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ありのままのメシア 第九話


   ・第二章 出発前に…

 ホルスが床に刺した羽は、いつの間にか消えており、彼の正体を探れそうなものは、校長の部屋には残されていなかった。
 メシアの足の裏に刺さった破片は、紅玉が独りでに輝いて取り除いてくれた。常に裸足のメシアは、足の裏の皮膚も丈夫なので、破片が食い込んでも出血は全く見られなかった。
 それでもソフィスタは「念のため」と言ってメシアの足の裏を魔法で洗い流し、水気を払ってハンカチを巻くと、「帽子が無いと身動きが取れない」などと情けないことを言っている校長のため、換えの帽子を探しに校長室を出て行った。ソフィスタが自分で被っている帽子は、校長には貸したくないらしい。
 校長室で待っていろとソフィスタに言われたメシアは、散らばっているガラスの破片は危ないので、適当なホウキを探し出して床を掃除し始めた。
 校長は、部屋の隅で頭を隠して踞っている。
「…ホーク…いや、あのホルスという少年は、なぜ私の故郷と、神の名前を知っていたのだろうか…」
 メシアは、掃除をしながらボソボソと呟く。背を向けている校長の肩が、ぴくっと動いたが、メシアは気付かなかった。
「…神の御名は、我々しか知らないはず。他の種族の中にも、我らが神を崇めている者がいるのだろうか。…だが、ホルスが身に着けていた服は、神の…」
「カミって連呼するな!」
 メシアの独り言が聞こえた校長が、いきなりそう叫んだので、メシアはびっくりして口を噤んだ。
 何故、校長が叫んだのかは分からないが、なんとなく追求してはいけない気がしたので、素直に黙ることにした。
 …ホルスが身に着けていた服は、我らが種族…ネスタジェセルの神官が身に纏う装束に似ている。だが、ホルスはネスタジェセルには見えないし、彼はルクロスに住んでいる者でもない…。
 メシアの故郷、ルクロスは、女神イシスの加護の下、ネスタジェセルのみが住まう地であり、他にいるのは、獣や魚や昆虫くらいである。
 人間もいなければ、ホルスのような不思議な姿の者もいない。
 …そういえば、初めてホークに会った時、彼の瞳に見覚えがあると感じた。あれは、一体…。
 掃除屋のホークの姿で、ホルスがメシアの前に現れた時、彼の金色の瞳には確かに見覚えがあった。いつ見たものかまでは分からなかったが。
 …もしかしたら、幼い頃に会って、覚えていないだけなのかもしれん…。
 あれこれ考えながら掃除を続け、やがてガラスの破片を集め終えたので、ちりとりに取ってホウキと一緒に部屋の隅に置いた。
 足の裏の痛みも引いたし、ガラスの破片を片付けたついでに、床に落ちている筆記用具なども片付けてしまおうかと思ったが、その前に、ソフィスタが校長室に戻ってきた。
「校長先生。エメ先生から、このフードならすぐに借りてこれましたけど、コレでいいですか?」
 ソフィスタは、肩まですっぽりと覆うフードを、校長に見せた。校長は頭を隠しながら、ソフィスタを振り返り、「何でもいいから被らせてくれ!」と叫んだ。
 ソフィスタは校長にフードを渡すと、何も言わずに校長に背を向け、メシアに近付いた。
「メシア。ついでにコレも借りてきたから、履いてろ。…でかいサイズのものを借りたけど、入るか?」
 そう言って、ソフィスタがメシアに差し出したのは、来客用のスリッパであった。メシアはスリッパを受け取ると、言われた通り足に履いた。
 靴を履きたがらないメシアだが、メシアがガラスの破片を踏んだことをを気遣って持ってきてくれたのだと思うと、嬉しかった。メシアはソフィスタに「ありがとう」と礼を言い、ソフィスタは、少し照れくさそうな顔をして、そっぽを向いた。
「…で、校長。ホルスに奪われた帽子は、どうするんですか?」
 フードを頭に被った校長に、ソフィスタが尋ねる。
「お願いだ!ソフィスタさんとメシアさんで、ラゼアンへ帽子を取りに行ってくれ!」
 校長は、泣きそうな顔で即答した。メシアは「えっ、いいのか?」と聞き返す。
「あの帽子は、ほんっっっとに特別な帽子なんだ!あの帽子がないと、私ゃ何もできん〜」
 校長は床に両手を着き、がっくりと項垂れて情けない声で言った。
「校長は、帽子をかぶっていないとこうなる体質の人間なのか?」
「いや、コレは気持ちの問題だ。髪の毛が豊富な人間には分からない悩みを、校長は抱えているんだ。そっとしておいてやれ」
 メシアとソフィスタは、特に小声で話していたわけではないので、会話を聞いた校長が「ソフィスタさんが一番容赦ないわ!」と突っ込んだ。
「では、しばらく学校を休むことになりますが、その間の授業料は免除して下さい。メシアが一緒だと転移魔法が使えないので、移動用に乗り物も用意して頂けますか?」
「行ってくれるのか!?分かった!旅に必要な物は何でも用意する!!」
 ソフィスタと校長が、メシアにはよく分からない話を始めたので、会話に入り込めないメシアは、突っ立っているのも暇なので、床に乱雑している物の片づけを始めた。
 …何かよく分からんが、ラゼアンへ行くことはできるようだな。よかった…。
 帽子を奪われただけなのに、ずいぶんと嘆いていた校長には悪いが、行きたがっていたラゼアンへ、わりと早く出発できそうなので、メシアは内心喜んでいた。
 ソフィスタと一緒に旅をするというのも、悪くない。彼女のことをもっとよく知ることができるし、もしかしたら、アーネスの外でソフィスタの伴侶となる者が見つかるかも知れない。
 ソフィスタに命の尊さを教えるために子供を産ませる作戦を、まだ捨てきってはいないメシアは、そんなことを考えた。
 だが、不安もあった。
 メシアの故郷や神の名を知り、メシアを導く者だと名乗った少年、ホルス。彼はどこから来て、メシアをどこへ導くつもりなのか。
 そして、昨晩見た夢。かつて世話になった人間の女性がメシアの夢に出てきたことなら、今までに何度かあった。だが、昨晩はやたらと現実味があったような気がするし、彼女が悲しそうに微笑んで「さようなら」と告げたことも気になる。
 …よからぬことが起こらなければよいのだが…いや、旅立つ前から、あまり不吉なことを考えるものではない。
 メシアは首を横に振り、不安を振り払った。
 長い銀髪が揺れ、窓から差し込む光を浴びて輝く、その様子を、校長が実に羨ましそうに見ていたが、視線を感じてメシアが振り返ると、校長は慌てて視線を逸らした。


 *

 往復六日を想定した旅費と、貸し馬車は、明日の朝までに校長が用意することになった。
 休学などの手続きを済ませると、ソフィスタとメシアは、学校の個室の整理を午前中に済ませ、旅支度のために家に帰った。
 出発は明朝。順調に進めば、ラゼアンへは三日で着くはずだ。急な旅立ちではあるが、必要な荷物は校長のポケットマネーで学校帰りに買い揃えられたし、日持ちする食糧も、多少は用意できた。
 あとは現地調達で間に合うだろう。ソフィスタとメシアが王都ヒュブロからアーネスへ戻った時は、宿も兼ねた停留所で一泊して食料調達もしたし、停留所から逸れた所には小さな村もあるらしい。
 アーネスを発ち、一日目は停留所か近くの村に泊まり、二日目は王都に泊まる。ラゼアンに着いたらどうするかは、その時に考えればいい。
 帰りも、この往復で、六日目にはアーネスに戻れるだろう。
 ラゼアンはヒュブロより遠いが、ソフィスタがアーネスへ引っ越した時や、メシアが故郷を出てアーネスへ向かった時の旅よりは、はるかに距離が短いので、楽な気分で旅ができそうだ。
 問題は、ホルスである。彼が素直に帽子を返してくれればいいのだが。
 …まあ、返してもらえなくても、どうせ校長の帽子だし。別にいいか。
 ソフィスタにとっては、校長の帽子を取りに行くより、メシアをラゼアンに連れて行くことと、ホルスに会うことのほうが、重要であった。
 やけにメシアのことを知っているホルス。彼が何者なのかは、メシアをもう一度会わせることで分かるかもしれない。
 そう考えながら、ソフィスタは部屋で机に向かい、計算した旅費の金額や旅の日程などをメモ帳に書き記していた。
 メシアは居間の掃除をしており、セタとルコスは、彼を手伝っている。あまりホコリが積もると困るようなものは、寝具以外は既に片付け終え、他の部屋の掃除も終わっているので、残る居間の掃除をメシアに頼み、ソフィスタは旅費の計算などを始めたのだった。
 着替えや食糧などの荷物も、大きめのザック二つで間に合った。旅費を計算し、校長に請求すれば、今日中にできる旅の支度は終わりである。
 一通りメモを書き終え、伸びをしながら窓を見遣ると、オレンジ色の光が差し込んでいた。
 冷蔵庫の中にある日持ちしないものは、全て昼食で使いきれてしまった。キッチンも片付けてしまったので、夜は外食するつもりだ。
 まだメシアは片付けを続けているだろうか。手伝いに行こうと思ってソフィスタは立ち上がり、部屋のドアのノブを掴んだところでメシアの足音が聞こえた。
 ドアを開けて廊下に顔を覗かせると、肩にセタとルコスを乗せたメシアが、こちらへ歩いてくる様子が見えた。
「ソフィスタ。居間の片付けが終わったぞ」
 メシアがソフィスタに近付き、ソフィスタの一歩手前で立ち止まると、メシアの肩のセタとルコスが体を伸ばし、ソフィスタの肩に飛び移った。
「ああ、ご苦労さん。念のため確認するよ」
 そう言って、ソフィスタはメシアの脇を通り抜け、居間へと向かって歩いた。メシアもソフィスタに続き、歩き出そうとしたが、玄関のドアがノックされる音に気付いて、動きを止めた。
「こんばんはー!いや、まだギリでこんにちはか?こんにちばんはー!」
「ソフィー姉様、こんにちばんわー!」
 次いで聞こえてきたのは、ザハムとプルティの声であった。
 なぜ、騒がしい人間が二人同時に訪ねてくるのだろうか。ソフィスタは、居留守を使おうかと思ったが、メシアが「いるぞー」と声を上げたため、それもできなくなった。
「…お前なあ…。勝手に声を出すなよ…」
「声を出すにも許しが必要なのか!?」
「いや、そうじゃなくて…」
 メシアのボケにソフィスタが突っ込みを入れている間も、外でザハムとプルティは騒いでいた。仕方なく、ソフィスタとメシアは玄関へ向かい、戸を開けて二人の来訪者を出迎えた。
「メシアー!明日から一週間くらい旅に出るってマジか!?」
「ソフィー姉様ぁ!しばらく会えなくなるなんて、プルティさびちー!!」
 早速ザハムとプルティが雪崩れ込み、ザハムはメシアの胸ぐらを掴んで揺すり、プルティはソフィスタに飛びつこうとして避けられ、べしゃっと床に突っ伏した。
「確かに、しばらく留守にするよ。…校長から話を聞いたのか?」
「アイタタタ…う・うん。今朝、校長室に怪盗が来て、パパの帽子を取ってっちゃったんでしょ?それで、返してほしくばソフィー姉さまとメシアちゃんに取りに来させろって言ったんだって、パパから聞いたよ。学校でもイロイロ噂になっているわ」
 ぶつけて赤くなった鼻を押さえて体を起こしながら、プルティはそう答えた。ザハムはまだメシアを揺すって騒いでいる。
「怪盗ねぇ…まあ、そんなところだ」
 ホルスが校長室から飛び立った時、彼はソフィスタとメシアに帽子を取りに来るよう、声を上げて喋っていた。外にいた人間には、それが聞こえていたはずだ。あれだけ騒げば噂になるのも当然だろう。
「う〜…やっぱり、しばらくソフィー姉さまに会えなくなっちゃうのね。ホントはプルティも行きたいけど…パパがあんな状態だから、プルティが一緒にいてあげなきゃいけないのよね…」
 いつもキャーキャーと子供っぽく騒いでワガママも言いたい放題のプルティが、珍しく大人っぽいことを言って、盛大なため息をついた。
 やはり親がダメダメになると、子供というものは自分がしっかりしなければと考えるようになるものなのだろうか。そう考えていると、メシアの肩を揺すっていたザハムが、その手を離し、ソフィスタに話しかけてきた。
「俺も、学校の警備にあたっている仲間から聞いたんだ。魔法アカデミーの校長の娘さんとは、この家に来る途中で合流した。そしたらこの子が、メシアとソフィスタを校長の家に招いて食事会を開くっつーんだよ」
 ザハムの話に、プルティが「メシアちゃんを誘う気はないんだけどね」と呟いてから、ソフィスタとメシアに説明をし始める。
「急だから大した準備もできないし、明日の朝には出発しちゃうってゆーから、簡単なお食事会にしようと思うの。あんまり疲れちゃうような企画は立てられないもんね」
「そうそう。そんで今の所、お前らと俺らと校長先生と、あとタギとアズバン先生が来ることになってんだ。ズース隊長とかも来たがっていたが、急だから都合が合わなくてよ。…まあ、人数が少なけりゃ、それはそれで気軽だろ?飯は俺たちが用意しておくからよ」
 プルティとザハムの説明を聞いて、ソフィスタは考える。
 …どのみち外で食べるつもりだったし、タダで食事ができるんなら、それに越したことはないな。
 知り合い同士が集まって食事をすることなど、ソフィスタは好きではなかったが、でかい図体から想像していた以上に食費を費やすメシアのことを考えると、ごちそうしてもらえるならそれに越したことはない。
 人数も七、八人くらいなら、まあいいだろう。どのみち、校長宅には旅費を請求しに行く用もある。
「わかった。今日は外で食べるつもりだったから、誘ってくれて嬉しいよ。ありがとう」
 嬉しいという気持ちは確かにあるが、それは食費が浮いたからであり、食事に誘われたこと自体には、ソフィスタは感謝も喜びも覚えたつもりは無かった。ただ、少しは愛想よくする必要があるだろうと思って、そう言ったつもりだった。
 しかし、プルティに礼を言った時のソフィスタの様子を見ていたメシアは、少し驚いたように目を丸くした後、笑顔を浮かべてソフィスタを見つめた。それに気付き、ソフィスタは機嫌が悪そうに「何だよ」とメシアを睨んだが、メシアは笑顔を崩さない。
「いや、お前も…」
「それじゃあ、よかったら今からうちに来てよ!準備が出来るまで一緒に遊びましょうっ!」
 メシアはソフィスタに何か言おうとしたが、その前にプルティがソフィスタの腰にしがみつき、ドサクサに紛れてメシアの足を蹴った。プルティの蹴りくらいではメシアの体はびくともしないが、言葉は止められる。
「はいはい。もう少し片づけをしたら行くから、今すぐ離れて先に帰れ」
 ソフィスタはプルティの肩を掴んでひっぺがし、連れて帰れとばかりにザハムに突き出した。
「んじゃ、終わったら校長先生の家に来てくれ。また後でな、メシア!」
 ザハムは、名残惜しそうにソフィスタを見つめるプルティの手を引き、玄関を出てドアを閉めて去っていった。
 あの二人がいなくなると、急に静かになったような気がする。ソフィスタは、ふうっと息をつく。
「よかったな、ソフィスタ。昨日に続き、今日も皆で食事を取れるではないか」
 メシアにそう声をかけられ、ソフィスタは「ああ、食費が浮いて助かった」と答えた。
「そういう意味で言ったのではないのだが…。誘ってくれて嬉しいと、プルティに言っておったではないか」
「あれは、ただの社交辞令だ。食事の用意をしてくれるんなら、少しは機嫌取っておいたほうがいいと思ってね」
 きっぱりと答えると、ソフィスタは居間へと向かって歩き出した。メシアも、少し間を置いてから、ソフィスタに続く。
「…そうか?私には、お前が心から嬉しそうにしていたように見えたのだが…」
「食費が浮いたから嬉しいっつってんだろ」
「だから、そういう意味ではなくてだな…」
「黙れ。ほら、さっさと居間へ行くぞ」
 ソフィスタはメシアを振り返りもせず、突き放すように答えた。メシアは、納得がいかない顔で、それ以上声をかけてこなかった。


 *

 メシアとソフィスタが校長宅に着いた頃には、既に美味しそうな香りが庭まで漂っていた。
 出迎えてくれた校長は、自宅にあるスペアの帽子を被っており、少しは元気を取り戻していた。
 食事はザハムとタギが作ったそうで、先日タギが話していたエルフの郷土料理が、広間に置かれたテーブルの上を埋め尽くしていた。
 なんでも、ザハムがタギから料理のレシピを教わり、調子に乗って作りすぎたそうだ。まあ、大食いのメシアがいるのだから、これくらいが丁度いいのだが。
 食卓には、ザハムがメシアに話した通りのメンバーが席に着き、上座に座る校長が、被っている帽子を整えてから、ワインが注がれたグラスを掲げ、乾杯の音頭を取った。
 ちなみに、ザハムとアズバンのグラスにもワインが注がれており、未成年組とタギにはアルコールが入っていない飲み物が注がれている。
「それでは、ソフィスタさんとメシアくんの旅の無事と、二人の仲の発展を祈って…」
「パパぁぁ!!そんなこと祈ったらプルティ家出するからね!!」
「校長!冗談が過ぎると家中の帽子を焼き尽くしますよ!!」
「どうかね〜。男女二人旅ってのは、親密な関係になるには絶好のイベントだからね〜」
「タギくんの言う通り。二人とも、仲良くなって帰ってくるんだよ」
「いっそ旅先で孕んで帰ってこいや、ソフィスタ!」
「そうか。旅先でソフィスタが愛せる人間の男が見つかれば、その者にソフィスタに子供を授けて…」
 こうして、メシアとザハムがソフィスタとプルティの攻撃魔法を喰らってから、校長が乾杯の音頭を取り、食事が始まった。

「どうだい、アタシの手作り料理は。美味いだろ」
 隣の席に座っているタギに声をかけられたメシアは、食事を取る手を休めた。
 ちなみにソフィスタは、プルティの強い希望で、メシアとは離れた席でプルティと並んで座っている。
「初めて口にする味だ。とても美味いぞ」
 口の中を空にしてからメシアがそう答えると、タギの表情が明るくなった。
「そっか。あ、ソレはホントはちょっと辛い味なんだけど、プルティが辛いものは苦手って言うから、甘めに作ったんだ。みんなの口にも合っているようで嬉しいよ」
 本当に嬉しそうに、タギはニコニコと笑顔を見せる。メシアの種族にとって敵だと教えられ続けたエルフが、こうしてメシアのぶんも料理を作ってくれて、親しく話しかけてくれていると思うと、メシアも嬉しくなる。
「…タギ。初めて会ったエルフが、お前で良かった」
 そう言ってメシアがタギに微笑むと、タギは「何だい、改まっちゃって」と照れくさそうに頬を掻いた。
 メシアは周囲を気にして声量を落とし、話を続ける。
「我々ネスタジェセルにとってエルフは敵であると、幼い頃から教わっていた。だから、残虐な印象があったが、お前のように優しい者がいるのだな。もし、初めて会ったエルフが私を殺しにかかってくるような者であったら、エルフのことを本当に残虐な者しかいないと誤解していたかもしれん」
 それを聞いて、タギは目をぱちくりさせた後、ハアッとため息をついて肩を竦めた。
「…アンタ、どんだけお人好しなんだい。イヤ、人じゃないけど…」
 タギはメシアの耳を軽く抓み、息が拭き掛かるほど顔を近づけた。
「いいかい。アタシはエルフの中でも異端者みたいなもんだ。だけど他のエルフは、アタシの知る限りでは、アンタの話が通じるような奴はいない。男のエルフも女のエルフも、アンタを見つけ次第、殺そうとするだろう。…他のエルフに見つからないよう、気をつけな!」
 そう言って、タギはメシアの耳を離し、口調と同じく厳しい顔つきで、メシアを見つめた。
 タギがそれほど言うのなら、エルフに油断してはいけないということなのだろう。メシアは「分かった」と真面目な顔で頷いた。
 するとタギは、「それでいいんだ」と優しく微笑んだ。
「アンタたちのことは気に入っているから、旅先で危険な目に遭ってほしくないんだよ。…特にソフィスタには、な〜んか親近感が持てて、放っておけないって思うんだよね」
 ソフィスタの名前が出たので、メシアは何気なくソフィスタのほうを向いた。彼女は、キャッキャと話しかけてくるプルティを思いっきり無視し、メシアをじとっとした目で見ていたが、目が合うと慌てて視線を逸らしたので、メシアは首を傾げた。
 タギもソフィスタの様子に気付き、なぜかクスッと笑った。
「…アイツさあ、昔のアタシに似ているんだよね。人を突き放していた頃のアタシにさ」
 タギは目を細めて話し始めた。メシアは視線をタギへと戻す。
「アタシさ、国で家族からも見放されて、散々蔑まされた挙げ句に追い出されたから、人間のことまで信じられなくなって、長いこと人を避けて生きていたんだ。きっと、人間にまで蔑まされることを怖がっていたんだろうね」
 先日、ザハムやサーシャと一緒に楽しく遊んでいた様子からは想像できない過去を、タギはメシアに語った。
「でもね、アーネスに来てから、暗い性格がだいぶ改善されたよ。どんな種族でも受け入れてくれる街の雰囲気が、心地よかったのかもね。だからさ、ソフィスタにも、もっと誰かを信じるようになってほしかったんだ。…それで、ソフィスタに気をつかったりもしたんだけど、それがおせっかいだったみたいで…かなり嫌われちまった」
「嫌われた?お前とソフィスタが会った時、それほど嫌われているようには見えなかったが…」
「用があってアーネスを留守にしてからは、嫌われるどころか、全く気にされなくなったんじゃないかねえ」
 そういえば、ソフィスタに悪口を言ってきた者に対して、ソフィスタが冷たく言い返すことはあったが、その者と再び顔を合わせても、興味無さそうな態度を取っていたことを、メシアは思い出した。
 タギも、かつてはそうやって、誰に対しても突き放すような態度を取っていたのだろうか。
「でもソフィスタは、あの頃よりずいぶん明るくなったように感じるんだ。アズバン先生や、懐いているプルティに対しても、相変わらず冷たいけど、前よりはマシになってる気がするんだ。特にアンタに対しては、や〜けに女の子っぽいんだよねぇ〜」
 タギは、ニヤニヤした怪しい笑みをメシアに見せるが、メシアには、なぜタギがそんな笑い方をするのか分からず、戸惑った。それに、ソフィスタが女の子っぽくなったと聞いても、相変わらず暴力は振るってくるので、あまりピンとこなかった。
 困ったように考えているメシアの様子から、話をいまいち理解していないことに気付き、タギはため息をついた。
「まあ、アンタには感謝しているってことだよ。…旅先でも、ソフィスタのことを頼んだよ。危ない目に遭わないよう、守ってやっとくれ」
 そう話すタギの表情と言葉から、メシアは彼女のソフィスタを思う心を汲み取っり、「任せておけ」と力強く答えた。
「それじゃ、長旅に備えて栄養をしっかり取って、体力をつけないとね。ほら、みんなもいっぱい食べな!」
 タギに声を掛けられると、既に酒が入っているザハムと校長が異様に盛り上がり、それを見てアズバンとプルティが苦笑いし、ソフィスタは関係なさそうに黙々と食事を進めていた。
 そんな彼らの様子を見て、メシアは笑みをこぼした。
 人間の友達が集まって、しかも敵だと思っていたエルフも一緒に、こうやって楽しく食事ができる日が来るなんて、想像もしていなかった。
 まあ、マッドな女性たちと一緒に合コンをしたことなら既にあるが、あれは別である。
 神より承った使命を忘れてはいないが、こうやって人間と交流を深めることは、悪いことではないだろう。
 …いつかは、我々ネスタジェセルと人間やエルフの誰もが、こうやって仲良くできるようになるとよいな…。
 ソフィスタ、アズバン、ザハム、プルティ、校長、タギ、そしてこの場にはいないが、メシアを受け入れてくれた人間たち。彼らと出会えた喜びと共に、メシアはザハムとタギが作った料理を噛みしめた。

 ひじょうに愉快な食事会も終わり、校長から旅費を受け取って家に戻ったメシアとソフィスタは、旅立ちに備えてすぐに休んだ。
 アーネスの友達たちが温かく見送ってくれたことが嬉しくて、メシアは遠足を控えた子供のように、軽く興奮していた。
 それに、ソフィスタとセタとルコスと一緒に旅をするのも楽しそうだし、会いたいと思っていた女性が旅の先で待っているのだ。ホルスのことは気になるが、きっと新しい発見や出会いで満ちた、楽しい旅になるに違いないと、メシアは思っていた。
 だから、明け方に感じた胸騒ぎも、タギが話したエルフのことも、メシアは忘れていた。
 そして、旅の途中にあるものが、旅の先にあるものが、決して楽しいことばかりではないということを、メシアはまだ気付いていなかった。
 ついでに、校長の帽子を取り返すという目的も、頭の中からすっぽぬけていた。
 明るい未来ばかりを思い描き、喜びに満ちた心のまま、やがてメシアは眠りについた。


    (続く)


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