●ナターシャ・セブン……私の好きなフォークシンガー
私が一番好きなフォークシンガーは、高石ともやさんです。 音楽のみならず、ライフスタイル、物の考え方にもあこがれた、私にとっては宮崎駿さんと並んで一番尊敬する人です。2人とも1941年生まれというのも因縁を感じます(お二人の対談、というのをぜひ見てみたいです)。 ともやさんは、私が中学生の時、深夜放送(KBS、日本列島ズバリリクエスト)を聞いて好きになりました。聞き始めたきっかけが「アニメソングをよくかける」といううわさを聞いたから――というところがいかにもオタク…… 最初に注目したのは「おじいさんの古時計」でした。 聞き古した唄がオリジナルの歌詞で新しい生命を吹き込まれたことに驚かされました。 当時のともやさんはすでにナターシャセブンでの活動でしたが、今ではたまにしか唄われない初期の反戦歌、メッセージソングも好きです。SF好きの私にはSFもフォークも、同じ「文明批評」でした。ナターシャ時代は素朴な歌詞とシンプルなコード・メロディで、そのころ「流行」していたフォーク、ニューミュージックの中でも、群を抜いて「フォークの原点」に近い活動でした。 ともやさんの作詞は、さりげない言葉づかいがとても心にしみました。名田庄村のわらぶき屋根での生活や、子育ての話から伝わってくる「自然」や「手作り」を大切にしたライフスタイル。電気楽器を(極力)使わないアコースティックサウンド。ラブソングに偏らない、人生や身近な生活の中から生まれた歌。都会でのきらびやかな生活ではなく、山・川・花に囲まれた暮らしを唄っていたのも、私の性に合っていました。民謡や子守歌を見直させてもくれました。レコードよりコンサートを重視し、流行はもちろん、体制や商業主義に背を向ける反骨精神。 「わび」「さび」に通じるものがある、とおっしゃっていた方もいました。 それは、流行歌や、歌謡曲とは全く違う、身近で自然体で等身大の、はるかに共感できる世界でした。流行、時代、世代を超えて唄われる歌を目指していました。小学校で子供たちを前に唄ったり、お寺の本堂でお年寄りを前に唄ったり。若者相手に格好つけて唄う流行歌手にそんなことができますか。「息の長さでは負けない」「続けるだけがとりえ」「何が本物か、真実かを唄っていきたい」という言葉に現れた姿勢が好きです。 ほかにも、「足りないものは買うのではなく、自分で工夫して作る」(107曲集の本も、アルバムも、ほとんど4人だけで作ったのです)とか、「一芸に秀でるよりも、好きなことは何でもやる方がいい」(私のゼミの先生も、「スペシャリストより、ゼネラリストたれ」とおっしゃっていました)などとよく話されており、とても心を動かされました。 まだモーレツ時代の名残のある当時、「マイペース」とか、「楽しんで走るマラソン」、「回り道の人生(君よそよ風になれ)」なども教えてもらいました。また、京都という町を大変評価されており、東京コンプレックスだった私自身の、故郷を見直すきっかけを与えてもくれました。 ナターシャのズバリクは「心が豊かになる」などと評されたことがあり、ともやさんのパーソナリティをよく表していたと思います。 ちょうど、私がテクノロジー・開発至上主義者、科学万能主義者だった子供時代から、一転してエコロジー指向に変わってゆくのと同じ頃でした。 ●解散、そして再会
「柳の木の下に」をリクエストされても無視していたしょうごさんが、初めてSAMと、じゅんじさんと、「谷間の虹」や「陽のあたる道」を唄った時は本当に感動しました。もしかしたら、いつの日か……。92年のことでした。
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●余談・ブルーグラスとは
ナターシャセブンがフォークと並んでよく取り上げる音楽に「ブルーグラス」があります。これはアメリカのカントリー音楽の一種で、ビル・モンロー(1911-96)の創始した男声コーラス、ストリング・バンドスタイルの音楽を言います。五弦バンジョーをフィーチャーし、電気楽器を原則的に使わず、ギター、フラットマンドリン、フィドル、ベースなどで演奏されます。ビル・モンローのバンド「ブルーグラス・ボーイズ」から命名されました。アール・スクラッグスの創始したバンジョーのスリーフィンガー・スタイルも重要な役割を果たしています。日本は、アメリカに次いでブルーグラスが盛んな国といわれています。 ビル・モンローがともやさんとすれば、アール・スクラッグスがじゅんじさん、レスター・フラットがしょうごさん? 違うか。 土の香りのすばらしい音楽で、ノリのいいバンジョーのインストゥルメンタルなどは、私の唯一「勝手にからだが動く」音楽です。 (こ、こんな解説でいいのかしら?? おかしかったら教えてね) ●こんなこともありました
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