彼女の自我は、孤独の中で形成された。 ほめはやされることもなければ、叱られることもない。ただ、冷たい視線が、彼女に無力であることを思い知らせるばかりだった。 家を飛び出したのは、誰かにかまってもらいたかったから。 何か大きな行動を起こすことで、自分が無力ではないことを示し、注目してもらいたかったからだ。 しかし、家を飛び出す時、彼女が背中に感じたものは…。 冷たい視線。 無言の軽蔑…。 "第一章 光の憑依" 『私が女神アルテナだったら あなたは私を守ってくれる?』 洞窟の中に身を滑りこませると、急いで奥へと走った。 周りの岩は、所々に小さな穴が開いており、そこから射し込む光で、中は以外と明るい。 ある程度走ると、ゆっくりとスピードを緩めて立ち止まり、後ろを振り返った。 …もう大丈夫のようだな。 洞窟の入り口は狭かったので、怪物の群れは入ってこれないだろう。 ふうっと一息つくと、レオは乱れた服装を整えた。 ここ、西カタリナ地方の山中にある“飛竜の巣”は、世界でも指折りの難所として知られており、強暴な怪物が数多く生息している。 レオも、かつては“白の騎士レオ”として名を馳せ、その剣の腕は、今でも健在…むしろ上達しているのだが、ここの怪物に、群れをなして襲われては、まず勝ち目はない。 それに、できれば戦いたくなかった。 飛竜の巣という難所が、どのような所なのかを知るため、レオは巣に入った。 あまり奥へ進む気はなく、怪物に見つからないよう、注意しながら進んでいたのだが、うっかり見つかってしまい、散々追いかけられて、この洞窟に逃げこみ、今に至っている。 怪物たちは、好奇心だけで勝手に縄張りに侵入してきたレオを、追い出そうとしているだけなのだ。 怪物たちに、レオを取って食う気があるかどうかは分からないが、それでも非はレオにある。 だから、できるだけ敵意を示さないように、逃げまわっていた。しかし…。 …出口はどこだ? 迷っていた。 ここへ来るまでの道は覚えているので、それをたどって行けば出られるのだが、怪物の群れが、事を素直に運ばせてくれなかった。 迷っていると言うより、出られないと言った方が正しいだろう。 レオは頭を抱えた。 …とにかく、じっとしているわけにはいかん。 レオは、前を向いて歩き出した。 洞窟の中は、迷路になっているようで、途中、通路がいくつかに分かれている所があった。 レオは、目印をつけながら、通路を進んでいった。 通路は狭く、怪物の気配は全くない。 そのため、さしたる障害に阻まれずに進むことができた。 しかし、出口はまだ見つからない。 …参ったな…。 いいかげん、通路の分岐点に目印をつけるのもあきてきた。 そんなことを考えていた矢先に、分岐点に差しかかったため、レオは脱力し、がっくりと頭をうなだれた。 しばらく、そのまま脱力していたが、仕方なさそうに顔を上げると、二本に分かれている通路の内、一本の通路に目をやった。 通路の奥から、強い光が射し込んでいる。 …出口だろうか。 念のため、目印をつけてから、レオは光に向かって進んだ。 近づくにつれ、その光の中には、赤や緑の光も混ざっていることがはっきりとしてきた。しかし、洞窟の出口であることには変わりないようだ。 警戒しながら、レオはそこから外へ出た。 太陽はちょうど真上に位置し、大地を照らしている。 その光を反射し、輝いているものに、レオは驚き、警戒を解いた。 美しく装飾された金細工。銀色の貨幣の山。 磨き上げられた宝石は、そのそれぞれが持つ色で、周囲を鮮やかに染めている。 レオは、感嘆の声を漏らす。 「すごいな…」 飛竜の巣には、主に鳥系の怪物が生息している。 鳥には、光物を集める習性があるものもいると聞くので、おそらく、その怪物が集めたものだろう。 レオは、数歩前に出て、一通りそれを眺めると、今度は周囲を見まわした。 …ここからは、出られそうにもないな…。 レオは踵を返し、元来た洞窟の中へと戻ろうとした。 その時、突然レオを照らしていた太陽の光がさえぎられ、視界が少し暗くなった。 レオは、とっさに剣に手をかけ、空を見上げた。 巨大な鳥が数匹、ギャアギャアと奇声を発しながら、上空で待機している。 よく見ると、その鳥の頭部は、人間の女性の形をしている。 この飛竜の巣に生息し、その美貌で冒険者を惑わす怪物…ハーピィクイーン。 …しまった! レオは、急いで洞窟に入ろうとするが、それより早く、一匹のハーピィクイーンが、レオを切り裂かんと、鋭い爪を突き出して急降下してきた。 レオは剣を抜き、間一髪の所で爪を弾くと、剣の腹でハーピィクイーンを打った。 ハーピィクイーンの体は、レオの足元に崩れ落ちる。命を失ってはいないが、しばらくは動けないだろう。 その様子を上空から見ていたハーピィクイーンの群れが、一斉にレオに襲いかかってきた。 レオは防戦一方で、次々と繰り出される攻撃を防ぎつつも、洞窟の入り口へと下がっていった。 ハーピィクイーンは、手強いことは手強いのだが、レオ一人を相手に群れをなして襲いかかるため、互いに体ぶつけ合っている。 この調子なら、逃げられそうだ。 「てりゃぁぁぁ!!」 レオが、剣を大きく一閃させると、ハーピィクイーンの群れは、驚いて後ろに下がり、また体をぶつけ合った。 その隙に、レオは洞窟に飛び込もうとした。 ふと、鈍い金色の光が、レオの視界をかすめた。 何か金属の光と思われるそれは、不思議とレオの瞳に焼きついて離れなかった。 …山積みにされた金細工の光だろうか。しかし、妙に引っかかる…。 レオは、その光の正体を探ろうと、辺りを見まわしたが、視線は全てハーピィクイーンにさえぎられてしまう。 仕方なく、レオは剣をうならせながら、洞窟の中へと走った。 * どうにか飛竜の巣から抜け出したレオは、沖に停めておいたバルガンで、海に出た。 円を描くように、岩山に囲まれているその海は、湖と言った方が分かりやすいのだが、異様に広かった。 バルガンの舵を取りながら、レオは湖の中央付近を眺める。 かつて、そこには邪悪な破壊神…ゾファーの居城があった。 レオは、仲間たちと共にゾファーと戦い、見事勝利を収め、城はゾファーの消滅と共に消え失せた。 …いや、それ以前に、ここには…。 レオは目を細めた。 視線の先…湖の中央にたたずむ都市、ペンタグリア…。 レオは、その幻影を思い浮かべる。 世界の秩序を守るためと偽り、裏ではゾファーの復活を企む“アルテナ神団”の総本山。 破壊され、ゾファーに飲み込まれてしまい、今ではその影すら残っていないが、ペンタグリアは、確かにそこに存在していた。 かつてアルテナ神団に所属していたレオは、ペンタグリアを拠点として活動していたので、その都市のことはよく覚えている。 もっとも、アルテナ神団の真相を知ると、自ら神団を降りたが…。 …そういえば…。 今度は、一人の女性を思い浮かべた。 都市と同じく、神秘的な雰囲気を持つ、美しい女性。 アルテナ神団を興し、民衆を支配していた、偽の女神。 …彼女は、一体何だったのだろうか…。 神団で高い地位に就いていたレオは、直接彼女と会うことが幾度かあった。 神団の真相を知り、それを確かめるために、ペンタグリアで彼女の姿を求めたが、結局会うことができず、以来、彼女を見かけることもなかった。 仲間の話では、ゾファーに魂を食われ、醜い怪物の姿となって最期を迎えたという。 彼女は、永遠の若さと美貌を与えることを、ゾファーに約束され、それにすがりつき、ゾファーの復活に手を貸していたそうだが、その結果、ゾファーに裏切られ、命を失ったのだ。 哀れな女だ。己の願いを成就するために、ゾファーとの約束を信じ、ゾファーに尽くしていたが、結局は、ゾファーの手の上で踊らされていたにすぎない。 …しかし、それほど永遠の若さと美貌に執着するものだろうか…。 確かに女性には、永遠に美しくありたいという気持ちがあるのかもしれない。 だが、それは産まれもって与えられた人間の運命に逆らうこと…自分が人間であることを捨てることを意味する。 そうまでして、若く、美しくありたいと願うものだろうか。ましてや、ゾファーの復活に手を貸してまで…人々を不幸にしてまで成就させたい願いなど、自分には考えられない。 女心を理解できるわけではないが、あまりに度が過ぎている願いだと、レオは思う。 いったい、何故…。 レオはバルガンを止め、湖の中央を眺めていたが、しばらくして、バルガンを動かそうと、舵に手をかけた。 その時…。 「…!!」 突然、背筋が凍りつくような悪寒を覚え、レオは周囲を見まわした。 辺りは、特に変わった様子はなく、髪を揺らす潮風は、少し冷たいが、震え上がるほどではない。 …気のせいだろうか…。 そう思って、少し気を緩めた瞬間、今度は心臓が跳ねあがるように脈打ち、レオは体を震わせた。 心臓は、そのまま激しく鼓動し、あっという間に全身を熱くした。 レオは舵から手を離し、床にひざをついた。息を切らし、胸元を強く握る。 頭痛。耳鳴り。目眩。吐き気。 様々な感覚が、レオの思考をまともに働かせなくする。 …熱い。 …寒い。 …気持ち悪い。 …気持ちいい。 …眠い。 …目が冴える…。 めまぐるしく変化する感覚に耐えきれず、レオはうつぶせになって倒れた。 いつ頭が破裂してもおかしくないような耳鳴りに混じって、誰かがすすり泣く声が聞こえたのを最後に、レオの意識は途絶えた。 (第二章へ) |