■concert report 2024■ chapel concert vol.1


<想い出の高石ともやさん> 特設ページを作りました。    想い出の高石ともやさん

 

SAMライブ
■24.4.14 大阪・5th Street■

 ここに来るのも年に1回の恒例になってきました♪ ホントはもっと通いたいのだけれど……
 第一部は赤木一孝さんの「スモモの木の下で」「お父さんの朝ごはん」、続いて松崎博彦さんの「のんのさま」「イングルサイド」「風浪」、そして赤木さんの「山川草木」でした。
 赤木さんは今日もスマートで体重キープ中?  松崎さんは「京都は外国人ばかり……」という正直な印象をもらしていました。
 貴重な音源のCD−Rが眠っている、というお話もあり、何とか形にして残してほしいですねぇ。

 第二部は松崎さんのソロで我夢土下座の「桜の木の下で」から始まりました。次は赤木さんがギターで加わって「私もポリネシアン」を二人で演奏すると、今度は赤木さんのソロで西岡恭蔵さんの「I Wish」と、松崎さんがEベースで加わり「雨の夜はひとりで」。
 そのあとは「筑後川」「長良川」の川の名曲2曲を松崎さん、赤木さんが交代でボーカルを担当されました。
 松崎さんが今年は時代祭の当番だ、というお話をされて「祭ばやし」を。
「次が最後の曲です」と伝えられると「えーっ」という、まるでアイドルコンサートのような珍しい反応がありましたよ〜 (*^v^*)
 その最後の曲は赤木さんのボーカル「からっぽの部屋」でした。
 アンコールは「一本の樹」。省悟さんが亡くなって昨年末で20年になりました。また今度、お墓参りに行こうかな……

(掲載: 24/8/23)

第24回 高石ともや 
バングラデシュ奨学基金 チャリティーコンサート

■24.4.29 日本基督教団 浅草教会■

chapel concert vol.24 1997年から始まったこのチャペルコンサート、4年ぶり24回目になるそうです。昨年の年忘れに行けなかったこともあり、久々に参加することにしました!
 調べたら…… な、な、何と! 10年ぶりっ。時の経つのは早い…… 恐ろし― (>_<)
 YMCAで開催されていた頃は、皆勤でしたが、その後、10年ブランク、そして今回さらに10年(うち4年はコロナで中止)ということに……

 コロナで中止になって以来、再開がかなわず、今回は江幡玲子先生のチャリティでやろう、ということになったそうですが、この形でのコンサートは最後になるかもしれない…… とのちょっとさみしいお話でした。
 本日は定員オーバーの満席ということで、ちょっとゆっくり行ったらもう後方の席になってしまいました。

 ともやさんの歌は「ちょっとだけ恋人」「帰る処は山ふところ」「陽気に行こう」「野茨と鳩」「イマジン」「自分をほめてやろう」「陽のあたる道」など。「帰る処は山ふところ」は3回も唄ってくれましたが、大好きな歌なのでうれしかった……?? (^.^; 名田庄村の校舎の家のお話等も、くり返し聞かせてくれました。

 休憩時間には、ともやさんからの江幡先生のお話や、YMCAのバングラデシュ支援の報告などがありました。バザーでは、直筆の扇子もあったようです。

 第2部は「かごの鳥」「銀の雨」という、デビュー初期の歌とともに当時の「相棒」のお話などもされました。
 それから「春を待つ少女」「帰る処は山ふところ」(4回目)、「楽しい時は」「思い出の赤いヤッケ」「明日になればね」「楽しい時は」(2回目)「ヘイヘイヘイ」と続きます。
 お別れのアンコールは、2度目の「ヘイヘイヘイ」と「さよならが言えない」でした。
 “85歳まで生き残る”という言葉も聞けて、とても頼もしいともやさんでした。


第1回チャペルコンサート告知
▲ チャペルコンサート 最初の告知

◆高石ともやさん デビュー当時の真相とは?
 さて、そのデビューは、フォーク集会に飛び入りで「思い出の赤いヤッケ」という、スキー場で歌われていた無名・作者不詳の歌を歌った、と、生粋のフォークシンガー、という印象のともやさんですが……
 その一方で大手レコード会社の新人として現在大物の歌手と一緒にプロモーション活動をしたとか、また一方でバックにマネージャーもどきの友人だか相棒だかがいて、良くも悪くも活動を過激に指導・指南していたとか、そういったお話も時折聞きます。
 真相は一体どんなだったんでしょう……? 初期の混沌期の活動実態はどんな風だったのか、今もって謎ですね。

◆十字架に帰ろう
 ちょうど、このライブレポの下書きを書き終わった翌日、高石ともやさんの訃報が伝わってきました。
 4月のチャペルコンサートが最後になるなんて、思いもしませんでした……
 9月のピースライブに今年も出演されるはずで楽しみにしていましたが、かなわなくなってしまいました……

 プロテストソング、メッセージソングの旗手として日本のフォークソング運動の礎を築き、そのフォークが「流行歌」となった後も<人びとの歌>フォークソングの魂と心を地道に忠実に実践してこられました。
 10年前に亡くなった、笠木透さんが言う「フォークは無名人の歌」を体現し、民衆音楽、本当の意味でのフォークシンガーに徹してこられた稀有な方でした。

 私は、中学生時代に深夜放送で出会いました。商業音楽とは違う、素朴な手作りのフォークソングの魅力と価値を教わっただけでなく、ライフスタイルについても数知れない大切なことを教わりました。緑の野山に囲まれた生活、手作りの大切さ、回り道の人生、商業主義に背を向ける反骨精神……

 現在のJ−POPの隆盛も、プロとアマチュアの垣根を取り払った、ともやさんなくしてはありえません。シンガーソングライターもガールズバンドも世に出ることもなく、路上ライブも You Tuber すら存在せず、音楽は職業作詞・作曲家、職業歌手による流行歌・商業音楽に独占されていたことでしょう。

 そんなともやさんですが、人気フォーク歌手やニューミュージック歌手はもちろん、岡林信康さん高田渡さんらと比べても過小評価されてきたのは残念です。今回の訃報もニュースにすらなりませんでした。けれども、それがフォーク歌手の本懐であり、ともやさんが真のフォーク歌手だという証だと思うのです。ただ一つだけ、物足りなかったのは。もう少しCDを出してほしかったことかな。
 フォークソングは、歌手に付属するものではなく、人々の歌ですが、これからも、ともやさんの歌が歌われ続け、フォークソングの灯がともり続けることを祈ります。たとえ作者の名前は忘れられても……

 ありがとう、ともやさん。

(掲載: 24/8/23)


第18回 ピースライブ 2024
■24.9.14 京都教育文化センター■

 2006年、笠木透さんと高石ともやさんとのジョイントコンサートとして始まった、このピースナインコンサート〜ピースライブですが、笠木さんに続き、高石ともやさんもこの8月17日に昇天されました。チケット・チラシにも記載されてとても楽しみにしていたのですが、悲しいことになってしまいました。
 冒頭の主催者あいさつの後、ともやさんの姿と歌声、MCを少しずつ編集した映像が流されました。今回は、追悼ということではありませんでしたが、出演者皆さん、一言ずつともやさんのエピソードを語ってくれました。ピースライブ24a

ぽこあぽこ……鈴木幹夫さんを中心に、雑花塾を引き継いで3回目の連続出演。曲は「雲は流れる」(クマザサをチシマザサと言い換え)、「棚田」、「ちむぐりさ」、笠木さんを唄った「row a boat」。
野田淳子さん……ともやさんのピンチヒッターとして、4回目、10年ぶりの登場。プレッシャーを乗り越えて、ともやさんのレパートリーでもあった「死んだ男の残したものは」「私に人生と言えるものがあるなら」、笠木さんの詞もある「朝露」を日本語とエスペラントで、そして、「つる」「夜明け前の唄」。谷川俊太郎さんとともやさんの有名なエピソードや、ともやさん訳の「イマジン」に対するオノ・ヨーコさんの評価のお話もされました。
ジュスカ・グランペール……25周年になるチームは6回目の登場で、もはやおなじみ。欠かせない存在です。曲は「風人雷人」「めざめ」「カゼヲキル」「ヒーロー」「線香花火」「MY LIFE」。ともやさんを「いつも笑顔の見習いたい先輩」とおっしゃっていました。
松元ヒロさん……朝ドラ「虎に翼」、『武器としての国際人権』という本、映画「生きて生きて生きろ」のお話をされました。ヒロさんはもうピースライブ一番の顔ですね。
川口真由美さん……月ノいづみさんのピアノソロで「戦場のメリークリスマス」、歌は「戦争の家」「苦いコーヒーと甘いデーツ」、ジュスカ・グランペールとの共演で「色のうた」。
ピースライブ24b
●コラボコーナー……野田淳子さんの夫・中島光一さんが登壇し、作品「大きなうた」をみんなで合唱! この歌は、私も小学生の頃覚えた、懐かしい歌です♪ そして、川口真由美さんの力強いボーカルでの「軟弱もの」は、笠木さん増田さんの作品に新しい命を吹き込まれたようです。続いて、鈴木幹夫さんをリードにした、フィールドフォークの名曲「おいで一緒に」。笠木さんも高石さんもいないのに唄われているのが何だか不思議な気持ちでしたが、歌い継がれていくことは喜ばしいことではないでしょうか。

 締めくくりには「街」をみんなで歌いました。「陽気に行こう」「私に人生と言えるものがあるなら」と並び、ともやさん、ナターシャの代表曲の中でも一番の愛唱歌といえるでしょう。
 これからも、お二人の精神を継いで、ピースライブが続いて行くことを願っています。

(掲載: 24/11/19)


昼下がりコンサート 2024
■24.9.28 円山公園野外音楽堂■

昼下がり24 4回目になった、高石ともやさん、ザ・ナターシャー・セブンをリスペクトするこの「昼下がりコンサート」ですが、今年はともやさんの訃報を受けてか、城田じゅんじさんの出演に触発されてか、大勢の人が詰めかけました。
 例年になく、入場待機列がかなりの長さになっていました。4〜5倍の入場者があったのではないでしょうか。私も、久しぶりに坂庭省悟さんのお墓に立ち寄ってから、列に並びました。

 毎年、残暑厳しい中での公演でしたが、今年は曇り空でなかなか快適です (*^_^*) 開演前に「プロの出演者の撮影録音は禁止」という異例の釘刺しがあり、その後も「個人で楽しんで」と念押しされました。反射的にネットに上げてしまう人が増えているのは困ったものですね〜 (^_^;) フォークソングを愛する人ならもう少し問題意識を持ってほしいです。
 また、いつもの司会の兼松豊さんは体調不良でお休みとのことで、「てっつん」が代役でMCです。
 コンサートの主旨説明の中では、ともやさんにも声をかけていたらしく、今年か来年にでも実現するかも、という矢先の訃報だった、というお話がありました。

 そして、進藤了彦さんの「ともやさん、聞いててね!」の声を合図に、にぎやかに出演者全員でオープニング曲「私を待つ人がいる」を演奏、いよいよ開演です \(^o^)/
 まずは、全国各地から集まった、10組のアマチュアコーナー。<A&Y><New Folk Times><ほうぼうず><冨沢洋さん><第二技術室><近周さん><裏木曽かーぺんたーず><フォークグラス><会津里花さん><N2ユニット>(出演順)と、フル出場から初登場も加わって、ナターシャ・ナンバーを次々と。どれも口ずさめる歌ばかりですよ♪
 会津さん+N2ユニットの「おじいさんの古時計」では、サビの歌詞を「ともやさん、ありがとう、さようなら」と唄われました。

 続いてはレギュラーの<坂庭寛悟バンド>が登場。「青い海のお墓」「綿つみの歌」、諸口あきらさんの「リターン・トゥ・パラダイス」の3曲を聞かせてくれました。
 茶木みやこさんのステージでは「私に人生と言えるものがあるなら」、じゅんじさんのギターサポートで省悟さんの「海原」、そして、ピンクピクルスの「一人の道」。昨年、残念ながら欠席されてしまったので、今年はとてもとても楽しみにしていました (*^。^*)
 1973年以来の円山出演という、待望の<我夢土下座>は、笠木透さん作の「海に向かって」「君かげ草」(ともやさんとの唯一の共作)と、フィールドフォークの「おいで一緒に」「時は流れる」「川のほとり」の3曲をメドレーで。
ここでじゅんじさんが加わって「今、風の中」「朝の雨」の2曲を即興で演奏されました。「今、風の中」は、歌詞がわずかに進化? していしていたみたい (#^.^#)
 引き続き、城田じゅんじさんのコーナーに入りました。じゅんじさんは、ナターシャの結成メンバーなので、ともやさんとは車の両輪のような存在だった、と言っても良いかな……。確執はありながらも、二人会 Next Chapter なども一時開かれていて、やはり特別な思いを持っておられるようです。
 「Devil's Dream」のバンジョー演奏でスタートすると、こばやしかずなり(小林一成)さんという若手バンジョー弾きさんをその出会いとともに紹介して、定番曲「Foggy Mountain Break Down」を披露してくれました。その後は結構珍しい「川下りブラックジャック」。すると、何とナターシャの大ファンだという小林さんのお父さんもステージに登壇。「ミー・アンド・ボビー・マギー」(じゅんじさんがいつも、ともやさんの詞を絶賛していますね)と、「チャップリン・イン・ニュー・シューズ」で、じゅんじさんのコーナーはここまでとなりました。

 いよいよ最後は、ホストバンドの<七人の会バンド>の登場です。「いこまいか」で楽しく始まり、続いては「103人のバラード」。久しぶりに聞く曲でしたが、この歌詞には「企業は伸びる、人は滅びる」「ビルは高く国は栄えて、人の心は荒む」と、現代でもまるで変わらない経済優先の社会を当時から憂いていたことがわかります。忘れてはいけない歌ではないでしょうか。
 そして、松崎博彦さんボーカルで定番中の定番「街」、追悼にはふさわしい歌かも知れない「疲れた靴」は西田晃治さんのボーカルで……
 ここで、何とっ、平沼義男さん!が突然の登場〜。何でもギターは処分して歌はやめたそうですが (>_<)、「Last Thing On My Mind(この想い)」を英語で歌ってくれました。
 そして、もはや恒例のようになっている進藤さんの持ち歌「三つの箱」は、「ナターシャセブン当時のスタイルで」! コンサート本編は締めとなりました。

 最後はやっぱりいつものエンディング曲「ヘイヘイヘイ」を全員で大合奏、大合唱して、今年も大盛況のうちにお開きとなりました。

 次回は来年の4月19日(土)に決定、本来の春開催となり、初夏も近い清々しい気候で楽しめそうで期待がふくらみますね♪

 ともやさん、ナターシャの歌を歌い継いでゆく、貴重なイベントとして続けて行ってほしいですが、皆もういい年なので、できれば若い世代にフォークソングが受け継がれて行って欲しいと、心から願うばかりです。

*余談ながら、地元紙の読者投稿欄に、ともやさんに関する私の投稿が採用されました。かなり修正、カットされているので、原文をご紹介します。<想い出の高石ともやさん> 特設ページをご覧下さい。

(掲載: 25/1/13)


 高石ともやを想う会
■24.10.14 浅草教会■

 4月のチャペルコンサートに参加した人たちに案内が届き、私も申し込んで参加しました。総勢82名が集ったそうです。
 思い出のチラシ、パンフレット、記事のファイルや、Tシャツ、本など、長年のファンの方のお宝が所狭しと展示されていました。初期のソロ時代のものなど、私がともやさんを知る以前のものなどは、本当に貴重です。
 私も学生時代にもらった年賀状を持参していたので、片隅に並べていただきました。
 会場にはコンサートの模様がスライドショーで映されており、祭壇には写真と共にギター、オートハープが並べられています。

 時間になると、呼びかけ人の稲石さんがギターを持って「みんなで唄いましょう」と声をかけられ、まずは「想い出の赤いヤッケ」を合唱しました。フォーク歌手・ともやさん誕生のきっかけとなった、大切な曲です。
 続くあいさつの中では、ともやさんと浅草との関わりについて話され、「西の京都円山と並ぶ、東の聖地が浅草」とおっしゃっていました。
 参加費の中から浅草教会への献金、YMCA総主事の弔辞代読などに続いて、ギターとオートハープの演奏でメインプログラムの献歌です。
 「長い道」「十字架に帰ろう」「街」(京都の歌だが、浅草っぽい、と)、そして予定外の「楽しい時は」と、最後はともやさんの歌声の録音をバックに「陽気に行こう」を、起立してシングアウトしました。
 終わりに、参加者一人一人が一言ずつ書いた献カードを、順に祭壇に捧げて退場しました。

 このあと、近隣で二次会があり、私はこれまで参加したことがなかったのですが、今日ばかりはと初めて仲間に入れてもらいました。歓談の後、後半は順番に自己紹介と思い出を語り、「ヘイヘイヘイ」と三本締めでお開きとなりました。
 <高石ともや博物館>を作って、ファンの手元にある資料を残そう、という提案もありました。宵々山が再開した頃にも<フォークソング博物館>という構想がありましたが、立ち消えになりましたね。実現出来たら協力したいです。

高石ともやを想う会

(掲載: 25/2/20)

 高石ともやを偲ぶ 宵々山あとのまつり
■24.11.13 京都 円山公園野外音楽堂■

あとのまつり 高石ともやさんの<お別れの会>が、宵々山世話方会の主催で「宵々山あとのまつり」として開かれることになりました。
 一部不確かな情報が交錯して少し戸惑いながら当日を迎えました。平日開催なので、来れなかった方も多かったかもしれませんが、千人超が集まったそうです。往時の宵々山を思わせる列が音楽堂を囲んでいました。
 今日は音楽会ではなく、ともやさんを支えた方々の思い出話や裏話が中心のイベントになるとのことです。
 ステージにはともやさんと永六輔さんの写真、桂米団治さん、道上洋三さん、松元ヒロさん、嘉門タツオさんや、労音などの供花…… 中にはその関係をいぶかしむような議員の名前も交じっていましたが……(^_^;) 会場客席の両脇には懐かしい<のぼり>も並べられています。
 また、今回入場無料ではありましたが、カンパの受付があり、能登半島の地震・豪雨救援の志納金として届けられることになりました。入場時にはポストカードが配られ、中にはピック入りの「当たり」があったそうです。

のぼり■開会
 司会は向井祥隆さん。まずは世話方会メンバーの紹介とあいさつで始まりました。
 そして、ともやさんを看取ったお二人、長女のたづるさんと、マネージャーの中田由利子さんからのお話…… 4月に病気が見つかり、5月に入院してから亡くなるまでほんの3ヶ月ほどの急なことだったそうです。たづるさんからは「これからも父の歌を聞いて下さい」との言葉を頂きました。
 続いてゆかりの方々が順次登壇されました。

■お話のコーナー
森明子さん……TV「遠くへ行きたい」のスタッフで、初めてともやさん、ナターシャの歌を聞いた中学生の時の熱いエピソードを。
永良明さん……永六輔さんのマネージャー。
山本良樹さん……第一回宵々山の時の渥美清さんを呼んだ時のウラ話を。
兼松豊さん……諸説ある、ともやさんの奥様の本名を教えてくれました。
平家良美さん……再開した宵々山のプロデューサー。
有森裕子さん……「自分をほめてやろう」を唄ってくれました。
北村次郎さん……ホノルルマラソン日本事務局代表。
常盤勝範さん……壷阪寺住職。
荒井敦子さん……今は<ファミリー合唱団>として再出発した、<まつぼっくり少年少女合唱団>代表。
田口利正さん……揖斐川マラソン副大会長。
久保井洋二さん……美方残酷マラソン実行委員長。
村崎修二さんの奥様と、笛の上島敏明さん……宵々山では、入場者を迎えるおはやしを担当されていました。

■歌のコーナー
坂本健さん・河合徹三さん・古川さち子さん・村尾あいさん……ともやさんソロの時はバンジョー、ベース、コーラスでバックアップしてきたメンバー。「薔薇の花を下さい」「さよならがいえない」の2曲を歌ってくれました♪
巻上公一さん……1999年、第19回以来の参加で、ホーミー、口琴を披露。
南こうせつさん……飛び入り参加。歌はなかったですが、「一秒でも顔を出さないと」との思いで駆けつけてくれました。
杉田二郎さん……ともやさんから聞いた言葉を話してくれて、新曲「一日、一時間、一秒でも」と、名曲「風」の2曲を歌ってくれました。
中川五郎さん……「受験生ブルース」を、ともやさん作曲のメロディで…… 「映画芸術」の追悼文、読ませていただきました。お二人の共演がもっとあればよかったですね……

 このあと、今回来られなかった方々からのメッセージが紹介されました。(きたやまおさむさん、城田じゅんじさん、松田幸一さん、村崎修二さん・耕平さん、大平サブローさん、浜村淳さん、松元ヒロさん、嘉門タツオさん、原田伸郎さん)

 そして。私も一度だけお呼ばれしましたが、全21回、25年にわたってともやさんを囲んで開かれた<107 Song Book Camp Meeting>(スリーコードクラブ、などとも呼ばれたこともある)のメンバーたちが「柳の木の下に」「わらぶきの屋根」「陽気に行こう」の3曲をにぎやかに演奏してくれました☆

■火入れ式〜提灯じまいの儀
 続いて、宵々山恒例の<火入れ式>となります。有森裕子さんが、八坂神社から火を頂いて来、巻上公一さんと一緒にホーミーで迎えます。長年のシンボルだった「宵々山」の提灯に最後の灯がともされました。
 そして、永六輔さんの「相撲甚句」が流される中、「提灯じまいの儀」が行われ、八坂神社へ納められることになりました。

 少しはしんみりとするかなとも思いましたが、湿っぽさはなく、楽しく明るく「陽気に行こう」なお別れ会でしたが、以上をもって終演となりました。出演者の多くが「ともやさん、ありがとう!」と声をかけられたのが印象に残ります。
 「街」の歌声が流れる中、ステージを通り抜けて会場を後にしました。

 (*この日、谷川俊太郎さんがお亡くなりになりました)

■蛇足
 個人的な意見ですが。
 CD、DVDなどが発売されるわけではないので、個人が内緒で撮影・録音・録画するのは黙認してほしい、とは思っていますが、それを公の場に出すのは疑問に思います。「拝啓ファンの皆様」という歌はご存知でしょうか……

(掲載: 25/3/10)