、彼の言葉をはっきりと聞き取れず、彼の顔を見上げて「何でしょう」と聞き返した。
 赤い髪の騎士は、前を向いて走りながら、ソフィスタに話す。
「テロリストに捕らえられた時、貴女は全く怯えておりませんでしたね。そして今も、王子や会場のお客様たちのために、働いていらっしゃる。誰かを思いやり、敵に立ち向かわれる貴女を、私は尊敬致します」
 ソフィスタにしてみれば、自分にとって都合の良い行動を取っただけにすぎないし、正直言うと、面倒臭いことに巻き込まれたと思っている。
 なのに、そこまで褒められてしまうと、さすがに引く。
「…わたくしは、そんな大そうな人間ではございませんわ。ただ、なりゆきで…」
 そう言いかけたところで、ソフィスタは足元がぐらつき、前につんのめってしまった。履きなれないローヒールで走っているため、バランスを崩してしまったが、倒れる前にバランスを取り戻すことはできた。
 危なかった、と息をつき、そのまま走り続けようとした。
「失礼致します」
 不意に、赤い髪の騎士に声をかけられたと思ったら、ソフィスタの両足と背中が、赤い髪の騎士の腕で持ち上げられた。
「わっ…」
 急に、そして軽々と、赤い髪の騎士に横抱きにされたソフィスタは、石と化したように体を硬直させた。
 ドレスと騎士服を通して伝わる、赤い髪の騎士の体の感触と温もりを、緊張しきっているソフィスタは、敏感に感じ取ってしまい、心臓が早鐘を打ち鳴らし始める。
 そして、その鼓動が赤い髪の騎士に伝わってしまうのではないかと思うと、どうしようもなく恥ずかしくて、かぁっと顔が熱くなる。
 男にこんな抱き方をされるなんて、ものすごく嫌なはずなのに。降ろしてほしいという気持ちは確かに強いのだが、不思議と悪い気分にはならない。
 …ち・ちょっと待て!これって、ヤバイんじゃ…!
 心の底から湧き上がってくる、熱い何かと、それが体に及ぼす影響に、ソフィスタは戸惑いを覚えた。
 今まで感じたことの無い気持ち。だが、その正体は直感できた。
 自分には芽生えることなど無いと思っていた、いつも馬鹿にしていた、人間の感情の一つ。それを何と呼ぶのかも、ソフィスタは知っている。
 …まさか、あたし…。
「どうか致しましたか?」
 すっかり固まっているソフィスタを、妙に思い、赤い髪の騎士が声をかけてきた。
「え、いえ、なんでも…」
 変なことを考えようとしていたソフィスタは、慌てて首を横に振った。
「…もしかして…お嫌でしたか?」
 横抱きにしたことを言っているのだろう。ちょっと申し訳なさそうな顔で、赤い髪の騎士はソフィスタに尋ねた。
「いいえ!そんなわけではありません!」
 そう即答してから、ソフィスタは心の中で「イヤに決まってんだろ!!なに即答してんだあたしは!!」と叫んだ。
 自分の体なのに、自分の口なのに、どうも思い通りに動いてくれないし、赤い髪の騎士の表情に変化があると、いちいち心臓がドクンと弾む。
 それを赤い髪の騎士に悟られたくなくて、ソフィスタは何でもいから話題を変えようと、半ばショートしている頭を、必死に働かせた。
「あっ、そういえば、あなた、誰かを探していらしたのでは?」
 会場へ向かう途中に赤い髪の騎士とぶつかった時、彼が「人を探している」と言ったことを思い出し、ソフィスタはその話を持ち出した。
「はい。探す暇が無くなってしまいましたが…」
 赤い髪の騎士は、ソフィスタの話に乗り、そう答えた。顔を逸らしてくれたので、ソフィスタは彼に気付かれないよう、ホッと息を吐き出す。
「ソフィスタという名の少女を探しておりました。この式典に参列している者でございます」
 しかし、赤い髪の騎士の口から名前を出され、ビクッと肩を震わしてしまった。
 顔を前に向けている赤い髪の騎士は、そんなソフィスタの動揺には気付かず、話を続ける。
「会場の外へ出たまま戻らないと、連れの者が心配をしておりました。私の友達の、アズバンという名の男も、彼女を気にかけていたのですが、会場の外へは私しか出られなかったので…」
 アズバンを友達と呼ぶのを聞いたソフィスタは、アズバンの友人がヒュブロ城で働いているという、数日前の校長の話を思い出した。
 もしかして、この赤い髪の騎士が、例のアズバンの友達なのだろうか。
「中庭にいるそうなので、途中で合流できるかもしれません。彼女にも協力して頂きましょう」
 赤い髪の騎士は、探している人物を抱きかかえていることも知らず、そう話し続けた。
 ソフィスタは、自分がソフィスタであると明かせば、彼も安心するかもしれないと思った。だが、なんとなく恥ずかしい気がして、どうも言い出せない。
 …って、何で恥ずかしがる必要があるんだ!!
 ソフィスタは、片手で顔を覆い、俯いた。
 …くそっ!さっきから何なんだ、この気持ちは!この男と会ってから、ずっとこの調子だ!
 薄々勘付いているが、絶対に認めたくない、この気持ちに、ソフィスタが悶々としていると、それを気にかけた赤い髪の騎士に、「あの、やはりどこか具合が悪いのでは?」と尋ねられた。
 ソフィスタは慌てて顔を上げ、ごまかすように笑おうとしたが、かえって不自然な笑顔になってしまった。
「いい・い、あ、その…必ず作戦を成功させましょうね!!」
 心の中では「落ち着けあたし!変な笑い方してんじゃねーよ!!」などと自らを叱っていたが、赤い髪の騎士は、不自然な笑顔に少し首をかしげただけで、特に追求はしてこなかった。
「…はい!必ず成功させましょう!!」
 赤い髪の騎士は、ソフィスタに力強く微笑んで見せた。
 その時、ソフィスタは息を呑んだ。
 五秒も経たぬうちに前に向き直ってしまったが、その時の赤い髪の騎士の笑顔には、確かに見覚えがあり、それをどこで見たかも、すぐに思い出すことができた。
 今でも彼の顔を見つめていると、その背後に浮かんでくる、金色の額縁。
 そして、力強い彼の微笑みと重なって見えた、赤い冠をかぶった男の顔。
 …そうだ、思い出した!この人…聖なる王にそっくりだ!!
 髪や瞳の色は違い、肖像画に描かれていたものより若いが、赤い髪の騎士の顔立ちは、少し若返って蘇ったのではないかと思うほど、聖なる王によく似ていた。


 *

「おかしいな…」
 校長がそう呟いたので、アズバンは「何がですか?」と尋ねた。
「この会場内にいるヒュブロ兵の数が増えているようには見えんかね」
 校長の服を摘んで立っているプルティも、それを聞いてアズバンと一緒に「えっ?」と声を上げた。
 周囲を見回してみると、確かに兵や騎士などの数が増えていた。外の巡回をしていた者も、何人かこの場に集まっているのだろうか。
 まさか、ティノー王子がスピーチを行うから集められたのではあるまい。アズバンは、適当な兵に声をかけて尋ねてみようかと思ったが、その前に、こちらに近づいてきた者に声をかけられた。
「アーネス魔法アカデミーの、ディケラディオン・ヌィアロアス…ヌィアロシアス・アーネス様。そして、アズバン様とプルティ様ですね?」
 校長の名前は若干噛みつつも、三人の名前を呼んだのは、ヒュブロの騎士風の姿の男だった。騎士の正装とは若干異なるが、兵よりは高い身分に見える。
 アズバンの後ろにいる校長が「あ、王子の近衛兵の…」と小さく呟くのが聞こえたので、おそらくそうなのだろう。招待されていないプルティの名前を、なぜこの近衛兵が知っているのだろうと不思議に思い、アズバンは彼に「なぜ、彼女の名前を?」と問う。
 近衛兵は、周囲を気にするように目線だけ動かしてから、声を潜めて話し始めた。
「大きな声を出さずに聞いて下さい。私とティノー様と、あなた方のお連れのソフィスタ様は、一人の騎士から、城の者の中にフルムーン一味の者が紛れ込んでいることを聞きました」
 それを聞いて、アズバンたちは思わず顔を見合わせた。
「二人の裏切り者を捕らえたのは、あなた方二人だそうで…。我々近衛兵の仲間の中にも、裏切り者がおりました。もはや、誰が信用できる者なのか、分からなくなっております」
 騎士や近衛兵の中にテロリストが紛れているのなら、アズバンたちにとっては初対面である、この近衛兵にも、テロリストである可能性はある。そう思ったプルティが、いかにも疑っているような目で近衛兵を睨んでいたが、アズバンは彼女の肩に軽く手を乗せ、「大丈夫だよ」と小さく声をかけた。
 近衛兵の言う「一人の騎士」とは、ソフィスタを探しに行かせた彼のことを言っているのだろう。どうやら彼は、ソフィスタと合流できたようだ。
 もしこの近衛兵がテロリストだとして、今言ったことも嘘だとし、アズバンたちを錯乱させるつもりだとしても、まだ話を聞く余地はある。そう考え、アズバンは近衛兵に、「それで、我々はどうしたらいいのですか?」と尋ねた。
「アーネスの魔法使いであるあなた方のお力を、お貸し頂きたい」
 近衛兵の言葉を聞いて、アズバンは、ちょっと困った顔をする。彼の協力の申し出に、一人で「はい」と言うわけにもいかないと思い、校長に「返答して下さい」と目で合図を送った。
 アズバンの視線に気付き、校長が口を開く。
「もちろん、我々も協力致します。しかし、魔法を封じられている我々が、お役に立てるかどうか…」
 校長の言う通り、ヴォイドによって魔法を封じられているアズバンたちは、もしテロリストと戦うようなことになれば、足手まといになる自信さえある。
 まあ、近衛兵もティノーも、それを承知の上で協力を求めているのだろうが。
「いいえ、その点につきましては…」
 近衛兵が、アズバンたちに何かを説明しようとした時、会場内で拍手が沸き起こった。
 会場の正面奥にあるステージの上に、ティノーの叔父であるハバルが立ち、招待客たちに軽く手を振っている。
 ハバルの隣では、ティノーが柔らかい微笑を浮かべて立っている。
 そういえば、王子がスピーチを始める予定の時刻はとっくに過ぎていることに、アズバンは気付いた。
「王子が、できるだけ時間稼ぎをして下さいますが、我々も迅速に行動しなければなりません。これから作戦をご説明致しますので、落ち着いて聞いて下さい」
 拍手が治まり、ハバルが挨拶の言葉を述べ始めた。ティノーのスピーチは、その後の予定となっている。
 近衛兵は、アズバンたちにしか聞こえないよう声を潜めて作戦の内容を説明し始め、アズバンたちは、それをしっかりと聞いていた。
 ハバルの挨拶の言葉も、そろそろ終わりそうだと思ったころ、近衛兵の説明も終わった。
「それでは我々は、ヴォイドが停止したら行動を開始する…ということですね」
 校長は、自分たちの取るべき行動を、改めて近衛兵に確認する。近衛兵は「はい」と頷いた。
「分かりました。…しかし、ヴォイド停止のタイミングがいつになるかが問題ですね…」
 近衛兵が説明した作戦を聞いて、彼はテロリストではないと判断したアズバンは、説明された作戦の内容について、不安に思っていることを口にした。
 ヴォイドが停止したかどうかは、ある程度魔法力が高い者であれば、周囲の魔法力の流れを常に観察していれば気付くことができる。アズバンが見たところ、ヴォイドの停止に気付けるほどの魔法力の持ち主は、魔法アカデミーの人間を除いて、この会場にいなさそうだ。
 急にヴォイドが停止しても、テロリストらに気付かれることは無いだろう。
 …テロリストたちが行動を始める前にヴォイドが停止しても、おそらく問題はないだろう。だが、もしヴォイドの停止が遅れたら…。
 ティノーは殺されてしまうかもしれない。そんな不安がよぎったが、ここはヴォイドを止めに向かっているはずの二人を信じようと、首を振って不安を払った。
 その時、再び会場内で、拍手が沸き起こった。
 ティノーとハバルが、立っていた位置を入れ替え、いよいよティノーのスピーチが始まろうとしている。
 ティノーを殺すことだけがフルムーンの目的であれば、兵に紛れ込んでいるテロリストたちが、とっくに暗殺しているはずだ。だから、ティノーのスピーチがテロリストたちの行動の合図であっても、すぐにティノーを殺したりはしないだろう。それがティノーの考えだと、近衛兵は説明してくれた。
 だが、それは危険な賭けである。フルムーンにどんな目的があって、この受賞式典という場に潜り込んだのかは分からないが、ティノーの命を狙っていることは確かなのだから。
「いいですか。ヴォイドが停止するまでは、下手に動かないで下さい」
 近衛兵が、アズバンたちにそう念を押した。彼の表情も緊張している。
「会場のお客様に危害を加えるつもりなら、すでにやっているはずですから、下手に動かなければ、あなたたちも安全なはずです。よろしいですね」
 近衛兵の言葉にアズバンたちが頷くと、彼は足早にステージへと向かっていった。
 拍手はまだ鳴り止まず、ティノーは招待客たちに笑顔で手を振っている。
「…なんか、すごいことになってきたね。パパ」
 プルティの声は不安げだが、表情はキッと引き締まっている。普段は勝手気ままに問題ばかり起こすプルティだが、校長に次ぐ魔法力を持つ彼女は、真剣になれば大きな戦力である。
 そんなプルティに、アズバンと校長は頼もしさを覚えた。
「大丈夫。我々は強いのだから」
 校長は、プルティの肩をポンと叩き、力強く笑って見せた。
 強いのは、魔法が使えるようになってからの話かもしれないが、そう思ってもアズバンは口には出さなかった。
「そうとも。それに、会場の外にいる我々の味方も、みんなを守るために、今も頑張っているはずだ。だから我々も、頑張ろうじゃないか」
 アズバンも、ニィっと白い歯を見せて笑った。それを見たプルティの表情が、少し和らぐ。
 しかし、拍手が止んで会場が静まり返ると、三人の表情は、真剣なそれへと変わった。
 その顔を、ステージに立つティノーに向けた時、ちょうど彼と目が合った。
 テロリストたちに気付かれまいと、ティノーは微笑んでいたが、アズバンたちが小さく頷くと、ティノーはすぐに顔を逸らした。おそらく、アズバンたちが送った合図に気付いているだろう。
 ティノーは、少し間を置いてから、すっと息を吸い、マイクに向かって穏やかな声を発した。
「皆様。本日は、このノーヴェル賞受賞式典にご参加頂き、まことにありがとうございます」
 そう言い終えた直後、会場内にいるヒュブロ兵全員と、数人の招待客が、素早く動き出した。
 彼らは、アズバンらを含む他の招待客を囲むように、円を描いて陣取り、その円の外側にいる者は、むりやり内側に押し込んだ。
「お・おい、何をしている!」
 ティノーの隣に立っているハバルが、そう声を上げた時、背後から彼に近づいた二人のヒュブロ兵が、ハバルの両腕を捕らえた。
 円を描いて並ぶヒュブロ兵たちが、一斉に剣を抜き、同じく並んで立っている招待客たちにも武器を渡した。囲まれている招待客たちが、悲鳴を上げる。
 …まさか、この場にいたヒュブロ兵全員が、テロリストだったのか!?
 ティノーのスピーチと同時にテロリストたちが動き出すことは予想できていたが、これだけの数のテロリストが紛れ込んでいるとは思っていなかった。アズバンたちは、戸惑いながら周囲を見回すが、この状況ではそれがかえって自然であった。
 会場内はどよめきたっていたが、ヒュブロの騎士の礼装を身にまとった男がステージの手前に立ち、抜き身の長剣を振りかざしながら「静かにしろ!」と怒鳴ると、騒いでいた招待客たちは、ほぼ一斉に口をつぐんだ。
 それを確認すると、その騎士は長剣を高々と掲げ、こう言い放った。
「我々は、反王子派テロ組織、フルムーン!!全員、我々に従え!」


 *

 中庭の隅にある、一見倉庫のような小さな建物の中に、地下へと続く階段はあった。
 階段を下りてすぐの所に、ヒュブロ城内の魔法を封じている装置、ヴォイドがある部屋の扉が見えると、ソフィスタはティノーから聞いた。
 ティノーの話では、扉の前には二人の見張りの兵がいるという。
 赤い髪の騎士に横抱きにされてたまま階段を下りている途中、下から話し声がしたので、その二人の見張りのものかと思ったが、声は三人分あった。
「大変だ!受賞式の会場が、フルムーンに占領された!!」
 それを聞いて、赤い髪の騎士が足を止めた。
「…まさか、もうフルムーンの連中が動き始めたのでは…」
 赤い髪の騎士は、そう呟いたが、ソフィスタはそうは思わなかった。
「いいえ。私たちは、会場の外で王子様と別れてから、真っ直ぐこの場所へむかっておりましたのよ。その私たちより速く、すれ違うこともなく先に辿り着き、しかもフルムーンが会場を占領したという情報を得て伝えに来られる者なんて、いるはずがありませんわ」
 もしかしたら、今の声の主こそテロリストで、見張りの二人を騙そうとしているのかもしれない。
 ソフィスタは赤い髪の騎士の腕から離れ、階段の上に静かに降り立った。そして、人差し指を唇の前に立て、静かにするよう赤い髪の騎士に合図を送ると、足音を忍ばせて階段を下り始めた。
 赤い髪の騎士も、ソフィスタに続いて静かに階段を下りる。
「それで、王子や招待客たちは無事なのか?」
「今はどうか分からないが…とにかく、外にいた兵たちで、救出の作戦を練っているところだ」
 話し続けるヒュブロ兵たちの声に耳を傾けながら、ソフィスタと赤い髪の騎士は、兵士たちが見えるところまで階段を下ると、その場から彼ら様子を、こっそりと窺う。
 ヴォイドがある部屋の扉の前で話しているのは、やはり三人のヒュブロ兵であった。彼らの内、会場がフルムーンに占領されたと言った兵士の言葉は、もはや信用していない。彼がテロリストであることには、間違いないだろう。
 …だとしたら、ヴォイドを見張っているあの二人を騙して、何をするつもりなんだろう。
「分かった。じゃあ、お前はここに残って、ヴォイドの見張りを続けてくれ」
 二人の見張りの内の一人が、もう一人の見張りにそう言って、階段へと向かって走り出した。
 こっちに来る。見つかった時はどうしよう。そう、ソフィスタは悩んだが、その答えが出るより先に、フルムーンのことを伝えていたヒュブロ兵が動いた。
 彼は、腰に吊るしていたエストックを抜き、その勢いで、走り出したヒュブロ兵を後ろから斬りつけようとした。
「うわっ!」
 剣が鞘から抜かれる音で振り返っていた、そのヒュブロ兵は、ギリギリのところで体をよじって剣をかわそうとしたが、腕にざっくりと切り込みを入れられてしまった。
 さらに、もう一人の見張りの兵まで動き、斬られた兵を蹴り飛ばした。
 …しまった!あの見張りもテロリストだったのか!?
 見張りの兵までテロリストである可能性は、考えていなかったわけではない。だが、出て行くタイミングが遅れてしまった。
「やめろ!!」
 ソフィスタより先に、赤い髪の騎士が階段から飛び降りて、そう叫んだ。
 二人のテロリストは、赤い髪の騎士の声と姿に驚かされたようだが、互いに目配せすると、一人は赤い髪の騎士に向かって構え、もう一人は、負傷した兵に向けて剣を振りかざした。
 …だめだ!間に合わない!
 階段を下り終えたソフィスタは、負傷した兵が止めを刺されることを予想したが、赤い髪の騎士は、いつの間にか外していた胸の国章のブローチを投げ、剣を振り下ろさんとしているテロリストの手に当てた。
 かなり強く投げつけられたようで、そのテロリストは「イテェッ!」と悲鳴を上げ、握っていた剣を手放してしまった。
 その隙に、赤い髪の騎士は、もう一人のテロリストに蹴りを入れ、ブローチをぶつけられたテロリストのところまで吹っ飛ばした。
 二人のテロリストは、互いに体をぶつけ合い、勢いあまって壁に激突した。
 赤い髪の騎士の蹴りの威力に驚かされながらも、ソフィスタは、斬られたヒュブロ兵に駆け寄った。
 壁に背をもたれて座っている彼は、近づいてくる足音に気付いて顔を上げ、ソフィスタと赤い髪の騎士の姿を確認する。
「うう…一体、何が起こっているんだ。それに、君たちは?」
「そのまま動かないで下さい。わたくしはアーネスの、ソフィスタ・ベルエ・クレメストです」
 ヒュブロ兵の前で腰をかがめ、ソフィスタは彼の怪我の様子を調べながら、自己紹介をした。
 赤い髪の騎士は、床に倒れた二人のテロリストの頭を掴み、トドメとばかりにぶつけ合わせていた。
「ソフィスタ?…ああ、君が…」
 ヒュブロ兵は、ソフィスタの名前を知っているようだった。ノーヴェル賞受賞式典で表彰される人間の名前なのだから、誰に知られていてもおかしくはない。
「はい。わたくしたちは、ティノー王子様のお申し付けで、ヴォイドを止めに来ました。フルムーン一味の者が会場内に紛れていることは本当です。わたくしたちは、王子様と共に、テロリストの企みを阻止するために動いております」
 説明しながら、ソフィスタはストールを外し、兵の負傷した部位に巻きつけた。ストールは、たちまち血で赤く染まる。
「ヴォイドを止めたらすぐに、魔法で止血します。それまで押さえておいて下さい」
 ソフィスタは、ティノーから預かったヴォイドの部屋の扉の鍵を取り出し、ヒュブロ兵に見せる。テロリストを倒した赤い髪の騎士と、応急処置を施してくれたソフィスタのことを、ヒュブロ兵は信用したようで、少し顔を綻ばせた。
「くそっ、放せ!何なんだお前は!!」
 背後から、そう声が聞こえ、ソフィスタは振り返った。
 少し離れた場所で、赤い髪の騎士がテロリストの一人を床にねじ伏せ、押さえ込んでいる。もう一人のテロリストは気を失っているようで、うつ伏せになって床に倒れたまま放置されていた。
 ソフィスタは負傷した兵に「詳しい事情は、後でご説明致しますわ」と告げると、赤い髪の騎士に駆け寄った。
 赤い髪の騎士は、意識があるテロリストも気を失わせようと、手刀を振り上げたが、ソフィスタに「待って下さい!」と声をかけられたので、ゆっくりと手を下ろした。
「その者には、後で聞きだしたいことがありますので、そのまま捕らえておいて下さい」
 赤い髪の騎士に、そう頼むと、彼の返事も確認せずに、ヴォイドがある部屋の扉に近づき、ティノーから預かった鍵を、扉の鍵穴に差し込んだ。
 …予想外のことも起こったけど、とにかく魔法が使えるようにならなきゃ、あたしたちは何もできない。早くヴォイドを止めないと!
 フルムーン一味の者が、ここに来たということは、連中もヴォイドに何か用があったのかもしれない。その用というのが、ヴォイドを停止させることかも分からない。
 だとしたら、ソフィスタがヴォイドを止めても、それはテロリストたちにとって予定通りの展開になるわけだが、そんなことで迷っている時間などない。
 少なくともアズバンたちは、ヴォイドが停止することを前提で動いているはずなのだ。今、ソフィスタがやるべきことは、作戦通りにヴォイドを止めることなのである。
 そう考え、ソフィスタは扉を開くと、中に設置されているヴォイドのもとへと走った。


 *

 校長らを含む招待客たちは、会場の中央に集められ、フルムーンの者たちに囲まれていた。
 テーブルは全て、食器ごと会場の隅に片付けられている。武器になりそうな道具を持たせないよう、テロリストたちが移動させたのだった。
 ステージの上にいるのは、ティノー王子とハバル、そしてハバルを捕らえている二人のテロリストだけである。ティノーのもとへ戻ったはずの近衛兵の姿は、見当たらない。
 武器を突きつけられている招待客たち、そして、首に短剣を添えられているハバルを、ティノーは交互に見て、歯噛みをした。
 フルムーンのリーダー格らしき、ヒュブロの騎士の礼装を身にまとっている男が、ステージに上がり、ティノーの前に立った。その手に握られている抜き身の長剣の切っ先は、床に向けられている。
「…ライド…。まさか、君がフルムーン一味の者だったとは…」
 ライドと呼ばれた、リーダー格のテロリストは、ニッと口の端を吊り上げた。
「王子には、人を見る目も人望も無かった。それだけのことです」
 さも当然のように、ライドはさらりと言ってのける。
「それより…王子。なぜ我々フルムーンが、あなたの命を狙っているのか、ご存知ですか?」
「まだ若い私が王位を継ぐことに、不満があるからではないのか?」
 ティノーの答えを、ライドは鼻で笑う。
「それもありますが…。我々は、真に王位を継ぐべき方のもとで動いております。それがどういう意味か、お分かりですか?」
 ライドは、わざと声を大きくして話し、まるで会場内にいるティノー以外の人間にも聞かせているようだった。
「…会場内の人々を人質に取り、テロの首謀者に王位を譲る約束をさせるつもりだな」
 ティノーの声は特に大きくないが、静まり返っている会場内では、わりと響き渡っていた。他の招待客と一緒にいる校長たちにも、その声は聞こえている。
「分かっているのなら話は早い。さあ、これにサインをして頂きましょうか」
 ライドは懐から、折り畳まれた紙を取り出し、広げてティノーに差し出した。
「その、王位を狙ってフルムーンを組織した者とは、一体何者なんだ。それに、ヒュブロの王位を継げる者は、王家の血筋の者と決まっている。それも知らずに、フルムーンの首謀者は王位を継承しようとしているのか?」
 差し出された紙を受け取る前に、ティノーはライドに尋ねた。その凛としたティノーの態度が気に食わないのか、ライドは眉間にしわを寄せる。
「…いいでしょう。その書状を読めばわかることですが、教えて差し上げます。我々、フルムーンの首謀者は、かつて暴君として恐れられ、実の息子のクーデターによって国を追放された、元ヒュブロ王の子孫です」
 ライドの言葉は、囲まれている招待客たちをどよめき立たせた。しかし、ライドがジロっと睨むと、再び静まり返る。
「その暴君は、国を追放された後、遠く離れた地で子孫を残していたのですよ。そして、その血を継ぐ者が、フルムーンを組織して王位を取り戻そうとしているのです。ですから、ご安心下さい。王家の血筋は守られるということなのですから」
 ティノーは顔を青ざめ「そんなバカな…」と呟く。
「さて、おしゃべりはここまでです。さっさと、その書状にサインをして頂きましょうか。さもなくば…」
 ライドは、剣の切っ先をハバルへと向けた。すると、ハバルに短剣を突きつけているテロリストが、ハバルの髪を荒々しく掴んで持ち上げ、ティノーに首を見せ付ける。
「な・なりませんぞ、王子!こんなテロ集団を組織した者などに、王位を譲る必要はございません!私のことなど、どうか気になさらずに…」
 首を伸ばされ、喋りにくい体勢で、ハバルは声を振り絞る。
「…無理です。叔父上…」
 ティノーは、力なく首を横に振り、ライドに差し出された書状を受け取った。
「叔父上の命に代えられるものなど、ありません。それに、この会場にいる人間全てが、人質なのです。私が書状にサインをしない限り、テロリストたちは一人ずつ人質を殺してゆくでしょう」
 ライドがニヤリと笑い、「その通りですよ、王子」と言った。
 ティノーは、静かに書状に目を通す。そこには、かつての暴君の子孫の名前らしきものと、彼に王位を譲るという誓約が綴られている。
「読んだな。では、その右下の欄にサインをしてもらおうか」
 ライドは、ティノーに万年筆を差し出した。
 ティノーは、それを受け取ろうとしたが、手が震えていたため、落としてしまう。カランという音が、静かな会場内に響き渡る。
「おい、何をしている!」
「す・すまない。すぐにサインを入れる」
 ティノーは腰を屈めて万年筆を拾うと、そのままの体勢で書状を床に広げ、指示された欄にティノーの名前を書き記した。さらに、ティノーが常に持ち歩いている王印を押す。
 ハバルの髪を掴んでいたテロリストが、その手の力を緩めると、ハバルはがっくりと項垂れた。
「申し訳ありません…王子…」
 そう呟いたハバルを、ティノーは寂しげな目で見遣ると、立ち上がり、ライドに書状と万年筆を渡した。
「言われた通り、サインをした。さあ、叔父上と招待客たちを解放しろ」
 書状と万年筆を受け取ったライドは、ティノーのサインを確認すると、「いいでしょう」と言って王子と顔を向かい合わせた。
「約束通り、人質は解放致します。これからは、彼らは我が王の大切な国民ですからね。ハバル様も、余計な気を起こさなければ、それなりの地位に着くことができますよ。…それでは…」
 ライドは書状と万年筆をしまうと、手にしている長剣の切っ先を、ティノーに向けた。
「王子。あなたには、この場で死んで頂きます」
 ライドの剣が振り上げられると、ティノーは怯えた顔で、一歩後ろに下がった。人質にされた招待客たちの中から、悲鳴が上がる。
 ライドの剣が振り下ろされ、ティノーの左肩から右の脇腹までの肉を切り裂いた。服の装飾品と共に、真っ赤な鮮血が飛び散り、ライドは正面からそれを浴びる。
 テロリストから解放されたハバルや、ステージの近くにいる者の服にまで血は飛び散った。
 ティノーの体は、仰向けになってステージに倒れ、切り裂かれた部位から流れ出る血が、ティノーを中心に血溜まりを作ってゆく。
「王子!王子!!」
「いやあ―――!!ティノー様ァー!!」
 ハバルと、招待客たちが上げる悲痛な声が、会場内に飛び交い、その中で、ライドが高らかに笑った。
「ふはははははっ!!我らが王のご慈悲だ。王子の亡骸くらいは、丁重に葬ることを許そう!葬儀も盛大に行ってやるがいい!!」
 そしてライドは、他のテロリストたちに「引き上げるぞ」と身振りで指示した。
 テロリストたちは、パニックに陥っている招待客たちに剣を向けたまま、じりじりと会場の出入り口の扉へと移動する。
 先に扉の前に来た、一人のテロリストが、その取っ手を握ろうとした。
 しかし、突然ぶ厚い氷が出現し、取っ手も含める扉全体を覆ったので、テロリストは思わず手を引っ込めた。
「な、なんだこれは!!」
 その声を聞いて、ライドや他のテロリスト、残された招待客たちも扉の様子に気付く。
「何をしている!どけ!!」
 扉の周りに集まったテロリストたちを押しのけ、ライドが前に出た。彼は扉の前に立つと、剣で氷を砕こうとした。しかし、剣は振り下ろされる直前に消え、他のテロリストたちが手にしている武器も、次々と消えていった。
「どういうことだ!?一体、何が起こって…」
 ライドは周囲を見回し…会場の中央で、ライドらテロリストたちの武器が、氷に包まれて一塊になって宙に浮いている様子が見え、ぎょっとした。
「…まさか、本当に王子を斬るとはな…」
 ライドが氷に気を取られている間に、アズバンとプルティ、そして校長の三人が、ライドの背後に現れていた。
 プルティの服には、赤い斑点が散りばめられている。ライドが斬ったティノーの血しぶきが、プルティの服にまで届いたのだろう。
「うわっ、何だ貴様ら!!」
 ライドは、とっさに校長たちから離れようとしたが、アズバンが放った魔法がライドの手足を氷で覆って動きを止めた。
 他のテロリストたちも動き出し、校長たちを捕らえようとする。中には、再び招待客を人質に取ろうとする者までいた。
「ばりや――――っ!!!」
 だが、プルティがそう叫んで放った魔法が、光の壁を作り出して招待客たちを守るように囲んだ。
 そして、校長たちに襲い掛かろうとした者は、三人の手前で姿が消え、互いに手足や服を絡め合って身動きが取れない状態で会場の隅に出現した。
「ば、バカな!なぜ魔法が使えるんだ!!」
 氷に捕らわれたまま、その冷たさに身を震わせているライドが、ひどく驚いた表情で叫んだ。
「…許さない…」
 血を拭った跡が残る手で、スカートの裾をぎゅっと握り、プルティは低い声で呟いた。彼女の中で高まってゆく魔法力が、その余波で金色の巻き毛をフワリと浮かび上がらせる。
「あんたたち、ゼッタイに許さないんだからね!!!」
 涙を浮かべた目で、プルティはテロリストたちをキッと睨んだ。
 それを合図に、アズバンは胸の前で手を組み、校長は帽子を押さえながら片手を振り上げ、それぞれ高めていた魔法力を解放した。


  (続く)


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