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宮崎市及び日南市旅行記
行きは都城ICから入り宮崎市内へ行き、帰りは宮崎市内から国道220号線を利用し、日南市から国道222号線を利用して帰路となった。
■1日目(2012年7月3日(火))
市内の宮崎神宮、県立平和台公園を見て、市内のホテルに宿泊した
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御祭神として神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)
【第一代・神武天皇】としている宮崎神宮の神門を望む
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本殿を前にして、今回の旅の安全を祈願中
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帰りの宮崎神宮参道は、掃除中であった
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宮崎県立平和台公園にある平和の塔
別の呼び方として、八紘之基柱(あめつちのもとはしら)又は八紘一宇の塔(はっこういちうのとう)という
御幣を模しているとのこと
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平和の塔の階段前に咲いていた
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平和台公園が、東京オリンピックが開催された時の、国内聖火リレーの出発地となったので、その記念物
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八紘之基柱の正面左側に位置する、武人を表現した、荒御魂(あらみたま)
以下時計周りで隅に位置する
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漁人を表現した、奇御魂(くしみたま)
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農耕人を表現した、幸御魂(さちみたま)
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商工人を表現した、和御魂(にぎみたま)
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塔の正面には、八紘一宇の文字が見える 昭和40年1月31日に復元
この塔は、1940年の神武天皇即位紀元(皇紀)2600年の奉祝事業の一つとして行われた
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平和の塔の名称は戦後のことである
八紘一宇〔日本書紀「掩二 八紘一 而為レ 宇」(
八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむこと)より〕
天下を一つの家のようにすること。第二次大戦中,大東亜共栄圏の建設を意味し、
日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた。
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■2日目(2012年7月4日(水))
宮崎市高岡町の天ヶ城公園へ行き、途中饅頭屋に寄り名物と云われる長饅頭を買い、そのまま青島のホテルへ向かい宿泊
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標高120mの山城の跡が、公園として整備された天ヶ城公園の頂上部にある「天ヶ城歴史民俗資料館」
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「天ヶ城歴史民俗資料館」の4階展望フロアから、西方向に見える霧島連山
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公園を下るときに車窓から見えた、高岡の町並みと大淀川
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公園から高岡バイパス(国道10号線)で宮崎よりに向かったところ、当地の名物である和菓子「長饅頭」の店が目につき購入
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宮崎南バイパス経由で、青島のホテルへ向かう
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此れから、ホテルでの部屋夕食
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■3日目(2012年7月5日(木))
ホテルから朝食後、青島へ行き鬼の洗濯板等を見て回り、飫肥で昼食を取り、その後日南市洒谷の棚田を見て帰路に着く
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国定公園である日南海岸側から見た青島の全景
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日南海岸側と青島を繋ぐ橋の景観
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青島神社内には、朝早く来たので、人影がなかった
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ビロー樹の後方に見えるのは、海面と鬼の洗濯板
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引き潮時のようで、鬼の洗濯板がしっかり見えた
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ホテルをバックに記念撮影
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宮崎市内海にあるレストラン「デモン・デ・マルシェ」の駐車場からみた鬼の洗濯板
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日南市酒谷坂元にある棚田事業掲示版 日本の棚田100選の一つ
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棚田と云うことで、当然階段状の風景
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日南市飫肥で昼食を取るために寄り、その時に見つけた名物の「厚焼たまご」
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