"第三章 白マントの男" バルガンの船尾から甲板に出ると、舵を取っている者の姿が見えた。 白いマントを頭から被り、全身を包んでいるその様子は、甲板を照らしている魔法の明かりで分かった。背を向けているので顔も見えないが、輪郭からして人間、もしくは獣人のどちらかであることは確かだ。身長は高く、肩幅も広そうなので、男性と思われる。 ルビィの存在に、まだ気付いていないのだろうか。彼女に背を向けたまま、舵を取るのに専念しているようだ。 何故、彼はバルガンの舵の取り方を知っているのだろうと、ルビィは疑問に思うが、それは彼を捕まえてから聞き出せばいいと考え直し、毛を逆立てた。 赤竜であるルビィが本気を出せば、人間一人くらい、簡単に倒すことができる。気を失う程度に体当たりをかまそうと高度を上げると、斜面を滑り降りるように、男の背中を目がけて急降下を始めた。 今、ルビィの存在に気付いた所で、かわすことは不可能だ。それだけ降下のスピードは速かった。 男は舵を取り続けている。いける…そうルビィが思った矢先、男の背中に届く直前、ルビィの体は見えない壁のようなものにぶち当たって弾かれた。 「キャアッ!!」 ルビィは悲鳴を上げ、男から少し離されるが、どうにか高度を保ったまま体勢を立て直すと、顔を男へと向け直した。 そして、いつの間にか目の前まで移動していた男に気付き、思わず息を飲んだ。 男は、丸く黄色い何かを掴んでいる右手を、素早くルビィの目の前に突き出した。そして、手に力を込め、それを握りつぶす。 すると、その丸くて黄色い物体から液体が噴き出し、ルビィの顔面を直撃した。 「ぶぇっ!!」 ルビィは目を閉じ、奇声を発した。液体は彼女の目に入り、体にも付着する。 「うわっヤダッ何よコレ!やだやだ目が痛い痛いー!!!」 とたんにルビィは、羽ばたくことも忘れ、前足で顔をこすり始める。 翼を羽ばたかせなければ、ルビィは床に落ちることになるが、それより早く、硬く平らな物で体を強く打たれたので、床には落ちずに済んだが、甲板の外まで飛ばされてしまった。 目を硬く閉ざしていたルビィには、何が起こったのか分からなかったが、まとわりついている液体の方が気になり、体を打たれて飛ばされているにも関わらず、必死になって顔をこすり続けていた。 * ジーンとレミーナが駆けつけた頃には、ヒイロとロンファは河岸に流れ着いていた。そのため、ジーンたちは河に入らずに済んだ。 その場に居合わせた町の人も手伝ってくれたので、引き上げ作業はスムーズに終わった。 「ヒイロ!ロンファ!しっかりしな!!」 「あーんもう!何回世話を焼かせれば気が済むの!今度からは料金制にするわよ!!」 二人を岸に上げた後、親切な町の人が乾いたタオルを貸してくれたので、ジーンとレミーナは、それでヒイロとロンファの体から水気を拭き取ってやる。 救助が早かったため、二人とも呼吸はしていたが、意識はなく、体中に打ち身や切り傷が見られ、顔もずいぶん腫れていた。 河に落ちた時に負った怪我ではない。明らかに、人為的なものだ。 「ひどい怪我…一体誰がこんなことを…」 酒場で別れた時のヒイロは、まだ酔いが冷めきっておらず、武器も持っていなかった。それはロンファも同じだったはず。 とは言え、世界を救った英雄であるヒイロとロンファを叩きのめすことは、並の人間には容易ではない。 …ヒイロたちを叩きのめしたのは、それなりに訓練の積んだ戦士、それともよっぽどずる賢い奴のどちらか…いや、数人がかりで襲ったのかもしれない。 考えながら、ジーンは顔を上げ、通り過ぎていったバルガンに視線を向けた。バルガンは既に町の外へ出てしまい、なおも遠く離れようと、河を下っている。 「ジーン!ヒイロとロンファを町の入り口まで運んで、そこにあるアルテナ像で怪我を治してあげましょう!」 レミーナは、そう声を上げてジーンを見た。しかし、ジーンはバルガンを追ったルビィを心配している。 「…レミーナ、二人を頼んだよ!!」 それだけレミーナに言うと、ジーンは立ち上がり、バルガンを追って川沿いに走り始めた。 「え、ちょっとぉ!!」 レミーナがジーンを呼び止るが、ジーンは気付かない。 しかし、前方から聞こえる、悲鳴のような泣き声には気付いた。 「…あれは…ルビィ!?」 バルガンを追わせたはずのルビィが、こちら側の河岸で、泣きながら地面を転げ回っている。 「ルビィ!どうしたんだい!?」 何事かと、ジーンはルビィに駆け寄った。 「うわぁーん!ジーンー!!どこ?どこにいるのー!!」 砂まみれで錯乱しているルビィは、目を固く閉じて開こうとせず、ひたすら前足で宙を掻き回す。 「ち、ちょっとルビィ?大丈夫かい?」 ジーンは腕を伸ばし、ルビィを拾い上げた。 「わ…何だい、コレ…」 そして、ルビィの体からベタベタしたものが手に付き、思わず顔をしかめた。 何かと思って匂いを嗅いでみると、鼻につんとくる、甘酸っぱい香りがした。 「これって…レモンの汁?」 ルビィの体中に付いているベタベタしたものは、レモンの汁だった。この匂いとベタ付きが嫌で、ルビィは泣きわめいているのだろう。 …柑橘系の匂いに弱いなんて…やっぱりルビィって猫…。 「ヤダッこの匂いキライ!体中がベタベタするよぅ!お風呂に入りたいー!!」 「わ、わかったから、暴れるんじゃないよ!ほら、河で顔だけでも洗いな!!」 ルビィの猫っぷりに、少しだけ呆れたジーンだが、あんまり暴れるので、慌てて河に寄った。 その間、バルガンは遠く離れ、見えなくなってしまった。 * 町の人に手伝ってもらい、ジーン、レミーナ、まだレモンの香りが漂うルビィら三人は、ヒイロとロンファをアルテナ像のもとまで運んだ。 アルテナ像に祈りを捧げ、ヒイロとロンファの傷を癒すと、二人はすぐに意識を取り戻した。 「あんたたちはホントにもー何てマヌケなの!!また服を剥がれるなんて、それでもゾファーを倒した英雄!?しかも何アレ!バルガンまで盗まれたってゆーの!?部屋に置いてきた財布の中に、いくら入ってると思ってんのよ!買ったばかりの食料や装備だって、全部あの船の中に置いてあるのよ!被害総額は計り知れないわ!!」 目を覚ますなり、ヒイロとロンファはレミーナに罵声を浴びせかけられた。まあ、彼女の怒りはもっともだろうと、ジーンは思う。 しかし、彼らをパンツ一丁のままにしておくわけにはいかない。どうしたものかと考えていたら、騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた、例の酒場のマスターが、服を二着、貸してくれた。 さらに、泥棒の被害に遭ったジーンたちを見かね、酒場の二階の部屋を、二部屋も貸してやると言い、案内してくれた。 現在、一行の所持金は、ジーンとレミーナのポケットマネーだけで、全員の食費半日分くらいしかない。なので、マスターの厚意は非常にありがたかったが、世話になりっぱなしで申し訳ない気分になる。 泥棒を捕まえたら必ず礼をすると、ジーンがマスターに告げると、マスターは「それならレオも連れて、みんなで飲みに来てくれ」と、笑いながら言った。 ヒイロとロンファが着替えを終えると、全員、酒場の二階の一室に集まった。 ジーンとレミーナ、ヒイロとロンファと、二人ずつに別れ、向かい合ってそれぞれベッドに座った。体を洗い、だいぶレモンの香りも落ちたルビィは、ヒイロの膝の上で丸くなっている。 まず、ジーンはヒイロとロンファに、バルガンに戻ってから何が起こったのかを説明するよう、促した。 「それがな…沖に停泊しているバルガンまで戻って、舷側にある階段を上っていたら、いきなり大きな岩が転がってきやがったんだ」 いつも銜えている葉っぱが無くて落ち着かないせいか、ロンファは口元を何度も指でなぞりながら話した。 「岩?階段から岩が転がり落ちてきたの?遺跡の罠じゃあるまいし、何でそんなものが転がってくるの?」 ルビィはヒイロを見上げながら、首を傾げた。崖の真下など、上から岩が降ってきそうな場所にバルガンを停泊させた覚えもない。 「ボクたちがバルガンに戻る前から、既に誰かが船に侵入していたってことだよ」 まだ毛が乾ききっていないルビィの体を、ヒイロはタオルで拭いてやりながら言った。 「それで、ヒイロとロンファは、その岩に押しつぶされたの?」 レミーナが問うと、ヒイロとロンファは「違う」と声を揃えて否定した。 「階段から飛び降りて、岩は回避することができたんだけど、上手く着地ができなくて…それで、もたついていたら、今度は人が甲板から飛び降りてきたんだ」 「甲板から?いったい誰が?もしかして、酒場にいたって言う派手な女かい?」 ヒイロの言葉に、今度はジーンが尋ねた。 「いや、その人じゃなかったけど…う〜ん…どんな奴だったか思い出せない」 「あん時ゃ頭がクラクラしていたから、よく覚えてねえんだよな…」 ヒイロとロンファの答えを聞き、ジーンとレミーナは頭を抱える。 「ったく…どうしようもない酔っぱらいだねぇ…」 上目遣いで、ジーンはヒイロとロンファを睨んだ。 「あ、で・でも、確か男の人だったはずさ!」 「そうだ思い出した!白いマントを羽織った男だったよな、ヒイロ!」 「…本当に?」 ジーンに怯え、誤魔化すように笑いながら頷き合う二人を、レミーナは疑いの眼差しで見る。 「それは本当よ。ヒイロとロンファが河に落ちた後、バルガンの舵を取っていた男を見たけど、そいつは白いマントを頭から被って、姿を隠していたわ」 そこに、ルビィが手を上げ、ヒイロとロンファをフォローするように言った。ジーンとレミーナは、ルビィへと視線を移す。 「たぶんロンファより背が高くて、体つきもがっしりしていたわ。でも、甲板にいたのはそいつ一人だけで、酒場で見た女の人は見当たらなかったな。…あたし、あの男に体当たりしようとしたんだけど、魔法で跳ね返されちゃったんだ。その後、そいつがレモンを握りつぶしてきたの。それで、硬い棒のようなもので叩いて、あたしを河岸まで飛ばしたんだ」 ルビィは、バルガンの甲板での出来事を、四人に話した。 「魔法で跳ね返されたのかい!?ルビィが?まさか…」 ヒイロは驚き、声を上げた。 猫の姿をしているが、ルビィは赤竜。ちょっとやそっとの魔法では、彼女の攻撃を防ぐことはできないはず。まあ、相手が人間なので手加減はしただろうが、それでもルビィの攻撃が防がれたことに、ヒイロだけではなく、ジーンたちも驚かされた。 ルビィは話を続ける。 「あの魔法は…ナルの力だったわ。あいつ、バルガンにあった白竜の紋章を使ったのよ」 その言葉で、今度は四人揃って「えぇっ!?」と声を上げる。 「何で!?いくら白竜の紋章を持っていたって、かなり高い魔法力がないと、力は引き出せないはずよ!!」 特に驚かされたのは、魔法力に関して一番詳しいレミーナだった。 竜の紋章は四種類。白竜の紋章、青竜の紋章、黒竜の紋章、赤竜の紋章があり、身につけた者は、それぞれの竜の魔法を使えるようになる。但し、消費する魔法力の量は半端ではなく、並の魔法使いでは使いこなすことはできまい。 紋章は四つともヒイロたちが所持していたが、黒竜の紋章はヒイロの荷物ごと盗まれ、白竜、青竜、赤竜の紋章はバルガンごと盗まれた。 ちなみに白竜の紋章を身につけると、"白竜の守り"という、一度だけあらゆる攻撃から身を守る魔法を使えるようになる。 「ってことは、バルガンを盗んだ白マントの男は、竜魔法を使えるだけの魔法力を持った魔法使いってわけね。…貴重な人材だわ…魔法ギルドの会員になってくれないかしら」 「いや、魔法使いじゃないかもしれない。彼はバルガンから飛び降りてきて、いきなりボクたちに殴りかかってきたんだ。その時は、そいつは武器も魔法も使っていなかったけど、強かったよ」 「ああ。俺たちゃ酒が入って本調子じゃなかった上に、不意打ちを喰らったから、ろくに応戦できなかったが…それでもヒイロと二人がかりで戦って勝てなかったんだぜ」 「なお貴重な人材じゃない!どうしてそいつを連れて戻ってこなかったのよ!」 「えっ…そんなことを言われても…」 「おい、俺たちがボコボコにされたことは無視かよ」 ルビィの話も含め、バルガンを盗んだ奴は男で、魔法も使える強い戦士ということが分かったが、話の趣旨がそれ始めたレミーナ、ヒイロ、ロンファの三人の会話を聞きくと、ジーンはため息をついた。 「で、そんなに強くて魔法力も高い奴が、竜の紋章三つ、その他貴重なマジックアイテムや武器防具をバルガンごと盗んだわけだね」 そんな三人に緊張感を持たせようと、ジーンはわざとらしく言った。すると、三人はピタリと会話を止め、ルビィの表情も固まった。 「…それって…ちょっと…やばくない?」 事の重大さに気付いたルビィが、恐る恐る口を開いた。 「ちょっと、じゃない。かなりやばいよ。もし、それらを悪用されたらどうなるか…想像はつくかい?」 ジーンの言葉は、ヒイロたちに充分な危機感を与えた。バルガンを操縦できれば、町のど真ん中を通るだけで人々への被害は大きく、最悪、潰されればまず命はない。 「そりゃ、確かにかなりやばいな…魔法ギルドどころじゃねぇぜ」 真剣な表情で、ロンファが呟いた。レミーナに「魔法ギルドどころじゃないって何よ」と文句を言われても、彼は特に気にしなかった。レミーナも一言文句を言っただけで、それ以上は何も言わない。 「じゃあ、早くあの男を探して、バルガンと荷物を取り返さないと!」 ヒイロはルビィを膝の上から下ろし、立ち上がって叫んだ。 「…いいえ、それより先に、酒場でヒイロたちが会った女を探したほうがいいわ。そいつがメダリオンを盗んだのなら、取り返して、バルガンへ移動できるじゃない。酒場で盗まれた物も戻ってくるし、バルガンを探す手間も省けるわ」 ひらめいたように、レミーナは人指し指を立て、ヒイロに言った。ヒイロは「あ、そうか。なるほど」と頷いて、ベッドに座り直す。 「でしょ?だから、今日はもう休まない?もう遅いから、探すなら明るくなってからにしましょうよ。今は明日に備えて休んでおいたほうがいいわ」 レミーナの言う通り、あの派手な女を探すのなら、朝になってからのほうがよさそうだ。夕飯時に町中を探して見つからなかったのだから、今から探しても見つかる見込みはない。ヒイロたちも、レミーナの意見に同意する。 しかし、ジーンには気がかりなことがあった。 「じゃ、あたしたちは別の部屋で休むから、朝になったら、また相談しましょ。今日は散々な一日だったから、疲れちゃった」 言うだけ言うと、レミーナは立ち上がり、腑に落ちないような顔をして座っているジーンの腕を掴んだ。 「え、ちょっとレミーナ?」 「まあいいからいいから。さっ部屋へ行きましょっ」 戸惑うジーンの腕を引き、立ち上がらせると、レミーナはジーンを引き連れて部屋を出ようと、歩き始めた。 「ま・待っとくれよ!まだ話が…」 レミーナに腕を引かれて歩きつつも、ジーンは気になっていることをレミーナに話そうとしたが、レミーナが人指し指を立て、口を閉じるよう指示してきた。 「言いたいことは、なんとなく分かるけど、ヒイロたちに余計な不安を持たせない方が良いわ」 ヒイロたちに聞こえないよう、レミーナはジーンに囁いた。ジーンはハッとして口を噤む。 「ヒイロの荷物を盗んだ女のほうが、メダリオンを持っている可能性が高いはず。今は休んで、明日になったら女を探すことが最善の行動よ」 そう付け足すと、レミーナは「じゃっお休み〜♪」と言ってヒイロたちに笑顔を向け、ジーンの腕を放し、部屋を出て行った。 ジーンは、一度ヒイロたちを振り返る。彼らはジーンとレミーナに笑顔で手を振っており、ジーンの様子には気付いてはいなさそうだ。 それを確認すると、ジーンも「お休み」とヒイロたちに言って、レミーナの後を追い、部屋を出て行った。 * 酒場のマスターが貸してくれた、もう一つの部屋の中の様子は、ヒイロたちがいる部屋と変わらなかった。 ジーンとレミーナは、部屋に入るなり、それぞれのベッドに潜り込んだ。町中を探し回ったり、河に落とされたヒイロたちを引き上げたりと、体を動かすことが多くて疲れていたため、レミーナはすぐに寝息を立て始めた。 踊り子で拳法家でもあるジーンは、レミーナより遥かに体力があるが、精神的には疲れていた。しかし、レミーナも考えていたであろう気がかりなことが頭から離れず、なかなか眠れなかった。 仰向けになって毛布にくるまり、ぼんやりと天上を眺めている。 …ルーシアのメダリオンを盗んだ奴が、例の派手な女とは限らない…レミーナも、それに気付いていたんだ…。 ヒイロとロンファ、そしてレオが酒場にいることを伝えるため、一度バルガンに戻り、その後、再び酒場へ戻った時には、ヒイロとロンファが裸でベッドに倒れており、ヒイロの荷物は無く、レオの姿も見当たらなかったと、ルビィは話してくれた。 だが、服を剥いだのは派手な女ではなく、白マントの男のほうかもしれない。 武器と防具はともかく、酒場で剥がれたヒイロとロンファの服は、正直言ってボロボロで薄汚く、元々高価な服でもないので、荷袋のかさ張りにしかならないだろう。 何より、服を脱がす際に、何かの拍子で眠っていた二人が目を覚ます危険性がある。そんな危険を冒してまで、あの服を盗んでいくとは思えない。 しかし、白マントの男は、バルガンに戻ってきたヒイロとロンファを叩きのめし、服を剥いだ。 嫌がらせのために剥いだのだろうか。彼なら酒場で眠っていたヒイロとロンファの服も剥ぎそうだ。 …もしかしたら、泥棒は女のほうじゃなくて、白マントの男かもしれない。それとも、二人はグルなのか…。 そうだとしたら、彼は竜の紋章を全て揃え、白竜の翼とメダリオン、そしてサファイアまで持っていることになる。どこへでも瞬間移動ができるメダリオンと、竜の魔法を駆使して逃げられると、最悪、苦労して手に入れたサファイアが二度と手に入らなくなるかもしれない。 それが、ジーンには気がかりだった。 …でもレミーナの言う通り、今は休んで、明日になったら派手な女を探すことが最善。それは確か。 取るべき行動は分かっているのだ。ならば、余計なことを話してヒイロを焦らせてはいけない。だからレミーナは、ジーンに黙っておくよう、指示したのだ。 そして、もう一つ気がかりなことがあった。 …それにしても、どうしてレオの奴は戻ってこないんだろう。 ヒイロの荷物どころか、バルガンまで盗まれるという事態の中、昼間に町で別れたきり、全く姿を現さないレオ。 バルガンがノートの河に現れる前、町中を探し回っても彼に関する情報は得られなかったことを、妙に思いはしたが、レオなら大丈夫だろうと、心配はしなかった。しかし、こんな夜中になっても何の連絡もないと、さすがに心配になってくる。 …バルガンが盗まれたってのに、レオのやつ、いったいどこへ行っちまったんだい? ジーンは、ため息をつき、目を閉じた。 仲間が泥棒の被害に遭えば、悪を許さない性格のレオは、盗まれた物を取り返し、泥棒を捕らえるのに誰よりも全力を尽くすだろう。 そんな彼が、こんな時に急にいなくなると、どうも心細い。 …まったく、あの男は。人を振り回すことが好きと言うか…。 もう一度、ため息をつくと、ジーンはごろりと寝返りを打ち、体を横にした。 しばらくジーンは、その体勢でレオへの愚痴ばかり考えていたが、やがて眠りに落ちた。 * 翌朝、酒場で軽い朝食を済ませた後、例の派手な女を探すべく、ジーンたちは町に出た。 ちなみに、朝食代はジーンのポケットマネーから出された。酒場のマスターが、泥棒が見つかるまでツケておいもいいと言ってくれたが、これ以上気を使われるのも申し訳ないので、ジーン自ら代金を支払ったのだった。 町での捜索は、三手に分かれて行うことになった。 ヒイロとロンファは、それぞれ一人で。派手な女の顔を知らないジーンとレミーナは、ルビィと一緒に捜索を開始した。 彼女たちは、昨晩探せなかった場所から当たっていった。 「それでねぇ、ウェーブがかかっている赤い髪で、香水の匂いがきつい女の人なんだけど…見たことない?」 西側の町で果物を売っている露店の主に、レミーナの肩に座っているルビィが尋ねた。 「さあねえ。お得意様に、そんな客はいないし、最近見かけた覚えも無いよ」 商人の答えを聞き、ルビィは残念そうに俯く。 捜索を始めてから、ずっとこの調子だ。誰かに尋ねた数は、まだ指で数えられる程度だが、どこも似たような答えしか返さず、これといった情報は得られていない。 「ねえルビィ。その女の細かい特長は覚えてる?」 「でも、昨日と同じ格好をしているとは限らないよ」 「そんなことを言ったらキリが無いわ」 ジーンとレミーナが露店の前で言い合っていると、商人に「買う気がないなら他所へ行ってくれ」と言われてしまった。 ジーンたちは、商人に軽く頭を下げてから、露店から離れた。 「…赤い髪で化粧が濃くて香水がきつくて派手な若い女…なんて、すぐに見つかりそうなものなのにな〜…」 ジーンと並んで道を歩きながら、レミーナはため息混じりに呟いた。 「ホント。昨日の夜の内に見つかってもおかしくないくらい、派手な女の人だったのにね…」 女に姿を見られているため、警戒されないようレミーナのフードの中に隠れたルビィも、元気のない声でぼやく。ため息をつきたい気分は、三人とも同じだった。 ちなみに別行動を取っているヒイロとロンファにも、女に警戒されないよう、顔を隠させた。 「でも、それだけ派手な分、地味な格好をされたら分からなくなっちまうんじゃないかねえ」 もし、その派手な女が化粧を落とし、髪も隠して地味な服に着替えられたら、顔を見ているルビィでさえ分からなくなるだろう。ジーンは、それを心配していた。 「…そうね。その女が泥棒なら、盗みを働いた時と同じ姿をしているわけがないし…」 ジーンの言葉に、レミーナの気持ちは、さらに沈む。 「で・でも、諦めちゃダメよ!竜の紋章やバルガンを取り返さないと、きっと大変なことになるわ!それに、ヒイロが青き星に行かなきゃ、ルーシアはずっと一人ぼっちになっちゃうのよ!」 ルビィは、フードの中から頭だけ覗かせ、ジーンとレミーナを励ました。二人は立ち止まり、ルビィを見る。 「…ああ、分かっているよ。絶対、ヒイロには青き星に行って貰わないとね!」 「当たり前よ!お金まで盗まれているんだから、そう簡単に諦めやしないわ!」 ヒイロとルーシアを思う、ルビィの優しさは、ジーンとレミーナの心を明るくした。二人は気合いの入った声を上げる。 そんな二人の姿に、ルビィ自身も励まされた。 「それじゃあ、次を回ってみよう」 そう言って、ジーンはルビィに背を向け、歩き出そうとした。しかし、ルビィに「ちょっと待って!」と声をかけられたので、どうかしたのかと振り返った。 「この匂い…あの香水の匂いだ…」 ルビィは鼻をひくひくと動かしながら、辺りを見回している。 「もしかして、派手な女が付けていたっていう香水の匂いかい?」 ジーンが尋ねると、ルビィは鼻を動かしながら、小さく頷いた。それを見たジーンとレミーナも、辺りの匂いを嗅いでみるが、何も感じない。 「あっちよ!あっちから匂いがする!」 ルビィがレミーナのフードの中から這い出し、匂いがする方へと向かって飛んだ。 「あ、ルビィ!待っとくれよ!」 ジーンはルビィを呼び止めようとするが、ルビィは声を無視し、道行く人々の合間を縫って飛んで行き、姿が見えなくなってしまった。 ジーンとレミーナは、慌てて走り出し、ルビィを追った。 しかし、然程走らぬ内に、ルビィの姿を確認できた。 「やっヤダ、ちょっと放してよ!何でこんなことするの?猫ちゃん」 「猫じゃないわよ!あんたでしょ!昨日、酒場にいた女は!!」 ルビィは、行商人らしき姿の女性の服にしがみつき、彼女と言い争っている。 …あの女が、ルビィが酒場で見たって言う、派手な女? その若い女性の髪は、金髪のショートカットで、ルビィが言っていたものとは全く違っていた。離れた位置からでは化粧をしているようには見えず、服装も動きやすくて地味なものだった。 肩に下げている大きめの鞄は、彼女が行商人であればおかしいものではない。 「ルビィ!とにかく落ち着きな!」 先に駆け寄ったジーンが、ルビィを女性から引っぺがした。ルビィはめげずに騒ぎ続ける。 「ジーン!この女よ!髪の色は違うけど、こんな声してたもん!香水の匂いだって、ちょっと残っているわ!!」 ルビィは前足で女を指しながら言った。一方、女の方は落ち着いており、乱れた服装を整えている。 「あのね猫ちゃん。誰と勘違いしているのかは知らないけど、いきなり乱暴してくることないじゃない」 女は、興奮しているルビィを落ち着かせるように、やんわりとした口調で言った。 「猫じゃないってば!それよりヒイロから盗んだ荷物を返しなさい!あんたが酒場にいた女ってことは、香水の匂いから分かるんだから!」 どうやらルビィは、あの派手な女が泥棒だと、完全に思い込んでいるようだ。ジーンも、その可能性を疑ってはいるが、現時点では可能性があるだけにすぎない。 そして、目の前に立っている女の姿は、ルビィの証言とは全く違い、同じ香水の匂いがするからと言って、昨晩ルビィが見た女と同一人物と決めるには証拠が不十分だ。 「ねえ、あなた。昨晩、うちの仲間が世話になったみたいね。酒場の二階に担いでったってルビィから聞いたけど、その後は何をしていたの?」 ジーンが悩んでいると、追いついて隣に並んだレミーナが、女に尋ねた。 「仲間?何のこと?あんたたち、あたしを誰かと勘違いしてるんじゃない?猫ちゃんが言っている香水の匂いだって、偶然同じ香水をつけているだけよ」 女は、あくまでも人違いだと言い張っている。ジーンもそう思っていたが、レミーナはおかまいなく女の襟を掴み、彼女に詰め寄った。 「しらばっくれんじゃないわよ!!あんたがヒイロの荷物と財布を盗んだんでしょ!!あたしの目は誤魔化せないわよ!!」 レミーナは、女の体を激しく揺さぶった。その恐ろしい形相と勢いに、女は怯える。 「やっちょっやめてよ!だから人違いだってば!!」 「嘘おっしゃい!!さあヒイロたちの財布の中身、五百億シルバーと、象牙にダイヤルビーにパールサファイアを、びた一文と残さず返して貰うわよ!!」 「ごひゃっ…そ、そんなに入ってなかったわよ!!宝石だってサファイアしか…」 「ホラ見なさい!やっぱりあんたが盗んだんじゃないの!!」 持ち前のがめつさを露わにした尋問で、レミーナは見事に女にボロを出させた。女の方も、うっかり口を滑らせたことに気付くと、レミーナの手を振り払い、その場から逃げ出そうとした。 「待ちな!逃がしゃしないよ!!」 だが、相手が悪かった。たった一歩踏み出したところで、ジーンに右腕を掴まれ、体を地にねじ伏せられた。 「さあ、盗んだ物を全部返してもらおうか!」 ジーンは掴んだ右腕を、うつ伏せに倒れた女の背中に回し、肩の関節が痛むよう、強く押さえつける。 「いいいいィィいイイ痛い痛い痛いィ!!降参!降参するから止めてー!!」 たまらず、女は悲鳴を上げ、左手で地面を叩いた。 それを見て、ジーンは力を抜いた。レミーナとルビィは、逃がすまいと女を囲む。 女は倒れたまま、しばらく息を切らしていたが、落ち着いてくると上半身を起こし、ジーンたちを見上げた。 「ちぇっ…お金は返すけど、足りない分は、あんたたちの仲間の男二人の酒代だかんね」 女は、ふてくされた顔で舌打ちをし、鞄の中から財布を三つ取り出した。内、二つはヒイロとロンファの物で、残る一つはレオの財布だった。 それを見たジーンは、レオについて女に尋ねようとしたが、素早く腕を伸ばして財布を奪い返したレミーナが、先に女に向かって声を張り上げたので、聞くタイミングを逃してしまった。 「お金は返すって何よ!!サファイアや紋章はどうしたのよ!!」 財布の中身を確認しながら、レミーナは女を怒鳴りつけた。女は、誤魔化すように笑いながら答える。 「えへへへ〜…それがねぇ、高そうな物は、みんな売っちゃったんだ〜」 「何ィッ!!?」 ジーン、レミーナ、ルビィの三人は同時に声を上げ、三人して女の襟首を掴んだ。 「何てことしてくれたのよバカァ!!あのサファイアがなきゃいけないのにー!!」 「ふざけんじゃないよ!!何処の店で売ったんだい!?」 「売ったですってぇ!?いくらで売れたの!?」 ルビィは悲鳴に近い声を上げ、ジーンは怒りを露わにし、レミーナは何処かずれていることを言いながら、女に詰め寄る。 「ごめんなさいごめんなさーい!アレ高値で売れそうだったからついつい!で、でもまだ競売は終わっていないから、お金も受け取っていないんですー!」 三人同時に、しかもジーンには今にも殴りかかってきそうな勢いで詰め寄られた女は、半べそをかきながら言った。 「…競売?…って、何?」 その言葉の意味を理解できず、三人は、ひとまず女の襟首から手を放す。 「だ、だってホラ、盗品を表で売って、出元がバレたら困るでしょ。だから盗品は裏ルートで売っているんだけど…そのヒイロって子から盗んだ物って、どれも世界に一つしかないようなレアな物ばかりじゃない。だから、裏の競売に出したほうが、もっと高く売れるかな〜と思って…」 「それなら早く返して貰ってきな!まだ売れたわけじゃないんだろ!」 再びジーンに怒鳴られ、女は肩を震わせた。 「いや、でも…返して貰える期間は競売が始まる前日までで、品物を預けたのは昨日だから…もう返して貰えないのよ…」 「つまり、競売が行われるのは今日ってことかい?」 「そう。競売は昼過ぎからだから、今ならまだ間に合うわよ。取り返したければ、競売に出て競り落とすか、競り落とした奴から盗むかするのね。だから…後は自分たちで何とかやってね」 女は立ち上がり、ごく自然にその場から去ろうとした。しかし、レミーナに襟首を掴まれ、ルビィに行く手を阻まれる。 「お待ち!品物が競り落とされたら、その代金は、あんたに送られるんでしょ!あたしたちから盗んだ物で儲かろうなんて許さない!例え競り落とすのが、あたしたちじゃなくても、そのお金は貰いますからね!それまで解放しないわよ!!」 「ちょっと待ってよ!その競売の会場がどこにあるか教えて貰ってないじゃない!それに、そういう競売って、決まった人しか入れないんじゃないの?とにかく紋章やメダリオンが戻ってくるまで逃がさないからね!!」 「あ・あははは…やっぱり逃げちゃダメ?そりゃそうよね〜…ハァ…もう逃げないから、手を離してよ」 上手く誤魔化して逃げることに失敗し、女は観念したかのようにため息をつくと、襟首を掴むレミーナの手を払った。 「…でも猫ちゃん。メダリオンって…何?」 乱れた襟を整えながら、女はジーンの肩へと移動したルビィに尋ねた。 「ヒイロがいつも首から下げている、金色の丸いヤツよ!あんたがヒイロの服を剥いで、メダリオンも盗んだんでしょ!」 まだしらばくれる気かと、ルビィは強い口調で言った。しかし、女は「はあ?」と、ルビィを馬鹿にするように声を上げる。 「冗談でしょ?あんなボロっちい服を誰が盗むっての?そりゃポケットから財布は抜き取ったけど、服ごと盗んじゃいないわよ。それに、あの子が首に下げているって物には、気付いてすらいなかったわ。たぶん、服の下に隠していたのよ」 女の言葉に、ジーンとレミーナは顔を見合わせる。 「そっちこそ冗談はやめてよね!他に誰が盗むって言うの…」 ルビィは再び女を怒鳴りつけるが、ジーンに口を塞がれ、最後まで言い切れなかった。代わりにジーンが口を開き、女に尋ねる。 「じゃあ、もう一人の男を知らないかい?仲間の二人を迎えに行った、獣人族の若い男なんだけどさ」 「へ?知らないわよ。あんたたちと一緒にいるんじゃないの?」 女は、きょとんとした顔で答えた。 「一緒じゃないわよ。あんたと一緒に酒場の二階に上がっていくのを見てから、ずっと行方が分からないの。あんたが何かしでかしたからじゃない?」 口を塞ぐジーンの手をどけ、ルビィは言った。 「しでかしたって…ちょっと細工して眠らせただけよ。盗る物盗ったら、そのまま置いて部屋を出たから、その後、彼がどうしたかなんて知らないわ」 「ちょっと細工?それって、どんな…」 レミーナが女に尋ねようとしたが、ジーンに「まあ待ちな」と声をかけられ、口を噤む。 「聞きたいことは他にもあるから、一旦ヒイロたちと合流しよう。話はそれからだよ」 ジーンの言葉に、レミーナとルビィは同意し、頷いた。 「じゃあ、あたしヒイロとロンファを探して、酒場に戻るよう伝えてくるね」 ルビィは翼を広げ、ジーンから離れると、それだけ言って飛んで行った。 ジーンとレミーナは、面倒くさそうな顔をしている女の腕を掴み、彼女を引きずるようにして酒場へと向かって歩き出した。 (第四章へ) |