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ありのままのメシア 第七話


   ・第五章 真の計画

 城の地下にある、ヴォイドが設置されている部屋の前で、ソフィスタは負傷した兵に、事情を説明しながら魔法で怪我の手当てをしていた。
 止血と消毒を施し、兵が携帯していた傷薬を塗ったところで、校長からソフィスタにテレパシーが届いた。
 校長、アズバン、プルティの三人は、テロリストたちと交戦中らしく、校長は一方的に状況を説明して交信を切った。
 戦っている最中なので仕方ないが、ソフィスタが欲しい情報は全て得られた。
 …テロリストたちは、武器さえ奪えば、ほぼ無力。でも、魔法を使って応戦してくる者は誰もいない…か。
 受賞式典前までに未遂で終わってきた王子の暗殺には、魔法が使われていた。だからティノーらヒュブロの者は、式典当日に城内でヴォイドを作動させ、魔法を封じた。
 そんな中、城内の受賞式典の会場にテロリストが現れた。そこでソフィスタと赤い髪の騎士は、魔法を封じられている校長とアズバンとプルティを戦力に加えるため、ヴォイドを止めに来たわけだ。
 しかし、もしあの二人が…赤い髪の騎士にふんじばられている最中のテロリスト二人が、ヴォイドを止めるという目的でここに来ていたとしたら、ソフィスタたちがヴォイドを止めに来なくても、会場内で魔法が使えるようになったということだ。
 …兵や招待客にテロリストを紛れ込ませることができる人間が、式典に招待されている校長の存在を知らないとは思えない。仮に会場に魔法を使えるテロリストがいて、そいつに何かをやらせるためにヴォイドを停止させようとしたとしても、そのリスクは大きい。
 明らかにおかしいテロリストの行動。その謎を解くには、もっと情報が必要だ。
 会場へ戻って、校長たちからも話を聞こう。今から会場へ向かえば、着く頃には戦闘も終わっているだろう。そう、ソフィスタは考える。
 だがその前に、やっておくことがあった。
 ソフィスタは、負傷した兵に「会場にいるアーネスの魔法使いから、テロリストを制圧したとテレパシーが届きました。もう大丈夫です」とだけ告げると、ふんじばられた二人のテロリストに近づいた。
 一人は気を失っており、もう一人は意識があるが、脱がされた上着の袖で手足と足首をまとめて縛られ、しゃちほこのような体勢になっていた。
 隣でしゃがみ込んでいる赤い髪の騎士は、テロリストがもがこうとする度に押さえつけていたが、抵抗しても無駄だと悟りったテロリストが大人しくなったため、今は暇そうに彼を見張っている。
 そのテロリストの手前まで来て、ソフィスタは彼を見下ろし、話し始めた。
「会場にいるテロリストたちは、アーネスの魔法使いたちが制圧したと、テレパシーが届きました。これで、あなたたちフルムーンは終わりですわ」
 会場にいるフルムーン一味の者や、この場にいる二人の他に、どこかで待機しているフルムーンの存在もソフィスタは考えていたが、足元で転がっているテロリストが、終わりと言われてソフィスタを見上げ、悔しそうな顔をしたところを見ると、別の場所にもテロリストがいる線は薄そうだ。
「ところで、なぜあなたは、ヴォイドがあるこの場所に来ていたのですか?それと、フルムーンを組織し、受賞式典襲撃を企てた者は、誰ですか?」
 会場にいるテロリストが、かつて国を追いやられた暴君の子孫がテロの首謀者だと言っていたことも、校長から既にテレパシーで伝えられていたが、念のため、ここにいるテロリストからも確認を取ろうと思って、ソフィスタは尋ねた。
 テロリストは、ソフィスタから顔を背けて黙り込む。
 答える気は無いようだ。ソフィスタは、その場にしゃがみ込む。
「…あなたは、そこの兵士様を殺そうとしましたわね。そんな人の道を外れた人間に、非人道的な拷問を行っても、恨まないで下さいますわね?」
 声を低くし、そう囁いたソフィスタに、テロリストは再び顔を向ける。彼の目が、「何をするつもりだ」と問いかけていることに気付くと、ソフィスタはニコッと笑顔を見せ、彼の髪の毛をガシッと掴んだ。
「爪を一枚ずつ、じっくりと剥ぎ、その指の肉を先から少しずつ削ぎ落とし、指が無くなったら代わりに傷口に釘をねじ込んでさしあげますわ。もちろん、足の指も同じように」
 髪の毛をギリギリと引っ張りながら、お嬢様口調で恐ろしいことをサラリと言ってのけたソフィスタに、テロリストの表情が凍りつく。
 ソフィスタは、テロリストの髪の毛を引っ張って、彼の顔面を床に叩きつけると、その頭を足で踏んで押さえ、近くに放置されていたテロリストの剣を拾い、切っ先を手袋の上から彼の爪の間に入れた。
 固く冷たい鉄の感触が伝わり、テロリストが悲鳴を上げる。
「や・やめろ!俺は、何も殺す気でアイツを斬ったわけじゃない!ただ、ちょっと邪魔にならないようにしようとしただけだ!!」
 虫も殺さないお嬢様だと思っていた少女が、いきなり恐ろしいことを言って実行しようとしていることと、顔を床に押し当てられて何も見えないことで、テロリストは恐怖を煽られる。
「そんな言葉、信用できませんわ。…まあ、別に拷問なんかしなくても、会場にいる魔法使いにお願いして、あなたの心を読んで頂くことができるのですが。それなら嘘もつけませんし、効率も良いですし」
「それなら拷問する必要はないだろうが!!」
「いいえ。わたくしの腹いせになるだけでも、意味のある拷問ですわ」
 剣先が手袋を破り、次いで爪の間の肉を破った。白い手袋に、じわっと血が滲む。
「それでは、剥がしますわ。せぇのっ…」
「待て待て待てェ!!言うから!言うからやめろォ!!」
 ここで拷問を受けて何も答えなくても、後で魔法で聞き出されてしまうのなら、拷問に耐えるだけ損だと判断させる。そんなソフィスタの作戦が成功したのだろう。テロリストは、情けない声を上げて降参した。
「では、ここへ来た理由と、フルムーンを組織した人物のことを、教えて下さいますわね?」
 ソフィスタは、テロリストの頭から足を離し、肉に食い込んだぶんだけ剣を引いてから、再びテロリストに尋ねた。
「…ここへは、ヴォイドを止めに来たんだよ。かつてクーデターによってヒュブロを追いやられた暴君の子孫だという、首謀者の指示を受けてな」
 校長がテレパシーで伝えてきたことと同じ事を、テロリストは答えた。問われてから答えるまでの間が短かったので、嘘をついてはいないだろう。
「なぜ、ヴォイドを止めに来たのですか?」
「会場にいる仲間が王子を殺した後、予定の時間にヴォイドを停止させ、転送の魔法で逃げるためだ。俺たちの仲間の中に、魔法が使える奴がいるらしいからな」
「らしい?魔法が使える者とは、会ったことがないのですか?」
「ああ。だが、王子の暗殺に失敗してきたソイツは、今まで転送の魔法を使って身を隠してきたそうだ」
 テロリストの話を聞き、ソフィスタは少し考えてから、次の質問に移った。
「フルムーン一味の中には、元々ヒュブロに仕えていた者もいるようですが、首謀者は、どうやって人材を集めたのですか?あなたは、どうしてテロに加担したのですか?」
 このテロリストも、おそらくヒュブロ兵として使えていた者なのだろう。負傷している兵が、この男と話をしていた時は、お互い顔見知りのように見えた。
「どこからどうやって人を集めているのかは、知らねーよ。ただ金を渡されて、国を乗っ取った暁には、働きに見合った報酬をくれると約束したから、加担した」
「お金は、首謀者から直接渡されたのですか?」
「いや、首謀者には会ったことが無い。指令や金は、全てどこからか送られてきた」
「では、他のフルムーン一味の者も、首謀者には会っていないのですか?」
「ああ、そうだ」
 ソフィスタは、あごに手をあて、考え込む。
 …首謀者に会ったことが無いってことは、そいつが本当に、かつてのヒュブロの暴君の子孫かどうかも分からないってことか。…いや、あの暴君は、国を追いやられてからずっと行方不明だし、子孫がいてもおかしいことは無い。そんな存在があやふやな人間の名を語ることくらい、姿を隠さなくてもできるんじゃないか?
 いてもおかしくはないが、明るみになっていない人物など、口だけでいくらでも偽れる。嘘だという証拠も、本当だという証拠も、探しにくいのだから。
 しかし嘘をつくにも、姿を現したほうが信頼されやすいのではないだろうか。
 …もしかしたら、首謀者は、姿を隠す必要がある奴なのかもしれない。でも、姿を隠して得られる信頼なんて、たかが知れている。それでも人材を集め、従わせているということは、よほど大金を叩いて釣ったんだろう。
 さらに、元々ヒュブロに仕えている者をテロリストに引き込んだからには、王子への忠誠心が薄くて金に釣られやすい人間を城の中から探し出せる立場にあるはずだ。
 …つまり首謀者は、城内の事情に詳しく、城の人間である可能性が高い。それなら、正体を隠す必要もあるからな。
 だが、校長のテレパシーから得た情報によると、その首謀者は、王子から王権を奪うつもりだったらしい。
 校長たちによって、それも阻止されるだろうが、例え成功して王位に就いたとしても、その後はどうするつもりだったのだろう。
 そもそも、現時点で実際に王権を握っているのは、ティノー王子ではなく、王都ヒュブロの外で療養中の王である。ティノーに王権を譲るよう署名をさせるより、ティノーを人質に取って王を脅したほうがよかったのではないか。
 国民だって、テロを組織してティノーを殺した者など、王として認めるはずがない。デモ活動でもを起こされたら、クーデターで国を追いやられた暴君の二の舞になるのではないか。
 それに、フルムーン一味の人間だって、正体を隠している首謀者に対し、信頼は薄いはずだ。正体を明かして改めて従わせるにしても、果たして彼らはちゃんと従ってくれるのだろうか。
 …それらの問題に気付かないほど、首謀者は頭が悪いとは思えない…。
 そして、テロリストの中にいるという、魔法を使って王子を暗殺しようとしてきた者。会場には魔法を使えるテロリストはいないと、校長がテレパシーで教えてくれたので、もしかしたら会場の外で待機しているのかもしれない。
 …このテロ騒動、会場にいるテロリストたちを捕らえただけじゃ、まだ解決しそうにないな。
 会場に戻って校長たちから話を聞けば、さらに何か分かるかもしれないし、会場にいるテロリストからも、何かを聞きだせるかもしれない。
 とりあえず、目の前にいるテロリストに「質問は以上です。ありがとうございました」と、心がこもっていない礼を言って、彼の背中に手を添え、魔法で衝撃を与えて気絶させた。
 わりと容赦の無いソフィスタの行動に、赤い髪の騎士と、負傷したヒュブロ兵は、軽く恐怖を覚える。
 ソフィスタは、ふうっと一息つき、手にしていた剣を床に置いた。
 その時、じーっとこちらを見つめている赤い髪の騎士と目が合った。とたんに、ソフィスタの心臓がドキンと跳ね上がる。
 爪を剥ぐなど肉を削ぐなどと恐ろしいことを言い、さらに頭を踏みつけていた所を見られていたと思うと、無性に恥ずかしくなり、ソフィスタは赤い髪の騎士から顔を逸らした。
「あ・あのっ、騎士様は、この二人のテロリストを、もっと身動きが取れなくなるように縛っておいて下さい」
 顔を逸らしたまま、もじもじと喋るソフィスタに、赤い髪の騎士は首を傾げたが、すぐに「かしこまりました」と答え、テロリストが身につけているものの中から、他に縄代わりになりそうなものを外し始めた。
 赤い髪の騎士の視線から解放されたソフィスタは、ホッと胸を撫で下ろすと、立ち上がった。
「では、わたくしは会場へ戻りますわ」
 赤い髪の騎士に、そう告げると、地上へと続く階段へ向かって、ソフィスタはそそくさと歩き始めた。
「お客様!お一人では…」
「大丈夫ですわ!魔法さえ使えるようになれば、わたくしも強いのですから!あなたは、ここで待っていて下さいまし!」
 負傷した兵は、まだ歩けそうになく、彼の身に危険が及ばないとも限らない。だから、赤い髪の騎士にこの場を任せることは、別に不自然なことではない。
 しかしソフィスタは、そこまで考えもせずに、呼び止めてきた赤い髪の騎士に、そう頼んでしまった。とにかく、赤い髪の騎士から離れたい一心で、他のことにまであまり頭を働かせられなかった。
 自分でも分かるほど顔は熱を帯び、赤く染まっている。そんな様子を赤い髪の騎士には見せたくなくて、ソフィスタは振り返らずに走り出し、階段を駆け上がった。


 *

 会場内にいたテロリストたちは、校長らアーネスの魔法使いたちによって、ステージの手前に集められ、プルティの魔法によって作り出された光の檻に閉じ込められた。
 ステージの上では、ハバルが血まみれの王子の体を膝の上に横たわらせ、すすり泣いていた。
 招待客たちは無傷で済んだが、それより王子の死にショックを受け、誰もが嘆いている。
 ハバルを囲うようにして、校長、アズバン、そしてプルティの三人は、ステージの上に立っていた。アズバンと校長は、沈痛な面持ちで俯き、プルティは両手で顔を覆ってシクシクと泣いている。
 そんな空気に耐えかねたのか、校長が口を開いた。
「…申し訳ない。もっと早く、我々が動いていれば…」
 ハバルは校長を見上げ、首を横に振った。
「いいえ、あなた方の責ではありませぬ。私が、もっと早くヴォイドを止めていれば、こんなことには…」
 それを聞いて、アズバンが「えっ?」と声を上げ、光の檻の中にいるテロリストたちのリーダー格であるライドも、「なんだと!?」と声を上げた。
「くそっ!お前が先にヴォイドを止めたのか!!」
 ライドは光の格子を掴もうとしたが、格子の隙間は見えない壁で塞がれているようで、上手く掴めなかった。
 校長とアズバンは、互いに顔を見合わせてから、ライドを振り返る。
「どういうことだね。君たちも、ヴォイドを止めるつもりだったのか?」
 ステージの上から校長に問われ、ライドは口を噤んだが、校長に強い口調で「答えなさい」と言われると、諦めたようにため息をつき、話し始めた。
「…王子を殺して会場を出たら、会場の外にいる仲間がヴォイドを停止するはずだったんだよ。今まで王子を暗殺支損ねてきたやつが、転送の魔法を使えるらしいから、会場を出たところでソイツと合流して、魔法で外に出る予定だった」
 ライドは、わりとペラペラと喋る。捕まってしまった以上、あがいても無駄だと観念したのだろうか。
 彼の話を聞いて、校長とアズバンは再び顔を見合わせる。
「ヴォイドの停止が遅れていたら、君たちには逃げられていたということか。…でも、なぜハバル様が、ヴォイドを?」
 アズバンが、ハバルにそう尋ねると、ハバルはゆっくりと答え始めた。
「…会場内や、外の様子が、どうもおかしいことに気付いていたからです。テロリストの中に魔法を使う者がいることは分かっていましたが、あなたたちのような強力な魔法使いなら、王子を護って下さると考え、部下に命じてヴォイドを止めに向かわせたのです。…ヒュブロの者の中にテロリストが紛れ込んでいたと知った時は、その部下までテロリストだったらどうしようかと思いましたが…そうではなかったようですね」
 もし、その部下とやらがフルムーン一味の者であったら、フルムーンの計画通りの時間にヴォイドは停止していたことだろう。そう、ハバルは考えたようだ。
「だが、テロリストを捕らえることはできても、王子は…」
 ハバルは、ティノーの肩に顔を埋め、再びすすり泣き始める。
「…しかし、王子も、ハバル様がヴォイドを止めようとしていたことを、存じていらしたのでしょう。それなら、王子ももっと時間を稼ごうとしてもよかったのでは…」
「やめて下さい!!」
 アズバンが何気なく呟いたことを聞いて、ハバルが叫んだ。
「王子は、最後まで私を信頼して下さったのです。そのご期待にお答えすることができなかった私に、全ての責任があるのです」
 ハバルは、そう言って王子を庇う。会場内は、テロリストたちも含めて静まり返り、プルティのしゃくり上げる声だけが響く。
「…では、ハバル様は、ティノー王子に、あなたの部下がヴォイドを止めにいくことを伝えた、ということですな」
 急に、校長が語気鋭い口調で尋ねてきたので、ハバルは戸惑ったような顔で校長を見上げ、「はい、そうですが…」と答えた。
「おかしいですな。私とテレパシーを続けているティノー王子は、あなたからは何も伝えられていないとおっしゃっておりますぞ」
 その校長の言葉は、ライドらテロリストたちと、招待客をどよめかせ、ハバルにも「えっ?」とでも言いたげな顔をさせた。
 校長とアズバンは、疑わしそうな視線をハバルに送り、プルティはまだ泣いている。
 ハバルの腕に抱かれているティノーは、ライドに斬られてから息も無く、体温も下がりつつあった。
「こんな時に、ふざけないで下さい!王子は、既に息を引き取ってしまわれたのですよ!!」
 ハバルは涙を流しながら、校長を怒鳴りつけた。そして、まだ何かを叫ぼうとしていたが、ハバルの背後、ステージの奥から響いてきた声に遮られた。
「叔父上。その話は本当なのですか?」
 ハバルが驚いて振り返ると、ティノーの近衛兵が、主君と共にステージの奥から姿を現した。
 そう、近衛兵を従えて現れたのは、ライドに斬られる直前までの姿のティノーであった。
「あ…お・王子?」
 ハバルは、腕の中でグッタリとしているティノーと、近衛兵と共に現れたティノーを、何度も見比べる。
 テロリストや招待客らが目を丸くしている中、アズバンがプルティに「もういいよ」と声をかけて、パチンと指を鳴らした。すると、ハバルに抱かれているティノーの体が、瞬時にして服ごと液体に変わり、ハバルの腕をすり抜けて、床の血溜りと混ざり合った。
 血溜りは、プルティが顔を上げるとほぼ同時に、無色透明の水へと変わった。
「テロリストに斬られたのは、ティノー様ではなく、プルティくんの魔法で触感と色を錯覚させ、校長の転移魔法で本物のティノー様と摩り替えた、ただの水だったのです。お冷がたくさん余っていて、助かりましたよ」
 会場内の隅にまとめて置かれているポットを指しながら、アズバンがそう説明したが、ハバルは偽者のティノーを抱いていたままの体勢で呆然としており、話を聞いていないように見える。
「…どういうことだ…?」
「聞きたいのは私のほうです!私は叔父上がヴォイドを止めようとしていたことなど、聞かされておりません!なぜ、そんな嘘をついたのですか?」
 やっと言葉を紡ぎ出したハバルに、ティノーが問い詰める。その声は荒く、表情は悲しげだった。
「…も・申し訳ございません!」
 ハバルは床に両手を着き、ティノーに深々と頭を下げた。
「私は、ヴォイドを停止させたことを、あなたに伝えようとしたのですが、遅れてしまい…その責任を問われるのが怖くて、嘘をつきました」
「苦し紛れの言い訳ですね。それほど追い詰められているのですか?」
 冷ややかだが、凛とした声が、会場の出入り口のほうから聞こえ、会場内にいる者全員が、そちらを振り向いた。
 既に氷が解けた扉を開け放ち、会場の中に足を踏み入れてきたソフィスタの姿が、そこにあった。授賞式や立食パーティーでは、常に柔和な笑顔を湛えていたが、今の彼女の表情は、非常に冷たいものであった。
「ソフィー姉様!!」
 泣いていたプルティが、真っ先にソフィスタの名を呼んだ。ソフィスタは、苛立ったようなヒール音を立てて、ステージへと向かって真っ直ぐ進み始め、その直線上を塞いでいた招待客たちは、自然と彼女に道を開けた。
「うえぇ〜んっ!ソフィー姉様、聞いて〜!プルティのお気に入りのお洋服が、びっしょぬれになっちゃったの〜!!」
 そんなことをわめきながら、プルティはステージを降り、ソフィスタに駆け寄った。プルティを見送るアズバンが「…服が濡れたから泣いてたんかい…」と呟く。
 プルティにドレスにしがみつかれたソフィスタは、立ち止まって会場内を見回した。
 無傷の招待客たち。魔法の光の檻に捕らわれているテロリストたち。そして、ステージの上にいる校長たち。彼らの様子を確認すると、ソフィスタはハバルにニヤッと笑って見せた。
「交戦が終わってから、校長からのテレパシーで状況を説明してもらっていましたが…私たちの作戦は、上手くいったようですね」
 立食パーティー中のお嬢様口調ではなく、若干砕けた敬語で、ソフィスタは話した。
「あったりまです!プルティも頑張ったんだから!」
 プルティはソフィスタから一歩離れ、エッヘンと胸を張った。ソフィスタは、「ああ、本当によくやってくれた」と言って、プルティの頭を撫でてやると、再び歩き出した。
「作戦?どういうこと…なのですか…?」
 ステージの中央にある短い階段を上って、ステージの上に立ったソフィスタに、ハバルがそう尋ねる。
 ソフィスタは、膝を着いているハバルを冷たい目で見下ろしながら、答え始めた。
「フルムーン一味の者がヒュブロ兵に紛れ込んでいることを、私たちは既に知っていました。そして、フルムーンの首謀者が城内の人間であることにも、勘付いていました。だから、ティノー王子にはテロリストに殺されたふりをして頂いたのです。もし、首謀者が会場にいれば、ボロを出すのではないかと考えましてね」
 そこまで説明を聞いても、ハバルはまだ状況が理解できていないようだった。ソフィスタは、さらに話を続ける。
「そして、ヴォイドを止めたのは、ハバル様の部下ではなく、私です。ヴォイドを止めに来たテロリストと鉢合わせになりましたが、捕らえることに成功し、話もある程度聞き出すことができました。…そのテロリストは、予定した時刻にヴォイドを停止させるつもりだったそうです。おそらく、ティノー王子を殺した後になるよう、時間を定めていたのだと思います。私がヴォイドを停止させたのは、それより早い時間でした」
「確かに、ティノー様が書状に目を通している間に、ヴォイドは停止したよね。水でティノー王子の偽者を作るのは苦労したけど、なんとか間に合ってよかったよ」
 アズバンが、そう説明を付け足した。
「ええ。…でも、もし予定した時刻にヴォイドが停止し、ティノー王子が殺されてしまっても、テロリストたちは捕まっていたでしょうね」
 そのソフィスタの言葉を聞いて、ティノーは首をかしげた。校長やアズバン、招待客やテロリストたちも、ソフィスタが言ったことを理解できず、どういうことかとどよめいている。
 その様子に、ソフィスタは肩を竦めた。
「…考えてもみて下さいよ。フルムーン一味の者は、転送の魔法で外へ出る予定だと言っていましたが、あれだけの数のテロリストを魔法で外へ送るのに、転送の魔法が使えるからと言って、どれだけ時間がかかると思いますか?」
 それを聞いて、校長とアズバンは「ああ、確かに!」と手を叩いた。
「あの人数を、時間もかけずに外へ送ることができる魔法使いなんて、アーネスにもいませんよ。マジックアイテムを用いれば少しはマシになるでしょうが、ヴォイドを停止させてから校長ら魔法使いに邪魔される前に、全員を外に逃がすなんて、危険な賭けになると思いませんか?」
「確かにそうよねっ!さっすがソフィー姉様、頭いい〜!」
 淡々と話すソフィスタにプルティが、黄色い声援を送るが、それを無視して、プルティはハバルに言い放った。
「ハバル様。あなたは、ティノー王子がテロリストによって殺害された後、校長たちを利用してテロリストたちを捕らえさせるつもりだったのではありませんか?」
 冷たく、キッパリとそう言われたハバルは、目を大きく見開く。
「ヴォイドを止めに来たテロリストから聞き出した話では、フルムーンの首謀者はテロリストたちの前には姿を見せず、指令と金だけを送っていたそうです。…ヒュブロの兵や騎士をフルムーンに引き込み、他に集めた者を招待客に紛れ込ませ、そいつらを従わせるだけの金を用意できるのは、城の人間の中でも地位のある人間。そして、姿を隠す必要がある者が、フルムーンの首謀者です。どれも、ハバル様に当てはまりますね」
 そこまでソフィスタが話すと、黙っていたハバルが、ついに声を荒げて反論を始めた。
「そんな憶測で、私をフルムーンの首謀者に仕立て上げるつもりか!そもそも私は、ティノー様の叔父で、ティノー様を何度も暗殺から守ってきたのだぞ!ティノー様を暗殺しようとしている者が、なぜそんなことをする必要があるのだ!!」
 ハバルの怒鳴り声に、招待客は静まり返り、ティノーも思わず一歩後ろに下がった。
 しかしソフィスタは、ハバルの気迫に恐れも驚きもせず、冷めた表情を保ち続けていた。
「必要があるから守ったんでしょう。あなたが王位に就くために」
 ふたまわりも年下の少女の全く動じない様子と、その少女が言い放った言葉に、ハバルは驚かされる。
「テロリストの行動や、首謀者が出したという指示には、おかしいと思う点が多かったのですよ。…でも、ハバル様が王位を得るために、今回の犯行を企てたと考えれば、いろいろとつじつまが合うんです」
 会場内は、すっかり静まり返り、誰もがソフィスタに注目していた。それに気付いても、特に気にすること無く、ソフィスタは話し続ける。
「もしティノー王子がいなくなれば、王に何かあった時に王権を譲られるのは、ハバル様です。しかし、ただティノー王子を暗殺するだけでは、疑いをかけられる。だからあなたは、かつてのヒュブロの暴君の子孫と偽り、王子暗殺を企てる反王子派テロ組織を作った。暗殺されそうになった王子を助けたのも、そうやって自作自演することで、信頼を買うためでしょう。そして、計画の仕上げに、あなたは受賞式典を利用して王子をテロリストに殺させ、そのテロリストを、あなたの活躍で捕らえるつもりだったのでしょう」
 テロリストたちを捕らえている光の檻の中から、「なんだって!?」という声が響いたが、それに対し、ソフィスタは見向きもしなかった。
「この式典に、アーネス魔法アカデミーの校長という、強力な魔法使いが参列することを知っていたハバル様は、暗殺に魔法を使うことでヴォイドを導入させ、式典当日に作動させ、ティノー王子が斬られるまでは魔法を封じ、ティノー王子が殺害されたら、テロリストたちが逃げる前にヴォイドを作動させ、校長たちにテロリストを捕らえさせた。こうしてハバル様は、直接ではありませんが、招待客を守り、テロリストを捕らえた英雄となります。…これが、あなたの計画なのではありませんか?」
 そこまで説明した時、ソフィスタは、今までフルムーンの行動について疑問に思っていたことが、やっと解決したような気分になった。頭の中では分かっていたが、まとめて声に出して説明したほうが、どうやらスッキリするようだ。
「…そうか。確かにハバル様なら、城の人間の中からテロに加担してくれそうな者を探し出せるし、そいつらを式典当日に都合よく警備にあたらせることもできるな」
 ソフィスタの説明に納得したアズバンが、そう呟いた。校長と、校長の隣へと移動していたプルティも、アズバンの言葉に頷き、ハバルを睨むように見つめる。
 会場に残っている招待客や、捕らわれているテロリストたちも、疑いの目をハバルに向けている。ティノーだけが、まだ信じられないというような顔をしていた。
「違います!私は決して、フルムーンの首謀者などではありませぬ!信じてください、王子!!」
 そんなティノーに、ハバルは目に涙を溜めて訴えかけた。ティノーは、はっとして口を開く。
「…そ・そうだ。叔父上は、忙しい父に代わって、よく私の面倒を見て下さった方だ!いくらなんでも、私を殺そうとするわけがない!!」
「そうですね。私が説明をしたことは、まだ推測の域ですから」
 あれだけハバルを首謀者に仕立て上げるように説明しておきながら、ティノーの弁護をあっさりと受け入れたソフィスタに、ティノーとハバルは呆気に取られる。
「いくらつじつまが合っても、ハバル様がフルムーンの首謀者であるという、物的証拠がありませんもの。ですから、証拠はこれから探して下さい。もしハバル様が、後で物的証拠を隠滅しようとしていたのなら、今ならまだ証拠を探し出せるかもしれません。テロリストやハバル様の身辺は、徹底的に調査を行って下さい。もちろんハバル様も、身の潔白を証明するために、協力して下さいますよね?」
 ソフィスタの口調は、挑発するようなもので、ハバルを見下ろす表情も、勝ち誇ったように口の端を吊り上げて笑っていた。
 ハバルは、ソフィスタを恨めしそうに睨んでいたが、やがて、ふっとため息をついて俯き、そのままゆっくりと立ち上がった。
「…そこまで言われたからには、仕方がありません。いいでしょう、好きなだけ調べて下さい」
 そのハバルの言葉を聞いて、ティノーが安堵するように息をついた。
 何かを隠そうとする素振りを見せないので、やはりハバルはフルムーンの首謀者ではないと、ティノーは思ったのだろう。
 しかし、ハバルがさり気なく胸のポケットに左手を入れた時、僅かな魔法力の流れが生じて、ソフィスタや校長らアーネスの者たちに緊張が走った。
 ハバルは、ティノーでも見たことが無いような、不気味な笑みを浮かべる。
「もっとも、お前たちが生きていられたらの話だがな!!」
 そう叫んで、ハバルは胸ポケットから手を出した。その指には、大きな宝石がはめ込まれた、三つの指輪を差している。
 その指輪の内、黒い宝石をはめ込んだ指輪から、黒い泥のようなものが大量に噴出した。
 ハバルが叫んだ時から既に魔法力を高めていた校長が、危険を感じて雷の魔法を放った。しかし稲妻は、その黒い物体に吸い込まれるようにして消えてしまった。
 とっさに放った魔法だし、ハバルに直撃することも考えて威力は弱めていたのだろうが、全く効果が無いことに、ソフィスタたちは驚かされる。
 黒い泥のようなものは、ハバルを守るように囲いながら、黒い毛の犬へと形を変えた。
 巨大な体と、鋭い牙、そして赤く不気味に輝く瞳。その禍々しい姿に、ソフィスタは思わず身震いをする。
「…な・何だ、これは…」
 帽子を押さえ、プルティを庇うように後ろに立たせながら、校長が震える声を漏らした。
 …あのヤロウ、こんなでかい犬を、どこで仕入れたんだ!?
 ソフィスタは、どうにか平静を保ち、頭を働かせる。
 …指輪を取り出したら出てきたってことは、あの指輪の中に、この犬が封印されていたんだろう。ハバルを守るように囲んでいるから、ハバルに手懐けられているか、操っているかのどっちかか。…でも、ハバルの魔法力は、普通の人間と同等だ。もしかしたら、あの指輪を介して操っているんじゃ…。
 そこまで考えて、ソフィスタはハッとした。
「その犬…魔獣なのか!」
 ソフィスタが、そう声を上げると、校長たちは驚愕し、ハバルはニヤッと笑った。
 招待客やテロリストのほとんどは、魔獣という単語にピンとこないようで、ただ獣の巨大な姿に驚いている。
「その通りだ。こいつは、今は禁呪とされる魔法によって作り出された獣だ」
 ハバルが説明しなくても、ソフィスタたちには魔獣が何かが分かっていた。
 ソフィスタが作り出した魔法生物とは違い、普通に生物として存在する獣の体を魔法で改造したものが、魔獣だ。そのほとんどが巨大で凶暴であるため、普段は専用のマジックアイテムに体を封じ込められている。
 戦争が盛んだった頃、どこかの魔法使いが兵器として魔獣を大量に作り出したが、現在では作り出すことは禁じられ、魔獣もほとんど処分されたという。
 しかし、処分し損なった魔獣の封印アイテムは、今でも裏で売買されているらしい。ハバルが持っているのも、その一つだったのかもしれない。
「…叔父上…まさか本当に…あなたがフルムーンの…」
 ハバルの言動と魔獣の出現に、動揺しきっているティノーは、体を小刻みに震わせ、立ち尽くしている。彼の傍らに立っていた近衛兵は剣を抜き、ティノーを庇って前に出た。
 ハバルが、左手を高々と振り上げた。すると、魔獣が低い唸り声を上げ、ソフィスタたちをギロリと睨んだ。
 それを見て、ティノーは我に返り、招待客たちに向かって「外へ逃げろ!早く!」と叫んだ。言われるまでもなく、招待客は開け放たれた扉に向かって、既に走っていた。
「グルォアァァァァ―――――ッッ!!!」
 招待客たちが会場の外へ出るよりも、ソフィスタたちが魔法で攻撃するよりも早く、魔獣が吠えた。招待客やテロリストたちは、思わず耳を塞ぐ。
 咆哮は会場内に反響し、魔法を使おうとしていたソフィスタたちの集中力を途絶えさせる。
 何らかの力に守られているのか、ハバルだけが平然としていた。
 魔獣はステージから飛び降りると、床を強く蹴って招待客たちを飛び越え、出入り口の扉の上の壁に、頭から激突した。招待客たちは、慌てて扉から離れる。
「魔獣よ!誰一人と、ここから逃すな!この場に残る者たちを、全員始末するのだ!!」
 ハバルは、そう叫ぶと、近くにいたソフィスタの腕を掴み、乱暴に引いた。
 ひどい耳鳴りで、腕を掴まれるまでハバルの動きに気がつかなかったソフィスタは、抵抗する間もなく、両腕を背中に回された。
「ソフィー姉様!!」
「ソフィスタくん!!」
 さらに遅れて気付いたプルティとアズバンが、ソフィスタに駆け寄ろうとしたが、先にハバルが左手を掲げて叫んだ。
「満ち月よ!我を見捨てたもうな!」
 とたんに、ハバルが左手に差している三つの指輪の内、琥珀色の宝石がはめ込まれている指輪が、強い光を発した。直に光を見てしまったプルティとアズバンは、目を眩まされ、ソフィスタもあまりの眩しさに目を閉じた。
 同時に、ソフィスタの足元の床が消え、体が宙に投げ出されたような感覚に見舞われた。
 校長と共に、魔法で王都ヒュブロへ移動した時と、ほぼ同じ感覚である。
 …まさか、あの指輪には、転移魔法の効果があるのか!?
 転移魔法を使われたことに気付いた時には、ソフィスタの体は既に会場から消え去り、別の場所へと転移されていた。


  (続く)


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