"第二章 過去に対する罪悪感" レオは、館の裏庭に建ててある、アルテナ像の前で、ひざをついた。 レオが祈りをささげると、像は暖かい光を放った。 光が消える頃には、レオの左肩の傷は、あとかたもなく消えていた。ただ、服の切り裂かれた部分や、こびりついた血は、そのまま残っている。 一緒に来ていたヘレナが、それを見て言った。 「後で洗ってさしあげますわ。破れた部分も縫いましょう」 「すまんな」 「いいえ、魅了されていたとはいえ、私の責任ですもの。…本当にごめんなさい」 「いや、気にしないでくれ」 空はまだ暗く、風もあるので、灯りが消えないよう注意しながら、二人は部屋へ戻った。 * 部屋では、レミーナがベッドに腰を掛け、考えごとをしていた。レオたちが戻ってきても、あまり反応を示さなかった。 レミーナは、ヘレナに別のベッドに座るよう身振りで指示し、レオも椅子に座らせると、口を開いた。 「…あの人、強力な魔法力の持ち主だわ。転送の魔法を使えるなんて…。いえ、強すぎるのよ。それに、あの魔法力、何かひっかかるのよね…。でも、リシュタをどうする気なのかしら」 「…分かりません。ただ、ねらいはリシュタだけのようでしたわ。急にまぶしくなったので目を覚ましたら、その人は、リシュタの前に立っていました」 ヘレナは暗い顔で続けた。 「私が駆けよろうとしたら、その人は、私にだけ手をかざしてきましたの。私は壁に叩きつけられて…、後は覚えていません。きっと、その時に魅了の魔法もかけられたのでしょう」 「リシュタも、気絶していたではないか」 レオは不思議そうにたずねた。 「リシュタは、朝になるか、よっぽど強い衝撃を受けるかしないと、起きませんの」 「なっ…、リシュタは寝ていただけだったのか?」 驚くレオに、レミーナがつけ加えた。 「そうなのよ。あれじゃ火事になっても起きないわ」 リシュタ恐るべし。レオは少しあきれていたが、すぐに話を戻した。 「と・とにかく、リシュタを助け出すことを考えるべきだ」 レミーナとヘレナも、それに同意した。 「そうね。…きっと、あいつがテミスの事件の犯人よ。転送の魔法が使えれば、証拠もあまり残らないし…」 「でも、どうやって探しますの?」 ヘレナの質問に、レオはうつむいてしまった。 「…手がかりがないのではな…。しかたない、夜が明けてから、テミスで情報を集めるか」 「…それしかないわね」 レミーナは、念のためヘレナと同じ部屋で、レオはもとの部屋に戻り、それぞれ再び眠りにつくことにしたが、やはりそう簡単には眠れず、そのまま夜が明けてしまった。 * テミスは、山道の出発地点にあたる町である。そのため、小さい町だが宿屋が多い。 しかし一番目立つのは、女神アルテナをあがめるアルテナ神団の神殿だ。 神殿内には、ひときわ大きいアルテナ像が祭られており、外にも像があるにもかかわらず、祈りをささげに来る人は多い。 レオはテミスに着くと、まず、神殿を訪ねた。 朝の礼拝に来ている人たちが、女神アルテナに祈りをささげている。 レオは、手の空いている神官を見つけ、話しかけた。 「悪いが、この神殿の神官長に会わせていただきたい」 神官は、レオの顔を見るなり、慌てて姿勢を正した。 「レ、レオさ…」 レオが人差し指を唇の前に出し、静かにするよう合図をしたので、神官の言葉は詰まってしまった。 「礼拝の邪魔をしたくはないのでな。神官長と話ができれば、それでいいのだ」 「は、はい、分かりました。こちらです」 神官は、緊張した様子でレオを案内した。 レオは黙って後に続く。 神官は、ひときわ立派な扉の前で立ち止まり、ドアをノックした。 「エレボス様。レオ様がお見えになりました」 「おお、レオ様が?」 神官が扉を開けると、高位の神官服を着た中年の男性が出迎えた。 「エレボス殿、お久しぶりです」 レオは礼儀正しく会釈をした。 「レオ様、よくぞいらしてくれましたな。さ、お茶をお入れしますので、こちらへどうぞ」 エレボスは、レオに席を勧め、棚からティーカップを取り出した。 レオを案内してきた神官は、頭を下げると、部屋を出て、静かに扉を閉めた。 レオは、小さいテーブルを囲んだソファーに、腰を下ろした。 エレボスは、紅茶と菓子をレオに差し出した。レオは一礼して、それをいただく。 エレボスは、反対側のソファーに腰を掛けると、満面に笑みを浮かべてレオを見た。 「近くを通られたという話はよく聞きますが、神殿に来てくだされば、いつでもお茶のご用意をしてさしあげましたぞ」 その言葉に、レオは申しわけなさそうな笑みを送る。 エレボスは、長年テミスの神官長を務めている男性で、レオとも面識があった。 少し落ちついてから、レオは真剣な表情でエレボスに尋ねた。 「エレボス殿。実は、最近テミスで起きている失踪事件について、お話をうかがいたいのですが…」 エレボスも、とたんに深刻そうな顔つきになる。 「…ご存じでしたか。おっしゃる通り、三日ほど前から、若い女性だけが失踪するという事件が起きています。しかも、たった二日で五人もの女性が行方をくらましたのです」 テミスの神殿の神官長であるエレボスは、この神殿だけではなく、町も治めており、人望も厚い。そのため、何か事件が起これば、必ずエレボスに伝えられ、細かい情報もエレボスが管理している。 今回の事件についても、エレボスが一番詳しいはずだ。 レオは、そのことを承知の上で、神殿を訪ねたのだ。 「先日は何も起こらなかったのですか?」 「はい」 レオはリシュタを思い浮かべた。 少し考えてから、昨晩の出来事をエレボスに話した。 「では、失踪ではなく、誘拐だというわけですか。しかし、なぜそのようなことを…」 エレボスは驚き、考え込んだ。 「エレボス殿。犯人について、何か知っていることがあれば、話してください。なんでもかまいません」 レオは身を乗り出し、エレボスに尋ねた。 「…それが、何も分かっていないのです」 エレボスは、沈んだ声で答えた。 「では、誘拐された女性について、お聞かせください」 そう言ったレオに、エレボスは少し間を置いてから、申しわけなさそうに言った。 「…レオ様。この件は、テミスの中だけで起こっていることです。本来なら、我々だけで解決すべきことで…」 「しかし、指をくわえて見ていることも、私にはできません」 レオのきっぱりとした答えが、エレボスの言葉をさえぎった。 「…レオ様、ありがとうございます」 エレボスは、雑務用の机の引出しから書類を取り出し、レオに渡した。 「これには、誘拐された女性たちについて、まとめてあります。これでよろしければ、どうぞ」 レオは書類を受け取り、礼を言った。 書類に軽く目を通しているレオに、エレボスは、急にこんなことを言った。 「…レオ様。神団に戻ってきてはくれませんか?」 レオは手を止め、きびしい顔でエレボスを見た。 「皆もそれを望んでいます。レオ様が再び白の騎士を名乗ることを…」 レオは、それを聞いてうつむいてしまった。 「…私には、そのような資格などない…」 「いいえ、レオ様は世界を救ってくださったではありませんか。そして今も、我々のために働いて下さっております。そのあなたに、なぜ資格がないのでしょうか」 エレボスの言葉に、レオは三年前までの自分を思い出した。かつて、女神アルテナのために、命をかけて戦っていた自分を…。 「…私には、罪があるのだ…」 エレボスは、レオの言葉を理解することができた。 偽の女神によって組織されたアルテナ神団。 邪悪な神の復活を目的とした、偽りの教えを信じ、レオは『白の騎士』として神団に所属し、ゾファーの復活に手を貸してしまった。 そして何より、大切な人を苦しませてしまったこと…。 それが、レオの心に傷をつけ、今だ癒えない。 「しかし、レオ様は真実を知って、自ら神団を去ったではありませんか」 エレボスの説得にもかかわらず、レオは首を横に振った。 「そうではありません。私は気づいていたのです。アルテナ神団の不信な行動に…。だが、私はそれを調べようとはしなかった…。神団を信じていたのではない。裏切られることを、恐れていたのだ…」 レオは、自分を責めるように言った。 エレボスは何か言おうとしたが、その前にレオが立ち上がった。 「仲間が待っているので、そろそろ失礼します」 レオは書類をていねいにまとめ、お茶をごちそうになったことに礼を言った。そして、思い出したかのように、エレボスに尋ねた。 「…そういえば、エレボス殿にはご子息がおられましたね。確か、私とは七つ年下の…」 「ああ、シュリックのことですね。今年で十六になります」 エレボスは、微笑みながら答えた。 「なんでも、生まれつき体が弱かったそうですが…、今は元気ですか?」 「はい。何日か前から体調がいいらしく、今日もテミスの山で、神官の修行をしています。レオ様。今後テミスによることがありましたら、ぜひ神殿をお訪ねください。シュリックがいれば紹介しますよ」 エレボスは、にこにこと話をするので、レオも微笑んで礼を言った。 「ありがとうございます」 * レミーナとヘレナは町中で情報を探しまわったが、手がかりは何一つと見つからなかった。 ついでに、魔法力の高い人材を見つけてはスカウトしたが、ことごとく断わられてしまった。 実は、以前にもテミスで何人かスカウトし、館でテストを受けさせたことがあった。その全員が、ひどい目にあったあげく、テスト料を巻き上げられたため、テミスではひそかにレミーナを恐れている人が多い。 昼頃になると、さすがに疲れてきたので、レオとの待ち合わせの場所でもある食堂で休むことにした。 ヘレナは、レオが来るまでおとなしくしていることにしたが、レミーナは少しやけになっており、さっさと食事を注文し、すでにとり始めている。 「ヘレナさんも、何か注文したら?食べていても、レオは怒らないわよ」 「はあ…」 ヘレナは、上品だがなかなか迫力のある、レミーナの食べっぷりに圧倒されている。量も適量だが、やたらと多く食べているように見える。 ヘレナは辺りを見まわした。 食堂内は、人にあふれてにぎやかだが、頭を抱えている人も見られる。誘拐された女性の関係者だろうか。 「…何か分かればいいのに…」 ヘレナは小さくつぶやいた。 それが聞こえたレミーナは、口の中を空にしてから、ヘレナに話しかけた。 「ヘレナさん、手がかりが見つからないなら、作ればいいのよ」 ヘレナは、はっとしてレミーナを見た。 「と、申しますと」 レミーナは、にっこり笑って提案した。 「つまり、おとり作戦よ」 「えぇっ!?」 ヘレナはつい大声を出してしまった。はっとして辺りを見まわしたが、誰も見ていなかった。 「で、あたしがおとりになれば、絶対ひっかかるわ☆」 レミーナは、自信満々に言った。事実レミーナの容姿は美しく、自分でもそのことは分かっている。 「そんな…。レミーナ様がおとりにならなくても…」 「大丈夫。あたしはかのヴェーンの魔法ギルドの当主ですもの」 「ですが…」 二人がもめているところに、レオがやってきた。 「あ、レオ様…」 「レオ、どうだった?何か分かった?」 レオは同じテーブルの椅子に座った。 「うむ。犯人の手がかりはつかめなかったが、さらわれた女性たちについてと、その時の状況については分かった」 レオは書類を出そうとしたが、レミーナに止められた。 「その前に、レオも何か食べなさいよ。ヘレナさん、ずっと待っていたんだから」 「あ・ああ、すまんな」 食事を終え、少し落ちついてから、レオは書類を出した。事件当時の状況についての書類をレミーナに、さらわれた女性たちについて、似顔絵まで載っている書類をヘレナに渡した。 「犯行時刻は決まって夜。場所は…、転送の魔法が使えるのだから、室内でもおかしくないか」 レミーナとヘレナは、書類に目を通しながら、レオの話を聞いている。 「でだ、さらわれた女性については、皆罪のない普通の女性だ。だが、共通点はある」 レミーナが身を乗り出してきた。 「そうだわ、共通点が分かれば、おとり作戦もうまくいくかも!」 今度はレオが驚いた。 「おとりだと?そんなことをして大丈夫なのか?」 「平気よ、おとりになる のはあたしだから。あたしの強さは知っているでしょ」 「そうだが…」 レオとレミーナが話している間に、ヘレナは女性たちの似顔絵を一通り見終えた。 「皆さん、若くて美しい方ですのね。獣人族なのは、偶然かしら…」 ヘレナの言葉に、二人の口論は止まった。 「そういえば、リシュタも獣人族よね」 「ええ。では私がおとりに…、でも髪型が違いますわね。長く美しい髪で…」 「じゃあ、あたしが獣人族のカッコをすればいいかしら」 レミーナの髪は、長くウェーブがかかっている髪だ。 「…でも、色は関係ないようですが、皆さんストレートの髪ですわ。…そういえば、リシュタもストレートでしたわ」 レミーナは、うーんとうなった。 「…とにかく、何かと準備が必要ってことね。…明日にする?」 「そうであるな。何にしても、一般の人に頼むわけにはいかん」 レオがレミーナの言葉に同意してきた。 レミーナは、レオを見た。 …その時、レミーナの瞳が大きく見開かれた。そして、にんまりと笑った。 「な、なんだ、その怪しげな笑みは…」 レオはうろたえ、ヘレナはレオとレミーナの顔を見比べた。 「…レミーナ様、まさか…」 レミーナは、答えるかわりに、にっこりと微笑んだ。 (第三章へ) |