LUNAR2ばっかへ

華の乱舞


 "第四戦"

 本戦が終了し、マウリ、アスカ、リティの三人は、青竜拳の道場に担ぎ込まれたレオとライナスを介抱していた。
 マウリの治療により、だいぶ良くなっているはずだが、二人共、ベッドの上で横になったまま、まだ目を覚まさない。
 しかし、ただ眠っているだけのようなので、とりあえずマウリたちは一安心する。
 ちなみに、この五人以外で道場にいる者は、道場で雑用を働いている者数名と、ジーンとボーガンだけである。
 大会で実況を務めていた青竜は、仕事がなくなると、さっさと帰ってしまった。
「まだ目を覚まさないのね。…大丈夫かしら、ライナス様…」
「傷や火傷は癒しましたので、もう心配はいりませんわ。体力が完全に回復するまでは、眠っていたほうが無難です」
 心配そうにライナスを見ているアスカを、マウリはなだめる。
「まったく。やることが派手なのは、相変わらずのようだね」
 レオが横になっているベッドに頬杖をついているジーンは、ふうっとため息をつく。
「はにゃぁ〜ん…レオ様の寝顔を見れるなんて、幸せだなぁ〜」
 今だバニー姿のままのリティは、レオの寝顔をうっとりと覗き込んでいる。
「…しかし、あの時のレオの様子…どうむぉ腑に落ちんぬぁ…」
 拳法着から、魔法使いの黒い服に着替えたボーガンは、あごに手をあて、考え込むようなしぐさをする。
 ボーガンの言う「あの時」とは、決勝戦で毒ガマ拳と戦っていた時のことだ。
 戦っている最中、突然レオが泥酔しているかのようにふらつき始め、後先考えずに強力な魔法を放ち、ライナスごと、毒ガマ拳の連中を吹き飛ばしてしまった。
 そして、自分自身もパタッと倒れ、結果、闘技場の隅にいたボーガンだけが無傷で残っていたため、青竜拳の優勝となったのであった。
「そうだね。まるで酔っ払いみたいだったけれど…レオの性格からして、戦いを控えているのに酒を飲むなんてことは考えられないよ」
 二人の言葉に、マウリは決勝戦前の出来事を思い出す。
 レオにサインをもらいに行くと言うリティに、強引に同行したマウリ…もとい仮面の赤神官は、青竜拳の控え室で、見知らぬ男が妙な粉を水筒の中に注いでいる所を目撃した。
 赤神官とリティは、その男の正体を探ろうと対峙したが、結局逃げられてしまい、助けに来たレオは、何も知らずに粉を注がれた水筒の中の水を飲み干した。
 粉のことを、すっかり忘れていた赤神官とリティは、闘技場へ向かうレオを見送った後、ようやく思い出し、大いに焦ったのだった。
 …やっぱり、レオ兄様が、ああなってしまったのは、あの粉のせいだとしか考えられないわ…。
 マウリは責任を感じ、下唇をきゅっと噛む。
「そういえぶぁ、毒グァマ拳の連中ぐぁ、何か妙なことを言っていたぬぁ」
 そう呟いたボーガンに、マウリたちは、そろって顔を向ける。
「妙なことって…何ですの?」
 マウリの問いに、ボーガンは決勝戦の状況を思い出しながら答えた。
「あれは、レオがふらつき始めた時だったかぬぁ…。ライナスと戦っている毒グァマ拳の男が、薬を飲んだとか飲んでいないとか、すぉんなことを言っていたのどぁ。闘技場の隅にいた私には、よく聞こえなかったぐぁぬぁ」
 …薬…?
 マウリ、アスカ、リティの三人は、思わず顔を見合わせるが、ジーンだけきょとんとしている。
「薬…何のことかねぇ」
「さあぬぁ。まあ、二人が目覚めたら聞けばいいだろう。どうやら、二人は話を聞いていたようだからぬぁ」
 首をかしげるジーンとボーガンを見て、マウリはうつむいた。
 …あの粉は、きっと毒薬のようなものだったのだわ。…でも、このことをジーンさんたちに言うべきかしら…。
 かと言って、自分の失態を黙っているのも、気が引ける。
 …どうしよう…ここは黙っておくべきなのかしら…。
「マウリさん。ちょっといいかしら」
 真剣に悩んでいたマウリは、急に声をかけてきたアスカに驚き、顔を上げる。
「は・はい!…何でしょう」
 マウリは、ぎくしゃくと返事をする。
「あなたに聞いてほしい話があるの。私とリティと一緒に、外へ出てくれないかしら」
 緊張気味のマウリを落ち着かせようとしているのか、アスカの口調はやんわりとしたものだった。しかし、そんなアスカが、何か強い意志を秘めているということを、マウリには感じられた。
「ええ。わかりましたわ」
 何を話されるのか不安なためか、そう答えるマウリの表情は、少し曇っている。
「ありがとう。じゃ、行きましょう。ジーンさん、ボーガンさん。ライナス様とレオさんをお願いします」
 そう言って、アスカはマウリとリティの肩を、軽く叩いた。
「すいません。レオ兄様を、お願い致します」
「あ、レオ様の目が覚めたら、教えてくださいね。まだサインをもらっていないんだ」
 マウリとリティは、ジーンとボーガンに手を振りながら、部屋を出て行った。アスカもその後に続く。
 三人が部屋を出て行った後、ジーンとボーガンは、ちらっと顔を見合わせ、首をかしげた。

   *

 マウリは、青竜拳の道場の裏まで連れ出された。
 …話って…いったい何かしら…。
 マウリは、ずっと不安げな表情のままだ。
「ここでいいかしら。それじゃあ、お話しましょう。マウリさん」
 アスカとリティは、マウリと向かい合った。マウリは、二人の顔をじっと見る。
「実は、マウリさんにお願いがあるの。決勝戦でレオさんがフラフラしていたことや、毒ガマ拳の言う薬のことについて、今は黙っておいてくれないかしら」
 アスカの言葉に、マウリは驚いた顔をする。
 今度は、リティが口を開く。
「レオ様が飲んだ粉のこととかを、ジーンさんやボーガンさんには言わないでほしいんだ。あたしたちの仲間たちが倒れたことも、全部ひっくるめてね」
 申し訳なさそうにリティが言うと、マウリはアスカに「なぜ?」と問う。
「…青竜拳の控え室での出来事については、決勝が終わった後、全てリティから聞いたわ。リティの話と、今回のレオさんの様子や毒ガマ拳の発言…これらの事柄から、バニー拳のみんなや青竜拳のみなさんが倒れたのは、毒ガマ拳の連中が、何か細工をしたからだと、私は考えたわ。…マウリさん。あなたもそう思っているでしょう」
 マウリは、こくっとうなずく。
「ええ。どう考えても、毒ガマ拳が一番怪しいですわ」
「そう。だから私たちは、毒ガマ拳の連中から、その証拠を掴みに行くの」
「あなたたち二人で?…でも、全ての流派を統括している青竜拳の方々にお願いしたほうがよろしいのではありません?こういった事件の判決を下すのも、青竜拳の方々なのでしょう」
 マウリはそう言うが、アスカは首を横に振った。
「それじゃあダメなの。毒ガマ拳も、青竜拳を警戒しているはずよ。青竜拳が動いたことに気付かれたら、不正を行ったという証拠は消されてしまうわ。この場合は、毒ガマ拳の不正を公にする前に、少人数でこっそりと調べることが最善の手段でしょう」
 アスカの言うことに、マウリは納得した。
「ライナス様も、毒ガマ拳のことについては、きっと気がついているはずよ。私たちが証拠を掴み、それを青竜拳に突き出せば、毒ガマ拳の企みも終わる。だから、事を順調に運ぶためにも、マウリさんにも協力してほしいの」
「…そうですわね。わかりました。毒ガマ拳について、私は誰にも話しません。でも…」
 マウリは、真剣な眼差しで、アスカとリティを見つめる。
「私も一緒に行かせて下さい!」
 その視線と言葉に、アスカとリティは思わずたじろいでしまう。
 二人は、一度顔を見合わせると、再びマウリと向かい合った。そして、アスカが口を開く。
「…ごめんなさい。これは、私たち二人だけでやらせてほしいの。落とし前をつけてもらうためにね」
「落とし前?」
「そう。大会に出場ができなくなった仲間たちのためにも、私たちはバニー拳の人間として、やつらと決着をつけに行くわ」
 アスカは拳を突き上げて言った。リティの表情も、強い意志を決した、引き締まった顔つきとなっている。
 それでも、マウリは彼女たちを説得しようとする。
「その気持ちなら私だって同じです!毒ガマ拳はレオ兄様たちに卑劣な行為を働きました!兄への無礼は、妹である私にも償わせようとする権利があるはずです!」
 しかし、アスカの意思は固い。
「わかっているわ。欠場になった青竜拳のみなさんやライナス様も、きっと同じ気持ちになるでしょうね。…でも、私たちにだって、誰にも譲りたくないわがままがあるの…」
 アスカはマウリの両肩を掴み、少し力を込めた。
「私たちは、バニー拳の仲間たちのため、そして自分の気持ちに決着をつけるために、毒ガマ拳のやつらと戦う!バニー拳とは無関係のあなたの力を借りるわけにはいかない!どうしても止めたいのなら、力ずくで止めてみせなさい!」
 アスカは、脅すようにマウリに言った。
 力強く、決して決意を捻じ曲げられまいとする、彼女の姿勢。しかし、マウリの肩を掴む両手は、微かに震えていた。
 本当は、申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。ほんの短い間とはいえ、共に闘技場に立ち、力を合わせて戦った人間に向かって、こんなふうに怒鳴りつけたりしたくないのだろう。
 リティのほうも、唇を噛みしめ、辛そうにアスカを見ている。
 マウリは、全身の力を緩ませ、うつむいた。
 …だめ…私には、アスカさんたちを止めることはできない…。
 マウリが諦めたことを悟り、アスカも手の力を抜き、マウリの肩から離した。
「…ありがとう、マウリさん。…じゃあ、私たちは急ぐから…ごめんなさい」
 そして、マウリに背を向け、歩き出した。
「ねえマウリさん。後であたしたちの道場に来てくれないかな。いろいろとお礼もしたいし…それに、あたしマウリさんともっとお話がしたいんだ。…それじゃ…またね」
 そう言って、リティはマウリに手を振ると、アスカを追って駆け出した。
 その場に残されたマウリは、アスカとリティの姿が見えなくなっても、悲しそうな表情で、彼女たちが去った後を眺めていた。
「…無関係な人間…」
 うつむいたまま、マウリはそう呟いたが、その声はすぐに風によってかき消されてしまった。

   *

 毒ガマ拳の道場。その一番奥にある一室では、毒ガマ拳独特の黒装束を身にまとった二人の男が、向かい合って座布団に座っていた。
 ふすまに囲まれ、十二畳の畳が敷き詰められている、その部屋には、威風堂々とした雰囲気が漂っていた。
「なんということだ、あの馬鹿者共が!」
 二人の男の内、筋骨隆々とした中年の男は、ずいぶん荒れている。
「もう少しの所で無様に全滅しおって…おかげで今までの苦労が水の泡だ!」
「そう荒れるなよ、シヅト。あの三人の戦いは、最善を尽くしたものだった。あれだけライナスたちを追い込めば、我ら毒ガマ拳の名も、それなりに知れ渡ることだろうよ」
 もう一人の若い男が、なだめるように言った。
「…そうですね、ギヅナ様。本来であれば、ライナスにも薬を飲ませるはずでしたが…正気のライナスを相手に、よくあれだけ戦えたものです」
 ギヅナになだめられたためか、シヅトはだいぶ落ち着いてきている。
「そうさ。ただ、あのレオが予想外にムチャクチャな野郎だっただけだ」
 ギヅナは、やれやれとため息をつく。
「…ところで、あの薬はどうした?」
 ギヅナは、深刻そうな面持ちでシヅトに尋ねた。
「薬?あのままにしてありますが…」
「そうか。それなら早く処分したほうがいい。言ったよな。不覚にも、バニー拳の二人にイヅチが見つかったことを…」
 シヅトは、はっとして立ち上がった。
「そ、そうでしたね。青竜拳の連中が動く前に、処分しておきます」
「ああ。できれば今すぐのほうがいい。ライナスも、我々に不信感を抱いているようだからな。…あの三人が調子に乗って、試合中に薬のことを口走っていやがったからよ」
 ギヅナは、小さく舌打ちをする。
「そうですか…では、今処分します」
 そう言って、シヅトはふすまを開け、部屋を出て行こうとした。
 その時、彼の視界が、突然暗くなった。
 次の瞬間、顔面を棒状のもので横から殴りつけられるような強い衝撃におそわれ、シヅトは後ろに飛ばされた。
「!!」
 ギヅナは驚いて立ち上がった。シヅトは、ギヅナの横で、畳に背中を打ちつける。
「な、何事だ!」
 ギヅナは、何が起こったのかを把握しようと、シヅトが開いたふすまを見た。
「あらま…こうも上手く奇襲作戦が成功するとは思わなかったな。でも、蹴り一発で、よくすっ飛ぶもんだね」
「あなたが魔法で力を増幅させたからでしょう。…まあ、確かにこの男も情けないけれど」
 そこには、バニーガール姿のアスカとリティが立っていた。
「ちっ、曲者か!!」
 ギヅナは、腰帯に挿した短剣を抜こうとするが、そうはさせまいかとアスカが突っ込んできた。
「はあっ!」
 アスカはギヅナの鎖骨辺りに、掌底を叩き込もうとする。
「くっ!」
 ギヅナは体を横に回転させ、紙一重でそれをかわす。
「遅いぞ!」
 そして、短刀を抜いたギヅナは、ニヤッと笑った。
「当然よ!!」
 しかし、アスカは突き出した腕の手首をひねると、ギヅナの襟を掴み、ぐいっと手前に引いた。
 ギヅナが前によろけると、アスカは彼の足を内側から蹴りで払い、襟を掴んでいた手を離すと、その腕で彼の背中を打った。
「ガハッ!」
 ギヅナは腹から畳に叩きつけられる。
「読みが甘かったわね!掌底はただのフェイントよ!」
 アスカは、素早くギヅナの両腕を取り、彼の背中で固め、力を込めた。
「うっ…」
 痛みによって、ギヅナは握っていた短剣を離してしまう。
「動かないで。女の力でも折れる骨は、いくらでもあるのよ」
 アスカは、ギヅナの耳元で、冷たくささやいた。
「くそっ…おい、シヅト!何やってんだ!」
 ギヅナは、苛立たしげに叫んだ。シヅトは白目をむいてのびており、その上に、リティがぺたんと座っている。
「…まさか、あの蹴り一発だけで、そうなったってのか?」
「そーみたい。魔法で力を増幅させりゃ、こんな筋肉モリモリだって一発ケーオーよ♪」
 リティは、得意そうに言った。ギヅナは「ケッ」と悪態をつく。
「さて、あなたが毒ガマ拳の師範代かしら?」
「…そうだ」
 隠す必要はないと考え、ギヅナは素直に答える。
「さっきまでのあなたたちの話、聞かせてもらったわ。薬がどうとか話していたけれど…あの粉のことかしら」
 アスカは、リティをあごで指した。リティは、自分の胸の谷間に指を突っ込むと、そこから小さな紙袋を取り出した。
「…リティ。そんな所に入れなくても…」
「いいじゃん、べつに。それに、一度やってみたかったんだよね〜」
 けらけらと笑いながら、リティは紙袋の口を開くと、中のものを手のひらの上に出した。
 それは、白い粉だった。粉は紙袋の中からサラサラと流れ出て、リティの手のひらの上に小さな山をつくった。
 ギヅナは、ぎょっとする。
「貴様ら…なぜそれを?」
「この部屋に来る前に、道場の中を調べさせてもらったわ。その時に見つけたの」
 アスカは、ニッと笑う。
「そうそう。あんまり強くない見張りが二人いただけだったから、けっこう楽だったよ。大会に出ていた三人組も見当たらなかったけど…医者に連れて行かれちゃったの?」
 リティの問いに、ギヅナは「さあな」とだけ答える。
「そう。…それより、聞きたいことがあるのだけれど…」
 そう言いながら、アスカはギヅナの腕を固めている手に込めた力を、もう少し強める。ギヅナは顔をしかめる。
「話してくれるかしら。あの薬のこと。そして、なぜそれをライナス様に飲ませようとしたのかを…」

   *

 アスカたちと別れたマウリは、青竜拳の道場に戻った。
 レオとライナスが眠っている部屋の戸を開くと、彼らを看ているジーンとボーガンが、同時にそちらへと顔を向けた。
「あ、おかえりマウリ。…あれ?あの二人はどうしたの?」
「……」
 マウリは、ジーンの問いに答えず、黙ってうつむいたまま部屋に入ると、手ごろな椅子に、ちょこんと腰をかけた。
「マウリ?」
「ん?どぉうしたのだ。あぬぉ二人と喧嘩どぇもしたのか?」
 ジーンとボーガンは、不思議そうにマウリを見る。
 マウリは、しばらくそのまま黙り込んでいたが、ふと、口を開いた。
「…あの、ジーンさん…」
 マウリの暗い声を妙に思いつつも、ジーンは「何だい」と返事をする。
「ジーンさんは、魔竜拳を振るっていた頃のライナスさんと、あの闘技場で戦ったことがあるのですよね」
「ああ、あるよ。それがどうかしたのかい?」
「その時、ロンファやヒイロさんたちも一緒にいたのですよね。…ジーンさんが戦っている時、ロンファたちは何をしていたのですか?」
「え…ずっとあたしの応援をしていたけど」
 そうジーンが答えると、マウリは何やら考え込んでから、再びジーンに尋ねる。
「なぜ、ジーンさんが戦っているのに、ロンファたちは手助けをしなかったのでしょうか。…なんとなく答えは分かるような気がしますが…ジーンさんの考えを聞かせて頂きたいのです」
 なぜ、急にそんなことを聞くのだろうかと、ジーンは思ったが、マウリは真剣な表情で答えを待っているので、素直に答えることにした。
「…単純に言っちゃうと、一対一で戦って勝てば、ライナス師匠は魔竜拳を捨てるって言っていたからだね。師匠がそう言ったのは、ただ暗殺を目的として振るう拳と、他者を思いやって振るう拳では、どちらがどう違うのか、どちらが真の強さとなるのかを示し、そして知りたかったからじゃないかな。…子供をさらって魔竜拳を教えるなんて、ひどいことをしていたけれど、それも師匠が武人として力を求めていたからだと思うよ」
 マウリは、やっと顔を上げる。
「では、ライナスさんとの約束を守るためと、ライナスさんが振るう力は間違っているということを示すために、ロンファたちは手を出さなかったということでしょうか」
「うん、そうだね。…でも、あの戦いは、あたし自身に決着をつけるための戦いでもあったから、手を出さなかったんだと思うよ。一対一の勝負を受けておいて、ズルして戦っちゃ、自分の気持ちに決着をつけることなんてできやしないからね。みんなは、そんなあたしの気持ちを理解していてくれたから…そして、あたしを信じてくれたから、戦わせてくれたんだ」
 そう答えるジーンの表情は、どこか嬉しそうなものだった。
「…そう…ですの」
 マウリは、再びうつむいた。
 …そう。アスカさんたちだって、バニー拳として、毒ガマ拳の連中に落とし前をつけてもらいに行った。それは、バニー拳と毒ガマ拳の戦いであって、何の関係もない人間が出てもいい幕ではない…。
 今年最強の拳法を決めるべく開かれた、誇りある武闘大会。
 その大会の名を汚すような、毒ガマ拳の卑劣な罠に落ち、欠場せざるを得ない事態に追い込まれた、アスカたちバニー拳。
 事の真相に勘付いた以上、何も調べずに泣き寝入りをするような真似は、アスカもリティも、したくないのだろう。
 だから、そんな気持ちに決着をつけるため、彼女たちは毒ガマ拳のもとへ向かった。
 バニー拳の仲間たちのため、バニー拳の名に恥じぬよう、バニー拳として、バニー拳の誇りにかけて…。
 …私も、アスカさんたちを信じている。お二人とも、力も心も強い。でも…。
 大会の二回戦では、結果的には負けたとは言え、かつての四英雄とサシで勝負し、あと少しの所まで追い込んだアスカとリティが、弱いはずがない。
 しかし、毒ガマ拳の連中はどうだろう。
 なにせ、アスカの仲間たちや、レオに毒を飲ませるような、卑怯な輩だ。ジーンとライナスは、闘技場で正々堂々と戦ったそうだが、毒ガマ拳も正当な手段で戦いの申し込みを受けるとは限らない。
 …毒ガマ拳が、どんな卑怯な手を使ってくるかは分からない。彼らがどれだけ卑劣か、アスカさんも分かっているはず…。でも、卑怯な手段なんて、考えればいくらでもあるわ。アスカさんの思いもよらない手段を使ってきても、おかしくはない…。
 やはり、アスカたちを助けに行くべきだ。指をくわえて見ていることなんて、マウリには考えられない。
 しかし、アスカの言葉が、マウリの頭の中で繰り返される。

「私たちは、バニー拳の仲間たちのため、そして自分の気持ちに決着をつけるために、毒ガマ拳のやつらと戦う!バニー拳とは無関係のあなたの力を借りるわけにはいかない!」

 …そう。無関係の人間が手伝ってしまえば、バニー拳として戦ったことにはならない。そして、アスカさんたちの気持ちに決着をつけることもできない…。

「わかっているわ。欠場になった青竜拳のみなさんやライナス様も、きっと同じ気持ちになるでしょうね。…でも、私たちにだって、誰にも譲りたくないわがままがあるの…」

 …アスカさんは、とても優しい方。青竜拳のみなさんのことも、ちゃんと考えていた。それでも、自分が決着をつけたいという強い決意を、私は尊重したい。けれど…。
「…そうよ…そう!そうなのですわ!!」
 そう叫びながら、マウリは勢いよく立ち上がり、座っていた椅子をガタンと倒した。その声と音に驚き、ジーンとボーガンは、びくっと肩を震わせる。
「無関係の人間だなんて、とんでもない!やっと一日経ったくらいの付き合いとは言え、昨晩は拳法を教えて下さいましたし、一緒に食事もとり、同じ屋根の下で眠っていたではありませんか!それに、その無関係の人間にわがままを聞いてもらおうだなんて、無理な話ではなくて!」
 マウリは、わめきながら部屋中をずかずかと歩き始めた。戸惑うジーンとボーガンは、そんな彼女を目で追うことしかできない。
「そう!アスカさんもリティさんも、わがままですわ!他の人の気持ちが分かっていても、自分の気持ちを優先して!でも優しいから心を痛めて!仲間のみなさんの無念と、他の方たちの無念の間に挟まれて!苦しんで!それでも結果を出して!!そんな強くて優しいあなたたちの力に、私はなりたいのに!!」
 マウリは、ちょうど通りかかったベッドを、両手で強く叩いた。不幸にも、そこで眠っていたライナスは、マウリの掌底を腹部にくらい、「ぐふぉっ」と嗚咽を漏らす。しかし、目を覚ましてはいない。
「お、おい、マウリ?」
 ボーガンは、恐る恐るとマウリに声をかけた。しかし、マウリは反応を示さず、ベッド…もといライナスの腹部に手をついたまま、全く動かない。
「…力になりたい…でもアスカさんとリティさんの気持ちを…バニー拳の誇りを…だから、だから私は…」
 マウリは、何やらぶつぶつと呟いている。
 そんなマウリを心配したジーンが、彼女の肩に手をかけようとするが、再びマウリが騒ぎ出したので、思わず手を引っ込める。
「仲間を思う気持ちなら、私だって同じですわ!」
 マウリは、今度は拳をライナスの腹部に叩きつけた。それでも、ライナスは「ごふぁっ」と声を上げるだけで、目は覚まさない。
 そして、マウリは勢いよく走り出すと、部屋を飛び出した。
「え?ちょっと、マウリ!?」
 ジーンは、マウリを追いかけようとする。
「待て!」
 しかし、突然レオがジーンの腕を掴んできたので、ジーンは動きを止め、レオを見る。レオは、うっすらとまぶたを開いていた。
「レオ!あんた、気がついて…」
「…マウリにしては腕が太いな…」
 そう呟いた、虚ろな表情のレオの腹に、ジーンの鉄拳が叩き込まれた。
「寝ぼけてんじゃないよこの男はあぁ!!」
 レオの体は、エビの様に曲がり、ベッドにめり込んだ。せっかく目を覚ましかけたというのに、白目をむいてのびてしまう。
「お、おい!やりすぎどぁ!」
「え、あ・ヤダ、ごめんよレオ!レオぉ!!」
 ジーンは、レオの体を揺するが、レオは人形のようにカクカクと揺れるだけだった。
 その間に、マウリは道場を走り去ってしまった。

   *

「薬…っつっても、そんなに大げさなものでもないが、その粉を飲んだ奴は、泥酔状態に陥るのさ」
 アスカに体の自由を奪われ、身動きが取れないギヅナは、リティが手にしている粉を見ながら、そう答えた。
「効果は後になって表れる。まあ表れるまでの時間には個人差があるがな。あのレオの野郎は、ずいぶん長持ちをしていたほうだぜ」
 ギヅナは苦笑する。身体を押さえつけられて尋問をされている身であるにもかかわらず、やけに落ち着いている様子のギヅナを、アスカは妙に思うが、周囲には特に危険を感じさせるものはないので、とりあえず、次の質問をする。
「じゃあ、私たちバニー拳の仲間や、青竜拳の方々…それに、第一試合は不戦敗になった酔拳の方々にも、その粉を飲ませたの?」
「ああ。連中が倒れたのは、俺が密かにこの粉を飲ませたからさ」
 不敵な笑みを浮かべるギヅナを押さえつけているアスカの手に、微かに力がこもる。ギヅナは、少しだけ顔をしかめた。
「しかし…お前たち二人は、何で大会に出場できたんだ?あれを飲むと、最低でも二日は休まざるを得ない状態になるってのによ。…確か、お前たちの晩飯の釜全てに、粉を入れたはずだが…」
 気を失っているシヅトの上に座っているリティが、ポンと手を叩いた。
「あ、それであたしたちは無事だったんだね。あたしとアスカは、稽古で食事が遅れたんだよね」
「そうよ。そして、倒れているみんなを見て、これはどうもおかしいと思ったから、念のため、釜の中身は全部捨てたの。残念だった?」
 アスカの言葉を、ギヅナは鼻で笑う。
「フン。別に…。ライナスたちさえ勝ち残ってくれりゃ、他はどうでもよかったからな」
「…どういうこと?」
 意味ありげに言うギヅナに、アスカは問う。
「我々の目的は、決勝戦でライナスたちと戦い、勝利することだったのさ」
 アスカとリティは、驚いてギヅナを見る。
「なぜ、そんなことを?」
「我らが毒ガマ拳を、もっと広く伝えるためだ。ライナスを含む、かつての四英雄を相手に勝利し、大会で優勝すれば、かなりのアピールになるだろう」
「そんな…そんなこと、ただ大会に優勝すればいいだけの話じゃない!なんでそんな手の込んだことをするんだよ!」
 リティは怒りをあらわにし、ギヅナに向かって怒鳴った。
「ああ。俺もそう思っていた。けどよ、せっかくライナスたち四英雄が三人揃ってホーンにいるんだぜ。あいつらと戦って勝利したほうが、ずっと宣伝効果が高いだろ。…だから、あの粉を使い、奴らが大会に出場する気になるよう、仕掛けたんだ」
 アスカは、はっとする。
 …それって、ライナス様の推理と同じだわ…。
 決勝前、アスカは、なぜ青竜拳の助っ人として大会に参加したかを、ライナスに尋ねた。
 ライナスが、あくまで助っ人として参加し、青竜拳の名を堂々と名乗らなかったのは、過去に犯した罪を恥じているからだろう。だが、問題はそこではない。
 体調を崩した青竜拳と同じ道場で寝泊りをしていたというのに、何事もなかったライナス、レオ、ボーガンの三人。
 一回戦で、彼らと戦うはずだった、酔拳の急な欠場。
 これらの事柄から、ライナスは、青竜拳が決勝まで進めるよう、何者かが仕組んでいるのではないかと考えていた。
「それで…それで、ライナス様たちが確実に決勝戦に出られるよう、私たちまでに薬を盛ったというの?」
「そうだ。…まあ、アルマジロ拳の連中は、以前ライナスの弟子にやられたことがあるから、別にいいと思ったから、放っておいたがな。欠場が多すぎても、大会は中止になっちまうしよ」
 ギヅナはニヤニヤと笑いながら話す。そんなギヅナの態度に、アスカは腹を立てるが、あえて平静を保とうとする。
「そんなに、あなたたちは有名になりたかったの?卑怯な手を使って有名になって嬉しいの?そんな汚れた方法で有名になったって、私はちっとも嬉しくないわよ」
「かまわないさ。その卑怯な手段も、毒ガマ拳の一つだからな」
 ギヅナは、リティの尻に敷かれているシヅトを、ちらっと見る。
「毒ガマ拳は、異国の地の権力者が、隠密行動を目的としてつくったものだ。もっとも、その国は、他の国の文化に飲み込まれ、今ではその国の存在すら知っている人間は少ないがな。…だが、毒ガマ拳は受け継がれていた。ほんの数人の間…俺の先祖たちの間でな」
 ギヅナは、少し寂しそうな顔をするが、アスカとリティからは、その様子は見えなかった。
「権力者の下で、暗殺やスパイ行動を働く毒ガマ拳は、表舞台に立つことは許されず、常に闇の中に身をいていた。だが、俺はそんなことはまっぴらだ!」
 急に強くなったギヅナの口調に、アスカとリティは驚く。
「こんな平和な時代じゃ、俺たちを雇う権力者なんかいやしねえ!誰も俺たちを必要としない!このままでは、誰に知られることもなく、毒ガマ拳は、本当に闇の中に埋もれちまう!だから…俺は掟を破り、毒ガマ拳を表舞台に立たせた。多少は形が変わろうとも、先祖たちが代々伝えてきてくれた、この毒ガマ拳の名を、ルナの歴史に残したかった…」
 ギヅナの話を聞いたアスカたちの怒りは、徐々に薄れていった。だが、完全には消えない。
「…あなたは、毒ガマ拳を誇りに思っているのね」
 アスカに、そう言われるが、ギヅナは黙っている。
「私たちも、バニー拳を誇りに思っているわ。こんな格好をしているけれど、私たちも拳法家。だから、その気持ちは分かる。でも…神聖な闘いの場で、不正を働いたことは確か。あなたたちのことは、全て大会本部に伝えるわ。それで、あなたたちが改心してくれることを祈るわ。それと…」
 アスカは、手の力を緩めた。すると、ギヅナは素早くアスカの手を払いのけて起き上がり、彼女から離れる。
「どうした。急に力を緩めるとは…油断したか?」
 しかし、アスカは落ち着いている。
「そうすると思って、あえて力を緩めただけよ。あなたと正々堂々と勝負がしたいからね」
「勝負?」
 アスカは、ギヅナと対峙し、構えた。
「あなたたちの勝手な行為で、私たちの仲間は倒れた。その落とし前は、きっちりとつけてもらうわよ!」
 アスカは、力強く言い放った。
 ギヅナは、しばらく驚いた様子でアスカを見ていたが、ふと、口元に笑みを浮かべた。
「…いい女じゃねえか」
「はあ?」
 ギヅナは、戦おうとする姿勢を全く見せず、そんなことを言う。
「顔もいいし、スタイルもいい。格闘家にしとくにゃ惜しいな。だが、それ故の強気で真っ直ぐな性格も悪くはねえ」
「ほめ殺すつもり?でも、きかないわよ」
 相変わらず、アスカは冷静だ。ギヅナは、やれやれと肩をすくめる。
「そういう、可愛げのねえ所も魅力的だぜ。だが、ちと甘いな」
「何ですって?」
「どうして、俺が素直にペラペラと話をしていたか、分かるか?」
 ギヅナの問いに、アスカは答えない。
「お前に嘘をついても、すぐに見破られると思ったし、一度誰かに話してスッキリしたかったからというのもある。だが、それ以上に、時間を稼ぎたかったのさ」
 その時、天井の板の一枚が開き、そこから人が飛び降りてきた。
 アスカとリティが、それに気付くより早く、その人物は、手裏剣を二人に向けて投げつけた。
「きゃっ!」
「うひゃっ!」
 アスカとリティは、どうにかそれをかわすが、二人とも体勢を崩す。
 その時、いつの間にか目を覚ましていたシヅトが起き上がり、リティを羽交い絞めにした。アスカも隙をつかれ、ギヅナが袖から出した鎖に体を絡められ、床に倒れる。
「形勢逆転…だな。俺をあっさりと解放した所が甘いんだよ」
 勝ち誇るように笑いながら、ギヅナはアスカの前に立った。アスカは悔しそうにギヅナを見上げる。
「くっ…そんな、気配は全く感じなかったのに…」
「教えただろう。毒ガマ拳は、隠密行動を目的としてつくりだされたと。気配を消すことなんざ、基本中の基本だ。…助かったぞ。イヅチ」
 天井から現れた男…イヅチは、ギヅナに名前を呼ばれると、彼の隣に並んだ。
「ああ。たまたまオレだけ出かけていて、よかったなですね。…よォ、ねーちゃん。決勝前にゃ世話になったな」
 イヅチは、リティに白い歯を見せて笑った。シヅトに押さえつけられているリティが声を上げる。
「あっ!!アンタ、レオ様にアヤシーことをしたヤツ!!」
 その言葉に、ギヅナとシヅトが「何ィッ!?」とイヅチを見る。
「アホォ!誤解されそうなふうに言うんじゃねぇ!!」
 イヅチは、顔を赤くして憤怒する。
「…とにかく、こいつらをどうにかするぞ」
 ギヅナは、ため息をつくと、鎖を強く引いた。鎖はアスカの体を締めつけ、アスカは苦痛で顔を歪める。
「悪いな。俺たちには正々堂々なんて言葉は通じねえのさ」
「…そうね。大会で不正を働いた人間を、少しでも信用した私がバカだったわ」
 犬のように扱われても、アスカは強気な姿勢を崩さない。
「ちょっと!!アスカに何すんのよ!!玉お肌に傷でもついたらどー責任取って…モゴォっ」
 騒ぎ出したリティの口を、シヅトの手が塞ぐ。
「さてと。お前らには口封じさせてもらうぜ。…まったく。せっかくのいい女がもったいねえが…事情が事情だ」
 ギヅナは膝をつき、アスカが妙な真似をしないよう警戒しつつも、彼女の顎を掴み、軽く持ち上げる。アスカは何も言わず、ギヅナを睨みつけている。
「…こんな状況でも、まだ強がっていられるのか」
「強がりじゃないわ。強いのよ」
 アスカは、きっぱりと答える。
「何があろうと、あなたたちみたいな人に屈したりはしないわ。あなたたちの不正行為は、必ず本部に伝える。大会に出場したライナス様たちの思いを、私たちは決して無駄にはしない。そうでしょう、リティ!」
 リティは「そーだそーだ!」と叫びたかったが、口も動きも封じられており、うまくいかない。しかし、今のアスカと同じ強気な瞳が、その気持ちをアスカに伝えた。
「フン。女のくせに、よくそこまで言えるもんだ」
 アスカたちの態度が気に食わないのか、ギヅナは嫌味のきいた口調で言う。
「ええ、女よ。そして拳法家でもあるわ。私たちは、拳法家の誇りを踏みにじったあなたたちを、絶対に許さない!!」
 そう叫ぶアスカの気迫に、ギヅナたちは押される。
「てめぇ…少し自分の立場を思い知りやがれ!!」
 イヅチが懐から手裏剣を取り出し、アスカに投げつけようと振りかぶった。リティは、いっそう暴れようとする。
 イヅチの手から、手裏剣が放たれようとした、正にその時、突然、その手裏剣が発光した。
「いでっ!」
 まるで電撃のような光は、イヅチの手を弾いた。その場にいる全員が、何事かとイヅチを見る。
「アスカさんが正々堂々と勝負を申し込んだというのに、それを蹴ったあげく、そうやって縛り上げ、よってたかって痛めつけようとするなんて…ひどい礼儀知らずもいるものですのね」
 その声は、庭側の障子の向こうから響いてきた。今度は全員そちらへと顔を向ける。
 障子には、すらりとした女性の影が映っている。
「申し込まれた勝負を受けるか否かは自由ですが、大会での不正行為の事実を認め、それを棚に上げて正義のあるアスカさんたちに暴力振るった罪は、決して許されるものではありません!!」
 障子が勢いよく開き、影が正体を現す。
「マウリさん!?」
 アスカは驚き、声を上げた。
 そこに立っている人物は、確かにマウリだった。しかし…。
「いいえ!私は仮面の赤神官!あなたたちと共に戦った仲間ですわ!!」  彼女は仮面を装着しているので、赤神官を名乗っており、さらにアスカたちと同じバニー姿をしている。
「ってめぇは!!」
 イヅチが再び手裏剣を手にした。
 赤神官は、とっさに手を掲げた。そこから三つの赤い光球が生じ、ギヅナ、イヅチ、シヅトの三人に向けて、それぞれ放たれた。
 光は彼らの腕に軽い衝撃を与え、ギヅナはアスカを戒める鎖を、シヅトは羽交い絞めにしているリティを、イヅチは手にした手裏剣を放してしまう。
 その隙に、アスカは緩んだ鎖から、するりと抜け出し、赤神官の隣に並んだ。リティもシヅトの顔面を肘で打つと、赤神官の元へと跳んだ。
「くそっ、よくも…」
 ギヅナたちは、すぐに体勢を整えると、赤神官たちと向かい合い、間合いをとって構えた。
「赤神官さん、ありがとう。でも、どうして…」
 ギヅナたちを警戒しつつも、アスカは赤神官に話しかけた。しかし、その言葉を赤神官はさえぎる。
「仲間の危機を救うことは、当然の行為ですわ!それともアスカさんたちは私を仲間とはお思いでなくて?」
 アスカは口ごもってしまう。
「私たちは、同じ拳法着を着て、力を合わせて戦ったではありませんか!何を言われようと、私はあなたたちバニー拳の仲間です!…相手は三人、私たちも三人…丁度いいですわ。大会ではできなかった毒ガマ拳との試合、ここでやりましょう」
 赤神官は、自分でも強引だと思っていた。
 アスカは、バニー拳として、毒ガマ拳の連中に落とし前をつけたいと言った。そして、それに関して手を出さないでほしいと頼んだのは、赤神官をバニー拳の仲間として見ていなかったからかもしれない。
 無理を言って大会に参加してもらったからと、遠慮していただけかもしれないが、手出し無用と言われたことが事実である以上、赤神官が手を出してしまえば、アスカたちの気持ちに決着はつかなくなるかもしれない。
 毒ガマ拳の連中が、卑怯な手段を使ってきてもだ。
 しかし、赤神官は、アスカたちの窮地を見過ごすことはできなかった。
 だから、せめて少しでもアスカの要望に答えようと、闘技場で共に戦っていた時のバニー服に着替え、ここへやってきたのだった。
 おそらく、今の赤神官の気持ちは、手を出すなと言った時のアスカと同じ気持ちだろう。
 他者を思いやる気持ちと自分の本音の間に挟まれ、悩み、それでも結論を出す。
「赤神官さん…」
 そんな赤神官の思いは、アスカに通じたようだ。
「そうよね。バニー拳として、一緒に試合に出たもの。…それに、赤神官さんが来てくれなかったら、私たちはどうなっていたかわからないわ。バニー拳のみんなも、大会を欠場させられてしまった他の流派の方たちも、報われなかったかもしれない。自分の意地は貫けても、そんな結末は迎えたくないからね」
 そう言って、アスカは赤神官に微笑んだ。
「そうだよねー。赤神官さん、来てくれてありがとうっ☆」
 リティも、明るく優しい声で、赤神官に礼を言った。
「…だから、私はあなたたちが好きなのですわ…」
 三人は、互いに笑みを交し合うと、キッと顔を引き締め、ギヅナたちを睨んだ。
「さあ!あなたたちの曲がった根性を、私たちが叩き直して差し上げましょう!!」
 赤神官の、その言葉は、戦闘開始の合図となった。
 ギヅナたち三人が、赤神官たちに攻撃を仕掛け始めた。

   *

 青竜拳の道場で眠っているライナスが目を覚ましたのは、赤神官たちが毒ガマ拳の連中と戦い始めた、ちょうどその頃だった。
「うぅ…」
 ライナスのうめき声に反応し、肘鉄をくらってうなされているレオを看ていたジーンは、そちらへと顔を向ける。
「師匠?」
 ジーンはライナスの元へと歩み寄った。既にライナスのベッドの近くにある椅子に座っているボーガンも、身を乗り出し、ライナスの様子を窺う。
「むう…ジーンか?それにボーガンも?私は一体…試合はどうなったのだ…」
 ライナスは、ゆっくりと上半身を起こす。
「師匠、もう体のほうは大丈夫ですか?」
「体?…うっ…」
 ジーンに心配され、自分の体を見ようと顔を下に向けた時、腹部が痛み、ライナスはとっさに腹に手を当てる。
 ジーンとボーガンは、わめきながらライナスの腹部を二度も打ったマウリを思い出す。
「ラ、ライナス、あまり無理をするぬぁ」
 ボーガンは、ライナスの体を横にしようとしたが、ライナスは手を振って、止めるよう合図を送った。
「いや、大丈夫だ。それより、試合はどうなったのだ。確か、私が毒ガマ拳の二人と戦っていた時、急にレオの様子がおかしくなり…」
 ライナスは、記憶を整理しながら、周囲を見回す。
「ここは、青竜拳の道場か。なぜ私はここに…むっ?」
 そして、別のベッドで横たわっているレオを見つけた。
「レオ!?なぜレオまでここに?ずいぶんうなされているようだが…」
 そう呟くライナスに、ジーンがごまかすように話しかける。
「じ、じつは、試合中にフラフラしていたレオが、錯乱して強力な魔法を放ったのです。それでライナス師匠や毒ガマ拳たちは場外に飛ばされ、その後、レオも倒れて気を失ってしまったのです」
 焦り気味のジーンを、ボーガンは複雑そうな目で見ていたが、肩をすくめると、ジーンに次いでライナスに説明し始めた。
「うむ。その通りどぁ。しかし、私どぁけ無事に闘技場に残っていたのどぇ、結局、青竜拳の優勝となったぬぉどぁ」
「そうか…」
 話を聞いたライナスの口元は、少々引きつっていた。
「それにしても、レオのあの時の様子…どう考えてもおかしすぎる…」
 ライナスはうつむき、考え込む。ジーンとボーガンも、レオを横目で見ながら、同じ事を疑問に思う。
「そうですね。私もずっと妙だと思っているのです。試合中に、毒ガマ拳の誰かが、レオにおかしな魔法でもかけたのでしょうか」
「いや、試合中で、奴らが魔法を使った様子は、むぁったく見られなかっとぁ。それぬぃ、薬がどうとか話していたからぬぁ。魔法ではなく、毒でも撒いたのくぁ?」
「でも、そんな様子も見られなかったけれど…」
 ジーンとボーガンは、あれこれと意見を言い合う。
「試合中どぇはなけれぶぁ、考えられるのは…」
「試合前…毒ガマ拳の誰かが、レオに何らかの方法で毒を盛ったってことかい?」
「…そうだな。その考えは正しいかもしれん」
 二人の会話に、ライナスも加わる。
「試合中に、奴らがレオに薬を飲ませただの、そのようなことを口走っておったからな。間違いはないだろう。そして…」
 ライナスは、試合が始まる前の休憩時間中に、アスカと話していたことを思い出した。
 大会本戦を目前に控え、倒れてしまった選手たち。
 それは、ライナス、レオ、ボーガンの三人が、大会本戦に出場し、決勝まで勝ち残れるよう仕向ける何者かの罠だったのではないか…と、ライナスは推理していた。
 …そういえば、あの時のレオの様子は…酔っ払いのようにふらついていた様は、倒れた青竜拳の選手たちと同じ症状だったな…。
 青竜拳の選手たちは、酒を飲んだわけでもないのに、とつぜん泥酔状態に陥り、倒れてしまったのだった。
 酔拳の選手たちが二日酔いで倒れたというのも、これと同じ症状が現れたからだろう。もしかしたら、バニー拳の選手たちも、それで倒れたのかもしれない。
 レオや欠場してしまった選手たちを襲った、妙な症状。それが、毒ガマ拳の手によるものだとしたら…。
 …奴らは、大会の決勝で我々と戦い、勝つために…?だが、それは何故…。
「…調べてみる必要があるな。毒ガマ拳の連中を…」
 ライナスがそう呟くと、ジーンとボーガンも、それに同意するかのように、こくっとうなずいた。

   *

 毒ガマ拳の主力は、大会に出場した、あの三人だったのだろう。ギヅナ、シヅト、イヅチの戦い方は、彼らより劣っているし、コンビネーションにもチラホラ穴が見られる。
 しかし、弱いわけではない。
 おそらく、大会に出場した三人が強かっただけだろう。いくら卑怯な手を使ったとはいえ、かつての四英雄の中でも、肉弾戦ならルナの五指に入るであろう、レオとライナスを相手に、あそこまで粘れば上出来だ。
 そんな彼らの師範代であるギヅナが弱いはずがなく、シヅトとイヅチの実力も、なかなかのものだった。
 しかし、赤神官たちも負けてはいない。
 一対一の、正々堂々とした闘いで、ライナスをあと一歩の所まで追い込んだアスカ。
 レオを押し倒し、服を剥いだリティも、いろんな意味ですごい。
 そして赤神官…本職は神官だが、騎士の妹であり、正義の味方でもあり、何よりアスカとリティの仲間でもあった。
「クソッ!女のくせにしぶといな!」
 悪態をつき、イヅチはリティに向けて手裏剣を投げる。
「そーゆーあんたこそしつこいわよ!彼女いないでしょ!」
 投げつけられる手裏剣をかわしながら、リティはんべっと舌を出してイヅチを挑発する。
「やかましい!余計なお世話だ!」
 図星をつかれたイヅチの攻撃に、勢いが増す。
「もう、リティったら…でも、女のくせにだなんて言葉は、確かに失礼ね」
 アスカは、ギヅナに蹴りを入れようとした。
「この女の言う通りだ、イヅチ。子を守る為に牙を剥いた雌の獅子ってのは、恐ろしく強ぇもんなんだぜ」
 涼しい顔でアスカの蹴りをかわしたギヅナは、後ろに跳んで鎖を放ち、アスカの腕に絡ませる。
そして、ギヅナは鎖を引こうとしたが、アスカは自ら鎖を伝ってギヅナへと向かっていった。
「ギヅナ様!」
 そこへ、シヅトがアスカに殴りかかろうと、拳を振り上げた。
「させませんわ!」
 しかし、赤神官がシヅトの拳を横から蹴り上げた。
「くぅっ!」
 蹴りによって拳の軌道が変わり、体勢を崩したシヅトの足を、すかさず赤神官は払った。そして、倒れたシヅトに魔法を叩き込もうと、胸の前で印を結ぶが、その前にシヅトが床を転がってその場から退いたので、赤神官は印を解く。
「まったく。利口な戦い方をする女性だ。だが、惜しかったな」
 素早く起き上がり、シヅトは体勢を整える。
「いいえ。あなたからアスカさんを守ることができれば、それで十分ですわ」
 赤神官は、最初からアスカを守ることだけを考え、シヅトを攻撃していた。
「確かに、自分の子を守ろうとする時、女性は強い力を発揮することでしょう。でも、それだけではありませんわ」
 イヅチがアスカに手裏剣を投げようとしたが、魔法で力を増幅させたリティによって腕を掴まれ、床にねじ伏せられる。
「己の身を守る時だってそう。プライドを守る時、許せない者と戦う時、そして…」
 ギヅナは握っていた鎖を離し、アスカに投げつけると、代わりに鉄でできた爪のような武器を、右手に装着した。アスカは、鎖を上手くキャッチする。
「仲間を守ろうとする時…女性も強い力を発揮するのですわ!」
 シヅトが赤神官に殴りかかってきた。同時に、ギヅナがアスカへと爪を振りかざす。
 しかし、赤神官とアスカは、あっさりと攻撃をかわす。
「赤神官さんの言う通りよ!男より腕力が劣っていても、女は戦えるわ!」
 アスカはギヅナの肩を掴み、膝で腹部を打った。ギヅナは前につんのめり、嗚咽を漏らす。
 そして、アスカは腕に絡んだままの鎖で、ギヅナの動きを止めようとしたが、その前にギヅナはアスカを突き放し、後ろへ退く。
「そうですわ!他者を思いやり、正義を貫こうとする心の前に、性別は関係ありません!」
 そう叫び、赤神官が放った魔法は、衝撃波となってシヅトの全身を襲った。しかし、呪文の詠唱が短かったため威力も弱く、シヅトの屈強な体をわずかにひるませることしかできなかった。
「ぐっ…まだだ!」
 そして、シヅトは赤神官の肩を掴むが…。
「うおりゃぁぁぁぁ!!」
 リティが凄まじい力でイヅチの体を担ぎ上げると、シヅトをめがけて放り投げた。
 まさか人間を投げてくるとは思わなかったシヅトは、跳んできたイヅチと頭を打ち合い、一緒に倒れた。
 二人とも白目をむき、完全にのびてしまう。
「リ、リティさん…」
 さすがに赤神官も、リティのとんでもない攻撃に驚いたようだ。
「そうそう☆女だって、仲間のために戦うんだからっ♪」
 そう言って、リティはガッツポーズをとった。その様子に、赤神官は笑みをこぼす。
「ありがとう、リティさん」
「…本当に、やることが豪快ね…」
 腕に絡んでいる鎖を解いたアスカも、リティの明るさにつられ、つい微笑んでしまう。
「シヅト!イヅチ!…くそっ!」
 残されたギヅナが、歯噛みをする。
 赤神官、アスカ、リティの三人は、揃ってギヅナへと体を向け、構えた。
「さあ、もう逃げ場はなくてよ!観念なさい!!」
 赤神官の強気な言葉と、キッと睨みつけてくるアスカとリティの威圧感に、ギヅナは思わず後ずさる。しかし、赤神官たちはじりじりと迫ってくる。
「…バニー姿の美女三人迫られるってのは、悪い気分じゃないが…」
 半ばヤケになっているような笑みを見せると、ギヅナはだらりと両腕を下げた。
 観念したのだろうか…そう赤神官が思った時、ギヅナの左腕の袖から、握り拳一つぶんくらいの大きさの玉が、コロンと転がり落ち、手の平の上に乗った。
 …あれは!
 その玉に見覚えがあった赤神官とリティは、一瞬だけ目線を合わせた。
「あいにく、貴様らの誘いに乗る気はねえよ!!」
 ギヅナは左手を振り上げた。とっさにアスカは駆け出そうとするが、赤神官が前に立ち、止めるように片腕を伸ばしたので、アスカは動きを止める。
「お二人とも、息を止めて!」
 そして、赤神官は、もう一方の手をギヅナに向けてかざすと、威力の弱い攻撃魔法を放った。女の平手打ち程度の威力しかなかったが、赤神官の目的を果たすには十分だった。
「うわっ!!」
 ギヅナが手にした玉は、床に叩きつけられる直前に、赤神官の魔法によってはじけた。それに驚き、ギヅナは顔を伏せ、悲鳴を上げる。
 玉からは、大量の白い煙が噴出し、ギヅナを飲み込んだ。その玉は、大会の決勝戦前、青竜拳の控え室に忍び込んだイヅチが使った煙玉と同じものだった。
「ゲホッゲホッ…くっ、あいつら…!」
 ギヅナは、煙を吸い込まぬよう、袖で口元を覆った。そして、周囲の様子を確認しようと顔を上げる。
 その時…ギヅナの目の前に立ち込める煙の三箇所に穴が開き、中から赤神官たちが姿を現した。
 赤神官は光を宿した手を、アスカはスラッと長い足を、リティは硬く握り締めた拳を、それぞれ振り上げている。
 突然の三人の出現に、ギヅナは何の対処もできていない。
「女をっ」
「甘く見るんじゃっ」
「なくてよ!!」
 三者三様の攻撃は、同時にギヅナに襲いかかる。
 かわすことは不可能。例え防御の姿勢はとれていても、そのダメージは、確実にギヅナを敗北に追いやる。
 しかし…この時、ギヅナは恐怖心を抱かなかった。
 バラの香りが漂ってくるような、真紅のレオタード。
 それが示す、美しく、しなやかな身体のライン。
 揺れる髪、細い腕、瞳、唇…彼女たちの全てが、白い煙の中で映え、ギヅナの心を魅了していたのだった。

 その後、毒ガマ拳の道場に駆けつけた、ライナスを含む青竜拳の人間たちが見たのは、戦闘があったと見られる部屋で、気を失って倒れているギヅナたち三人の姿だった。
 彼らが欠場した選手たちに飲ませた薬は全て回収され、ライナスやレオの証言により、毒ガマ拳は御用となった。
 なぜギヅナたちが倒れていたかは、その時は誰にもわからなかったが、後になって、ジーンとボーガンは、赤神官、アスカ、リティの三人に天誅を下されたからではないかと考えた。
 なぜなら、ギヅナたちが倒れていた部屋に落ちていたという、一枚の紙を、ライナスが見せてよこしたからだった。
 その紙には、『この者、大会本戦にて不正行為を働いた故、成敗!』という文字が刻まれ、その隣に三つのキスマークが添えられていた。


 "エピローグ"

 ラクラルまで送るというレオの言葉に甘え、ホーンを発ったマウリは、途中、ザバックに寄り、レオの買い物に付き合っていた。
 買い物と言っても、食料調達程度のものだが、兄妹二人で買い物をするのは久しぶりということで、二人とも、なかなか楽しんでいる。
「しかし…マウリよ。よく私がホーンの大会に出場することを知っていたな」
「えっ!?いえ、そ・そうですの…かしら?ホホホ…」
 マウリは動揺を隠そうと笑うが、全く隠しきれていないようだ。
 ラクラルで悪の気配を感じたマウリは、赤神官となって家を飛び出したのだが、レオには「レオ兄様の応援に駆けつけたのです」とだけ説明してある。
「それに、ロンファは一緒ではなかったのだな。…あやつ、マウリを一人でホーンまで向かわせたというのか…」
「いっ…いえいえいえ!!ロンファも私を一人にしたくはないと、それは心配してくれました!でも、世のため人のための大切な用事で、どうしても一緒には行けなかったのです!それで…実は、私一人で、こっそりと村を出たのです…」
 ちなみにロンファは、赤神官となったマウリを必死になって止めていたのだが、「正義が私を呼んでいる!」と意気込む赤神官の前では、彼は無力だった。
「そうなのか。…だが、褒められることではないな。何しろ、一人旅は危険が多い。何かあってからでは遅いのだ」
「…ごめんなさい。どうしてもレオ兄様にお会いしたくて…」
 そう言われ、マウリを叱っていたレオの顔の筋肉が緩む。
「そっ、そうかっ。だが、無理はするでないぞ。私にとって、お前は大切な妹なのだからな」
 どうにか話をそらすことができたマウリは、ほっと胸を撫で下ろす。
 こうして、ややデレッとした表情で、幼い頃の思い出話を始めたレオと、話を元に戻されまいと相槌を打つマウリは、並んで町を歩く。
 そして、下りの階段にさしかかった、その時…。
「スリだ!捕まえてくれ!!」
 その声に反応し、マウリとレオの会話は、ぴたっと止まった。
 階段を下った先、ちょうど真正面を、スリらしき男が横切った。
「待て!!」
 とっさにレオは男を追いかけようとしたが、それより早く、マウリが階段の手すりを超え、下に飛び降りた。
「マ・マウリ!?」
 レオもマウリに続いて手すりを跳び越えるが、既にマウリは下で着地を決め、走るスリの男の行く手を塞いでいた。
 男は、突然目の前に現れたマウリに驚き、立ち止まるが、相手が細腕の女と知ると、ナイフを片手に、マウリへと突進した。
「どきやがれ!」
 男はナイフを握る手を突き出してくるが、マウリは表情一つと変えずに、身体を横に回転させてナイフをかわした。そして、その遠心力を生かし、男の脇腹に蹴りを入れた。
「ガッ…」
 足がもつれ、男は仰向けになって倒れる。
 飛び降りてきたレオが着地を決めたのは、ちょうどその時だった。
 一瞬の…しかし見事なマウリの攻撃に、周囲の人々は唖然としていたが、レオは素早く男を押さえ込み、盗んだものであろう財布とナイフを取り上げた。
 マウリは、ふうっと一息つく。
「本当に、危険が多いことですわ…」
 そして、乱れた服を整え始めた時、我に返った周囲の人々が、マウリに盛大な拍手を送った。
 驚き、注目されていることに気がついたマウリは、顔を赤らめてしまう。
 そんな彼女の様子を眺めながら、男を押さえ込んでいるレオは、何やら複雑そうな面持ちで呟いた。
「…ロンファの先が思いやられるな…」
「えっ?」
 声が聞こえたのか、マウリがレオへと顔を向けたので、レオは慌てて「何でもない」と言った。

 (終)

 あとがき


LUNAR2ばっかへ